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 ▼犬と日本人を考える  BadBloke 05/8/31(水) 5:00
   ┣犬と日本人を考える(2)  BadBloke 05/8/31(水) 5:06
   ┃  ┗犬と日本人を考える(3)  BadBloke 05/8/31(水) 5:11
   ┃     ┗犬と日本人を考える(4)  BadBloke 05/8/31(水) 20:21
   ┃        ┗犬と日本人を考える(5)  BadBloke 05/8/31(水) 20:30
   ┃           ┗犬と日本人を考える(6)  BadBloke 05/8/31(水) 20:41
   ┃              ┗犬と日本人を考える(7)  BadBloke 05/9/1(木) 13:13
   ┃                 ┗犬と日本人を考える(8)  BadBloke 05/9/1(木) 13:28
   ┃                    ┣Re(1):犬と日本人を考える(8)  サラママ 05/9/2(金) 15:43
   ┃                    ┃  ┗Re(2):犬と日本人を考える(8)  BadBloke 05/9/2(金) 19:52
   ┃                    ┃     ┣Re(3):犬と日本人を考える(8)  サラママ 05/9/2(金) 22:51
   ┃                    ┃     ┃  ┗Re(4):犬と日本人を考える(8)  BadBloke 05/9/3(土) 7:17
   ┃                    ┃     ┗Re(3):犬と日本人を考える(8)  コップ酒 05/9/3(土) 9:19
   ┃                    ┃        ┗Re(4):犬と日本人を考える(8)  BadBloke 05/9/3(土) 12:00
   ┃                    ┃           ┗Re(5):犬と日本人を考える(8)  サラママ 05/9/3(土) 21:59
   ┃                    ┣Re(1):犬と日本人を考える(8)  ワン太郎 05/9/4(日) 9:05
   ┃                    ┃  ┗Re(2):犬と日本人を考える(8)  BadBloke 05/9/4(日) 12:49
   ┃                    ┃     ┣Re(3):犬と日本人を考える(8)  退役軍人 05/9/4(日) 16:29
   ┃                    ┃     ┃  ┗Re(4):犬と日本人を考える(8)  ワン太郎 05/9/5(月) 13:47
   ┃                    ┃     ┃     ┗働く犬達  退役軍人 05/9/5(月) 15:24
   ┃                    ┃     ┃        ┗Re(1):働く犬達  ワン太郎 05/9/5(月) 16:18
   ┃                    ┃     ┗Re(3):犬と日本人を考える(8)  とうろう 05/9/6(火) 14:52
   ┃                    ┗犬と日本人を考える(9)  BadBloke 05/9/5(月) 8:03
   ┃                       ┗犬と日本人を考える(10)  BadBloke 05/9/7(水) 14:09
   ┃                          ┗犬と日本人を考える(11)  BadBloke 05/9/18(日) 0:56
   ┃                             ┗犬と日本人を考える(12)  BadBloke 05/9/24(土) 17:45
   ┃                                ┗犬と日本人を考える(13)  BadBloke 05/9/24(土) 18:00
   ┣Re(1):犬と日本人を考える/寄り道しないで早く終わって  とうろう 05/9/3(土) 22:15
   ┃  ┗Re(2):犬と日本人を考える/寄り道しないで早く終わって  サラママ 05/9/3(土) 22:49
   ┃     ┗Re(3):犬と日本人を考える/寄り道しないで早く終わって  とうろう 05/9/3(土) 23:17
   ┣Re(1):犬と日本人を考える  キタキツネ 05/9/4(日) 16:15
   ┣Re(1):犬と日本人を考える  紅毛禄 05/9/4(日) 19:41
   ┣Re(1):野良犬と距離感  蝦夷縞 ふく朗 05/9/10(土) 12:39
   ┃  ┣Re(2):野良犬と距離感  蝦夷縞 ふく朗 05/9/10(土) 12:40
   ┃  ┃  ┗Re(3):野良犬と距離感  BadBloke 05/9/11(日) 7:38
   ┃  ┗Re(2):野良犬と距離感  サラママ 05/9/11(日) 19:06
   ┃     ┗Re(3):野良犬と距離感  蝦夷縞 ふく朗 05/10/19(水) 22:24
   ┃        ┗Re(4):野良犬と距離感  BadBloke 05/11/1(火) 4:30
   ┣Re(1):犬と日本人を考える;人犬に会う  とうろう 05/10/19(水) 22:53
   ┃  ┣Re(2):犬と日本人;人犬に会う/ピント外れ?  とうろう 05/10/22(土) 23:25
   ┃  ┣Re(2):犬と日本人を考える;人犬に会う  BadBloke 05/11/1(火) 6:05
   ┃  ┗Re(2):犬と日本人を考える;人犬に会う  BadBloke 05/11/1(火) 6:16
   ┃     ┗Re(3):犬と日本人を考える;人犬に会う  とうろう 05/11/1(火) 23:16
   ┣Re(1):犬と日本人を考える  コップ酒 05/10/20(木) 7:34
   ┃  ┣Re(2):犬と日本人を考える  ワン太郎 05/10/20(木) 15:00
   ┃  ┃  ┗Re(3):犬と日本人を考える  コップ酒 05/10/21(金) 5:45
   ┃  ┃     ┗Re(4):犬と日本人を考える (犬好きと犬嫌い)  ワン太郎 05/10/21(金) 9:48
   ┃  ┗Re(2):犬と日本人を考える/犬好き  とうろう 05/10/22(土) 23:05
   ┃     ┗Re(3):犬と日本人を考える/犬好き  エックス 05/10/22(土) 23:27
   ┃        ┗Re(4):犬と日本人を考える/人とペット  とうろう 05/10/23(日) 0:03
   ┣犬と日本人を考える(14)  BadBloke 05/11/4(金) 6:33
   ┣犬と日本人を考える(15)  BadBloke 05/11/4(金) 6:50
   ┣犬と日本人を考える(16)  BadBloke 05/11/8(火) 10:42
   ┣犬と日本人を考える(17)  BadBloke 05/11/8(火) 10:42
   ┃  ┗Re(1):犬と日本人を考える(17)  k・satou 05/11/8(火) 11:13
   ┃     ┗Re(2):犬と日本人を考える(17)  BadBloke 05/11/8(火) 22:09
   ┃        ┗Re(3):犬と日本人を考える(17)  k・satou 05/11/8(火) 23:19
   ┣Re(1):犬と日本人を考える  レモン 05/11/18(金) 18:46
   ┗Re(1):犬と日本人を考える  ワン太郎 05/11/20(日) 9:49
      ┗Re(2):犬と日本人を考える  BadBloke 05/11/20(日) 10:25

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 ■題名 : 犬と日本人を考える
 ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>
 ■日付 : 05/8/31(水) 5:00
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   旧ハンドル名<トビパパ>

選挙で盛り上がっている最中、なんだかとぼけた題名で登場してしまったようだが、これも日本の未来がよくなってほしいという願いからである。おそらく、私の意図が理解されるためには、相当な説明が必要に思う。問題を提起する以上、批判や反論にも誠実に対応しなくてはならない。今の自分にそれが可能か、と私は考えた。かなり迷ったが、私の関心のある他のテーマに深入りする前に、とにかく始めてみることにした。このごろ、わりあいひまなのだ。

老人党掲示板でこのような問題を論じるからには、単なる愛犬家の趣味で終わってはいけないと思っている。犬という動物と日本人との関係を考えることで、何か社会的な問題(それは結局、人間の根源的な問題につながるだろう)を議論することはできないだろうか。わが国にあっては、広い御殿に大型犬数頭と生活を共にする代議士の口からさえ、いまだに動物虐待問題の登場する気配がない以上、あすの日本に希望をかける老人党掲示板でこれを論じるのは、それほど場違いではないと思う。

私の経験や意見は普通の日本人の常識をはずれていることが少なくないかもしれない。私はあえてその常識に挑戦したいと思っているのだ。批判・反論は大いに歓迎する。が、私の主張が一段落するまでは、論争状態に突入するのは避けたいと思っている。ネットで人と議論するときの私は、ほぼふだんの口調で書くのだが、今回このような文体で投稿するのは、がまんして最後のページまで読んでほしいという気持ちがあるからだ。

              ―1―

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 犬と日本人を考える(2)  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/8/31(水) 5:06  -------------------------------------------------------------------------
   かつて英国空軍の将軍から私は質問されたことがある。「日本人は流行のアクセサリーのように犬を買い求め、あきると捨ててしまうと聞いたが本当か?」 おそらく日本は米国と並んで世界でもっとも多くの犬が捨てられている国だろうと思う。その多くは殺処分され、さらに不幸な犬は実験動物にされているのだ。犬を捨てるのは飼い主だけではない。売れ残った犬を捨てたり実験施設に売るペット業者さえいる。たとえばバブルの頃に流行したハスキー犬はどこへ消えたのか。捨てられたか、あるいは家のどこかにつながれたままなのだろう。ある日、東京の公園で知り合った米国人の女性が言った。「最近はゴールデンがはやっているみたいだけど、そのうち見えなくなるわよ」

私に質問した将軍は、基本的にはやさしい英国紳士だが、動物を虐待するような人間は子供であろうが生かしちゃおかないという感じの、とーっても怖い人でもある。日本が今のまま動物虐待帝国を続ければ、英国空軍に爆撃される日もそう遠くはないかもしれない。英国人のことを動物権利狂とちゃかす米国人だって、見るべきところはちゃんと見ているようだ。アンポを信じ軍備を崇拝する人よ、米国の良心はアンポとは違うところにあることを知っているだろうか。

日本では久しく前からペットブームだとかで、たしかに都心の公園でも犬の種類は昔よりだいぶ増えたように思うし、特に英国系の大型犬が目立つようになった。これは地方都市でもそうらしく、聞くところによると、現在の日本には登録されているだけで600万頭の犬がいるそうだ。登録されていない犬を含めれば、おそらく1千万頭にとどくのではないだろうか。これだけ多くの犬がいるのだから、ペット産業が2兆円産業と言われるのも不思議ではない。金に目のない暴力団がこれを放っておくはずがない。実際、そのスジと関係している人から聞いた話だが、わが国には暴力団の関係するペット業者さえいるらしい。

              ―2―

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 犬と日本人を考える(3)  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/8/31(水) 5:11  -------------------------------------------------------------------------
   英国犬はたしかに増えた。その多くは英国ではなく米国から輸入されたものである。英国人のブリーダーは日本に輸出したがらないそうだ。理由はおわかりだろうか。捕虜収容所で日本陸軍から受けた非道を恨んでいるからではない。彼らは現在の日本人の犬の飼い方(あるいは買い方)を信頼していないからなのだ。ブームに便乗して犬を売るという感覚は、英国人の常識にはないらしい。犬を幸福にしてくれる人に売りたいというのが、彼らの願いなのだろう。英国はユートピアじゃないから、もちろん悪質な業者だっている。しかし、悪質な業者は、BBCのようなマスメディアでも名指しで批判されるし、一般の英国人の常識は、その種の行為に対して非常に厳しい。それと比べて日本人の常識はどうだろうか。日本のマスコミは、こういう問題に関心を示してきただろうか。

かつて西洋人のまねごとをなんでも喜んでいた日本人だが、このごろは自信をもったせいか、相手がガイジンであるがゆえに反発するという反抗期の人も少なくないようだ。かつてNHKでイギリス英語の紹介をしていた大学教授は、その著書の中で英国人の動物愛護精神に触れ、英国人は昔は自分たちだって動物にひどいことをしていたのだから、現在の日本人の動物虐待行為を批判する資格はないというようなことを書いていた。こういう論理が通用するなら、人類は平和をあきらめるしかないだろう。

あのNHK英会話講師は、きっと犬嫌いか、あるいは、日本人の常識の範囲でしか犬を知らない人なのだろうと思う。動物を愛する心があるなら、昔の英国を非難する前に、今の日本の現実をなんとかしたいと願うはずだ。犬嫌いに犬を愛せと強要するつもりはないが、せめてイギリス英語を紹介するからには、イギリス的な発音で英語をしゃべってもらいたかった。こんな皮肉さえつい言いたくなるのは、英国と犬を愛する人なら理解してもらえるだろうか。(つづく)

              ―3―

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 犬と日本人を考える(4)  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/8/31(水) 20:21  -------------------------------------------------------------------------
   英国の代議士は180年ほど前(1822年)に動物虐待問題を議会で論じ、虐待防止協会を設立した(1824年)。その後、ヴィクトリア女王がこれを支持し、王立動物虐待防止協会(Royal Society for the Prevention of Cruelty to Animals、略してRSPCA)となった。これはもちろん今も活動している。その理念にうたうのは、虐待行為の処罰(それは法的に厳しく規定されているが)というよりも、動物愛護精神の普及である。このような英国の2世紀近い歴史は一朝一夕でまねできるものではないが、一つの模範として参考にはなるだろう。(RSPCAのホームページ:http://www.rspca.org.uk/

吉田健一はこう書いている。

言わば英国は人間以外の動物という比較的に善良な生物の救済にまず成功し、次に人間という箸にも棒にもかからない凶悪な動物の存在を安定させるのに、世界に魁をして一つの手を打ったということになるだろうか。(「英国に就て」より)

これは19世紀にRSPCAをつくった英国が、20世紀になって福祉国家となったことを、ユーモアをこめて表現したものだ。私が吉田健一に関心をもつきっかけをつくってくれたのは、加藤周一氏の次の一節だったように記憶する。

吉田さんは酔っぱらっていた。そしてすべての酔っぱらいのように、同じことを何度もくり返していた。(中略) もう一つ、その晩の吉田さんがくり返して、やまなかったことは、ロンドン塔へ行くと、昔の英国人が使ったおそろしい拷問の道具が、並んでいるということであった。吉田さんは、その道具を説明し、「ああ、いやだ、あんなおそろしいものを、見るだけでもいやだ」という。(中略) 「ああ、いやだ。見るだけでも......」と吉田さんは、いつまでたってもやめなかった。(「世界漫遊記」より)

              ―4―

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 犬と日本人を考える(5)  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/8/31(水) 20:30  -------------------------------------------------------------------------
   平和だとか福祉だとか、いくら声高に叫んだとしても、その人のこころの中に、すべての残虐行為を憎む思いがなければ、ほんとうに人間の世界が平和になるのだろうか、という疑問が私にはある。動物より人間が先だろう、という意見は多いかもしれない。実際、むかしBBCのディスカッション・グループのメンバーだったころ、ある発展途上国の人から、地球上には、飢餓で死んでいく子どもたちが大勢いるのだから、動物の福祉より人間の福祉を優先すべきだろう、という意見をもらった。これは正論にはちがいない。しかし、私はこのような優先順位のつけ方では、いつまでたっても、動物ばかりか、人間の救済も手おくれになってしまうような気がする。

人間への残虐行為には敏感な人でも、動物へのそれには無関心な人がいる。私には、犬のような動物は、人間がその生きる権利を守ってあげるべき弱者であると思えてならない。彼らは人間とちがって、自分たちの権利を主張することができないのだ。

英国には、失業者のペットが無料で治療してもらえる公立の動物病院がある。人と動物の福祉が同時に実現しているわけだ。吉田健一が書いたように、動物が人間より先に救われた英国だが、その歴史はそれで正しかったように思う。彼は英国人のことをこう表現している。「はにかみ屋で引っ込み思案で、動物を可愛がり、人間に対しても意地悪をする気になかなかなれず、はっきりものが言えなくて、それでよく一人前に暮らしていけるものだという感じがする」。

