Page 808 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼子どもに長時間テレビを見させない。 ぎみゆら 04/6/21(月) 11:18 ┣Re(1):子どもに長時間テレビを見させない。 こんぺいとう 04/6/21(月) 13:28 ┃ ┗「何でもあり」の、世の中だから。 ぎみゆら 04/6/22(火) 10:13 ┃ ┗Re(1):「何でもあり」の、世の中だから。 こんぺいとう 04/6/22(火) 18:33 ┃ ┗お父さん、お母さん、負けないで。 ぎみゆら 04/6/23(水) 19:39 ┣Re(1):子どもに長時間テレビを見させない。 珍 源齋 04/6/22(火) 13:28 ┃ ┗ゆっくり料理。のんびり食事。 ぎみゆら 04/6/23(水) 9:59 ┃ ┣Re(1):ゆっくり料理。のんびり食事。 歴史に学ぶ 04/6/23(水) 12:18 ┃ ┃ ┣Re(2):ゆっくり料理。のんびり食事。 悠々 04/6/23(水) 20:41 ┃ ┃ ┗「なま物」に、代わりはないのだと思います。 ぎみゆら 04/6/24(木) 10:50 ┃ ┗Re(1):尊敬する老人の力 桃李 04/6/24(木) 23:42 ┣大人も長時間テレビを見ない。 棚田稲田 04/6/22(火) 21:08 ┃ ┗テレビを消そう。 ぎみゆら 04/6/23(水) 19:45 ┃ ┣Re(1):テレビを消そう。 石頭の息子 04/6/24(木) 2:12 ┃ ┃ ┣Re(2):テレビを消そう。 我輩も猫である 04/6/24(木) 11:30 ┃ ┃ ┗やっぱりテレビを消そう。 ぎみゆら 04/6/24(木) 16:10 ┃ ┃ ┗Re(1):やっぱりテレビを消そう。 石頭の息子 04/6/24(木) 16:43 ┃ ┣Re(1):テレビを消そう。 我輩も猫である 04/6/24(木) 11:26 ┃ ┃ ┣ラジオをつけよう。 ぎみゆら 04/6/24(木) 16:04 ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):ラジオをつけよう。 こんぺいとう 04/6/24(木) 21:30 ┃ ┃ ┗Re(2):テレビを消そう。 宮崎故郷人 04/6/24(木) 17:41 ┃ ┃ ┗Re(3):テレビを消そう。 ウミサチヒコ 04/6/24(木) 17:48 ┃ ┃ ┗Re(4):テレビを消そう。 南国人J(宮崎市民) 04/6/24(木) 17:59 ┃ ┃ ┗Re(5):テレビを消そう。 ウミサチヒコ 04/6/24(木) 18:04 ┃ ┃ ┗Re(6):テレビを消そう。 南国人J(宮崎市民) 04/6/24(木) 18:16 ┃ ┃ ┗ピー子 ウミサチヒコ 04/6/24(木) 18:45 ┃ ┗Re(1):テレビを消そう。 桃李 04/6/24(木) 23:50 ┣Re(1):子どもに長時間テレビを見させない。 ハマー 04/6/24(木) 21:58 ┣Re(1):子供に画用紙とペンを。 最古老 04/6/24(木) 22:41 ┗無くても済むものは、捨てちゃえばいい。 ぎみゆら 04/6/25(金) 11:20 ┗Re(1):無くても済むものは、捨てちゃえばいい。 駄馬 04/6/25(金) 20:57 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 子どもに長時間テレビを見させない。 ■名前 : ぎみゆら ■日付 : 04/6/21(月) 11:18 -------------------------------------------------------------------------
「脱”石油エネルギー政策を真剣に考えよう!」スレッドに関連して、 自発言【10843】「テレビを見ない。車に乗らない。」を書いていて 思い出したのですが、子どもとテレビ等のメディアについて、今年の始め、 小児科医の団体である日本小児科医会が、下記の提言をしています。 1 2歳までのテレビ・ビデオ視聴は控えましょう。 2 授乳中、食事中のテレビ・ビデオの視聴は止めましょう。 3 すべてのメディアへ接触する総時間を制限することが重要です。 1日2時間までを目安と考えます。 テレビゲームは1日30分までを目安と考えます。 4 子ども部屋にはテレビ、ビデオ、パーソナルコンピューターを 置かないようにしましょう。 5 保護者と子どもでメディアを上手に利用するルールをつくりましょう。 私は子どものいない夫婦二人暮らしですが、とても大事なことだと思います。 でも、いまどきの人は、こういうふうに、何かを制限されたり、自分で何かを やれと言われたりするのは、とても嫌いなんだろうなあ、とも思います。 * 関心を持たれた方は、下記の二つのサイトをご参照ください。 1)日本小児科医会 http://jpa.umin.jp 委員会からのお知らせ > 過去のお知らせ >「子どもとメディア」の問題に対する提言 のページで、提言全文の PDFファイルが入手できます。 2)日本小児科学会 http://www.jpeds.or.jp 提言と主張 最新情報、学会からの提言・主張 >「乳幼児のテレビ・ビデオ長時間視聴は危険です」 (目次のいちばん下のほうにあります) のページで、根拠データを含む詳しい解説を読むことができます。 以上、ご参考までに。 |
