Page 1108 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼ディジタル化する日本人 しまったk2 05/10/26(水) 21:26 ┣Re(1):ディジタル化する日本人 通介 05/10/27(木) 1:30 ┃ ┣追記 通介 05/10/27(木) 1:41 ┃ ┗Re(2):ディジタル化する日本人 しまったk2 05/10/27(木) 18:57 ┃ ┗Re(3):ディジタル化する日本人 通介 05/11/2(水) 15:10 ┣「切れる」のもデジタル しまったk2 05/10/28(金) 17:40 ┃ ┗Re(1):「切れる」のもデジタル 通介 05/11/2(水) 15:39 ┃ ┗Re(2):「切れる」のもデジタル しまったk2 05/11/2(水) 20:55 ┣Re(1):フアージー領域が無視されると問題! 珍 源斎 05/11/2(水) 11:00 ┃ ┗Re(2):フアージー領域が無視されると問題! しまったk2 05/11/2(水) 21:37 ┣ディジタル化する日本人 ついでに家計もデジタル化 しまったk2 05/11/3(木) 10:22 ┗Re(1):ディジタル化する日本人 イワオ 05/11/4(金) 2:22 ┗Re(2):ディジタル化する日本人 しまったk2 05/11/5(土) 21:51 ┗Re(3):ディジタル化する日本人 questiontime 05/11/5(土) 23:01 ┣Re(4):ディジタル化する日本人 しまったk2 05/11/6(日) 21:11 ┃ ┣Re(5):ディジタル化する日本人 憲法9条改正 05/11/7(月) 0:00 ┃ ┗Re(5):ディジタル化する日本人 questiontime 05/11/7(月) 20:22 ┗Re(4):ディジタル化する日本人 イワオ 05/11/7(月) 1:06 ┗Re(5):ディジタル化する日本人 questiontime 05/11/7(月) 20:46 ┗Re(6):ディジタル化する日本人 イワオ 05/11/8(火) 1:49 ─────────────────────────────────────── ■題名 : ディジタル化する日本人 ■名前 : しまったk2 ■日付 : 05/10/26(水) 21:26 -------------------------------------------------------------------------
ディジタル技術が巷に横溢している。拡張されて「ディジタル」を付けた文言も横溢している。 デジタルは、もともとの数学用語でアナログと対比して使われるものであるが、情報技術として電子回路で用いられる時は、信号の有無を2進法により解析する、俗にいう0、1技術である。 数値的には、デジタルが断続的な整数で、アナログは連続的な実数である。 音響や映像技術では、もともとのアナログ信号を、人間の感覚の虚を突いて、中抜きをした信号によって伝達再現しても、それを感覚が補完してしまうという特性を利用する。 そのことによって、電子回路や伝送技術上の大きなメリットが得られることから、現在の花形技術になっている。 しかし、これが人間の思考回路に使われてくると、ちょっとお待ちください、となる。 ひところは、「デジタル思考」と言えば、短絡軽薄で、決して敬意を表したことばではなかった。 ところが、最近は、二分法、二項対立、善か悪か、勝ちか負けか、とバッサリとデジタルに区分してしまう議論で、物事を処理しようとする傾向がある。 ごく直近のイベントでみると、小選挙区制による自民党の圧勝も、まさにデジタル的勝利である。 こうした社会現象の基因について、ひとつの仮説を立ててみる。最近書店に行くと、いわゆるコミックといわれるマンガが、大きなエリアを占めている。それだけ愛読されているということだろう。あるデータによると、読者は40代くらいまでの人達が多いという。いわば、社会活動の中核をなしている人達である。 ところが、コミックマンガを見ると、実にデジタルである。絵も噴出しセリフも、全てデジタルになってしまう。くどくど説明しても面倒である。端的に、判りやすく表現しなければならない。読者も、そのように心得て読んでいるということである。まさに、0、1的に読むことになる。 これが習性になれば、日常社会生活においても、いろいろなシーンで発動されることになるのではないかと、考えることができないだろうか。そう考えると、いろいろと符号するシーンが見られる。 CDとアナログレコードを聴き比べると、デジタルとアナログの特性が理解できる。 そして、人間の機能はアナログである。 |
ども、通介です。 ▼しまったk2さん: >こうした社会現象の基因について、ひとつの仮説を立ててみる。最近書店に行くと、いわゆるコミックといわれるマンガが、大きなエリアを占めている。それだけ愛読されているということだろう。あるデータによると、読者は40代くらいまでの人達が多いという。いわば、社会活動の中核をなしている人達である。 反論の基点として、コミックの版型についてご存知でしょうか? コミック(漫画)の版型も種々雑多で、新書サイズのものから(関連書籍等でもありますが)B5版やA4変形等、様々な大きさの本がありますので必然的に大きなスペースを占める必要性が出てきます。 #だから本屋さんとしては、スペースを取らない文庫版コミックスを持て囃すわけで。 >ところが、コミックマンガを見ると、実にデジタルである。絵も噴出しセリフも、全てデジタルになってしまう。くどくど説明しても面倒である。端的に、判りやすく表現しなければならない。読者も、そのように心得て読んでいるということである。まさに、0、1的に読むことになる。 コミックや漫画のコマ割りは表現の必要性として、「デジタルだ」と、しまったk2さんが言われる描写をせざる得ません。 なぜなら書籍は大なり小なり「ページ」というデジタルな概念で分割されるものであり、それを失くした物は「巻物」です。 ほかにも、アナログに連続させた場合、昔の「絵巻物」と呼ばれるジャンルの物となり、それはそれで独特の変化を遂げて言ったに違いない事は保証できますが、それを現実の我々が見て楽しめるかどうかは保証し切れません。 コミックは現在の書籍の形態での、イラストと吹き出し等によるストーリ展開という形で、特異な進化を遂げたストーリーメディアであることには異論がありませんが、あたかもそれだけが「デジタル」であるという事は間違いだと反論させて頂きます。 #その緻密な情報量で、世界的に高い評価を得ている士郎正宗さんという漫画家を筆頭に、欄外に大量の情報を書き込む事で、作品世界の補完を行う漫画家さんは多数いらっしゃいますし、コマの中に大量の情報を書き込む漫画家さんだって多数居ります。 >これが習性になれば、日常社会生活においても、いろいろなシーンで発動されることになるのではないかと、考えることができないだろうか。そう考えると、いろいろと符号するシーンが見られる。 あー、そりゃあたかも「エアガンがあるから、薬物中毒者が改造エアガンを撃つ。だからエアガンが悪い」みたいな、“結論ありき”の論法の罠に嵌っています。 コミックスでなくとも、デジタルな情報の分割は、小説であれ、テレビであれ、映画・舞台演劇であれ何処ででも存在しえます。 端的な話「…という出来事から3年…」といって場面が暗転したり、段落で区切られたり、CMが挟まれた瞬間など、我々は多かれ少なかれ「デジタルな分割」を目の当たりにしているのです。 我々は大なり小なり現代生活において、「デジタルな情報提供」に晒されているのであって、“コミックスによる認識のデジタライズ”を過度に恐れることはないと思います。 …まぁ、効果音の書き文字が氾濫する事による、ボキャブラリィの砂漠化は危惧するべきですが(苦笑)。 |
