Page 143 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼戦力「戦闘力」のコスト比較について! 珍 源斎 05/5/17(火) 10:42 ┗Re(1):日本帝国陸海軍は高コスト体質の極みであった。! 珍 源斎 05/5/17(火) 10:55 ┗Re(2):日本帝国陸海軍は高コスト体質の極みであった。! りんご 05/5/17(火) 12:03 ┣よしましょうよ。 退役軍人 05/5/17(火) 13:43 ┗Re(3):日本帝国陸海軍は高コスト体質の極みであった。! 珍 源斎 05/5/17(火) 21:57 ┗Re(4):日本帝国陸海軍は高コスト体質の極みであった。! 珍源斎ファン 05/5/18(水) 2:03 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 戦力「戦闘力」のコスト比較について! ■名前 : 珍 源斎 ■日付 : 05/5/17(火) 10:42 -------------------------------------------------------------------------
戦力「戦闘力」のコスト比較について考えてみる・。 ベトナム戦争でのベトナム軍と米軍との戦闘力とコストの 差・ほど、その違いが多額であったと考えられてる。 前線で戦闘を遂行するに当たりベトナム軍は兵士各々に 簡易型ロケット砲と小銃を携え、廃タイヤで作られた ホーチーミンサンダルを履いて竹筒に飲料水、米と塩少々、 釣り針一式「魚を釣る」等々を携行し移動はもっぱら徒歩 「文字通り歩兵」であっても実際に米軍と対峙した時の戦闘力は ロケット砲は砲兵の戦力を、小銃は狙撃兵として、食糧、糧秣は 自給に近い形で、米軍のような機動力は無くても隊を小分けにした 分散配置により相手にモグラ叩きゲームようの負担を強いて 機動力に代わる対抗手段としたこと、等々随所に戦闘について 知恵が発揮されたことは戦史上の特筆ものであったそうである。 片や米軍では制空権も確保する傍ら物量にモノを云わせた高価な 近代兵器の投入をしたが結果として初期の目的は達せられない敗北 に終わったことを考えると・。 戦いを遂行する精神力とコストの差「費用対効果」が結果を 導き出したように思える。 それにしても膨大な軍事的な支出を平和的なモノに振り向け られたら・と・返す返すも残念の極みである。 |
日本帝国陸海軍は夥しい高コスト体質であった。 それは敗北の大きな原因で・・あったようである。 一番の高くついたのは兵員、人的な面で招集礼状一本 俗に云われてる「一銭五厘」のはがき一枚で集められ 一人一人の能力に関係なく兵役を負わされ 生命さえも「一銭5厘」に扱われたこと・戦争での人的な 損耗は最も高いものであると云うコスト意識に戦争を 遂行する上で持ち得なかったことが・最も基本的な要因で あると思う。 人命をコスト視することは抵抗感があるが・・とどのつまり 幾たびの歴史的な戦役の中での「勝利者」にはコスト的な 優位さがあったように思われる。 |
▼珍 源斎さん:こんにちは。 >日本帝国陸海軍は夥しい高コスト体質であった。 この根拠を、数字でご教示くださいませんでしょうか。 トピックが「コスト」である以上、厳密な数字を挙げなくては、 議論は成り立たないと思いましたゆえ、書き込みさせていただきました。 ありがとうございました。 |
りんごさん、こんにちは。 ▼りんごさん: >>日本帝国陸海軍は夥しい高コスト体質であった。 >この根拠を、数字でご教示くださいませんでしょうか。 想定の範囲ってのが、ライブドアの堀江氏から出まして「流行りの言葉」になっちゃいましたけれど。(笑 軍事において、それも作戦や戦場での戦術に至るまでスケールの差はあるものの、「想定の範囲」「容認でき得る損失」ってのが、キーワードになります。 どんなに兵力差があって、一方的な状況となっても【損失】というのは、必ず双方に出るという「現実」があります。 従って、占領という結果を得たいのであれば、いかなる兵力差があっても、侵攻する側にも戦死者や戦傷者は必ず出てしまう現実があるということかと。 戦死というコストをどう捉えるか、この視点が旧帝国陸軍や海軍と米軍では異なっていたということかと。 要するに作戦立案の段階で、戦死者や重傷者がどのぐらい出るか【想定】しておくということと、どの程度の【損害】なら、作戦の大局に影響を及ぼさないか【容認の範囲】を想定しておくということです。 現代の捉え方では、全兵士の「2%」が戦死あるいは負傷で戦えなくなった状態を【甚大な損害】と定義します。これが「5%}となると【壊滅的損害】と定義します。 戦術単位が小隊規模(20〜40人)から、大隊規模(約1,000人)、更なる規模になってもこれは同じです。 安全に関するスレッドで 1 : 30 : 300 でしたっけ、なんとかの法則ってのが紹介されていましたけれど、私の知る限りでは「軍隊の損害評価法」とほぼ同じなのです。 まぁ、逆引きみたいなもんで 「1 : 3 : 30 : 300」 程度で評価しますけれど。 一人の戦死者が出れば、三人の重傷者が存在し、30人の軽傷者が何らかの能力を失い、300人の兵士が何らかの問題を抱えると認識します。 こういった【現代の認識】(←ここ重要)で、WWIIの米軍と日本軍の戦闘を戦史から分析すれば。 米軍は10%程度の損失で撤退を考慮したり、方針転換をしていると見られるケースが多いこと。 