Page 34 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼日本の食農について考えませんか・ 珍 源齋 04/1/27(火) 20:01 ┣Re(1):日本の食農について考えませんか・ 海幸彦 04/1/27(火) 20:51 ┃ ┗Re(2):日本の食農について考えませんか・ オルトン 04/1/27(火) 21:21 ┃ ┗Re(3):日本の食農について考えませんか・ 海幸彦 04/1/27(火) 22:45 ┃ ┣Re(4):日本の食農について考えませんか・ オルトン 04/1/28(水) 0:21 ┃ ┗Re(4):日本の食農について考えませんか・ 珍 源齋 04/1/28(水) 13:11 ┃ ┗Re(5):日本の食農について考えませんか・ 海幸彦 04/1/28(水) 15:48 ┃ ┣Re(6):日本の食農について考えませんか・ 海幸彦 04/1/28(水) 16:07 ┃ ┃ ┗Re(7):日本の食農について考えませんか・ 珍 源齋 04/1/28(水) 17:37 ┃ ┃ ┗Re(8):日本の食農について考えませんか・ 海幸彦 04/1/28(水) 19:21 ┃ ┃ ┗Re(9):日本の食農について考えませんか・ 北の老兵 04/1/28(水) 20:37 ┃ ┃ ┗Re(10):日本の食農について考えませんか・ オルトン 04/1/28(水) 22:24 ┃ ┗Re(6):日本の食農について考えませんか・ オルトン 04/1/28(水) 22:26 ┃ ┗Re(7):日本の食農について考えませんか・ 海幸彦 04/1/28(水) 23:59 ┣Re(1):日本の食農について考えませんか・ 珍 源齋 04/1/28(水) 11:01 ┣Re(1):日本の食農について考えませんか・ 珍 源齋 04/1/28(水) 12:27 ┣Re(1):日本の食農について考えませんか・ 珍 源齋 04/1/29(木) 17:16 ┃ ┗Re(2):日本の食農について考えませんか・ 海幸彦 04/1/31(土) 0:49 ┃ ┣Re(3):日本の食農について考えませんか・ オルトン 04/1/31(土) 6:42 ┃ ┗Re(3):日本の食農について考えませんか・ 珍 源齋 04/1/31(土) 13:48 ┃ ┗Re(4):日本の食農について考えませんか・ 北の老兵 04/1/31(土) 14:23 ┃ ┗Re(5):日本の食農について考えませんか・ 珍 源齋 04/2/1(日) 12:47 ┣食料に自給率40% 山田の案山子 04/2/1(日) 9:43 ┃ ┣Re(1):食料に自給率40% 安兵衛 04/2/1(日) 15:01 ┃ ┃ ┗Re(2):食料に自給率40% 珍 源齋 04/2/2(月) 11:04 ┃ ┗Re(1):食料に自給率40% 珍 源齋 04/2/1(日) 17:53 ┃ ┗Re(2):食料no自給率40% 山田の案山子 04/2/1(日) 19:18 ┃ ┗Re(3):食料の自給率40% 山田の案山子 04/2/1(日) 20:16 ┗Re(1):日本の食農について考えませんか・ 珍 源齋 04/2/4(水) 12:42 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 日本の食農について考えませんか・ ■名前 : 珍 源齋 ■日付 : 04/1/27(火) 20:01 -------------------------------------------------------------------------
日本の食農について考えてみました。 雪国の方々にとっての降雪や積雪の日常生活にかかる負担はお察しいたしますが・・・、 雪が豊年、豊作の兆しと云われてるように山の樹木や森と雪の相互協力により山の生産力が 向上すること・・・・、 雪が山肌を優しく包むとき、それに抱かれた木々や森の土壌の中では森の下働きを受け持つ微生物や虫たち等の生命群を活賦(かっぷ)して肥料にもなる栄養塩類を生産して、それが川筋から水田、畑そして海まで豊かにします。 その森も広葉樹、落葉樹、針葉樹、木の実や、山葡萄、等々山の獣たちを飢えさせないような多様性に富んだ山の森が人間に対しても豊かな水の提供や緑(みどり)のダムならぬ保水力豊かな自然の恩恵として好ましい循環が保障されます・・。 日本の国土は稲作と山の森林がお互いに協力して世界中で稀(まれ)にみるの自然環境と稲作文化圏を形成してきたことは恩恵として理解する処です・・・。 日本のように経済力のある国が食糧の多くを輸入に頼ることになれば、必然的に食糧の国際相場を高騰させて開発途上国の人々の飢餓を助長することに成りかねません・・・。 日本の農業力が維持されることは人類への貢献としての役割であり、新しい価値観を考える切り口になると・・・考えます。 |
日本列島の人口について(曽我達夫著「落穂拾い」より) 旧石器時代…三千人 縄文中期…二十六万人 弥生時代…百万人 奈良時代…七百万人 奈良時代の中国は三千万人で、国土の広さからしていかに日本の気候、従って地味が良かったか分かる。「豊葦原の水穂の国」と言われた由縁であるそうだ。 豊富な鉱物資源とあいまって、日本は極めて高い文化を維持し、明治維新このかた西欧にひけをとらぬ確固たる存在感を世界に示してきた。 日本の農業は姿を変えつつあるし、また変わらなければならない。農業から一切の規制をなくし、農業も市場原理にまかせなければならない。それは、日本経済を今の土地制度から解放することにも通じる。すなわち、土地本位制に基づいていた金融政策の転換をもたらす。総じて土地の価格は欧米並みに下がらなければならない。土地の価格がさがり、規制から自由になることにより、各種工場や郊外型小売店の出店がより有利になり、そのことが物価の下落を生むが、コストがさがれば物価がさがるのはあたりまえのことで、中国並物価・コストとは言わないまでも、そのことにより国際競争力もつき、産業の空洞化に影響を与えることは間違いない。(空洞化も悪くはないが。)農業を解放すれば、経済が開放され、政治の解放も地に足がついたものとなろう。ただ自民党にかわる政党の出現をまつのが目的ではなく、政治が変われば経済が変わる、という意味での変革でなければならない。民主党にその気があるのか?はなはだ心もとない。古賀議員の醜態をまえにしての判断停止状態。組織が死んでいる? |