もし、漫画を読む人口が多い事を危惧しておられるのなら、それは「漫画が如何に面白いメディアであるか」ということの端的な証明に他ならず、デジタルかアナログかを云々する問題ではありません。 小説や、諸々の活字媒体よりも(直感的に)分かりやすい視覚メディアであり、それこそ40代以下の人間は多かれ少なかれ「吹き出しによる表現」や「書き文字による効果音の表現」に慣れているのは、面白い漫画を描いた先達の偉業であり、漫画というメディアに対して巻き返せなかったのは、活字メディアのマーケティング能力の問題でしょう。…というと、少し極論に過ぎますか(苦笑)。 漫画を読むと思考がデジタルになる、というのであれば、思考の一切においてデジタルな分割を行わない人物を連れてきて、その人物の漫画への認識を問いただすところから「アナログな思考」という物を探りつつ、漫画しか読まない人間は全て「アナログな思考」ができないと言う証明もするべきです。 もちろん、「アナログとデジタル」という分割がデジタルな思考である事を念頭に置いた上で、ですが。 |
▼通介さん:ひさし振りのレスを感謝 > > 反論の基点として、コミックの版型についてご存知でしょうか? >コミック(漫画)の版型も種々雑多で、新書サイズのものから(関連書籍等でもありますが)B5版やA4変形等、様々な大きさの本がありますので必然的に大きなスペースを占める必要性が出てきます。 > >#だから本屋さんとしては、スペースを取らない文庫版コミックスを持て囃すわけで。 > 私が、よく行く中くらいの書店では、3分の1ほどのスペースがコミックです。 全部を点検したわけではないが、単に、サイズ、形状の問題ではなくて、冊数、数量が多いと見てました。 。 > > コミックや漫画のコマ割りは表現の必要性として、「デジタルだ」と、しまったk2さんが言われる描写をせざる得ません。 >なぜなら書籍は大なり小なり「ページ」というデジタルな概念で分割されるものであり、それを失くした物は「巻物」です。 > ほかにも、アナログに連続させた場合、昔の「絵巻物」と呼ばれるジャンルの物となり、それはそれで独特の変化を遂げて言ったに違いない事は保証できますが、それを現実の我々が見て楽しめるかどうかは保証し切れません。 > コミックは現在の書籍の形態での、イラストと吹き出し等によるストーリ展開という形で、特異な進化を遂げたストーリーメディアであることには異論がありませんが、あたかもそれだけが「デジタル」であるという事は間違いだと反論させて頂きます。 私が、ここで述べた書物のアナログとは、普通の小説やエッセイが、可能な限り時系列や連続性に配意した記述をし、もし表現できないところは、行間を読むという作法で補完できるように書かれているものが一般的であろう。という意味合いです。それに、比べると、コミックマンガは、かなり「行間」が飛んでいる。と見てますが。 > >#その緻密な情報量で、世界的に高い評価を得ている士郎正宗さんという漫画家を筆頭に、欄外に大量の情報を書き込む事で、作品世界の補完を行う漫画家さんは多数いらっしゃいますし、コマの中に大量の情報を書き込む漫画家さんだって多数居ります。 すべてのマンガを、悪い意味でデジタルと評してはいません。また、マンガ文化そのものも否定しているものではありません。 > > > あー、そりゃあたかも「エアガンがあるから、薬物中毒者が改造エアガンを撃つ。だからエアガンが悪い」みたいな、“結論ありき”の論法の罠に嵌っています。 >コミックスでなくとも、デジタルな情報の分割は、小説であれ、テレビであれ、映画・舞台演劇であれ何処ででも存在しえます。 > 端的な話「…という出来事から3年…」といって場面が暗転したり、段落で区切られたり、CMが挟まれた瞬間など、我々は多かれ少なかれ「デジタルな分割」を目の当たりにしているのです。 > 我々は大なり小なり現代生活において、「デジタルな情報提供」に晒されているのであって、“コミックスによる認識のデジタライズ”を過度に恐れることはないと思います。 最近の、映像手法として、意識的にデジタルあるいは位相的な手法で作られたレンタルビデオは、見て面白いと思っています。 > >…まぁ、効果音の書き文字が氾濫する事による、ボキャブラリィの砂漠化は危惧するべきですが(苦笑)。 要するに、思考のパターンとしてデジタル化していくことはいかがなものか、ということで、その要因となっているものの大きな一つにマンガが有るのではないか。というわけです。 |
ども、通介です。昨日は気づいた時には、タイムアップだったので、お返事遅れました。m(_ _)m ▼しまったk2さん: ちょっと順序が前後しますが、先にここだけピックアップします。 >すべてのマンガを、悪い意味でデジタルと評してはいません。また、マンガ文化そのものも否定しているものではありません。 とかくこの手のポップカルチャーは、(概して的外れな)批判に基づく弾圧の対象になりやすいので、しまったk2さんの、このコメントを見て安心しました。 >私が、よく行く中くらいの書店では、3分の1ほどのスペースがコミックです。 >全部を点検したわけではないが、単に、サイズ、形状の問題ではなくて、冊数、数量が多いと見てました。 まぁ、日本の出版物に限っても、関連書籍を含めれば大量の漫画が出ていますからね… もし、しまったk2さんがそれらの関連書籍や類似書籍を含めてカウントしていたとしても、元となるコミックス自体の出版量が膨大だ、と言う事に関しては異論はありません。 >私が、ここで述べた書物のアナログとは、普通の小説やエッセイが、可能な限り時系列や連続性に配意した記述をし、もし表現できないところは、行間を読むという作法で補完できるように書かれているものが一般的であろう。という意味合いです。それに、比べると、コミックマンガは、かなり「行間」が飛んでいる。と見てますが。 こと、コミックスの方が時系列や連続性に束縛されている様にも思えますが、この辺はお互い参考資料を見せ合いっこしながらでないと、泥仕合になりそうですな… コミックスの場合、独特の表現によって登場人物らの内面の表現も行いますしねぇ… コミックスに親しんでいる、若者向けのライトノベルなんかだと、小説がそれらの表現方法をパクって 「…と、言って現れた友人の落ち込み様は、マンガだったら“どよ〜ん”という書き文字とおどろ線を背負っていそうなものだった」などと表現したりもしておりますし。(「」内は通介の創作です。