Page 1468 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼進化論と宗教 及び まとめレスです。 とうろう 06/1/29(日) 21:53 ┣Re(1):進化論と宗教 及び まとめレス/訂正・追記 とうろう 06/1/29(日) 22:51 ┃ ┗Re(2):進化論と宗教 及び まとめレス/訂正・追記 昔神童・今人道 06/1/29(日) 23:26 ┣Re(1):進化論と宗教 及び まとめレスです。 安本単三 06/1/30(月) 11:51 ┃ ┗Re(2):進化論と宗教 仏教 とうろう 06/2/8(水) 0:07 ┃ ┗Re(3):進化論と宗教 ナナママ 06/2/8(水) 18:33 ┃ ┣Re(4):進化論と宗教 ウミサチヒコ 06/2/8(水) 19:45 ┃ ┃ ┗Re(5):進化論と宗教/海さん、なぜ? とうろう 06/2/9(木) 20:31 ┃ ┃ ┗Re(6):進化論と宗教/海さん、なぜ? ウミサチヒコ 06/2/9(木) 21:26 ┃ ┃ ┗Re(7):進化論と宗教/海さん、なぜ? とうろう 06/2/9(木) 21:58 ┃ ┃ ┗Re(8):進化論と宗教/海さん、なぜ? ウミサチヒコ 06/2/9(木) 22:43 ┃ ┃ ┗Re(9):ドツボ/海さん、なぜ? とうろう 06/2/9(木) 22:52 ┃ ┃ ┗Re(10):ドツボ/海さん、なぜ? ウミサチヒコ 06/2/9(木) 22:53 ┃ ┃ ┗Re(11):ドツボ/海さん、なぜ?/少し残念ですが・・・ とうろう 06/2/9(木) 23:07 ┃ ┗Re(4):進化論と宗教/カソリックとプロテスタント とうろう 06/2/11(土) 23:20 ┣Re(1):進化論と宗教 及び まとめレスです。 キタキツネ 06/1/30(月) 13:57 ┃ ┗Re(2):進化論と宗教 及び まとめレスです。 とうろう 06/2/2(木) 1:55 ┣Re(1):進化論と宗教 及び まとめレスです。 BadBloke 06/2/5(日) 6:58 ┣Re(1):進化論と宗教 及び まとめレスです。 BadBloke 06/2/5(日) 6:59 ┃ ┗Re(2):進化論と宗教 及び まとめレスです。 通介 06/2/7(火) 22:19 ┃ ┣Re(3):進化論と宗教 及び まとめレスです。 ナナママ 06/2/7(火) 23:52 ┃ ┃ ┗Re(4):進化論と宗教 及び まとめレスです。 通介 06/2/8(水) 21:03 ┃ ┗Re(3):進化論と宗教 及び まとめレスです。 BadBloke 06/2/8(水) 8:48 ┃ ┣Re(4):進化論と宗教 及び まとめレスです。 キタキツネ 06/2/8(水) 9:34 ┃ ┃ ┣Re(5):進化論と宗教 及び まとめレスです。 あぶさん 06/2/8(水) 10:46 ┃ ┃ ┗Re(5):進化論と宗教 及び まとめレスです。 ウミサチヒコ 06/2/9(木) 7:37 ┃ ┃ ┣Re(6):進化論と宗教 及び まとめレスです。 キタキツネ 06/2/9(木) 8:22 ┃ ┃ ┃ ┗Re(7):進化論と宗教 及び まとめレスです。 ウミサチヒコ 06/2/9(木) 12:42 ┃ ┃ ┃ ┗Re(8):総ては波動の元にある。 珍 源斎 06/2/9(木) 15:08 ┃ ┃ ┃ ┗Re(9):総ては波動の元にある。 ウミサチヒコ 06/2/9(木) 15:46 ┃ ┃ ┃ ┣Re(10):始めに光り有り! 珍 源斎 06/2/9(木) 17:54 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(11):始めに光り有り! ウミサチヒコ 06/2/9(木) 18:11 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗進化論と宗教は別物として一服 ナナママ 06/2/9(木) 19:50 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(1):進化論と宗教は別物として一服 ナナママ 06/2/9(木) 19:56 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):進化論と宗教は別物として一服 ウミサチヒコ 06/2/9(木) 20:05 ┃ ┃ ┃ ┗Re(10):総ては波動の元にある。 昼寝もぐら 06/2/9(木) 23:37 ┃ ┃ ┃ ┗Re(11):総ては波動の元にある。 ウミサチヒコ 06/2/10(金) 1:15 ┃ ┃ ┗Re(6):進化論と宗教 及び まとめレスです。 石頭の息子 06/2/9(木) 11:42 ┃ ┃ ┗Re(7):進化論と宗教 及び まとめレスです。 ウミサチヒコ 06/2/9(木) 12:34 ┃ ┃ ┗Re(8):進化論と宗教 及び まとめレスです。 石頭の息子 06/2/9(木) 14:30 ┃ ┗Re(4):進化論と宗教 及び まとめレスです。 通介 06/2/8(水) 21:04 ┃ ┗Re(5):進化論と宗教 及び まとめレスです。 BadBloke 06/2/9(木) 7:07 ┃ ┗Re(6):進化論と宗教 及び まとめレスです。 通介 06/2/10(金) 21:22 ┃ ┗知られざる神々 BadBloke 06/2/11(土) 22:12 ┗Re(1):進化論と宗教 及び まとめレスです。 BadBloke 06/2/5(日) 7:02 ┣Re(2):進化論と宗教 及び まとめレスです。 ナナママ 06/2/5(日) 23:42 ┃ ┗Re(3):進化論と宗教 及び まとめレスです。 BadBloke 06/2/6(月) 22:13 ┃ ┣Re(4):進化論と宗教 及び まとめレスです。 k.satou 06/2/7(火) 8:49 ┃ ┃ ┗ベジタリアンの話 BadBloke 06/2/7(火) 21:46 ┃ ┗Re(4):進化論と宗教 及び まとめレスです。 ナナママ 06/2/7(火) 19:05 ┗Re(2):進化論と宗教 いずれまたBBさんに とうろう 06/2/7(火) 22:31 ┗Re(3):進化論と宗教 いずれまたBBさんに BadBloke 06/2/8(水) 0:30 ┣Re(4):進化論と宗教 いずれまたBBさんに とうろう 06/2/8(水) 0:45 ┗Re(4):進化論と宗教 学位という権威 Gokai 06/2/10(金) 13:21 ┗Re(5):進化論と宗教 学位という権威 BadBloke 06/2/11(土) 8:27 ┣Re(6):進化論と宗教 学位という権威 ウミサチヒコ 06/2/11(土) 9:28 ┃ ┣Re(7):進化論と宗教 学位という権威 キタキツネ 06/2/11(土) 10:02 ┃ ┃ ┗Re(8):進化論と宗教 学位という権威 ウミサチヒコ 06/2/11(土) 12:36 ┃ ┗Re(7):進化論と宗教 学位という権威 BadBloke 06/2/11(土) 11:06 ┃ ┗Re(8):進化論と宗教 学位という権威 ウミサチヒコ 06/2/11(土) 12:29 ┗Re(6):進化論と宗教 学位という権威 Gokai 06/2/11(土) 10:10 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 進化論と宗教 及び まとめレスです。 ■名前 : とうろう ■日付 : 06/1/29(日) 21:53 -------------------------------------------------------------------------
皆さん:今晩は。 上の『進化論と宗教』に関し、 私は【71939】で、 R.ドーキンスの言;『盲信は一切を正当化する』をご紹介いたしました。再度、引用いたします。 ***** ○「宗教、盲信」について 「盲信は一切を正当化できる」 “私の信仰批判に抗議して、信仰の犠牲者から私あてに予想どおりたくさんの手紙が届いた。信仰はそれ自身に都合の良い見事な洗脳者である。とくに子供たちへの洗脳は見事で、その拘束をはずすのはむずかしい。しかし結局のところ信仰とは何なのだろうか。それは、証拠がまったくない状況のもとで、人々に何か(それが何であるかは問題でない)を信じさせてしまう心の状態だ。十分な証拠がある場合は、信仰は余分である。いずれにせよ証拠がわれわれに信じることを強いるだろうからだ。だからこそ、しばしばオウムのように繰り返される「進化それ自身が信仰の問題」という主張はばかげているのである。人々が進化を信じるのは、彼らが恣意的に信じたいと思うからではなく、公に入手可能な膨大な証拠があるからである。 (中略) 問題は、それらを信仰の対象として望ましいと決める方法が、存在しないことである。証拠を論ずることを意識的にさけるからだ。実際、本当の信仰は証拠を必要としないという事実は、信仰の最大の徳とされている。” 引用:(利己的な遺伝子「生物=生物機械論」(リチャード・ドーキンス、日高利隆他訳)紀伊国屋書店 2000.4.14、第18刷 P.520) ***** 信仰者の方々のご反論を期待します。 以下、小生3日の留守の間の、関係の方がたに、レスを差し上げます。 (個々のスレッドが満杯になり、新スレッド、継続スレッドを探すよすがもありませんので、ここにまとめてレス致しますことをお許しください) 「なか」さん:今晩は。 【72001】で仰っていることはわかります。誤解されたのですね。しかし、私がお伺いした『本音と建前の使い分けですか?』には、お答え頂けていませんね。 また、貴方が【72349】で仰っているように“自律”を仰りたいのであり、私の意を誤解されていないのであれば、何故、例えば、私の意を曲解させるようなレスを付けられたのか?全く理解できません。これが、『未完』といった理由です。 キタキツネさんが【72016】で仰っていたように、貴方の『誠実』なレス頂ければ嬉しいです。 風鈴カザンさん:今晩は。 【72107】の貴レス、全くその通りです。あぁ、恥ずかしい!と。 しかし、その責めは、私ではなく、相手の方(一応認めておられるようです?)に有ると、私は思っております。 BBさん:今晩は。 【72027】私の趣旨は、ご承知のように、交通信号あるいは交通事故の話ではありませんので、宜しく。 むしろ、上記のドーキンスの言への反論を期待しております。 安本単三さん:今晩は。 「FAKE」に至る過程をご存じないようですね。 私は、当初『蟷螂の斧』と称しておりました。このHNで、多分、当時(2004.7以降12まで)の主流派の方と論を交換しており、また、管理人さんとも、意見を交わしておりました。しかし、袋叩き状態で、変なメールも届くようになりました。 そこで、自衛のためHNを【FAKE】に変え、暫し、様子を見ました。その上で、お詫びし『蟷螂の斧』の頭を丸め『とうろう』にしました。 従って、『FAKE』が問題では無い!と、私は思っております。 なお、それ以前の経緯の責任が奈辺にあるか!?という問題かと私は思っております。 今人道さん:今晩は。 【72501】私の心に傷をつける!?済みませんがそれほどやわではありません。傷はついていません。 (ひょっとして、Yデンキの品にはキズがあるかも!?) 皆さん、失礼ですが、宜しく。 |
