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 ▼言葉のお守り的使用と教育  流水 04/3/16(火) 23:50
   ┣Re(1):言葉のお守り的使用と教育  団塊党 04/3/19(金) 3:52
   ┃  ┗Re(2):言葉のお守り的使用と教育  流水 04/3/19(金) 18:37
   ┗Re(1):言葉のお守り的使用と教育  ひまんじい 04/3/30(火) 9:32
      ┗Re(2):言葉のお守り的使用と教育  流水 04/3/30(火) 10:51

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 ■題名 : 言葉のお守り的使用と教育
 ■名前 : 流水
 ■日付 : 04/3/16(火) 23:50
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   現在の教育問題を解く鍵の一つに言葉の問題がある。
戦後、鶴見俊輔氏が思想の科学に発表した論文の中で指摘した【言葉のお守り的使用】の問題点は、50年以上たった今でも有効である。
彼によれば、日本人は常に言葉の【美しさ】に惑わされつづけた。 戦前の『八紘一宇』・『皇国の大義』から始まって『撃ちてし止まん』『皇国の母』『欲しがりません勝つまでは』等に至るまで、戦争の醜さ・汚さ・むごさ等のマイナス・イメージを忘れ去られるような美しい言葉の羅列に惑わされつづけた。

戦後日本もこの体質から無縁ではなかった。自由、平等、民主主義、平和などは、戦後の日本人の大切な言葉である。
右・左を問わず、この言葉には抵抗できない。現在ではリストラ、自己責任、個性の尊重、などの言葉には、少々疑問を感じても抵抗できない。
鶴見俊輔氏は、このような日本人特有の言語の使用傾向を言葉のお守り的使用と名づけたのである。
その言葉を使用すれば、自らの正当性が検証なしに証明できる、つまり常に自分を正当性の側に置くお守り的役割を果たしているのである。

9/11以降、アメリカ国民あげての「愛国心」の大合唱を見ていれば、あの雰囲気の中でそのことに疑義をさしはさむことの難しさは納得できると思う。
9/11以降のアメリカに戦前の日本を重ねてみている人も多いと思う。
しかし、アメリカ人以上に日本人のこの傾向は、殆ど骨がらみの体質ではないかと思われるほど浸透している。

この言葉を使用すれば、自らの正当性を検証なしに保証できるならば、こんなに便利な事はない。それに、常に多数派に身を置く事が大切であるという「生きる知恵」が加わり、日本人独特の村社会的とか島国的と呼ばれる体質が形成されたのである。現在の自民党の政治家を見れば、その事は納得できる。
だから、日本社会では異端は常に排除される運命にある。
異端とは、個性的であると言う事と殆ど同義であるが、このような体質の人間はこの国では大変生きにくく出来ている。

田中真紀子、鈴木宗男、加藤紘一、辻元清美と続いた国会劇場でのキーワードも「うそつき」「責任」「辞職」である。集中豪雨のような非難の嵐が、「異端」とされたこれらの人にあびぜられ、その中で如何に対処するかが政治家として生き抜けるかどうかの別れ道になる。
もともとの日本人的体質の上に情報化社会がさらに拍車をかけているのである。
さらにマスメデイアの煽動が加われば、万全である。

学校と言う所は、この傾向に無縁な所ではないと言うより、【言葉のお守り的使用】の旗振り役を務めたところである。
戦前の国家主義的イデオロギー注入の中心的役割を果たしたのも学校ならば、戦後の自由、平等、民主主義の言葉を振りまわしたのも学校である。
現在も「個性の尊重」とか「生きる力」とか「共生」などの言葉の普及の尖兵の役割を果たしている。
勿論、このような言葉を安心して使用するためには、権威の裏づけがなければならない。
その権威が文部省であったり、日教組であったというわけである。

戦後、教育現場での闘争の主要テーマは、右・左のイデオロギー闘争であったという見方はあまり実質に近くなく、この闘争の担い手が無意識に考えていた、【言葉】の主導権争いであったと総括してもあまり間違いはないと思う。
つまり、どちらの【言葉】がより現実に【錘】を降ろしているかの争いであったと思う。

しかし、「情報化社会」の浸透と「国際化の進展」は、「美しい言葉」の虚妄性を明らかにしてしまうというメカニズムも内包している。
ソ連邦に代表される東欧社会主義圏の崩壊・欧米諸国や世界の国々の内情や日本国内での外国人の増加は、日本人に新しい形の【ナショナリズム】を呼び起こしつつある。これは日本だけでなく、世界的な傾向である。
東西冷戦の終焉は、アメリカの覇権を確定し、英米流のグローバリズムの浸透は、新たな貧困問題を引き起こしている。
これが、自虐史観の脱却とか新しい管理主義の提案とか少年法の改正とか、教育現場に新しい【言葉】を投げつけている要因である。

彼らの言説は、ある程度の正当性がある故に、現在力を持っているように見えるが、私から言わせれば日本の伝統的体質の【言葉のお守り的使用】に依拠している為、いずれ消え去る運命にあると思う。

その事は、彼らの相手に投げつける言葉を仔細に検証すればその事はすぐ分かる。
「戦後民主主義は虚妄である」とか「朝日新聞的左翼マスコミ」とか「国益優先の思想」とか戦後的価値観に全て[異議申立て]をしているのである。
その事の正当性を証明する為、相手にレッテルを貼りつけて排除する手法をとる。言葉の『ラベリング効果』に依拠した手法である。

この手法は、戦前の『赤攻撃』と同じである。
忘れてならないのは、論理的正当性によらずに『左翼的=悪』という図式で排除すると言う心性は、戦後日本が最も嫌った手法であると言う事である。
人を『偏見』『色眼鏡』で見て、排除するという心性は、【差別思想】そのものであると言う事をもう一度思い出す必要がある。
彼らが目の敵にする「日教組」ですら、これほど露骨な政治教育は行っていない。