1. 農業を開放すれば、農業者に土地処分件が与えられるのだから、 農業土地が高価格で商用土地として転売される過程の結果として 自給自足率の低下および食文化(美味水準)の低下を もたらす危険性を孕むのではないでしょうか? 2. 「美味しんぼ」より・・ 「美味を追求する料理人は、素材を厳選する。優れた素材としての農作物、畜産物を 育成する業者に対して高い報酬を惜しんではならない。結果として料理の単価が 高くなるのは必然である」 日本の食物・料理の単価が高水準であるとすれば、それは日本の食文化が豊かで ある事を示唆しないでしょうか。 |
オルトンさん、またお会いしました。 土地の線引きをし、供給を抑え、価格を高騰させ、バブルを招き、冷戦下準戦時経済の終焉とともに土地本位制金融制度が崩れた、と考えられませんか? まだまだ土地は高い、と思います。自由に売れるから高くなるのでなく、規制されているから高止まりしているのでしょう。自由に売れば当然安くなります。 なぜ農業自給率の低下がいけないのでしょう。農業だけ特殊視する人が多いのは確かですが、なぜでしょう?三ちゃん農業の悲惨さをしらないのでしょうか? 中小企業を賛美する人もいます。日本経済を支える、とか。中小の悲惨さ、罪深さを知らないのでしょうか?(現実の、一般論です。) エネルギーの大部分を世界に頼り、自給自足はないでしょう。天丼の材料の98%が輸入であること知っていますか?食糧、農業、工業、商業、みな経済の摂理に従って行くものだと考えますが。 田畑の地目を維持し税金を逃れる為のアリバイ的三ちゃん農業を解放し、土地を解放し、日本は秩序ある大規模農業、あるいは創意工夫のハイテク農業を起こさなければなりません。家内労働に頼る農業は過去のものであること、そして経済未開発地域のそばでのみ可能な産業であることを感じとらなければなりません。工業製品とともに、農業製品も自由な世界的交換のシステムに入らなければなりません。食だけ自給出来ますか、それであとどうするのですか。 世界はかくのごとくリンクしています。戦争はしてはいけないし、出来ないのです。 |
海幸彦さん、こんばんわ。 そうですね、またお会い致しました。 農業・・中でも水稲物即ち「コメ」が特殊視されていますね。 コメが聖域視されるのは、日本文化の象徴であり、アイデンティティだからでは ないでしょうか。水稲耕作が生誕して以来、日本人とともに歴史を生きたのです。 「コメ」がかく言うように日本人の精神を象徴するならば、精神象徴物として 扱われるべきであるが故に、「効率原理」の経済性とは別の基準で保護される必要が あるのではないでしょうか。 ここで「美味しんぼ」の山岡士郎氏、 さらに、海さんの名前にちなんで海原雄山先生に代弁して頂きます。 山岡氏:コメの輸入を解禁したとき、次の事が問題になります。まず第一に、 米作農家をどう救済するかです。コシヒカリ、ササニシキなど素晴らしい銘柄を 作っている農家は生き残れるが、中等米以下のコメしか出来ない地域の農民は 壊滅する恐れがある。考えてもらいたいのは、二千年の日本の歴史を支えてきた のは誰であったか。武士でも貴族でもない、米作農家だったのです。その米作 農家が二千年の歴史始まって以来の危機に遭遇するのを、我々が座して見ている のはあまりにも無責任だ。 海原先生:コメから酒が生まれ、コメの糟(かす)は糠(ぬか)として生きる。 日本芸術土器の「備前焼」に用いる土は、水田の下から取れる。 アメリカのコメは乾いた畑で栽培されるが、日本では水を張った水田で 耕す。何十年もの時を経て水田の下の土はきめ細やかになるのである。 いずれも美味しんぼ25巻〜日米コメ戦争(輸入自由化をめぐる)〜より 日本人がコメにとことんこだわる姿勢が、コメ1つから酒が、糠が、備前焼が生まれた 事から実感されるかと想うのです。そうしてコメにとことんこだわった結果、コメは 1つの日本文化となったのではないでしょうか。日本の精神象徴たる。 珍さんの詩的な表現も、日本文化を、その1つのコメ文化を敬愛する精神性から 生まれたのではないでしょうか。 そうした、精神的諸活動の営みと経済活動の営みを 同基準で捉えてはならないのではないでしょうか。 精神的諸活動の営みが、経済活動の営みを生むのです。 精神的自由と経済的自由に対する二重基準論をここで持ち出すのは、 果たして論理の飛躍でしょうか。 |