英国人は、米国人のような気安さがないので、誤解されやすいかもしれないが、その国民性として、やさしさと寛容があることは確かだと思う。そういう性格は、彼らが動物を可愛がるということと無関係ではないだろう。そして、180年前に、動物虐待問題が議会で論じられ、虐待を防止する法律がつくられたことが、英国人の国民性に大きな影響を与えたにちがいない。

              ―5―

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 犬と日本人を考える(6)  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/8/31(水) 20:41  -------------------------------------------------------------------------
   たしかに19世紀初頭までの英国では、動物を虐待するような見せ物で金もうけするような者までいた。しかし、そういう業者や、それを楽しむような英国人を、昔の英国人の代表と見ること自体がおかしいのであって、たとえば17世紀末から18世紀前半を生きた詩人ポープは、現代の愛犬家と変わらぬ犬への愛情をうたったのである。彼はこうも書いている。「歴史は、友人よりも犬の忠実さの実例で満ちている(Histories are more full of examples of the fidelity of dogs than of friends)」。

犬という動物を個人的に知った人は、昔から変わらず犬を友としたのだ。犬は昔から犬であり、人間は昔から人間にすぎない。日本でも縄文時代にすでに犬は人間と生活を共にしていた。当時の遺跡から犬の墓が見つかっていることは、日本でもヒトとイヌとが太古から親しい関係にあったことを示している。

あの血なまぐさい時代のフランスに生きたモンテーニュは、当時の貴族が当然のように楽しんだ狩りを絶対にしなかったという。彼は「随想録」の中で、現代の日本人も傾聴すべき内容の動物愛護論を書いている。時代に関係なく、また法律制度に関係なく、昔から残酷をきらう人間がいたことは確からしい。モンテーニュの寛容さの背後には、動物への思いやりが含まれていることを、私は注目したい。

マハトマ・ガンジーはこう言った。「国の偉大さとそのモラルの発達程度は、その国で動物がどのように扱われているのかを見ればわかる(The greatness of a nation and its moral progress can be judged by the way its animals are treated)」。

彼の反英国独立運動における無抵抗主義の前提には、無抵抗な動物を思いやる英国人の気質があったのではないだろうか。ガンジーがロンドンに留学していたころの19世紀末の英国は、すでに動物愛護国となっていたのだ。(つづく)

              ―6―

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 犬と日本人を考える(7)  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/9/1(木) 13:13  -------------------------------------------------------------------------
   英国を賛美しすぎる傾向が私にシッカリあることは認める。前に述べた英国空軍の将軍は、時々、英国人のことを批判する。特に、動物虐待行為に関しては、ひときわ厳しい。そう、英国人だって、今でも動物を虐待する人間がいるのだ。ただ、私がよく思うのは、日本人のばあい、ごくふつうの人が、動物虐待に関して無関心であるばかりか、自分自身が虐待行為をしていることさえ自覚していない人が目立つということだ。

東京の都心では、犬を外につないで飼う家がめっきり少なくなり(はじめは住宅事情が原因だったのかもしれないが)、家族の一員として家の中で暮らす犬が増え、それが犬の精神状態を、本来の犬らしいおだやかな状態に保つことに成功しているようだ。しかし、地方都市では、今でも、日本固有文化にこだわるのか、外飼いの犬が目立つらしい。例外はあるが、一般に、外につながれている犬は、人間との関係における社会性が発達せず、特に、ほとんど散歩もしないでつながれたままであれば、まちがいなく精神状態がおかしくなっている。そういう犬はよく吠えるし、しばしば攻撃的になる。

日本人の常識の中に、犬は吠える・咬むというのがあるとすれば、犬を責める前に、人間こそ反省すべきことが多いはずだ。犬のようにデリケートなこころをもつ動物は、虐待されれば、精神がおかしくなるのは当然なのだ。ゴキブリは虐待されてもゴキブリのままだろうが、犬は虐待されれば、犬でなくなってしまう。そういう動物を犬だと思い込んでいるのが、日本人の常識だとすれば、今のうちになんとか手を打たなければ、取り返しのつかないことになりそうだ。

家の外につなぎっぱなしにしておいたり、狭い檻に閉じ込めたりすることが、どれほど犬を虐待していることか。英国の常識なら、空軍の将軍が登場するまでもなく、明らかである。しかし、英国人の中にまれに見られる非常識な人と同程度の感覚の人が、日本人の中には、あまりにも多すぎるような気がする。

              ―7―

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 犬と日本人を考える(8)  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/9/1(木) 13:28  -------------------------------------------------------------------------
   日本に英国犬はたくさん輸入されたが、犬が人間の最良の友であるという英国人の常識は、いまだに輸入されていない。犬が最良の友だって? かわいいことは認めても、やっぱ怖いなあ。そう思う日本人は少なくないのかもしれない。しかし、いったい日本人は、犬を最良の友として、たいせつにしてきただろうか。

先ほど私は、「今のうちになんとか手を打たなければ、取り返しのつかないことになりそうだ」と言った。英国の歴史をながめて、いつもうらやましく思うのは、かの国では、取り返しがつかなくなる前に、だれかが理想をかかげ、それを実現する方向へと一気に社会が動いていくことの少なくないということだ。改革じょうずというか、歴史が理想へ向かって、段々に積み上げられているという感じがする。そして、その始まりはといえば、少数派の意見から出発していることが多いのだ。

RSPCA(王立動物虐待防止協会)にしても、最初は、ひとりの代議士が法案を出したことに始まったにすぎない。R(王立)がつく前の協会設立時のメンバーは、わずか22名だった。その歴史をむだにすることなく、現在に至るまで、その活動は続いている。英国には、RSPCA以外にも、ボランティア的な動物愛護団体が数多く存在し、特に、捨てられた犬の里親さがしを、熱心におこなっている。かの国では、保護された捨て犬を殺すということをしないのが原則である。ただし、助かる見込みのない病気にかかっている犬や、矯正不可能なほどに凶暴化した犬のばあい、RSPCAでは安楽死させることがある。もちろん、文字通りに安楽死であって、日本のように、ガス室で殺すということはしない。

さて、ここまで読んでくださった方の中には、もう論旨はわかった、と思われる方が少なくないだろうか。しかし、私の論旨は、まだその全貌を明かされていないのだ。これまで見た通り、英国と日本では、犬の扱いがかなり違うことは、ある程度おわかりいただけたと思う。問題は、どうしてそんなに違っているのか、ということである。英国と同じように、動物虐待を防止するために厳しい法律をつくれば、問題が解決するのだろうか。私は日本でも動物愛護法が、もっと犬の立場に立って、厳しくなることを望むが、それだけでなく、だれよりもまず犬の飼い主の常識が変わる必要があることを強く感じているのだ。そのことに関して、私には、まだまだ書かなければならないことがある。(つづく)

              ―8―

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):犬と日本人を考える(8)  ■名前 : サラママ <sarah@h03.itscom.net>  ■日付 : 05/9/2(金) 15:43  -------------------------------------------------------------------------
   長ーい本文読ませていただきました。要は日本人の動物愛護精神の変形を指摘されているのですね、私も現在MIX犬と二人住まいです。毎日車で河原に連れて行き放してやり時には川をざぶざぶと当のイヌは入ってます。この仔がこんなになるのには時間がかかりました。ボランテアグループの呼びかけで、処分寸前だった仔が救われて私の所にきました。河原には仲間が沢山いらっしゃいます。ブランド犬やミックス犬それぞれですが、過去に外で番犬としてしか飼っていらっしゃらない方のお話はよく聞きます。家の中で飼って始めて犬の気持とか家族と犬の関係が変わったと言われる方が多いことです。イギリスのお話に尽きておりましたが、私はジェイムスヘリオットが大好きです。彼の著書を読むのが心のビタミンとなってます。
ワンちゃん仲間にイギリス婦人がおられますが、(スタンダードプードル2頭ボルゾイ1頭)時にヘリオット先生の話でもちきりになることもあります、物としか扱われない日本に早く犬権を与えてほしいです。ちなみに我がわんちゃん仲間の飼い主さん達は河原の捨て猫や犬達を見つけると知恵を出し合って里親を探しておられます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):犬と日本人を考える(8)  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/9/2(金) 19:52  -------------------------------------------------------------------------
   サラママさん

ほんと、ぼくの投稿って、ながーいですよね。そろそろおわびのひとことでも入れなければな、と思っていたところです ;-)

サラママさんのような人が、日本のどこかで犬をたいせつにしていることを知るのは、ぼくにとって、すごくうれしいことです。こういう出会いがあるから、ネットは楽しい。投稿してよかったな、と思うのです。

ぼくの論旨に関してはおっしゃる通りです。けっこう単純な話なんですね。なのに、なぜこーんなに長くなるのか? 犬と生活していると人間社会が見えてくる、というような、ちょっと大げさに言えば、哲学みたいなものを、ぼくはもっているらしいのです。ぼくが若いころから学んできた(独学してきた)哲学は、いわば机上の学問にしかすぎません。でも、犬の哲学は、ぼく自身の日常の体験の中から、少しずつ形成されてきたものです。それをなんとか伝えたいと思った。動物たちのために。人間のために。

加藤周一さんの「私にとっての二〇世紀」を読んで感じたこと。それは、加藤さんの哲学というか思想というか、そういうものが、ほとんどぼく自身に共通するものがあるということでしたが、見た目は同じでも、体験上は、ものすごくちがうんじゃないかな、と思うのです。たとえば、加藤さんは、敗戦直後に、医師として広島の被爆状況を体験している。ぼくはと言えば、そのころは地球上にまだ存在していなかったのです。ぼくは高度成長期の落とし子みたいに、平和と繁栄の中で育ちました。

平和主義を語るのはたやすい。しかし、ぼくには戦争の体験もなければ、安保闘争の経験もない。60年安保で犠牲となった樺美智子さんのことを知ったのは、おとなになってからです。ぼくには学生運動の経験もないのです。なのに、どういうわけか、若いころから、反体制的な気質がずっとありました。卑怯な権力をゆるさない、という思いがありました。大逆事件を忘れてはいけない。甘粕事件を忘れてはいけない。三木清を忘れてはいけない。そんな思いがぼくにはあるのですが、果たして、それがぼく自身の血肉になっているか、体験上それを実証できないのです。

犬のことに関しては、ある程度は闘ってきた体験があるので、実証的に発言できる基盤があると思っているのです。そして、犬のことを通しても、日本人のもろさというか、あいまいさみたいなものを痛感しているのです。明治時代にすでに、洋犬を飼うことをステータスシンボルのように思っていた西洋かぶれの日本人がいたらしいです。日本人は、いつも同じ歴史をくり返す傾向がある。理想に向かっての着実な歴史の積み上げがないのです。いつも振り出しにもどってくり返すのです。

結局、犬の問題を見ても、人権だとか、民主主義だとか、人間の権利の根本にかかわるような問題と重なる部分が大きいように思います。日本人は歴史をどうつくるのか、という重大な問題になるような気がするのです。新しい歴史教科書をつくるなどと、大東亜的な大義名分をかかげて、古い歴史をくり返すような日本人の体質の問題と関係してくるように思っているのです。これは、おそらく体験していないと、なかなか理解してもらえないでしょう。今回のテーマで、こんなにながーい作文をしているのには、それなりの思いがあるつもりなのです。

話は変わって、ヘリオットは、ぼくもよく読みましたよ。今でも忘れられないのは、貧乏な農夫の愛犬が不治の病にかかって、安楽死させるという話です。お金が払えないから、代わりに農場の作物か何かを先生にわたすんですね。「ありがとう、先生」って言って。それをヘリオット先生は、こころから、しかし静かに、感激するのです。ものすごく悲しい。と同時に、ものすごく美しい。人前で感情をあらわにするのをよしとしない英国人らしく、抑制のきいた文章だったと記憶します。ぼくはこういうのに弱いです。子どものころの体験と重なるのです。

おっといけない。とんでもなくながーくなってしまいましたね。それでは、また再会できる日まで。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):犬と日本人を考える(8)  ■名前 : サラママ <sarah@h03.itscom.net>  ■日付 : 05/9/2(金) 22:51  -------------------------------------------------------------------------
   悪いやつさん
こんばんわ 心情はよくわかりました、あなたはわんちゃんをよく散歩に連れて歩きますか?私はトータルで100人位の方と顔みしりです。ちょっとしたご挨拶の方、飼い主はあまりみないでわんちゃんの名前を呼ぶだけの方、わいわいと集まって最後に遊歩道を一緒にまわってバイバイする方一日でお会いする方は30人平均ですが、河原まで毎日つれていらっしゃる方というのは、真剣に飼っていらっしゃる方が多いです。それに私を含めて犬好きの方は以外に偏屈で内面的な方?が(孤独?)余り自分を主張しない方も多いような気もします。お会いしてる時は明るいのですが、その分傷つきやすいナイーブな方もいらして、わんちゃんが一緒ではなかったら、この方とお話する機会はなかったわ、と思えることも屡です。そんなところはあなたのお好きなイギリス的ではありませんか?それにしても犬の存在はすばらしい、私は彼女がいてくれるおかげで生きていけるって思ってます。パソコンの隣で一緒にに並んで肩も組んでます。図体が大きくても真っ白なの私は神様のお使いと思ってます。
私たちの清き一票がよい社会を作る一票になりますように祈ってます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):犬と日本人を考える(8)  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/9/3(土) 7:17  -------------------------------------------------------------------------
   サラママさん

もしかして、イギリス英語に通じています? ぼくが<悪いやつ>だってこと、ばれちゃったみたいですね。ダハハ。

<イギリス英語>って呼び方も何か変ですね。英語はイギリスが本場のはずなのだし、英語の「英」は「英国」から来てるわけでしょうから。

散歩ですか。散歩は、ぼくの生活の中核です。それ以外には何も重大なことをしていないと言ってもいいでしょう。 ぼくのばあいは、犬を散歩に連れて行くというよりも、犬といっしょに散歩しているという感じです。

サラちゃんが白くて大きいミックス犬ということは、ピレネー系なのでしょうか。ぼくのTobyは英国ゴールデンで、日本で普通に見られるゴールデンとくらべると、かなり白いです。ここの掲示板でこんな事していいのか全然わからないけれど、Tobyの写真を1枚だけアップします。

http://www.muchos.co.uk/members/tobysdad_jp/toby_6410.jpg

念のために解説すれば、いつも帽子をかぶっているわけではありません。この帽子は、まぎれもなく、ぼくの帽子です。

それにしても、ゴールデンにまで「英国」をつけなくちゃならんのも困った話です。もともとは英国の犬ですからね。米国のたくましい商魂のせいでしょうか。それとも英国人に営業意欲が欠落しているせいでしょうか。

むむ? なんだか私信ぼくなってしまいましたね。こりゃまた失礼いたしました!

