Page 1032 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼散骨についてどう思われますか? コップ酒 05/10/13(木) 5:19 ┣Re(1):散骨についてどう思われますか? エックス(X改め) 05/10/13(木) 8:16 ┃ ┗Re(2):散骨についてどう思われますか? コップ酒 05/10/14(金) 6:31 ┣Re(1):散骨についてどう思われますか? キタキツネ 05/10/13(木) 10:07 ┃ ┗Re(2):散骨についてどう思われますか? コップ酒 05/10/14(金) 6:33 ┣Re(1):葬式は、個人・故人の勝手でしょう? 葬式不要者 05/10/13(木) 12:50 ┃ ┗Re(2):葬式は、個人・故人の勝手でしょう? コップ酒 05/10/14(金) 6:36 ┣Re(1):散骨についてどう思われますか? 愚民 05/10/13(木) 15:09 ┃ ┗Re(2):散骨についてどう思われますか? コップ酒 05/10/14(金) 6:42 ┃ ┗Re(3):散骨についてどう思われますか? 愚民 05/10/16(日) 17:07 ┗Re(1):散骨についてどう思われますか? 隠居 05/10/15(土) 7:20 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 散骨についてどう思われますか? ■名前 : コップ酒 ■日付 : 05/10/13(木) 5:19 -------------------------------------------------------------------------
少子化スレで興味深いレスを拝見したので、そこから派生させた スレです。 皆さんは散骨について、どう思われますか? 少子化のスレで、珍源斎さんや月光仮面のおじいちゃんさんが、 「このままでは墓に線香を手向ける人もいなくなって、無縁仏が 増えてしまう」という趣旨の投稿をされました。 それに対して、「墓を守るというのも文化であるが、骨を 太平洋にばら撒いてくれるように依頼するのも、新しい文化に なるかもしれない。一つの穴にぶち込まれるのは、空恐ろしい 感じがします。」というたけチャンさんの投稿がありました。 ここでわたしはえっ、と少し驚いたのですが、そういえば 友人のお母さまは無宗教で、思い出の地に散骨されたなあ…、 なんてことを思い出しました。 また、近年、散骨が徐々に一般に浸透してきたようで、 空や山にお骨を撒く方法、海に流す方法など、具体的な方法や 段取り、料金まで明示してあるところが増えているようです。 ネットで見るとずいぶんいろいろなところが行っているようです。 というわけでして文化的、精神的、宗教的その他いろいろな 観点から、ご意見をお聞かせいただけたらと思います。 わたしと言えば、現時点では散骨についてなじみがなさすぎて、 今までに考えたこともありませんでした(^^;)。 ので少しずつ考えていこうと思っています。 |
▼コップ酒さん: >少子化スレで興味深いレスを拝見したので、そこから派生させた >スレです。 > >皆さんは散骨について、どう思われますか? > >少子化のスレで、珍源斎さんや月光仮面のおじいちゃんさんが、 >「このままでは墓に線香を手向ける人もいなくなって、無縁仏が >増えてしまう」という趣旨の投稿をされました。 > >それに対して、「墓を守るというのも文化であるが、骨を >太平洋にばら撒いてくれるように依頼するのも、新しい文化に >なるかもしれない。一つの穴にぶち込まれるのは、空恐ろしい >感じがします。」というたけチャンさんの投稿がありました。 > >ここでわたしはえっ、と少し驚いたのですが、そういえば >友人のお母さまは無宗教で、思い出の地に散骨されたなあ…、 >なんてことを思い出しました。 > >また、近年、散骨が徐々に一般に浸透してきたようで、 >空や山にお骨を撒く方法、海に流す方法など、具体的な方法や >段取り、料金まで明示してあるところが増えているようです。 >ネットで見るとずいぶんいろいろなところが行っているようです。 > >というわけでして文化的、精神的、宗教的その他いろいろな >観点から、ご意見をお聞かせいただけたらと思います。 > >わたしと言えば、現時点では散骨についてなじみがなさすぎて、 >今までに考えたこともありませんでした(^^;)。 >ので少しずつ考えていこうと思っています。 日本には納骨という儀式があって、 墓の前で手を合わせることによって、故人を偲ぶ習慣があります。 私の実家には先祖代々の墓があり、分かっているだけでも10代は続いています。 墓参りが宗教とは思っていませんし、そこに故人の霊が宿っているとも思いませんが、そこに故人が眠っていると見立てて、手を合わせることは祖先から命や文化を受け継いできた私たちにとっては、大切な行為であると思っています。 この墓の中に眠っている先祖の誰一人居なくても、自分という存在はありませんから。 それと私たちには一つの穴にぶち込まれるという発想はなかったです。 過去から連綿と続いた日本の文化が断ち切れてしまえば、ここは日本の土地であっても日本ではなくなってしまうように感じます。 そして、家庭とは先祖を含めた家族を表しているようにも思うのです。 |
▼エックス(X改め)さん:こんにちは。レスありがとうございます。 >墓参りが宗教とは思っていませんし、そこに故人の霊が宿っているとも思いませんが、 >そこに故人が眠っていると見立てて、手を合わせることは祖先から命や文化を受け継いできた >私たちにとっては、大切な行為であると思っています。 >この墓の中に眠っている先祖の誰一人居なくても、自分という存在はありませんから。 「そこ(=お墓)に故人の霊が宿っているとも思えませんが」と おっしゃるとおり、仏教伝来以前の日本では(645年とか、…といきなり 大昔の話で恐縮です)お墓は全然重視されなかったそうで、御墓参りなどの 習慣もなかったそうですね。 あっでも仁徳天皇陵なんかの古墳はどう説明したらよいのか。。。 権力者の富の誇示と言い切っていいのかどうかわかりません…。 おっと話を戻して、 遺体を埋葬する墓所はあったけれど、お墓はただの納骨所として祭祀の 対象とはならなかったそうですね。 この「埋め墓」とは別に、御墓参りをする人の近いところに「参り墓」を建てて、 死者の霊魂はそこで祭祀するという「両墓制」がかつての日本では 一般的だったと。 現在、沖縄の一部ではこの制度をキープしているそうです。 これは、遺体を穢れたものとして忌避したのと同時に、死者の霊魂は 既に遺体から離れていると考えられているためだそうですが、 沖縄在住の方、教えてください。 これがいつの時代からか、お墓参りが一般的になり、おっしゃるように 日本の文化的・精神的なものにまで昇華しています。 このへんの変化というか経緯は少しずつ調べてみようと思います。 ともあれ、「先祖の誰一人居なくても、自分という存在はありえない」 という感謝の気持ちを表すのに、お墓参りも含めた葬祭行為が 重要な役割を果たしてきた結果、ひとつの様式美にまで発展・昇華 させてきたのは間違いないと思います。 ただ、こういう感謝の気持ちは、様式美にまで極められた葬祭行為のみに よってしか表せないのか、いやそうではないんじゃないか、という表れの ひとつがたとえば散骨だったりするのでしょうか。。 ありがとうございました。 |
コップ酒さん 私は賛成です。私自身は無信仰ですが、代々が浄土真宗です。 長男という事で先祖の墓を守っておりますが、これがかなり苦痛です。 今は札幌に住んでいますが、墓は道南の函館から、バスで2時間も掛るところにありますが、墓参りに行くのも一苦労します。むかしだったら、マイカーで行く事も出来ましたが、今はJRとバスを乗り継いで7時間もかかります。 今年両親の法事を札幌でやりましたが、これがまた一苦労です。モント宗といってもいろいろ宗派があり、菩提寺からの許可が必要なのです。 何とか無事終わりましたが、今度は兄弟から、墓を札幌に移してはどうか、との話がありましたが、これについては即刻決断しました。 