グローバリズムの奔流の中、敗戦後の日本はアメリカ型の資本主義の優等生として 過ごして来たのでは無いでしょうか? その結果は昨今の世情を見るまでもなく悲惨な事件や無責任にの横行は目に余る ように起こってる現実です・・。 しかも日本では戦争でも起こりようのない人命の犠牲が2〜3年の累計でも市政の地方都市が 全滅に等しい自殺者の数字として目の前にあります・・。 食やエネルギーの100%自給自足は望むべくもありませんが・・、 「サブシステム」一部を補完する形を考えても良いのではないかと思います。 未だ顕著な形には見えませんが、エネルギーのシフト「薪炭〜石炭〜石油」から 新技術を背景にした「ガス」の時代が目前にせまってます。 ガスは石油のように資源としての地域的な偏在がありませんし、化石的ガスならずとも メタンガスのように有機物さえあれば循環的にも利用可能です・・。 「エネルギー・食糧・市民生活の保全」の自立は20世紀型の考え方を超えなければ ならぬと思います・・。既にフインランドや北欧諸国、フランス、ドイツ等々の ではそのベクトルを目指し実践してるそうです・。 海 幸彦さんの引用>エネルギーの大部分を世界に頼り、自給自足はないでしょう。天丼の材料の98%が輸入であること知っていますか?食糧、農業、工業、商業、みな経済の摂理に従って行くものだと考えますが。引用文・完」 現状肯定・・追認型でない新しい取り組みを「日本でこそ」日本の持つ科学技術や能力において実践する役目があるように・・・思います。 |
珍源斎様 不本意ながら現状追認派にされてしまいました。 (以下、珍源斎様への反論とかでなく、一般論ですが…) 農業は、大規模化・ハイテク化・商業化で発展させて行かなければなりません。年をとってから出来る三ちゃん農業は補助金があってはじめて成り立っています。農業を放棄すると農地に宅地並み税金がかかってくるので、しかたなしにやっています。都市のどこの業界でそんなことがありえましょう。日本の農業は家内労働に依存する形から脱却しなければなりません。何千年も日本の風景を守ってきた農民を見殺しにできない、とどなたかおっしゃっていましたが、我々もついこのあいだまで農民そのものでした。農民に何かの特権があるわけではありません。農民、というふうになぜ問題をたてるのでしょうか。農業は保護動物ではありません。より良い産業に移動するのは自由です。農業をしたいものはすれば良い、ただしこれからの農業は土地取引の自由化と、農業経営のためのイノベーション(大規模化・ハイテク化・商業化)なしには成り立たないだろう。 スローライフ・スローフーヅ・循環型経済、これらは耳ざわりが良いので最近トレンドになっていますが、それは決して一地方・一国家単位で物事を完結させようとするものではないはずです。良いものは取り入れ、余ったものは出す、これが経済の摂理といいましたが、世界的に物流が進んだ今日では抑えようもないことです。 タイの国などでは海老の養殖の為にマングローブの林が切り開かれ、みるも無残な泥沼化した土地が果てしなく広がっています。日本の商社が開発させたのでしょう。あのように無理な開発をすれば、必ず近い内に大疫病か何かでしっぺがえしがくるでしょう。もっと自然と共生する形で、健康な海老を育てるイノベーションをしなければならないでしょう。大規模がいけないのでなく、無謀がいけないのです。 ウシも、豚も、鳥も、すべて今は何万・何十万の規模で養殖されています。安く、健康的で、合理的な餌・環境で育てなければ産業としてやって行けない時代になりました。牛の問題は肉骨粉が原因と言われていますが、それ以上にあれを誘引した環境があったはずです。非合理な飼料の押し付けなどなかったか、疑問に思っています。(曽我達夫著「新資本主義論」より。) 私は「みどりの会議」のサポーターです。みどりの会議は、有限な資源という認識のもと、右肩上がり幻想をすて循環型社会をめざす政党です。しかしそれは、牧歌的な村落共同体への幻想、農村へのあこがれ、菜食主義への回帰などをめざすものではなく、現代の政治経済の土台の上に新しいものを作ろうとするものです。その意味で現状追認ではありませんす。行くつく先は神のみぞ知る、ですが。 |
補足:珍源斎様 先ほど冒頭でことわりをしました通り、あれは珍源斎様への反論ではありません。むしろ珍源斎様には多いに納得です。ただ現代の食・農問題を後ろ向きに論じてことたれりとする昨今の風潮に一般論でひとこと申し上げたまでです。 |
▼海幸彦さん: レスポンス有難うございます。 グローバリゼーションに対する疑問は今や世界中の未だ一部ではありますが 若者達の関心を呼んでます。 「サミット」や「WTO」などの国際会議の折りに見かける若者達の「デモ」を 見て初めはその本意を理解できませんでしたが・・、 色々聞いてみるうちに彼らの持つ「危機感」を少し判るようになりました。 それは現状の延長線上には地球のもつ容量(キャパイテイ)の限界を踏まえての ことで、拡大・膨張の限界を見通すと臨界と破断界に急速に近づきつつあることで・・ ・・それらを聞くにつれて、自分としても同感とする処です・。 極論ですが、ドル価値を高めるための超大量のドル買い、アメリカの国債を買うより 地方の三ちゃん農家へ農業が続けられておれば、再生産と生活が成り立つような 徹底した保護政策や・・森林涵養に関わる方々へも自然環境保全への負担へ振り向け た方が紙の印刷物(ドル紙幣)を集めるより価値のあることのように思えます。 今や地球上に流通してるマネー(ドル)は300兆ドルを超えてるそうです。 地球上に存在する国々のGDPは、その10%の30兆ドルに過ぎないそうです・・。 ドルが利を求めて俳諧(はいかい)して、あらゆる格差をついて利を求め 暴れ回ることは早晩、許されなくなる事でしょう・・・。 事態は「私たちが」かって歴史的にも経験したことの無いことが起こる予感を禁じ得ません・・・。 |
