Page 1467 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼戦艦大和もそうっとしておいてあげたい。 山本春彦 06/2/3(金) 23:21 ┣Re(1):戦艦大和もそうっとしておいてあげたい。 珍 源斎 06/2/4(土) 21:41 ┃ ┣Re(2):戦艦大和もそうっとしておいてあげたい。 風の旅人 06/2/5(日) 2:13 ┃ ┃ ┣Re(3):戦艦大和もそうっとしておいてあげたい。 珍 源斎 06/2/5(日) 10:35 ┃ ┃ ┣Re(3):戦艦大和もそうっとしておいてあげたい。 山本春彦 06/2/6(月) 0:53 ┃ ┃ ┃ ┗Re(4):戦艦大和もそうっとしておいてあげたい。 風の旅人 06/2/8(水) 1:33 ┃ ┃ ┃ ┗しらみ艦隊について 山本春彦 06/2/9(木) 17:16 ┃ ┃ ┗Re(3):工業技術力の差! 珍 源斎 06/2/7(火) 17:40 ┃ ┃ ┗Re(4):工業技術力の差! 山本春彦 06/2/7(火) 22:16 ┃ ┃ ┗Re(5):植民地よりの収奪に頼らずに! 珍 源斎 06/2/8(水) 13:23 ┃ ┃ ┗交流バイアス懐かしいことばです。 山本春彦 06/2/10(金) 22:03 ┃ ┃ ┗Re(1):敗戦後の復興に見るべきこと! 珍 源斎 06/2/11(土) 16:20 ┃ ┗Re(2):補足します。マレー沖海戦について 珍 源斎 06/2/9(木) 19:28 ┗Re(1):戦艦大和もそうっとしておいてあげたい。 あぶさん 06/2/8(水) 12:45 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 戦艦大和もそうっとしておいてあげたい。 ■名前 : 山本春彦 <halyama@sepia.ocn.ne.jp> ■日付 : 06/2/3(金) 23:21 ■Web : http://www.halenter.co,jp -------------------------------------------------------------------------
今戦艦大和の映画が出ている。 出撃にあたって若手士官のあいだで色々議論されたのはしつている。 それを今一度ふりかえり、不戦の誓いを新たにするのなら私は何も言うことはない。 しかしややもすると戦艦大和は世界一の戦艦だったなど、懐古趣味をとおりこした自画自賛の種にされることを私は恐れる。 私は海軍技術士官。扱った船は小さな海防艦、駆潜艇など。これらの補給路線防衛の備えなしに戦いをいどんだトップ連中の不見識も頭にきたのだが、大艦巨砲主義は技術の少し先輩の連中にもみなぎっていた。 海防艦の多量生産が可能になったのは18年暮れ。優秀な3式探振儀がつけられはじめたのが19年春だ。 それらの船が実戦に参加し始めてやっと補給路線が確立でき始めたころ、連合艦隊は壊滅。いままで大きな軍艦ばかり扱ってきた古手の上官たちは、なんだしらみ艦隊ではないかと海防艦たちをけなした。 艦長は商船学校出の予備士官。それに予備学生。おさない少年水測兵。かれらは必死の船団護衛を行い、その多くが犠牲となった。20年3月になると中国大陸からの航空機による船団攻撃がつよまり、いっそうの犠牲者を出すことになった。 彼らにしてみれば、また私の考えでも、もっとも多く戦ったのはそれらしらみ艦隊だとの自負がある。 いま大和だなんだといわれる中でしらみ艦隊が忘れ去られるのはいかがなものか。 もっと痛烈に批判を許されるとしたら、わたしはこう告白する。戦艦大和は世界一の戦艦では無かったと たしかに造艦技術はすすんでいただろう。しかしレーダーはどうだったのか。音響兵器はどうだったのか。防振技術はできていたのか。自動制御技術は採用されていたのだろうかなど色々。 そとにみえるところだけで世界一を云々はやめてほしい。当時の日本の技術の先端ではあったかもしれないが、その最大の目的艦隊決戦までが砂上の楼閣となった悲劇の軍艦、それに乗り、日本海軍のメンツのために死ななければならなかったものたちの悲劇。そっとしておいてあげたい。 |
