Page 1233 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼特色ある学校? 団塊党 05/12/3(土) 8:50 ┣Re(1):特色ある学校? 珍 源斎 05/12/3(土) 12:13 ┃ ┗Re(2):特色ある学校? 団塊党 05/12/3(土) 19:26 ┃ ┣Re(3):特色ある学校? キタキツネ 05/12/4(日) 16:41 ┃ ┃ ┗Re(4):特色ある学校? 団塊党 05/12/4(日) 20:16 ┃ ┃ ┗先生になりそこねたウミサチヒコ ウミサチヒコ 05/12/4(日) 22:56 ┃ ┃ ┗Re(1):先生になりそこねたウミサチヒコ 団塊党 05/12/7(水) 0:37 ┃ ┗Re(3):特色ある学校? 珍 源斎 05/12/5(月) 10:06 ┃ ┗Re(4):特色ある学校? 団塊党 05/12/9(金) 20:22 ┃ ┗Re(5):特色ある学校? 珍 源斎 05/12/9(金) 21:37 ┃ ┗Re(6):特色ある学校? 団塊党 05/12/11(日) 20:12 ┣Re(1):特色ある学校? ぎみゆら 05/12/4(日) 23:47 ┃ ┣Re(2):特色ある学校? キタキツネ 05/12/5(月) 8:28 ┃ ┗Re(2):特色ある学校? 団塊党 05/12/8(木) 3:41 ┣Re(1):特色ある学校? 安本単三 05/12/8(木) 11:46 ┃ ┗Re(2):特色ある学校? 団塊党 05/12/10(土) 14:50 ┃ ┗Re(3):特色ある学校? 安本単三 05/12/11(日) 14:13 ┃ ┗Re(4):特色ある学校? 団塊党 05/12/11(日) 18:58 ┣Re(1):特色ある学校? 団塊党 05/12/10(土) 21:48 ┃ ┣Re(2):特色ある学校? キタキツネ 05/12/11(日) 11:24 ┃ ┃ ┗Re(3):特色ある学校? 団塊党 05/12/11(日) 18:42 ┃ ┗Re(2):特色ある学校? ぎみゆら 05/12/11(日) 18:43 ┃ ┣Re(3):特色ある学校? 団塊党 05/12/11(日) 19:56 ┃ ┗Re(3):メール届きましたか? 団塊党 05/12/12(月) 20:36 ┃ ┗Re(4):メール届いてます。 ぎみゆら 05/12/12(月) 21:10 ┗Re(1):特色ある学校? 牛の5 05/12/11(日) 17:09 ┗Re(2):特色ある学校? 団塊党 05/12/11(日) 20:05 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 特色ある学校? ■名前 : 団塊党 ■日付 : 05/12/3(土) 8:50 -------------------------------------------------------------------------
教育改革の目玉として「特色ある学校」というのが叫ばれている。 言葉の上だけでは誰もこれに反対するものはいないだろう。 しかし、実際はどうだろうか? おおかたの校長は上からの要請に応じてやむを得ず、とってつけたような特色をアドバルーンのようにあげるのがおちである。 一つだけ例を挙げれば、英会話に堪能な教師が一人でもいれば、それに飛びついてそれを特色にしようとするというような現象である。 特色は出そうと思ってすぐに出るものではない。 全校をあげて一つの確たる理念のもとに取り組んで初めて特色が結果として出てくるというものである。 優れた実践を出している学校はすべてそうである。 他校よりも優れた特色を出そうなどという下心など何もない。 一つの理念のもとに全職員が一致して取り組んだ結果、他校にはない特色が出てくるのである。 しかし、現在のように勤務成績で給料に差を付けようとするシステムが入ってくると、団結などしていられない。 平教師は成績を上げるために人よりちょっとでも目をひく教育、校長の受けの良い教育をしようとする結果になる。 校長は校長で他校に負けない特色を何とか出そうとして自らの成績を上げようとする。 これが特色ある教育の実態である。 この大本には、新自由主義教育と言われる考え方がある。 競争原理を持ち込んで学校を改革していこうとする考え方である。 東京都など全国に先駆けてこれを推進している。 学校選択制もこの流れである。 このような流れの行き着く先は何か? 私は学校崩壊現象がいずれ雪崩のように起こってくるのではないかと危惧している。 もちろん、このような流れの中でも何とか良心的に仕事をしていこうとしている真面目な教師は多い。 しかし、小さな流れはいずれ大きな流れとなり、個人ではどうしようもない大きな 流れに巻き込まれていくのではないだろうか。 この2,3年の急激な流れはもうどうしようもないくらい強まってきている。 |