▼珍 源齋さん: >▼海幸彦さん: >極論ですが、ドル価値を高めるための超大量のドル買い、アメリカの国債を買うより >地方の三ちゃん農家へ農業が続けられておれば、再生産と生活が成り立つような >徹底した保護政策や・・森林涵養に関わる方々へも自然環境保全への負担へ振り向け >た方が紙の印刷物(ドル紙幣)を集めるより価値のあることのように思えます。 極論ではないと思います。政治が変われば、仮に三ちゃん農業の補助金を維持することぐらい簡単に出来るでしょう。日本では国家の政策で何兆円何十兆円の無駄が行われていると思います。 無駄を省いて何十兆円、効率を上げてさらに何十兆円、そして円を世界最強の通貨にする。アメリカだって手なずけられる。そんなことも夢ではないのに、目先のことしか考えられない職業政治屋の貧しさよ。 (ただし、環境保全と三ちゃん農業保護をリンクさせるのは未消化な話と思いますが…) |
▼海幸彦さん ▼珍 源齋さん お二人のやり取りを興味深く見ていました。 私は医療、教育に次いで、第1次産業に関心を持っています。曾ては日本の食料基地を言われた北海道に住んでいますからね。 私の生まれ育ったところは、半農半漁の町です。親は漁業をしていましたが、私は学校を卒業後農業共済組合に勤務した経験を持ちます。そのせいか特別関心を持っているのです。 多くの農家の中でも若手の従業者には、進歩的な考えを持つ者も少なくありません。そう言う人たちは口を揃えて、今の農水省と農協には不満を持っています。 新しい事をやろうとしても、規制と圧力があり障害になる事が多いと聞きます。 私は農地法は改革するべきだと思っています。今の時代に小作人を考えにいれた農地法は意味がないでしょう。規制撤廃をし、真の自由化をするべきだと思います。 日本の農業は半農が多く、耕作面積も小さいために独自の進化を遂げ、土地の有効利用する農法は世界でも類がないのです。 品質の良さでは世界に充分太刀打ち出来ると若い農業者は言っています。また新しい付加価値の高い農産物を造りたいと思っても、農協と農水省の減反政策をたてにうるさい事を言って来るとの事。 日本はどだい、狭い国土、自給率を大幅にあげる事は不可能です。安いものはどんどん輸入し、逆に輸出に打って出ても、充分世界と戦える物を造る自信があると申しています。また日本の農業技術は非常に高く、技術の輸出をする事も立派な国際貢献になるでしょう。 これに関連して森林の再生も、真剣に考えるべきです。曾て北海道の襟裳地方は風が強く木の育たないところでした。沿岸漁業も先細り、森が海を育てると言う運動が持ち上がり、地道に植林をしたところ木は育ち、森が出来ました。 今は沿岸漁業も復活し、海が豊になりました。 森は水をきれいにし、CO2を吸収し、水を自然のダムとして蓄え、他の植物、動物の成長を助け、海のプランクトンを増やし、海を豊にします。 ただ、その経済効果が数字で表す事が出来ないのですが、どんな大きな化学工場でもかなわないだろうと言われています。 長くなりましたが、お二人のおっしゃっている事はどちらも正しいと思うのです。 |
みなさん、こんにちわ。 農民のための農地保護策を、と理由づけして土地保護をとる現状の理由を考えた次第 ですが、それはもうすでにみなさんにとって既知の事なんですね。 北の老兵さんのご投稿を見ると、進歩的農民からはそうした農地を用いた先進的発想に 制約が伴う現法律に不満があるようですし・・。農民から不満が出るようであれば 土地解放、輸入輸出自由化をとるぐらいがいいのでしょうね。その事を、不本意ながら 現状追認派の立場をとってくださった海幸彦さんのご投稿内容で把握できました。 珍源斎さんの言うところも私にとっては未だ文章に血肉を通わせて径路を実感し難いので すが・・。これからのこのスレッド、読ませていただいたり、誤解や先入観、誤った智識を恐れず私もご投稿させていただこうと思うので、ご指摘の所があればご教授頂けると ありがたいのですが・・。若輩者の私として、こうして皆さん高齢者世代にあたる方々の 叡智に驚くばかりです。。普通の高齢者の方々ってこれほど叡智にあふれた方が実は 多いんでしょうか(あまり世代を超えてコミュニケーションをする機会をとらないもので・・)。 |
海幸彦さん、大変ご面倒だと思うのですが、 「三ちゃん農業」についてもその具体内容などご教授賜れないでしょうか? |
▼オルトンさん: >海幸彦さん、大変ご面倒だと思うのですが、 >「三ちゃん農業」についてもその具体内容などご教授賜れないでしょうか? 意外な質問が飛んできたのでドキッとしました。既知のこととして簡単に三ちゃん農業などと言ってみたものの…。 戦後、社会経済が発展し、(ラジオ・テレビが普及し)、社会の規範が変化し、農村から都市へ労働力が移動し続け、農村は空洞化した。一定以上の農地を持つ一部の篤農家は地元にとどまることが出来たが、農林省官僚とその天下り先でもある農協は、基本的に農業の改革を嫌った。農協は農民個人でしか加入できない。大規模農業に敵意を持ち、農民個人に劣悪な飼料・肥料を売りつけ、その売掛金で農民をしばり、農産物の自由な販売を阻止してきた。悪名高い食管制度や減反政策で零細農業を温存した。それが補助金農業であり、自民党の票田となってきた。 零細農業に見切りをつけた若者や働き盛りの者は都市勤労者を選び、残されたおじいちゃん・おばあちゃん・おかあちゃんの三ちゃん農業として、今日に至っている。 一方アメリカは、インディアンとの闘争に勝利してからは、自由な農業が進んだのだろう、経済必然性の結果、大規模農業が発展してきた。日本においてもそれは可能である。規制をはずし、国際的な経済必然性にまかせる。そうすれば北海道をはじめ、農業は変化する。農業の変化は政治の変化とその流れの定着に必ず現れる。 朝鮮戦争・東西冷戦で特需景気を享受してきた日本は、戦勝国アメリカの監視下で、有無を言わせずその体制を維持する宿命を負っていた。その体制を守ることを使命とする自民党と、そして変わることを基本的に嫌う下層官僚に依拠する社会党という、二大政党で戦後55年体制が続いてきたのは偶然でない。彼らに理想や思想的清潔さは無用のものだったのである。 規制・補助金で経済をがんじがらめにしても、お得意さんは東西冷戦でちゃんと確保され物は売れたが、10年このかたお客は減るばかり、値上がりした土地をあてにした土地本位金融制度は崩壊の一途。ちょっと意地悪に言えばこのようなことでしょうか。 |