山本春彦さん: 今晩わ!貴方のスレッドへ便乗させて頂き、私見を述べさせて 頂くことをお許し下さい。 >しかしややもすると戦艦大和は世界一の戦艦だったなど、懐古趣味をとおりこした自画自賛の種にされることを私は恐れる。 全くその通りです。戦術としては「まぐれ勝ち」はあっても「敗戦の原因」には まぐれは無い、今して思えば戦争を始めたこと・そのことが敗戦に繋がってる。 マレー沖の開戦以後、アメリカでは大艦巨砲から航空戦力を主体とした 機動部隊へと急速な戦略的な転換をした。建造中の大型戦艦の偽装を取り払い 艦載機の発着甲板を取り付けて多数の航空母艦に仕上げた。 艦載機搭乗員を急増するためにパイロットの養成には相当の意を配ばり 平均的な技量を高めるために合理的な訓練シラバスが考案された。 空中戦で撃墜されたパイロットの救出にはグラマングースの双発飛行艇や 後のケネデイ大統領の活躍もあったとする高速救難艇も多数配置されて 兵員損耗を極力、低める努力に力を注いだと云う。戦力維持と温存は 人間生命の温存に他ならない・・。 電波探知機・今ではレーダーと云われてるが、八木式ビームアンテナの考案も 日本で為されたがレーダーとしてはアメリカが速く実用化に成功した。 その成果は云うまでも無く彼らにして戦局を有利にした。 戦争を総括した書物は今の若者には余り省みれれることはないが・・・ トヨタ自動車の奥田会長「現経団連会長」が社の幹部に必見として 薦めた本「日本はなぜ破れるのか」敗因の21カ条・山本七平著を 読まれることを改めてお勧めしたい・・・。 戦艦大和・以前に日本にとって大きな問題があり・・それが今に続いてる こと、更なる悲劇を引き寄せかねないことに・今、深く考えさせられる。 戦争、戦闘とは絶え間の無い兵器の開発競争にある当時の艦船の防空体制 としてはアメリカ軍はVT信管からなる高射機関砲を開発してレイテ海戦以後 の日本の神風攻撃の戦果を大幅に減じたことが知られてる。 その一つとしてVT信管付きの砲弾は命中せずとも航空機の接近を感知して 破裂し破片を膜状に飛び散らせるのでそこへ突っ込んでくる航空機やその乗員 へ致命的な損傷を与えることになる。対空兵器としては有効性の高いもので あった。 >もっと痛烈に批判を許されるとしたら、わたしはこう告白する。戦艦大和は世界一の戦艦では無かったと > >たしかに造艦技術はすすんでいただろう。しかしレーダーはどうだったのか。音響兵器はどうだったのか。防振技術はできていたのか。自動制御技術は採用されていたのだろうかなど色々。 > 戦艦大和にして絶望的な特攻に駆り出したこと、その大和と運命を共にした 尊い犠牲を想えば、今は安らかにそうっとしておいて差し上げたいと願う・ ばかりである。 |
VT信管の図面がありましたよ。 http://www.vector.co.jp/soft/dl/dos/hardware/se021125.html 資料です。 http://www.and.or.jp/~taihoh/radar/vt.htm http://ja.wikipedia.org/wiki/VT%E4%BF%A1%E7%AE%A1 探振儀 http://www.warbirds.jp/ansq_old/D1000545.html それにしても未だに不思議に思うのですが、なぜ日本軍は補給を軽視したのでしょう? やはり、面倒だから? 現地調達しなさい!だったのでしょうか? 当時の補給に関する方針はどうだったのでしょう。 自衛隊にその教訓は活かされているのでしょうか。 新たな勉強の種をいただいたことを感謝いたします. |
風の旅人さん こんにちわ!インターネット情報は凄いですね。 このようなクラシックなモノまで有りましたか! > VT信管の図面がありましたよ。 >http://www.vector.co.jp/soft/dl/dos/hardware/se021125.html > >資料です。 >http://www.and.or.jp/~taihoh/radar/vt.htm >http://ja.wikipedia.org/wiki/VT%E4%BF%A1%E7%AE%A1 > >探振儀 >http://www.warbirds.jp/ansq_old/D1000545.html > > それにしても未だに不思議に思うのですが、なぜ日本軍は補給を軽視したのでしょう? > やはり、面倒だから? > 現地調達しなさい!だったのでしょうか? ・・・結果的にそのようになってしまったと思います。・・・ > 当時の補給に関する方針はどうだったのでしょう。 