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):犬と日本人を考える(8)  ■名前 : コップ酒  ■日付 : 05/9/3(土) 9:19  -------------------------------------------------------------------------
   ▼BadBlokeさん:こんにちは。初めまして。
わたしは現在、犬を家族には迎えていませんが、大の犬好き
です。一連のご投稿を興味深く拝読しました。

> なのに、どういうわけか、若いころから、反体制的な気質が
> ずっとありました。卑怯な権力をゆるさない、という思いが
> ありました。

この部分が今ひとつわからないので、もう少し詳しく
教えていただきますと幸いです。

反体制、反権力の関門?は、きっと若いうちなら
誰でも通るもののような気がするんです。

某英国元首相は、

「二十歳以前に左翼思想に傾倒しないものは熱情が足りない。
二十歳をすぎても左翼思想に傾倒しているものは知性が足りない」

と言ったそうですが、知性や熱情だけの問題だけではないと
思うんですよね。失礼な言葉を引用して申し訳ないのですが、
わたしの本意はそこにはなくて、今でも反権力だとおっしゃる
「若い」でいらっしゃるであろうかたをお見かけしたので、
お伺いしたいと純粋に思っただけなのです。

>結局、犬の問題を見ても、人権だとか、民主主義だとか、
> 人間の権利の根本にかかわるような問題と重なる部分が
> 大きいように思います。日本人は歴史をどうつくるのか、
> という重大な問題になるような気がするのです。
>新しい歴史教科書をつくるなどと、大東亜的な大義名分をかかげて、
>古い歴史をくり返すような日本人の体質の問題と関係してくる
>ように思っているのです。これは、おそらく体験していないと、
>なかなか理解してもらえないでしょう。

犬の話から突然、つくる会とか大東亜という話になっているので
あれっ?と思いました。

わたしも日本での犬の飼い方には大いに疑問がありますが、
この問題と、古い歴史を繰り返すような日本人の体質の
どういった点で関係してくる、と思われますでしょうか。

この部分が今回のご投稿の中核部分だと思いますので、
こちらももう少しお伺いしたいと思いました。
失礼いたしました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):犬と日本人を考える(8)  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/9/3(土) 12:00  -------------------------------------------------------------------------
   ▼コップ酒さん:

コップ酒さんとは、おそらくいつの日か、靖国問題などをテーマに、おしゃべりができそうな気がしています。しかし、最初にお断りしましたとおり、このスレッドでの作文が一段落するまでは、今回のテーマでの論争は避けたいと思っているのです。たいへん興味深い感想を送ってくださいましたが、その後半の部分に関しては、これからさらに続く予定の「犬と日本人を考える」の中で、ある程度は、その答えにつながるようなヒントが出てくるはずです。

ただ、前半に関しては、ぼくの全く予想していなかった内容なので、それについては少し応答しておこうと思います。

>反体制、反権力の関門?は、きっと若いうちなら
>誰でも通るもののような気がするんです。

そうでしょうか。反権力であるというのは、反抗期のもやもやとは、まったくちがう性質のものだと、ぼくは思うのです。十代の年頃といえば、権力の象徴は学校になるのが普通でしょうか。しかし、ぼくのばあいは、校則なんてものがないような自由な校風の学校だったので、学校が権力者だという感覚はなかったようです。

>某英国元首相は、
>
>「二十歳以前に左翼思想に傾倒しないものは熱情が足りない。
>二十歳をすぎても左翼思想に傾倒しているものは知性が足りない」
>
>と言ったそうですが、知性や熱情だけの問題だけではないと
>思うんですよね。

ぼくは出来合いの左翼思想をもったことはないつもりです。権力が弱い者いじめをする傾向のあることに、若いころから変わらずに敏感なだけです。学生時代に左翼だった人が、卒業してからいつのまにか右翼になっていたなんてことは、日本では珍しくないようですね。まさか、コップ酒さんは、それこそがオトナへの道だと信じているわけじゃないでしょうね。

英国人の言葉を引用されましたが、英国と日本では、体制とか権力とかの意味合いが、だいぶちがっているように感じています。両者には民主主義の歴史・伝統のちがいがあります。日本だって、今の憲法からすると、主権は国民にあるのだから、国家権力というのも、ほんとうは国民の権力を代表するものであるはずです。しかし、実際にはそうではない。そこが問題だと思うのです。だから、日本の現実では、反権力であることは、国民主権の立場からも、選挙権をもつオトナにこそ必要なことです。簡単ですが、これでコップ酒さんの次の疑問に答えたことにしておきます。

>今でも反権力だとおっしゃる「若い」でいらっしゃるであろうかたを
>お見かけしたので、お伺いしたいと純粋に思っただけなのです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(5):犬と日本人を考える(8)  ■名前 : サラママ  ■日付 : 05/9/3(土) 21:59  -------------------------------------------------------------------------
   英国大好き「悪いやつ」さんこんばんわ、意図しない方向にいってゴメンなさいね。TOBYちゃん可愛いわね。シャーロックトビイですね。英国のゴールデンって言ってるところが、超おもしろい(ゴメンなさい)我が家の娘は両親不明 出生地 廃屋の縁の下 家に来たときに吠えないでねって言ったら、未だに吠えず、だいたいアイコンタクトで通じる。苦労してるので私は叱った事はないの、(しかし河原の花火と雷には別人格私の制止も聞こえず河原から自動車道に駆け上がり肝を冷やされました)あなたの想像しているようなピレネーまではいきません。紀州犬を細くした感じかしら、それに地域地域でワンちゃん社会があるでしょう。飼い主さんとわんちゃんのエピソードなんかで見えてくる問題とか書いてごらんになったら?もっと多くの賛同者をつのっていつの日か動物虐待の法律まで辿り着くといいわね。今度家の娘の写真お目にかけますね、

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):犬と日本人を考える(8)  ■名前 : ワン太郎  ■日付 : 05/9/4(日) 9:05  -------------------------------------------------------------------------
   ▼BadBlokeさん:

大論文「一段落」ですか? ご苦労様です。

私もHNに「ワン」を戴いている以上 ひとこと必要でしょう。

BadBlokeさんの結論としては<日本人も「英国的 人と犬の関係」であるべき>なのでしょうか?

確かに<英国と日本では、犬の扱いがかなり違い>があります。
英国の姿に羨ましい所があるのも確かです。

しかし、日本人が英国を そのまま真似をするのは賛成できません。
<日本的な犬との付き合い方>があってよい ― 創り出すべきだ ― と考えています。

いづれにせよ、犬との付き合いによって 私も生活(大袈裟に言えば「人生」)に幅が出てきたことは間違いありません。

これは「良い友人、良き伴侶」とは 違った「パートナー」であります。
このパートナーは いつも私に「新しい何か」を示してくれます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):犬と日本人を考える(8)  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/9/4(日) 12:49  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ワン太郎さん:

とうろうさんにおこられそうですが、寄り道しちゃいますね。ワン太郎さんの感想を読んで、かなり脳みそが刺激されたもので、どーにも止まらない。それに、それほど寄り道にはならない話ができそうな気もしますし。

犬をパートナーだと言える人が、日本人の中にも増えてきているのを、ぼくも感じていて、そのことで希望の明かりが見えていることは確かです。サラママさんだって、きっとサラちゃんのことをパートナーと思っていることでしょう。しかし、日本では、一般に、犬をそのように見ることのない人、あるいは、見ようとしない人が、まだまだ多いですよね。

老人党掲示板に集う人は、社会的関心の強い人が多いにちがいないと思うのですが、そういう人たちは、犬の権利についても関心を示してくれる傾向があるようです。犬を弱者と見ることができるからでしょう。それと、やはり、イマジネーションといいますか、弱者の痛みを感じとる感性みたいなもの、これがあるかないか、そこが問題だと思います。

「英国をそのまま真似をする」というのは、ぼくの結論にはならないでしょうね。明治維新からの日本の歴史を見ればわかる通り、英国のまねごとは、日本人の精神のレベルまでには到達しなかったのじゃないでしょうか(たとえば、大隈重信の立憲改進党の挫折)。大正時代の初期に日本橋の丸善がバーバリーを英国から輸入したことにより、バーバリーは、祖父や父の世代の人にとって、レインコートの代名詞になっていたようです。物質的のことでは、かなり英国ふうの文化が日本にあることはあるのでしょうね。

しかし、犬の問題は、精神的な問題として考えなくてはならない、とぼくは思うのです。制度だけをまねても解決はしない問題。日本人の国民性というものに関係する問題だと思うのです。だから、政治的というよりも、教育的な問題として考える必要がある(もっとも、教育は政治の影響下にありますが)。そして、教育の問題は、歴史的な問題と深くかかわっている。その辺のことが、今回の作文の主題になっているつもりなんです。ワン太郎さんのおっしゃるように、日本人が「創り出すべき」何ものかについて、問題提起しようと思っているのです。

ぼくは学生時代からジョン・レノンのまねをして、今でも、鼻あてのない小さな丸いメガネをしていますが、最近の子どもは、ハリー・ポッターみたいだとしか言ってくれないんです。しょせんまねごととは、その程度のことなんですね。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):犬と日本人を考える(8)  ■名前 : 退役軍人  ■日付 : 05/9/4(日) 16:29  -------------------------------------------------------------------------
   BadBlokeさん、ワン太郎さん、こんにちは。

無類の動物好きを自認する退役軍人です。
その昔、隣の建物がK-9部隊だったりしたこともありますし、物心ついたころは我が家(父親の実家)には農耕馬が居たりして、私の感覚としてはパートナーというよりも。

家族とか、仕事仲間と言うほうがしっくりきます。

▼BadBlokeさん:
>しかし、犬の問題は、精神的な問題として考えなくてはならない、とぼくは思うのです。制度だけをまねても解決はしない問題。日本人の国民性というものに関係する問題だと思うのです。だから、政治的というよりも、教育的な問題として考える必要がある(もっとも、教育は政治の影響下にありますが)。そして、教育の問題は、歴史的な問題と深くかかわっている。その辺のことが、今回の作文の主題になっているつもりなんです。ワン太郎さんのおっしゃるように、日本人が「創り出すべき」何ものかについて、問題提起しようと思っているのです。

但し、生理的に犬を受け入れられない人たちの存在も忘れてはならないと思いますよ。

犬の抜け毛でアレルギーを引き起こしてしまう人だっているし、犬の体臭は獣の匂いそのものですからね。それに、鳴き声や吠える犬に敏感な人だって少なくはない。

都市部では、集合住宅に住むしか選択肢がない人が多いでしょうし。

こういった人たちへの配慮を欠いた飼い主のなんと多いことよ。

>ぼくは学生時代からジョン・レノンのまねをして、今でも、鼻あてのない小さな丸いメガネをしていますが、最近の子どもは、ハリー・ポッターみたいだとしか言ってくれないんです。しょせんまねごととは、その程度のことなんですね。

イギリスにはバーミンガムにしばらく居ましたし、アイルランドに長く通ってましたので、彼らの犬との間合いは見習うべきものがあると思います。

ただ、彼らの持つ犬との間合いや、犬に対する社会の寛容というか理解を、そのまま日本に水平展開出来るとは思いません。あまりにも環境が違いすぎると思うから。

私や私の家族も数年前まで、ジャーマンシェパードとマンションの最上階で暮らしていました。ペットが飼えるという条件で探したマンションでしたから、それなりの設備もありましたし、10m四方の広いベランダもありましたから。

色々な問題がありましたよ。

犬と暮らすというのは、天寿をまっとうするまで面倒を見るという強い意志が必要だと思います。

それと犬を嫌う人たちに、きちんとした説明をして理解を得る努力が必要であるということと、責任をもったしつけや飼育の態度が肝要かと。

過去に我が家で暮らした犬たちは、みんな私の家族でしたよ。

犬好き退役軍人でした。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):犬と日本人を考える(8)  ■名前 : ワン太郎  ■日付 : 05/9/5(月) 13:47  -------------------------------------------------------------------------
   ▼退役軍人さん:

>ただ、彼らの持つ犬との間合いや、犬に対する社会の寛容というか理解を、そのまま日本に水平展開出来るとは思いません。あまりにも環境が違いすぎると思うから。

おっしゃる通りで<犬との間合いや、犬に対する社会の寛容というか理解>は
日本人が真似してできるようなものではないと感じます。
<環境>というより「民族の血の違い」からの差、という気がします。

>犬と暮らすというのは、天寿をまっとうするまで面倒を見るという強い意志が必要だと思います。

私は長年「犬は雑種」と決めてきました。
しかし、一昨年天寿を全うした3代目の“ワン太郎”(私のHNはこれから)の後に考えたのは、
次に飼うのは「自分にとって最後の犬」となるであろう ― 犬の寿命と私の健康寿命はほぼ同じとなる ― ことに気がつきました。

終の棲家ならぬ「終の伴侶」であるなら慎重にしなければと「ベストパートナー選び」の研究を重ねた結果、バーニーズ・マウンテン(♀)に行き着きました。
結果は「正解」だったと確信しております。

彼女のために 車をワゴンタイプに替え、庭を拡張し(植木の小さなものはすべて友人に譲り)、フェンスの嵩上げを行いました。
これを見て「(古くからいる)もう一人の伴侶」はかなり怒っておりますが、私は満足しております。

計算違いは、まだ一歳半の彼女は 車の中でオトナシクしていられず、私の運転操作に支障が生じる ということであります。
これも来年には折り合いをつけるべく 彼女に言い聞かせている最中です。
(オトナシクしないと 旅行に連れて行ってやらないぞ・・・と)

>それと犬を嫌う人たちに、きちんとした説明をして理解を得る努力が必要であるということと、責任をもったしつけや飼育の態度が肝要かと。

私の彼女に施す「しつけ」は「人に迷惑をかけない」の一点デアリマス。
それ以外は、私の「しつけ」がマトモではないのに、彼女を「しつける」というのは おこがましい気がして「自然な付き合い」で通しております。

>過去に我が家で暮らした犬たちは、みんな私の家族でしたよ。
>犬好き退役軍人でした。

「犬好き」というより「ほとんど犬」のワン太郎デアリマス。
 “グルルーグル ウー ワァオー”
 (訳 : “これからもヨロシク オネガイシマス”)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 働く犬達  ■名前 : 退役軍人  ■日付 : 05/9/5(月) 15:24  -------------------------------------------------------------------------
   ワン太郎さん、こんにちは。

▼ワン太郎さん:
>▼退役軍人さん:
>
>>ただ、彼らの持つ犬との間合いや、犬に対する社会の寛容というか理解を、そのまま日本に水平展開出来るとは思いません。あまりにも環境が違いすぎると思うから。
>
>おっしゃる通りで<犬との間合いや、犬に対する社会の寛容というか理解>は
>日本人が真似してできるようなものではないと感じます。
><環境>というより「民族の血の違い」からの差、という気がします。

アイルランドに足掛け五年ほど通っていました。
仕事なんですが、親戚もいますから。

親戚のところは、ドネガル(ダニーゴールと発音する人多し)近くで農業をやっています。ここに牧羊犬一家(ボーダーコリー)がいるのだけれど、こいつらが実に良く働くのよ。

賢い奴らで、最初に訪ねた時は一頭ずつ私に近づいてきて【品定め】しやがるし。(笑

羊の群れを移動させる時なんか、生き生きしてますよ。
アイルランドの農業(牧畜)には、なくてはならない存在ですね。
親戚も言ってたけれど、一緒に働く仲間なんだそうです。

こういった伝統というか、文化は我々の国にはありません。

>しかし、一昨年天寿を全うした3代目の“ワン太郎”(私のHNはこれから)の後に考えたのは、
>次に飼うのは「自分にとって最後の犬」となるであろう ― 犬の寿命と私の健康寿命はほぼ同じとなる ― ことに気がつきました。

うーん、思い出すなぁ。
リメリックの近くにエニスという町があるんだけど。
泊まってたホテルのパブに毎晩やってきて、パイントギネスを二杯飲んで帰るおじいさんがいました。

毎晩、このおじいさんに付き添ってくる老犬。
いつも決まったテーブルに座るおじいさんの足元にうずくまっておとなしく待ってる。帰る時は、そっと寄り添っておじいさんのゆっくりとした歩調に合わせて歩きながら、時々おじいさんを見上げてる。

ああ、心が通い合ってるって思いましたよ。
周りの人々が、こういった状況を温かく見守っているんですよね、こんなのは、数十年単位で出来上がるものじゃあないだろうし。

>これを見て「(古くからいる)もう一人の伴侶」はかなり怒っておりますが、私は満足しております。

そっ....それは、まずいっす。ヒジョーにまずい。
私なんざ、嫁さんに【ノー】って言えた試しがない。

三十年も前の出来事をいまだに憶えていて、チクリとやられてます。(号泣......