この本を再度ご紹介します。 人間になれない子供たち 清川輝基著 (株)・えい)出版社 作者は元メデイァのプロデユーサーだった人で [子供の体は蝕まれている」NHK特集というショッキングな 番組を20年以上前に担当しそれ以来データーを集めてきてこの本を かかれました。ご本人の講演も聞かせていただきましたが、ぞっとする 話でした。 長崎の事件があった時、子育てのことのなど本を紹介して この欄に書かせていただいたのですが、子供の精神人格形成の時に 大人と同じようにテレビやパソコンの時間を長く取ってはいけないと 言う警鐘でした。 私は10歳までは出来るだけ自然の中で子育てを、と活動の中心において いますので、ようやく小児科学会が取り上げてくれたことにうれしく 思っています。このコーナーにも以前書き込みましたが、成績中心で 育てられた子と自然の中でいっぱいいっぱい体験して育った子とは 20歳過ぎてから人格形成に差がついてきます。 20数年社会教育の立場で子供と接してきて、プロの先生とは違った 視点からの子供達をたくさん見てきています。 省エネからだけではなく、子供をきちんと人として育てるためにも 大人も朝日を拝み、夕日に感謝し、暑い時は家中開け放ち夕風をいれ 寒い時は出来るだけお日様を取り込む工夫をする、そんな大人と共に 育つ子は幸せですね。地球はこのまま先進国のわがままを聞いていたら 温暖化進行は一足飛びで30年後日本の山岳地帯しか残らない、皆、海 の下だといっている環境学者がいます。昨今の気象のおかしさもその辺 から来ているように思われます。セミやトンボなどの生き物、植物の 植生の南限北限がこの10年でかなり変わってしまいました。 今子育て中の方も、お孫さんをお持ちの方も真剣に考える必要がある ことなのです。それにはきちんとした政治も必要ですよね。 いろいろ考えると、日本の政治家は何を考えているのかとやはり腹が たちます。 |
▼こんぺいとう様 丁寧なお返事をいただき、ありがとうございました。 気候がほんとに変わっていますね。体感で言うと、四季がそれぞれ 一、二ヵ月前倒しになって、穏やかに安定した時季がなくなっている。 かつての梅雨時って、こんなに日々の寒暖差はなかったはずです。 ご紹介いただいた清川氏の本、以前にご案内のあった子安氏と カーソン氏の本、三冊とも、近くの図書館で所蔵していることが、 ネット検索でわかりました。近々読んでみようと思います。 世の中が急速に、「何でもあり」になっているのだと思います。 すべてが何でもありになるほど、小さい者、弱い者、無防備な者が、 自覚もないままに傷ついていく機会が、ものすごく多くなります。 現に子供たちが、容赦なく「消費の蛇口」にされています。医者が、 幼児の生活にまで踏み込んで警鐘を鳴らしている。その意味は重い はずです。メディアは、自分たちに都合が悪いので無視していますが。 自律して、自衛する。自衛もできない者は、周りの誰かが守る。 「何でもあり」だからこそ、自覚的に「何かをしない」ことも大事。 そういう当たり前の感覚を、きちんと取り戻さなければと思います。 |
本当にそうです。 子供をターゲットに何でもありの商魂、この20年ほど、どんどん 過激になってきて、私は母親だった一人として、今子育て中の母に 賢くなって欲しいと、お話できるチャンスをいただくと若いお母さんに 訴えます。 でも私のような子育て卒業のおばちゃんの言葉を真剣に聞いてくださる お母さんは心配ないんですが・・・ そうでない母親の為に、誰かが何かをしなければ・・・ やはり政治がきちんとした理念で子育てや自然環境を真摯に政策の中に 入れていかないと、派手な外交や経済や国民受けするものだけの国会に していては日本はどんどん悪くなる様な気がしてなりません。 穏やかな環境で人を育てられる、そこには福祉や教育や農業などが どんなに大切な事か、これを政策にしてくれる政党が出て欲しいです。 |
こんぺいとうさん、こんにちは。 ●子供を過剰消費社会から守ろう。 お母さまの直感、女性のアンテナは、正しいと思います。たしかに、 相手を選ばない消費勧奨が、明らかに限りなく暴走し始めたのは、 1980年代半ば以降だと、私も感じます。70年代にはまだ、露骨に 子供相手の商売をする企業は、社会から批判されていたはずです。 いまの子供社会のことは、いまの子供にしかわからない。それはいつの 時代でも、一つの真理だと思います。それでも、よくわからなくても、 これを買ってくれないと仲間外れにされると子供が泣いても、親が 自分のモノサシを持たなければ、子供は守れないのではないでしょうか。 ▽子供の言うがままに、玩具を買い与えない。 ▽とくに、テレビ、ビデオ、テレビゲーム、パソコン、携帯電話の 購入を考えるときは、いろいろな角度から、十分に考えて。 子供とも、使い方やルールも含めて、よく話し合って。 私には子供はいませんが、姪甥が数人います。親たちはそれぞれに、 試行錯誤をしながら、工夫をしているようです。お父さん、お母さん、 負けないでほしい。子供たちを、消費万能社会の餌食にしないでほしい。 |