日本軍は30%程度の損失となっても当初の作戦目的を保持して戦い続けたケースが多いこと。 これは、その理由として日本軍がやや精神論に傾斜しすぎていたと考えられることになろうかと。 私は、こういった観点で旧日本軍の有り様を批判出来る立場にありませんが、事実は事実で受け入れるべきだと考えています。 当時コスト意識があったかどうかは甚だ疑問ではありますが。【私は存在しなかったと考えています。】 現在知り得る史実で評価すれば、コスト【容認できる損害の範囲】を考える上で人命という要素をどう捉えていたか、ここには大きな違いがあると考えています。 逆説的に言えば、米軍兵士が日本軍兵士をいかに恐れていたかということでもあるし、我々の先人がいかに勇猛で果敢であったかの証左でもあろうかと。 私は、こういった勇猛果敢に戦った先人たちを尊敬し誇りに思います。 しかしながら、軍事という現実の積み重ねしか存在しない世界では、旧日本軍の作戦立案者の認識が、精神で凌駕できる限界の認識を大きく見すぎたと考えます。 これは、批判や非難ということではなくて、【今知り得る事実や史実】を、当時とは基準の違う【現代の価値観や倫理観】という「ものさし」で計ってみた結果であるということかと。 結果は受け入れるべきですが、誤りであったと認識できたとしても、批判や非難を出来る立場にないという節度が必要であると考えていますから。 なぜならば、当時の人達が知り得た情報やそこから立脚した視点を考えれば、我々が現在持ち得る視点は【神の視座】と呼べるほど異なるからです。 >トピックが「コスト」である以上、厳密な数字を挙げなくては、 >議論は成り立たないと思いましたゆえ、書き込みさせていただきました。 お気持ちは理解できますが、珍源斎さんは考え方は違えども、冷静な対話が出来る人であることに疑いの余地はありません。 たぶん軍事については、あまりよくご存じない方だと思いますけれど、裏付けがなくとも【コストという着眼点】からの主張は真っ当な物だと思います。 こういった観点に、事細かなデーターを要求する意味があるとは思えませんけれど。 失礼いたしました。 |
りんごさん こんにちは! 戦闘機製造するの如何ほどの費用が掛かったか? これの日米差はおそらく資料として何処かにあるはずです。 ハード面の事は残されてる資料を見れば「つまびらか」に なると思いますが、・・ この度のスレッドに展開する私の論点は数字云々ではなく、 WWIIの開戦に至る前に当時の満鉄調査部が集めた戦争を 遂行するに必要な資源「石油、鉄鋼、アルミニュウム等々」 がタイトである状況や工業力「自動車の大量生産」にみられる もの等々に大きく差があること「コスト」についても当時の 日米差はあるということが判ってました。 現在でも冷静に考えれば開戦に至ったことは無謀であったと 当時の満鉄調査部に在籍してた人の話にありました。 それに加えて海軍の零戦のパイロットで戦後は某有名自動車 メーカーを立ち上げたメンバーお一人であった方で戦後の日本の 航空界に少なからず貢献された方から伺った話の中で、 日本軍での兵員への人命軽視が最も高くついたことであった・と 述懐されてました。例えば一人前の「パイロット」を養成するのに どれほどの費用を要するか? 例え歩兵の一人であってもその生命の価値は比べようのないも のである・と云えるのでは無いでしょうか? 戦時中での前線で見られたことで撃墜され海中にパラシュート 降下した米軍パイロットをグラマングース「双発の水上救難機」 が飛来しグラマン、艦上戦闘機が制空権を確保するかたはら 海中の遭難パイロットを救助した・敵ながら天晴れで見事で あったとの話です。 確か故;ケネデイー米国大統領もWWII太平洋戦争時に撃墜された パイロットの救助する為の高速救難艇に乗ってた話は有名です。 「零戦パイロットは落下傘の着用はしなかった。」 私はコストとして人間について勘案する事には大きな抵抗感を 持ちますが、今では人件費としてにお費用項目も立てられてます。 例えば航空機の整備にあたる人員のコストには「マンアワー=人件費」 一人の人間が一時間要した単位でマンアワー=幾ら幾らで技術の 程度により決められてます。 かつての日本ではそのような「人的なコスト」を勘案し、積算する 概念は無かった。 さて、お申し越しの細目な厳密な数字に拘ったのでは私の云んとする 論議になりませんので敢えて論議の外に置きましょう。 加えて・云っても悔やみが先立ちますが・戦禍に倒れた人々の中に もし生存してたならば、人類の為にも大きな仕事が出来た方々が おられたのではないかと思えば・虚しさの感慨を持たざるを 得ません。 付け加えますと・よく云われてる戦力データを示す数字がありますが 実際は航空機にしても艦船・船舶にしても稼働率が問題になります。 日本軍では陸軍機と海軍機では部品やネジについてもJIS規格のような ものが無く、ネジ・部品の共用が無く破損機の部品を活かして機体の復元 を図ることができなかった。 一方・米軍のグラマン機などは大量生産で作られており、損耗機や破損機 の部品の活用が可能で、稼働率として高いモノがあったと戦後になり 判ったとのことです。 注;満鉄調査部は日本的なCIAのような戦略的な資料や情報の 収集に当たってたと云われてます。 少々長くなりました。ご許容のほど! |
機転に富み、且つ、高尚な文体の珍源斎さんの ファンになりました。 これからも素晴らしい書き込みをよろしくお願い致します。 |