Page 1592 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼死刑廃止論のその後 k.satou 06/3/7(火) 22:09 ┣Re(1):死刑廃止論のその後 BadBloke 06/3/8(水) 0:31 ┃ ┗Re(2):死刑廃止論のその後 k.satou 06/3/8(水) 10:03 ┃ ┣Re(3):死刑廃止論のその後 BadBloke 06/3/8(水) 10:46 ┃ ┃ ┗Re(4):死刑廃止論のその後 BadBloke 06/3/8(水) 10:50 ┃ ┗Re(3):死刑廃止論のその後 k.satou 06/3/8(水) 11:25 ┃ ┗Re(4):死刑廃止論のその後 k.satou 06/3/10(金) 8:50 ┃ ┗Re(5):死刑廃止論のその後 k.satou 06/3/10(金) 10:36 ┃ ┗Re(6):死刑廃止論のその後 k.satou 06/3/10(金) 22:25 ┃ ┗Re(7):死刑廃止論のその後 BadBloke 06/3/11(土) 1:49 ┃ ┣Re(8):死刑廃止論のその後 レモン 06/3/11(土) 1:57 ┃ ┣Re(8):死刑廃止論のその後 レモン 06/3/11(土) 2:04 ┃ ┗Re(8):死刑廃止論のその後 k.satou 06/3/11(土) 10:02 ┃ ┣Re(9):死刑廃止論のその後 レモン 06/3/11(土) 10:30 ┃ ┃ ┗Re(10):死刑廃止論のその後 k.satou 06/3/11(土) 11:22 ┃ ┗Re(9):死刑廃止論のその後 BadBloke 06/3/11(土) 13:19 ┣Re(1):死刑廃止論のその後 レモン 06/3/8(水) 15:03 ┃ ┗Re(2):死刑廃止論のその後 k.satou 06/3/8(水) 18:42 ┣Re(1):死刑廃止論 / 質問です ワン太郎 06/3/8(水) 18:29 ┃ ┗Re(2):死刑廃止論 / 質問です BadBloke 06/3/8(水) 22:59 ┃ ┣死刑廃止論 / 回答です ステディ ベア 06/3/9(木) 0:50 ┃ ┃ ┗Re(1):死刑廃止論 / 回答です BadBloke 06/3/9(木) 1:32 ┃ ┃ ┗Re(2):死刑廃止論 / 回答です ステディ ベア 06/3/9(木) 13:48 ┃ ┗Re(3):死刑廃止論 / 質問です ワン太郎 06/3/9(木) 18:04 ┃ ┗Re(4):死刑廃止論 / 質問です BadBloke 06/3/9(木) 19:11 ┃ ┣Re(5):死刑廃止論 てんぷる 06/3/9(木) 20:17 ┃ ┃ ┗Re(6):死刑廃止論 とうろう 06/3/9(木) 21:03 ┃ ┃ ┗Re(7):死刑廃止論 てんぷる 06/3/9(木) 21:56 ┃ ┃ ┗Re(8):死刑廃止論 とうろう 06/3/9(木) 23:16 ┃ ┣ありきたりですが コップ酒 06/3/9(木) 20:22 ┃ ┃ ┗Re(1):ありきたりですが k.satou 06/3/10(金) 12:27 ┃ ┃ ┣あるお話 レモン 06/3/10(金) 15:38 ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):あるお話 k.satou 06/3/10(金) 17:48 ┃ ┃ ┃ ┣[管理人削除] ┃ ┃ ┃ ┃ ┗移動しました 管理スタッフ 06/3/11(土) 23:14 ┃ ┃ ┃ ┗Re(2):あるお話 レモン 06/3/10(金) 20:06 ┃ ┃ ┃ ┗Re(3):あるお話 k.satou 06/3/10(金) 21:23 ┃ ┃ ┃ ┗Re(4):あるお話 レモン 06/3/10(金) 21:35 ┃ ┃ ┃ ┗Re(5):あるお話 k.satou 06/3/11(土) 6:49 ┃ ┃ ┃ ┗Re(6):あるお話 レモン 06/3/11(土) 10:09 ┃ ┃ ┃ ┗Re(7):あるお話 k.satou 06/3/11(土) 11:50 ┃ ┃ ┃ ┗Re(8):あるお話 レモン 06/3/12(日) 9:31 ┃ ┃ ┗迷走しております コップ酒 06/3/11(土) 5:39 ┃ ┃ ┗Re(1):迷走しております k.satou 06/3/11(土) 6:23 ┃ ┃ ┗Re(2):迷走しております k.satou 06/3/11(土) 