念の為) コミックスの場合、無理に行間を作って読ませるより“絵になる”構図・技法で登場人物の内面を表現したり、時系列的に不連続であるなら、その様に表記する事で行間というものを埋め立てがちだと、通介は見ています。(コマの内部での空気のあり方や表現で、伏線や行間を構成してしまう、と言い換えても良いかも知れません) >最近の、映像手法として、意識的にデジタルあるいは位相的な手法で作られたレンタルビデオは、見て面白いと思っています。 …レンタルビデオ屋さんで貸し出しているソフトの事かな、これは? CGとかそういったハードに関したものではなく、情報提供の手法として「コミックスでないあらゆる作品にも、デジタルな断裂は存在する」という話をした筈ですが。…伝わらなかったのなら失礼しました。 >要するに、思考のパターンとしてデジタル化していくことはいかがなものか、ということで、その要因となっているものの大きな一つにマンガが有るのではないか。というわけです。 別にそうは思いませんねぇ… 各コミックスの登場人物や作者の主義主張に影響を受けて、デジタルな割り切りで思考する、極端な人間が皆無だとは断言しませんが、マンガを読み慣れているからって、世界をコマ割りで認識する訳じゃないし。 思考のデジタル化というのは、ここ最近では郵政法案をめぐる衆院選での小泉氏のやり口の方が、よほど大きな影響力を持ち合わせている様にも見えます。 あれほど「勝てば官軍」「まつろわぬ者には鉄槌を!」という、「敵か味方か」を傍目にも分かりやすく他者に突きつけて成功しちゃった有名人ってのは、そう居ませんやねぇ…あ、細木数子も似たようなモンか(笑)。 |
最近は、老若男女よく「切れる」。特に、若年者の切れ具合がいい。高齢者の「切れる」具合は、フリーな立場になり、我がまま傍弱無人の類で、もう、救いようがないから置いておいて、これからの若年者について見ると、彼らは、自分たちがフリーになれる空間、自宅、学校、電車の中、公共広場等々、組織力が作用しないか、弱いところでは傍弱無人に振る舞い、他人の感情など無関係である。 ところが、一度、強制力の作用する組織の中に入り込むと、実に恭順で素直である。ほとんど、どんなに常識的には疑問のあることを指示されても、素直に受け止めている。 スーパーやコンビニで働く若者、巷を歩く営業マン、の接客態度は、ちょっと、やりすぎではないか、と思われるほどに、声のトーンまで変えて丁寧である。 一方では、こうした組織強制圧力に、多少、自分を主張してでもフィットさせることができない者は、殆ど、改善努力もしないで短期間にスピンアウトしてしまう。 これも、合・否という単純2分法で、自分の行動を処していると見れないだろうか。 そのストレスからか、トラブルに遭遇すると、議論したり考えたりする手間を省いて、簡単に、キレてしまう。感性が1と0しか無く、小数点が付いた有理数や、ルートの無理数で整合・納得することが出来ない。まさに、これも合と否のデジタルである。 そして「簡単・単純なのがいい、真面目で深刻なのは、ウンザリ」となる。 先に、内的な要因として、マンガしか読まない影響を推測したが、外的な要因としては、現在は、普通の大学新卒者でも、派遣業や非正規雇用にしか働き口が無く、そこからフリーター、そしてニートになっていく流れを、勝ち負けの経済論理優先だけで放置しておいたならば、取り返しの付かない国民のデジタル化になる。 |
通介です。話の流れ上、こっちにも一言。 ▼しまったk2さん: >最近は、老若男女よく「切れる」。特に、若年者の切れ具合がいい。高齢者の「切れる」具合は、フリーな立場になり、我がまま傍弱無人の類で、もう、救いようがないから置いておいて、これからの若年者について見ると、彼らは、自分たちがフリーになれる空間、自宅、学校、電車の中、公共広場等々、組織力が作用しないか、弱いところでは傍弱無人に振る舞い、他人の感情など無関係である。 や、此処が「老人党」である以上、高齢者の方のキレっぷりも俎上に挙げるべきなのではないかと。 こと、此処が「ヴァーチャル政党」である以上“自称”高齢者とはいえ、必ずしも「目上の言う事が正しい」という理屈は通じにくい訳ですし。 あと、若年層の傍若無人な振る舞いに関する考察については、頷きつつも、それは「キレる」という事なのかなぁ?とか、疑問を抱いてみたり。 >スーパーやコンビニで働く若者、巷を歩く営業マン、の接客態度は、ちょっと、やりすぎではないか、と思われるほどに、声のトーンまで変えて丁寧である。 サービスの受け手が「何もそこまでせんでも」という位、均一的で卑屈なまでのお客様主義を「目上・年上の企業側の人材」が叩き込みますからねぇ…(嘆息) そういうキツイ枷があるから、組織力のゆるい所では自律心で制御できずに乱行をし、それを見た組織側が枷をきつくして綱紀粛正をはかり、ストレスの溜まった人間が発散と称してご乱行に打って出て… と、傍から見るとアホらしい悪循環にはまっているんじゃないかな?と、いう気も時々します。 >一方では、こうした組織強制圧力に、多少、自分を主張してでもフィットさせることができない者は、殆ど、改善努力もしないで短期間にスピンアウトしてしまう。 まぁ、下手をすると今までろくに「赤の他人との付き合い方」を学ばずに、同年代の友人としか付き合わなかったりしたまま就職すると、往々にして企業側が未だに求める「組織の歯車として24時間働いて、後腐れなく切られる」サラリーマンの理想像と、自らのギャップを埋めきれず、ドロップアウトすることだってあるでしょうさ。 >これも、合・否という単純2分法で、自分の行動を処していると見れないだろうか。 自分の行動を処しているのでも、「キレて」いるのでもなく、価値観のすり合わせの未熟さによるものでしょう。(雇用側・被雇用側互いの問題でもあります) >そのストレスからか、トラブルに遭遇すると、議論したり考えたりする手間を省いて、簡単に、キレてしまう。感性が1と0しか無く、小数点が付いた有理数や、ルートの無理数で整合・納得することが出来ない。まさに、これも合と否のデジタルである。 個人的な経験から言えば「何故、会社の為に文字通りの粉骨砕身を求めるのか?」という疑問へ十分な納得のいく回答を貰えないまま、いい年した人事のエライさんに罵倒された事ならありますなぁ… それに、この掲示板でそれなりのお年を召した方だと称する人の方が、議論したり考えたりする手間を省いて、簡単に、キレてしまう。事が多い気もします(苦笑)。 >そして「簡単・単純なのがいい、真面目で深刻なのは、ウンザリ」となる。 そりゃ複雑怪奇で曖昧模糊とした「言い訳・屁理屈・精神論」を是としていたのは、(30代の通介から見れば)「親の世代・祖父母の世代」であり、いかに真面目で深刻ぶっても、納得いかない物には共感できませんやね。(問題はそれに反発して「しらけの世代」とか言われた我らにもあるのだろうが、さ) >先に、内的な要因として、マンガしか読まない影響を推測したが、外的な要因としては、現在は、普通の大学新卒者でも、派遣業や非正規雇用にしか働き口が無く、そこからフリーター、そしてニートになっていく流れを、勝ち負けの経済論理優先だけで放置しておいたならば、取り返しの付かない国民のデジタル化になる。 デジタル…というか、二極化ですな。 |