少なくとも、戦後民主主義の原点、政治信条の自由とか相手の言い分をよく聞き論理によって相手を論破するとかいう基本的姿勢を崩してはいない。
勿論、日教組もこの言葉のお守り的使用の体質から脱却していない。「保守反動」とか「労働者の権利」とか、【言葉】により自らの正当性を主張してきたのは同じである。

しかし、「新しいナショナリスト」も「日教組」も現在では色あせて見えるのは、少しずつ日本人の体質が変わってきているからだろうと思う。
つまり、【言葉の美しさ】の裏にひそむ現実に人々が気がつき始めたのである。
平成大不況が、この認識を加速させたと言って良い。
戦後初めて日本人(大衆)が、自分の言葉で語り始めたのである。

私は、この事に期待したいと思う。自分の言葉・自分の感性を大切にする大衆の出現は、新しい時代に希望を抱かせる。
学校・教師もこの現実をよく見る必要がある。
教師も自分自身の言葉で語らなければならない。
【説明責任=アカウンタビリテイ】と【情報公開】は、他人事ではない。
これからの学校と教師は、自分自身の言葉でこの【説明責任】を担わなければ生き延びるのは難しい。

同時に保護者の情報所有量が、不勉強な教師よりはるかに多いと言う事をよく認識しなければ、信頼を勝ち取れない。
また【教育学】という学問が、周辺科学の援用によって成立している事もよく認識していなければならないと思う。
つまり、誰もが教育を語たれる素地があると言う事をよく認識しなければ間違うと言う事である。

もう少し付け加えると、周辺科学(他分野)の専門家が飛躍的に増加している(高等教育修了者)と言う事をよく頭に置いていなければ、信頼は勝ち取れない。

これからの教師は【言葉のお守り的使用】で教育が出来、保護者の信頼を勝ち得た時代から、自分の言葉で自分の教育理念を説明でき、その理念の実現の為の自分なりの【方法論】をきちんと持ち、実践によって【子供の変容】を形で証明出来なければ信頼は勝ち取れない事を肝に銘じるべきである。
21世紀は、日本人が変わる事を強制される時代であり、この変わり方の一番基本的な部分を担うのが学校であり教師である。
この認識なしに惰性的な日常の営みを続けていては、21世紀の学校の未来はないと思う。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):言葉のお守り的使用と教育  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 04/3/19(金) 3:52  -------------------------------------------------------------------------
   ▼流水さん:
>・・・・・・・
>これからの教師は【言葉のお守り的使用】で教育が出来、保護者の信頼を勝ち得た時代から、自分の言葉で自分の教育理念を説明でき、その理念の実現の為の自分なりの【方法論】をきちんと持ち、実践によって【子供の変容】を形で証明出来なければ信頼は勝ち取れない事を肝に銘じるべきである。
>21世紀は、日本人が変わる事を強制される時代であり、この変わり方の一番基本的な部分を担うのが学校であり教師である。
>この認識なしに惰性的な日常の営みを続けていては、21世紀の学校の未来はないと思う。

「21世紀は変わることを強制される時代」という言葉が確かに実感されるようになっています。
これまで通りにやっていては、子供も親も社会も学校を見放す時代がそう遠くない未来にやってくるでしょう。
「子供の変容を形で証明」するために奮闘する以外に学校の未来はありません。
厳しい時代です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):言葉のお守り的使用と教育  ■名前 : 流水  ■日付 : 04/3/19(金) 18:37  -------------------------------------------------------------------------
   ▼団塊党さん:

>これまで通りにやっていては、子供も親も社会も学校を見放す時代がそう遠くない未来にやってくるでしょう。
>「子供の変容を形で証明」するために奮闘する以外に学校の未来はありません。
>厳しい時代です。

その通りだと思います。
現役の皆さんには、ぜひがんばって欲しいと思います。現役教師の皆さんは、もっともっと声を上げて、主張しなければならない時代だと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):言葉のお守り的使用と教育  ■名前 : ひまんじい  ■日付 : 04/3/30(火) 9:32  -------------------------------------------------------------------------
   ▼流水さん:

 問題提起としては実に興味深い。「言葉のお守り的使用」に安住しているのがわれわれ庶民です。古代から中央集権国家であって、庶民の行動というものが全く歴史に登場しない稀有な国です。完全にお上依存かと思いますが、自らの権利の行使に遠慮し、恵まれた風土のもと農業を主に従事して今日まで来たのがわれわれ庶民の歴史かと思います。かと言え鬱憤は溜まるわけでして、そのはけ口が陰険な行動となってあらわれるのもわれわれ日本人の特質かとも思います。応仁の乱や戦時中の軍部内部での残虐な行為など、下克上を絶えず体験してきたのも事実です。戦後の風潮の、なにが良いか悪いかの二者択一でなく、その日本人の体質を熟知する必要があると思っています。ですからhanmeruさん提唱の自虐的日本人のスレッドに興味を持って図々しく話をさせてもらった記憶がよみがえります。
 残念ながらご高説の列挙と、自らの優位観の維持が先行する議論に付き合うのも、今回限りにします。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):言葉のお守り的使用と教育  ■名前 : 流水  ■日付 : 04/3/30(火) 10:51  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ひまんじいさん:

> 残念ながらご高説の列挙と、自らの優位観の維持が先行する議論に付き合うのも、今回限りにします。

別につきあってもらわなくて結構です。
要するにあなたのレスは、慇懃無礼を絵に描いたような、切捨てご免の論議なので、読むだけ不愉快になりますからね。

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