戦線が急速に拡大することにより補給が追いつかず強制的な 現地調達が行われたことに大きな問題があったようです。 > 自衛隊にその教訓は活かされているのでしょうか。 自衛隊への教訓と云うより、戦国時代の織田軍の軍紀の厳しさ 豊臣秀吉軍が荷駄隊「補給」を重視して農民よりの略奪的な 調達を極力無くすることで農民や庶民の協力を得られたということ 等により秀吉の戦力は相対的に高いモノであったとのことを思えば 戦略上教訓以上のものは歴史の中にも見て取れますので、 戦力とは補給や現地の人たちへの生活上での負担かけないことを 考えた総合的なものであることはイロハのイであり専門家には 改めて云うことでは無い先刻承知のことではないかと思います。 もしそれが叶わないのであれば絶対に戦端は開くべきでない ことは歴史の中にその教訓は見てとれます。 以上、このスレッドの主旨とのズレはご許容のほど願います。 |
風の旅人さん。色々投稿有難うございました。 海防艦が必死で戦ったのは、現地への補給もあったでしょうが、日本に油をもってくるための死闘が多かったのでないでしょうか。 こんな生命線的な補給路線の確保の必要性。当然わかっていたでしょうに。 この問題は将来平和日本であっても、中東に石油資源を依存する以上、どのようにするか常に考えておく必要はあるでしょうね。といって戦争もしていない外国潜水艦などを、日本の生命線を妨害すると言うことで攻撃は出来ないし。むずかしい問題です。 ある防衛庁OBから聞いたはなし。君。今の潜水艦探知は13kcなどではないんだ。どかんと低周波なんだよと。13kcから14kcしょっちゅう耳にしていたおかげで耳の感度が悪くなってこまっています。 |
▼山本春彦さん: >風の旅人さん。色々投稿有難うございました。 > >海防艦が必死で戦ったのは、現地への補給もあったでしょうが、日本に油をもってくるための死闘が多かったのでないでしょうか。 >こんな生命線的な補給路線の確保の必要性。当然わかっていたでしょうに。 やはり、今も昔もシーレーンの確保が一番の頭痛の種だったんですね. 某C国の南沙諸島の占拠問題にしても、マレー半島沿岸での海賊の問題にしろ、海運国家には辛い話ばかりです. > >この問題は将来平和日本であっても、中東に石油資源を依存する以上、どのようにするか常に考えておく必要はあるでしょうね。といって戦争もしていない外国潜水艦などを、日本の生命線を妨害すると言うことで攻撃は出来ないし。むずかしい問題です。 現在、天然ガスから軽油を精製する技術や、海底に眠るメタンハイドレードと呼ばれる固化したメタンを利用する技術が徐々に開発されてきております.また電力についてはしばらく先ながら核融合発電がありますし(実現可能なのだろうか)。 必ずしも明るいとはいえませんが、それなりに中東依存のエネルギー体質を変えていけるものと思われます.あとはロシア発中国経由の天然ガスパイプラインですねぇ。 >ある防衛庁OBから聞いたはなし。君。今の潜水艦探知は13kcなどではないんだ。どかんと低周波なんだよと。13kcから14kcしょっちゅう耳にしていたおかげで耳の感度が悪くなってこまっています。 このあたりは、私にとっては未知の分野ですので勉強をする時間をください。 退役軍人さんがこの種類のお話には滅法強いです. また、しらみ艦隊についてですが、お勧めの資料や参考書、小説などがありましたら教えてください. |
一般に海軍部内でいわれた言葉でないので、これについての特別なものはないでしょうが、海防艦、駆潜艇その他一般の艦艇については日本海軍艦艇(新人物往来社)にどのような大きさで、どのような装備、そしてどれだけ作られたか、どれだけ沈んだかなどが記されています。 大増産されたのは丙型と丁型ですが、丙型は6角型の煙突、丁型は推進器一本というしろものでした。どちらかというと丁型のほうが船体の周囲に石炭庫があり沈みにくかったのでないかと思いますが、丙型は重油燃料庫、船体のどこに魚雷があたってもたちまち沈没はまぬかれないしろものでした。 すなわち艦首には弾薬庫、艦尾には爆雷庫、中央部は機関室。 船内の天井には白い粉が塗られていました。機関砲を打つだけで白い粉がばらばらおちました。当時不燃性の塗料が開発間に合わなかったためです。 駆潜艇は海防艦より小さいのですが、もう少し丁寧に作られていました。しかし艦長室など横にもなれない狭さでした。私が函館ドックで艤装した駆潜艇がなんとシンガポールに着任してみたら来ているではないですか。再会を喜びましたが終戦直前アンダマン単独補給で撃沈されました。潜水艦にやられたかと思いましたが、戦後調べてみたら英軍艦艇に包囲され砲撃で沈められたとのこと。 潜水艦にやられたのでなかったので少しは自責の念から逃れられましたが、小さな船で本当にご苦労、かわいそう。 |