団塊党 さん こんにちわ!お久しぶりです。 お元気でしたか? 特色ある学校?のスレッドを見てレスさせて頂きます。 特色ある学校が・無くなってるとしたら・ それは取りも直さず明治以後連綿と続いた文部行政の 成果・・??・であったのではないかと思います。 徹底した上意下達が教職員の人事管理を楯に強固に維持そして その方式が再生産され更に強固になってる現実があると 私は認識しております。 今、仮に特色を打ち出さんとして現実的な行動をとろうと する教師があったとしたら、先ず、異端として見られることに なりかねません。 教育関係の世界が最も保守的な構造を持ってるのではないでしょうか? もし特色のある学校が現実的にあるとしたら文部行政や管理から 遠く離れた処にしか・存在が許されないのではないか・ と想いに行き着きます。 もし、特色ある学校?の意味を真剣に捉えて考えれば 国語力「日本語」を「低学年のうちに徹底して向上させる」ことに 特化して欲しいと思います。 国語力を向上させるためには教材として歴史や礼節、道徳も その範疇に入ることは申すまでもありません。 その国語力の定着した後は他の学科の吸収力も格段に向上するはずです。 言葉「国語力」は全ての事象を理解する道具でもあることも 敢えて申すまでもありませんが・・・。 日本語が日本人に通じなくなったコトを最近とみに感ぜられる ようになってること・これは現代の社会で生じてる諸々の危機的な 現象の根元にあるのでは・ないかと常々感じてる処です。 団塊党さんのこのスレッドでのご提議の主旨と外れてるようですが ご許容のほど、お願い申し上げます。 |
▼珍 源斎さん: >団塊党 さん こんにちわ!お久しぶりです。 >お元気でしたか? お久しぶりです。 このところ忙しいことが続いて、遠ざかっていました。 また、ぼちぼち投稿していこうと思います。 よろしくお願いします。 >特色ある学校?のスレッドを見てレスさせて頂きます。 >特色ある学校が・無くなってるとしたら・ > >それは取りも直さず明治以後連綿と続いた文部行政の >成果・・??・であったのではないかと思います。 > >徹底した上意下達が教職員の人事管理を楯に強固に維持そして >その方式が再生産され更に強固になってる現実があると >私は認識しております。 現場教師は10年ほど前までは今よりずっと自由にのびやかに自分の信念とか教育理念でやりたいことをやれました。 私など、二日酔いで調子悪いときなどは近くの河原に子供達を連れて行って子供達をよく遊ばせました。 そんなことができる時代でした。 このくらいののびやかさがないと、子供は生き生きしません。 今はすぐに安全だ何だと言って五月蠅いことばかりです。 下手をすると遊ばせてばっかりでけしからんとか危険だとか何とか言って教育委員会に通報されてしまいます。 本当に嫌な時代です。 こんなことで、特色もへったくれもないでしょう。 >今、仮に特色を打ち出さんとして現実的な行動をとろうと >する教師があったとしたら、先ず、異端として見られることに >なりかねません。 >教育関係の世界が最も保守的な構造を持ってるのではないでしょうか? 出る杭は打たれるという意味でしょうか。 そんなけちな根性の教師はほとんどいないですよ。 本当に個性的で力のある教師は信頼されます。 もし、皆からつまはじきされるとすれば、校長の提灯持ちのようなタイプで出世ばかりをねらっている教師ですね。 これまではそうでした。 しかし、これからはこんなタイプの教師が幅を利かせる時代になっていくでしょう。 私の学校にもそういうのがいます。 そのうちにほとんどの教師が大なり小なり校長におべっかを使うようになるでしょう。 今やっている教育改革なんてそんなものです。 >もし、特色ある学校?の意味を真剣に捉えて考えれば >国語力「日本語」を「低学年のうちに徹底して向上させる」ことに >特化して欲しいと思います。 国語力が大事なことは異論ありません。 でも、国語力をその学校の目的そのものにするかどうかとは話が違います。 国語力を直接に目的にして特色を出そうとすると、私などは塾を思い浮かべます。 トレーニングをして読み書きの力を伸ばすことばかりが、学校でなされるのには疑問があります。 トレーニングは大事ですが、それだけでは落ちてしまう何かがあるように思います。 |
団塊党さん こんにちは。お元気のようで何よりです。 私は今の教師には同情しています。 私達はいい時代に生まれました。私は運が良いのか、良い恩師に恵まれ、嫌いと思う先生はいませんでした。ただ一度だけ、ワルガキがいたずらをし、クラス全員が往復ビンタを喰らったことは今でも忘れられませんが……。 これを除いては本当に良い先生ばかりで、社会に出てからも大いに役立ったと思っています。 私達のころは先生はエライものだという、絶対の信頼がありました。また教師も今より自由があったような気がします。今では考えられない事なんでしょうが、家庭訪問の日なんかウキウキして楽しみにしていたものです。ついつい話が長くなって、ご飯をご馳走になっていったり。今ではこんな事をしたら大変でしょうね。 この運が子供たちにも及んだのか、子供たちも良い先生に恵まれ、その後の人生を二人ともそれぞれ、子供の頃の夢をかなえる事が出来ました。やはり、良い教師にめぐり合うという事も運なのかなと思わずにいられません。 私は教育は、家庭と学校、双方の信頼関係があって始めて成り立つものと考えております。教育の現場には、権力者があまり口出ししてほしくないです。もっと、教師に自由にやってほしいし、教師もまた甘えることなく「聖職者」であるという自覚が必要であると考えます。 私は、今の子供たちが先生にタメ口を叩いているのを聞くと、拳固の一つもしてやりたくなります。こういうことをいうと又「古い」と言われるんでしょうね。 今だって教育に情熱を持っている教師はたくさんいると思うのですが、今の教育現場は「熱血先生」は嫌われるんだそうですね。ヘンな世の中になったものです。 |