食と農についての問題提起は、昨今話題の食の安全だけでなく、日本国土の環境保全・森林涵養・安全環境・水資源保全、気候の安定化・等、諸々の事が関連してると云うことと・・・、 ヨーロッパ、北欧諸国に見られる食農に関しての合理的な施策、(徹底した農業保護政策)に加えてエネルギー政策、福祉政策など一連化した物の考え方 については参考になる面が多々あるように思います・・。日本でのこの種の問題を議論するに当たっては「情緒的」な面に流される傾向は常々感じる処です・・。 世界の食糧、穀物生産、取り分け米の生産量が頭打ちになることについて「国連」 がその問題について提議してます。日本にも米を主食とする数少ない先進国として 応分の役目を果たすように求められてます・・。 |
西欧ヨーロッパ諸国の市民から自然発生的に起こったスローフード・スローライフ・食糧の「地産・地消」を目指す考えと実践は「食の安全」 や暮らし方への反省を含めて世界的な共感を呼んでます・・。 取り分け日本の「食農」の現状を見るにつけて強く共感することが多々あります。 それに関連する新聞記事の要旨を以下、抜粋します。 1月19日付けの朝日新聞夕刊記事によると 「コメの生産減少に危機感」として 国連が動き出したとのこと人口増に対しコメの生産が環境悪化や水不足・農地土壌の疲弊から・・追いつかなくなる虞(おそれ)があるので (2030年までに生産量に対し需要が40%以上になる見通し・不足が40%を超える) 世界中の半分以上の人々の主食としてのコメについての 問題は深刻であり、中でも日本はコメを主食とする 数少ない先進国であることから、日本にたいする「国連」からの要請もあり 大いに期待されることになる・・。 20世紀後半での資本主義的・効率万能では済まされない事の現実に気付かねばならぬ と考える・・・。そしてそこに「日本再生へのキーワード」と「進路・航路」があるように想う!!・・・・。 |
北の老兵さん・海 幸彦さん・オルトンさん・ 各位ともに真剣なご応対ありがとうございます。 日本の食農について考えることの・意味合いは諸々思考を巡らす上での「切り口」としては最も適してると思い提議しました・・。 それは「環境」「未来」「政治」「経済」「国際関係」「歴史的背景」と 網羅するからに他、ありません・・・・。 かつて、モールス電信で一分間に送信可能な字数は熟練しても100字そこそこでした。 現在、我々が利用してる汎用級のPCでも百科事典の数十冊分以上を送信可能です。 科学技術・ハイテクが進歩した現在こそ今までの歩みの中でのコース(航路)のズレを自然環境へ(食農)も含めて修正する必要があります・・。 寡占・独占・集中・集権・巨大化に伴う収奪的な発展は そろそろ限界が見えたり、その弊害は既に出尽くした観もありますので、これからはその逆の方向への転換が「収奪分返済」も含めて求められる のではないでしょうか・・? キーワードとしては「グローバリゼーション」から「ローカライゼーション」へですが、 その転換には「同時・多発的・新技術」が主役になり、それを利用することにより容易になります。その姿は自然が修復され、地方都市が衰退から復元へ・・と人々の努力目標が明確になります。 既に「西欧や北欧」諸国では、日本がバブル経済崩壊の後遺症を引きずってる間に、目に見える形にて転換が図られ努力の成果が現れてると聞きます。 事態は「私たちが」かって経験の無い形で目の前に現れるのではないかと期待される処です。 人間が人間らしく生きられることになります・・・。一見、夢のように感じますが・・・ 「産業革命」以来の変化を辿っても想像できないはずはありません・・。 科学技術が人間の歴史を創ってきた現実と併せて・・・・・・! |
▼珍 源齋さん: 現代の罪深さについての諸々の所感、私には完全に、良く分かります。しかし、ここから先で珍源斎さんとの分かれ目が始まります。 珍源斎さんは、農業がすさんだ、もう一度大切なのは何か考えよう、ということで結局は「だから元のように戻そう」。そのように回路がまわっているように思えてならないのです。 グローバリゼーション、これも良くないことととして扱われています。だからローカリゼーションで行こう。すべて命題に対する反命題で、一見自然のようですが、私には違うと思うのです。 なぜ農業がすさんだか、なぜグローバリゼーションが始まったか。私はそれを考える時、それはある種の大きな流れ・力である人間の必要性・必然性・摂理でそうなったと考えます。それにより確かに経済は大きく様相を変えています。たとえ話はしたくないのですが、今「ケータイ」がおおはやりです。弊害もいろいろ指摘されています。だからといって戻れましょうか。グローバリゼーションはおしとどめようもない経済の国際化です。アメリカだけがグローバリゼーションでなく、今世界がそうなっています。ユニクロや輸入野菜だけでありません。前に天丼の例をあげましたが、総体として世界はエネルギーから金融まで、完全に相互依存しています。ですから、少なくとも先進国同士の戦争は考えられません。もしそれに近いことでもおきたら、一気に世界の企業は破滅するでしょう。一経済分野・農業はおろか、世界の生活全体が破滅です。株価が下がるどころではありません。 珍源斎様に対して、釈迦に説法になるかと思いますが、関所が取り払われて明治維新となり、日本国内の往来・経済が自由になって、生活程度があがって、少なくとも食糧危機や訳のわからない疫病で幼子はじめ体の弱い人たちが死んでゆくことは少なくなりました。かく言う私も、極度の近眼で、コンタクトをして視力0.7、裸眼で0.01です。東京都なら身障者手帳をもらえます。視力検査の時に読まされる文字表の一番上も読めません。もし私が江戸時代に生れたなら、能無しとして部落から追われたかも知れません。妥協的な意見を述べるようですが、弊害を持ちながらも、現代は進歩していると思えます。珍源斎さんが、私を暗に「現状追認派」と規定しましたが、ある面そうかもしれません。 |