▼通介さん:ども 舌足らずになったところの補足をしてもらったりして感謝 > >▼しまったk2さん: >>最近は、老若男女よく「切れる」。特に、若年者の切れ具合がいい。高齢者の「切れる」具合は、フリーな立場になり、我がまま傍弱無人の類で、もう、救いようがないから置いておいて、これからの若年者について見ると、彼らは、自分たちがフリーになれる空間、自宅、学校、電車の中、公共広場等々、組織力が作用しないか、弱いところでは傍弱無人に振る舞い、他人の感情など無関係である。 > > や、此処が「老人党」である以上、高齢者の方のキレっぷりも俎上に挙げるべきなのではないかと。 >こと、此処が「ヴァーチャル政党」である以上“自称”高齢者とはいえ、必ずしも「目上の言う事が正しい」という理屈は通じにくい訳ですし。 >あと、若年層の傍若無人な振る舞いに関する考察については、頷きつつも、それは「キレる」という事なのかなぁ?とか、疑問を抱いてみたり。 > >>スーパーやコンビニで働く若者、巷を歩く営業マン、の接客態度は、ちょっと、やりすぎではないか、と思われるほどに、声のトーンまで変えて丁寧である。 > > サービスの受け手が「何もそこまでせんでも」という位、均一的で卑屈なまでのお客様主義を「目上・年上の企業側の人材」が叩き込みますからねぇ…(嘆息) >そういうキツイ枷があるから、組織力のゆるい所では自律心で制御できずに乱行をし、それを見た組織側が枷をきつくして綱紀粛正をはかり、ストレスの溜まった人間が発散と称してご乱行に打って出て… >と、傍から見るとアホらしい悪循環にはまっているんじゃないかな?と、いう気も時々します。 > >>一方では、こうした組織強制圧力に、多少、自分を主張してでもフィットさせることができない者は、殆ど、改善努力もしないで短期間にスピンアウトしてしまう。 > > まぁ、下手をすると今までろくに「赤の他人との付き合い方」を学ばずに、同年代の友人としか付き合わなかったりしたまま就職すると、往々にして企業側が未だに求める「組織の歯車として24時間働いて、後腐れなく切られる」サラリーマンの理想像と、自らのギャップを埋めきれず、ドロップアウトすることだってあるでしょうさ。 > >>これも、合・否という単純2分法で、自分の行動を処していると見れないだろうか。 > > 自分の行動を処しているのでも、「キレて」いるのでもなく、価値観のすり合わせの未熟さによるものでしょう。(雇用側・被雇用側互いの問題でもあります) > >>そのストレスからか、トラブルに遭遇すると、議論したり考えたりする手間を省いて、簡単に、キレてしまう。感性が1と0しか無く、小数点が付いた有理数や、ルートの無理数で整合・納得することが出来ない。まさに、これも合と否のデジタルである。 > > 個人的な経験から言えば「何故、会社の為に文字通りの粉骨砕身を求めるのか?」という疑問へ十分な納得のいく回答を貰えないまま、いい年した人事のエライさんに罵倒された事ならありますなぁ… > それに、この掲示板でそれなりのお年を召した方だと称する人の方が、議論したり考えたりする手間を省いて、簡単に、キレてしまう。事が多い気もします(苦笑)。 > >>そして「簡単・単純なのがいい、真面目で深刻なのは、ウンザリ」となる。 > > そりゃ複雑怪奇で曖昧模糊とした「言い訳・屁理屈・精神論」を是としていたのは、(30代の通介から見れば)「親の世代・祖父母の世代」であり、いかに真面目で深刻ぶっても、納得いかない物には共感できませんやね。(問題はそれに反発して「しらけの世代」とか言われた我らにもあるのだろうが、さ) > >>先に、内的な要因として、マンガしか読まない影響を推測したが、外的な要因としては、現在は、普通の大学新卒者でも、派遣業や非正規雇用にしか働き口が無く、そこからフリーター、そしてニートになっていく流れを、勝ち負けの経済論理優先だけで放置しておいたならば、取り返しの付かない国民のデジタル化になる。 > > デジタル…というか、二極化ですな。 論調に、次第にハモッていきそうになりますが、ここはBBS、ほどほどに切り上げるところが、はた迷惑にならないようですから、また、別の機会に延長戦でもトライしますか。 |
しまったK2さん お久しぶりです。日本人の思考環境のデジタル化は興味ある 切り口であると存じますので私見を述べさせて頂きます。 デジタルを端的に捉えると有るか=1・無いか=0・との二進法の 基になる事と理解してますが・・実際には「有るかも知れない」 「無いかも知れない」のようなフアージーな領域を含むことが なければ、機能としては成り立たないものであると思います。 私たちの脳細胞や神経細胞にしてもそのような機能が含まれれればこそ 思考や想像、適切な判断を導くことが可能になる訳です。 現代社会にて派生する短絡思考と云われてる激情や無分別による 三面記事的な事件犯罪も含めるとその辺りにあるように思えてなりません。 実際に機械的に面でも継電器「リレー」などではオン・オフの 動作をクリテイカルに設定しますと「チャタリング」接点のオン・オフが 目的とする意に反して無秩序になってしまうことがありますので デジタル万能の電子回路や機器類でもフアージー領域が当然含まれて ます。 貴兄が述べられてるデジタル化思考の弊害の補正には「心して」 フアージー領域への意識が必要ではないかと・感じた次第です。 |
▼珍 源斎さん: >しまったK2さん > >お久しぶりです。日本人の思考環境のデジタル化は興味ある >切り口であると存じますので私見を述べさせて頂きます。 > >デジタルを端的に捉えると有るか=1・無いか=0・との二進法の >基になる事と理解してますが・・実際には「有るかも知れない」 >「無いかも知れない」のようなフアージーな領域を含むことが >なければ、機能としては成り立たないものであると思います。 デジ・アナを数学的な概念でとらえると、云われますようなものになろうかと思います。すなわち、デジタルが数量的で、アナログが図形的というものです。ただ、コンピューターや電子回路の場合は、ファージーはバグになります。技術的には、過渡現象を排除した先鋭的な波形をもってベストになります。 ここで申し上げた「デジタル」は、思考回路としての機能に、そのようなファージーという、位相的には有理数、無理数を包含する、つまり実数部分の概念を許容範囲に持つことができない場合の不具合を、述べたつもりです。 > >私たちの脳細胞や神経細胞にしてもそのような機能が含まれれればこそ >思考や想像、適切な判断を導くことが可能になる訳です。 > >現代社会にて派生する短絡思考と云われてる激情や無分別による >三面記事的な事件犯罪も含めるとその辺りにあるように思えてなりません。 文化人類学的、または社会学的に、まさに仰るとおりです。 > >実際に機械的に面でも継電器「リレー」などではオン・オフの >動作をクリテイカルに設定しますと「チャタリング」接点のオン・オフが >目的とする意に反して無秩序になってしまうことがありますので > >デジタル万能の電子回路や機器類でもフアージー領域が当然含まれて >ます。 やや、専門外になりますが、これも過渡現象によるタイムラグに起因する現象だったと記憶しております。しかし、われわれ生身に人間には、まさに自然現象になろうかと思います。 > >貴兄が述べられてるデジタル化思考の弊害の補正には「心して」 >フアージー領域への意識が必要ではないかと・感じた次第です。 ファージーからカオスの無秩序現象の秩序化が意識されることが望ましいと感じております。 |
