Page 283 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼もう一つの9・11 流水 04/4/5(月) 11:09 ┣Re(1):もう一つの9・11 少し考える葦 04/4/5(月) 11:37 ┃ ┗Re(2):もう一つの9・11 海幸彦 04/4/5(月) 12:58 ┃ ┗Re(3):もう一つの9・11 流水 04/4/5(月) 13:16 ┃ ┗Re(4):もう一つの9・11 海幸彦 04/4/5(月) 18:32 ┗へぇー ニッチモサッチモ 04/4/5(月) 14:40 ┣Re(1):単純ですね 流水 04/4/5(月) 14:51 ┃ ┗Re(2):単純ですね ニッチモサッチモ 04/4/5(月) 15:20 ┃ ┣Re(3):単純ですね 流水 04/4/5(月) 15:29 ┃ ┃ ┗質問には応えてね ニッチモサッチモ 04/4/5(月) 15:43 ┃ ┗訂正 ニッチモサッチモ 04/4/5(月) 20:38 ┗Re(1):へぇー 海幸彦 04/4/5(月) 14:53 ┗ぼくちゃんへ ニッチモサッチモ 04/4/5(月) 15:36 ┗Re(1):ぼくちゃんへ 海幸彦 04/4/5(月) 16:58 ┗参りはしないが、ここはおとなしくしとくわね ニッチモサッチモ 04/4/5(月) 20:43 ┗Re(1):参りはしないが、ここはおとなしくしとくわね 海幸彦 04/4/5(月) 21:11 ─────────────────────────────────────── ■題名 : もう一つの9・11 ■名前 : 流水 ■日付 : 04/4/5(月) 11:09 -------------------------------------------------------------------------
Violeta Parra(ビオレッタ・パラ)、チリの歌手で詩人で作曲家。彼女は、チリの民謡や民話を題材にした歌や詩をつくり、精力的に活動した。 【人生よありがとう】は彼女の最後の傑作である。パラはこの歌を遺作に自らの人生を絶った。彼女は、【民衆の歌う民衆のための歌】を目標にその音楽活動の全てを捧げた。 【人生よありがとう】は、マゼラン海峡を臨む小都市プンタ・アレーナスで、最初に歌われた。そして、彼女はこの曲を「最後の作品集」と題されたアルバムに入れた。その六ヶ月後、1967・2・5日彼女は自らの命を絶った。文字通り、【人生よありがとう】は、彼女の最後の作品になったのである。 このパラの歌を熱烈に愛した政治家がいた。サルバトール・アジエンデである。 パラの死の3年後、彼は世界最初の選挙による社会主義政権の大統領になった。 革命によらない社会主義政権の樹立に世界中が注目した。アジエンデも非暴力を唱え、平和的に社会主義政策を遂行した。貧富の差の解消を目標に、チリの経済を支えていた銅鉱山の国有化を断行した。しかし、この政策は米国を強く刺激した。銅鉱山の多くは、米国資本によるもので、これを国有化するということは、米国資本を追い出すことだったからである。 当時の米国大統領はニクソンだったが、彼はチリが社会主義化することを許さなかった。ニクソンは、米国の銅備蓄を市場に放出し、銅の価格を操作して、チリ経済を破滅に追いやった。アジエンデも社会主義化を急ぎすぎたため、国内の反対勢力の動きも激化していた。当然ながら、CIAの工作もあった。 1973・9・11日、ついにその日が来た。アジエンデ大統領の社会主義的政策に反対していた軍部がクーデターを起こしたのである。町には戦車が走り、大統領官邸は空軍によって空爆された。 アジエンデ大統領は、降伏を拒み、非暴力の禁を破って自ら銃をとって戦い、死亡した。 軍事政権は、アジエンデ派の政治家・閣僚・知識人・労働者などを次々に拘束、多くの人が殺された。一説には、2000人とも言われる人が虐殺された。 中でも、首都サンチャゴにあるチリ・スタジアムには5000人ともいわれる人が連行され、多くの人が虐殺された。 