海幸彦さん、おはようございます。 三ちゃん農業の詳しい説明とその経緯背景についてのご教授ありがとうございました。 そして、今回の点なんですが、海さんの発言内容を頼りに展開を追うと、 珍さんはグローバリゼーションの弊害を反省し、ローカリゼーションに今一度還る事の 意義を謳うのに大して、海さんはグローバリゼーション、経済主導による世界変化を 突き詰めたいというように見てとります。 私は、経済主導で物事が流れるままに動かされていくような現状を必ずしも 好ましいものと想っていません。こうした世界の流れが、人智を超えたもので 必然的展開で運命的であるならば、「誤り」は決して起こるものではないからです。 経済主導に基づく世界規模変化もやはり人間による作用である事を考えると、 どこかで誤りを孕んでいるのではないか・・と、現状を眺めるうちに漠然と芽生える 不安なる予感からそう想う次第です。 「便利になる事は何かを失う事である」 便利・効率を推し進める結果、従来の「過程経路」が崩壊され、その従来過程経路が つくっていた良い面が殺される可能性もあるかと想うのです。 極論ですが、交通発達は、長距離を己が足で歩く事の拘束から人間を解放させたと 同時に、人間の筋力低下をもたらした、ような例が挙げられます。 ゆえに経済主導で物事がどんどん変化していく中で、今まであった良い面が ともすれば知らないうちに崩壊しかけている、しているのではないかという 危機意識をもって、現状を再認識する必要もあるのではないでしょうか? 海さんに、経済主導によるグローバリゼーション的に突き動かされる 世界の食農業の現状に、否定側からの主張をとるとすれば、どんなものが挙げられるか、 あえてのご考察のほどをお願いできないでしょうか。 |
▼海幸彦さん: この問題に関して、私は、単にアナクロニズムで取り上げて無い事は、ご理解いただいてる事とは存じますが・・。 歴史を返る見るに幾たびと無く生じた変革期があります。 変革に至った要因は多々あり大きくは人々の生存への条件が大きく「理不尽」なレベルで 変わること、天災、気候変動、や近世ではエネルギー問題に端を発すること、 科学技術の発達により呼び起こされることは政治経済にまで大きな影響がある事は 否定できません。ソ連邦の崩壊も衛星放送テレビや通信技術の発達により 為政者にとって都合の悪い情報も塞き止められなくなったことにより必然的に 触発された結果であると私は理解する処です・・。 通信技術・の発達についてもモールス電信では熟達しても100字/毎分の 送信がよいとこでしたが、今では汎用のPCでも百科事典の〜冊分の内容を 送信できる等々から時代は「容赦」をせずに新しい(今までなかった)時代(現実)を 創って行くに違いありません・。 問題が理解(判れ)されれば人類はそれに対応して解決する英知はもつところ ですが、問題が明確化せずに混沌としてる処に・・問題あり・・と するのが私の現在の考え方です・・・。 |
▼珍 源齋さん 私はどちらかと言うと珍源齋さんの意見に共感を持ちます。 経済効率一辺倒のアメリカ型の農業のあり方は、何れ壁にぶち当たります。 一辺死んだ土地を回復させるのは、大変な時間と労力が必要なのです。 自然界のサイクルを重視し、土壌造りに重点をおいた農業は、だだっ広い土地を持たなくとも何処でも出来るし、来る食料難に備え、その技術は継承して行かなければなりません。 しかし、作物によっては大規模農業は絶対必要であります。 これからの農業は「安全」と「環境」がより重要視されます。 こうした事を考慮した大規模農業が求められるのでしょう。 |
▼北の老兵さん: こんにちわ!適切なご意見、ご教示ありがとうございます。 諸々仰有る通りかと存じます。 北海道の日本海側、小樽、増毛、留萌、羽幌にその昔・・? 毎年、春になると海が盛り上げるようにニシンの大群が押し寄せてきたこと・ それがある年を境に減り始め、漁業として成り立たぬ処まで減ってしまったこと 昭和49年発刊の大滝 重直 氏の著作「ニシン山にのぼる」にて山の木々の 乱伐によることが・・原因と指摘されてましたが、 ・・その著作に至る前での・・・ 指摘は無視され「あまつさえ」変人扱いされたとのエピソードを聞いて・・・、 今にして思えば「無知の恐ろしさ」が身に染みるように感じます・・・。 今、かつてのニシンの海を取り戻す努力が払われてるそうですが、一旦失われた ものを取り戻すのは容易でないようです・・・。 今では「北の老兵」さんの云われてるように日高の昆布を守るのに林や森を 再生した実話と関係者の並々ならぬご苦労を伺ってます・・。 宮城県の気仙沼湾の牡蛎の養殖も「森は海の恋人」とする有志の働きかけにより 気仙沼湾に注ぐ河川の上流部に多様な樹木の植林をして、牡蛎や海草の海を 守ってる実践的な活動を聞き及んでます・・。 そう云った努力の積み重ねに対して自然はそれに応えてくれてるようです。 |