きみゆら さん!こんにちわ! 子供達から自然を奪い、人工物「テレビ・ゲーム・パソコン」メデイアに 晒すことの弊害が色々な形態で表れてきましたね! 人間も動物です。云わずものがなに、自然から学ぶことが多くあります・・。 取り分け「生老病死」の因果律は特定な宗教に頼らずとも・・。 何となく想像力が育「はぐく」まれるうちに会得してきたように思われます・・。 特に善悪については、迷うことなく峻別できる能力が自然に身について来たようにも 思えます・・。テレビやパソコン遊びの中には子供達の想像力の発達を 結果として阻害せしめる物も多く・・その弊害は正に顕著化の一途を辿ってるようです。 もう一つの「切り口」として食べ物の問題が大きく存在します・・。 フアーストフーズに見られる栄養の偏り、カロリーの過剰、ミネラル・バランスを欠く 食品の数々、売れれば良しとばかりに嗜好優先が図られてるので結果として 若年糖尿病や肥満の増大になって表れてます・・。これも又脳の発達や育成にとって 捨て置けない弊害が表れており、子供達への教育以前の問題ではないかと思います・。 スローライフやスローフーズを指向する運動は正にその辺りへの改善を視野に 入れたものです・・。 長くなりました、この辺で・・・。 |
珍 源齋さん、みなさん、こんにちは。 ●ゆっくり作って、ゆっくり食べる。 昭和ヒトケタの、仕事や地域活動でいつも忙しい母に育てられたので、 1960〜70年代に進んだ「生活の合理化」が、パックの出汁の素が、 粉ミルクが、当時の主婦をどれだけ助けたか、私も知っています。 でも、やはり1980年代半ば以降でしょうか、明らかな行き過ぎが、 もうとどまるところを知りません。家庭で夕食の支度に1〜2時間を かけるのは、人が暮らしていくのに、当たり前の必要な時間です。 ▽日々の夕食の支度は、普通に1〜2時間かける。 ▽いわゆる加工食品類は、出来上がった食品も、 素材としても、できるだけ使わない。 ▽買い物は、なるべく地元の商店街で。 ▽テレビを消して、ゆっくり食事。 ゆっくり料理、のんびり食事。 本当は、いちばんの贅沢なのかもしれません。 |
ぎみゆらさん いつも投稿読ませて頂いてます。 <文化を取り戻そう>のスレッドのときも,関連して意見を書きたかったのですが,そのころは忙しくて投稿できなかったので,今回まとめて返信致します。 私は39歳で出版関連在宅ワーク,小学校2年生の女の子を子育て中の母親です。 常々子育てをしていて思うのは,文化とは特定の古い寺院仏閣などの文化財などだけでなく「親が自分を育ててくれたように,自分も子供を育てていくこと」だということです。 私は子供の時に食べさせてもらったものを子供に作って食べさせ,聞かされた昔話を話してやり,歌ってもらった歌を歌ってやり……,これらのことをするのが親の勤めと私は思っています。 でも,これが何とも難しい世の中なのです。 例えば,今,私の年代の人の中でどれだけの人が朝御飯にパンやシリアルでなくお米の御飯を食べさせているか。保育園では教室の隅に置かれた連絡表に朝食の内容を書く欄があったので,他の人の分(30人分)も見られたのですが,毎朝,お米の御飯という家はうちくらいだったと思います。 私の夫はパン食の家で育ったのでよくわかるのですが,毎日パンではいけない理由は朝食の食文化が継承されないからです。 朝御飯には,朝御飯のメニューがあります。たとえば納豆御飯,じゃこ,たらこ,めざし,鯵の開き,味付け海苔などですね。夕食のおかず(一汁三菜)とは別の御飯の食べ方があると思うのですが,そういうものがパン食の夫には受け継がれていないのです。 これではまずいと思い,子供がパンを食べたがっても「駄目」でとおし,朝は週に一度のパンの日を除き,御飯を食べさせるように決めたのです。 子供の時の食習慣が大事です。 保育園での給食は,ありがたいことに焼き魚や煮物など古典的な物が多かったのですが,今時の学校給食は照り焼きバーガー,から揚げ,スパゲッティなど,私から見るとジャンクフードが多いので,夕食も給食とのバランスを考えると,自然と魚が多くなります。とにかく酢の物,和え物を多用して,色んな野菜を食べさせる努力が必要です。 料理は好きな方なので,自分では時間や手間をかけてしているつもりですが,働いていると現実には調理に1時間くらいしかかけられません。でも,ぎみゆらさんの挙げておられる4ヵ条は,私も守るようにしています。 