デートの待ち合わせで、たまたま通った「セクシーなお姉様」に視線を飛ばしたってだけのことですよ。

たったそれだけのことで、平手打ちは喰うは......三十年経ってもチクリと刺されるわ。

>私の彼女に施す「しつけ」は「人に迷惑をかけない」の一点デアリマス。
>それ以外は、私の「しつけ」がマトモではないのに、彼女を「しつける」というのは おこがましい気がして「自然な付き合い」で通しております。

我が家はずーっと大型犬(ジャーマンシェパード)ばかりでした。
大型犬であるが故に、人に迷惑をかけない躾けが難しくて、専門の訓練所に預けて訓練をしてました。

訓練を入れて躾けると、寿命が短くなってしまうけれど、これはしかたがない。日本という環境で、人との関係を維持して一緒に暮らそうとすれば避けては通れません。

ジャーマンシェパードって見かけはこわもてだけれど、実はひょうきんでドジな犬なんです。我が家で暮らした犬達のドジ話を書いたら、一冊の本が書けそうなぐらい。(笑  無類の子供好きですしね。

>「犬好き」というより「ほとんど犬」のワン太郎デアリマス。
> “グルルーグル ウー ワァオー”
> (訳 : “これからもヨロシク オネガイシマス”)

あはは、じゃあ

"ウー バウ"(訳:ヨロシク)

失礼いたしました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):働く犬達  ■名前 : ワン太郎  ■日付 : 05/9/5(月) 16:18  -------------------------------------------------------------------------
   ▼退役軍人さん: こんにちは

「犬の話」になると「止まりません」

>親戚のところは、ドネガル(ダニーゴールと発音する人多し)近くで農業をやっています。ここに牧羊犬一家(ボーダーコリー)がいるのだけれど、こいつらが実に良く働くのよ。
>賢い奴らで、最初に訪ねた時は一頭ずつ私に近づいてきて【品定め】しやがるし。

「パートナー選び」の最終候補にバーニーズとボーダーコリーが残りました。
いづれも半日ほど一緒に過ごさせてもらったのですが、
ボーダーコリーは 賢さが「鋭すぎる」感じがして、自分が30歳頃なら「いい相手」となったかもしれませんが、
老いぼれのワン太郎では「温厚な賢さ」のあるバーニーズが良さそうです。

後から聞きましたが、バーニーズは「子守犬」でもあるようで、孫の相手も上手なようです。

>泊まってたホテルのパブに毎晩やってきて、パイントギネスを二杯飲んで帰るおじいさんがいました。
>
>毎晩、このおじいさんに付き添ってくる老犬。
>いつも決まったテーブルに座るおじいさんの足元にうずくまっておとなしく待ってる。帰る時は、そっと寄り添っておじいさんのゆっくりとした歩調に合わせて歩きながら、時々おじいさんを見上げてる。

「それそれ!」 それが私の夢です。
いまのところは「ピチピチ・ギャル」なので、「I love you」を云い続けないと許してくれません(チョットわずらわしい)

>ああ、心が通い合ってるって思いましたよ。
>周りの人々が、こういった状況を温かく見守っているんですよね、こんなのは、数十年単位で出来上がるものじゃあないだろうし。

大体、犬を連れて飲みにいけるところ 自体が まず無い。
せいぜい喫茶店の前に待たしておく位が関の山。
(毎朝 主人のモーニングコーヒーにお供している柴犬がいます、トーストの残りをもらって 嬉しげにしています ・・・ 私は うらやましく見ています)

>>これを見て「(古くからいる)もう一人の伴侶」はかなり怒っておりますが、私は満足しております。
>
>そっ....それは、まずいっす。ヒジョーにまずい。
>私なんざ、嫁さんに【ノー】って言えた試しがない。

だから「目ぇつぶって(鬼のいないうち)」にやっちゃいました。

>三十年も前の出来事をいまだに憶えていて、チクリとやられてます。(号泣......
>デートの待ち合わせで、たまたま通った「セクシーなお姉様」に視線を飛ばしたってだけのことですよ。
>たったそれだけのことで、平手打ちは喰うは......三十年経ってもチクリと刺されるわ。

御愁傷さま、としか言いようがありませんね。

>訓練を入れて躾けると、寿命が短くなってしまうけれど、これはしかたがない。日本という環境で、人との関係を維持して一緒に暮らそうとすれば避けては通れません。

それなんですね、人との付き合い方をシッカリ教える(しつける)というのは、
かなりのストレスを与える、ということのようですね。

ですから「人に迷惑をかけない」以外の躾はしない・・・ということにしました。

>ジャーマンシェパードって見かけはこわもてだけれど、実はひょうきんでドジな犬なんです。我が家で暮らした犬達のドジ話を書いたら、一冊の本が書けそうなぐらい。(笑  無類の子供好きですしね。

「ドジ」で比べりゃバーニーズだって ・・・ 「親バカ」ですね。

>あはは、じゃあ
>"ウー バウ"(訳:ヨロシク)

"ウー ワァオー" (訳 : ヨロシク ・・・ のギャル言葉でアリマス)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):犬と日本人を考える(8)  ■名前 : とうろう  ■日付 : 05/9/6(火) 14:52  -------------------------------------------------------------------------
   ▼BadBlokeさん:こんにちは。

「とうろう」が楽しみにしていることを意識いただいたこと、感謝いたします。

先には、失礼コメントを申しました。

英国仕込み??の人権論?を期待しています。

いずれにしても「レジメ」あるいは「結論」楽しみです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 犬と日本人を考える(9)  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/9/5(月) 8:03  -------------------------------------------------------------------------
   興味深い感想が立て続けに飛んでくるので、気になってしょうがないが、ともかく先を続けることにしよう。

私はこの作文で、いくつかの主張をすることになるだろうが、その中でも特に強調したいことがあって、それはおそらく、ここまでがまんして読んでくださった方にも、予想外のことになるのではないか、と思う。ならば、なぜ一気にそこのところをぶちまけてしまわないのか。そう疑問に思う人も少なくないだろう。たしかに、どんなことであろうが、胸の内をぶちまければ、たいていはスッキリするにちがいない。が、しかし、いくら本人がスッキリしたところで、かんじんの読者に本意が伝わらなければ、どうしようもない。もちろん、どうしようもなくても、どうでもいいような話なら、どうでもいいのではあるが。

私はモンテーニュをまねて、読者を悠久の彼方へ運ぼうとたくらんでいるのではない。また、もちろん、老人党掲示板を借りて、作文の練習をしているわけでもない。私には、ハッキリと伝えたいことがある。そして、それは結論だけを述べてすませられるような話ではないのだ。つまり、どうでもいいような話ではない。私にとってだけでなく、日本人全体にとっても。そう私は思っている。

ここで、少し気になっていることを話そうと思う。私はすでに、日本的な犬の飼い方を批判するようなことを述べた。私の意図することは、けっして、人を非難したり、こころを傷つけようとすることではない。吉田健一にもう一度登場してもらえば、「人間に対しても意地悪をする気になかなかなれない」おおかたの英国人のように、私も人を傷つけるようなことは、できる限りしたくないと思っている。

ある程度の予想はしていたが、老人党関係者の中には、犬好きの方が多いようだ。なださん自身が犬好きであろうことは、若いころに読んでいた著書の中で、うすうす気がついていた。たとえば、こういうのがある。

たしかに、T家の犬は、素晴らしい犬だ。お客好きだ。決して吠えたり、咬みついたり、失礼なことはしない。お客が来ると、体全体で喜びを示す。ただ、たった一つ、私の子供時代の喜びの表現とは、ちがったところがある。T家の犬は喜んでお客の足にとびつき、そこで喜びのあまり小便をもらすのだ。(「娘の学校」より)

T家のその犬は、結局、家を追い出されてしまう。まさか捨てられたわけではないだろう。おそらく、家の外につないで飼うようになったのだと思う。なださんは、この出来事を通して、「善はあくまでも善なのだが、度をすぎると人間にとって、つごうが悪くなるだけだ。人間は、自分にとって、つごうのよいものを、よいということと錯覚するだけだ」と言う。「世の中に人間にとってつごうの悪い善というものだってある」。こう言って、なださんは、T家の犬のことを思い出すたびに、このことを心にとめるよう、4人の娘さんたちにすすめるのだ。ぼくは、なださんの娘ではないが、犬といっしょの生活の中で、よくこのことを考える。

不思議だが、この「犬と日本人を考える」の中で、私がこれから話そうとしていることは、T家の犬の話と関係があることのような気がしている。人間の一方的なつごうというか、主観というか、そういうものでもって、勝手に善だ悪だと決めつけられると、犬のような弱い動物は、発言のチャンスも与えられずに、人間社会から追い出されてしまう。これでは動物たちがあまりにもかわいそうだ。そして、そういう人間のつごうが権力をもっている社会では、動物だけでなく、人間自身のあり方にも、ゆがみというか、大きな問題が生じてくるのではないだろうか。(つづく)

              ―9―

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 犬と日本人を考える(10)  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/9/7(水) 14:09  -------------------------------------------------------------------------
   私は「だれよりもまず犬の飼い主の常識が変わる必要がある」と書いたが、いよいよそのことを具体的にお話するときが来たようだ。しかし、その前に、私は北海道のシカの話をしなければならない。ああ、いつになったら犬の話に決着がつくの? そう心配される方がいらっしゃるだろうか。なに、モンテーニュさんほどには冗長にならない予定でいるので、もうちょっとがまんしてもらえませんか。

エゾシカが増えて人間の生活に被害を与えているという話は、みなさんもどこかで耳にされたことだろう。しかし、なぜエゾシカがこんなに増えてしまったのかということを問題にするマスコミは、あまり見かけないようだ。<被害>という言葉を使う以上、エゾシカを加害者と断定しているのだろうが、実は、本当の加害者はほかにいたらしい。

時はやはり明治にさかのぼる。北海道開拓顧問であった米国人エドウィン・ダンは、新冠(ニイカップ)に馬の大牧場をつくった。ところが、彼の馬はオオカミに襲われてしまう。新聞の見出しふうにいうなら、<ダン氏の牧場、オオカミに襲撃される!>とでもなろうか。とにかく、ここでも<被害>であった。ダン氏は腹を立てたにちがいない。実際、彼は腹だけでなく、オオカミを毒殺する計画を、立てた。そのために使用されたストリキーネという毒薬は、相当な量だったようで、東京と横浜の在庫は切れて、米国から輸入されるほどだったという。

同じく開拓顧問だったライマンは、オオカミを殺した者に賞金を出すことを提案した。そして、一頭につき7円から10円の賞金がかけられたが、これは今の貨幣価値からすると、10万円近い値になるというから、フリーターでなくともやる気が出たにちがいない。こうして多くの開拓民がオオカミ撲滅作戦に協力することになり、1900年頃には、ついにエゾオオカミは地球上から姿を消してしまった。

さて、ここまでは、人間の<つごう>という視点から歴史を振り返ったのだが、もの言えぬ動物たちの視点も考慮してこそ、弱者をたいせつにする老人党というものだろう。

オオカミはなぜ牧場を襲ったか? 主な原因は、人間(ハンター)によるエゾシカの乱獲であった。シカはオオカミにとっては主要な食糧だったから、エゾシカの減少は、彼らにとっては生きるか死ぬかの重大な出来事だった。それに追い討ちをかけたのが、1879年の記録的な大雪。これでエゾシカの頭数は一気に減少した。

オオカミは、なわばりを非常にたいせつにする動物で、他の群れのなわばりを侵すことはしない。フェアというか、ヒトのように他国に侵略するなんてことは絶対にしないのだ。牧場にしたって、もともとはオオカミのなわばりにヒトが勝手に侵入してきて商売を始めたのじゃないのか。しかも、そのヒトってヤツは、彼らの食糧(エゾシカ)を奪っていたのだ。オオカミは子どもをとってもたいせつにする。人間の子どもまで育てるくらいだ。腹をすかして泣く子がいれば、危険を冒して人間の住む場所にでも向かうだろう。

今、エゾシカが増えて民家に近づくようになったのは、彼らの食糧もまた自然の中には少なくなったからだろう。オオカミが生き残っていれば、シカがここまで増えることもなかったわけで、結局、この地球上のたいていの惨事と同様に、すべての原因は人間の<つごう>にあるといえるようだ。人間は相変わらず<被害>などと言って腹を立てるが、本当の加害者は、動物たちではなく、自然の秩序を破壊した人間だったのだ。(つづく)

             ―10―

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 犬と日本人を考える(11)  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/9/18(日) 0:56  -------------------------------------------------------------------------
   唐突にシカなどが登場したので、ゆき先に不安を覚えた方もいらしたかもしれない。それでもオオカミが出て来たのだから、だいぶ犬に近づいたと思っていただいてけっこうです。

オオカミが絶滅したせいでシカが増え、そのことで今、人間に被害があるとしても、あの<怖い>オオカミがその辺でウロウロしているよりはいい、なんて思う人もいただろうか? 世の中には、おとなしくしている犬を見てさえ、ただオオカミなみに大きいというだけで悲鳴を上げる人がいる。私はネット上の掲示板で、「この世から犬がいなくなればいい」とか、「大型犬は公園に入れないでほしい」なんて書き込みさえ見たことがある。

しかし、だいたい野生のオオカミを実際に見たことのある人がいるのだろうか。見たくともたいていは絶滅させられてしまったのだから、どうしようもない。前回も述べたとおり、オオカミは非常になわばりをたいせつにするので、よそ者が近づくと、一億玉砕というほどでもないが、ともかく、なわばりは守ろうとする。ある程度の距離が離れていれば、むやみに威嚇されることはないが、必要以上にオオカミに近づけば、牙をむかれるにちがいない。しかし、こちらから宣戦布告せずにその場を去れば、あとを追って襲ってくることはしないだろう。基本的にオオカミは平和主義なのであり、決して凶暴な猛獣ではないのだ

オオカミが尻尾を垂直に立ち上げて牙を見せたとすれば、「できるならば暴力は避けたいから立ち去ってほしい」という意思表示だと解釈する必要がある。人やほかの動物に危害を加えないような犬でも、場合によっては、同じように牙を見せることがあるだろう(たとえば、自分のおやつをほかの犬が奪おうとしたときなど)。その信号の意味を正しく読み取って対処すれば、そういう犬に実際に咬まれるということはありえない。ただし、これは社会性の身についた犬のばあいであって、日本などでよく見られる社会性のない犬のばあいには、ただそばを通りかかっただけで、鬼畜米英の勢いで攻撃される可能性はある。