山田の案山子と申します。 珍 源斎さんの提起されたテーマは言われるとうり、今起きつつある変化がわかりやすいひとつの切り口だと思います。 先日の読売新聞に「食材 高い海外依存度」という見出しの記事が載っていました。いま食料の自給率は40%、木材の自給率は20%。この数字は中国、アメリカ、オーストラリア、ロシア、ブラジルなどの様子を見ていると今のところまだ低下しそうです。戦前日本では6000万の人口の食糧はほぼ自給できていた様です。 第一次石油ショックの後、おおあわてで日本社会は1リッターカーやハウス55やサンシャイン計画やムーンライト計画と盛りだくさんに取り組みました。当時エイモリー、ロビンスのソフトエネルギーパスの講演を聴いた時、これから日本のソフトエネルギーパスが世界の参考になると感激したものでした。しかし原油の供給が緩和されるにつれて3ナンバーの車やエネルギー多消費型の豪華プレハブハウスが望まれ、各部屋にエヤコンが設置される生活にすぐ戻りました。 あれから30年、今回起こっている状況は言われているように、刻々とすすむ地球環境問題を抱えながら、グローバリズムとローカリズムの間で揺れ動く経済の中でいままで経験しなかった新しい状況に入り込んでいるのでしょう。 小泉さんが言う、「民間で出来ることは民間へ」、「地方で出来ることは地方へ」をもじるわけではありませんが「日本で出来ることは日本で」、豊かな海に囲まれ植物の生育条件に恵まれている日本の条件を活かしながら、世界とうまく付き合う知恵が必要とされる時代ではないでしょうか。 これからもいろいろと教えてください。 |
農業保護は自国の食料確保の施策であり、食の安全、環境面からもある程度の自給率は確保せねばならないと多くの人は言う。 しかし、オーストラリアでは10キロ1000円、中国では300円、タイでは700円、アメリカでも日本の半分程度で現地の標準米が買える。 この価格差は現に存在する。 米の海外生産国からすれば、日本の高い米価が魅力なのである。 日本の消費者に、もっと選択の巾を広げてもらえないのであろうか。 |
▼安兵衛さん: こんにちわ! 食糧の自給率の云々を考ると、先ず気がつくのは内外価格差の問題であるが、その内外価格差のことは日本経済の構造に端を発してるように思います。 小生、以前にアメリカ、カルフオルニアの州都・サクラメント市に滞在したことがあるが、 財布が日本のペースで軽くならないことに気が付きました・・。 「おおよそ」三倍のペースダウンで、諸々比較した処、少々ラフな換算ですが実感として1ドルが日本の360円の価値を持ってるのではないか・? 高速道路は無料、食べ物が安い、自動車の維持費、家賃、等々 生活に必要する経費が日本比較してかなり低いと云うのが実感でした・・。 年収日本円に換算して500万円位の知人の住環境も含めて 生活水準の高さは「ゆうに」3倍以上と見て取れました・・。 農産物など食糧の価格は購買力平価やその国々の生活水準でみないと比較が難しいように思います・・ それにしても「もはや」座視できないのが日本が容易ならない高コスト(社会的)の国になってしまってる現実です・・。ご指摘の選択の巾についてのことは「ごもっとも」と思いますが、・・日本の将来を考えたとき、もう少しレンズを引いて考えて行きたいと思います・・。 >農業保護は自国の食料確保の施策であり、食の安全、環境面からもある程度の自給率は確保せねばならないと多くの人は言う。 >しかし、オーストラリアでは10キロ1000円、中国では300円、タイでは700円、アメリカでも日本の半分程度で現地の標準米が買える。 >この価格差は現に存在する。 >米の海外生産国からすれば、日本の高い米価が魅力なのである。 >日本の消費者に、もっと選択の巾を広げてもらえないのであろうか。 |
▼山田の案山子さん: こんにちわ!このスレッドに関心をお持ち頂き有難うございます。 食と農を切り口として未来(将来)をみますと、現在までの前提としてた 条件が好むと好まざるに関わらず大きく変貌を遂げざるを得ない条件下に立ち入りつつあると見てとれます・・。 国連の食糧問題を扱う部署の試算によると、遠くない将来に(2020頃)40%以上の米を主食とする地球人口50%強の人達が必要としる米が不足するとの ことで、米を主食とする数少ない先進国としての日本に期待する旨のことが新聞記事に 現れるほどです。 お隣の中国でも経済の発展と生活水準の向上により、畜産物の生産に必要な穀物類の 需要が大幅に増加してるとのことは、既に此処数年世界の食糧生産と需要のバランスが タイト(窮屈に)になってます。「過剰から・・不足する・・時代を迎える・・」 ・・・人口の増大と食糧生産に必要な土壌の疲弊、加えて水不足・・・ ヨーロッパ、北欧の先進国では国内の食糧生産については思い切った保護政策もとられてます事と併せてエネルギー関連でも偏在する資源に頼らない方向、省エネも含めて 自給率の向上への努力は地道ながら着実のものがあるそうです・・。 現在、日本ではそれに関する報道は時折、NHKが特集番組で伝える以外余り・・見聞・・ することはありませんが・、既に世界の先進国の趨勢としてはその方向を目指す動きは 確かな現れとしてみることができます。 日本においては100%の自給率の確保は望むべくもありませんが、「スローフードやスローライフ」で云われてる処の考え方「サブシステム」として捉える自給率の向上は 図る必要があると・・思います・。 それに食糧生産には国土土壌の保全、ひいては環境保全の側面もありますので、 それには、今までの自然・環境収奪的な方向より転換する必要があります。 日本が経済力に物を云わせて多くの食糧を輸入すれば、穀物相場が高騰して経済力の低い国々の人達を飢餓させる事を助長しかねませんし・・・・、 また、安いと云われる木材の輸入も世界中の森林資源の収奪と環境悪化に積極的に手を貸すことになり、それに「かまける」ことは罪悪として糾弾されることになり、ひいては 日本人に対する悪いイメージが定着すれば、大きな無形の資産を失うことにも通じます。 収奪で無く、応分のコスト負担をして国内の林業の活性化を図れば国土の保全、環境問題への対応が図れるはずです。 何れにしても現在までの延長線上に未来は見込み得ないと・・危機感すら・・覚えます・・・。 身の周りの出来事を通じて諸々考えていかねばならぬと思います・・。 |