本当の贅沢とは,百グラム千円以上もするような上等な肉を食べることではなく,たとえば冷奴を食べる時に花かつおや刻み葱だけでなく,おろしたての生姜や青紫蘇など何種類かの薬味を添えるようなことではないかと思います。また,夫は帰宅が遅く,平日の夕食は子供と2人なのですが,何よりも家族そろってゆっくり時間をかけて(平均1時間)食べることだと思っています。 食事のことはこれくらいにして,現状がもっとひどいのが童話と歌です。 今,子供の本のコーナーが書店で縮小化しているようですが,それに比例して日本の御伽ばなしや民話など,また,外国でもグリムやアンデルセンなど私が子供の頃に読んだり聞いたりした童話の占める割合が減っているのです。 月刊で安価な童話の載っている雑誌も出ているのですが,内容は百年後どころか五年後でも残らないだろうというような貧弱な物です。子供がこんな物ばかり読まされて,何百年と受け継がれてきた(その理由は内容の良さでしょう)ものを読む暇がないとしたら,とても不幸なことと思います。 私は,小学校に入ってからでも,一人でよく日本や世界の童話を読んでいました。 当時,意地悪な伯母にいじめられたり(これは同居してないので時たま),実の兄に意地悪をされること(これはしょっちゅう)が多く,つらかったのですが,例えば「シンデレラ」を読み,人生において自分に落ち度がなくても不幸な目に合うことがあること,つらくても誠実にしていれば助けてくれる人がいるかもしれないこと,相手と同じレベルに落ちて仕返しをしないことなど,多くのことを学んだと今振り返って思います。今,あふれている最近の童話作家のとても綺麗に印刷されている,見た目はとても立派な子供の絵本などにそういう力があるとは,到底思えないのです。 親が子供に古典の童話を読ませようと意識せず現状に流されていたら,今の子供達は牛若丸と弁慶も,ものぐさ太郎も,大工と鬼六も,山姥も,長靴をはいた猫も知らないで大人になってしまうと思います。 山本夏彦が幼稚園児の孫に「西遊記」を読み書かせていると書いているのを本で見て,夏目漱石の「坊っちゃん」を読み聞かせたのですが,案外子供は喜ぶのです。最後までは続かずうらなりとマドンナの話の核心に至るあたりで「もうわからないからいい」と言い出し中断しましたが,バッタ騒動のあたりなどは結構喜んでいました。子供には難しいから,古い言葉でわかりにくいから,などと大人が勝手に判断するのは,間違っているのかもしれませんね。 歌も同様です。 子供の音楽の教科書,東京書籍の小学校2年ものを例にとりますと,約30曲が掲載されているのですが,そのうち私以上の年代の人の多くが知っているのは「虫のこえ」「夕焼け小焼け」「赤いとり小とり」「とんぼのめがね」「ぞうさん」「めだかの学校」に「君が代」くらいでしょう。 私の親が学校(国民学校)で習った唱歌,昭和40年生まれの私が学校で習った歌,今私の子供が学校で習う歌,この中に共通する物がこんなに少なくて良いのか,私は疑問に思います。新しい物をとり入れるのは間違いではありません。でも,適正な割合というものがあると思います。何世代も受け継がれる古い物を少なくとも半分以上入れた上で,今の新しい流行の物を入れるくらいで良いのではないかと思います。 これも,親が歌に興味がないと,滝廉太郎や山田耕作の曲も,唱歌の「われは海の子」「甍の波」なども50年後には消えてしまうかもしれません。 子供の授業参観に行った時,最後に時間が余ったからと,伴奏をCDで流して歌を歌ってくれたことがありました。私の知らない歌でしたが,子供は楽しそうに歌い,一緒に歌っているお母さんもおられました。あとで友人にテレビアニメの「ドラえもん」の終わりの歌だと教えられました。うちでは「ドラえもん」は見させていないので,私は知らなかったのでした。学校で授業中に全員そろってテレビアニメの歌を歌わされたら,それを見るように奨励しているようなものです。 また,童謡のCDなどが多く出回り,子供に聞かせている親も多いようです。 でも,子供にとっては親が歌う歌の方が良いようです。子供が三歳くらいのとき,子供の友達の家に遊びに行った際に童謡CDがなっていたのですが,私が一緒にその歌を歌ったら,そこの家のやはり三歳くらいの男の子が,目を大きく開き,身動きもせず必死に歌を歌う私を見つめたのです。その子のお母さんはCDをかけるだけで歌は歌わないとのことでした。子供にとって,歌唱力のあるCDの歌声よりも,多少歌唱力の劣っても(音痴ではない)実際に歌う私の歌の方がよかったのですね。それ以来,自分の好きな曲を子供の前で歌って聞かせるようにしているのです。 今,子育てをしていない人には,よくわからないと思うのですが,私が声を大にして言いたい「文化が受け継がれない」現状とはこんな物です。 少子化の問題がやかましく取上げられていますね。それも大事でしょう。でも,ただ出生率が上がり子供が増えてたとしても,それで年金問題は解決するかもしれませんが,それだけであり,もっと大切な何かが失われていくことにかわりはないのではないかと思います。 たった一人の子供で,たった8年間の子育て経験でしかないのですが,私はこんなことを感じながら,日々子供と接しています。 