それで思い出したが、私の幼少時代のこと、ある家の前を通りかかったら、玄関から小さな犬が飛び出してきて、いきなり私に飛びかかり、お尻にガブッと咬みついた。私は病院に連れて行かれたが、その犬のことが気になってしょうがなかった。子どもを咬んだ犬は、きっと警察に逮捕されて死刑になってしまうのじゃないか。確かそんなことを心配していたようだ。お尻の傷はその後もしばらくは残っていた記憶があるが、最近は風呂場の鏡で自分の尻を眺める余裕もなくなったので、今も残っているかどうかは不明である。(つづく)

              ―11―

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 犬と日本人を考える(12)  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/9/24(土) 17:45  -------------------------------------------------------------------------
   私が日本のある地方都市に滞在していたころの体験を話したいと思う。その都市の名を明かさないのにはわけがある。当時、私はインターネットの愛犬家グループで活発に投稿していたのだが、東京とその都市を比較するような内容が目立ったせいか、郷土愛に燃える人から非難されるという経験をしたのだ。私の気持ちとしては、なにも東京がえらいということを主張したかったのではなく、犬の幸福のために、東京と地方の区別なく、日本人の常識が変わる必要があることを強調したつもりだった。

それより以前、東京で生活していたころ、国際的なBBCのグループで犬の問題を論じていたときには、私は東京の犬事情の問題点を指摘していた。実際、パリ在住の英国人から、「もしどうしても東京がいやになったら、パリに来るといい。こちらでは、犬も人間と同じ権利があるからね」とメールをもらったこともある。東京にいたころは、自分の生活圏の文化が日本文化の典型くらいに思っていたかもしれない。もちろん、同じ日本であっても、地方によって文化のちがいのあることは私にも想像はついた。だが、犬事情はそれほどちがいはないように思っていたようだ。

ところが実際は大いにちがっていたのだ。まず気づいたのは、私の大きな犬をあからさまにこわがる市民の目立つことだった。そして、公園に犬がいないこと。地元の人の話では、その公園には犬が入れないことになっているらしく、実際、私は「犬の立ち入り禁止」という看板が立てられているのを見た。ところがよく見ると、そこは市営の公園であるのに、看板には町内会の名が書かれてあった。私はすぐに市役所に電話して事情をたずねた。職員が言うには、市営公園で犬の立ち入りを禁止している公園はなく、おそらく町内会の名を勝手に使った犬ぎらいのしわざだろう、という話だった。そして、その日のうちにその看板を撤去してくれた。

              ―12―

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 犬と日本人を考える(13)  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/9/24(土) 18:00  -------------------------------------------------------------------------
   公園は、犬にとっては、社会性を身につけるための学校のようなものである。公園に犬の立ち入りを禁止するとすれば、当然、社会性のない犬が増えていくことになる。実際、その公園周辺の犬には、通りですれちがうたびに、私の犬に向かって、親のカタキといわんばかりに吠えまくる犬が目立った。こういう環境にあっては、悪い方向へと犬の文化が形成されていくことは容易に想像がつく。子犬も子供も、犬との関係において協調性が身につかず、犬ぎらいの犬や人間が増えるにちがいない。実際に、その都市での生活で私が感じた第一印象は、そうだった。

東京を離れてみて、東京の私の生活圏の文化が、こと犬に関しては、それほど悪くはなかったことに気づいた。近所の公園は管理人が数人常駐している公園だったが、早朝から深夜まで、いつも多くの犬がのびのびと散歩し、リードをはずされ楽しそうに遊んでいた。大きな犬がそばにいても、幼児を連れた母親がそれを迷惑に思うような様子はなかった。こういう光景は、英国ならロンドンから田舎まで、ごく日常的なものだろうが、どうやら日本ではちがうらしい。その疑問を確かめるために、私はすでに述べた日本人の愛犬家グループに参加したのだった。

そこで知ったことは、私の予想していたとおり、日本全体として見たばあい、私の東京での生活圏の犬事情がむしろ特殊であって、多くは当時私が滞在していた都市の事情と似ているということだった。それだけではない。私がいちばん衝撃を受けたのは、犬の飼い主たちの常識が、私とはかなりちがっていることだった。

私はその都市でこういうことを経験していた。ある大きな公園で散歩していたときのことだ。その時、私の犬はリードをせずに横たわっていた。そこへ小さな犬を連れた婦人が近づいて来た。その人は、私の犬の前にしゃがんで、いかにも私の犬が気に入ったという表情でほほえんでいた。そして、私の犬にこう言った。「あなた、大きいけれど、おとなしくて可愛いわね」。私はすでに、その都市での経験上、犬の飼い主の中にさえ、大きな犬をこわがる人の存在を知っていた。だから、その人の「大きいけれど」という表現の中の<けれど>の意味合いを感じることができた。

その人の小さな犬が私の犬に近づいて来たときだ。彼女は、あわてて自分の犬を引き離し、「ダメよ近づいちゃ、咬まれるわよ!」と言った。さすがに、これには自分の耳を疑うほどに驚いた。私はその後、ネット上で出会った日本の<愛犬家>たちの多くも、これと似たような感覚をもっているらしいことを知ることになる。

              ―13―

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):犬と日本人を考える/寄り道しないで早く終わって  ■名前 : とうろう  ■日付 : 05/9/3(土) 22:15  -------------------------------------------------------------------------
   ▼BadBlokeさん:旧ハンドル名<トビパパ>

こんばんは。

未だ終わってないようですね。早く、寄り道しないで、結論付けてください。
何だか、衆愚にお教え頂く様なコメントのようで、わくわく楽しみにしています。

宜しく。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):犬と日本人を考える/寄り道しないで早く終わって  ■名前 : サラママ  ■日付 : 05/9/3(土) 22:49  -------------------------------------------------------------------------
   とうろうさま
ははは   衆愚とは恐れ入り谷の鬼子母神 全て私の書き込みがずれました。
英国紳士「悪いやつ」さんリセットしてくださいね。がーんばれ

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):犬と日本人を考える/寄り道しないで早く終わって  ■名前 : とうろう  ■日付 : 05/9/3(土) 23:17  -------------------------------------------------------------------------
   ▼サラママさん:

こんばんは。

>とうろうさま
>ははは   衆愚とは恐れ入り谷の鬼子母神 全て私の書き込みがずれました。
>英国紳士「悪いやつ」さんリセットしてくださいね。がーんばれ

少しく、ご説明いただけませんか。

私には何が何だか分からないのです。本当に。

宜しく。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):犬と日本人を考える  ■名前 : キタキツネ  ■日付 : 05/9/4(日) 16:15  -------------------------------------------------------------------------
   全文読みました。ツリーの関係上こちらにレスします。

 私も大の動物好きです。若い頃一時期家畜共済の仕事をしていた事があります。牛や馬の保険を取り扱う仕事です。

 獣医がロートルだったので、よく獣医の仕事を手伝いました。「鼻捻り」を掛けて虫下しをゴムチューブで飲ましたりするのです。馬は非常に賢い動物で、伝貧(伝染性貧血症)に罹ると法令殺にするのですが、そのときにはムードで分かるのか、いやいやをして抵抗するのです。その光景を今でも夢に見ることがあります。

 馬は経済動物でペットじゃありません。その役目は輓馬は車に、農耕馬は農機具に取って代わられ、競走馬を除いては北海道で「輓馬(ばんば)競争」として、細々と生き延びるだけです。走れなくなれば即、肉として売りに出されます。

 前置きが長くなりましたが、そういう意味で「犬」は幸せです。
私も犬は大好きで、20年前に「トイ・マンチェスター・テリア」を飼っていました。ドーベルマンを小型にしたような犬で、ねずみを獲るのが大の得意。非常にすばしっこく、利口な犬でした。

 その犬が、家族全員で交通事故に遭い、救急車で運ばれた事があります。犬は救急車に乗せられないと言われました。 私は血だらけになりながら、「犬も家族だ!」と言って、なんとか乗せてもらった経験がありました。 犬も20針ほど縫う重傷でしたが一命を取りとめ、その後、8年間生きました(享年15歳)。死んだときは、人間並みに葬儀をやり、手厚く葬ってやりました。

 今は犬を散歩させる事が出来ないため、飼いたくとも飼えませんので小鳥を飼っています。なんの動物でも共通しているのは、人間が思うほど動物はけっして馬鹿じゃないって事です。因みに今飼っているインコはおしゃべりで、アイスクリームが大好きという変わり者で、平均寿命を既に過ぎ満10歳を超えました。

 しかし、動物と共生していくことは難しい事ではあります。長い間培われてきた歴史、文化というものがありますので……。行き過ぎた”愛護精神”も時には問題を興します。願わくは、全ての生き物は、大きな地球規模で見ると食物連鎖のサイクルの中で万に一つの無駄はないのだから、この循環サイクルを壊してはならないと思います。

 おそらく、あなたは根底にそういう意味を込められているのでしょう。そう感じました……。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):犬と日本人を考える  ■名前 : 紅毛禄  ■日付 : 05/9/4(日) 19:41  -------------------------------------------------------------------------
   犬は好きだが飼えない、少ない年金と僅かの貯えの取り崩し、先のことは考えないで倹約する。お説を読んでいるとますます飼えない、出来そうもない。子供のころの「クロ」雑種で見栄えもわるいが弟のような家来のような犬だった、クロは権利なんか知らない、当たり前だ犬なんだから。人も権利の主張が出来ない、しない人もいる、そんな閑がないのだ。出来る人はやればいい。

尻尾を踏まれて群れからはぐれる犬、群れに返りたくて遠吠えをするが放っておけばいい、いずれ群れにこそっと戻る、さみしいのだ。

英国人は狐狩りをやめたそうだ、同じイヌ科でもキツネは貧乏くじを引いたんだ、愛犬家の国。

野良犬の兄弟がいた、一匹は拾われて犬小屋に繋がれたが飯にありついた、主人の家族は愛犬家なんで「チャコ」と呼ばれて可愛がられたが、もう一匹はあいかわらず野良犬、ご付近ではノラとよんでた、ノラは時折チャコに会いに来る、そこは兄弟だチャコの飯をノラが頂戴するときもあったようだ。うっすらと雪の朝空き地でチャコが白くなって頭を尻尾につけて寝ていた、そして動くことがなかった、隣の姉妹が手厚く葬ってくれてた、ノラの痩せていたが怪しそうな者が町内に来た時に吠えるのを頼もしく、思い出に浸った、悲しかった、ご近所は皆こっそり餌をやっていたんだ、チャコは二年後に死んだ、これも手厚く葬られた。今はご近所に三匹の飼い犬がいる、孫のように可愛い、だが我家では飼えない。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):野良犬と距離感  ■名前 : 蝦夷縞 ふく朗  ■日付 : 05/9/10(土) 12:39  -------------------------------------------------------------------------
    BadBloke さん、興味深く読ませていただいています。
まだ論議には突入したくないようですので、勝手なこと等を書かせて下さい。
いずれ、次に書くことも含まれていくのか、少し楽しみにしています。
自分自身、あまり整理して考えたことがなかったもので。

●昔は野良犬が結構いた。また、野犬が子どもを襲う事件も時々報じられていた。
ここで、「野良犬」は人間に危害を加えないもの、としておきましょう。

●生活にゆとりのなかった我が家では、犬を飼える状況ではなかった。
 夕方、玄関の外で、ぱたぱたと音がする。いつもほぼ決まった時間に来る犬がいる。しっぽで戸を叩いているのだろう。ちくわだとか魚肉ソーセージをやって嬉しそうにする様子を見ることが楽しかった。その犬はきっと、餌をくれる家を何件も持っているのだろう。

●早朝、街を歩くと、10匹ほどの野良犬の集団。様々な雑種で、大型西洋犬風のもの、小型のもの、子犬もいる。ただ、これは「野犬」に近くなるのかも知れない。さすがに少し怖かった。しかしこちらを気にするでもなく通り過ぎていった。

●子どもの頃、近所の子ども達と遊ぶとき、たまたま野良の痩せた黒い犬がいた。こだわりもなく子どもは犬と遊ぶ。そこへ野犬狩りがやってきた。おじさんは子ども達をやさしく諭して、犬を連れていった。誰が飼う、という決断は子どもだけでは出来ないから(その辺の子は風呂もない木造アパートの住人である。親は大概共働きだ)、連れて行かれるのを止めることは出来なかった。
 おじさんは何を思ったか、一人だけなら乗せてやる、という。僕が代表で乗ることになった。犬は針金で締まるようになったもので首をくくられ、トラックの荷台に縛り付けられた。
 どちらが先であったか、記憶が乱れている。おじさんが自分の家まで連れていってくれて奥さんが作ったインスタントラーメンをごちそうしてくれたこと、保健所で注射を打たれて犬が痙攣しながら死んでいったこと。

戻って、仲間達に顛末や様子を話し、そのときは沈痛な気分に溢れた。


●学生時代、早朝のアルバイトへ自転車で向かうとき、背後からカチャカチャと音がする。振り返ると、大型で胸が大きく足の長い猟犬雑種が追いかけてくる。一瞬、怖くなったが、真っ直ぐ前を見て呼吸も乱さず、横に並んできた。追い越すでもなく、同じスピードを保っている。ああ、これは走りたいんだ、走る相手がほしいんだ、とわかった。スピードを上げ、しばし朝の風を楽しんだ。

●小学校に上がる前であったか、近所にアカとクロという毛の長い犬がいた。野良ではなく、放し飼いの飼い犬だったと思う。アカに頭の上から手を出してなでてしまったものだから、ももに噛み付かれた。泣いていると、近所のおばさんがメンタムを塗ってくれた。上から手を伸ばしていけないことは、その後、子供雑誌で知ることになる。それでも犬を嫌いになることはなかった。今ならうるさいことになっていただろう。アカとクロは、その後もどうということもなく、日常の中にいた。

●子供の頃は二回、犬を飼ったことがある。どちらもスピッツ雑種。始めは銭湯へ行くときに拾ったもの。犬を連れて走り回ったのは、健康的な一時期であったと思う。


●今は地域犬(?)がいない。大概誰かの所有物だ。自由さと緩い関係、それがほしい。近所にはたまたま飼い犬がいない。そのせいだろう、ときどきキタキツネが来る。しなやかなジャンプを見せてくれたり、砂あびをしていたり。一度だけ、猛吹雪の中で夫婦がじゃれながら雪あびをしていた。餌付けをする気はないが、地域犬がいない今、こうした姿を見られるだけで良しとするか。
エヒノコックス(今はエキノコックス)が広まってしまったのは、人の近くに放し飼いの犬・野良犬がいなくなったせいではないか? または飼い犬を人間の都合で遠くへ移動させたせいではないのか?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):野良犬と距離感  ■名前 : 蝦夷縞 ふく朗  ■日付 : 05/9/10(土) 12:40  -------------------------------------------------------------------------
   ●台湾の犬。多くを見たわけではないが、何となく卑屈な感じを漂わせる。おどおどしているように感じる。ゴミあさりをして人間にこっぴどくしかられているのか? でも、繋がれない犬がいるのはいい。台湾の人は、犬とどういう距離感で生活しているのだろうか。

●江戸時代の庶民と犬の関係はどうであったのだろう。使役犬ではないものと、庶民はどうつきあってきたのだろうか?