▼珍 源齋さん: >▼山田の案山子さん: > >こんにちわ!このスレッドに関心をお持ち頂き有難うございます。 > >食と農を切り口として未来(将来)をみますと、現在までの前提としてた >条件が好むと好まざるに関わらず大きく変貌を遂げざるを得ない条件下に立ち入りつつあると見てとれます・・。 > >国連の食糧問題を扱う部署の試算によると、遠くない将来に(2020頃)40%以上の米を主食とする地球人口50%強の人達が必要としる米が不足するとの >ことで、米を主食とする数少ない先進国としての日本に期待する旨のことが新聞記事に >現れるほどです。 > >お隣の中国でも経済の発展と生活水準の向上により、畜産物の生産に必要な穀物類の >需要が大幅に増加してるとのことは、既に此処数年世界の食糧生産と需要のバランスが >タイト(窮屈に)になってます。「過剰から・・不足する・・時代を迎える・・」 >・・・人口の増大と食糧生産に必要な土壌の疲弊、加えて水不足・・・ > >ヨーロッパ、北欧の先進国では国内の食糧生産については思い切った保護政策もとられてます事と併せてエネルギー関連でも偏在する資源に頼らない方向、省エネも含めて >自給率の向上への努力は地道ながら着実のものがあるそうです・・。 > >現在、日本ではそれに関する報道は時折、NHKが特集番組で伝える以外余り・・見聞・・ >することはありませんが・、既に世界の先進国の趨勢としてはその方向を目指す動きは >確かな現れとしてみることができます。 > >日本においては100%の自給率の確保は望むべくもありませんが、「スローフードやスローライフ」で云われてる処の考え方「サブシステム」として捉える自給率の向上は >図る必要があると・・思います・。 > >それに食糧生産には国土土壌の保全、ひいては環境保全の側面もありますので、 >それには、今までの自然・環境収奪的な方向より転換する必要があります。 > >日本が経済力に物を云わせて多くの食糧を輸入すれば、穀物相場が高騰して経済力の低い国々の人達を飢餓させる事を助長しかねませんし・・・・、 > >また、安いと云われる木材の輸入も世界中の森林資源の収奪と環境悪化に積極的に手を貸すことになり、それに「かまける」ことは罪悪として糾弾されることになり、ひいては >日本人に対する悪いイメージが定着すれば、大きな無形の資産を失うことにも通じます。 > >収奪で無く、応分のコスト負担をして国内の林業の活性化を図れば国土の保全、環境問題への対応が図れるはずです。 > >何れにしても現在までの延長線上に未来は見込み得ないと・・危機感すら・・覚えます・・・。 > >身の周りの出来事を通じて諸々考えていかねばならぬと思います・・。 |
すいません、突然の用事が発生したものですから失礼しました。 カミサンの実家、新潟長岡近辺のある農家の変遷をご紹介したいと思います。 いまから30年ほど前、実家は米と牛とスイカにやっていました。角さんの活躍で当時この地区は大規模の農地改良が実施されて、実家の水田は10haほどになっていました。私が訪れるようになった当時30頭ばかりだった牛の数はまもなく50頭以上になり帰省するたびに実家の牛の数がふえておりました。ある日、牛の競りに連れて行ってもらったとき実家の牛は並みの牛が50万円のところを70万の高値で落札されました。落札された新潟の牛はこれから近江牛として滋賀県に旅立つと仲買人が言っとりました。 それから間もなく、牛肉自由化が始まることになましたが、実家の跡取りは日本人の好みに合う牛肉はなかなかアメリカでは無理だろうと言っていました。自由化が始まってから彼はすぐに牛からキッパリ足を洗いました。そのころ跡取りはオーストリアでコシヒカリを作りたいと言っていろいろと調べていました。そうこうしているうちに新潟産コシヒカリの中でも魚沼産コシヒカリが歓迎される時代が到来し、彼はオーストラリアの話をしなくなりました。いま実家は跡取りの跡取りが数少ない専業農家としてこれから先どうするか様子を見ているようです。 思うに跡取りはここ40年、国の農業政策のもっとも優遇される分野歩いてきたように思います。さてこれから、思案中の跡取りの跡取りはどうするのか、一緒に考えてやりたいと思っていますが、飲んだくれのオジサンの言うことに耳をかすことやら心配です。 昔、お爺さんは山に柴刈りに、お婆ーさんは川に洗濯に。 これから お爺さんは40年ほどほったらかした山の手入れに、お婆ーさんは着飾ってボ ランティアに。 めでたし、めでたしといきませんかね。 |
日本の食農を切り口として日本の将来を考えたとき・・、 一番の問題点は首都圏への政治、経済、や人口集中に行き着きます。 現在のような首都圏への政治、経済、情報関連、の異常な集中は世界でも例のない ことで、大地震や大規模災害への脆弱性については議論の余地の無い処です。 その反対に地方の衰退は目を覆うばかりの現状は日本国としての病的症状としては 限界に達してる観があります。 政治家、行政、国民も事態の認識は持つにも関わらず、改善策への具体的な 行動は見えてきません、首都移転に関する動きも「トン座」した感があります。 この辺りも今一度、真摯に見直す必要はあるのではないでしょうか・・。 食や農に関することの問題解消の道筋もこの辺りからも見えてくるはずです・・。 |