思考回路のデジタル化は考えものではないか、と問題提起してきたが、家計の0、1にも言及しておきましょう。 家電製品のデジタル化が、とどまることを知らないほどに花形技術であることは、いうまでもないが、ついでに家計も0,1の2極化していることが、今日の新聞に出ていた。 ちょっと、横道にそれるが、通介さんに指摘されたように、2極化とデジタルとは、若干、異なる概念である。つまり、デジタルとは、連続的に対する離散的、跳び跳びということであるから、西洋城の凹凸のイメージで、山が2つあることとは違う。 しかし、2進法による技術概念ということで、この際、有りと無しの2極化もデジタルに包含してもらう。 日銀が発表した「家計の金融資産に関する世論調査」によると、貯蓄を保有していない、と答えた世帯が23%で前年より1%ほど増えている。逆に、平均貯蓄額は1,085万円で、前年より60万円ほど増えている。 さらに、数字を小さいほうから順番に並べた中央値が、460万円と前年比20万円減った。つまりは、かねてから指摘されていたように、ジニ計数、貧困率なども含め、貧富の差が着実に広がり0、1の2極化が進行しいるということである。 特に、気になるのは、年金対策も不透明な中で、単身世帯の41%が、「貯蓄無し」の状態は、近い将来に、まさに0,1の状態になるということです。これを景気が踊っているなどと、はしゃいでいる竹中さんに、国民もはしゃぐのはいかがなものでしょうか。 |
▼しまったk2さん: >デジタルは、もともとの数学用語でアナログと対比して使われる >ものであるが、情報技術として電子回路で用いられる時は、信号 >の有無を2進法により解析する、俗にいう0、1技術である。 スイッチング回路においても「完全な0(off)」もあり得ないし 「完全な1(on)」もあり得ません。 それに2進法でしかデジタル回路が設計できないこともありません。 コンピューターに2進法が使われたのは、装置の作りやすからであ り、私たちが10進法が理解しやすいのは、手の指が合計10本あ ったからで、便宜的なものなのです。 (便宜的、これこそアナログではありませんか?) 「デジタル」を「2進法」と全く同一のものとしてお考えのようで すが、デジタル=2進法ではありません。概念が全然別物です。 2進法、8進法、10進法、16進法どれでもデジタル機器作れる し計算も出来ますよ。 >音響や映像技術では、もともとのアナログ信号を、人間の感覚の >虚を突いて、中抜きをした信号によって伝達再現しても、それを >感覚が補完してしまうという特性を利用する。 まあ、考えようによってはこうも考えられますが、要は人間の感覚 自体がアバウトなものなので、計器で計るとデジタルな信号でも感 覚では区別が難しいと言うことです。 そう言うアバウトな感覚を持っている人間が、デジタル思考するこ とは(デジタル思考自体どんなものか私には理解不能ですが)不可 能です。 >そのことによって、電子回路や伝送技術上の大きなメリットが得 >られることから、現在の花形技術になっている。 人間には区別が難しくとも、デジタル機器では容易に判別できるか ら大量にかつ高速で処理できるので経済メリットが大きいです。 >しかし、これが人間の思考回路に使われてくると、ちょっとお待 >ちください、となる。 ちょとお待ち下さい、中抜きでも判別できないアナログな感覚しか 持ち得ない人間が、思考だけデジタルになることはあり得ないこと です。 >ところが、最近は、二分法、二項対立、善か悪か、勝ちか負けか、 >とバッサリとデジタルに区分してしまう議論で、物事を処理しよ >うとする傾向がある。 デジタル機器使った高速大量なデータ処理に基づく、ビジネスに追 いまくられてじっくり考える時間と手間を与えてもらえない人間の 金属疲労が始まっていると考えた方が当たってないですか。 イメージとしては、車につながれて時速15kmくらいで走らされ ている、サラリーマン、止まれば、車に引きずられる。 ロープ切れば、燃料補給が止まる。多分足がくがくしながら皆走っ ていると思います。 自分でデジタル思考を選択して判断するような余裕、普通の人間に はありません。 >最近書店に行くと、いわゆるコミックといわれるマンガが、大き >なエリアを占めている。それだけ愛読されているということだろ >う。あるデータによると、読者は40代くらいまでの人達が多い >という。いわば、社会活動の中核をなしている人達である。 イエ、団塊の世代がマンガ文化作ってきましたよ。もうすぐ彼ら6 0歳です。私のちょっと上ですね。 >ところが、コミックマンガを見ると、実にデジタルである。絵も >噴出しセリフも、全てデジタルになってしまう。くどくど説明し >ても面倒である。端的に、判りやすく表現しなければならない。 >読者も、そのように心得て読んでいるということである。まさに、 >0、1的に読むことになる。 デジタル=2進法ではありません。例えばその略記法である8進法 や16進法的に読んだらどういう事になりますでしょう。 >CDとアナログレコードを聴き比べると、デジタルとアナログの >特性が理解できる。 これも、 安いCD機器と、 高価なアナログレコードシステム 比べれば差が出ると言うだけで、金に糸目付けず、音楽再生目指せ ば、デジタルシステムがダントツで、アナログシステムに勝ちます。 SACD(スーパーオーディオCD)に管球アンプ、ホーンスピーカー の組み合わせならものすごい音します。 管球アンプはアナログですが、デジタルで金に糸目付けねば同じよ うな音は出せます。タダ生産個数が少ないとデジタルはべらぼうな 金食います。 >そして、人間の機能はアナログである。 そうです、だから人間の思考はデジタル化は出来ません。 |