●山の中の放し飼いの犬。ある用事でそのお宅へ行くことになった。車を降りると、小さめの白い犬が吠えてくる。「用事で行くだけだからね、通してね」というと吠えるのをやめた。しかし用心深く、離れない。用事が終わってご主人と別れ帰るとき、来たときの猜疑心に満ちた目の色は消え、僕の前を歩き、坂を上り、何度も振り返りつつ道案内をしてくれた。

●ヒグマが人を襲うことは良く知られている。オオカミはどうなのだろう。絶滅してかなりたつので、良くわからない。家畜を襲う話はあるが、山菜採りで山に入った人まで襲うのだろうか?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):野良犬と距離感  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/9/11(日) 7:38  -------------------------------------------------------------------------
   ▼蝦夷縞 ふく朗さん:

とても脳みそを刺激する感想を送ってくださり感謝します。どうやら、ふく朗さんには、ぼくの意図が見えていらっしゃるみたいですね。あるいは、もともと問題意識に共通するものがあったのでしょうか。

このスレッドの投稿に少し間があいてしまって、気になっていたのですが、あと24時間ほど、ほかのことに集中しなければなりません。このテーマはぼくにとってライフワークとも言えるもので、優先順位ではトップに位置してもおかしくない重大な問題なのですが、あまり重要でない問題にかかわらなければならないことが、この世にはつきものだから困ります。

オオカミのことなど、ふく朗さんの疑問に答えるような内容が、次回の予定になっています。それでは、乞うご期待!(またのご感想を楽しみにしています。)

BadBloke

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):野良犬と距離感  ■名前 : サラママ  ■日付 : 05/9/11(日) 19:06  -------------------------------------------------------------------------
   ふく朗様とても感動する文章でした。私の幼児体験とも重なる処もあり、目を細めるとあの頃のわんこちゃんが目に浮かんできます。野犬狩りが来ると判ると家で飼ってる犬までも家の中に入れたものでした。子供心にそれほど怖い存在でした。昔は飼っている犬も放して、子供が遊ぶ時など一緒に付いて来て守ってくれたりしたものです。それでも学校などに行ってるときに保健所に連れて行かれたりして、その頃少なかったタクシーで兄や姉が引き取りに行ってくれた事など思い出しました。今私の相棒は処分寸前助けた仔です。とても優しい目をしたいい仔です。あの頃はわんちゃんの寿命はとても短かった。今は5月から11月まで毎月フロントラインで蚤とダニから守り蚊からフィラリアを守り先代も18年生きてくれました。
喜ばしいことですが、その反面老犬や、病気、繁殖からはじかれた仔等が捨てられたり、持ち込まれたりしている現状があります、区や都等で里親希望者にあげたりしてますが、氷山の一角でしかなく、ボランテア団体が殆ど引き受けているのではないでしょうか、空前のペットブームに国はもっと力を入れて、何年か先にみえてくる悲劇に対処してほしいものですね、ふく朗様今は又都会では経験できない所にお住まいのようですね、そちらのお話も魅力です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):野良犬と距離感  ■名前 : 蝦夷縞 ふく朗  ■日付 : 05/10/19(水) 22:24  -------------------------------------------------------------------------
   何か、過去ログへ追いやられてしまいそうなので、あえて書き込みします。書き込み数が満杯になってしまうと、たちまち過去ログへ追いやられるようですので、BadBlokeさんの書き込みが一段落するまで余計なことは書くまい、と思っていたのですけど。

サラママさん、感動していただいて恐縮です。ここに書き込まれた皆さんの犬に対する愛情の深さには頭が下がります。しかしながら、ぼくは家畜に対しての見方はリアリストです。犬はもちろん好きですが、何年もつきあった飼い犬よりも、数分しかつきあわなかった野良犬や放し飼いの犬の記憶が鮮明なくらいですから。子供の頃は狐が町中に出ることはありませんでした。犬と人間の距離感が変わってしまったことが原因です。

團伊玖磨の「パイプの煙」というエッセイに犬の話が出てきます。記憶で書くので正確ではないかも知れません。
「野犬が子供を襲うという。恐ろしいことだ。僕はあのうるさくて恐ろしい犬が大嫌いだ。だから、中国人の友人が“犬はお好きですか”と聞いてきたとき、“はい、大好きです”と答えることになる。友人は犬料理の旨い店へ連れていってくれる。恨み重なる犬を食い尽くして僕は満足なのだ」
僕も犬料理を残酷などとは思わない。牛や羊をかわいいと思っても、食べることに何らの抵抗もない。ましてや人間を襲うようになってしまった犬など、誰もやらなければ僕が撲殺していいとさえ思う。

BadBlokeさんの結論はまだ読めていません。始めは、オオカミ復活論をぶちあげるのかな、と思っていましたが、どうも違うようですね。僕は野良犬復活論者であることが自分でわかってきました。BadBlokeさんが一段落したら、そのあたりまとめていきたいものです。RESは結構です、本論をおすすめ下さい。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):野良犬と距離感  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/11/1(火) 4:30  -------------------------------------------------------------------------
   ▼蝦夷縞 ふく朗さん:

>何か、過去ログへ追いやられてしまいそうなので、あえて書き込み
>します。書き込み数が満杯になってしまうと、たちまち過去ログへ
>追いやられるようですので、BadBlokeさんの書き込みが一段落する
>まで余計なことは書くまい、と思っていたのですけど。
>
おこころづかい感謝します。またまた脳細胞を刺激される感想を
いただきましたが、ぼくからの応答は、お言葉に甘えて、今回は
やめておきます。きっと、本文(?)の中で触れることになる話
だと思います。犬の肉を食することに関しては、ぼくにはふく朗
さんとは、かなりちがう考えがあります。そのことだけ、今は
述べておきます。それじゃ、また。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):犬と日本人を考える;人犬に会う  ■名前 : とうろう  ■日付 : 05/10/19(水) 22:53  -------------------------------------------------------------------------
   ▼BadBlokeさん:
>旧ハンドル名<トビパパ>さん、こんばんは。

途中で何かと言い、失礼を申しました。

英国仕込み?の「トビババ」さんと思っておりましたので、「犬」には、当然、一家言あり、行き着く先は?とも思っておりました。

しかし、すみません、このレスは、全てを読んだ上でのレスではありません。
単に(13)を確かめた上でのレスであり、ピント外れでしょうが、ネットの気安さでこの程度でレスさせて下さい。

犬については、上記「人犬に会う」と言う本で少しく学びました。
犬の本性、ヒトと犬の関わり方、そして、犬の変種の育成、犬の調教などなど。

犬のブリードについては英国の寄与が大きいと理解しております。猟犬の育種がその大本ではなかったのでしょうか。

「犬」は、人に仕えるものとして観る英国の考え方からは「正しい犬の調教」が生まれるでしょうし、

「犬」は、人の友達、ペットとして観る日本の多数の考え方からは、犬への甘やかしと、それに応えない犬への虐待あるいは放擲・・・等といった反応が出るのでしょうね。

多分、このような、「犬文化の違い、欧日文化の違い」を仰っていたのではないかと想像しております。

ピント外れであれば、ご容赦を乞います。

失礼。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):犬と日本人;人犬に会う/ピント外れ?  ■名前 : とうろう  ■日付 : 05/10/22(土) 23:25  -------------------------------------------------------------------------
   ▼BadBlokeさん:旧ハンドル名<トビパパ>さん。

こんばんは。

以下に、随分、勝手な弊レスを付けました。

若し、宜しければ弊「ピント外れかどうか」に、簡単にレスでも頂ければ嬉しいです。

これを、強要とは思われないですね。

失礼。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):犬と日本人を考える;人犬に会う  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/11/1(火) 6:05  -------------------------------------------------------------------------
   ▼とうろうさん:

返事が大変おそくなってしまい失礼しました。
>...
>犬については、上記「人犬に会う」と言う本で少しく学びました。
>犬の本性、ヒトと犬の関わり方、そして、犬の変種の育成、犬の
>調教などなど。
>
ローレンツのこの本は、いつか読もうと思っていたのに、いまだに読んでいません。彼は動物行動学の始祖と見なされている人でしょうから、ぼくとしては非常に関心のある学者であることは確かです。英国では、(ダハハ、やはり英国が出てしまいますね)、犬の教育書を書く人は動物行動学の専門家であることが多いようです。日本のように、獣医だとか、ケンネルクラブの偉い人なんかじゃなくて、ちゃんとした犬の教育家なんです。

小児科医が子どもの教育に通じているかといえば、そうとは限らないでしょうね。中には毛利子来氏(たぬき先生)のように子どもの教育に関心のある小児科医もいるのでしょうが。ここだけの話、日本人の獣医には、犬の教育のことが分かっていない人が少なくないようです。まして、ケンネルクラブのお偉いさんなんかは、全然ダメです。ぼくは一度、東京のケンネルクラブのえらい人、肩書きは忘れましたが、とにかくえらい人が書いた躾の本を古本屋で立ち読みしましたが、これだけは絶対してはいけないというようなことを飼い主にすすめているわけです。驚きましたよ。こんな本を初心者が買ってそのまま信じちゃ、日本にまた不幸な犬が増えると思って、ぼくはその本を買いました。100円でしたからね。ぼくはタバコは吸わないし、これくらいの無駄遣いがあってもいいでしょう。と、自分に言い聞かせて。

>犬のブリードについては英国の寄与が大きいと理解しております。
>猟犬の育種がその大本ではなかったのでしょうか。
>
そうだと思います。たとえば今や皆さんよくご存知のラブラドール。この犬種はもともとはカナダの漁師が仕事のパートナーとしていた犬らしいです。それを英国人が故郷に連れてきてブリーディングしたわけです。その過程で気性の荒さがなくなって、非常にフレンドリーな性格の犬になりました。もとは猟犬として育てられたのでしょうが、今ではいわゆるコンパニオンドッグとして多くの家庭で家族の一員として可愛がられているようです。ラブラドールと言えば、やはり盲導犬を思い浮かべる人が多いでしょう。盲導犬のブリーディングも英国人はじょうずのようです。

(すぐにつづく)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):犬と日本人を考える;人犬に会う  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/11/1(火) 6:16  -------------------------------------------------------------------------
   (つづき)

>「犬」は、人に仕えるものとして観る英国の考え方からは「正しい
>犬の調教」が生まれるでしょうし、「犬」は、人の友達、ペットと
>して観る日本の多数の考え方からは、犬への甘やかしと、それに
>応えない犬への虐待あるいは放擲・・・等といった反応が出るので
>しょうね。
>
英国人の犬の躾に関する考え方は、昔と比べるとだいぶ変わってきたようです。何で読んだのか今は思い出せないのですが、昔(たぶん半世紀以上前)に英国に渡った日本人が書いていたものだったと記憶しますが、街頭で出会った英国人が自分の犬に体罰を加えてしかっているのを見て、こういう厳しさがあるから英国の犬は行儀がいいわけだと感心するのですね。しかし、現代では体罰はしない育て方が主流のようです。そして、英国は今もお行儀のいい犬が多いのです。動物行動学的な躾の方法でやってるわけですね。ヒトの都合で勝手なことをしないで、イヌ本来の成長の段階を正しく(つまり科学的に)踏まえているのです。

>多分、このような、「犬文化の違い、欧日文化の違い」を仰っていた
>のではないかと想像しております。
>
>ピント外れであれば、ご容赦を乞います。
>
それほどピント外れではないかもしれませんが、とうろうさんのおっしゃるような典型的(と見なされているらしい)英国の犬文化が、実はその本質は別のところにあるらしいというのが、ぼくの気持ちとしてはあります。それと、日本人の<犬への甘やかし>ですが、これはかなり重大な問題だと思っています。別のところで、とうろうさんはこう書いていらっしゃいましたね。

 人が、犬・猫を「家族」と思うことと、「犬・猫」に、人を家族と
 思わせることとは違うのではないか

その<甘やかし>の問題は、これと関係しているように思います。犬を可愛いと思うのは、人にとって気持ちのよいことなわけで、それで犬が幸せになれるというものじゃないでしょう。実はこれ、ぼくの本論(?)のテーマのひとつです。テーマだらけのように思われるかもしれませんが、根本のところではひとつにつながることになっています。予定では。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):犬と日本人を考える;人犬に会う  ■名前 : とうろう  ■日付 : 05/11/1(火) 23:16  -------------------------------------------------------------------------
   ▼BadBlokeさん:こんばんは。

レス有難う御座いました。

ここは、読ませていただきました、ということで失礼します。

確かに、時代で「文化」は変わります。

私の犬の時代の文化であって、今に通用する話では無いかもしれませんね。

また、宜しく。失礼。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):犬と日本人を考える  ■名前 : コップ酒  ■日付 : 05/10/20(木) 7:34  -------------------------------------------------------------------------
   こんにちは。

きっと英国にもあるのだと思いますが、米国にもワンちゃん専用の
公園があります。ぐるっと囲いがされていて、園内ではリードを
離してもOKなんです。

わたしは時々、友人のワンちゃんを預かることがあって遊びに行くの
ですが、ドッグパークに来るワンちゃん達は体の大小に
かかわらず、みんなで楽しく追いかけっこをしたりボール遊びをして
遊んでいます。飼い主はその間、のんびりとおしゃべり。

お家に帰るワンちゃんがいると、それまで遊んでいたワンちゃん
達はみんな出口のところに来て、見送るんです。
尻尾をフリフリしながら、じーっと帰って行くワンちゃんとその飼い主を
ワンちゃん達が見守る姿は、いつ見てもかわいらしいです。

わたしはこのドッグパークで普段なら出会えないような色々な人達
とたくさんお友達になりました。そして「犬好きに悪い人はいないっ!」
という思いをますます強くしている今日このごろです。

ご存知かと思いますが、こちらのワンちゃんは飼ってからすぐに
注射とトレーナーに数週間預けて訓練を受けさせることが
義務づけられています(州によっても違うのかも?)。
このための出費は結構な額で、ワンちゃんを飼うには経済的な
負担の覚悟も要求され、それが法律できちんと
守られています(罰金アリ)。

なので、それまで道ばたのタンポポなどをのんびりクンクンと
嗅いでいたワンちゃんが、他の犬がやってきたとたんに突然歯を
むき出して吠えたりするような光景は見られません。

トレーナーに預けるということは、人間の都合のいいように
犬を調教する、ということなので賛否両論ありますが、
現代のワンちゃんは人間社会の中でしか生きられないという
現状を考えると、トレーニングを受けさせることは必要なことだと
思っています。

もし全てのワンちゃんについてトレーニングが必須になれば、
犬嫌いの人達にとっても、決してマイナスには働かないんだろう
なあと思ったりもします。

犬の人権、犬権?をことさらに声高に言うつもりはないのですが、
それでも家族として飼う、という精神の大切さを、社会システム
としてもちゃんと機能させる必要があるのでは…と思う今日このごろ
でした。

あっ今思い出したんですけど、夏に国立公園に行ったら
プードル連れのカップルがいました。かわいいワンちゃん用の
お洋服も着せられ(個人的にはえー、って感じですけれど…)、
全体を美しくトリミングされていたのですが、、、、。

炎天下のアスファルトで、きっと地面の温度は50度くらいに
なっていたと思います。ワンちゃんはその熱い地面に立っている
のさえ辛かったようでした。
でもカップルは気付かずに、ずーっと立ち話をしています。
ワンちゃんは砂漠にいる爬虫類(何でしたっけ?)のように、
片足ずつ地面につけたり座り込んだり。

見るに見かねて、「地面が熱くてワンちゃんがとっても辛い
みたい、抱いてあげたらどうでしょ?」と差し出がましく言って
しまいました。すると、カップルは初めてワンちゃんを見て、
「本当だわ、考えもしなかった、どうもありがとう」と言いながら
すぐにワンちゃんを抱き上げてくれました。