▼キタキツネさん: 今晩は。お久しぶりです。 キタキツネさんもお元気なようで何よりです。 教育の世界だけでなく、世の中全体が何か殺伐とした空気に包まれてきています。 これはいったいどこからくるのか考えてみる必要がありそうです。 そうした大きな流れの中で、学校も変わってきているのではないかと思います。 教育改革はその流れに乗って出てきているのじゃないかと思います。 キタキツネさんは良い先生に恵まれておられたようですね。 家庭訪問がうきうきなんて牧歌的ですね。 私も教師になり立ての頃は家庭訪問で長居をすることがよくありました。 親におだてられ、「今年の最優秀賞は先生だよ」などと言ってお別れ会を開いてもらったりもしました。 昔の親は教師をおだて、立てることが上手でした。 卒業式に涙はつきものですが、今は親も子もあまりなきません。教師達が一番ぐすぐすやっていたりします。 保護者会では教師顔負けなくらい流ちょうに話すインテリタイプの親が増えましたが、どこかよそよそしくなり、あっけらかんの世話好きタイプもいなくなりました。 みんなスマートです。 私が教師になりたての頃、ベテランの先輩教師が 「親が教師をたてるのは、昔からの知恵なんだ。別に教師がえらいわけではないが教師を立てることが、子供の教師に対する尊敬や信頼感を育てていくことを昔の親は知っていた。今はそれがなくなってきている。」 と、話していたことを思い出します。 もう、そのころから今の傾向は始まっていたのでしょう。 昔を懐かしがってばかりでも仕方ありませんが、昔の良かったところを今一度再評価したくなります。 きっと悪いところもあったのでしょうが。 もちろん、教師も親の好意に甘えることは慎まなくてはいけません。 この時代に熱血教師でいるのは並大抵のことではできませんが、ばりばり仕事をしているときの自分がやはり一番生き生きしています。 教師が子供のためにがんばっていることが通じれば、子供も親も教師を信頼して心を開いてくれるのは今も昔も変わりません。 結局、教師次第です。 退職までひとがんばりしなくちゃいけませんね。 キタキツネさんからお尻をたたかれたつもりで、また明日からがんばります。(笑 |
▼団塊党さん: こんばんわ。 特色ある学校ねぇ。 特色ない学校って、どんなんだろう。特色ある学校なんて、6・3・3・5年制で17年間教育を受けてきた私メには、お目にかかったことがない。 教育の成果って、なんだろう。ほとんど遊び続けた17年だった。勉強=テストはいい刺激になった。どいつが落ちこぼれでどいつが優秀か、簡単に見分けられたからな。 特色ある学校! 1.芸術家をそだてる学校 2.教育者をそだてる学校 3.サラリーマンを育てる学校 4.公務員を育てる学校 5.科学者を育てる学校 6.それらすべてに挫折した時どうするかを教える学校 そんなんがあればいいかなー。 |
▼ウミサチヒコさん: 今晩は。 相変わらずお元気なようで何よりです。 仰るように昔からあんまり特色のある学校なんて聞いたことがありませんね。 でも、それなりにその学校、学校で、自然に知らず知らずににじみ出ている何かはあったのではないかと思います。 少なくとも今よりの〜んびりしていました。 無くなってみればこれがいかに大事なことであったのかよく分かります。 この、の〜んびりがとっても貴重なんです。 今は何しろ、ぎすぎす、ぴりぴりしすぎです。 今日も私の学校の校区で「包丁を持った男がうろうろ」なんてぶっそうな情報が流れました。 これだけで、もう、みんな右往左往です。 やれ集団登校だ、やれ見回りだと。 肝心な仕事が何も手に付きません。 いったい、日本はいつからこんなにおかしくなったのでしょうか。 子供達は、放課後も家の中でじっと静かにTVゲームなんかをやっているのでしょうか。 どこか狂っていますね。 特色ある学校なんてきれい事はもうやめてくれと叫びたくなりますね。 それどころじゃないよというのが、実態です。 お役人さん達は、机上で立派なプランを立てられますが、現場が一番ほしがっているのは、「の〜んびり」です。 それ以外は何も欲しくはないのです。 立派なプランを押しつけられても、教師達は疲れるだけ。 子供達も少しも幸福にもかしこくもなりません |
団塊党さん 早速のレス有難うございました。 >今はすぐに安全だ何だと言って五月蠅いことばかりです。 >下手をすると遊ばせてばっかりでけしからんとか危険だとか何とか言って教育委員会に通報されてしまいます。 >本当に嫌な時代です。 >こんなことで、特色もへったくれもないでしょう。 本当ですね・全く! > >>今、仮に特色を打ち出さんとして現実的な行動をとろうと >>する教師があったとしたら、先ず、異端として見られることに >>なりかねません。 >>教育関係の世界が最も保守的な構造を持ってるのではないでしょうか? > >出る杭は打たれるという意味でしょうか。 そのようなコトではなく画期的な意味での特色のことです。 結果的に日常での変わり映えのしない「ルーチン・ワーク」の中に 留まってる・の意味です。 これは、何も教師だけでは、無く官僚の中にも一般のサラリーマンの 中のも「大過なく」と云ったことに終始してる人たちのコトの意味で 申し上げました。「自己保身に汲々してる」 >そんなけちな根性の教師はほとんどいないですよ。 >本当に個性的で力のある教師は信頼されます。 失礼ながら・私としては疑問に思えます。何処の社会にもケチで チンケの人間はおります。 >もし、皆からつまはじきされるとすれば、校長の提灯持ちのようなタイプで出世ばかりをねらっている教師ですね。 >これまではそうでした。 >しかし、これからはこんなタイプの教師が幅を利かせる時代になっていくでしょう。 >私の学校にもそういうのがいます。 >そのうちにほとんどの教師が大なり小なり校長におべっかを使うようになるでしょう。 >今やっている教育改革なんてそんなものです。 特色のある学校・・・は特色を目的化するのでは無く・・ 結果として「特色としてが現れる」形ではないかと思います。 其処には教師も含む学校としてのシステムが現場での創意工夫が 生「活」かされることが前提となるのでは・と思います。 > >>もし、特色ある学校?の意味を真剣に捉えて考えれば >>国語力「日本語」を「低学年のうちに徹底して向上させる」ことに >>特化して欲しいと思います。 > >国語力が大事なことは異論ありません。 >でも、国語力をその学校の目的そのものにするかどうかとは話が違います。 >国語力を直接に目的にして特色を出そうとすると、私などは塾を思い浮かべます。 それでは塾が必要なのですか?その辺りは塾に任せるのですか? 私は教科の中で一見・特色とは関係ないことのように思われますが 国語力の強化には仮に特色あることが打ち出される前の前提として 思い浮かぶ大切な要素では・と思ってます。 身近な若者たちと接していても「語彙不足」では・と思われる 人の多いことも気付かされます。前述のレスにおいて日本語が 通じなくなってる・・と云った意味はそのことです。 思い直してみますと、ビジネスの最前線で活躍してる若い人たち に殆ど問題のないこと・は一方では認めらてれます。 結局、学習とその成果は個人の努力に帰することで学校や教師への 期待は過剰であってはならない・とも思えてきました。 特色ある学校・・と定義すれば学習意欲を引出し思考力や想像力を 高めることが結果として現れてくることにあるのではないかと 思います。 理想論のようですが・外国「先進諸国」で初等教育を受けた 「帰国子女」と云われてる人たちの実践的な経験談の中で 共通してることがあります。 長くなりましたので、一旦、筆を置きます。 |
▼珍 源斎さん: 今晩は。 遅まきの返事になりましたが、お許しください。 >>出る杭は打たれるという意味でしょうか。 > >そのようなコトではなく画期的な意味での特色のことです。 > >結果的に日常での変わり映えのしない「ルーチン・ワーク」の中に >留まってる・の意味です。 > >これは、何も教師だけでは、無く官僚の中にも一般のサラリーマンの >中のも「大過なく」と云ったことに終始してる人たちのコトの意味で >申し上げました。「自己保身に汲々してる」 そうですね。 どこの世界でも新しいことをやるのは大変なエネルギーがいりますね。 私自身も大概のことには口出ししないで、流れに任せることが多いです。 しかし、これだけは妥協できないということについては、主張します。 それでもなかなか変わりませんが。 >>そんなけちな根性の教師はほとんどいないですよ。 >>本当に個性的で力のある教師は信頼されます。 > >失礼ながら・私としては疑問に思えます。何処の社会にもケチで >チンケの人間はおります。 そうですね。 一枚皮をはげば相当いるでしょう。 しかし、日本の教師は概して誠実に仕事に向かっているのではないかと、私は思っています。 人の足を引っ張るほど暇な教師はあまりいないでしょう。 忙しくて、頭は授業とか子供とか親への対応とかその他もろもろの雑務とかでいつも一杯です。 人のことなんかかまっていられないよと言うのが実状です。 >特色のある学校・・・は特色を目的化するのでは無く・・ >結果として「特色としてが現れる」形ではないかと思います。 > >其処には教師も含む学校としてのシステムが現場での創意工夫が >生「活」かされることが前提となるのでは・と思います。 仰る通りだと思います。 >>国語力が大事なことは異論ありません。 >>でも、国語力をその学校の目的そのものにするかどうかとは話が違います。 >>国語力を直接に目的にして特色を出そうとすると、私などは塾を思い浮かべます。 > >それでは塾が必要なのですか?その辺りは塾に任せるのですか? > >私は教科の中で一見・特色とは関係ないことのように思われますが >国語力の強化には仮に特色あることが打ち出される前の前提として >思い浮かぶ大切な要素では・と思ってます。 申し訳ありません。 国語力と聞いて、私は、今はやりの読み書きトレーニングのことを連想したものですから、塾を思い浮かべると書いたのですが、珍源齋さんの仰る国語力はそうではなさそうですね。 >身近な若者たちと接していても「語彙不足」では・と思われる >人の多いことも気付かされます。前述のレスにおいて日本語が >通じなくなってる・・と云った意味はそのことです。 同感です。 >結局、学習とその成果は個人の努力に帰することで学校や教師への >期待は過剰であってはならない・とも思えてきました。 読み、書きについては一定のカリキュラムに従って力を付けていると思いますが、話し方、コミュニケーション力についてはまだ手探り状態で、カリキュラムがほとんどありません。 これが若者の語彙力に影響しているのかもしれません。 >特色ある学校・・と定義すれば学習意欲を引出し思考力や想像力を >高めることが結果として現れてくることにあるのではないかと >思います。 これはよく意味が分かりません。 >理想論のようですが・外国「先進諸国」で初等教育を受けた >「帰国子女」と云われてる人たちの実践的な経験談の中で >共通してることがあります。 それはどういうことか教えていただけますか? |
