Page 2681 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼知識人に対する不信 としごろ 05/4/13(水) 13:41 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 知識人に対する不信 ■名前 : としごろ <aatok2-m@mx3.ttcn.ne.jp> ■日付 : 05/4/13(水) 13:41 ■Web : http://www1.ttcn.ne.jp/~aatok2-h/index.html -------------------------------------------------------------------------
日本の仏教学の大家である中村元先生は晩年、「奴隷の学問はやめろ」と言われた。中村先生の言葉のとおり、明治以降の日本の人文分野は、西田幾太郎の哲学や折口信夫の民俗学などを除いてほとんどが輸入学か、伝承学であり、国文学はほとんど伝承学であったといえよう。 人間が人間である唯一の条件は信義を大切にして誠実な生活を営むことである。 1870年から1945年の明治維新期、大日本帝国の75年間の人文分野は99.9%が何も実りをもたらさない虚偽の暗黒の嘘吐き時代であったと言ってもよい。何一つとして真理を語るものはない。 とりわけ1870年から1890年の20年間と1940年から1960年の20年間は先生(知識者)と呼ばれる人たちの欺詐時代だった。 はっきり言えることは、1940年から1960年の20年間、下は小学校の先生から、上は大学の学長まで先生と呼ばれた者達は100%嘘吐きで奸人あった。そして、これ等は「暗愚なる大衆」と考え、生き残りでもあった。しかし東京大空襲、広島・長崎の原爆、沖縄の連合軍上陸で犠牲になった友人・隣人を含め「暗愚なる大衆」は生き返ってこなかった。 いま、イラクで起きている現象は日本のそれとは比べものにならないほどの小さな規模であるが、聖職者と呼ばれる訓導の役割りが、かっての日本の先生(訓導)の役割と同じに映る。 いま、日本では有識者会議がおお流行りである。非常識な有識者に何が語れるのだろうか。30年、50年後の日本の社会ビジョンがあるとも言えない。有識者と呼ばれ儲けたいがために、嘘吐きになり、奸人となっているのが、今日の有識者と言われる者達である。有識者会議のメンバーのそれは小人の学問で自己の売り物にしているだけである。 科学分野でもハンセン病、原爆症認定、水俣病認定、河川改修、ダム建設、有明海堰、BSEなどでの科学者の関わりで、どれほどの信頼が得られたかおおいに疑問である。人文分野と違って科学分野は実証されなければならない。ハンセン病での光田健輔などは非人間、大罪人と言える。50年後、100年後に人間社会に有益である確信に基づいて、嘘を吐かない、奸人にならない有識者がどれほどいるのか。 歴史書の記述によると明治6年、明六社が設立されて森有礼、福沢諭吉、福地源一郎、松本弘安、箕作秋坪、西周、津田真道、加藤弘之、神田孝平、中村敬宇、西村茂樹らが言論を闘わせたとある。 森有礼はいわゆるスパルタ式教化育成を、福沢諭吉・西周らは翻訳者で基礎学習のない愚かなデマゴーグに過ぎなかった。マグナカルタもアメリカ独立宣言も、フランス革命も、モンテスキューも、ルソーもマルクスも学習していなかった。和学といわれた分野も管子、儒学を聞きかじった程度に過ぎない。まさにこれ等は似非知識人でしかなかった。森有礼が殺された後、澤柳政太郎が方向転換を試みたが大勢順応型教育思想、記憶暗唱型教育は1945年まで潰されることなく生き続いた。 「文明開化を知らない者に新聞煎じて飲ませたい」と揶揄された文明開化を売り物にする言論で、これ等の者たちは庶民を煽動したにすぎない。 1937年日中戦争をはじめると、大本営を設置して情報管理を行った。1945年大日本帝国が滅亡し日本国が成立したが45年までは「暗愚なる大衆」を、真実を知らさず煽動した。46年以降、鍋釜と一緒に文化人が発生した。この文化人は学者、大学教授、評論家の類で、思想家、政治学者、哲学者が沈黙を破って言論を展開したと言えば格好よいが、その実体は嘘吐きで、自己を売り物にしたにすぎない。 資本論も読まずにマルクス批判をする経済学者がいれば、共産党宣言も読まずに階級闘争を叫び、アメリカに3カ月いてアメリカ社会について堂々と講義する社会学者、経済学も知らず社会主義を主張する政治学者等々、明六社の連中と同類で民主主義を売り物にした欺詐・奸人だった。 |