彼らに悪意はみじんもなく、きちんとトリミングして身だしなみ?も
完璧でも、こういうことってあるんだなあとわたしもしみじみ
思い、勉強になりました。
なかなかワンちゃんの立場に立って考えられることは
カンタンなことじゃないけれど、その大切さを実感しました。

ズラズラ書いてしまってすみません。レス不要ですので
話を進めてくださいね。失礼しました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):犬と日本人を考える  ■名前 : ワン太郎  ■日付 : 05/10/20(木) 15:00  -------------------------------------------------------------------------
   ▼コップ酒さん : こんにちは、コップ酒さんも 愛犬家でしたか。

>きっと英国にもあるのだと思いますが、米国にもワンちゃん専用の
>公園があります。ぐるっと囲いがされていて、園内ではリードを
>離してもOKなんです。

欧米で 羨ましいのは こういったところがあることです。
ヨーロッパの都市で 公園(人用)の中に<ワンちゃん専用トイレ>のある所を見ました。
たった2、3坪の砂場スペースを板塀で囲っただけのものですが、
「人の犬に対する気持ち」 がどの様なものか 推し量ることが出来ます。

つい最近、近所の中学校の校庭に「犬の散歩お断り」の看板が立ちました。
犬の散歩は、早朝(〜6:30まで)ですので、学校運営には障害とならないはずで、毎日7〜10頭が 「早朝ランニングとミーティング」 を行っています。

同時に、2・3組の人間だけのウォーキング・メンバーも混じっています。
ほとんどが ジジ・ババ連中であります。

散歩禁止の理由を教頭に尋ねてみましたら 「セキュリティ」の為だそうで、
教育委員会からの指示であります。

早朝散歩のメンバー達は ほとんどが その中学のPTA経験者です。
誰も 教育委員会の指示に従う様な ヤワな連中ではありません。
メンバーの一人(元国会議員)は、俺たち年寄りが 「犬を連れて 校内の安全
パトロールを毎朝してやっているのだ!」 といきまいております。
(さすが政治家)

その地域社会の「犬への対応」というものを見れば、民主主義レベル、文化の成熟度が 計測できそうです。
意外と 相関関係の度合いが高いと 見ているのですが ・・・ 。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):犬と日本人を考える  ■名前 : コップ酒  ■日付 : 05/10/21(金) 5:45  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ワン太郎さん:こんにちは。レスありがとうございます。

>こんにちは、コップ酒さんも 愛犬家でしたか。

もぅ小学生の時分から「犬博士」と呼ばれるくらい大好きでした。
ワンちゃんを見かけると、道の反対側でも磁石に吸い寄せられる
ように、よよよと寄っていってしまいます(笑)。

>>きっと英国にもあるのだと思いますが、米国にもワンちゃん専用の
>>公園があります。

>欧米で 羨ましいのは こういったところがあることです。
>ヨーロッパの都市で 公園(人用)の中に<ワンちゃん専用トイレ>のある所を見ました。
>たった2、3坪の砂場スペースを板塀で囲っただけのものですが、
>「人の犬に対する気持ち」 がどの様なものか 推し量ることが出来ます。

そうですよね、こういった専用トイレなどを見るたびに
「余裕がある」ということをしみじみと実感させられます…。

あ、でもドイツとかだとワンちゃんのプー(うんち)を放置しても
いいので昔は街じゅうプーだらけだった気がしますが(笑)、
今は変わったのかなぁ。

>散歩禁止の理由を教頭に尋ねてみましたら 「セキュリティ」の為だそうで、
>教育委員会からの指示であります。

なっにぃ〜!? きょーいくいいんかいの指示ですって?
…と一瞬、血圧が上がりましたが、確かに昨今の学校も安全では
なくなっていることを考えると、うーんと考えてしまいます…。
もっとも、安全のために十把一絡げに排除する、というところが
お役所的だなぁと思いましたけれど…(苦笑)。

>早朝散歩のメンバー達は ほとんどが その中学のPTA経験者です。
>誰も 教育委員会の指示に従う様な ヤワな連中ではありません。
>メンバーの一人(元国会議員)は、俺たち年寄りが 「犬を連れて 校内の安全
>パトロールを毎朝してやっているのだ!」 といきまいております。
>(さすが政治家)

あはは、いや、でも実際そうなのでしょうね。
わたしがドロボーの立場だったら、「むむっ、この学校は
毎朝たくさん犬も来るしうるさそーなジジババもいるし
(すみませんすみません)、ヤバそーだ」って思いますもん。

>その地域社会の「犬への対応」というものを見れば、民主主義レベル、
> 文化の成熟度が 計測できそうです。
>意外と 相関関係の度合いが高いと 見ているのですが ・・・ 。

うーむ、確かにそうかもしれませんよね。

そういえば昔、こんなことがありました。
アジア某国で仕事があり、早朝、海沿いの道路をお散歩して
ました。すると向こうから1匹のワンちゃんがトコトコ
歩いてくるので、「あっワンちゃんだっ♪」と寄って行ったら、、

いつの間にか、わたしの後ろから猛スピードで車がやって
来たんです。つい反射的にワンちゃんをかばおうとして車に
ぶつかってしまい、結果的には右足首骨折と打撲でした。

でも車はそのまま逃走、ワンちゃんももちろん何も
わからずトコトコと行ってしまいました。その後ろ姿を
見ながら、へらへらと笑ってしまったわたし…(笑)。
直後ってあんまり痛くないんですよね。

で、その後の周りの人達の反応といえば、
日本人の同僚は一様に「ホントにバカだ信じられない」
でした。一方、そのもようを見ていた相棒のアメリカ人は
「行為自体はそしられるべきものじゃない」と。

犬がいるのに減速もせずにやって来てぶつかっても
行ってしまった車(たぶん古さから言って現地の車…)、
確かにそうだけどわたしを「バカだバカだ」としか
言わない同僚、「そうじゃないよ」と言った同僚…。

いろいろなことを考えますが、ワン太郎さんの
書き込みを拝見してフトこのことを思い出しました。
長々と失礼しました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):犬と日本人を考える (犬好きと犬嫌い)  ■名前 : ワン太郎  ■日付 : 05/10/21(金) 9:48  -------------------------------------------------------------------------
   ▼コップ酒さん:

>もぅ小学生の時分から「犬博士」と呼ばれるくらい大好きでした。
>ワンちゃんを見かけると、道の反対側でも磁石に吸い寄せられる
>ように、よよよと寄っていってしまいます(笑)。

私も どうしようもなく 犬好きです。
幼い(ヨチヨチ歩きの)頃 メス犬のオッパイを吸いにいってしまい 母親をヒヤヒヤさせた と聞いています。
それでも 生まれてこのかた 一度も犬に咬みつかれたことがありません。

犬に咬みつかれるというのは 「犬嫌い」 の人に多いですね。
2、30mも先から 身構える人がいます。
聞くと「小さい時に 犬に咬まれたから」 ということが多いのですが、
咬まれたから嫌いになったのか、嫌いだから咬まれたのか ・・・

どうも、犬嫌いの母親を持つとその子供も 嫌いに(犬に恐怖心を持つように)なる様な気がします。
私の母親も大変な「犬好き」で、大体 幼い子供が 大きな秋田犬の 股の間に顔を突っ込むまで 放って見ていた、ということ自体で想像がつきます。

>あ、でもドイツとかだとワンちゃんのプー(うんち)を放置しても
>いいので昔は街じゅうプーだらけだった気がしますが(笑)、
>今は変わったのかなぁ。

もともと ヨーロッパの古い都市は 人のウンチを二階の窓から投げ捨てて いましたから、犬のウンチなど 問題にもならなかったでしょう。
それに、道路は石畳ですから 水に流せばキレイなもの(?)となりました。

今でも、ウラの路地を歩くと「グニャ」っときますね。
(大体そういう時は、観光気分で遠くや上を見ているときです)

>>メンバーの一人(元国会議員)は、俺たち年寄りが 「犬を連れて 校内の安全
>>パトロールを毎朝してやっているのだ!」 といきまいております。
>>(さすが政治家)

>あはは、いや、でも実際そうなのでしょうね。
>わたしがドロボーの立場だったら、「むむっ、この学校は
>毎朝たくさん犬も来るしうるさそーなジジババもいるし
>(すみませんすみません)、ヤバそーだ」って思いますもん。

教頭(昔の子分)にそういって 黙らせました。


>いつの間にか、わたしの後ろから猛スピードで車がやって
>来たんです。つい反射的にワンちゃんをかばおうとして車に
>ぶつかってしまい、結果的には右足首骨折と打撲でした。

犬のために 骨折をした ・・・ 「犬好きの勲章」でしょう。
(大いに自慢して いいことです)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):犬と日本人を考える/犬好き  ■名前 : とうろう  ■日付 : 05/10/22(土) 23:05  -------------------------------------------------------------------------
   ワン太郎さん、コップ酒さん:こんばんは。

犬好きのお二方と、このスレッドで分かりました。

私は、随分前に、この掲示板に「犬派、猫派?」と言うスレッドを立てさせて頂きました。

「犬」
良く、躾(しつけ)れば、己の「父」なる人に従い、

序列を尊び、自己の地位を維持し、それを喜びとし、満足して「生を全う」する、ヒト従属的性質。

「猫」
人の躾けなど受け入れない、しかし、自己の生の維持のための本能には従う。たとえ、それが、人から与えられた擬似的環境であろうと。

そして、また、己の「母猫」なるヒトには従う、ウェットで猫的身勝手な性質。

以上は、私の、今現在の「犬・猫」ペットと「人」のあり方に関する理解です。

まぁ、ご参考までに。

失礼。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):犬と日本人を考える/犬好き  ■名前 : エックス  ■日付 : 05/10/22(土) 23:27  -------------------------------------------------------------------------
   ▼とうろうさん:
>ワン太郎さん、コップ酒さん:こんばんは。
>
>犬好きのお二方と、このスレッドで分かりました。
>
>私は、随分前に、この掲示板に「犬派、猫派?」と言うスレッドを立てさせて頂きました。
>
>「犬」
>良く、躾(しつけ)れば、己の「父」なる人に従い、
>
>序列を尊び、自己の地位を維持し、それを喜びとし、満足して「生を全う」する、ヒト従属的性質。
>
>「猫」
>人の躾けなど受け入れない、しかし、自己の生の維持のための本能には従う。たとえ、それが、人から与えられた擬似的環境であろうと。
>
>そして、また、己の「母猫」なるヒトには従う、ウェットで猫的身勝手な性質。
>
>以上は、私の、今現在の「犬・猫」ペットと「人」のあり方に関する理解です。
>
>まぁ、ご参考までに。
>
>失礼。

私は犬猫派です。
犬に対しては涙が出るほど教わることが多いですし、
猫の甘えるしぐさは犬以上の可愛らしさがあります。
わが家にとっては犬も猫も家族です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):犬と日本人を考える/人とペット  ■名前 : とうろう  ■日付 : 05/10/23(日) 0:03  -------------------------------------------------------------------------
   ▼エックスさん:

こんばんは。レス有難う御座います。

私は、実は、犬も猫も全ての動物が好きです。

そして、犬、猫などは特に好きです。

心を通わした犬、心を通じたと思った猫もいます。

だから、「犬猫も家族」と仰ることは否定しませんが、

が、私が、犬猫と遊んでいたのは、犬、猫が自然と遊べる土の道が有った田舎のことでした。

だから、今のコンクリートの、人工環境の中では、犬、猫も可哀相と思い、身近に置く気はありません。

人が、犬・猫を「家族」と思うことと、「犬・猫」に、人を家族と思わせることとは違うのではないかと、不遜にも、思うからです。

あなたが、良好な自然環境に居られることを切に願っております。

失礼。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 犬と日本人を考える(14)  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/11/4(金) 6:33  -------------------------------------------------------------------------
   犬はペットショップで買うものと思っている日本人は多いだろうと思う。犬好きにとって、デパートというところは、センスの悪いクールビズなどを見るよりは、ペットコーナーで可愛い子犬たちをながめているほうが、よほど楽しいにちがいない。その気持ちは私にも理解できる。しかし、こういうことをお考えになったことがあるだろうか。

ペットショップの子犬は、一緒に生まれたきょうだいと遊ぶ経験を省かれ、商品として店頭に置かれてしまう。本来、子犬にとって社会的な学習の始まりは、きょうだいとの遊びなのである。その遊びを通して、子犬は犬同士のつき合い方の基本を学ぶのだ。子犬は互いを咬みあいながら転げ回って遊ぶのだが、あまり強く咬まれると痛いという体験をすることによって、咬み加減を学習したりする。

こういう経験がないと、遊びのつもりでも強く咬みすぎて相手に悲鳴を上げさせたり、場合によっては、そのことで喧嘩が始まったりするかもしれない。第一、きょうだいと遊んだ経験のない子犬は、犬でありながら犬をこわがる傾向をもつことが少なくないのだ。また、遊び慣れていない犬は、相手が軽く咬んでいるのに、それをこわがって逃げるような行動をとるから、かえって痛い思いをして悲鳴を上げることもあるだろう。こういうときに、飼い主が神経質になって、咬んだ犬をしかったり、咬まれた犬を大げさに介抱するなんてことをしてはいけない。そんなことをすれば、せっかくの犬同士の体験を台無しにしてしまう。

きょうだいと遊んだことのない子犬も、やがては公園デビューする日が来るだろう。ほかの犬をこわがりオドオドする自分の子犬を見て、「この子は犬ぎらいなんだわ」などと納得して、ほかの犬と出会うたびにそれを避けたり、抱きかかえたりすれば、どういうことになるか? きっとどこから見ても正真正銘の犬ぎらいになるだろう。子犬の頃は、ただおじけてものも言えなかった犬でも、成犬になって攻撃性が出てくることもある。とにかく、社会性において重大な問題をかかえることになるにちがいない。

自分の子犬がほかの犬をこわがるとすれば、それを納得するのではなくて、何か変じゃないかと疑う必要がある。本当はそれを矯正するように努力するべきだろう。ほかの犬との接触を避けるのではなくて、可能なかぎり友好的な犬との懇親会を体験させ、犬は仲間であって、むやみにこわがる必要のないことを覚えさせるべきなのだ。

犬の育て方の基本を知っていれば、ふつうはペットショップで子犬を買ったりはしないだろう。初心者に限ってペットショップの子犬を手に入れる傾向があるようだ。それだから、最初から犬ぎらいの傾向をもつ子犬を家に迎えることが多く、きょうだいと遊んだ経験のある子犬よりもずっと子育てがむずかしいということになってしまう。しかし、犬を育てるために必要な知識がないために、先ほど述べたようなことになってしまうのだ。

               ー14ー

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 犬と日本人を考える(15)  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/11/4(金) 6:50  -------------------------------------------------------------------------
   こういうわけで、ペットショップからの子犬の購入は避けたほうが無難である(例外はあるかもしれないが)。しかし、それじゃあペットショップに並べられた子犬たちはいったいどうなるの、という疑問が生じるだろう。確かにそこが問題だが、理想としては、将来的に店頭には子犬を置かないということになればよいと思う。そんなバカなことがあるか、と絶叫される方もおられるかもしれないけれど、英国などではそれが常識のようだ。

だいたい、ペットショップのあのガラス張りのケースに閉じ込められた子犬たちを見て、可愛いと思う前に、かわいそうとは思わないだろうか。子犬たちは商品として店頭に置かれ、それを買ってくれる客を待つことになる。こういう仕組みでは、売れ残る子犬が出てくるのは当然といえよう。ペットショップで犬を売るとするなら、客とブリーダーとの仲介をすればいいのだと思う。