その中に、「歌を通して革命を支援しつづけた」ビクトル・ハラもいた。ビクトル・ハラも、アジエンデ大統領と同じく、ビオレッタ・パラの歌を深く愛し、多大な影響を受けていた。 彼の歌は、フォルクローレをベースにしながらも、南米に60年代後半〜70年代前半におこった「新しい歌」の流れを汲むもので、代表曲としては、クーデターに向かう不穏な情勢の中で作られた「民衆の風」「宣言」、ベトナム反戦歌「平和に生きる権利」などがある。 彼が、チリ・スタジアムに5000人の仲間とともに連行されたとき、自らの遺書代わりに残した最後の詩は、こう詠んでいる。 俺たちは五千人 首都の片隅に閉じこめられて 国中でいったい何人閉じこめられているのか ここだけで一万の手がある 耕し 工場を動かしてきた手が 歌よ おまえは何と無力なのか 恐怖を歌わねばならないとは! 私が生きているという恐怖 死んでいくという恐怖を この歌が 沈黙と叫びに終わる その無限の瞬間に 私はいる 今感じる 見たこともない恐怖が この瞬間に ほとばしるのを このピノチエト軍事クーデターの犠牲者といっても良い人間の一人に、詩人パブロ・ネルーダがいる。彼は、スペイン内戦からフランコ政権に反対、当時チリに亡命していた。 軍事クーデター勃発時、病に伏せていたが、軍事クーデター勃発の知らせと同時に病状が悪化、1973年9月24日、69歳の生涯を終えた。彼の葬儀に参列した人々からは自然発生的に「インターナショナル」の歌声が湧き起こり、それはピノチェット軍政への最初の大衆的な抗議行動となった。 彼の詩と人生にとって大きな契機となったのは、スペインで、フランコ将軍が反乱を起こし、マドリードが爆撃され、親友であった詩人ガルシア・ロルカが暗殺された事件であった。彼は、この時の心情と情景を『そのわけを話そう』で歌っている。 … きみたちは尋ねる−−なぜ わたしの詩が 夢や木の葉をうたわないのか 故国の大きな火山をうたわないのか と 来て見てくれ 街街に流れている血を 来て見てくれ 街街に流れている血を 来て見てくれ 街街に流れている この血を! 木村奈保子訳 軍事独裁政権は、多くのアジエンデ派の民衆を虐殺、逮捕、拷問にかけた。チリの民衆たちは、この軍事独裁政権の暴力に対し静かな非暴力での抵抗を行った。当時、チリから亡命した人々は約25万人とも言われている。この亡命した人々の間で、軍事政権への不服従のシンボルとして歌い続けられたのが、【人生よありがとう】である。 人生よ ありがとう こんなにたくさんのものをくれて 人生はくれた 二つのひとみを それを開けば私ははっきり見分けられる 白と黒を 高い空の 星のきらめく奥底を 群集の中から 私の愛する一人の人を スペイン語で歌われるパラの歌声は、なんともいえない哀愁に満ちた調べをかなで、人々の心に染み入ってくる。 この歌は、軍事政権下では、禁止されたが、亡命者を中心に各国に広まった。メキシコでは、アンパロ・オチョワが歌い、チリと同様に軍事政権が成立したアルゼンチンでは、国民的大歌手であるメルセデス・ソーサが歌った。 ソーサは、亡命したスペインを中心にパラの「人生よありがとう」を歌い、ヨーロッパ各国に広めた。「人生よありがとう」が世界中に広まったのは、彼女の功績が大きい。 フォークランド紛争後、軍事政権が崩壊し、祖国に帰ったソーサが六万人の大観衆とともに歌ったのも【人生よありがとう】である。 彼女は語る。「人生よありがとうを歌うことは、多くの人と一緒にいることの証しだ」と。 現在でも、チリの街角で、千人をくだらないといわれている軍事政権下で拉致されたり、連行されて消息不明になった人々の家族が、写真を掲げて真相の究明と家族の消息を求めて立ちつづけている。彼らは、どんな苛酷な取締りを受けても決して暴力に訴えず、弾圧を受けても受けてもひたすら立ち続け、不服従の意志を示し続けた。 こんな彼女たちの活動の支えになっているのが、【人生よありがとう】の歌である。 年老いた彼女たちにとって、軍事独裁政権の暴力は、忘れられない人生の傷跡である。