太平洋戦争の帰結が正に技術力の差として敗戦時の日本人全体が 徹底的に思い知らされたことが・戦後復興に大きなインパクトと 発憤を呼び覚ましたのではないかと・今にして想う処です。 色々な切り口からの問題提起はあるが、私にとって印象深く記憶に 残る事として・戦後アメリカの占領から独立を契機にそれ迄禁止され てた日本人が再び飛行機で空を飛ぶことが許されることになった。 そこで改めて日本人操縦士養成と訓練のために練習機を手に入れること での際のエピソードである・。 それは日本海軍のパイロットで戦後いち早く操縦教官になられた方の 話で、彼の方は操縦訓練用の飛行機をアメリカ軍の飛行クラブで使用 してた年代物の中古航空機の払い下げを受けた際にエンジンカウリング 「自動車で云えばボンネット」を開けてエンジンを覗いた時に衝撃を 受けるように驚かれたとのことです。 その理由は新品新鋭の日本の軍用機でもエンジンは「潤滑油」の漏れで 油まみれになってしまうのに・・そのオンボロ中古飛行機のエンジンは 油漏れも無く黒光りしていたことです。 当時エンジンの油漏れは当たり前と思ってたが、それが全く見られない 年代物の中古飛行機のエンジンのオイルシール技術にはアメリカの 工業技術水準の高さが表れてるとのこと・・に驚かされたとのことです・。 今の若い人たちには思いもよらないことですが、戦後製造された日本の 国産自動車も暫くの間エンジンはすぐに油団子のように油まみれになった ものでした。 工業技術力の基礎とでも云えるオイルシールが重要性に関しては 意識の圏外にもなっておりますが・・・、 現在世界に誇る日本の優秀な自動車工業もエンジン・オイル・シールの 技術を「手の内」に入れねば今日の発展は無かったことに話は続いている訳です。 |
珍さん。色々ご教示有難うございました。 まったくお言葉どおり。私の専門で申しますと、いまでは自動車についている防振ゴムもまだ不十分だったのですから。19年の正月ころ、250トンの実験艇の機関に取り付けて試験をしていた状況。聴音器がどんなに優秀であっても、自分のエンジンで騒音を出していては効果が半減します。 またこれは私たち自身、研究の縦割りを反省したのですが、あるときおんぼろの潜水艦にきてもらい、色々実験をしたのですが、低速水中航行でワンワンと音を出すのです。 プロペラが回転するとき出る音なのですが、われわれはなんだ、ここ掘れワンワンではないかと笑って、それでおしまい。本来なら推進器関係ではどこまで解決がすすんでいるか問題にするべきだったでしょうに。 先日日本の大型潜水艦がドイツに向け出発し大西洋に達した時点で、イギリスの防潜システムに発見され、撃沈されたときの生々しい記録が放映されました。 其のときここほれワンワンの推進器音がきこえてきました。その音めがけて爆雷攻撃 私は深い自責の念にかられました。(この音は乗っている人には全然聞こえないのです) もっとも今でも推進器音をさぐってどこの国のどの潜水艦だとわかるとのことですから難しい技術なのかもしれませんが。尚当時は録音機はとてつもなく大きいワイヤー式のレコーダーかトーキー映写機しかありませんでした。 上司がアメリカ留学の帰りに持ち帰った磁気テープ録音機を当時の東通工が借りにきましたが、其れを参考にしたかどうかわかりませんが、やがて立派な国産品が出来、ソニーになりました。 当時のPBレポ−トも驚きのものでした。実用的にもすぐれた研究がなされ、サーボメカニズムはそのごの自動制御にずいぶん役立ったものでした。 技術の開発、いつの世にも大切です。ホリエモンのようにパソコンを見つめるだけで会社が発展するなんて、まったくのうそ。町工場の職人さんも大切。 ものの平滑を調べる定盤も、平面を最後に作るのは機械ではなく職人の手によって仕上られるのです。 |