ペットショップへの流通に乗せられる子犬は、まだ非常に幼い時期に輸送による恐怖を体験し、そして店に到着してからも、子犬にとっては過酷な環境に置かれることになる。犬のように高等な動物が幼児体験で受ける精神的苦痛が、その犬の性格にどう影響するか。好ましい影響を与えないことは確かだろう。

困ったことに、最近、問題はペットショップだけではなくなったようだ。日本では、ネット・オークションなどでも子犬が<出品>されているのだ。犬のブリーディングは、本来それなりの専門的な知識と経験が必要なはずである。シロウトが金もうけのために手を出すべき領域ではないのだ。この問題もこのまま放置してはならないと思う。言うまでもないが、英国のネット・オークションに子犬が出品されていることなど、まず見たことがない。

評価の高い英国の犬関連書籍の中には、ハッキリとペットショップでの犬の購入を否定しているものがある。それは、著者が動物行動学の専門家であるので、すでに述べたような理由を前提としているからだ。一方、日本の犬関連書籍の中では、このようなことを指摘しているものに私は出会ったことがない。日本の場合、著者は獣医かケンネルクラブの役員であったりすることが多く、ペットショップを含めて、ペット産業全般と利害関係が共通するらしい。

ここまではごく一般的なことを述べたが、犬を手に入れる方法は、ブリーダー(日本は悪いブリーダーが多いらしいからご注意!)から買うだけでなく、捨てられた犬を動物愛護団体などから譲り受けるという方法もある。しかし、これは初心者向きとは言えないだろう。犬を捨てるような飼い主は、犬の社会的教育を怠っている場合が多いだろうし、どんなにひどい飼い主に捨てられた犬でも、捨てられたという事実だけで精神的な問題をかかえている場合が少なくないはずだ。こういう犬を幸福にするためには、犬のことをよく知り、ふつうよりも忍耐と愛情をかけられる人を必要とするだろう。英国では、犬の里親になるための条件は、非常に厳しいのが普通のようだ。

               ー15ー

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 犬と日本人を考える(16)  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/11/8(火) 10:42  -------------------------------------------------------------------------
   世に<犬ぎらい>と呼ばれる人たちがいる。中には、ゴキブリよりも犬をきらいに思っている人もいるのだろうが、どうもそういうのは例外であって、多くはただ犬がこわいだけのようだ。それと、犬をきらうというよりも、犬の飼い主をきらっている人も少なくないらしい。その場合の理由はいろいろあるのだろうが、私はかつて意外な自称犬ぎらいさんの言い分を見かけたことがある。

それはだいたいこんな感じだった。犬ぎらいになったのは、飼い主の育て方が気に入らないからだ。リード(ヒモとか綱とか呼ぶ人がいるが、これはリードがいちばんシックリ来る。その犬ぎらい氏もそう書いていた)をしていても、犬がこわい人間にとっては不安なのだ。リードをしていなくても、飼い主の横にピタッと寄り添って歩いている犬がいる。犬を飼うなら、これくらいの訓練をしてほしい。と、まあ、こんなことをその人は書いていた。

私は「意外な」言い分と書いたが、実は、感心したのだ。それまでの私は、犬ぎらいってのは、犬と遊んだ経験のないままに犬ぎらいになった犬のように、その人の育ちの過程で、犬との協調性を失ってしまった人くらいに思っていた。この自称犬ぎらい氏はそれとは明らかにちがう。感情に流されているのではなく、理性できちんと考えている。ちゃんと犬を観察しているのだ。

今、私が生活を共にしている犬は、子犬のころ、水上バスに乗ってお台場に出かけることが何度かあった。水上バスを御存知でない方のために、どう説明しようかと考えたが、百聞は一見に如かず。これを見ていただくのがいちばんだろう。

http://www.suijobus.co.jp/ship/kaisyu/index.html

子犬のころにいろいろな経験をさせることで、イヌもヒトと同じように、豊かな社会性を身につけることができる。私は東京にいながらロンドンに生活しているようなつもりで、今の犬を教育した。この水上バスに乗せるというのもそういう私の幻想のなせるわざだった。私が最初、日の出桟橋という乗船場でたずねたとき、どうやら犬を乗船させることに関する明確な規則はなかったらしく、自転車のカゴに入れてあればいいでしょう、という話だった。というわけで、わたしは自転車のカゴに入れるにはけっこう図体のでかいゴールデンの子犬といっしょに、水上バスのデッキに乗り込むことができたのであった。

               ー16−

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 犬と日本人を考える(17)  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/11/8(火) 10:42  -------------------------------------------------------------------------
   そういう水上バス体験を幾度か重ねるうちに、私の犬はとうとう自転車のカゴには入りきらなくなった。その頃には、だいぶ社会的な教育も進み、オフリード(リード無しで歩くことを意味する英語で、日本語の<放し飼い>とは意味がちがう)の訓練もできていたので、ある日、いつものように自転車で日の出桟橋に出かけ、乗船係のように立っていた年輩の男に、「この犬といっしょに乗船したいのですが、よろしいですか?」と訊いた。その男はちらと私の犬を見て、「だめですね」とそっけなく答えた。何事もそうかんたんにはあきらめない私は、「こんなおとなしい犬でもダメですか?」と言った。すると、その男は、さも当然であるかのように、「おとなしいかどうかなんて、お客さんにはわからないですよ」と言った。

私の経験から言えることは、多くの人には、おとなしいかどうかの区別はわかるのである。たとえば、きょう最初に述べた自称犬ぎらい氏にしても、オフリードで飼い主の歩調に合わせて歩けるくらいの犬なら、だいじょうぶと思うわけだ。もしもヒトが動物の中でいちばん頭脳が発達しているというのなら、ほかの動物に理解できることが理解できないわけがない。

私はある地方都市の公園で、こういう経験をしている。私の犬が数匹の小型犬と遊んでいたとき、大きなシベリアン・ハスキーを連れた婦人がそばを通った。その人は私の犬に気づくと、遠くから「オスですかあ?」と叫んだ。私は「そうです」と答えた。すると、「うちの犬はオスとは喧嘩するんです!」と言う。そっちはそうでもこっちはちがうぞ、と私は思ったが、経験上、その手の飼い主は、私の犬がオフリードであるのが不安なわけで、それじゃあ仕方ないなと、私は自分の犬をそばに呼び、ステイ(動かずにいること)をさせた。こういう場合にもリードで自由を奪わないのは、私の教育方針である。

すると、それを見ていたその飼い主は、何かを感じ取ったらしい。と同時に、自分の犬の様子の変化に気づいたようだ。その犬は私の犬に関心を持ったらしく、飼い主の引くリードの力に逆らって、ぐんぐん私の犬の方へと近づいて来た。私はそれを観察して、その犬が危害を加えそうにないことがわかったので、自分の犬をステイの状態から解放し、その犬に近づくことを許可した。そのハスキー犬は私の犬の鼻先まで近づくと、まるで子犬のように嬉しそうな表情を見せ、遊ぼうとした。これにはその飼い主がだれよりも驚いたらしい。彼女は私に言った。「この10年、こんなのを見るのは初めてです」。

犬のオス同士は喧嘩するものと信じている人がいるらしい。そういう信仰が常識となっている環境では、確かに、喧嘩好きのオス犬が目立つようだ。しかし、犬はそれほどバカじゃない。相手が平和主義者だとわかると、武力行使に出るどころか、犬本来の性格を思い出し、遊び始めるのである。イヌよりは頭のいいはずのヒトの場合、どういうわけか知らないが、「おとなしいかどうかなんか、わからない」などと言って、どんな犬でもきらう人種がいるらしい。

               ー17−

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):犬と日本人を考える(17)  ■名前 : k・satou <cbl13464@nifty.com>  ■日付 : 05/11/8(火) 11:13  -------------------------------------------------------------------------
   ▼BadBlokeさん:
このシリーズはとても楽しく面白く読ませていただいてます。
 ていねいに育てられた犬というのは いいもので子どもと同じですね。
 小学校の2年のとき噛まれ 病院で注射されて以来と30歳ぐらいのとき
 友人宅の玄関をあけたとたん カラフト犬が親子で2頭猛烈な勢いで中から
 パクッと。おかげでズボンがやぶれちゃいました。
 親愛の情だとはとてもおもえなかった。。誂えたばかりの服だったので。
  以来 家内とちがい犬恐怖症ぎみです。
 先日も お線香をあげてるのに 足にからんでくる姪の犬を
  蹴っ飛ばして おきました。
犬のほうでは 自身をどう思っているのだろうと 思うのですが。
 人間とかんちがいしているのか?不思議です。


>そういう水上バス体験を幾度か重ねるうちに、私の犬はとうとう自転車のカゴには入りきらなくなった。その頃には、だいぶ社会的な教育も進み、オフリード(リード無しで歩くことを意味する英語で、日本語の<放し飼い>とは意味がちがう)の訓練もできていたので、ある日、いつものように自転車で日の出桟橋に出かけ、乗船係のように立っていた年輩の男に、「この犬といっしょに乗船したいのですが、よろしいですか?」と訊いた。その男はちらと私の犬を見て、「だめですね」とそっけなく答えた。何事もそうかんたんにはあきらめない私は、「こんなおとなしい犬でもダメですか?」と言った。すると、その男は、さも当然であるかのように、「おとなしいかどうかなんて、お客さんにはわからないですよ」と言った。
>
>私の経験から言えることは、多くの人には、おとなしいかどうかの区別はわかるのである。たとえば、きょう最初に述べた自称犬ぎらい氏にしても、オフリードで飼い主の歩調に合わせて歩けるくらいの犬なら、だいじょうぶと思うわけだ。もしもヒトが動物の中でいちばん頭脳が発達しているというのなら、ほかの動物に理解できることが理解できないわけがない。
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>私はある地方都市の公園で、こういう経験をしている。私の犬が数匹の小型犬と遊んでいたとき、大きなシベリアン・ハスキーを連れた婦人がそばを通った。その人は私の犬に気づくと、遠くから「オスですかあ?」と叫んだ。私は「そうです」と答えた。すると、「うちの犬はオスとは喧嘩するんです!」と言う。そっちはそうでもこっちはちがうぞ、と私は思ったが、経験上、その手の飼い主は、私の犬がオフリードであるのが不安なわけで、それじゃあ仕方ないなと、私は自分の犬をそばに呼び、ステイ(動かずにいること)をさせた。こういう場合にもリードで自由を奪わないのは、私の教育方針である。
>
>すると、それを見ていたその飼い主は、何かを感じ取ったらしい。と同時に、自分の犬の様子の変化に気づいたようだ。その犬は私の犬に関心を持ったらしく、飼い主の引くリードの力に逆らって、ぐんぐん私の犬の方へと近づいて来た。私はそれを観察して、その犬が危害を加えそうにないことがわかったので、自分の犬をステイの状態から解放し、その犬に近づくことを許可した。そのハスキー犬は私の犬の鼻先まで近づくと、まるで子犬のように嬉しそうな表情を見せ、遊ぼうとした。これにはその飼い主がだれよりも驚いたらしい。彼女は私に言った。「この10年、こんなのを見るのは初めてです」。
>
>犬のオス同士は喧嘩するものと信じている人がいるらしい。そういう信仰が常識となっている環境では、確かに、喧嘩好きのオス犬が目立つようだ。しかし、犬はそれほどバカじゃない。相手が平和主義者だとわかると、武力行使に出るどころか、犬本来の性格を思い出し、遊び始めるのである。イヌよりは頭のいいはずのヒトの場合、どういうわけか知らないが、「おとなしいかどうかなんか、わからない」などと言って、どんな犬でもきらう人種がいるらしい。
>
>               ー17−

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):犬と日本人を考える(17)  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/11/8(火) 22:09  -------------------------------------------------------------------------
   ▼k・satouさん:

自称犬恐怖症さんがぼくの作文を楽しんでくださるなんて、こんなに嬉しいことはありません。実は、ぼくは日本の愛犬家メーリング・リストで、そこの管理人や常連たちから、ひどく嫌われたことがあるんです。ぼくの犬論て、日本人の愛犬家には面白くないのかもしれません。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):犬と日本人を考える(17)  ■名前 : k・satou <cbl13464@nifty.com>  ■日付 : 05/11/8(火) 23:19  -------------------------------------------------------------------------
   ▼BadBlokeさん:
 友人が犬を飼うというので みにいきましたら
 しつけのため3ヶ月は会わせられないというのです。
 へーと感心していたのですが その後あったらとても躾のいい小犬でした、
 そばに子どものいない再婚された夫人になつき とても好感です。

  あなたのこのシリーズは 人間を いや子どものしつけを
  話されているようにも おもわれるのですが。楽しみにしてます。


>▼k・satouさん:
>
>自称犬恐怖症さんがぼくの作文を楽しんでくださるなんて、こんなに嬉しいことはありません。実は、ぼくは日本の愛犬家メーリング・リストで、そこの管理人や常連たちから、ひどく嫌われたことがあるんです。ぼくの犬論て、日本人の愛犬家には面白くないのかもしれません。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):犬と日本人を考える  ■名前 : レモン  ■日付 : 05/11/18(金) 18:46  -------------------------------------------------------------------------
   はじめまして。

先ほど、BadBloke さんとお話していて気がついたら、スレッドのテーマから外れていました。
私が書き込むとどうも雑談になってしまう失礼をお詫びして、こちらに引っ越すことにします。

偶然ですが、K.satou さんも犬恐怖症なんですね。
これから、ゆっくりこのスレッドを読ませていただきます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):犬と日本人を考える  ■名前 : ワン太郎  ■日付 : 05/11/20(日) 9:49  -------------------------------------------------------------------------
   ▼BadBlokeさん:

犬と人についての BadBlokeさんの エッセイ(でいいですかね?)
楽しく読ませていただいております。(最近ペースダウン気味では?)

お話しの内容に 「うんうん」と頷いておりますが、素直に頷けない点が一つ、
と云っても 「私自身の問題」 が大部分でありますが、
「犬のしつけ」 についてであります。

調教師に依頼して しつけるのは良いのですが、飼い主である私より 「良いしつけ」 を施されてしまった犬は どんなものだろうか、という疑問です。

子供がまだ幼い頃、新しく来た子犬をしつけに出しました。
その結果、子供より、犬の方が礼儀正しくなりました。

問題の全ては親であり、飼い主である 「私自身」 にあることは明白であります。
もっと キチンとすべきですが ・・・ 最早 手遅れであります。

従って、私は犬に 「私以上」 を求めないことにいたしました。
そして、最低限のしつけ 「人に迷惑をかけない」 が達成されれば 「それで良し」 としております。

なんだか、そのほうが 私も犬も 「気楽」 ですし、
犬も 「長生き」 しそうな感じがいたしておりますが、
BadBlokeさん、愛犬家の皆さん、どうお考えになりますか?


(別件)
このスレも リミット近くになりました。
第二弾のスレを起こされてはいかがでしょうか?
(勝手を申します、お許しを)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):犬と日本人を考える  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/11/20(日) 10:25  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ワン太郎さん:

お気持ちは充分に共鳴できます。ぼくの結論もその方面に向かうはずです。ちなみに、ぼくは調教師に犬の躾を任せたことはありません。全部、自分でやりました。その目的は、ヒトともイヌともネコとも、だれとも仲良くできる犬にすることでした。ぼくの満足のためではなく、犬の幸せのためでした。

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