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 ▼戦争を語ろう  頑爺 05/4/3(日) 8:04
   ┣Re(1):戦争を語ろう  石頭の息子 05/4/3(日) 8:22
   ┗Re(1):戦争を語ろう  数理梵哲 05/4/3(日) 15:32
      ┗Re(2):戦争を語ろう  宮天狗 05/4/3(日) 19:36

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 ■題名 : 戦争を語ろう
 ■名前 : 頑爺
 ■日付 : 05/4/3(日) 8:04
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   人間は特定の所属する思想の書き物・思想・そして行動を見聞きして繰り返し教えられると白を黒と信じる弱い者です、余ほどしつかりした考えを持たないとおぼれるものです。おぼれない為にはやはり経験者(歴史)を見る事です。
自分自身の実体験と教育が体に覚えて本当の歴史です。白は白です。
頑爺が毎度言うように、南京大虐殺が有るの無いのと言っても歴史を見る角度において違うと思うのです、其れは自分の国を卑しめない為には都合の悪い行為には風呂敷を被せたいでしょう。反面相手は誇張して国民教育に使うかもしれません。
頑爺は中国天津市で死骨戸と呼ばれる三重・四重にも重なって掘り出された骸骨を見た。日本軍の兵站地の庭に埋めてあり、発掘して余りにも多いので途中で発掘を止め、歴史として保存して居ると説明を受けた。
1972年国交回復前の時期に政治訪問団員の一人として行ったが、恐らく日本人では始めての参観者であったと思う。説明をしてくれたのが丁度私と同年の解説者で14歳の時物置の蔭から覘いていた情景を話してくれた、其の中に友人・知人も居た、血を吐くような嘔吐をよもおし、髪が逆立ちする気が狂う情況だったと涙ながらに説明してくれた。我々も涙なしには聞けなかった。
部屋の壁には後手を縛られ首を切られる写真や、杭に縛られ銃剣で刺されている写真、将校が軍刀片手に首を下げている写真等々貼り付けられており、私も嘔吐を催しそうに成りました。
敗戦後私より十歳以上の老人達と旅行し酒が這入ると軍歌を歌いこの様な虐殺の話を得々と互いに話し出す人達が居ました。私の叔父は日本軍では中尉でしたが満州の軍に転属か志望かで二階級特進の少佐の階級でしたが、私に首を切っている写真を見せてくれました、当時は土産物並に多くの兵隊は持っていたのではないでしょうか。この老人達の中に今でも夢に見て思い出す、と言う人が多かったですよ。
新兵達に私はこう言いたいのですよ、南京虐殺が有ったか無かったかの詮索よりも、本当に日本人は当時の軍国主義精神・天皇の命令なら何でも出来る風潮の超右翼精神の元で、人数の多寡は兎も角、完全に虐殺は有ったと、歴史の立会人として頑爺は証言します。
この中国訪問の時多くの中国国民は「日本国民も軍国主義・軍閥に犯された同じ被害者です」と慰めてくれました。
新兵達よ歴史は近くでは虫眼鏡的に見てはかえつて間違う物だよ歴史は時間が解決する。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):戦争を語ろう  ■名前 : 石頭の息子  ■日付 : 05/4/3(日) 8:22  -------------------------------------------------------------------------
   頑爺さん, 久方ぶりに幼少の頃に大人から聞いた本当の話を伺いました、前段の白が黒になる、白は白の見識に敬服致しました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):戦争を語ろう  ■名前 : 数理梵哲  ■日付 : 05/4/3(日) 15:32  -------------------------------------------------------------------------
   ▼頑爺さん:
>人間は特定の所属する思想の書き物・思想・そして行動を見聞きして繰り返し教えられると白を黒と信じる弱い者です、余ほどしつかりした考えを持たないとおぼれるものです。おぼれない為にはやはり経験者(歴史)を見る事です。
>自分自身の実体験と教育が体に覚えて本当の歴史です。白は白です。