▼皆さん:今晩は。 下記、追記します。 >上の『進化論と宗教』に関し、 > >私は【71939】で、 > >R.ドーキンスの言;『盲信は一切を正当化する』をご紹介いたしました。再度、引用いたします。 >***** >○「宗教、盲信」について >「盲信は一切を正当化できる」 >“私の信仰批判に抗議して、信仰の犠牲者から私あてに予想どおりたくさんの手紙が届いた。信仰はそれ自身に都合の良い見事な洗脳者である。とくに子供たちへの洗脳は見事で、その拘束をはずすのはむずかしい。しかし結局のところ信仰とは何なのだろうか。それは、証拠がまったくない状況のもとで、人々に何か(それが何であるかは問題でない)を信じさせてしまう心の状態だ。十分な証拠がある場合は、信仰は余分である。いずれにせよ証拠がわれわれに信じることを強いるだろうからだ。だからこそ、しばしばオウムのように繰り返される「進化それ自身が信仰の問題」という主張はばかげているのである。人々が進化を信じるのは、彼らが恣意的に信じたいと思うからではなく、公に入手可能な膨大な証拠があるからである。 >(中略) >問題は、それらを信仰の対象として望ましいと決める方法が、存在しないことである。証拠を論ずることを意識的にさけるからだ。実際、本当の信仰は証拠を必要としないという事実は、信仰の最大の徳とされている。” > >引用:(利己的な遺伝子「生物=生物機械論」(リチャード・ドーキンス、日高利隆他訳)紀伊国屋書店 2000.4.14、第18刷 P.520) >***** > >信仰者の方々のご反論を期待します。 > >以下、小生3日の留守の間の、関係の方がたに、レスを差し上げます。 > >(個々のスレッドが満杯になり、新スレッド、継続スレッドを探すよすがもありませんので、ここにまとめてレス致しますことをお許しください) > >「なか」さん:今晩は。 > >【72001】で仰っていることはわかります。誤解されたのですね。しかし、私がお伺いした『本音と建前の使い分けですか?』には、お答え頂けていませんね。 > >また、貴方が【72349】で仰っているように“自律”を仰りたいのであり、私の意を誤解されていないのであれば、何故、例えば、私の意を曲解させるようなレスを付けられたのか?全く理解できません。これが、『未完』といった理由です。 > >キタキツネさんが【72016】で仰っていたように、貴方の『誠実』なレス頂ければ嬉しいです。 > >風鈴カザンさん:今晩は。 >【72107】の貴レス、全くその通りです。あぁ、恥ずかしい!と。 >しかし、その責めは、私ではなく、相手の方(一応認めておられるようです?)に有ると、私は思っております。 > >BBさん:今晩は。 >【72027】私の趣旨は、ご承知のように、交通信号あるいは交通事故の話ではありませんので、宜しく。 >むしろ、上記のドーキンスの言への反論を期待しております。 > >安本単三さん:今晩は。 【72218】について。 >「FAKE」に至る過程をご存じないようですね。 >私は、当初『蟷螂の斧』と称しておりました。このHNで、多分、当時(2004.7以降12まで)の主流派の方と論を交換しており、また、管理人さんとも、意見を交わしておりました。しかし、袋叩き状態で、変なメールも届くようになりました。 > >そこで、自衛のためHNを【FAKE】に変え、暫し、様子を見ました。その上で、お詫びし『蟷螂の斧』の頭を丸め『とうろう』にしました。 > >従って、『FAKE』が問題では無い!と、私は思っております。 > >なお、それ以前の経緯の責任が奈辺にあるか!?という問題かと私は思っております。 > >今人道さん:今晩は。 >【72501】私の心に傷をつける!?済みませんがそれほどやわではありません。傷はついていません。 >(ひょっとして、Yデンキの品にはキズがあるかも!?) 皆さん、再度、失礼ですが、どうか宜しく。 |
▼とうろうさん:こんばんは >▼皆さん:今晩は。 >が、少し、個人的経験を普遍化されているように見えますので一言。 >人に生まれながらのDNA的個性、環境的個性がミックスして『人格』(価値観)が>形成されるように、 >犬にも、生まれながらのDNA的個性、環境的個性がミックスして『犬格』(価値>観)が形成される筈と、私は信じています。 >犬にも、『賢愚・剛柔・敏鈍・・・』そして、「ヒトとの相性」の違いもあるでし>ょうし、犬に対するヒトの『人格』も犬の行動に関係する、と考えます。 >だから、何事も「一事」が「万事」ではない、 >と私は思っているのです。 >下記、追記します。 > >>上の『進化論と宗教』に関し、 >> >>私は【71939】で、 >> >>R.ドーキンスの言;『盲信は一切を正当化する』をご紹介いたしました。再度、引用いたします。 >>***** >>○「宗教、盲信」について >>「盲信は一切を正当化できる」 >>“私の信仰批判に抗議して、信仰の犠牲者から私あてに予想どおりたくさんの手紙が届いた。信仰はそれ自身に都合の良い見事な洗脳者である。とくに子供たちへの洗脳は見事で、その拘束をはずすのはむずかしい。しかし結局のところ信仰とは何なのだろうか。それは、証拠がまったくない状況のもとで、人々に何か(それが何であるかは問題でない)を信じさせてしまう心の状態だ。十分な証拠がある場合は、信仰は余分である。いずれにせよ証拠がわれわれに信じることを強いるだろうからだ。だからこそ、しばしばオウムのように繰り返される「進化それ自身が信仰の問題」という主張はばかげているのである。人々が進化を信じるのは、彼らが恣意的に信じたいと思うからではなく、公に入手可能な膨大な証拠があるからである。 >>(中略) >>問題は、それらを信仰の対象として望ましいと決める方法が、存在しないことである。証拠を論ずることを意識的にさけるからだ。実際、本当の信仰は証拠を必要としないという事実は、信仰の最大の徳とされている。” >> >>引用:(利己的な遺伝子「生物=生物機械論」(リチャード・ドーキンス、日高利隆他訳)紀伊国屋書店 2000.4.14、第18刷 P.520) >>***** >> >>信仰者の方々のご反論を期待します。 >>以下、小生3日の留守の間の、関係の方がたに、レスを差し上げます。 >> >>(個々のスレッドが満杯になり、新スレッド、継続スレッドを探すよすがもありませんので、ここにまとめてレス致しますことをお許しください) >> >>今人道さん:今晩は。 >>【72501】私の心に傷をつける!?済みませんがそれほどやわではありません。傷はついていません。 >>(ひょっとして、Yデンキの品にはキズがあるかも!?) > >皆さん、再度、失礼ですが、どうか宜しく。 とうろうさん!! やめて〜や。私なんぞへの呼び掛けは・・・ むしんろん者の私なんかは只・・・ 、 【・・・済みませんがそれほどやわではありません・・・】 なんての【お言葉】を頂戴するだけで【空中浮遊】を会得したような心境になります。ありがたいことです。教祖さま・・・本当にありがとうございました。ハイ。 |
▼とうろうさん: > >安本単三さん:今晩は。 >「FAKE」に至る過程をご存じないようですね。 >私は、当初『蟷螂の斧』と称しておりました。このHNで、多分、当時(2004.7以降12まで)の主流派の方と論を交換しており、また、管理人さんとも、意見を交わしておりました。しかし、袋叩き状態で、変なメールも届くようになりました。 > >そこで、自衛のためHNを【FAKE】に変え、暫し、様子を見ました。その上で、お詫びし『蟷螂の斧』の頭を丸め『とうろう』にしました。 > >従って、『FAKE』が問題では無い!と、私は思っております。 > FAKEの件。よく分かりました。ありがとうございます。 私は、葬式仏教ではない根本仏教徒です。 不幸にして日本で意外に知られていないのが、シャカ・ムニそのものの教えです。原始仏教は無神論です・・・これが理解されていない。 日本の仏教は、仏教寺院に大日如来・薬師如来・千手観音などがあり、さらにヒンンドウー教の影響を受けた?韋駄天・毘沙門天・帝釈天信仰などがあり、多神教的になっています。 日本で一般大衆に進化論が抵抗なく受け入れられたのは、転生輪廻の思想が下地にあるからと推察されます。前世はサルであろうが、ブタであろうが日本人には構わないわけです。 私は転生輪廻を信じていません(たぶん深層心理にあるかもしれませんが)。 キリスト教徒にとって進化論は頭痛の種であろうと思います。 シャカ・ムニは分子生物学的思想を展開したのではないかということは、また後で述べます。 |
▼安本単三さん:こんばんは。 済みません。レスが遅れました。些か夜も更け、少々自意識も減摩してしておりますので、あるいは、論が乱れるかもしれませんが、お許しください。 以下、貴レスに沿って私の意見と言うか想いを述べます。 >FAKEの件。よく分かりました。ありがとうございます。 お分り頂いて幸せです。 >私は、葬式仏教ではない根本仏教徒です。 >不幸にして日本で意外に知られていないのが、シャカ・ムニそのものの教えです。原始仏教は無神論です・・・これが理解されていない。 その通りと思います。私は、原始仏教は、シッダマゴーダルタ??と言う王子の悟りから来た「哲学」と思っております。「神」は存在しなかった。 人・ヒトの究極の思念の結果と理解しております。 >日本の仏教は、仏教寺院に大日如来・薬師如来・千手観音などがあり、さらにヒンンドウー教の影響を受けた?韋駄天・毘沙門天・帝釈天信仰などがあり、多神教的になっています。 印度の仏教に於いては、釈迦亡き後、弟子が釈迦の教えを経典とし、伝え、論理構成したものです。そして、インド仏教は土俗宗教、ヒンズー教?とも混交し、偶像崇拝になった筈です。 日本仏教は、後世、中国・朝鮮を経て、日本に伝わり、大和奈良の六宗?(南都仏教)を経て、平安時代の空海・最澄の密教(チベット密教、中国の密教からの流れ)真言宗、天台宗それから浄土宗、鎌倉時代の禅宗(曹洞宗、臨済宗)、法華宗、浄土真宗・・・など、それぞれ拠る経典に従って分派したものと思っております。 仏典、仏像、宗旨などは、日本の土俗宗教、神道とも混交し、それぞれ、現世利益を奉ずる信心によって、分化していったものと思っております。 仏像は、仏教とヒンズー教との混交による、如来、菩薩、天、明王、童子・・・などが創造され、信仰されたものです。 これらは、全く、キリスト教と同じで、キリストの言葉を使徒が伝え、もろもろの矛盾を三位一体の神学に構成し、後世に伝え、神学をリファインして、神、キリスト(マリア)、聖霊、聖人(奇跡)崇拝のカソリックを造り上げたものと思っています。 プロテスタントはカソリックの腐敗の上に真のキリスト教として、新しく、ブルジョワジーの信仰として受け入れられたものです。 丁度、公家の仏教(密教・浄土宗)に代わり、武家、庶民の仏教として、禅宗、浄土真宗、法華宗が鎌倉時代に台頭したように。 >日本で一般大衆に進化論が抵抗なく受け入れられたのは、転生輪廻の思想が下地にあるからと推察されます。前世はサルであろうが、ブタであろうが日本人には構わないわけです。 あるいは、そうかもしれません。そうでしょうね。 >私は転生輪廻を信じていません(たぶん深層心理にあるかもしれませんが)。キリスト教徒にとって進化論は頭痛の種であろうと思います。 そうですね。だから、創造論が必要なのです。 >シャカ・ムニは分子生物学的思想を展開したのではないかということは、また後で述べます。 楽しみにしております。 では。 |
▼とうろうさん: > >これらは、全く、キリスト教と同じで、キリストの言葉を使徒が伝え、もろもろの矛盾を三位一体の神学に構成し、後世に伝え、神学をリファインして、神、キリスト(マリア)、聖霊、聖人(奇跡)崇拝のカソリックを造り上げたものと思っています。 それぞれの説明をお願いします。不確実な言葉の羅列では誤解されますので、説明をしてください。当人はカトリック教徒です。責任はとうろうさんにあります。 > >プロテスタントはカソリックの腐敗の上に真のキリスト教として、新しく、ブルジョワジーの信仰として受け入れられたものです。 何時の時代を腐敗とし、真のキリスト教とは何ですか?宗教改革のことでございましょう? ルター、カルヴァンが有名ですが。 何でまたブルジョワジーのものとされるのでしょう。以上ご説明ねがいます。 > |
▼ナナママさん: >▼とうろうさん: >> >>これらは、全く、キリスト教と同じで、キリストの言葉を使徒が伝え、もろもろの矛盾を三位一体の神学に構成し、後世に伝え、神学をリファインして、神、キリスト(マリア)、聖霊、聖人(奇跡)崇拝のカソリックを造り上げたものと思っています。 > >それぞれの説明をお願いします。不確実な言葉の羅列では誤解されますので、説明をしてください。当人はカトリック教徒です。責任はとうろうさんにあります。 >> >>プロテスタントはカソリックの腐敗の上に真のキリスト教として、新しく、ブルジョワジーの信仰として受け入れられたものです。 > >何時の時代を腐敗とし、真のキリスト教とは何ですか?宗教改革のことでございましょう? ルター、カルヴァンが有名ですが。 何でまたブルジョワジーのものとされるのでしょう。以上ご説明ねがいます。 説明せんでええよ。 |
▼ウミサチヒコさん:こんばんは。 説明無用のアドバイスの理由は何でしょうか。 ▼ナナママさん: ご説明いたしますが、少し、お待ちください。 と言っても、私の経験、雑学から来た私の信条に過ぎませんことを予めお断りをしておききます。 なお、私は、若年の頃、カソリック教会に通い、当時の「公教要理」を一通り学んだものであることも申し上げておきます。 では、改めまして。 |
▼とうろうさん: >▼ウミサチヒコさん:こんばんは。 > >説明無用のアドバイスの理由は何でしょうか。 はい、僭越ながらとうろうさんに「アドバイス」を致しました。なぜか? 理由→深入りしてほしくないからです。ドツボにはまってほしくないからです。余計なことでしたらご容赦下さいませ。 |
▼ウミサチヒコさん: レス有難う御座います。 ところで「ドツボ」とはなんでしょうか。 教えて下さい。 言っても分らんものには言わない、というご返事でも結構です。 |
▼とうろうさん: >▼ウミサチヒコさん: > >レス有難う御座います。 > >ところで「ドツボ」とはなんでしょうか。 > >教えて下さい。 > >言っても分らんものには言わない、というご返事でも結構です。 出口のない蛸壺のようなものではないでしょうか。しかもちょっと汚いやつです。糞壷までは行かないやつ。 |