「私は信者でもないのに、仏さんを守るため、非常に責任の重さを感じた。同じ思いを子供にさせたくないし、今後少子化が進み、墓を守る人がいなくなるかもしれない、そんなものに何百万円も出す余裕がない。病気をした時の治療代の方が大事だ」と。 私は財産がないので、子供に遺言というほどのものを書き残す事はありませんが、死後のことはマニュアルとして残そうと思っています。 二人兄妹の子供ですから、命日にはせめて思い出してくれるだけで満足です。 死んだ人間のことであ〜だ、こ〜だと争うのが一番醜い。生きている人間がどうして助け合って生きていくか、これが一番大事だと考えています。 |
▼キタキツネさん:こんにちは。レスありがとうございます。 > 私は賛成です。私自身は無信仰ですが、代々が浄土真宗です。 > 長男という事で先祖の墓を守っておりますが、これがかなり苦痛です。 > 今年両親の法事を札幌でやりましたが、これがまた一苦労です。モント宗と > いってもいろいろ宗派があり、菩提寺からの許可が必要なのです。 御墓参りに7時間かかるなど体力的なご負担や、菩提寺からの許可が 必要など手続き上のご負担、レスを拝見してびっくりしました。 特に、菩提寺からの許可については、葬祭の様式を守るためとはいえ、 それが寺院側の既得権益になっていることをしみじみ感じました。。 話はずれますが昔、母が茶道の免許を取るのに、「えっ?」っていうくらい 多額のお金が掛かったことを思い出しました。完成された様式を キープするにはお金がかかるんですね…。 > 「私は信者でもないのに、仏さんを守るため、非常に責任の重さを感じた。同じ思いを > 子供にさせたくないし、今後少子化が進み、墓を守る人がいなくなるかもしれない、 > そんなものに何百万円も出す余裕がない。病気をした時の治療代の方が大事だ」と。 亡くなった方よりも今生きている者に費用をかけるべきだ、との ご意見に、確かにそれもあるなあと感じさせられました。 合理的なお考えであると思いますが、それは冷たいものではなく、 同じ思いをお子様にさせたくないという愛情と、そして現実的見地から のものですよね。 ちなみに、何百万も出す、とありましたのでちょっと調べてみましたら、 (ある散骨サービス請け負い業者のホームページで平成14年度のもの ですが) 葬儀場所によって費用は随分上下するが、最多クラスの平均価格は 寺院115万円、民営の斎場103万円、自宅や教会もしくは公営の 斎場などではほぼ85万円くらいかかるそうです。唖然呆然…。 その他に寺院への支払いとして仏教ではお坊さんへの読経料が お通夜で5万円〜、告別式で15万円〜、初七日で3万円〜、 御車代 1万円〜、とか。 一連のトータルでは、だいたい25万〜75万円くらい、お坊さんの 人数や格式によって(格式???)100万円越えもアリとか。 さらに戒名料が寺院に支払われた最多金額は25万円くらいだそうですが、 院号によっては100万円以上かかる場合もあり、 これに香典返し(平均ではいただいた額の約4割)も加わると。 …キタキツネさんが現実的見地から散骨に賛成とおっしゃるのも、 わかるような気がします。。。 > 二人兄妹の子供ですから、命日にはせめて思い出してくれるだけで満足です。 > 死んだ人間のことであ〜だ、こ〜だと争うのが一番醜い。生きている人間が > どうして助け合って生きていくか、これが一番大事だと考えています。 お伺いするのは心苦しいのですが、命日に思い出してくれるお二人の お子様やお孫さん、この方たちも鬼籍に入られたらその後は お墓という目に見える祭祀対象がなければ、キタキツネさんのことを 思い出すきっかけが少なくなってしまうかなくなってしまうかと思いますが、 これについては「それもよし」とお考えでしょうか。 その昔、わたしの祖父が亡くなったとき、葬儀に来てくださった おばあちゃまとお話をしたことがありました。 お墓をとても大切にしていらっしゃる方で、死後いつまでも孫、ひ孫、 そのまた孫にずうっと思い出して欲しい、先祖のひとりとして考えられたく ない、と語ってらしたので、フト思い出してお伺いしてみました。 ありがとうございました。 |