▼イワオさん: コメントを感謝、 技術の詳細を厳密に記載しようとするならば、スペースが足りませんね。 そこで、補足的にシリースにして、コメントを入れてありますので、ご参考までに。ここは、あくまでもまちがいの無い程度に、二アリーイコールな表現も有ります。なお、再演しますが、デジタルとは電子回路の技術が発端ではなく、離散的という数学用語であることを付け加えます。従って、2進法はデジタル的な技術手段とでもいいましょうか。 思考回路のデジタル化というイメージは、結論に0、か、1しかなく、足して割る有理数あるいは折り合いの付かない無理数の存在を放棄している、とか、西洋城壁の様に、思考が凹凸に飛躍するイメージです。 > >>デジタルは、もともとの数学用語でアナログと対比して使われる >>ものであるが、情報技術として電子回路で用いられる時は、信号 >>の有無を2進法により解析する、俗にいう0、1技術である。 > >スイッチング回路においても「完全な0(off)」もあり得ないし >「完全な1(on)」もあり得ません。 >それに2進法でしかデジタル回路が設計できないこともありません。 > >コンピューターに2進法が使われたのは、装置の作りやすからであ >り、私たちが10進法が理解しやすいのは、手の指が合計10本あ >ったからで、便宜的なものなのです。 >(便宜的、これこそアナログではありませんか?) > >「デジタル」を「2進法」と全く同一のものとしてお考えのようで >すが、デジタル=2進法ではありません。概念が全然別物です。 >2進法、8進法、10進法、16進法どれでもデジタル機器作れる >し計算も出来ますよ。 > >>音響や映像技術では、もともとのアナログ信号を、人間の感覚の >>虚を突いて、中抜きをした信号によって伝達再現しても、それを >>感覚が補完してしまうという特性を利用する。 > >まあ、考えようによってはこうも考えられますが、要は人間の感覚 >自体がアバウトなものなので、計器で計るとデジタルな信号でも感 >覚では区別が難しいと言うことです。 > >そう言うアバウトな感覚を持っている人間が、デジタル思考するこ >とは(デジタル思考自体どんなものか私には理解不能ですが)不可 >能です。 > > >人間には区別が難しくとも、デジタル機器では容易に判別できるか >ら大量にかつ高速で処理できるので経済メリットが大きいです。 > >>しかし、これが人間の思考回路に使われてくると、ちょっとお待 >>ちください、となる。 > >ちょとお待ち下さい、中抜きでも判別できないアナログな感覚しか >持ち得ない人間が、思考だけデジタルになることはあり得ないこと >です。 > > >イメージとしては、車につながれて時速15kmくらいで走らされ >ている、サラリーマン、止まれば、車に引きずられる。 >ロープ切れば、燃料補給が止まる。多分足がくがくしながら皆走っ >ていると思います。 >自分でデジタル思考を選択して判断するような余裕、普通の人間に >はありません。 > > >イエ、団塊の世代がマンガ文化作ってきましたよ。もうすぐ彼ら6 >0歳です。私のちょっと上ですね。 > >>ところが、コミックマンガを見ると、実にデジタルである。絵も >>噴出しセリフも、全てデジタルになってしまう。くどくど説明し >>ても面倒である。端的に、判りやすく表現しなければならない。 >>読者も、そのように心得て読んでいるということである。まさに、 >>0、1的に読むことになる。 > >デジタル=2進法ではありません。例えばその略記法である8進法 >や16進法的に読んだらどういう事になりますでしょう。 > >>CDとアナログレコードを聴き比べると、デジタルとアナログの >>特性が理解できる。 > >これも、 >安いCD機器と、 >高価なアナログレコードシステム >比べれば差が出ると言うだけで、金に糸目付けず、音楽再生目指せ >ば、デジタルシステムがダントツで、アナログシステムに勝ちます。 > >SACD(スーパーオーディオCD)に管球アンプ、ホーンスピーカー >の組み合わせならものすごい音します。 >管球アンプはアナログですが、デジタルで金に糸目付けねば同じよ >うな音は出せます。タダ生産個数が少ないとデジタルはべらぼうな >金食います。 感性の違いとでもいいますか、フルトヴェングラーのベートーベンをアナログとデジタルで聞き比べてみることをお勧めします。 |
▼しまったk2さん: イワオさん、本来イワオさんへの問いかけに対し横レス失礼します。 しまったk2さん、スレッドの本題とかなり違う話になりますので、戯言と思って聞いていただければ幸いです。 >感性の違いとでもいいますか、フルトヴェングラーのベートーベンをアナログとデジタルで聞き比べてみることをお勧めします。 私、一応クラシックファンの端くれで、30年前ほどのオーディオブームの時にはオーディオ専門店に通った口です(金がないので機械は買わなかった、今にして思えば、よく相手してくれてたなぁあの店員さんたち) アナログとデジタルを比較する場合にフルトヴェングラーを持ち出すのはどうかと思いますが。何せ録音が古くて雑音が多いのでかえって比較が難しい。 というのは既にご存知かと思いますが、CDの場合は周波数帯域が20Hz〜20kHzで切ってあり、ダイナミックレンジ(音の大小の差)にも一定のリミッターがかかっている。これに対し、アナログの音響機器(レコード等)は理屈の上からすればこのような制限がない。(ダイナミックレンジをあまり大きく取ると針飛びしやすいというのは聞いたことがありますが) 逆に、雑音に関してはCDのほうが圧倒的に少ない。アナログ機器の場合、再生機器で発生する雑音がどうしても大きくなってしまう。 イワオさんも仰っていますが、アナログ機器の場合かなりの金をかければデジタル機器よりも凄い音がするわけですが、コストパフォーマンス・取扱いの簡便性の点では圧倒的にデジタル機器が有利です。 確かに、かつてオーディオ専門店で、当時の金額で計数百万円のプレーヤー、アンプ、スピーカーで聞いた音はそれはそれは凄かった。 しかし、現実問題としてそんなに金はかけられない。だからよほどの好事家でない限り現在ではデジタル機器を求める。ということになるんでしょうね。 デジタルとアナログを比較するなら、もっと新しい録音のほうがはっきり差が出ると思いますよ。ベートーベンなら両方の音源が出ている指揮者でフルトヴェングラーより新しい録音はいくらでもあります。誰がいいでしょうねぇ、叙情性があると一般に評されているのがよいというならカルロス・クライバーですかね(私の好みではないのでアナログの音源があるかどうか未確認ですが)個人的にはゲオルグ・ショルティなんかもよいですよ。(これはアナログとデジタルの音源が同じ録音で出ていることを確認済です。何せ私が両方持ってますから) スレッドの本題とは違う話題で失礼しました。 |
▼questiontimeさん:このようなコメントは嬉しいですね。 デジタル技術とは、別の話ですが、人間のアナログ的な要因についてのコメントですから、極めて意味があると思います。 >イワオさん、本来イワオさんへの問いかけに対し横レス失礼します。 >しまったk2さん、スレッドの本題とかなり違う話になりますので、戯言と思って聞いていただければ幸いです。 > >>感性の違いとでもいいますか、フルトヴェングラーのベートーベンをアナログとデジタルで聞き比べてみることをお勧めします。 > >私、一応クラシックファンの端くれで、30年前ほどのオーディオブームの時にはオーディオ専門店に通った口です(金がないので機械は買わなかった、今にして思えば、よく相手してくれてたなぁあの店員さんたち) > >アナログとデジタルを比較する場合にフルトヴェングラーを持ち出すのはどうかと思いますが。何せ録音が古くて雑音が多いのでかえって比較が難しい。 >というのは既にご存知かと思いますが、CDの場合は周波数帯域が20Hz〜20kHzで切ってあり、ダイナミックレンジ(音の大小の差)にも一定のリミッターがかかっている。