共同体がまだ生きている地域で,子育て仲間のお母さん達には助けられることも多く,信頼関係が築けているのが何よりの宝だと思っています。だから,本当はこういう話もしてみたいのですが,「難しい」とか「堅苦しい」と思われそうで,なかなか言えません。老人党の皆様の方が,かえって理解して下さるのではないかと思います。 母親仲間とはこんなことも話さないのだから,もちろん政治の話などしようと思ったこともありません。憲兵に引っ張られるから,特高に連行されるからという時代ではありませんが,周囲から浮いてしまうという理由で,社会の現状や政治の在り方などを自由に論じられないのが,日本の社会の特徴と感じています。 長々と失礼いたしました。 |
紫陽花によく似た花びらを持つ甘茶を見分けたり、 「夏至がすぎたら、畳の一目ずつ日が短くなるんだよ」、 こんな話が聞けるのはディサービスならではのこと。 そこで、実感できる時の流れが魅力。 今日の午後はスタッフのギターの伴奏で、どれだけ歌ったでしょうか。 青い山脈、ゴンドラのうた、月の砂漠など♪普段、もの静かなTさんの声が よくとおるのに気づきました。日常生活でも、お客様扱いではなく、きちんと 家族の中で役割分担をしている方は総じてお元気。”できることはできるだけ自分で”と見守りを大切にしています。特に食事はゆっくり時間をかけて、味わって。 もちろん、みなさんと一緒でその美味しさは格別です。 この間、TVを観ながら娘が口にしたのは「そうこのテンポなのよ。 わたしのテンポは」。それは、『新日曜美術館』の司会者、山根基世さんの 見事な語りの世界、そしてテンポ。海外に生まれ育ち、日本での生活の諸々と 悪戦苦闘中の娘が、共感するものを少しずつ見つけて、 この国での居場所ができることを願いつつおります。 歴史に学ぶ さん ちょっと肩の力を抜いてはいかがでしょう。 |
歴史に学ぶさん、こんにちは。 お返事、どれも興味深く、うれしく読みました。 ご指摘のとおり、当たり前のことを当たり前にやるのが、ずいぶん むずかしい世の中ですよね。どうかあまりご無理をしすぎないように なさってください。お子さまにはきっと、いつか通じると思います。 読み聞かせ、語り聞かせ、歌い聞かせ、とても貴重だと思います。 やはり、「加工品」は「なま物」「本物」の代わりにはならないという ことなんでしょうね。それはたぶん、どこかで気がついている人も けっこういて、ずいぶん大勢の人たちが、何かしら、バイタルなものを 求めている。齋藤孝さんの『声に出して読みたい日本語』が大ヒット したのも、そういうところがあるんじゃないかと思っています。 どうもありがとうございました。 |
こんにちは、このテーマ、とても大切なことだと思いながら 読ませていただきました。 私は、80歳の先生(もうすぐ81歳になられますが)から 普通の家庭料理習っています。この先生が、食材の経済的かつ 健康的な品定め、そして料理だけでなく、ご自身の 積年の生活の知恵を、本当に必要なところで与えてくださいます。 これは私にはとてもありがたいことです。 私もこういう老人になりたいといつも思います。そして、自分は そのような老人になれるだろうか。と、ふと考えるときがあります。 おかげで夫と二人の食事時がとても豊かな時間になったことは 勿論のこと、日常生活に手を掛けることの幸福をしみじみ感じています。 お互いの大好物を作った日には、競争して食べていますので(笑) ゆっくり食事はできないんですけれどもね♪それさえ楽しい時間です。 で、結果的にテレビは見ていません。とりわけ必要ないんですもの。 |
私、平日はラジオで、週末だけテレビ見るんですが、 大人もあんまり、テレビ見ない方がいいと思います。 テレビ見る人洗脳されてる。と、思うときがよくあります。 |
棚田稲田さん、こんにちは。 おっしゃるとおり、いまのテレビは、見れば見るほど、どんどん 判断力を失って、バカになっていくと思います。だから。 ●テレビを消そう。 いまのテレビはダメです。番組のフリをしたCM、ご都合主義ばかりの 編成、人選。もう、ちょっと、どうしようもないと思います。 知人らでも、「まともな人」ほど、テレビの視聴時間が少ないと感じます。 もはや、行動の自律として、「テレビを消す」ことを基本に、テレビとの 自制的なつきあい方を、本気できちんと意識化したほうがいいと思います。 ▽気持ちのなかで、一日のテレビ視聴時間の、目安を持つ。 (生活実態にもよりますが、1〜2時間程度が妥当かと考えます) ▽テレビのつけっ放しは、絶対に止める。 ▽毎日のテレビ視聴は、ニュース、天気予報、その他、仕事や 実生活上ぜひ必要なものくらいに限る。 ▽長く見るのは、大きなスポーツ試合や、趣味の美術番組など、 意識を持ってぜひ見ようという番組だけにとどめる。 ▽ワイドショー、バラエティ番組などは、指弾の気持ちを込めて、 原則として視聴を止める。子供たちにも、見せないようにする。 私は昭和三十年代生まれのテレビっ子世代ですし、尊敬するテレビ人も 多くいます。でもいましばらくは、愛情を持って、テレビを見放します。 |