▼ウミサチヒコさん:レス有難う御座います。 済みません。聞き方が間違っていました。 「ナナママ」さんに答えることが、 何故「ドツボに入る」ことか?とお伺いすべきでした。 なお、ドツボの感じは分っているつもりです。 宜しく。 |
▼とうろうさん: >▼ウミサチヒコさん:レス有難う御座います。 > >済みません。聞き方が間違っていました。 > >「ナナママ」さんに答えることが、 > >何故「ドツボに入る」ことか?とお伺いすべきでした。 > >なお、ドツボの感じは分っているつもりです。 > >宜しく。 ああ、ドツボにはまりそうだからやめとくわ。 |
▼ウミサチヒコさん: こんばんは。 そうでしたか。分りました。 今までお付き合い頂き、感謝です。 >▼とうろうさん: >>▼ウミサチヒコさん:レス有難う御座います。 >> >>済みません。聞き方が間違っていました。 >> >>「ナナママ」さんに答えることが、 >> >>何故「ドツボに入る」ことか?とお伺いすべきでした。 >> >>なお、ドツボの感じは分っているつもりです。 >> >>宜しく。 > >ああ、ドツボにはまりそうだからやめとくわ。 |
▼ナナママさん:こんばんは。 レス遅くなって失礼です。 >▼とうろうさん: >>これらは、全く、キリスト教と同じで、キリストの言葉を使徒が伝え、もろもろの矛盾を三位一体の神学に構成し、後世に伝え、神学をリファインして、神、キリスト(マリア)、聖霊、聖人(奇跡)崇拝のカソリックを造り上げたものと思っています。 >それぞれの説明をお願いします。不確実な言葉の羅列では誤解されますので、説明をしてください。当人はカトリック教徒です。責任はとうろうさんにあります。 上の私の言は私のキリスト教の理解です。 多分、不確実な言葉と思いますが、若し、ナナママさんが「不確実」と言われるのであれば、「不確実」である所以を述べられて、「不確実」と言われるべきかと思います。 キリスト教に限らず宗教全般を考えたいと思います。 私は、宗教の起源は、 意識を持ったヒトが、時間感覚を持ち、生命(いのち)の有限を知ったときの、いわば「頼りなさ」を、ヒトの優れた脳機能が創造した、来世、あの世(死後の世界)を想像し、創造し、神の存在を作った、ことにあると思っております。 「神話」がそれだと思っております。 キリスト教の起源は、神話「旧約聖書」にあるのではないでしょうか。 セム族かハム族か良く知りませんが、これらの民族の神話が旧約聖書であり、今でも旧約聖書に順ずるのが「ユダヤ教」であり、紀元前後に生まれた「キリスト」が、時の律法者の腐敗に反して広めた当時の「新興宗教」が今の「キリスト教」の起源だと理解しております。 そして、また、イスラム・回教は、かなり遅れて、当時の商人のムハマンドが天啓により始めたものと言われています。 これら、三教は何れも「旧約聖書」唯一・絶対神を、「神」とする、宗教かと思っております。 客観的に観れば、「唯一神」が、ユダヤ神であり、カソリック神であり、プロテスタント神であり、イスラム神であることは、私には、誠に奇異なのです。 唯一・絶対神は「絶対一」ではないでしょうか。 このことだけでも、絶対神の存在矛盾は明らか?だと、私は想うのです。 >>プロテスタントはカソリックの腐敗の上に真のキリスト教として、新しく、ブルジョワジーの信仰として受け入れられたものです。 >何時の時代を腐敗とし、真のキリスト教とは何ですか?宗教改革のことでございましょう? ルター、カルヴァンが有名ですが。 何でまたブルジョワジーのものとされるのでしょう。 単に、雑学からの感覚です。 カソリック神権は、世俗王権と妥協しながら、民衆を支配してきました。そして、カソリック教権は、堕落し、民衆に真の救済を説くことなく、自らの世俗生活のために富を追い、何か忘れましたが、「救済札」を売るようになった筈です。 その札を買いさえすれば天国が約束される、贖罪が得られる・・・などと。 このような腐敗に対抗して「宗教改革」運動が起こったと理解しております。 そして、これは、時を同じくして起こった、教権と王権の馴れ合い支配から、自立しはじめた都市住民(ブルジョアジー)の意識、文化にマッチし、広がったと言われています。 そのような意味で申しました。 なお、ブルジョワジーは後年言われる「金持ち」の意味でなく、自立した商工業家(自立した都市住民)のこととして言いました。 以上、お答えになったでしょうか。 |
とうろうさん なんで私に呼びかけるの? 私は前にも何度と無く言っておりますが、自分は無心論者です。だからと言って他人の信ずるものを、教義も知らずに、あ〜でもない、こ〜でもないと言って批判するほど野暮じゃないです。第一信仰している人に対して失礼でしょう。 宗教そのものには興味を持っているので本はいろいろ読んでいます。 「ダ・ヴィンチ・コード」を読んでいろいろ疑問なところがあったので、「ダ・ヴィンチ・コードの真実」を買って読むくらいで、けっこう凝るほうなのです。 しかし、ここで披露する気はありません。悪しからず……。 進化論は信じていますよ。但し、ダーウインの「進化論」は絶えず新説が出て修正が加えられていますがね。勉強したければ↓が参考になります。 実験観察で学ぶやさしい生物学 |
▼キタキツネさん:今晩は。 >とうろうさん なんで私に呼びかけるの? ごめんなさい。私は、キタキツネさんには呼びかけては居りません。 従って、以下のことは全く関係のない言としてスルー致します。 私は、なかさんに呼びかけているつもりです。ただ、キタキツネさんのお名前を出したのは、 私の感じたところに依れば、 キタキツネさんが、 キタキツネさんなら(馬鹿馬鹿しくて?)答えないような問いかけにも『誠実に』答えられていると仰った『なかさん』の、 その『誠実』さに期待しているということを強調しただけであって、 失礼ですが、キタキツネさんにお声を掛けたわけでは有りません。 あくまで、なかさんの誠実なお答えをと、呼びかけただけであります。 宜しく、ご理解下さい。 |
▼とうろうさん: > >BBさん:今晩は。 >【72027】私の趣旨は、ご承知のように、交通信号あるいは交通事故の話ではありませんので、宜しく。 >むしろ、上記のドーキンスの言への反論を期待しております。 とうろうさんの期待されるような反論はできそうにないですが、何かしゃべらなくちゃいけないのなら、せっかくですから何かしゃべります。 人間の起源を進化論あるいは科学が実証できる日がいつやって来るのか。少なくとも、ぼくが生きている間は無理のような気がします。現段階で進化論を科学として全面的に認めるには、証拠が足りないでしょう。これでは、進化論も創造説と同じく信仰の問題になるように思えるのです。とりあえずは、二者択一ということでしょうか。日本人の多くは、進化論の実態を知らなくても、進化論の側に立つのでしょうね。 このテーマを語るためには、ぼく自身の精神遍歴の一端をお話しするしかなさそうです。ぼくは幼稚園はキリスト教でしたし、十代後半になって読書遍歴をする過程で、プロテスタントだけじゃなくカトリックの信仰を持つ人の書いた物もよく読みました。たとえば、モンテーニュ、パスカル、ケーベルなど。ですから、多感な年頃にキリスト教的な精神の影響を受けていた可能性はあります。 それと同時に、多くの人に無神論者と勘違いされているらしいデカルト、そしてショーペンハウエルなども好んで読みました。そして、バートランド・ラッセルに至っては、“WHY I AM NOT A CHRISTIAN(なぜ私はキリスト者でないか)”まで読んでいます。そして、ぼく自身も大学生になるまでは無神論者でした。この世に生を受けてから大学生になるまで(その後もずっとそうですが)一度も初詣に出かけたことすらなかったのです。 妹はキリスト教の学校に通っていたのに、ぼくの大学受験のときに、どこかの神社から手に入れたらしいお守りをくれました。妹の気持ちはうれしかったけれども、ぼくはそのお守りを机の引き出しにしまったまま受験会場に向かいました。休憩時間に読むつもりだったワイルドの“THE HAPPY PRINCE”は持って行きましたが。 このような読書遍歴を持つぼくですが、大学生時代にふとしたきっかけで出会ったのが、ジョン・ストット(John Stott)の“BASIC CHRISTIANITY”でした。この本によって、ぼくは聖書を信じる覚悟でもう一度読んでみようと決意したのです。(つづく) |
(つづき) そのジョン・ストットのことを少し話します。彼の父親は不可知論者つまり神の存在を人間は認知できないという立場の人でした。ジョン自身もパブリック・スクール(ラグビー校)に入るまではハッキリとしたキリスト教信仰を持ってはいなかったようです。17歳の頃、ラグビー校にやって来たエリック・ナッシュという人との出会いで、彼は明確なキリスト信仰に目覚めたのです。 ジョンはキリストを信じるがゆえに兵役につくことを拒否したため、父親との間に確執が生じました。彼の家は貴族階級でした。貴族の男子は戦時に将校として軍隊を指揮する義務があるというのが、英国人の常識だったようです。彼がケンブリッジのトリニティ・コレッジを優秀な成績で卒業した頃から、父親の態度もだいぶ変わったようで、その後、彼は牧師としての道を目指し、やがて、幼い頃から母親と通ったロンドンのオール・ソウルズ教会で働くようになるのです。 ぼくがこういうストットの過去を知ったのは、学生時代に彼の本と出会ってから何年もすぎてからです。ぼくはただ、ストットが自分のことではなく、聖書について書いた一冊の本を読んで、聖書を信じる決心をしたにすぎません。それ以後、聖書を信じてきたことを後悔したことは一度もないのです。後悔することがあるとすれば、聖書に従えなかった自分の愚かな人生です。 ぼくはオール・ソウルズ教会でのストットのメッセージを何度か聴いた経験があります。現実の様々な問題を考える上で、彼はいつも聖書から学び、問題の核心を聖書に従って論じ、そして、それを聴く者に、キリスト者としてのハッキリとした生き方をするように助言するのです。それはストット自身の哲学というよりも、聖書を通して創造主が我々人間に望んでいる真理を伝えようとしていると言っていいでしょう。 たとえば、たまたまぼくが聴いたストットのメーセージの中に、題名が“HUMANS AND ANIMALS(人間と動物)”というのがあります。彼は動物愛護家(ストットは熱心な野鳥観察家でもあります)としての哲学をしゃべってはいませんでした。人間はどのような態度で動物を扱うべきか。それをいつもながら、聖書からのメッセージとして語っていました。ストット自身がこう考えるというのではなく、創造主が何を望んでいるかをハッキリ示してくれたのです。(つづく) |
ども、通介です。 ▼BadBlokeさん >人間の起源を進化論あるいは科学が実証できる日がいつやって来るのか。 相当な確度の仮説を、現在の進化論は持っている気がしますが。 >現段階で進化論を科学として全面的に認めるには、証拠が足りないでしょう。 どんな証拠を求めているんでしょう? 逆にいえば、創造論は信仰の場から踏み出した先が疑似科学であり、あらゆる科学的な証明をいつでも「創造主が、その様に作ったのだ」という証拠能力の無い言動でご破算にしてしまうのですが。 >これでは、進化論も創造説と同じく信仰の問題になるように思えるのです。 世界がファンダメンタリストに埋め尽くされない限り、科学は信仰の問題になりません。 進化論は科学の問題ですが、創造論は信仰の問題ですので。 >日本人の多くは、進化論の実態を知らなくても、進化論の側に立つのでしょうね。 そもそも、多くの日本人は創造論の実態を進化論よりも知らないと思いますよ(苦笑)。 >進化論を信じなくても、ぼくにも科学的な思考はある程度は可能ですし、はかない人生を生きる上で必要なことを、進化論はほとんど何も語ってくれず、聖書は必要充分に語ってくれるからです。 それは個人の感性の問題ですなぁ。科学が何も語らなくても、少なからぬホモ・サピエンスは科学の仮説や実験、思考・証明された結果から何かをつかめる事は、歴史が証明していますし。 逆に科学的な思考法を持って、疑似科学を語ることは十分に可能でもあります。 >殺すなかれ。父と母を敬え。などなど、刑法や教育勅語などがなくても、ぼくには聖書だけで充分です。 それは進化論の領域でも、科学の範疇でもない気がします。 進化論を否定するのに刑法や教育勅語を持ってくるのは筋違いだし、それらと同一線上に進化論を置くことも間違いです。 >しかし、進化論自体が人間の生き方をよくしてくれるかどうかは、とても疑問です。 やはりそれは、進化論を学ぶ側の問題に過ぎませんな。 >「科学と信仰の問題は、次元が違うのであって、その間に断層があり、飛躍がある。科学には科学の世界があり、信仰には信仰の世界がある。それは別の世界です。しかし科学を勉強することによって、信仰のなかから迷信的な要素を除くことができる。また純粋に信仰することによって、科学に高潔な精神と希望を与えることができる。そういうことで、私はこの問題は解決されると、自分で思っています」 いや全く(苦笑)。 アミノ酸の連鎖を“生命”として、独自の生命力(なり何か)を与えたのが創造主だとしても、それから先の生命のあり方を何億年とかけて捨拾選択し、進化したのは“生命”自身の力ですから。 創造主とやらが、土くれから直接アダムを作った、なんてのは迷信でしょうさ。 >ちなみに、矢内原忠雄は、聖書の中の奇跡、たとえばイエスの復活などを、迷信としてではなく、事実として信じていたようです。 そりゃ、後段に続くように「信仰の問題」なのであって、科学の問題と違うのでは? …しかし、家畜化された狼の末裔である犬を飼ってる人に、進化論を否定されるってのは、妙な気分だなぁ。 狼が人に、より近しくなるべく形質を遺伝しなけりゃ、今の犬にはなり得ないんだがなぁ。(人と共存しようとしなかった狼が、人に追われていった、という見方も出来ますやね) ▼ナナママさん >進化論で人間のこころが安らぐことはないでしょう。 いえ、創造論よりも、遥かに通介の性に合います。 安らぎとは違いますが、知的好奇心を刺激されてワクワクしますやね。 |