中には、酷い拷問を受けた人もいる。 それでも、彼女たちは口々に語る。「酷い拷問も受けた。家族も連れ去られた。でも、わたしたちは生きている。だから、人生よありがとう、というのです」と。 自分の人生の証しを求めるように、いまだに立ち続ける彼女たちの心を支え続けているのが、パラの歌なのである。 パラ自身は、多くの人に自分の歌は愛されたが、実人生では恋に破れ、孤独のうちにその生涯を自分で絶った。しかし、彼女の歌はどうしようもない政治の暴力の谷間で、地獄の苦しみを味わった多くの人の人生を支えた。【人生よありがとう】は、偉大なるパラドクスの歌である。 貿易センタービルの倒壊以降の世界の状況を考えるとき、わたしたちは、もう一つの【9・11】の意味を問い直す必要がある。 |
流氷さん。 感動しました。人間の愚かさと強さを感じました。平和こそ絶対に守らねばならないものであることを、改めて認識いたしました。私達はどの国の人でも決して殺したり傷つけてはなりません。他人の人権を尊重して初めて自分も尊重されるという、当たり前のことを忘れがちです。大いに反省しております。 |
▼少し考える葦さん: >流氷さん。 >感動しました。人間の愚かさと強さを感じました。平和こそ絶対に守らねばならないものであることを、改めて認識いたしました。私達はどの国の人でも決して殺したり傷つけてはなりません。他人の人権を尊重して初めて自分も尊重されるという、当たり前のことを忘れがちです。大いに反省しております。 流水さん スペインの内戦を戦ったグループにPOUMというのをご存知かと思います。このグループの旗は半分赤で半分黒だったと聞いています。共産主義と無政府主義者の共闘組織だったようです。 |
▼海幸彦さん: >流水さん >スペインの内戦を戦ったグループにPOUMというのをご存知かと思います。このグループの旗は半分赤で半分黒だったと聞いています。共産主義と無政府主義者の共闘組織だったようです。 スペイン内戦は、ある意味ですべての思想グループの共闘という側面がありましたね。 海幸彦さんは、【シャボン玉飛んだ】という歌をご存知ですか。 シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで 壊れて消えた 風風吹くな シャボン玉飛んだ これは、大逆事件など当局の弾圧のため、夢破れたアナーキストの挫折の歌である、という説があります。 シャボン玉を夢の暗喩と見れば、風は権力の弾圧の暗喩と読むことができます。 日本のアナーキストは数多くいました。わたしは、その中で辻潤という人が一番好きです。「陋巷に死す」を地でいった辻潤の死に様は、真正アナーキストの面目躍如でした。 |
▼流水さん:貴信3654 >▼海幸彦さん: >>流水さん >シャボン玉飛んだ >屋根まで飛んだ >屋根まで飛んで 壊れて消えた >風風吹くな シャボン玉飛んだ > オリジナルスレッド:3650【もう一つの9・11】 流水さん ジャマが入りましたが、本線に戻って、、、 童謡として歌われているとばかり思っていました。そんな背景がささやかれていたのは、まったく知りませんでした。今日、外に出た時、よその家々の屋根を見ながら『シャボン玉』を歌ってみました。そしたら、涙がでてきました。 幸徳秋水達のきもちは分かりませんが、わたしたちにも似たような歌が一つ二つあります。 私の時代ではないですが、1960年のあとの歌【アカシヤの雨に打たれて】これがその類(たぐい)だったと聞いています。そして1970年のあとは【旅の宿】【手紙】【神田川】、少し遅れて【関白宣言】。歌っていた人たちは、意図しなかったかも知れません、でも私たちはそのようにとらえていました。 ウエットです。あかるさはありません。クライかも知れません。でもいい歌です。【関白宣言】を歌った「さだまさし」は意外と意外なヤツですよ。松山千春と対極をなす感じです。私は松山の方が好きですが。あまり、【本線】の話にもなっていません、30年以上まえのことです。 今は【さくら・独唱】でしょう。7.12?のあとにはどんな歌が流れるか、気になるところです。 |