▼ぎみゆらさん: >棚田稲田さん、こんにちは。 > >おっしゃるとおり、いまのテレビは、見れば見るほど、どんどん >判断力を失って、バカになっていくと思います。だから。 > >●テレビを消そう。 > >いまのテレビはダメです。番組のフリをしたCM、ご都合主義ばかりの >編成、人選。もう、ちょっと、どうしようもないと思います。 > >知人らでも、「まともな人」ほど、テレビの視聴時間が少ないと感じます。 >もはや、行動の自律として、「テレビを消す」ことを基本に、テレビとの >自制的なつきあい方を、本気できちんと意識化したほうがいいと思います。 > >▽気持ちのなかで、一日のテレビ視聴時間の、目安を持つ。 > (生活実態にもよりますが、1〜2時間程度が妥当かと考えます) > >▽テレビのつけっ放しは、絶対に止める。 > >▽毎日のテレビ視聴は、ニュース、天気予報、その他、仕事や > 実生活上ぜひ必要なものくらいに限る。 > >▽長く見るのは、大きなスポーツ試合や、趣味の美術番組など、 > 意識を持ってぜひ見ようという番組だけにとどめる。 > >▽ワイドショー、バラエティ番組などは、指弾の気持ちを込めて、 > 原則として視聴を止める。子供たちにも、見せないようにする。 > >私は昭和三十年代生まれのテレビっ子世代ですし、尊敬するテレビ人も >多くいます。でもいましばらくは、愛情を持って、テレビを見放します。 ぎみゆらさん、 こんばんわ、と言っても真夜中ですが。 古い話と笑わないで下さい、昭和30年代(1060年代)でしたか「テレビ一億総白痴化」「女子大生亡国論」なんてのがありました、私もテレビは同感しました。 貴女のご提言と同じものでした、一日中テレビをつけてる状態は今も変わっていません、多くの番組も似たり寄ったです、「8時だよドリフの・・」は批判の的でもありましたが、最近はそのお笑いが見直されている風潮もあるようです。 私の娘は幼児教育を納めて、その実践をしていましたが、やはり幼児には影響があるといっています。 あれから40年が過ぎましたが、少し考えが変わってきました、資本主義、自由主義下では雑誌、出版物、ラジオ、テレビ放送に規制をすれば、これらの主義に反することになります。 これは、政治、経済、思想、マスコミ、個人、等などの自由を認めるとするならば、規制はやがて、統制に繋がると思えるのです。 今の日本では多くの価値観があります、極端な例は別としてこれらを容認しなければならないとおもうのです、あなたが云われた教義的言葉、表現の自由も認めなければなりません。 結論としては、自由主義を標榜するのであれば、個人はこれら自由な表現、仕組みから何が正しいか、何が受け入れられるか、何が正しくないか、なにが受け入れられないかを、判断するようにしなければならないと思うようになりました。 そうです、個人が自らあらゆる価値観、報道を取捨選択する術がなければ、自由主義は成り立たないと思えるのです。 |
なにを まじめ腐って バカ! じゃないの |
石頭の息子さん、こんにちは。 いろいろお考えのうえで、それでもテレビを長時間見るという人を、 止めようとは思いません。私だって実際には、テレビをつけ流している こともあります。それに、法規制等を求めているわけでもありません。 でも、いまのテレビのひどさは、ドリフの全員集合や11PM等々が 俗悪番組と批判された頃とは、事の本質が違います。アホもスケベも 人間の本性ですから、俗悪番組くらいなら、むしろ歓迎なわけで。(笑) いちばんわかりやすい問題点は、PRと番組内容の区別がまったく なくなっていること。簡単にいえば、タダマキのPR誌や通販カタログと、 もはや何も変わらない。商品宣伝だけでなく、企業のイメージ向上戦略や、 お上スジのPRまで、さまざまな思惑が何の歯止めもなくテンコ盛り。 なので、おっしゃるところの取捨選択の自由のなかで、「なるべく見ない」 ほうに、いまの私は傾いていて、人にもそう勧めたい。いまの大テレビ局も 大新聞社も、一般の大企業と同じく、すでに基本的に信じていないんです。 そこから身を守り、自衛することを、考慮すべき対象だと思っています。 |
ぎみゆらさん, こんにちは。 貴女には誤解を与えないようにしたいので再度。 まず、本来マスコミは偏らない報道、質の高い運営が理想だが、多少の社是などで傾くのは致し方無い、それを我々は承知しておかねばならない。 だが、貴女のおっしゃるとうり昨今のマスコミは営利に走り本来の運営がおざなりになっている現状は嘆かわしいが、正しようがないのではないだろうか。 テレビ、新聞を見ないわけにも行かない、極端に走りこれらを遠ざけてしまうのは実際的ではない。 やはり、利用する側の我々が賢くならなければならない、子供には小さい頃から、取捨選択(意外と現代っ子はこれが上手いそうですが)、物事の正しい見方を教えて行くしかないように思います。 それを学校教育でされている教師もおられるが、基本的には家庭教育ではないでしょうか、わたしはその様な教育を小学校で教わりました。 貴女と同じ意見を述べたに過ぎないようです。 |