人は、自らの体験から得たものしか、実感を持って考えられないものだと思います。

>頑爺が毎度言うように、南京大虐殺が有るの無いのと言っても歴史を見る角度において違うと思うのです、

南京大虐殺については、虐殺が無かったという主張はなかったように思います。いわゆる大逆殺があったかどうかが議論されていたと受け止めています。

>1972年国交回復前の時期に政治訪問団員の一人として行ったが、恐らく日本人では始めての参観者であったと思う。説明をしてくれたのが丁度私と同年の解説者で14歳の時物置の蔭から覘いていた情景を話してくれた、其の中に友人・知人も居た、血を吐くような嘔吐をよもおし、髪が逆立ちする気が狂う情況だったと涙ながらに説明してくれた。我々も涙なしには聞けなかった。
>部屋の壁には後手を縛られ首を切られる写真や、杭に縛られ銃剣で刺されている写真、将校が軍刀片手に首を下げている写真等々貼り付けられており、私も嘔吐を催しそうに成りました。

恐らく蒙古襲来のときのどこかの島の日本人の置かれた状況も似たような状況ではなかったでしょうか。
残酷な行為は日本人が行ったことだけでなく、行われたことも多かったこと、又、日本人が行ったからいけないのではなく、人間として行ってはならないことだと考えることが大切だと思います。今、イラクで米軍により似たようなことが行われているかも知れません。

>敗戦後私より十歳以上の老人達と旅行し酒が這入ると軍歌を歌いこの様な虐殺の話を得々と互いに話し出す人達が居ました。私の叔父は日本軍では中尉でしたが満州の軍に転属か志望かで二階級特進の少佐の階級でしたが、私に首を切っている写真を見せてくれました、当時は土産物並に多くの兵隊は持っていたのではないでしょうか。この老人達の中に今でも夢に見て思い出す、と言う人が多かったですよ。

貴方は、この老人達にどう言われたのでしょうか。人間としてしてはならないことを行ったと非難されたのでしょうか。それとも日本を守るために頑張ってくれたと感謝されたのでしょうか。
私の何十年か前の知り合いに衛生兵として従軍された方が居られましたが、酒の席で軍歌を歌ってくれと言われると本当に腹が立つと言って居られました。
(インパール作戦?)目の前で戦友がろくな手当も受けられずに死んでゆくのをさんざん見てきた自分にとって、戦争を意味する軍歌は憎んでも憎み足りないと言って居られました。

>新兵達よ歴史は近くでは虫眼鏡的に見てはかえつて間違う物だよ歴史は時間が解決する。

確かに歴史を見るには、時間が必要だと思います。ただ、その人によって、何十年単位で見るのか、何百年単位で見るのか、それとも何千年単位で見るのかの違いが出てきます。そこが難しいと感じます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):戦争を語ろう  ■名前 : 宮天狗  ■日付 : 05/4/3(日) 19:36  -------------------------------------------------------------------------
   数理梵哲さん

南京事件が起きたとき私は10歳でしたから確かめる術もありませんが、戦地
帰りの床屋のおっさんや魚屋の御用聞きは「チャンコロをこうやって突き刺す
んだ」と身振り手振りで自慢げに話しました。なぜなら「女だって子供だって
油断してたら何するか分からないから」というわけです。この論理は無差別爆
撃を指揮したカーチス・ルメイ将軍の「日本の都市はすべて軍需工場だった。
ある家がボルトを作り、隣でナットを作る」という説と見事に呼応します。
確かにそういう家がないわけではない。しかしほとんどは勤め人か商店などだ
ったことを私はよく知っています。いや!どなただってご存知ですよね。

私たちが体験をこりもせず繰り返し語るのは、このような論理が大手を振って
まかり通る戦争を二度としたくないからです。ちなみに我が家は1945年4
月13日の空襲で跡形もなくなりました。

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