団塊党さん こんばんわ 真摯なレスを頂き感謝します。有難うございました。 この処新聞の一面大見出しに踊ってるのは耐震設計の偽装や 証券会社での売り買い処理の誤りが報ぜられてます。 それらに共通してる背景は思考力や想像力そして仕事に取り組む 上での倫理観や真剣さに欠けるといった処にあるようです。 さらにその源を辿れば考える上での最も重要な言語力に欠けてる のではないか・と思われます。 物事を考えたり原因と結果を見渡すための想像力も含め思考力の 泉源は言語力をおいて他にはないと思考する処です。 言語力云々については口説くなり、釈迦への説法の謗りは 免れませんので・・この辺にしておきます。 > 学校の現場を担当される方々には誠実で職務にあたってる人が 大多数であると思います。 かのクレーム処理が不適切であった為に大きく評判を失墜させた 有名自動車メーカーても現場では誠実に職務に当たってる人たちが 多いと思います。 私ごとですが、つい先日、自動車の買い換えをしましたが その人気を落としてるメーカーの自動車に決めました・・・。 > >>特色のある学校・・・は特色を目的化するのでは無く・・ >>結果として「特色としてが現れる」形ではないかと思います。 >> >>其処には教師も含む学校としてのシステムが現場での創意工夫が >>生「活」かされることが前提となるのでは・と思います。 > >仰る通りだと思います。 > >>>国語力が大事なことは異論ありません。 >>>でも、国語力をその学校の目的そのものにするかどうかとは話が違います。 >>>国語力を直接に目的にして特色を出そうとすると、私などは塾を思い浮かべます。 >> >>それでは塾が必要なのですか?その辺りは塾に任せるのですか? >> >>私は教科の中で一見・特色とは関係ないことのように思われますが >>国語力の強化には仮に特色あることが打ち出される前の前提として >>思い浮かぶ大切な要素では・と思ってます。 > >申し訳ありません。 >国語力と聞いて、私は、今はやりの読み書きトレーニングのことを連想したものですから、塾を思い浮かべると書いたのですが、珍源齋さんの仰る国語力はそうではなさそうですね。 > >>身近な若者たちと接していても「語彙不足」では・と思われる >>人の多いことも気付かされます。前述のレスにおいて日本語が >>通じなくなってる・・と云った意味はそのことです。 > >同感です。 > >>結局、学習とその成果は個人の努力に帰することで学校や教師への >>期待は過剰であってはならない・とも思えてきました。 > >読み、書きについては一定のカリキュラムに従って力を付けていると思いますが、話し方、コミュニケーション力についてはまだ手探り状態で、カリキュラムがほとんどありません。 >これが若者の語彙力に影響しているのかもしれません。 > >>特色ある学校・・と定義すれば学習意欲を引出し思考力や想像力を >>高めることが結果として現れてくることにあるのではないかと >>思います。 > >これはよく意味が分かりません。 特色とは?結果として現れてくるのではないか・とする意味です。 > >>理想論のようですが・外国「先進諸国」で初等教育を受けた >>「帰国子女」と云われてる人たちの実践的な経験談の中で >>共通してることがあります。 > これは教師より生徒へのプレゼンテーション的な授業ではなく 問題の提議と生徒に考えさせる形の授業であるようです。 身近に居ます、帰国子女と云われてる父親の勤めの関係で外国での 初等教育を受けた子供たちの比較論的な話から類推する処です。 私の長男も英国への留学経験の中で、日本の大学との違いは 担任の教授と徹底したマンツーマンでの「知的な格闘」とも 云える論理上の練り混みがあったと聞き及んでますが、 それは単に知識を詰め込むことに留まらずそれを如何に知恵や 思考力へと導き出すこと、そして、・・ その事が以後の仕事や人生に於いても役立つことになる実践的な 教養そして思考力の強化に尽きるようです。 今、日本の教育制度の不備を「あげつらう」のではなく、 世界に伍して対等に働ける人材を育てるのに必要な方向が定って くれる事を真に期待する処です。 長くなりました。ご許容の程・・。 |
▼珍 源斎さん: 、 >それは単に知識を詰め込むことに留まらずそれを如何に知恵や >思考力へと導き出すこと、そして、・・ > >その事が以後の仕事や人生に於いても役立つことになる実践的な >教養そして思考力の強化に尽きるようです。 > ご指摘のことについては、日本の学校教育の話題でよく出てくる古くて新しい問題ですね。 知識と思考をどのように関係づけていけばよいのか、実践していつもつきあたる問題です。 今はちょっと時間がありませんので、また機会を改めて考えてみたいと思います。 |