盛大な葬式で、跡目相続の宣伝に利用するのもよし、違法にならん程度に散骨するのもよし、火葬場で全焼させて終わるのもよし、どうあるべきか等を論ずること益無し。唯、子供に先立たれた親の心情は、葬式なんかで満たされるものであろうか。未経験で何とも言えない。 |
▼葬式不要者さん:こんにちは。初めまして、 レスありがとうございます。 >盛大な葬式で、跡目相続の宣伝に利用するのもよし、違法にならん程度 > に散骨するのもよし、火葬場で全焼させて終わるのもよし、どうあるべきか等を > 論ずること益無し。 確かに、個人個人で死者を送る方法は違っていて当然だと思います。 世界でも宗教によってさまざまな葬儀方法がありますもんね。 ただ、日本ではお墓に埋葬したあと、子孫が御墓参りをすることで 弔うという習慣が日常生活のなかに定着してきました。 それで墓地用の土地も少なくなり、また費用の負担の面から、 コインロッカーみたいなお墓とか散骨とか樹木葬とか、いろいろな 方法が出て来て、これまでの弔い方にバラエティが出てきましたよね。 人は、これまで当たり前にあったものやことに対して、劇的な 変化を恐れたり拒絶したりしがちだと思うのですが、 現実を見るとそうではない部分もあるようです。 散骨賛成もそのひとつだろうと。 ので、祭祀方法について「どうあるべきか」という是非を問う スレッドではないんです。 散骨に対して賛否両論をお伺いすることで、どのようにお考えに なることで賛否いずれかの結論をくだされるのか、んでもって ついでにわたし自身は?ってことを考えようと思い立てさせて いただいたスレッドでした。言葉が足らずに誤解を招いてしまい、 申し訳ありませんでした。 というわけでして、またご意見をお聞かせくだされば幸いです。 ありがとうございました。 |
「死んだら大好きなハワイの海に散骨してほしい」 10年ほど前に女房に頼んでおきました。 先年、女房に先立たれ散骨の件はどうしようか再考中。 遠く離れて生活している子供達には出来るだけ負担を掛けたくない。 自分の親の墓守で兄弟同士色々悩み苦労した。同じ思いを子供に味合わせたいとは思わない。 死んだ者より生きている者が優先。 生きている間、人に多々迷惑を掛けてきた。死んだ後も人に迷惑を掛けたくはない。 皆に忘れられのは結構。 自分の人生は自分にしか分からないし、それほど立派なものでもないと思うから。 やはり、「大好きなハワイの海に散骨してほしい」と言い残しておこうかな。 南無阿弥陀仏。 無宗教だった私も、女房に死なれてから、これだけは素直に口から出るようになった。 |
▼愚民さん:こんにちは。レスありがとうございます。 まず、奥さまのご冥福を衷心よりお祈り申し上げます…。 >「死んだら大好きなハワイの海に散骨してほしい」 >10年ほど前に女房に頼んでおきました。 >先年、女房に先立たれ散骨の件はどうしようか再考中。 >遠く離れて生活している子供達には出来るだけ負担を掛けたくない。 >自分の親の墓守で兄弟同士色々悩み苦労した。同じ思いを子供に味合わせたいとは思わない。 ハワイがお好きなのですね。わたしにとってハワイは、まだ未踏の地 なんです。いつか行ってみたいと思います。 キタキツネさんと同様、「墓守の大変さを子供に味わわせたいと 思わない」ということですよね。親心だなぁ…としみじみ感じます。 お墓参りなど確かに残された者にとっての負担は大きいものなんだろうな と思うのですが、それはお子様にとっても同じなのかなとフト 考えました。 ただでさえ忙しいなか、亡くなった方のことを思い出すことは 昔よりも少なくなっているように思います。 もっとも、お墓参りに出かけずとも、きっと折に触れて、 「あのときオヤジはこんなこと言ってたっけなあ」なんて思い出す などはあるでしょうけれども…。 でも、そういうふうに日常生活のなかでぼんやり思い出すのとは また別に、「きちんと」したかたちで、御墓参りなどで供養することで 残されたものの気持ちも落ち着く、ということはないのかなと 少し思いました。 