山本春彦さん こんにちわ!こちらこそ色々なご教示有難うございます。 このスレッドの主題「平和の価値」に関連することとして 技術に関しての話題を取り上げさせて頂きました。 戦後の日本では覇権を求めなくても國を富ませることに 一応、成功したものと云えます。それを裏付けたのは国民の 創意工夫による技術力の開発の成果にあったと思います。 それに加えて本格的な軍備を持つことの負担が無かったことも あります。振り返って戦艦大和の建造には国家予算の数%にも及ぶ 巨費が投じられた事を思うとそれれの差が如何に大きいことか解ります。 思えば戦前に反戦軍人として知られてる「陸軍参謀・水野公徳氏」 が説かれた戦争を避けて平和と繁栄を求める思想は・・何と多くの犠牲を 払った敗戦後にそれが実現したことになります。 血を流さずとも・汗と知恵をだすことにより国の発展は図れることが 実証されたことに思えます。 >上司がアメリカ留学の帰りに持ち帰った磁気テープ録音機を当時の東通工が借りにきましたが、其れを参考にしたかどうかわかりませんが、やがて立派な国産品が出来、ソニーになりました。 テープレコーダーなど現在の磁気録音や磁気記録装置は東通工「ソニーの前進」 が発明した交流バイアスが決定的な性能向上に寄与しました。 磁気媒体への残留磁気によるヒステリシスの影響から正確な波形に 歪みが生じますがその残留磁気の影響を無くする方法として磁気ヘッドの バイアスを交流化することで解決しました。 ・・これは正しく画期的な発明でした。・・ このくだりは「知ったかぶり」的なことになりましたがご許容の程! 戦後の様々な技術的発展の陰にはNHKのTV番組「プロジェクトX」に 相当するような汗と涙の物語が市井の至る処にあったことを今、改めて 考えさせられてます。 お目通し・有難うございました。 |
珍さんこんばんわ。 博学に感服します。あとから考えるとなんでもないことでも、それを見出すまでの努力と製品化の情熱。大変なものでしょうね。当時の東通工の元気いっぱい。いまもそうでしょうがみならいたいものですね。五反田にあった小さな社屋をいまでも覚えています。 ところで話は変わりますが、最近のビデオカメラの発達もびっくり。娘が以前に買ったものなどもう時代遅れ。まだ十分につかえますが。このような製品。開発たいへんでしょうね。すぐ時代遅れと見捨てられてしまう。開発費などとてもとりもどせませんね。 でもどこまで進歩するかと楽しみです。目下ホームページに仕事のやり方の動画をいれるべく四苦八苦中。 |
山本春彦さん こんにちわ! レス・コメント有難うございます。 現在、私たちが恩恵を受けてる科学技術の多くは軍事技術から 端を発してるものが多いと思います。 電子工学の発達は正にその列にあります。 エレクトロニクスの発展にエポックを記したもの電子回路の プリント配線、半導体の実用化、IC〜LSI 今では超LSIへと 当初は短波帯以上の高周波には向かないと云われてた半導体が 今では極超短波から光の制御にも利用範囲が拡大して真空管の 出る幕が無くなってしまった・かの観があります。 私ごとになりますが、それら郷愁の意味も含めてオーデイオは真空管を 使った自作アンプで楽しんでます。真空管のフイラメントの薄暗い 光をみて悦に入ってます。 思えば、かつての日本のように軍事技術に徹してたとしたら軍事機密 に囲われてしまって、今日の発展は思いもよらなかった事でしょう。 戦後にアメリカより日本にもたらされた技術及び技術情報の恩恵 は計り知れないものがあると思います。 それを足掛かりに戦後日本の技術発展があったと云っても過言では ないのではと思います。その面では・・率直に感謝しなければ・ と思います。 以上、お目通し有難うございます。 |
マレー沖海戦は太平洋戦争の始まる少し前に プリンスオブウエールズと旗艦とする大英帝国極東艦隊を 従来の軍艦VS軍艦の戦いでは無く世界戦史上初めて 航空機をもって艦隊を撃滅した画期的な戦闘形態であり それを日本の航空部隊が世界に先駆けて成し遂げた海戦であった。 当時は大艦巨砲主義が海軍戦力とされてたが、航空戦力が それに変わるものであることが認識されるようになり、 アメリカは急速に機動部隊航空戦力へとシフトさせた。 航空戦力重視は現在にも続いている。 |
山本様,はじめまして。あぶさんと申します(お酒のあぶさんです)。 描き方もいろいろと問題があるのでしょうが, 一般的には,悲惨な大和(というより戦争)の実態は, 子々孫々伝えていかなければならないのではないでしょうか。 日本の歴史の中で,もっとも悲惨な状況をもたらした太平洋戦争。 あの戦争に学ばなければ,日本人は学ぶものはないと思います。 |