▼通介さん: >アミノ酸の連鎖を“生命”として、独自の生命力(なり何か)を与えたのが創造主だとしても、それから先の生命のあり方を何億年とかけて捨拾選択し、進化したのは“生命”自身の力ですから。 >創造主とやらが、土くれから直接アダムを作った、なんてのは迷信でしょうさ。 > >>進化論で人間のこころが安らぐことはないでしょう。 > > いえ、創造論よりも、遥かに通介の性に合います。 >安らぎとは違いますが、知的好奇心を刺激されてワクワクしますやね。 人間は、土の塵から創られたことになっています。その土とはむなしさ、もろさの、そして塵は、悲しみや喪のシンボルであり、「土の塵」つまり人間の内にもろくはかなく崩れていく可能性がある。と「創世記」の二章の人間は土の塵からつくられた。を解釈しています。文字通り、土で創られたのが人間という解釈はしません。 進化論は科学であり、創造論は信仰と仰っているのですから、死のとらえかたをどうしたらよいかの問題の方に興味があります。故に明日の命さえ知らず生きている年寄りには切実な問題です。進化論を議論しているうちに死んでしまえば本望でしょうが。癌でいくばくもない人間にとって、進化論を説かれるより、神父さんにきてもらった方が、信仰を持つ者にとっては助かります。 ガラスの家に住むより木の家に住むいごこちのよさの方が私の性にあいますがな。 通介さんはホスピスは無理やな、技術屋さんがよう似合いますがな。 |
ども、通介です。 ▼ALL 先の投稿で一部、事実誤認があったので、お詫びして訂正します。 >逆にいえば、創造論は信仰の場から踏み出した先が疑似科学であり、あらゆる科学的な証明をいつでも「創造主が、その様に作ったのだ」という証拠能力の無い言動でご破算にしてしまうのですが。 この部位に誤認がありました。 「創造論」自体は、キリスト教の教えとして存在し、疑似科学の場へ踏み出したのは「創造科学論」でした。 この辺、うっかり混同した為に、読者の方によっては不快感を持たれたかも知れません。 まことに申し訳ありませんでした。 ▼ナナママさん >人間は、土の塵から創られたことになっています。その土とはむなしさ、もろさの、そして塵は、悲しみや喪のシンボルであり、「土の塵」つまり人間の内にもろくはかなく崩れていく可能性がある。と「創世記」の二章の人間は土の塵からつくられた。を解釈しています。文字通り、土で創られたのが人間という解釈はしません。 ははぁ、成る程。聖書を読んでも、解釈はしないもので誤読していました。 >進化論は科学であり、創造論は信仰と仰っているのですから、死のとらえかたをどうしたらよいかの問題の方に興味があります。 それは個人の信仰の問題ですな(難しい顔)。通介はまだ30代で、命にかかわる大病を患ってもいません。 故に「死」は「死」として捕らえがちです。 >進化論を議論しているうちに死んでしまえば本望でしょうが。 いやいや、そんな事はありませんよ。 >癌でいくばくもない人間にとって、進化論を説かれるより、神父さんにきてもらった方が、信仰を持つ者にとっては助かります。 そりゃ、「信仰を持つ癌患者」の場合ですな。 まぁ、そもそも進化論者が縋りたい時に神父にすがって何が悪いのかという気もします。 それを認めないのは、科学と信仰を両立できていない者でしょう。進化論者が信心を持ってはいけないという話も、日本ではあまり聞きませんし。 #アメリカあたりの、創造科学論者が幅を利かせている地域ならともかく。 >ガラスの家に住むより木の家に住むいごこちのよさの方が私の性にあいますがな。 人を勝手にガラスの家に住まわせないで頂きたい(苦笑)。 言うなれば科学とは、「どんな家が住みやすいのか?」を考える学問です。 木の家だって、窓ガラスぐらいあっても困らんでしょ? >通介さんはホスピスは無理やな、技術屋さんがよう似合いますがな。 これまた人をメカニックみたいに…(笑) ホスピスに入れる性分なのかは前述の理由で分かりませんが、とりあえず今の所は居心地が悪いみたいですな(苦笑)。 |
▼通介さん: > >>現段階で進化論を科学として全面的に認めるには、証拠が足りないでしょう。 > > どんな証拠を求めているんでしょう? >逆にいえば、創造論は信仰の場から踏み出した先が疑似科学であり、あらゆる科学的な証明をいつでも「創造主が、その様に作ったのだ」という証拠能力の無い言動でご破算にしてしまうのですが。 > 進化論が科学だというのなら、証拠が必要です。創造論は科学ではありません。聖書は科学の書ではないのです。創世記の記述を、科学という人間の限られた思考法で読むから、誤解するのです。聖書は人間が知っておくべき事を、日常の言葉で書いているにすぎません。科学の論文ではないのです。 たとえば、宇宙が無限であるということを、人間の日常の言葉でどう説明しますか? そもそも宇宙は無限なのでしょうか? 無限てのは、たとえば数学では定義できるでしょうが、一体、現実としては、どういう意味ですか? 人間の日常の思考法によれば、無限というのはあり得ないのじゃないでしょうか。今、部屋の中に机があります。この机が宇宙だとしましょうか。しかし、その机は部屋という空間の中にある。そして、その部屋は家の中にある。家は町の中にある...... こんな感じにどこまでもつづくでしょう。しかし、それが無限になるのでしょうか? 人間の思考によれば、いつかは行き止まりの場所がなくてはならない。それを仮定しましょうか。しかし、その行き止まりの先には、ほんとに何もないのですか? 科学の名のもとに、想像力を働かせて楽しむのはいいでしょう。しかし、人間にはどうがんばっても知ることのできない真理が、星の数ほどもあるのです。それに、科学はしばしば知らなくてもいいようなものまで生み出します。前世紀の物理学から誕生した原子爆弾。そして、今世紀には、生命科学からクローン人間が生まれるのでしょうか。 進化論的な生命の起源を想うとき、ウイルスのような原始的な生命体から人間のような高等な生物にまで進化するには、地球の歴史は短すぎるというのが、ぼくの科学的な感想です。 |
>進化論的な生命の起源を想うとき、ウイルスのような原始的な生命体から人間のような高等な生物にまで進化するには、地球の歴史は短すぎるというのが、ぼくの科学的な感想です。 ウイルスが進化して、人間のような高等生物になることは絶対無いでしょう。 どうも「ウイルス」と「細菌」を同じものだと思っているのではないだろうか? 実はこのふたつ、似ているようで、大きく違っていることをご存じでしょうか。 細菌は私たちと同じように、明らかに生物です。一方、ウイルスは生命体でありながら生物としては非常に中途半端な存在なのです。ウイルスが生物か無生物かは、昔から学者たちが頭を悩ませた問題でした。 一般に「生物」はタンパク質と水分を基本成分として、まず細胞から成り立っています。そして遺伝子をもって子孫を増やすことができるのです。 細胞は生命の最小単位で、細胞膜で周囲から守られています。細胞膜は伸び縮みする薄いゴムにいくつも穴が開いているようなものと考えてください。 その穴を通して外から栄養や空気を取り入れ、老廃物を出しています。細胞膜の中は細胞質で、そこでは外界から取り入れた栄養や空気をもとにエネルギーを作り出し、タンパク質を合成しています。これは動物でも植物でも、基本的な構造と働きは変わりません。 細菌は、この細胞1個で単細胞の生物として成り立つものです。 一方、ウイルスは、細菌とどう違うか。ウイルスは、まず遺伝子がありそれを頑丈なタンパク質の殻が包み込んでいます。その外側にエンベロープ(封筒)と呼ばれる膜があり、大事な遺伝子を頑丈な殻の中に保護しています。つまり、それだけの生命体なのです。 細胞という基本単位がないから栄養を取りこむこともできないし、エネルギーやタンパク質をつくることもできません。生命維持のシステムが何もないのです。だから他の細胞に寄生するのです。 生物は、水のほかにはまずタンパク質、それから脂質、糖質、ビタミン、無機質の5大成分で成り立っていますが、中でももっとも重要なのはタンパク質です。 なぜタンパク質が大事かというと、タンパク質は何万もの種類があってこのタンパク質の構造でDNAも酵素も細胞の諸器官もすべてが決定されるからです。体の構成成分としては、水とタンパク質の合計で90%を占めます。 そして細胞質の中でどんなタンパク質をつくるか、それを指示するのがDNAです。だからDNAだけがあってエネルギーもタンパク質も合成できないウイルスが生物か無生物か――この論争はこれからも続くのかもしれません。 |
ウイルスは,おっしゃるとおり,生命体と物体の端境にいる存在と思います。 それはともかく, ウイルスから人間まで,かなりの隔たりがあるのはわかります。 ただ,生命の形としては,地球上の生命はすべて同型なのです。 DNAの構造において,全部の生物に貫く法則をもっています。 宇宙をさぐり,他の生命を探すのは,まったく違った法則の生命体を 見つけるためなのでしょう。 |
▼キタキツネさん: > 細胞という基本単位がないから栄養を取りこむこともできないし、エネルギーやタンパク質をつくることもできません。生命維持のシステムが何もないのです。だから他の細胞に寄生するのです。 ということはウイルスは、いわゆる生物の発生以後の、遅れて来たもの、ということになりますか?ウイルスは「他の細胞に寄生」するしかないのですから。 私はまた、寄生型ウイルスも確かに存在するけれども、初期ウイルスは、自分で増殖できる存在で、すべての生物の原初であると思っていましたが。 しかし不思議ですねえ、ウイルスは泡から出来たのでしょうか、その泡がどうしてまた「自己増殖の願望」を持ったのでしょうか。その泡はたんぱく質が主成分として、たんぱく質の合成は誰がしたのでしょうか。科学者は平易な言葉で謎に答えてほしいものです。 |
>しかし不思議ですねえ、ウイルスは泡から出来たのでしょうか、その泡がどうしてまた「自己増殖の願望」を持ったのでしょうか。その泡はたんぱく質が主成分として、たんぱく質の合成は誰がしたのでしょうか。科学者は平易な言葉で謎に答えてほしいものです。 現在のウイルス学では、ウイルスの起源にはいくつかの説があるが、トランスポゾンのような動く遺伝子をその起源とする説が有力のようだ。 *「トランスポゾン」とは、細胞内においてゲノム上の位置を転移することのできる塩基配列。動く遺伝子、転移因子とも呼ばれる。DNA断片が直接転移するDNA型と、転写と逆転写の過程を経るRNA型がある。 つまりウィルスには遺伝物質の違いから、大きくDNAウイルスとRNAウイルスに分けられるそうだ。 科学にはまだまだ究明出来ていないことが多い。神の存在なくしては説明がつかないことが多いことを、人はそれを宗教に求めたのだろう。私は無信仰なので分からないが……。 |
▼キタキツネさん: > 現在のウイルス学では、ウイルスの起源にはいくつかの説があるが、トランスポゾンのような動く遺伝子をその起源とする説が有力のようだ。 レス、ありがとうございました。でも、なぜ「動く」んでしょうか、不思議ですねえ。それを言い出したら、なぜビッグバンが起きたか、という疑問にも通じますが、素粒子から生命まで、なぜ万物は流転しなければいけないのか、まったくわかりません。この、「なぜ」という質問に過去数千年の科学は答えていませんね。 |