御墓参りをしたいという気持ちそのものがなくなったわけでは ないのでしょうか? ただ、御墓参りをすることが肉体的経済的に 非常に負担になっているだけで…(?って違ってたりして・でしたら ご指摘ください・汗)。 もしそうだとすれば、近視眼的(っていうか短絡的)には、埋め墓と 参り墓というかつての両墓制を復活させるのもひとつの解決方法 かもしれません。寺院の許可とか土地の問題とかいろいろ あるでしょうけれど…。 さらに、この制度も維持が難しいということであれば、 埋め墓をなくしてしまって(たとえば散骨によってお骨はなくなって しまいますので)、参り墓だけ残していくというのもアリなのでしょうか。 散骨の後はどうやって祭るのかがちょっとまだよくわからないのですが、 たぶん自宅にお仏壇を備えて、お位牌にお祈りするという行為は 続くのではないかと思います。 従来の弔う方法は変えるけれども、その精神はかたちを変えて 残していくことになるということなのでしょうけれど。。 >死んだ者より生きている者が優先。 >生きている間、人に多々迷惑を掛けてきた。死んだ後も人に迷惑を掛けたくはない。 >皆に忘れられのは結構。 >自分の人生は自分にしか分からないし、それほど立派なものでもないと思うから。 うーむ、なるほど。 ただ、重複してしまうんですが、「迷惑」とこちらが思ってはいても、 実は相手にとっては迷惑ではなかったりすることもあったりしますよね。 こちらがある人に迷惑をかけても、いっぽうでは別の人を助けて いたりして。そんなことってしょっちゅうありませんか? ある人には直接迷惑分の補填をしなくても、個人の人生総体でみれば 迷惑もヘルプの量も収支が一致しているんじゃないかと思っています。 実際、葬儀はもともと残されたものにとってのものだと思いますし。 わたしも近しい人が亡くなったとき、葬儀で忙しくなければ あまりの悲しみで感情をコントロールできそうにはとてもありませんでした。 葬儀で忙しくしていることができて、本当に有り難かったです。 ただ、葬儀の後のお墓参りについても同じようなことが言えるのか どうか…。 また、日本の文化や精神的なものとして定着していることに 関して、それを否定することへの畏怖も正直言ってあると 思っています。…まだまだにょろにょろと考えなくては いけないことがわたしにはあるようです。。ありがとうございました。 |
▼コップ酒さん:レスありがとうございます。 身もふたも無い話ですが、そもそも釈迦もキリストも親孝行や祖先崇拝などとは無縁の人です。(出家しているので) 原始時代からの「祖霊信仰」を祖先崇拝の宗教「儒教」に形作ったのは儒家(葬儀屋)の孔子とその弟子たち。 だから「祖先崇拝」は儒教の考えであり釈迦の仏教とはまったく関係ないということになります。 墓も仏壇も位牌も皆儒教から来たものと儒教の専門書には書かれています。 中国、朝鮮や日本では仏教は先に広まっていた儒教と妥協しながら布教したので普及したが、キリスト教は妥協しなかったのでそれほど普及しなかったと言われています。 親鸞は歎異抄で「親の葬式はしても良いし、しなくても良い」と言っています。 これが、葬式仏教に堕落する以前の本来の仏教の考え方ではないでしょうか。 江戸時代の宗門改め以降すべての民衆を囲い込み、既得権益を確立してからの寺は庶民の精神的な拠りどころではなくなり、儒教からチャッカリ流用した葬式や祖先崇拝の儀式で金を取る商売となってしまったのではないでしょうか。 子供には、そんな堕落した寺に払うお金と暇があるのなら仏教書の一冊でも買って仏教本来の哲学でも勉強し、自分の人生の足しにしてほしいと願います。 その方がずっと有意義でしょう。 これから少子化が進み寺も淘汰されていき、無縁仏化した墓も増えることでしょう。 しかし、墓などは元々そんなものであると私は思っています。 |
火葬場で 物 となった人体を焼却し その一部を持ち帰りますね 置き去りにした人骨は?? どこえ廃棄処分するのでしょうか?? 持ちかえった モノ の処理のまえに 全ての火葬場の廃棄処分場 を知りたい(?_?) 問題は それからです 〜〜〜? |