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 ▼生れ、育ち、死ぬ!人生?  隠居 05/12/3(土) 20:29
   ┗Re(1):生れ、育ち、死ぬ!人生?  BadBloke 05/12/6(火) 16:39
      ┗Re(2):生れ、育ち、死ぬ!人生?  あくまの査問官 05/12/6(火) 21:11
         ┗Re(3):生れ、育ち、死ぬ!人生?  J.I 05/12/7(水) 2:07

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 ■題名 : 生れ、育ち、死ぬ!人生?
 ■名前 : 隠居
 ■日付 : 05/12/3(土) 20:29
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    皆様に皆様の人生哲学をご披露頂きたいと
願い上げます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):生れ、育ち、死ぬ!人生?  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/12/6(火) 16:39  -------------------------------------------------------------------------
   ▼隠居さん:

> 皆様に皆様の人生哲学をご披露頂きたいと
>願い上げます。

このスレッドを初めて見た時から気になっていました。まだどなたからも応答がないようですね。あまりにも大きなテーマだからでしょうか。人生哲学などと聞くと、ちょっと気恥ずかしいような気持ちになるのでしょうか。でも、重大な問題だと思います。

生まれ・育ち・死というと、ぼくには何か宗教的なテーマがそこに入ってくるように感じます。日本人は戦前の天皇教の記憶があるせいなのか、あまり宗教の話は好きではないようです。多くの人は無神論者を自覚しているのでしょうか。それでいて、葬式は当然お寺でやるものと思っているのでしょうね。ほんとうの無神論者なら、白洲次郎のように、「葬式無用・戒名不用」という遺書を残しそうなものですが。

不思議なのは、このような宗教的雰囲気があるにもかかわらず、日本には星の数ほどの宗教があるらしいということです。「星の数」というのはレトリックですから、あまり本気にしないでください。ぼくはNHKテレビの番組などを見ていて、アナウンサーが道すがら立ち寄った神社に手を合わせるのを見ると、かなり驚いてしまうのです。日本では、宗教さえも慣習の一部になっていて、個人として主体的に宗教を選ぶことなしに、キツネであろうが、パンダであろうが、いったん神さまにされると、こうして手を合わせることが平然とおこなわれるようです。

かつて職務中に事故死した自衛官を国が勝手に護国神社に祀ったことに抗議して訴訟を起こした夫人の裁判がありました。最高裁での最終判決では、夫人の訴えが退けられ、敗訴となってしまいました。判決理由は、日本では宗教はそうかたいことを言わない慣例になっているのだから、まあもうちょっと寛容になりなさい、ということでした。裁判官の言葉ってのは、生きた人間の血が流れていないように感じるので、ぼくなりに翻訳してみました。

その夫人はクリスチャンでした。クリスチャンにとっては、人を神とすることは、絶対に受け入れられないことなのです。寛容などという言葉を持ちだす話じゃないのです。靖国・護国神社を信仰している人を非難するという次元のことじゃありません。個人の信仰として受け入れられないものは受け入れられない。それだけの話であって、今の憲法は、そういう信教の自由を認めていたはずなのです。むしろ寛容であるべきは、個人に対する国家権力のほうなのです。

日本では最高裁の判事になるような人でさえ、自分の意志で主体的に宗教を選んだことのない人が多いということなのでしょう。こういう日本的な体質が、戦前の天皇教を承認し、戦後になっても、靖国信仰を黙認する大きな力となっているように思います。もっといえば、オウム真理教のようないかがわしい宗教に、東大や慶応の医学部出身者までが洗脳されてしまうのも、きわめて日本的な現象といえるでしょう。

ぼくの人生は、このような日本に育ったことで、カルチャー・ショックの連続でした。それはぼくの人生哲学に大きな影響を与えているようです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):生れ、育ち、死ぬ!人生?  ■名前 : あくまの査問官  ■日付 : 05/12/6(火) 21:11  -------------------------------------------------------------------------
   人生哲学というほどでありませんが、一つ。

小学生の頃、机に座っていて立ち上がろうとした時、脚に足の指があたりました。
とても痛かったです。嫌だったです。
そして、
他の人も同じ目にあったら痛いだろうな、嫌だろうな。
と、思いました。

これが私の人生哲学の根源です。
格好よく表現すると『恕』(=己の欲せざる所、人に施すことなかれ)というものでしょう。
私はとてもそこまでは達してはいませんけど。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):生れ、育ち、死ぬ!人生?  ■名前 : J.I  ■日付 : 05/12/7(水) 2:07  ■Web : http://homepage2.nifty.com/arp/  -------------------------------------------------------------------------
    「己の欲せざるところ・・・・」難しいこと
ですね。でも、なるべくそうなりたい・
したいとは思っていますが・・

 私がよく思うのは、私はクリスチャンでは
ないけれど、たしかクリスチャンのかたが
言われる(と思う)

「明日を思い煩う(こと)なかれ、今日は今日
にて足れり」

でしたっけ・・なかなか「今日にて」足りないので
困っちゃうんですが・・・・

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