団塊党さん、お久しぶりです。 「素人目」ということで、かなり大雑把な言い方をします。 私は、「特色ある学校」など、ほしくありません。 とくに、地域の公立小中学校は、これといった「特色」なんか、 「学校全体」としては、「ない」くらいのほうが、むしろいい。 ほっといたって、それぞれの地域、いろんな学区なりの「色」の ようなものは、出てくるもんだろうし。 それよりも、とにかくまず、少々、かなり、いろんな条件や事情が あっても、とりあえずでも、誰もがそれなりに、気持ちよく通える 学校であってほしいと思います。 地域公立小学校に望むことがあるとすれば、それは「特色ある学校」 なんかじゃなく、「特色のある先生」が、できれば何人かいてほしい ということです。 自分が小学校の頃のことを思い出しても、新三年、新五年のクラス 替えを控えた春休みとか、「今度の担任はどんな先生?」なんて 話題で持ちきりだったことを、懐かしく思い出します。 してみると、「特色ある学校」づくり作戦とかいうのは、つまり、 「特色ある先生」絶滅作戦なんじゃないだろか? なんて、畑違いの恐いもの知らずで付け加えてみたくもなります。 ところで団塊党さん、またお会いしたいんですけど。 どせばいい? (ここだけ秋田弁) |
ぎみゆらさん >とくに、地域の公立小中学校は、これといった「特色」なんか、 >「学校全体」としては、「ない」くらいのほうが、むしろいい。 >ほっといたって、それぞれの地域、いろんな学区なりの「色」の >ようなものは、出てくるもんだろうし。 まったく同感です。「特色ある学校」作りは、教育の手段の一つであるべきなのに、それが目的化して汲々とする姿は滑稽です。「主客転倒」「本末転倒」といわざるを得ません。 現場に自由にやらせたら各人が個性あるように、学校にも自然に個性が出ますよ。 |
▼ぎみゆらさん: こんにちは。お久しぶりです。 気がついてみると、今年も残り少なくなりましたね。 レスが遅れてしまいすみません。 そうですね。 教育に対してある理想があって、それを目指していったら、いつの間にか他の学校とは違っていたというなら、私は素晴らしいことだと思いますが、そして、実際にそういう学校はいくつかありますが、競争に駆り立てられてられるようにして作った特色なんか、ない方がいいですね。 ぎみゆらさんが仰るように、「誰もがそれなりに、気持ちよく通える学校であってほしい」というのは多くの親が子供が一番願っていることじゃないでしょうか。 それが実現できている学校には、取り立てて、特色がどうだこうだ言わなくても、 学校全体に好ましい雰囲気を醸し出していると思います。 >してみると、「特色ある学校」づくり作戦とかいうのは、つまり、 >「特色ある先生」絶滅作戦なんじゃないだろか? >なんて、畑違いの恐いもの知らずで付け加えてみたくもなります。 いや、仰るとおりだと思います。 今の学校は、「失敗をしない」こととか、目に見える成果をおっかけることだとか、自分を守ることだとかが関心事になりつつあります。 もっと素朴に仕事への情熱だとか、その人の人柄とかが自然に出せるような雰囲気がなくなりつつあります。 もっと素朴にの〜んびりといきたいものです。 >ところで団塊党さん、またお会いしたいんですけど。 >どせばいい? (ここだけ秋田弁) どせばいいでしょうかね。(笑 今年は関西でなんて話が出ているようですが・・・ ちょっと遠すぎますね。 12月25日〜30日 のいずれかでしたら空いていますので、 ぎみゆらさんさえよければ日時と場所を提示してください。 |
団塊党さん:はじめまして 教えて下さい。 教育委員会というのは、どういう人的構成になっているのですか? 文部科学省の役人との関係とか、都道府県職員との関係とか? 私の友人に小学校の校長が居ますが、文部科学省は、教育学者なるものを中心に審議会を作り結論を得て、現場と遊離した方針を打ち出してくるので閉口すると言っていました。 文部科学省は、校長の意見を聴く公聴会を開け!などとダジャレておりました。 よろしく。 |
▼安本単三さん: こんにちは。 初めまして、ではないですよ〜。 お忘れでしょうか? >教えて下さい。 >教育委員会というのは、どういう人的構成になっているのですか? >文部科学省の役人との関係とか、都道府県職員との関係とか? > >私の友人に小学校の校長が居ますが、文部科学省は、教育学者なるものを中心に審議会を作り結論を得て、現場と遊離した方針を打ち出してくるので閉口すると言っていました。 > >文部科学省は、校長の意見を聴く公聴会を開け!などとダジャレておりました。 >よろしく。 東京都の教育委員会のページを下に張り付けておきます。 http://www.metro.tokyo.jp/ANNAI/TOCHO/SOSHIKI/kyoiku.htm 知事に任命された6名の教育委員が議決権を持ち、その下に都の職員が各部で仕事をしています。 文部科学省の出した通達、指針が都道府県教委、市町村教委と下に降りてくるほど窮屈になり、学校を縛るシステムになっています。 国旗国家問題に限らずあらゆる事がそうなっています。 ですから、いざとなると誰も責任をとらないのです。 学習指導要領がくるくる変わっても、その責任は誰もとりません。 現場遊離は毎度のことです。 学校を改革するなら、このシステムを変えることが一番です。 現場主義をもっと取り入れることです。 教育委員のメンバーに少なくとも1〜2名は教師経験者が入っているべきですが、そんな考えの知事は聞いたことがありませんね。 田中康夫長野県知事などはどう考えているのでしょうかね。 |