ウミサチヒコさん こんにちわ!横レスブレークインになりますがお許し下さい・ >レス、ありがとうございました。でも、なぜ「動く」んでしょうか、不思議ですねえ。それを言い出したら、なぜビッグバンが起きたか、という疑問にも通じますが、素粒子から生命まで、なぜ万物は流転しなければいけないのか、まったくわかりません。この、「なぜ」という質問に過去数千年の科学は答えていませんね。 貴兄の不思議に思われてることの何故「動く?」と云う点について 私は総ての物質は波動を持つと云う観点のうち、生命を構成し維持せしめてる 水の波動について述べさせて頂きたいと思います。 水は生命の恒常性「ホメオスタシス」の維持にも深い関わりがあるとも 云われてます。 その水は水素と酸素からなる単純な化合物ですが水分子は単独、 単体でなくクラスター「分子集団」を形造り「水」として存在してます。 その水の分子は集団は絶えず離合集散を繰り返してますが・・、 それがある一定の波動「10−12乗/毎秒」の元にあると 云われてます。 10−12乗/毎秒そのものは目では見えませんがブラウン運動として 水滴に花粉を落として動くサマとして1兆分の一秒は分周されてた形で 顕微鏡のもとで見ることは可能です。 数百年前の蓮の種が芽を出したり、その他諸々の種が干涸らびた 状態から芽吹きをみせるのは「水の持つ波動」が種子類の生命の缶詰? 揺り動かし目覚めさせること「酵素を活性させる」にあると 理解しております。 以上、ご参考になれば幸いです。 |
▼珍 源斎さん: >ウミサチヒコさん>こんにちわ!横レスブレークインになりますがお許し下さい・ いえ、こちらこそ。 >10−12乗/毎秒そのものは目では見えませんがブラウン運動として>水滴に花粉を落として動くサマとして1兆分の一秒は分周されてた形で>顕微鏡のもとで見ることは可能です。 ええ、ブラウン運動などは聞いて知っています。私の疑問は、なぜ物質が波動なりなんなりで「動く」のか、ということなんです。「なぜ物質は動くのか」です。超・難解ですよね。「エネルギーはなぜ動くか」と変えてもいいです。 >数百年前の蓮の種が芽を出したり、その他諸々の種が干涸らびた>状態から芽吹きをみせるのは「水の持つ波動」が種子類の生命の缶詰?>揺り動かし目覚めさせること「酵素を活性させる」にあると>理解しております。>以上、ご参考になれば幸いです。 水であろうと油であろうと、また気体・固体であろうと、相互作用(=これも動き」ですね、おっしゃるように波動しています)で互いに環境を変えているわけです。種の場合は、水と温度などの環境で遺伝子の命令で発芽するのですから、「波動が生命の缶詰を揺り動かす」というのは、少し文学的に過ぎる表現(定義)ではないかと思います。また面白い話を聞かせて下さい、(スーパーの話だけでなく)。 |
始めに光り有り! 何処かで聞き覚えはあると思いますが・・。 光は波動であり、粒子でもあると云われてます。 その辺りにエネルギーと生命発祥の泉源があるように聞いた 覚えがあります。 又、永久磁石はどうして持続する磁力があるのか? 磁性体である物資の中に一定の自律回転運動をしてる 原子・電子がありそれによってNSの磁極があり磁界を 生じてると認識しております。 何れも「どうして」「どうして」との究極な疑問は 残りますが・そんなものかな!として納得してる処です。 宇宙はある時、超高エネルギーの火の玉として誕生した。 「ビックバンと云われてる。」 これも理解の範囲を大きく超えますが宇宙は急激な膨張を 開始し10の−36乗秒後に1万倍の大きさに膨らみ その時の宇宙の温度は10・32乗度K「絶対温度」で 重さは10・94乗グラム/センチ平方の超蒿密度であったと云う。 ヘリウムの合成の始まり等々と続いてるが科学雑誌ニュートンが 監修してるが、目を通してみても「そんなものかな?」として 疑問を納めざるを得ないところです。 只、現世において「あらゆる」生命とエネルギーの泉源は 太陽にあると納得してる処です。 そして宇宙の大法則として「原因と結果」の法則があり 因果は巡ることになり人間社会は元より総ての生物もその 法則からの例外は無いと認識しております。 お目通しとレス感謝! |
▼珍 源斎さん: >お目通しとレス感謝! こちらこそ。 (…でも、疑問にちっとも答えてくれないんですね。) (もちろん、どなたも答えようがない質問は承知しています。) (でなければ、ノーベルがいくつあっても足りないですから。) いずれにせよ、ありがとうございました、また別の話題でお会いしましょう。 |
先に完成された聖書があり、そこからダーウインの「種の起源」を出発点として、進化論が発展していった過程がある。 もともと進化論は無神論者のものであり、日本人の大多数を占める無心論者には受け入れやすいものである。 そこで宗教を語ることに無理があります。 進化論は科学であるなら、科学は唯物論として、「世界は時間的あるいは空間的に無限である」という結論。 一方、宗教は「世界は時間的あるいは空間的に有限である」という観念論である。ということになれば、進化論は進化論として、宗教は宗教として論ずればすむと思いました。 きょうのお勉強でした。 |
一休さんの歌 煙たつ野べのあはれをいつまでか よそに見なして身は残りなん |
▼ナナママさん: >先に完成された聖書があり、そこからダーウインの「種の起源」を出発点として、進化論が発展していった過程がある。 > >もともと進化論は無神論者のものであり、日本人の大多数を占める無心論者には受け入れやすいものである。 そこで宗教を語ることに無理があります。 > >進化論は科学であるなら、科学は唯物論として、「世界は時間的あるいは空間的に無限である」という結論。 > >一方、宗教は「世界は時間的あるいは空間的に有限である」という観念論である。ということになれば、進化論は進化論として、宗教は宗教として論ずればすむと思いました。 きょうのお勉強でした。 なかなか含蓄あることをおっしゃりますねえ。 しかし、落とし穴、有限無限の結論は出ていませんね、やはり、あなたは観念論でしたか。 |
▼ウミサチヒコさん: >私の疑問は、なぜ物質が波動なりなんなりで「動く」のか、ということなんです。「なぜ物質は動くのか」です。 > > これは今のところ答えようがないでしょうね。 ある著名な科学者がこんなことを言っていました。「科学はあるところまで進んだ段階で、ものごとはこうなっているからこうなのだ。としか言えなくなってしまう」と。 そこから先は、神がそのように創った・創らない という話になるんでしょう。 全ての粒子は動きますが、逆に もし全く動かないとしたら何も変化は起こらないことになります。このような状態では時間という概念もなくなりそうです。こんな逆説的表現になってしまいそうです。 科学ではわからないことはたくさんありますが、物理上の大きな疑問点のひとつに、重力(万有引力)の強さがあります。重力は宇宙の大きさや未来を決める大きな要因です。なぜ重力は今の値なのか。何がそれを決定しているのか。これらは物理学者を悩ませている問題のようです。 |
▼昼寝もぐらさん: >▼ウミサチヒコさん: >>私の疑問は、なぜ物質が波動なりなんなりで「動く」のか、ということなんです。「なぜ物質は動くのか」です。 >これは今のところ答えようがないでしょうね。>ある著名な科学者がこんなことを言っていました。「科学はあるところまで進んだ段階で、ものごとはこうなっているからこうなのだ。としか言えなくなってしまう」と。>そこから先は、神がそのように創った・創らない という話になるんでしょう。 「存在」は価値ではなくて、存在するから存在。けれども存在のメカニズムを知りたい。素粒子や光より、「エネルギー」という概念の方が根源、このエネルギーとは一体なんだろう。エネルギーはこの4次元の世界に現れるや、変転する。粒子や光になって飛び回る、ビッグバンだ。それはいいとしてエネルギー、これは時空を超え、N次元の世界からやって来たに違いない、N次元で緊張してたものが、わが4次元で解き放たれる。けれどもなぜ? まるで神だ。N次元を「神」と置き換えているのと変わらないとすれば、情けない。 時間は存在に従属する。エネルギー=存在が無ければ、(ありえないことだが)、時間もない。あるいは昼寝もぐらさんおっしゃるように、時間がなければ動き=存在もないか。ナノの何十乗の、(何十乗分の1ではない(注)兆民さんへ)、極微の世界に何十兆トンもの質量が存在したという。そこでは時もまた歪んでいるだろう。局所場理論も真っ青の超・局所場だ。量子論も相対論も通用しない世界。私たちが考えられる限りの短い時間を超える世界が、そこでは十分長い時間に伸びている場所だ。これこそ人知を超えている。点と線、面、立体、そして時間の4次元世界は、むしろ特異な世界かもしれない。N次元、、、宇宙は幾ら次元があるのだろう。地球半径の大きさに較べたらミクロの生活圏すなわち平面の世界にゾウリムシのように住む「ヒト」には、何も分からない。疑問は尽きない。 >全ての粒子は動きますが、逆に もし全く動かないとしたら何も変化は起こらないことになります。このような状態では時間という概念もなくなりそうです。こんな逆説的表現になってしまいそうです。 >科学ではわからないことはたくさんありますが、物理上の大きな疑問点のひとつに、重力(万有引力)の強さがあります。重力は宇宙の大きさや未来を決める大きな要因です。なぜ重力は今の値なのか。何がそれを決定しているのか。これらは物理学者を悩ませている問題のようです。 出来ればそのとばっくちまででもたどり着きたかった、それが少年の頃の私の夢でした。 |
ウミサチヒコさん、 ウイルスと細菌の平易な解説なら、これ↓はどうでしょうか。 http://smartwoman.nikkei.co.jp/interface/ContentView.cfm?sw_ContentNo=32600013 インターネットは知識の宝庫なのか、それをどう咀嚼するか、咀嚼できるのか、どう利用すのるかは人それぞれでしょう。 |
▼石頭の息子さん: >ウミサチヒコさん、 > >ウイルスと細菌の平易な解説なら、これ↓はどうでしょうか。 > >http://smartwoman.nikkei.co.jp/interface/ContentView.cfm?sw_ContentNo=32600013 > >インターネットは知識の宝庫なのか、それをどう咀嚼するか、咀嚼できるのか、どう利用すのるかは人それぞれでしょう。 Wikipedia?にも同じ文章が載っていました。でも、ウイルスが先か、生命が先か、なぜ遺伝子は増殖したがるのか、それが分かりません。 今日のウイルスはどうも生命の後つまり生命の変種・進化の可能性がありますね。原始ウイルスはもはや地上にない。原始ウイルスが生命を作った? (では生命は、その前にDNAは?たんぱく質は?)。アミノ酸の合成までは分かります、純粋な「反応」の世界ですから。なぜたんぱく質が出来たか、なぜタンパク質は増殖するのか? 蛋白質の「蛋」は卵のことであると。ピータンの「タン」ですかね。 |
ウミサチヒコさん, >蛋白質の「蛋」は卵のことであると。ピータンの「タン」ですかね。 URLを貼り付けてもいいが、ここでそれがなんになる、その先はアンポンタン。 |
▼BadBlokeさん >進化論が科学だというのなら、証拠が必要です。 いや、だからどんな? 進化の道筋が辿れる様に、化石とか諸々の進化の痕跡をズラリと並べるとか? >たとえば、宇宙が無限であるということを、人間の日常の言葉でどう説明しますか? 「あらゆる観測機器…例えば、最も早いとされる“光”を使っても“どれぐらい広いのか?”さえ分からない。 だから“とりあえず”『果てしない大きさを持っている』『しかも広がり続けている様だ』から、無限といって差し支えないだろう」 無限?…そりゃ“限りが無い”と書くところから、察しなされ(苦笑)。 >人間の日常の思考法によれば、無限というのはあり得ないのじゃないでしょうか。 日常の思考法だけで世界を語りつくせたら、そもそも苦労はいりません。 そも概算して60億通り以上あるんですよ、人間の日常って。個々の人間の日常の思考法なんて、他の人間の非常識たりえるんですぜ? BadBlokeさんの日常の思考法に世界がそぐわないからと言われても、その、なんだ困る。 >しかし、人間にはどうがんばっても知ることのできない真理が、星の数ほどもあるのです。 ではまず、その“星の数”を数えよう。そしてその星が、“万人がどうやっても窺い知れない”物なのか…まずは、そこからだ。 >それに、科学はしばしば知らなくてもいいようなものまで生み出します。 いや、それは信仰もおんなじ(苦笑)。 狂信者が自分の神を信じない(というか、そもそも存在を知らない)人々を殺した例はいくらでもあるし、どこかの信者が宗教の垣根を越えて尊敬・崇拝されるのと一緒。要はバランスなのよ。 核兵器だって廃絶する動きはわずかでも、確実にある訳で。宗教が倫理に訴えるのなら、科学は理性から核兵器を廃絶に向かわせる事もできるんですよ? (逆に狂信からボタンを押す人もいれば、理性的に“クリーンな核兵器”を目指す科学者もいる訳だ) >進化論的な生命の起源を想うとき、ウイルスのような原始的な生命体から人間のような高等な生物にまで進化するには、地球の歴史は短すぎるというのが、ぼくの科学的な感想です。 ああ、46億年で足りないとなると…そりゃ何処かで進化論を誤解されてますやね…(ウィルスに関する件はキタキツネさんのコメント参照) |