ハナシが何処へ赴くのかと思って見てたら、いまのところ、アナーキー礼賛行きかぁ。 それはそれでいいかもしんない、だけど、こんなんじゃ、折角の大切な「お客様」が呆れ返っちゃって、いや、怖くなって散り散りに散っちゃうんじゃないか、オレ、そこんとこが心配になって来ちゃった。もっとも、起承転結って構成上、以降どんな果実が待ってるいるのか、未だ即断するには尚早なんだけれども、オレは黙って見物続行。 |
▼ニッチモサッチモさん: 誰も、礼賛などしていませんよ。 あなたの頭は、イデオロギーでこちこちになってしまっているようですね。 わたしが興味があるのは人間。あなたに興味があるのは人間ではなくて反共イデオロギー。 |
▼流水さん: >誰も、礼賛などしていませんよ。 オレは、あんたが礼賛してるなどとは一言も言ってないんだけどねぇ。 >あなたの頭は、イデオロギーでこちこちになってしまっているようですね。 コチコチかヤワヤワか知らんけど、アナーキーはいかんねぇ。それだけのことよ。 >わたしが興味があるのは人間。あなたに興味があるのは人間ではなくて反共イデオロギー。 オレの興味のあるのは非アナーキー。あんたに興味があるのが人間でなく、アナーキーでなければいいことじゃん。それとも、あんたアナーキストなの(因みに訊いとくけどさ、共ってアナーキーなの?つまり、反共イデオロギー=アナーキー?) |
▼ニッチモサッチモさん: >オレは、あんたが礼賛してるなどとは一言も言ってないんだけどねぇ。 > なるほど。わたしの文章にレスを入れて、わたしのことではないという。そういうのを、屁理屈というのです。 |
▼流水さん: >なるほど。わたしの文章にレスを入れて、わたしのことではないという。そういうのを、屁理屈というのです。 ま、遠慮して名を特定せず、流れを指して表現したんだけど、人間礼賛でも、アナーキー礼賛でも好きにしな。屁理屈指摘するのもいいけど、オレの質問には応えてね。 |
つまり、反共イデオロギー=アナーキー?): 誤 つまり、共産党的イデオロギー=アナーキー?):正 |
▼ニッチモサッチモさん: バカなことに執心するより、チョッとは昔のことを勉強し直したら、喜寿のおじい様。 古希でしたっけ。 辻潤(YahooJapanより) 東京生まれの評論家。1885-1944。アテネ・フランセなどで語学を学び、上野高等女学校の教員に。教え子の伊藤野枝と恋愛関係になり、退職。その後はオスカー・ワイルドなどの翻訳を手がけながら、放浪の生活に入った。武林無想庵らとともに大正期のダダイストを代表する一人で、高橋新吉の詩集『ダダイスト新吉の詩』の編纂者でもある。宮沢賢治を早くに評価したことでも知られる。代表作に『浮浪漫語』『絶望の書』『痴人の独語』『ですぺら』など。 |
▼海幸彦、っていうか、ぼくちゃん、おひさー。 >バカなことに執心するより、チョッとは昔のことを勉強し直したら、喜寿のおじい様 前の方、バカの意味がわかんない。後の方、昔のってそれの何を学び直せって? >辻潤(YahooJapanより) コピペご苦労。けど、殆ど興味なし。 |
▼ニッチモサッチモさん: >▼海幸彦、っていうか、ぼくちゃん、おひさー。 >>バカなことに執心するより、チョッとは昔のことを勉強し直したら、喜寿のおじい様 > >前の方、バカの意味がわかんない。後の方、昔のってそれの何を学び直せって? > >>辻潤(YahooJapanより) > >コピペご苦労。けど、殆ど興味なし。 ジッツァマ、ほんとにおひさー。 俺でも知らない【コピペ】なんてハイカラ語操っちゃって、若いねー。 よっぽど2チャンネルが好きだと見える。 まあ、たまにはこういう本の一つも読んだらという、アドバイスだ。老いては子に従え、参ったか! (ところで、つぎは雑談のコーナーにレスしてね。) |
▼ぼくちゃんへ:タイトル通り! |
▼ニッチモサッチモさん: >▼ぼくちゃんへ:タイトル通り! ありがとう。またヨロシク! |