無理無理 ラジオを買ってラジオを聴く習慣をつけましょう テレビよりもっとバカバカしいのが携帯電話 便利なようで、役立つようでいつの間にか依存症になっちゃって もうそれなしでは暮らせない パチンコにはまったことのある人はわかりますよね 大当たり! 確変! でド−パミン が脳の中でドット出る 当たりが続く、ドル箱がドンドン貯まる 俺は天才か? 実は何もしてないのに-ただ偶然其の台に座っただけ それでセロトニンが脳内で出続ける うつ病の人を治すのは-だから簡単 当たる確率ウンと上げたパチンコ台で一週間も遊んだらケロット直りますよ 私はうつ病から帰還した ナ−ンテ バカじゃないの |
我輩も猫であるさん、こんにちは。 そう! ラジオ賛成! ▽テレビを消して、クーラーもしばらく我慢して、窓を開けよう。 ▽退屈なときは、ラジオを低音量でつけよう。 * ちなみに、ラジオ通販の成績が好調だと聞いたことがあります。 とくにFM。キャンセル率も低い。なんかちょっとわかる気がする。 |
ラジオ大賛成です。 ちなみにこの老人党の事はTBSラジオで永六輔氏が紹介していました。 永さんはテレビは自分が納得いく番組だけ年に数回、携帯電話もパソコンも やらない、職人を大切にし日本中歩いて壊されていく日本の文化を大切に する活動をしておられる。自分はパソコンをやらないけどインターネット 開いて見て欲しいと紹介していたのでこのサイトに来ました。 日ごろ家で仕事をしている時、日中はほとんどラジオが私の友達になって います。 私達世代はラジオで大きくなってきました、新諸国物語やラジオ歌謡が いまだに口から出る歌です。 豊かな想像力はかなりラジオで養われると思います。 |
▼我輩も猫であるさん: >無理無理 >ラジオを買ってラジオを聴く習慣をつけましょう >テレビよりもっとバカバカしいのが携帯電話 >便利なようで、役立つようでいつの間にか依存症になっちゃって >もうそれなしでは暮らせない >パチンコにはまったことのある人はわかりますよね >大当たり! 確変! でド−パミン が脳の中でドット出る >当たりが続く、ドル箱がドンドン貯まる >俺は天才か? 実は何もしてないのに-ただ偶然其の台に座っただけ >それでセロトニンが脳内で出続ける > >うつ病の人を治すのは-だから簡単 >当たる確率ウンと上げたパチンコ台で一週間も遊んだらケロット直りますよ > >私はうつ病から帰還した ナ−ンテ バカじゃないの 小学生のころの思い出 地域一帯、有線放送が引かれておりましたが、それからラジオ放送が日がな流れておる。 学校から帰宅すると暗がりのなかからラジオが聞こえてくる。 番組が始まるときのメロディとか懐かしいですね。 ラジオというのは良いと思います。 「ながら」で聞ける。少々途中を聞き漏らしてもすぐ元にもどれる。 このスレッドを読みまして昔を思い出します。 |
ウチはドキュメントでもニュース的なものでもワイドショウはもちろん、声(音声)変更と効果音が出始める段になると、スイッチを「切れ!」と厳しく命ずることにしている。そこから先はTV局の営業方針がモロに出ている気がして…。 |
▼ウミサチヒコさん: >ウチはドキュメントでもニュース的なものでもワイドショウはもちろん、声(音声)変更と効果音が出始める段になると、スイッチを「切れ!」と厳しく命ずることにしている。そこから先はTV局の営業方針がモロに出ている気がして…。 あっしは、筑紫哲也が出ると反射的にテレビのスイッチを切ります。 理由:晩酌が不味くなる。 |
▼南国人J(宮崎市民)さん: >あっしは、筑紫哲也が出ると反射的にテレビのスイッチを切ります。 >理由:晩酌が不味くなる。 それは、「あっしには関わりねーこってす」(中村敦夫・みどりの会議代表委員)宣伝ありがとう。 じゃあ、タハラなんぞは、好きでしょう?私は、尻ぬけのアホン$(ダラー)と思っていますが、いえいえ、面白いから私もよく見ますよ。 |
▼ウミサチヒコさん: >▼南国人J(宮崎市民)さん: >じゃあ、タハラなんぞは、好きでしょう?私は、尻ぬけのアホン$(ダラー)と思っていますが、いえいえ、面白いから私もよく見ますよ。 ほ〜!意見が合いますな〜。 田原なんざあ、媚支那の電波芸者に過ぎません。 |
▼南国人J(宮崎市民)さん: >ほ〜!意見が合いますな〜。 困りますッ、そんなことおっしゃっては!合うわけないんだから。 「媚シナ」?何それ?あまり品のないことは言わないで下さい、ワタシはそういう品のない話題は、だいっきらい! |
