Page 344 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼疑問 「国家のために死ぬ」ということ 主権在民 04/4/20(火) 16:11 ┗Re(1):疑問 「国家のために死ぬ」ということ しゃねる 04/4/20(火) 16:40 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 疑問 「国家のために死ぬ」ということ ■名前 : 主権在民 ■日付 : 04/4/20(火) 16:11 ■Web : http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20040420k0000m010150000c.html -------------------------------------------------------------------------
こんなページをみつけました。 http://fpj.peopledaily.com.cn/2001/08/24/jp20010824_8667.htmlより以下引用 美辞麗句や大言壮語に弱く、居丈高な蛮声が会議を制圧する。そして長いものに巻かれろ。強い者には逆らうな。もう一つ加えれば付和雷同。これが平均的な日本人の特性だ、と言えば言い過ぎでしょうか。 戦前戦中、「悠久の大儀に生きよ」というような、わかったようなわからない言葉がわけもなく青年たちの血を躍らせ、「いざ、戦わんかな」と、彼らを戦場に送り込みました。そして今日、あれほど「長いものには巻かれろ」で手痛い目にあったにもかかわらず、マスコミさえも強い者に口を閉ざし、「言葉の自由」は死語になりつつあります。その結果、いとも簡単に内閣支持率八十%などという付和雷同型の現象が生まれ、独裁政治への道が拓かれる危険性さえ感じられます。そしてテレビ化した政治が、付和雷同に拍車をかけています。 日本の政治は、戦前戦中そして戦後、そうした同じ風土の中で動いているようです。 「お国」とはなんだろうか (中略) では彼らが言う「お国」とは、一体なんでしょうか。記者も、最も大切なその点について、踏み込んだ質問をしませんでした。しかし戦場で多くの兵士たちが悩み、苦しみ、そして憤りながら死んで行った最期の言葉は、「国のためというが、国とは一体なんだろうか」でした。 閣僚の中に一人でも、彼らのあえない最後の姿に接し、その苦しみを感じ取った者がいるでしょうか。また戦死者の言葉を聞くのは無理としても、同様の苦しみを体験させられ、九死に一生を得た人たちから、戦死者の苦しみや遺言を聞いた閣僚が一人でもいるでしょうか。戦死者達の遺族の苦しみや悲しみの声を、直接聞こうとした閣僚や政治家がどのくらいいるのでしょうか。 兵士たちに武器も食糧も、薬さえ与えずに「ジャングルの中で最後まで戦って死ぬ」と命じ、また生きて還ることを許さぬ特攻をパイロットに命じたのは、軍部や政府であり、彼らと同じような権力者たちでした。そして権力者たちの謳い文句は、いつも「国家のため」「天皇のため」であり、そのために死ぬことは「日本男児の最高のほまれ」であり、「死ねば靖国神社に祀ってやる」でした。 「国家」の本体は、実は彼ら権力者たちそのものだったのです。 誰も裁かなかった「神の国」 無念の想いを残して死んだ兵士達が望んでいるのは、参拝してもらうことよりも、自分たちを死に追い込んだ「お国」を裁いてもらうことであり、「お国のため」の名の下に多くの兵士たちや国民を殺したかつての権力者たちの責任を徹底的に追及してもらうことであったでしょう。彼らが憎んでやまなかったA級戦犯達とまさか同じ神社に祀られるとは、夢にも思わなかったでしょう。 ドイツもイタリアも戦後、戦死者や戦争犠牲者達のそうした願いを「国民の名誉」にかけて戦争指導者たちを処断することによって、きちんと果たしました。ナチズムもファシズムも国民の中でそれぞれ裁かれましたが、「神の国」だけは国際裁判を除くと国民からは誰一人裁かれず、戦争指導に当たった権力者たちは米国の政策変更によって戦後も生きつづけて、なお政治権力の中にあります。首相の座についた者、大臣になった者など、数多くおります。 近隣諸国がいつまでも日本の閣僚たちの靖国参拝を問題視するのは、相も変わらず戦死者を利用し、彼らを「英霊」と持ち上げ、また「お国のために死んでくれるような国民」を作り上げる装置として靖国神社を利用しようという魂胆が、戦後保守派の政治家の間に見え隠れしているからであります。「靖国神社に英霊として祀られなくて、なんで国民は国家のために死んでくれるか」(中曽根康弘元首相・談)に、その意図は明確でしょう。そして国民は、遺族さえも彼の発言になんの疑いも持たず、靖国神社にでています。このような風土が、「戦争になれば戦う」と、いとも簡単に言う軍国青年を生み、国家主義的軍国主義が再現されても不思議でないような風潮を生みだしています。 (後略) |
非常に残念ですが田舎で働く場所も無く 陸士、海兵に進みみんな死にました。 彼らの遺書は見ることが出来ます。 悲しいですが、護国の鬼となりとか 靖国神社に会いに来てくれとか。 そういえば、沖縄、伊勢に行く皇室も 靖国には来てないか、マスコミが報道しないか。 天皇家はよっぽど軍部にひどい目にあい 自分の意志によらないことをさせられたか。 少なくとも日本民族が生き長らえるための 真珠湾攻撃、いろいろな手違いがあり 予定通り休戦できなかった。陸軍とそれを 母胎とする東条の責任が大きい。 |