これに対し、アナログの音響機器(レコード等)は理屈の上からすればこのような制限がない。(ダイナミックレンジをあまり大きく取ると針飛びしやすいというのは聞いたことがありますが) >逆に、雑音に関してはCDのほうが圧倒的に少ない。アナログ機器の場合、再生機器で発生する雑音がどうしても大きくなってしまう。 >イワオさんも仰っていますが、アナログ機器の場合かなりの金をかければデジタル機器よりも凄い音がするわけですが、コストパフォーマンス・取扱いの簡便性の点では圧倒的にデジタル機器が有利です。 >確かに、かつてオーディオ専門店で、当時の金額で計数百万円のプレーヤー、アンプ、スピーカーで聞いた音はそれはそれは凄かった。 >しかし、現実問題としてそんなに金はかけられない。だからよほどの好事家でない限り現在ではデジタル機器を求める。ということになるんでしょうね。 > >デジタルとアナログを比較するなら、もっと新しい録音のほうがはっきり差が出ると思いますよ。ベートーベンなら両方の音源が出ている指揮者でフルトヴェングラーより新しい録音はいくらでもあります。誰がいいでしょうねぇ、叙情性があると一般に評されているのがよいというならカルロス・クライバーですかね(私の好みではないのでアナログの音源があるかどうか未確認ですが)個人的にはゲオルグ・ショルティなんかもよいですよ。(これはアナログとデジタルの音源が同じ録音で出ていることを確認済です。何せ私が両方持ってますから) > >スレッドの本題とは違う話題で失礼しました。 アナログレコードにまつわるマニアックな話は、自分が昔、寝食を忘れても、無い金をはたいて、レコードと2チャンネルステレオに没頭したころを思い出させてくれます。 当時は、フルトヴェングラー、ワルター、トスカニーニという自分のような未熟者でも、その偉大さを感じることができる指揮者がいました。その後遺症で、いまだに、彼らのレコードを大事にしています。 たまたま、最近、フルトヴェングラーのベートーベンの復刻CDを買ってきて聞いた時、確かに、雑音等は少ないが、どうも何かが抜けているような感じで、最後まで聞くことが、やや苦痛でした。それを思い出したわけです。 イワオさんも技術的には、造詣が深いようですが、2進法に対して、8進法や16進法の話をして、「デジタル」に反論していましたが、ご存知のように、パソコンのCPUのバスを流通する信号は、すべて2進法であり、矩形波のクロック周波数に同期して機能していますね。 つまり、アーキテクチャの設計機械語は2進法ですが、01は、人間がわかり難いので、それを普通は16進数で設計したものを、2進法のビット機械語に変換するという形で行われますね。このあたりの技術説明は、あまり詳細には、しているわけにはいきません。ようは、論旨で理解してもらいたいものと考えています。 |
▼しまったk2さん:こんばんは 次の発言が私の認識と若干異なるので指摘させていただきます。 >つまり、アーキテクチャの設計機械語は2進法ですが、01は、人間がわかり難いので、それを普通は16進数で設計したものを、2進法のビット機械語に変換するという形で行われますね。このあたりの技術説明は、あまり詳細には、しているわけにはいきません。ようは、論旨で理解してもらいたいものと考えています。 人間がわかり難いのであれば、単純に10進法で表せば良いだけのはず。 なぜ、16進法を使うのかといえば現在のコンピューター(パソコンを含む)はバイトマシーンという2進法の倍倍計算(2 4 8 16 32)で表したタイプが主流なのと、2進法は01の数字が沢山並んで読むのが欠点があるからだと認識しています。 さらに、付け加えていっておくと、2進法→10進法で表すのは効率が悪いという欠点もあります。 この効率とは 2進法は01のため1BITに対して、8進法は01234567の3BITが必要、16進法なら4BITが必要になる。 これらに対して、10進法は0123456789のため、3BITと4BITの両方が必要になるという欠点があるのはあなたもご存知のはずです。 ということで、なんのテーマか分からなくありつつありますのでこの辺で終わりにします。 それでは |
▼しまったk2さん: >アナログレコードにまつわるマニアックな話は、自分が昔、寝食を忘れても、無い金をはたいて、レコードと2チャンネルステレオに没頭したころを思い出させてくれます。 > >当時は、フルトヴェングラー、ワルター、トスカニーニという自分のような未熟者でも、その偉大さを感じることができる指揮者がいました。その後遺症で、いまだに、彼らのレコードを大事にしています。 > >たまたま、最近、フルトヴェングラーのベートーベンの復刻CDを買ってきて聞いた時、確かに、雑音等は少ないが、どうも何かが抜けているような感じで、最後まで聞くことが、やや苦痛でした。それを思い出したわけです。 私はしまったk2さんの言うことを違う意味に捉えていたようですね。 CDの音が「抜けているよう」に感じられる原因はよくわかりませんが、アナログ音源をデジタルにリマスタリングするときの問題かもしれません。 あとは、CDの簡便性がそう感じさせるのかもしれません。レコードに針を落とす時の緊張感や、あるいは手塩にかけた再生機器への思い入れとか(トーンアームに凧糸を巻くとか、プレーヤーのインシュレーターを変えるだけでも音が微妙に変わる)がないことがそう感じさせる原因かもしれません。 または、曲は同じでも録音した演奏自体が違う可能性があります。 私が、比較するなら新しい音源のほうがいいと言ったのは、同じ録音がレコードとCD両方で出ているものが確認できているからです。(一定以上古い録音だと、CDでも元の録音のヒスノイズなどが入ってたりしてそれはそれで面白いですが) もっとも、いい演奏か否かというのはデジタルかアナログかに関わらず、もっと言えばステレオかモノラルかに関わらず、CDかSP盤かに関わらずわかるものなので、仮に同じ曲で同じオーケストラでも演奏が違うと同じフルトヴェングラーでも全く違って聞こえるでしょうね。 この辺の、録音技術や再生機器に関わらず、いい演奏か否かがわかってしまうというところが人間の聴覚の面白いところでもあるのですが。ただ、いい演奏かどうかというのは多分に好みの問題がありますので一概には言えません。 私は多くの人が絶賛するカルロス・クライバーがどうしても好きになれず、逆に、好き嫌いがはっきりと分かれるゲオルグ・ショルティなんかが大好きなので特にそのように感じるのかもしれません。 |