▼ぎみゆらさん: >棚田稲田さん、こんにちは。 > > >おっしゃるとおり、いまのテレビは、見れば見るほど、どんどん >判断力を失って、バカになっていくと思います。だから。 > > >●テレビを消そう。 > >いまのテレビはダメです。番組のフリをしたCM、ご都合主義ばかりの >編成、人選。もう、ちょっと、どうしようもないと思います。 ぎみゆらさま、こんにちは、上記のお話ですが、テレビ番組の製作会社の 役員だった方でさえ、同じことをおっしゃっていました。 例えば、お笑いやバラエティなども、使うタレントは大抵決まってしまって、必ず視聴者にウケルことしかやらないそうです。 私はテレビ番組の「笑いの質」はとても落ちたと思います。 テレビで落語を見て笑うのは好きです。 |
ぎみゆらさん、はじめまして。 書き込み読ませていただきました。 私は現在24歳ですが、子供の頃はゲームばかりやっていました。 テレビもよく見て(特にアニメとバラエティ)、多いときは一日10時間くらいは画面に向かっていたでしょう。平均しても一日4時間くらいは画面に向かっていたと思います。 しかし、自然とテレビのバカらしさや、部活動の楽しさなどから自然とゲームからもテレビからも離れていきました。そんな私は今は一日一度もテレビをつけないこともしょっちゅうです。学生時代なんかは2〜3ヶ月テレビをつけたこともないということも割とありました。 そして、人格形成においても自分では、まぁ人並みな常識は身につけて生きていると思います。特に社会から阻害されてもいないので、多分それなりに常識の範囲内で行動できているのでしょう。 ですから、私はテレビをやみくもに批判してもしょうがないのでは?と思います。親子や家族間でいろいろな会話をして、「どれがいい」とか「悪い」とかを話し合ったりして個々に子供自身に判断させることも重要なのではないのでしょうか。 ただ、私は今のテレビを推奨しているわけではありません。 くだらないものも多いと思うし、有害なものも多いし、視聴率のためには何でもやると言う姿勢も見られるから嫌いです。 また、メディアというものの影響の大きさも理解できます。 単に「テレビを見ない(見せない)」という消極的な行動よりも、「どれがいいものでどれが悪いものか」という議論を子供とするという積極的な行動の方が必要なのでは、と思うだけです。 まだ子供はいないので何とも言えませんが・・・。 |
今の子供に必要なのは、ゲームやテレビではなく、画用紙とペンだと思う。 子供に画用紙とペンを渡して書くものをまかせれば、子供は書くものを探し、書く物が決まったら注意深く観察するだろう。もしかしたら、子供は夢の世界を想像して書くかもしれない。 この方法は、百利あって一害なしだと思う。 |
自分で立てておきながら、このスレッドがこんなに伸びたことに 正直いって驚いています。いまの日常生活に対して、いろいろな面で、 違和感、不全感、疑問を抱いている人が、やはり実はすごく多いん だなあと再認識することができ、これは大きな収穫でした。 私は、生活内容ということで言うと、1970年代くらいのところで、 もうほぼよかったのではないかと思っています。そこから先、1980年代、 とくに半ば以降、それからここ10年ほどで世に出てきたものには、人が 普通に生きていくために、とくに必要とは思えないものが、とても多い。 1970年代といえば、大阪万博、札幌五輪に始まり、ニクソンショック、 日中国交回復、二度のオイルショックを経験し、スト権ストで国鉄が 一週間止まり、富塚さんと海部さんが毎日テレビで討論を続けていました。 あのころすでに、テレビ、電話、冷蔵庫は多くの家庭に入り、クーラーも もう珍しくなかった。車もなんとか、若い人も買えるようになってきた。 時計を逆に回せないことは承知していますが、それでも、あのくらいで もうよかったのではないかと、もう一度振り返ってみると、いまの仕事や 暮らしのなかで、実は無駄なもの、無くても済むものが、けっこう目に ついてくるはずです。それを、捨ててしまえばいいと思うのです。 たとえば私は、数年前に携帯電話を手放しました。フリーの出版業など という仕事をしていて、携帯を持っていないと、若い人からは変人視される こともありますが、いまのところ、けっこう何とかなっています。さほどの 不便は感じず、持たないことの心地よさのほうが、ずっとまさります。 別に、反文明、反近代を唱えたいわけでもないのですが、そんなに何でも 大企業の言うままに買い物をすることもなかろうと、いったんそう思って、 いったんそこを踏ん切ってしまえば、またひとあじ違った景色が、いろいろ 見えてくるのではないか。このごろはよく、そんなことを考えています。 |
私にとって、テレビとラジオは、生活の必需品です。テレビはニュースを見ます。ラジオは、音楽を聴きます。必要が無ければ、スイッチを消せばいいのです。あたりまえのことですみません。子供は、時間を忘れて没頭します。何がいいかの価値判断も未熟です。子供ですから。それを導くのは、親の務めでしょう。これもあたりまですみません。 現場に行かなくても事件が分かる、演奏会に行かなくてもコンサートが聞ける。こんな便利なものはありません。川に行かなくても、水道栓を開ければ水がでる。こんな便利なものはありません。流されないように、選ぶ権利を駆使することだと思います。 |