▼通介さん: >>進化論が科学だというのなら、証拠が必要です。 > > いや、だからどんな? > 進化の道筋が辿れる様に、化石とか諸々の進化の痕跡をズラリと並べるとか? >(略)... > ああ、46億年で足りないとなると…そりゃ何処かで進化論を誤解されてますやね…(ウィルスに関する件はキタキツネさんのコメント参照) まったく足りないでしょうね。それで足りなけりゃ進化論者が困るという話なら理解できるけれど。 で、ウイルスの件とは一体なんのことですか? 生物か無生物かって話でしょうか? ウイルスには細胞がない。これは事実。でも、ぼくはそんなことを話題にはしていないつもりですよ。あくまでも、進化論主義者の考えにそって、「ウイルスのような原始的な生命体」という表現をしたのです。まさか、最近の進化論では、生命の起源を最初から細胞をもつ生物から始まったと考えているわけじゃないでしょう? ぼくが言った「ウイルスのような」という意味は、「ウイルスに近い」ということですよ。進化論の考えでは、宇宙創世の始まりには生命体がなかったわけですよね(ま、これに関しては、創造論も同じですが)。生命の起源は、ウイルスに近い生命体から始まったと仮定しているのが、進化論じゃなかったでしょうか。いや、ぼくも少しは知っているつもりなんです。ほんとのところ、まだよくわかっていないんですよね。こういうことだから、ぼくは進化論は証拠不十分だと言ってるのです。 |
ども、通介です。 ▼BadBlokeさん >まったく足りないでしょうね。それで足りなけりゃ進化論者が困るという話なら理解できるけれど。 えぇと、この発言は >>進化の道筋が辿れる様に、化石とか諸々の進化の痕跡をズラリと並べるとか? と >>ああ、46億年で足りないとなると…そりゃ何処かで進化論を誤解されてますやね… の二つにかかる、ダブルミーニングなんですかね? 単純に文意を解釈しづらいので、言葉を惜しまずに語って頂けると、互いに確認と回答の手間が省けるのですが。(後、それに伴う諸々の不快感とか) ちなみに「46億年で足りない」とした場合、「何故、“足りない”と考えたのか?」という科学的思考の過程を挙げて頂きたく。 また、「いかなる種類の証拠が、どれだけ足らないのか?」という先からの問いにもお答えいただきたく思います。 “何が”を明確にせず「足りない足りない」と繰り返すのでは、サッパリ話が通じません。(そういう意味では、実に“困る”) >で、ウイルスの件とは一体なんのことですか? 生物か無生物かって話でしょうか? ですね。どちらかというと“生命として完全か、不完全なままで完成しちゃったか”という話題だと思いますが。 >あくまでも、進化論主義者の考えにそって、「ウイルスのような原始的な生命体」という表現をしたのです。 進化論は主義ではありません。科学という学問の学説です。どうもBadBlokeさんは、ぼくは進化論を信じる人に対して、そういう信仰を持っているとか、科学と科学を学ぶ者の立ち位置を、不当に捻じ曲げる様なコメントを書かれるのが気になります。 #そもそも科学と信仰は別次元というなら、「科学(進化論)か、信仰(創造論)か?」という二者択一自体がナンセンスなんですが。 ところで>(略)...とされた箇所については、ご理解(または納得)頂けたと言う事でよろしいですね? チマチマとでも共通認識を組み立てていかないと、お互い何処でつまづくか不安なもので(苦笑)。 >まさか、最近の進化論では、生命の起源を最初から細胞をもつ生物から始まったと考えているわけじゃないでしょう? >ぼくが言った「ウイルスのような」という意味は、「ウイルスに近い」ということですよ。 そうですな。ウィルス状の「なんとなく生命?」みたいな物だったようです。 #断言しないのは、見て来たわけじゃないからだけど、定説となるぐらいには信憑性の高い説みたいですな。 >ほんとのところ、まだよくわかっていないんですよね。こういうことだから、ぼくは進化論は証拠不十分だと言ってるのです。 えぇと、スタートラインが古すぎてよく分かっていない。(ウィルス状生命の出現が、38億年前ぐらいらしい) それでいて、なおかつウイルスのような原始的な生命体から人間のような高等な生物にまで進化するには、地球の歴史は短すぎる…ハテ、何か論理の噛み合わせが悪い様な気が…(なんだろう?) 別にスタートラインのウィルス状生命の出現時期が何億年かズレていて、正しい時期が厳密に分からなくても、発生した生命が進化すること自体は否定されない訳だし… #貴方や私の、十何代か前のご先祖が誰だか分からないからと言って、貴方や私の存在が消えないのと一緒。 というか、証明するには化石とかの明確な証拠ではなく、おそらくは地底とか深海等の環境変化の少ない(=“進化”という変化の少ない)生物の遺伝子を調べるとか、そういう調査が必要でしょうね。(多分、現在まで残る形では化石化しにくいだろうからなぁ) で、「こうであろう」という仮説を立てて、その仮説を立証するのが科学の基本な訳ですから、現状BadBlokeさんが「証拠が乏しい」と感じたからといって、それは科学としての進化論をなんら小動させる物ではありません。 たとえば、仮に始原の生命が「ウィルス状ではなかった!」と分かっても、それは進化論のモデルの修正材料なのであって、進化論の非科学性を立証するものではないのです。 逆説的な発言ですが、ダーウィン以来、未だに疑問の余地があるからこそ進化論は生命科学の一分野にあるのです。 |
▼通介さん: ぼくはもちろん科学の仮説を認めないわけじゃない。とうろうさんとの最初の話のときだって、進化論は仮説だ、とぼくは言いました。仮説だからやめろとは言わなかった。 仮説であるのに真理であるかのように思い込むのは科学的でないと言ってるのです。まして、明確なキリスト信仰を持っている者に対して、進化論という仮説を武器として攻撃するのは、おかしな話じゃないか。そう言ってるのです。 あなたはたしか、ぼくがアジアのどこかの宗教(少女を神に祀るやつ)を批判したら、信教の自由を理由に、ぼくの意見に反論しましたね。ぼくの考えでは、進化論を理由にしてキリスト教を批判するのは、進化論という信仰による攻撃にしか見えない。 あなたは初詣はしたことがありますか? 日本人の多くはするそうだから、確率的に言って、あなたもしたことがあるだろうと、ぼくは推測します。確率論は科学です。確率の大きい事象は、当たる可能性が高い。しかし、例外もあります。 ぼくは生まれてから今までに、一度も初詣に出かけたことがありません。正月に犬と散歩しているうちに、明治神宮のそばに来てしまい、初詣にやって来た群衆に遭遇したことがあります。彼らの中に混じって歩いていると、ぼくも初詣に来たかのように見えたかもしれない。しかし、それはまちがい。確率論で推測しても、はずれです。科学は必ずしも当たらない。細木数子の占いよりは当たるとしても。 あれ? こんな話をする予定じゃなかったのです。聖書に従って創造主を信じることを、進化論主義者は迷信であるかのように批判します。じゃ、もしあなたが初詣に出かけたことがあるとすれば、あなたは一体どんな神に祈ったのですか? 明治神宮なら、明治天皇とその奥さんが神でしたね。そんなことは知らなくてもいいのでしょうか。今でも明治神宮では、教育勅語を復活させようとしているということも、きっと知る必要はないのでしょうね。なんといっても、明治神宮の初詣参拝者数は、毎年全国1位、300万人を超えるそうですから。 アテネを訪れたパウロは、ギリシャ人の信仰を見て、彼らが「知られざる神々」を崇拝しているという印象を持ったようです。知られざる神々や占いなどは、日本では今でも、マスメディアの中にさえ日常的に満ちているようです。 先日、とうろうさんに紹介した英国の学者マクグラスは、高校生の頃までは、完璧な無神論者で、ドーキンスのあの有名な本を賞賛してもいたそうです。それが、オックスフォードで生化学を学び始めた頃に、マイケル・グリーンという聖書的な信仰に立つ牧師と出会って、明確なキリスト信仰をもつようになったのでした。 マクグラスとグリーンとの出会い。ジョン・ストットとナッシュとの出会い。矢内原忠雄と内村鑑三との出会い。ここに、BadBlokeとストットとの出会いを加えると、話が大げさになるかもしれないですが、共通していることは、信仰の師との出会いを通して、みなその信仰を聖書に従って貫いていることです。主観ではなく、哲学でもなく、科学でもなく、聖書の神を確かに知っているということです。 証拠ですか? たしかにこの眼で神を見た者はいない。聖書にもそう書いてます。ただ、「見ないで信じる人は幸いです」と言ったイエスの言葉があるし、盲人にも聖書の神を信じることはできるのです。信仰もこころも金では買えない。金で買えるものは、眼に見えるものだけです。若い頃にキリスト教徒を迫害しようとしていた秀才パウロは、一時的に眼が見えなくされたときに、イエス・キリストを見ました。 |
(つづき) さて、問題の進化論ですが、ぼくは進化論を信じる人に対して、そういう信仰を持っているからといって批判するつもりはありません。それはキリスト教以外の宗教を信仰する人や無神論者を、理由もなく批判しないのと同じです。ただ、ぼく自身の問題としては、進化論と聖書のどちらを信じるかという話になると、聖書を選ぶしかないのです。進化論を信じなくても、ぼくにも科学的な思考はある程度は可能ですし、はかない人生を生きる上で必要なことを、進化論はほとんど何も語ってくれず、聖書は必要充分に語ってくれるからです。 殺すなかれ。父と母を敬え。などなど、刑法や教育勅語などがなくても、ぼくには聖書だけで充分です。それに聖書はとてもフェアなんです。「子どもたちよ、両親に従いなさい。それは神が喜ぶことなのだ」と言った直後に、「父たちよ、子どもたちを怒らせてはならない。気落ちしてしまうといけないから」と言って、親の責任をちゃんと忘れていないのです。 進化論主義者にも人間として立派な人はたくさんいるでしょう。しかし、進化論自体が人間の生き方をよくしてくれるかどうかは、とても疑問です。ぼくはむしろ次のような人たちを信じます。 「私の生涯にもっとも深い影響を与えた本は聖書である」(マハトマ・ガンジー) 「私はこの時代に95人の世界的な偉人を知っているが、そのうち87人は聖書に従う人たちであった」(グラッドストン) 「聖書の中には、世俗的な歴史の中よりも、より多くの確かな真実の痕跡が見られる」(ジョン・ニュートン) もっとも、ぼく自身は、聖書を信じる者のひとりとして、自分が世界の偉人の仲間に加えられるとは夢にも思えないのです。ただ、彼らと同じように聖書を信じ続けて人生を終えることは、一度きりの人生としては、それほど馬鹿げたことじゃないように思っています。 最後に、尊敬する矢内原忠雄の次の言葉を引用します。 「謙虚になって聖書をひもといて見れば、それ(知識)は最も基本的な形において聖書に示されておる。これを今日の社会情勢と、人間の知識の進歩と、世界の複雑性に照らし合わせて応用すればよいだけです。根本は聖書に示されている通りであります」 「科学と信仰の問題は、次元が違うのであって、その間に断層があり、飛躍がある。科学には科学の世界があり、信仰には信仰の世界がある。それは別の世界です。しかし科学を勉強することによって、信仰のなかから迷信的な要素を除くことができる。また純粋に信仰することによって、科学に高潔な精神と希望を与えることができる。そういうことで、私はこの問題は解決されると、自分で思っています」 ちなみに、矢内原忠雄は、聖書の中の奇跡、たとえばイエスの復活などを、迷信としてではなく、事実として信じていたようです。彼の信仰の師、内村鑑三と同じように。 |
BadBlokeさん お暇なときにでも↓をごらんください。聖書はいいけれど、教会が嫌いっていうのは良くわかります。 ガンジーもキリスト教会、教徒は嫌いだったそうですね。 http://www.tomoshibi.or.jp/ お元気で。 |