▼団塊党さん:有り難うございます。 >東京都の教育委員会のページを下に張り付けておきます。 > >http://www.metro.tokyo.jp/ANNAI/TOCHO/SOSHIKI/kyoiku.htm > >知事に任命された6名の教育委員が議決権を持ち、その下に都の職員が各部で仕事をしています。 >文部科学省の出した通達、指針が都道府県教委、市町村教委と下に降りてくるほど窮屈になり、学校を縛るシステムになっています。 >国旗国家問題に限らずあらゆる事がそうなっています。 >ですから、いざとなると誰も責任をとらないのです。 >学習指導要領がくるくる変わっても、その責任は誰もとりません。 > >現場遊離は毎度のことです。 >学校を改革するなら、このシステムを変えることが一番です。 >現場主義をもっと取り入れることです。 >教育委員のメンバーに少なくとも1〜2名は教師経験者が入っているべきですが、そんな考えの知事は聞いたことがありませんね。 >田中康夫長野県知事などはどう考えているのでしょうかね。 同感です。 教育委員会とは改めて巨大官僚組織と認識しました。 ところで、知事に任命された6名の教育委員の中に、文部省からの出向者はいるのでしょうか。あるいは、どのような経歴の人がなるのでしょうか? とにかく、近年で、唖然としたのは円周率3でしたよど。このどいつが考えて実施させたのかとね。3.14でなければ、円い穴も掘れません。ヨイトマケもできません。 今回の耐震性偽装建築事件でも工事現場監督が事情を一番良く知っていますよ。 自分の経験からして、官僚は、やたらと通達を出したがる。それを生きがいとしているから始末が悪い。中には法を越えるものがある。困ったものですね。 |
▼安本単三さん: >同感です。 >教育委員会とは改めて巨大官僚組織と認識しました。 >ところで、知事に任命された6名の教育委員の中に、文部省からの出向者はいるのでしょうか。あるいは、どのような経歴の人がなるのでしょうか? 文部省の出向者はいないと思いますが、息のかかった人はいるでしょう。 各教育委員会のホームページで調べてみればよく分かると思います。 私は今年ある学校の研究会に行ったのですが、そこに文部省の若手官僚がきていました。 その人は大変誠実な人で、文部省の古い体質があってどうしようもない現状を嘆いていました。 どこの世界もベテランになるほどそこの体質が染みつきたちが悪いようです。 若い人がこれからどう変えられるかそれに期待するしかないようです。 >とにかく、近年で、唖然としたのは円周率3でしたよど。このどいつが考えて実施させたのかとね。3.14でなければ、円い穴も掘れません。ヨイトマケもできません。 まったくそうですね。 円周率を3と教えて平気でいられるのが不思議です。 >今回の耐震性偽装建築事件でも工事現場監督が事情を一番良く知っていますよ。 > >自分の経験からして、官僚は、やたらと通達を出したがる。それを生きがいとしているから始末が悪い。中には法を越えるものがある。困ったものですね。 まったくそうです。困ったもんです。 |
ぎみゆらさんの ・・・・「特色ある学校」づくり作戦とかいうのは、つまり、 「特色ある先生」絶滅作戦なんじゃないだろか?・・・ このフレーズが妙に頭に残る。 特色ある先生とは何か? 結局は子供をかわいがることのできる能力があればそれでよいということかもしれない。 子供をかわいいと思えば子供のためにがんばろうとするし、自然にその教師の魅力も出てくるし、それがその教師の特色だとも言える。 特色ある学校なんていっている間に、その一番肝心なところを忘れさせてしまうのが、教育改革の真のねらいかもしれない・・・・ 独り言でした。 |
団塊党さん またまた、小学生の女子児童が殺されたという。しかも、犯人は塾の講師(学生アルバイト)だといいます。こども達は、どのようにして自分の身を守ったらよいのでしょう。 「特色ある学校」よりも、「安全である学校」と、信頼できる教師を、親は何よりも願っています。 ……キタキツネの独り言です。 |
▼キタキツネさん: > またまた、小学生の女子児童が殺されたという。しかも、犯人は塾の講師(学生アルバイト)だといいます。こども達は、どのようにして自分の身を守ったらよいのでしょう。 > > 「特色ある学校」よりも、「安全である学校」と、信頼できる教師を、親は何よりも願っています。 > > ……キタキツネの独り言です。 まったくもってそうですね。 安全で教師が信頼できる、この二つがあれば親としては言うことはないでしょうね。 安全の方は、学校だけではとても守れません。 警備員を常時配置することが何より急がれることですが、市はいっこうにそのような動きを始めません。 門や塀もいつでもいらっしゃいとでも言わんばかりの作りです。 PTAや教師の見回りだけではとても守りきれるものではありません。 教師の信頼性の方は何と言ったら良いでしょうか。 結局は教師個人と学校全体の誠意の問題でしょうか。 誠意が伝われば親は信頼してくれるのではないかと楽観的に考えています。 しかし中にはそれが通じない親もいますね。 言いたいことだけ言って、肝心なことは学校任せというタイプとか、自分の子供の問題をすべて学校の責任にするタイプとか、そういうのが一番困ります。 親と学校の双方がお互いに信頼できる関係にならないと、何事もうまくいきません。 |