▼questiontimeさん: >というのは既にご存知かと思いますが、CDの場合は周波数帯域 >が20Hz〜20kHzで切ってあり、ダイナミックレンジ(音の大小の >差)にも一定のリミッターがかかっている。これに対し、アナロ >グの音響機器(レコード等)は理屈の上からすればこのような制 >限がない。 対して、SACDは理論値、2Hz〜100kHz、実際の特性、2Hz〜50kHzカ タログ値はすごいですが、まず2Hz出せるスピーカーはどんなモン になるか空恐ろしいです。多分音ではなく音圧で感じるのでしょう か。高音の方はコスト不要でしょうが元々人間には聞 こえない領域、どうなんでしょうか。 20kHzの音域もその周波数だけの音取り出せばよほど耳のいい人以 外無縁の音域ですが、アナログで〜18kHzの装置と、〜25kHz聞き比 べると、25kHzの方が確かに音が良いのは何でしょうね。 >逆に、雑音に関してはCDのほうが圧倒的に少ない。アナログ機 >器の場合、再生機器で発生する雑音がどうしても大きくなってし >まう。 レコードのスクラッチノイズもRIAAイコライザーも、雑音歪みの原 因だらけでした。 ただ、耳はアナログ機能そのものですから、〜10%位の歪み何と も判断しがたく、許容度の範囲に収まっていました。 >イワオさんも仰っていますが、アナログ機器の場合かなりの金を >かければデジタル機器よりも凄い音がするわけですが、コストパ >フォーマンス・取扱いの簡便性の点では圧倒的にデジタル機器が >有利です。 どのくらいの音で満足するかという問題ありますが、仮に100% の音があると仮定すれば 97%の音までは、デジタル機材がコストパフォーマンス優れてい ます。 97%〜99.9%迄はアナログ機材がコストパーフォマンス優れ ています。 99.9%以上はデジタルでなくては再現できません。 (市販品で比較してです。自作、特注は個人差がありすぎます) ただし、原音自体がほとんどの場合アナログですし、音の出口のス ピーカーはアナログにならざる負えませんし、脳に直接アクセスし て音のデーターを流し込めたとしてもアナログは残ります。 しかし、金に糸目付けずデジタルオーディオ(アンプ、チューナー 等)+アナログ(入り口・出口)で遊んでみたいものです。 スピーカーは3階ぶち抜きホーンスピーカー、ドライバーはYL (まだこのメーカーあるんでしょうか?)夢ですね。 |
▼イワオさん:お久しぶりです。 >>というのは既にご存知かと思いますが、CDの場合は周波数帯域 >>が20Hz〜20kHzで切ってあり、ダイナミックレンジ(音の大小の >>差)にも一定のリミッターがかかっている。これに対し、アナロ >>グの音響機器(レコード等)は理屈の上からすればこのような制 >>限がない。 >対して、SACDは理論値、2Hz〜100kHz、実際の特性、2Hz〜50kHzカ >タログ値はすごいですが、まず2Hz出せるスピーカーはどんなモン >になるか空恐ろしいです。多分音ではなく音圧で感じるのでしょう >か。高音の方はコスト不要でしょうが元々人間には聞こえない領域、 >どうなんでしょうか。 2hzもともかく50khz出せるスピーカーも凄いですね。私は最近のオーディオ事情に疎いんですが、そんなに簡単に50khzなんて出せるんでしょうか。ある一定以上の出力があると殺人兵器になりそうな(笑)周波数帯域ですね。 >20kHzの音域もその周波数だけの音取り出せばよほど耳のいい人以 >外無縁の音域ですが、アナログで〜18kHzの装置と、〜25kHz聞き比 >べると、25kHzの方が確かに音が良いのは何でしょうね。 2つの理由が考えられますね。1つは18khz以上の音がきちんと聞こえていること。もう1つはカタログスペックで〜18khzの装置では実は15khzくらいまでしかきちんと再生できなくて、〜25khzの装置でようやく18khzがきちんと再生されること。最近の機器のことは本当によくわからないんですが、車に例えれば、高速道路で同じ時速100kmで走っていても、軽と3000ccでは感じ方が全く違いますよね。 そんな感じでしょうか。 >レコードのスクラッチノイズもRIAAイコライザーも、雑音歪みの原 >因だらけでした。 >ただ、耳はアナログ機能そのものですから、〜10%位の歪み何と >も判断しがたく、許容度の範囲に収まっていました。 RIAAイコライザー! 久しぶりに聞きました。 あれはレコードのスクラッチノイズを軽減するためのものでしたよね。 実はRIAAイコライザーが歪の原因と言うのははじめて聞きました。 再生機器がRIAAカーブを忠実に再現できないのが原因でしょうか? >どのくらいの音で満足するかという問題ありますが、仮に100% >の音があると仮定すれば >97%の音までは、デジタル機材がコストパフォーマンス優れてい >ます。 >97%〜99.9%迄はアナログ機材がコストパーフォマンス優れ >ています。 >99.9%以上はデジタルでなくては再現できません。 >(市販品で比較してです。自作、特注は個人差がありすぎます) > >ただし、原音自体がほとんどの場合アナログですし、音の出口のス >ピーカーはアナログにならざる負えませんし、脳に直接アクセスし >て音のデーターを流し込めたとしてもアナログは残ります。 > >しかし、金に糸目付けずデジタルオーディオ(アンプ、チューナー >等)+アナログ(入り口・出口)で遊んでみたいものです。 > >スピーカーは3階ぶち抜きホーンスピーカー、ドライバーはYL >(まだこのメーカーあるんでしょうか?)夢ですね。 その昔、オーディオブーム華やかなりしころには、オーディオ専門店で計数百万円のコンポ(これも死語かな)の凄い音を聞いて、いつかはこんなのを買うんだ!と思っていましたけどねぇ。 今はせいぜいAVアンプを買って、隣の部屋に音が漏れない程度につつましく音場再生をするのが精一杯。イワオさんの夢は私の夢でもありますねぇ。 あんまり楽しいのでついスレッドの本題から外れた話ばかりしてしまいました。 しまったk2さん、イワオさん、ありがとうございました。そして、ごめんなさい。 |
▼questiontimeさん: >実はRIAAイコライザーが歪の原因と言うのははじめて聞きました。 >再生機器がRIAAカーブを忠実に再現できないのが原因でしょう >か? そうですね、原音を一種の圧縮した形にしておいて、イコライザー で、補正するわけですから、元には完全には戻りません。 加えて、LPレコードはRIAAカーブに統一されたと言われていますが 実際はRIAAカーブに加えて英国DECCAカーブ、米国COLUMBIAカーブ の三種類の規格がレコードに混在していたようです。 (実用的にはRIAA一種で対応できたようです、マニア的には?) むろん、回路が増えれば増えるだけ、複雑になればなるだけ雑音歪 みが増えますので、友人はレコード聞くのに絶対必要なイコライ ザーアンプ以外に、トーンコントロール回路、ボリューム(音量調 節用)その他のスイッチ類一切取り払ったプリアンプ作ってました。 パワーアンプにはさすがに、音量用のボリューム必要でしたが。 トーンコントロールが必要なら部屋を改造すればいいと毎日夜遅く まで、トンカンやってました。 友人趣味が商売になり、関西でジャズ喫茶始めましたが、3年もち ませんでした。マニアはダメです。金儲かりません。 >今はせいぜいAVアンプを買って、隣の部屋に音が漏れない程度 >につつましく音場再生をするのが精一杯。イワオさんの夢は私の >夢でもありますねぇ。 是非、「五味川順平」張りのドライバー特注コンクリートホーンの オーディオルーム作って下さい。 こつこつ10年掛ければ大丈夫です。パーツはまだ秋葉にあります よ。 オーディオに興味ない方には退屈な話でした。すみません。 |