▼ナナママさん: >BadBlokeさん >お暇なときにでも↓をごらんください。聖書はいいけれど、教会が嫌いっていうのは良くわかります。 ガンジーもキリスト教会、教徒は嫌いだったそうですね。 > http://www.tomoshibi.or.jp/ > お元気で。 いつも暇なので、先ほど紹介していただいたサイトを訪問しました。そこでぼく好みの写真を見つけました。これです。 http://www.tomoshibi.or.jp/word_image/1107.jpg ここの聖書の言葉もいいですね。どこかのグルメ大国にこそ必要な言葉のように思います。英語圏でキング・ジェイムズ聖書と呼ばれている訳では、新約聖書原典のアガペー(愛)を、charity と訳しています。この単語は現代では、日本語のチャリティーと同じ意味でしか使われないようです。 おそらくキリスト教文化圏では、キング・ジェイムズ聖書の影響でチャリティーの文化が育ったのでしょう。ノブレス・オブリージュ(高貴な身分の人の義務)に軍国主義が加わると、いつまでも戦争がなくならないのかもしれませんが、チャリティーの精神は、ノブレス・オブリージュ(高貴な身分というより金持ちの義務というほうが日本ではピンと来るでしょうか)の中にぜひ忘れてほしくない精神です。 キリスト者にとってのチャリティーですが、これは決して強者が弱者に施すという意味ではないでしょう。キリスト者自身が、神の愛を受けるにふさわしくないほどに罪深い人間であるにも関わらず、神の恵みによって生かされている。その神の愛を知るがゆえに、同じ人間として困っている人を助けてあげよう。そういう気持ちが、キリスト者のチャリティーだと思います。 聖書を単なる道徳の書だと思っているキリスト者には、いつのまにか自分を正しい人、強い人だと錯覚する傾向があるようです。イエスの嫌った偽善は、2000年前から今に至るまで、ずっと人間の遺伝子の中に組み込まれているかのようです。こういう問題を進化論は解決できるのでしょうか。科学的に説明しようとする学者はいたとしても、その現実を解決する道は示せないように思います。 キング・ジェイムズ聖書は、その多くをティンダル訳にならっているといいます。ティンダルは聖書を英語に訳したことで、当時の教会権力から異端とされ火刑にされました。キリスト教会という組織、そして、その組織をつくるキリスト者たちには、いつの時代にも、反聖書的な行動がなくならないようです。それを聖書はちゃんと見抜いていますね。 カトリック教会は、散歩の途中で便所を貸していただいた南平台の教会くらいしか知らないのですが、ナナママさんご紹介のサイトによって、こうして5世紀前の英国を想うことができ、感謝します。 |
▼BadBlokeさん: 暫くぶりで 来てみました。ご無沙汰してます。 諸説 大変面白く参考になります。 ところで友人で あちらの”漁師の館”に行ってた奴に あいました。 以下 私との対話です。 私: 1年近く そこにカミさんと行ってたの? 奴: つまり 態のいい追放というわけ。 私: ベジタリアンがイギリスには多いとか? 奴: そうよ。20人に1人。でも これにもいろいろある。 フルータリアンてのは特定の植物しか食べない。 植物だって生きているからほんとは食べないんだけど ミカンやリンゴは木を傷めないから大丈夫だと。 しかし サツマイモはその存在を殺してしまうから駄目。 私: 信仰や思想からくるもので特定の動物を食べないというのは わかるけど。 ペットの飼育にも 反対しているのもいるね? 結局 他の動物を殺すことになるから? 奴: 肉食動物を飼育するならエサは動物の肉ということ。 これは 許せない!という。 なかには 動物にまで 菜食を強制してるのまでいる。 猫のベジタリアン協会ていう。 私: 自分で食を選べない奴に それも もともと肉食のに菜食を強制する ということは これって 動物虐待じゃ? 奴: 動物愛護団体は時には 賛成しがたいこと もあるというわけ。要は むやみに 他の生物を殺すな!ってこと。 私: ところで 英語は上手くなったか? 奴; 度胸だけは ついた。 神社の研究で 某大学の先生から翻訳を頼まれているのがいて 絶句している。 あのニ礼は 丁寧にすれば一礼でいいのでは ないか? など。 度胸のある奴に 説明させよう。 お元気で。 > >いつも暇なので、先ほど紹介していただいたサイトを訪問しました。そこでぼく好みの写真を見つけました。これです。 > >http://www.tomoshibi.or.jp/word_image/1107.jpg > >ここの聖書の言葉もいいですね。どこかのグルメ大国にこそ必要な言葉のように思います。英語圏でキング・ジェイムズ聖書と呼ばれている訳では、新約聖書原典のアガペー(愛)を、charity と訳しています。この単語は現代では、日本語のチャリティーと同じ意味でしか使われないようです。 > >おそらくキリスト教文化圏では、キング・ジェイムズ聖書の影響でチャリティーの文化が育ったのでしょう。ノブレス・オブリージュ(高貴な身分の人の義務)に軍国主義が加わると、いつまでも戦争がなくならないのかもしれませんが、チャリティーの精神は、ノブレス・オブリージュ(高貴な身分というより金持ちの義務というほうが日本ではピンと来るでしょうか)の中にぜひ忘れてほしくない精神です。 > >キリスト者にとってのチャリティーですが、これは決して強者が弱者に施すという意味ではないでしょう。キリスト者自身が、神の愛を受けるにふさわしくないほどに罪深い人間であるにも関わらず、神の恵みによって生かされている。その神の愛を知るがゆえに、同じ人間として困っている人を助けてあげよう。そういう気持ちが、キリスト者のチャリティーだと思います。 > >聖書を単なる道徳の書だと思っているキリスト者には、いつのまにか自分を正しい人、強い人だと錯覚する傾向があるようです。イエスの嫌った偽善は、2000年前から今に至るまで、ずっと人間の遺伝子の中に組み込まれているかのようです。こういう問題を進化論は解決できるのでしょうか。科学的に説明しようとする学者はいたとしても、その現実を解決する道は示せないように思います。 > >キング・ジェイムズ聖書は、その多くをティンダル訳にならっているといいます。ティンダルは聖書を英語に訳したことで、当時の教会権力から異端とされ火刑にされました。キリスト教会という組織、そして、その組織をつくるキリスト者たちには、いつの時代にも、反聖書的な行動がなくならないようです。それを聖書はちゃんと見抜いていますね。 > >カトリック教会は、散歩の途中で便所を貸していただいた南平台の教会くらいしか知らないのですが、ナナママさんご紹介のサイトによって、こうして5世紀前の英国を想うことができ、感謝します。 |
▼k.satouさん: 面白いお話を感謝します。英国にベジタリアンが多いという感覚はありましたが、20人に1人というのは、初めて知りました。リンダ・マッカートニーがベジタリアン食品で大金持ちになったのも、うなずけます。といっても、もともと彼女は大金持ちでしたけど。 そのフルーテリアンというのは、映画 Notting Hill にも出てきました。この映画、制作費を用意したのがアメリカらしいから、日本ではアメリカ映画にされているようですが、ジュリア・ロバーツは別として、登場人物といい、その演出といい、いかにもイギリスっぽい映画だと思います。“ローマの休日”の焼き直しだという人もいるようですが。 菜食主義のペット・フードは、ぼくも見たことがあります。ぼく自身はいつのまにかベジタリアンぽく変身していましたが、これは聖書に従ったわけじゃないのです。聖書はベジタリアンじゃないですから。 ただ、聖書は、友というものを、たいせつにしています。加藤周一氏の英国人の友人に、家の窓際に挨拶に来る馬のことを「ぼくの友だちだ」と紹介した人がいるとか。動物の中には、たしかに人間の友になれる動物もいます。 ホリエモンの自家用ジェットに乗って、豪華な食事を楽しんだミス・キャンパス系の美人が何を言っても、ぼくは聞く耳を持ちませんが、もしもヒツジを友とする美しいこころの田舎娘がいて、その人と友だちになれるのなら、ぼくはヒツジを食べなくてもいいと思うでしょう。 >▼BadBlokeさん: > 暫くぶりで 来てみました。ご無沙汰してます。 > 諸説 大変面白く参考になります。 >ところで友人で あちらの”漁師の館”に行ってた奴に あいました。 >以下 私との対話です。 > 私: 1年近く そこにカミさんと行ってたの? > 奴: つまり 態のいい追放というわけ。 > 私: ベジタリアンがイギリスには多いとか? > 奴: そうよ。20人に1人。でも これにもいろいろある。 > フルータリアンてのは特定の植物しか食べない。 > 植物だって生きているからほんとは食べないんだけど > ミカンやリンゴは木を傷めないから大丈夫だと。 > しかし サツマイモはその存在を殺してしまうから駄目。 > 私: 信仰や思想からくるもので特定の動物を食べないというのは > わかるけど。 > ペットの飼育にも 反対しているのもいるね? > 結局 他の動物を殺すことになるから? > 奴: 肉食動物を飼育するならエサは動物の肉ということ。 > これは 許せない!という。 > なかには 動物にまで 菜食を強制してるのまでいる。 > 猫のベジタリアン協会ていう。 > 私: 自分で食を選べない奴に それも もともと肉食のに菜食を強制する > ということは これって 動物虐待じゃ? > 奴: 動物愛護団体は時には 賛成しがたいこと > もあるというわけ。要は むやみに 他の生物を殺すな!ってこと。 > 私: ところで 英語は上手くなったか? > 奴; 度胸だけは ついた。 >神社の研究で 某大学の先生から翻訳を頼まれているのがいて > 絶句している。 > あのニ礼は 丁寧にすれば一礼でいいのでは ないか? など。 > 度胸のある奴に 説明させよう。 お元気で。 |
▼BadBlokeさん >>お暇なときにでも↓をごらんください。聖書はいいけれど、教会が嫌いっていうのは良くわかります。 ガンジーもキリスト教会、教徒は嫌いだったそうですね。 >> http://www.tomoshibi.or.jp/ >> お元気で。 > >いつも暇なので、先ほど紹介していただいたサイトを訪問しました。そこでぼく好みの写真を見つけました。これです。 > >http://www.tomoshibi.or.jp/word_image/1107.jpg > >ここの聖書の言葉もいいですね。どこかのグルメ大国にこそ必要な言葉のように思います。英語圏でキング・ジェイムズ聖書と呼ばれている訳では、新約聖書原典のアガペー(愛)を、charity と訳しています。この単語は現代では、日本語のチャリティーと同じ意味でしか使われないようです。 旧約;イザヤ書58−7は飽食の国、日本人にとっては、罪悪感で一杯になります。 日本も貧富の格差が広がり、その日の食事に事欠くことがあるかもしれません。そのときに、理解できるかもしれません。 アガペーは理性的な愛と解釈しています。 偽善的と思われるかもしれませんが、気持ち悪いから避けていくひと、気持ち悪いと感じても、大丈夫ですか?と一声かけていくひと。同じ気持ちでも、避けるのと、一声かけるのとでは違います。 > >おそらくキリスト教文化圏では、キング・ジェイムズ聖書の影響でチャリティーの文化が育ったのでしょう。ノブレス・オブリージュ(高貴な身分の人の義務)に軍国主義が加わると、いつまでも戦争がなくならないのかもしれませんが、チャリティーの精神は、ノブレス・オブリージュ(高貴な身分というより金持ちの義務というほうが日本ではピンと来るでしょうか)の中にぜひ忘れてほしくない精神です。 >キリスト者にとってのチャリティーですが、これは決して強者が弱者に施すという意味ではないでしょう。キリスト者自身が、神の愛を受けるにふさわしくないほどに罪深い人間であるにも関わらず、神の恵みによって生かされている。その神の愛を知るがゆえに、同じ人間として困っている人を助けてあげよう。そういう気持ちが、キリスト者のチャリティーだと思います。 毎年、日本の教会ではチャリテイ・バザーを行事としていますが、私のところでは寄付する施設が決まっていて、売上金の多少によって、額は調整しています。何がしかの足しにはなるかも知れませんが、助けてあげようと思う程の額でもありませんので・・・共に生きる者同士、助け合いましょう、ぐらいの気持ちです。 > >聖書を単なる道徳の書だと思っているキリスト者には、いつのまにか自分を正しい人、強い人だと錯覚する傾向があるようです。イエスの嫌った偽善は、2000年前から今に至るまで、ずっと人間の遺伝子の中に組み込まれているかのようです。こういう問題を進化論は解決できるのでしょうか。科学的に説明しようとする学者はいたとしても、その現実を解決する道は示せないように思います。 進化論で人間のこころが安らぐことはないでしょう。また、聖書を単なる道徳の書とは思ってません。キリスト者が偽善者的である、ということをキリスト者自身、心の底から反省し悩んでいるのでが現状ではないでしょうか。 > >キング・ジェイムズ聖書は、その多くをティンダル訳にならっているといいます。ティンダルは聖書を英語に訳したことで、当時の教会権力から異端とされ火刑にされました。キリスト教会という組織、そして、その組織をつくるキリスト者たちには、いつの時代にも、反聖書的な行動がなくならないようです。それを聖書はちゃんと見抜いていますね。 組織の長、権力者になる人は、誰からも尊敬に値する人格者でなければならのですが、やはり欲には負けてしまう、所詮小さな人間でしかないのでしょう。 > >カトリック教会は、散歩の途中で便所を貸していただいた南平台の教会くらいしか知らないのですが、ナナママさんご紹介のサイトによって、こうして5世紀前の英国を想うことができ、感謝します。 |