団塊党さん、こんにちは。 まず、「どせばいい?」の件。(笑) お返事が遅くなって恐縮ですが、挙げていただいた日のなかでは、 12/26、27、28、できれば27か28がありがたいです。場所は 新宿か吉祥寺あたりではいかがでしょうか。 この場で待ち合わせまで相談してしまってもいいのですが、駅の 伝言板でデートの相談してるみたいですし、できれば下記宛直接 ご連絡いただけるとありがたいです。gimiyura@fox.dti2.ne.jp それから、「特色ある先生」のこと。 わりといろんな仕事に当てはまるんじゃないかと思うんですが、 とくに「対人間」の仕事の極意は、「相手に裸であたる」ことでは ないかと、最近あらためて思っています。私の多少知っている世界で いえば看護職なんかそうですし、ベテラン営業職の方なんかからも、 そういうお話をうかがうことがあります。 もちろん相応の経験と知識を積んだうえでのことですが、新たな 患者さん、お客さんと向き合うときには、それらの経験や知識を、 いったん「棚上げ」するように気持ちで、「相手に素であたる」。 そうすると、そこには必然的に「その人」そのものが出ますので、 どうしたって、ある意味「個性的」になってくる。 それが、「特色ある看護師」「特色あるセールスマン」「特色ある 教師」なんじゃないでしょうか。つまり、言葉の本当の意味で、 いま目の前にいる相手に対して「謙虚」で「誠実」であること。 そのために、いちばん大切なのは、やはり言葉の本当の意味での、 「勇気」と「自信」なのではないかと、私は思っています。 |
▼ぎみゆらさん: >この場で待ち合わせまで相談してしまってもいいのですが、駅の >伝言板でデートの相談してるみたいですし、できれば下記宛直接 >ご連絡いただけるとありがたいです。gimiyura@fox.dti2.ne.jp 了解しました。 後ほどメールします。 >それから、「特色ある先生」のこと。 > >わりといろんな仕事に当てはまるんじゃないかと思うんですが、 >とくに「対人間」の仕事の極意は、「相手に裸であたる」ことでは >ないかと、最近あらためて思っています。私の多少知っている世界で >いえば看護職なんかそうですし、ベテラン営業職の方なんかからも、 >そういうお話をうかがうことがあります。 > >もちろん相応の経験と知識を積んだうえでのことですが、新たな >患者さん、お客さんと向き合うときには、それらの経験や知識を、 >いったん「棚上げ」するように気持ちで、「相手に素であたる」。 >そうすると、そこには必然的に「その人」そのものが出ますので、 >どうしたって、ある意味「個性的」になってくる。 > >それが、「特色ある看護師」「特色あるセールスマン」「特色ある >教師」なんじゃないでしょうか。つまり、言葉の本当の意味で、 >いま目の前にいる相手に対して「謙虚」で「誠実」であること。 >そのために、いちばん大切なのは、やはり言葉の本当の意味での、 >「勇気」と「自信」なのではないかと、私は思っています。 なるほど、子供とか親と接してうまくいっている時を思い出すと、そういう感覚になっているような気がします。 人間を相手に仕事をしている者として非常に興味あるところです。 この辺を是非、今度お会いしたときにじっくりお聞きしてみたいです。 |
▼ぎみゆらさん: 昨日メールを送りました。が・・・ 私のは携帯からではなくパソコンからのメールですので、もしかしたら届いていないでしょうか? (以前そんなことがありましたので) |
ごめんなさい。メール届いてます。 今晩中に具体的にお返事します。取り急ぎ。 |
みなさんの小学校のころには、「朝読み」がありましたか。 朝ご飯のまえに、勉強机で教科書を読む。近所のあっちこっちから朗読の声が聞こえてきました。読めない漢字の箇所では声が止まる。親はそれが聞こえるので、読めない箇所がわかる。国語や社会科などを15分くらい読むと、眠気もどこかに消え、腹も減る。ご飯がおいしい。 いいことだらけで当然みなやっていたものだと、思っていましたが、同世代の何人かに聞いたところ、「そんなことしたことない」が大半の返事。 小学生に英語を教えるなんてばかげた教育はやめて、近代詩や論語の朗読教育のほうが国際人を作ります。英語を流暢に操ることに、大した価値はありません。 |
▼牛の5さん: >みなさんの小学校のころには、「朝読み」がありましたか。 >朝ご飯のまえに、勉強机で教科書を読む。近所のあっちこっちから朗読の声が聞こえてきました。読めない漢字の箇所では声が止まる。親はそれが聞こえるので、読めない箇所がわかる。国語や社会科などを15分くらい読むと、眠気もどこかに消え、腹も減る。ご飯がおいしい。 >いいことだらけで当然みなやっていたものだと、思っていましたが、同世代の何人かに聞いたところ、「そんなことしたことない」が大半の返事。 >小学生に英語を教えるなんてばかげた教育はやめて、近代詩や論語の朗読教育のほうが国際人を作ります。英語を流暢に操ることに、大した価値はありません。 初めまして。 仰るように朗読は大切だと思います。 黙読だけでは身に付かない何かがあると思います。 特に教師がこれはよいと思う詩や文章をどんどん与えて家でも学校でも読ませるのは、やって損することはないですね。 私は宿題で難しい文章も読ませています。 意味は分かるに越したことはありませんが、後でも良いと思っています。 |