▼BadBlokeさん:こんばんは。 レス有難う御座います。 私も、論争と言うわけでは有りませんが、貴レスについては後日お返事を差し上げたいと思っています。 今、たまたま「R.ドーキンス」の思想の流れを汲むと、私が思う、リチャード・ミコットの「なぜオスとメスがあるのか」(新潮選書1997.1.30発行)を読んでおります。 本著を読了してから、レスしたいと思っております。 何れにしろ貴レスには感謝いたします。有難う御座いました。 |
▼とうろうさん: ドーキンス系の本をお読みになるのは結構ですが、できれば彼とは 反対の立場、すなわち聖書信仰に立つ科学者の書いた本なども 読んでいただけないでしょうか。たとえば、これなど。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4764272172/ref=cs_top_wl_1_1/ref=cm_mp_wli_/249-5898366-9227537 この人はドーキンスよりは若い世代の、同じくオックスフォード大学 出身の学者です。ドーキンスは確か動物行動学が専攻だったと記憶 しますが、このマクグラスは分子生物学で博士号を取得しています。 宗教と科学を論じる人の中には、最初から宗教を攻撃することを目的 とし、キリスト教のファンダメンタリストとイヴァンジェリカルの 区別さえつかずに、聖書を迷信と決めつける人が目立ちます。 もちろん、とうろうさんは、そういう人ではないと、ぼくは信じて いますが。 マクグラスはオックスフォード在学中に、マイケル・グリーンの影響で キリスト信仰を持ったようです。ぼくもグリーンと同じ立場の聖書観を もっているつもりです。このような学者の本を読んでいただければ、 ぼくの基本姿勢が見えてくると思います。 ぼくも生命科学で学位をとりました。進化論はぼくの専門とはちがう けれども、キリスト信仰を持っていない多くの人たちが知っている 程度の進化論の内容なら、ぼくも知っているつもりです。矢内原忠雄が 書いたように、ぼくは信仰と科学は次元が違う問題だと思うので、 原則として、このテーマの議論は好きではありません。少しでも 有意義な議論をするためには、進化論主義者たちも、キリスト者の 立場を知る必要があるのではないでしょうか。 もし、とうろうさんには、聖書を熟読した経験があって、聖書信仰 に立つ科学者の本も読んだ経験があるのなら、余計なお世話になる でしょうが。 もしかして、とうろうさんは、ぼくに聖書信仰に立つ科学者の立場を 代表して、ここで議論することを期待されているのでしょうか。 そうなら、期待はずれになると思いますね。先日の長い話でも伝わった と思いますが、ぼくの個人的な精神史くらいしか話せないでしょう。 ぼくにとって信仰は科学とは別次元のことであり、しかも、迷信とも ちがうことであって、科学の邪魔になるどころか、科学的思考や、 科学の意味付けに、なくてはならないものなのです。 >▼BadBlokeさん:こんばんは。 > >レス有難う御座います。 > >私も、論争と言うわけでは有りませんが、貴レスについては後日お返事を差し上げたいと思っています。 > >今、たまたま「R.ドーキンス」の思想の流れを汲むと、私が思う、リチャード・ミコットの「なぜオスとメスがあるのか」(新潮選書1997.1.30発行)を読んでおります。 > >本著を読了してから、レスしたいと思っております。 > >何れにしろ貴レスには感謝いたします。有難う御座いました。 |
▼BadBlokeさん:こんばんは。 レス頂き有難う御座います。 この貴レスにも、後にお答えは致します。 なお、キリスト者と弊無神論者の「論争」と言うか、何れが、真実か!などという立場での意見の交換をするつもりではありませんので、お急ぎなきようにお願い致します。 また、創造論?に基づく著書など、あるいは、その著書の真髄はBBさんに教えて頂ければ好いのではないかと思っております。 何れ、改めまして。 なお、宜しければ、先に書きました、本スレッドの「仏教」にもお目通しください。 宜しく。 |
▼BadBlokeさん:こんにちは、横レス失礼します。 >ぼくも生命科学で学位をとりました。 ということは、 生命科学系の論文にて、 何らかの博士号という学位を取得されたのだろうと思います。 大変失礼とは思いますが、 もしよろしければ確認させてください。 >進化論はぼくの専門とはちがう >けれども、キリスト信仰を持っていない多くの人たちが知っている >程度の進化論の内容なら、ぼくも知っているつもりです。矢内原忠雄が >書いたように、ぼくは信仰と科学は次元が違う問題だと思うので、 >原則として、このテーマの議論は好きではありません。少しでも >有意義な議論をするためには、進化論主義者たちも、キリスト者の >立場を知る必要があるのではないでしょうか。 |
▼Gokaiさん: >▼BadBlokeさん:こんにちは、横レス失礼します。 > >>ぼくも生命科学で学位をとりました。 > >ということは、 >生命科学系の論文にて、 >何らかの博士号という学位を取得されたのだろうと思います。 > >大変失礼とは思いますが、 >もしよろしければ確認させてください。 > 豪快な質問ですね。それとも誤解でしょうか。ここは学位を公表して論文でも発表する場だったとか? あるいは、「学位という権威」という副題が何かを語っているおつもりなのでしょうか? 夏目漱石は、博士号などというものの有害性を知っていたようです。そういう漱石がぼくは好きです。ぼくが聖書信仰に立つ科学者のことを出したのは、進化論主義者たちが、とかく創造説に立つ人間を非科学的だと決めつける傾向のあること。そして、日本のような文化の中に暮らしていると、地球上には自然科学者の中にも聖書を信じている人の少なくないことを、あまり想像できないだろうこと。そういう気持ちから、マクグラスの本を紹介したつもりです。学位などというものをぼくが崇拝していると読解されたのなら、やはりぼくのことを、あなたはご存じないようです。 かつて、あなたとのおしゃべりの中で、あなたの口から「石原慎太郎・安倍晋三に好感が持てる」というようなドッキリ発言(「トンデモ発言」じゃないことに注意)を聞いたとき、実はぼくはそのテーマで追究したかったのだけれども、あのスレッドの文脈から外れると思ってやめたのでした。 そういえば、公園で出会う日本人の子どもの中には、ぼくの犬を見て「いくらしたの?」なんて質問するのがけっこういましたね。いくら顔見知りの子どもでも、ぼくはそういう質問には答えないのです。先日、BBCの子ども向けサイトを見学したら、「サーカスの動物についてどう思うか?」というBBCからの質問に、多くの子どもたちが「動物の見せ物はやめるべきだ」と発言していました。 あなたは「大変失礼とは思いますが」とおっしゃいました。失礼と感じてはいても質問せねば眠れないってことも、きっとあるのでしょうね。ぼくはあなたの意図をよい意味で解釈して、すでにその答えを書いたつもりです。悪い意味で解釈するなら、ぼくの犬の値段を訊く子どもに対するのと同様の対応をしなければなりません。 これでは満足できないでしょうか? こういう質問は実生活で訊かれても困るのですね。というか、ぼくの親友は、そんなことでぼくを信頼してくれているわけじゃないのです。ぼくが犬とも親友になれるのは、彼らそういうこと何も気にしないから。自動車だって別にベンツでなくてもいいんですね。ぼくが一緒であれば、犬はそれで充分らしいんです。 |
▼BadBlokeさん: >>生命科学系の論文にて、>>何らかの博士号という学位を取得されたのだろうと思います。>>大変失礼とは思いますが、>>もしよろしければ確認させてください。 2行の質問に36行で答えなければならない、それほどのことですかね。 |
▼ウミサチヒコさん: >▼BadBlokeさん: >>>生命科学系の論文にて、>>何らかの博士号という学位を取得されたのだろうと思います。>>大変失礼とは思いますが、>>もしよろしければ確認させてください。 > >2行の質問に36行で答えなければならない、それほどのことですかね。 あれ? たま〜にいいこというじゃん。 学位という権威に物申すなら、別に夏目漱石まで持ち出して言うほどのことじゃないと思うけどな〜。それほど言うなら生命科学で学位を取ったなんて始めから言わなければいいものをさ。 聞くほうも聞くほうだよ。この人も学位という権威に弱い人なんだろうか? 普段は素人の見る目こそが真実を見ているってどっかで言っていなかったけ? |
▼キタキツネさん: >聞くほうも聞くほうだよ。この人も学位という権威に弱い人なんだろうか? モノを言う時、専門家(博士・修士、などなど)の目で言っているのかそうでないかは、隠すことではないでしょう。逆に、能ある鷹は爪を隠す、みたいなモノにも私は価値を認めません、また、専門家だからひれ伏す必要もないですね。 あなたは医療の専門に従事していた、そのことを言わないとしたら、むしろおかしいですよね。それでいいのではないでしょうか。 |
▼ウミサチヒコさん: >▼BadBlokeさん: >>>生命科学系の論文にて、>>何らかの博士号という学位を取得されたのだろうと思います。>>大変失礼とは思いますが、>>もしよろしければ確認させてください。 > >2行の質問に36行で答えなければならない、それほどのことですかね。 だれも「質問に答えなくてもいいよ」と言ってくれないみたいなので、しゃべり始めたらこうなっただけです。36行もしゃべりましたか。気がつかなかった。でも、ぼくは日本語のタイピングもかなり速いから、自分ではそんなにしゃべったつもりじゃなかったのです。じゃ、今後、気をつけましょう。 |
▼BadBlokeさん: >▼ウミサチヒコさん: >>▼BadBlokeさん: >>>>生命科学系の論文にて、>>何らかの博士号という学位を取得されたのだろうと思います。>>大変失礼とは思いますが、>>もしよろしければ確認させてください。 >> >>2行の質問に36行で答えなければならない、それほどのことですかね。 > >だれも「質問に答えなくてもいいよ」と言ってくれないみたいなので、しゃべり始めたらこうなっただけです。36行もしゃべりましたか。気がつかなかった。でも、ぼくは日本語のタイピングもかなり速いから、自分ではそんなにしゃべったつもりじゃなかったのです。じゃ、今後、気をつけましょう。 大したことではない、というわりに力を込める、そのアンバランスがおかしかったので、よけいなことを申し上げました。誰でもそんなことはあるかも知れません。わたしについても、どんどんおかしいなと気付くことがあったら、言って下さい。(ありすぎて困るって?こりゃまた失礼)。 |
▼BadBlokeさん: >豪快な質問ですね。それとも誤解でしょうか。ここは学位を公表して論文でも発表する場だったとか? あるいは、「学位という権威」という副題が何かを語っているおつもりなのでしょうか? お返事有難うございます。 上記質問についてはスレ違いだとは認識しています。 ただ拙速であったことは認めますが、 けれども、あるいはまたそうであっても、 貴方の「生命科学による学位取得」発言を多くのスレッドの中に埋没させるのは勿体無いかと思ったのです。 こうやってお話すればさらに多くの人々が知ってくれるではないですか? この問いかけはその意味もあります。 そしてこの辺のことは貴方もいわれる好意的部分を含んでいます。 さて、ご存知の通り、 学位という権威はその人の発言の信憑性を増やす効果があります。 反対に恐ろしくて貴方に話しかけられない人々の数を増やす結果になるかもしれません。 だから、、、、、 このどちらもが学位という状況証拠に過ぎないものの裏付けの効果であることを貴方もご認識されておられた上で、ほんの少しご披露されたのであれば、私のこの問いかけは貴方にとって想定外でご迷惑になことのかもしれません。 >夏目漱石は、博士号などというものの有害性を知っていたようです。そういう漱石がぼくは好きです。ぼくが聖書信仰に立つ科学者のことを出したのは、進化論主義者たちが、とかく創造説に立つ人間を非科学的だと決めつける傾向のあること。そして、日本のような文化の中に暮らしていると、地球上には自然科学者の中にも聖書を信じている人の少なくないことを、あまり想像できないだろうこと。そういう気持ちから、マクグラスの本を紹介したつもりです。学位などというものをぼくが崇拝していると読解されたのなら、やはりぼくのことを、あなたはご存じないようです。 ところで、恐らく私は進化論者側なのだと思います。少なくとも神仏によって宇宙の創造がなされたなどと思いたくもないのです。 そんなことを思った時点で、 「真実は何か?」と言う問いかけの努力を投げ捨ててしまいそうになる甘えの自分が出現しそうになるか? あるいは 神仏の存在=この世は闇・・と言う認識に持ってしまいそうになるからです。 とにかく現象として現れた事実は 人類の歴史が長くなればなるほどに、進化論者側の言い分が正しいようには見えます。 有難うございました。 |