9:43 ┃ ┃ ┗なぜなぜ??? コップ酒 06/3/11(土) 11:31 ┃ ┃ ┣右と左の話 レモン 06/3/11(土) 11:59 ┃ ┃ ┗Re(1):なぜなぜ??? k.satou 06/3/11(土) 12:02 ┃ ┃ ┗Re(2):なぜなぜ??? k.satou 06/3/11(土) 16:07 ┃ ┗Re(5):死刑廃止論 / 結論は 出ていません ワン太郎 06/3/9(木) 20:45 ┃ ┣Re(6):死刑廃止論 / 結論は 出ていません BadBloke 06/3/9(木) 21:14 ┃ ┃ ┗Re(7):死刑廃止論 / 結論は 出ていません ワン太郎 06/3/9(木) 22:55 ┃ ┃ ┗Re(8):死刑廃止論 / 結論は 出ていません BadBloke 06/3/10(金) 6:06 ┃ ┃ ┗Re(9):死刑廃止論 / 結論は 出ていません ワン太郎 06/3/10(金) 7:27 ┃ ┃ ┗Re(10):死刑廃止論 / 結論は 出ていません 坊主 06/3/10(金) 8:01 ┃ ┗Re(6):死刑廃止論 / 結論は 出ていません あぶさん 06/3/10(金) 10:52 ┗Re(1):死刑廃止論の前に レモン 06/3/9(木) 11:42 ┗Re(2):死刑廃止論の前に k.satou 06/3/10(金) 9:05 ┗Re(3):死刑廃止論の前に レモン 06/3/10(金) 10:09 ┗Re(4):死刑廃止論の前に BadBloke 06/3/10(金) 11:14 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 死刑廃止論のその後 ■名前 : k.satou <cbl13464@nifty.com> ■日付 : 06/3/7(火) 22:09 -------------------------------------------------------------------------
レモンさん 設問されてましたね 死刑は現代における最大の迷信にほかなりません。 百害あって一利もないものです。 死刑制度があっても 現実に殺人犯罪を減少させず 増加さえしていることは 実証されてます。 殺人を犯した人を取り扱う方法はさまざまな やりかたで試されてきました。 死刑が犯罪抑制効果のほとんどないものであるという事実が廃止の主張の 最大理由というわけです。 1930年英下院議会は試験的に5年間の廃止を決議しました。 しかし上院は可決に至らなかった。 1948年シルバンは再度提案しました。チャ−チルまで含め保守党は 大反対。それでも 下院は222対245で廃止論者が多数をえた。 このなかに 保守党のバクスタ・カトリックのホリスがいました。 死刑存置のファイクはこう言いました。 国民の大多数が死刑制度を要求している。といいなお ”かかる改革を企てる時機はまだ熟していない” そうです。ビスマルクが1870年に議会でのべたと同じことを。 これに反して ニュルンベルグ国際軍事法廷英代表検事のショウクロスは 死刑廃止の立場に立ちました。 投票の結果 死刑廃止が多数で可決下院をとおり。しかし 上院は廃止反対181賛成28でした。 そのとき1938年に内務卿当時 死刑存置の先鋒テムブルウッド卿は その後の体験より 死刑廃止の演説をしました。 これは 詳しいBBさんにでも紹介してもらいましょう。 1950年労働党が少数となって以来 廃止のみこみがなくなったかの ようにみえました。 シルバマンの死刑廃止法案が一人の反対者もなく 上程されたのは感動です 長い間人類は その英知をもとめ 死刑廃止に心血を注いできた。 これら 先人にたいし 我が国で 口の端にものらない現実は 悲しいことです。では |
▼k.satouさん: 老人党にふさわしいスレッドを立ててくださり感謝します。こういうテーマで未来に希望の持てる議論をしたいものです。きょうはこれにて失礼。 >レモンさん 設問されてましたね > 死刑は現代における最大の迷信にほかなりません。 > 百害あって一利もないものです。 > 死刑制度があっても 現実に殺人犯罪を減少させず > 増加さえしていることは 実証されてます。 > 殺人を犯した人を取り扱う方法はさまざまな やりかたで試されてきました。 > 死刑が犯罪抑制効果のほとんどないものであるという事実が廃止の主張の > 最大理由というわけです。 > 1930年英下院議会は試験的に5年間の廃止を決議しました。 > しかし上院は可決に至らなかった。 > 1948年シルバンは再度提案しました。チャ−チルまで含め保守党は > 大反対。それでも 下院は222対245で廃止論者が多数をえた。 > このなかに 保守党のバクスタ・カトリックのホリスがいました。 > 死刑存置のファイクはこう言いました。 > 国民の大多数が死刑制度を要求している。といいなお > ”かかる改革を企てる時機はまだ熟していない” > そうです。ビスマルクが1870年に議会でのべたと同じことを。 > これに反して ニュルンベルグ国際軍事法廷英代表検事のショウクロスは > 死刑廃止の立場に立ちました。 > 投票の結果 死刑廃止が多数で可決下院をとおり。しかし > 上院は廃止反対181賛成28でした。 > そのとき1938年に内務卿当時 死刑存置の先鋒テムブルウッド卿は > その後の体験より 死刑廃止の演説をしました。 > これは 詳しいBBさんにでも紹介してもらいましょう。 > 1950年労働党が少数となって以来 廃止のみこみがなくなったかの > ようにみえました。 >シルバマンの死刑廃止法案が一人の反対者もなく 上程されたのは感動です > > 長い間人類は その英知をもとめ 死刑廃止に心血を注いできた。 > これら 先人にたいし > 我が国で 口の端にものらない現実は 悲しいことです。では |
▼BadBlokeさん:刑法をすこしだけかじりました。 死刑廃止といえば 1955年の不屈の人シルバアマンの名こそ残りました。 死刑が存続されているために 犯罪の増加にともない裁判所が死刑を 判決し 充分に慎重でない場合をも生じ 行政上の責任者がその執行に 必要なる 寛容の方針で 法の不当な適用を救済すべく適切な権限を発動 しない ためだとするもので 良識の世論のあいだで 死刑廃止の要請があちこちに沸き起こりました。 わが国では こんな要請を耳にしたこともなく むしろ法務大臣の いわば ”あとは野となれ!”の死刑執行署名騒ぎは 情けないことです。 サア・フランク・ニウサムが死刑問題調査委員会において 法廷において 死刑の判決があったにもかかわらず、その有罪について少しでも 疑いがあると内相が感ずる場合には 減刑をおこなわなければならない。 そのとき内相は法廷にあらわれなかった情報であっても被告の有罪に 疑いがあるとすべき証拠を受理できる。 長い討論を深夜までやり ロイド・ジョージは政府を代表して 犯罪は増加している。および 世論がなお死刑廃止に賛成していないといい廃止反対。 これにたいし 先の労働党の内相イド議員の死刑判決にもあやまりなきを 保障しえなかったことを指摘し エバンス妻子殺害事件の判決を例にしての 死刑の廃止を要請したにもかかわらず労働党194保守党17をふくむ 賛成214に対する245という少数の差で死刑廃止動議は否決されました。 世論とはなにか?為政者のいう世論とは?良識ある世論とは? この良識ある世論の発展こそ法の進歩を実現してきました。 時には しばしばいわゆる群集の世論に反対する事態に直面しても あえておこなわれねばならなかった。 自分たちとちがう教会に行く人を捕らえて 火あぶりの刑にまで していたのですからね。 ルス・エリス事件の労働党シンウエル議員のもの保守党バタスタア議員の ものら広くその名までしられている良識にたいして 日本人で その名を その発言を 聞かないことも 情けないことです。 > >老人党にふさわしいスレッドを立ててくださり感謝します。こういうテーマで未来に希望の持てる議論をしたいものです。きょうはこれにて失礼。 > >>レモンさん 設問されてましたね >> 死刑は現代における最大の迷信にほかなりません。 >> 百害あって一利もないものです。 >> 死刑制度があっても 現実に殺人犯罪を減少させず >> 増加さえしていることは 実証されてます。 >> 殺人を犯した人を取り扱う方法はさまざまな やりかたで試されてきました。 >> 死刑が犯罪抑制効果のほとんどないものであるという事実が廃止の主張の >> 最大理由というわけです。 >> 1930年英下院議会は試験的に5年間の廃止を決議しました。 >> しかし上院は可決に至らなかった。 >> 1948年シルバンは再度提案しました。チャ−チルまで含め保守党は >> 大反対。それでも 下院は222対245で廃止論者が多数をえた。 >> このなかに 保守党のバクスタ・カトリックのホリスがいました。 >> 死刑存置のファイクはこう言いました。 >> 国民の大多数が死刑制度を要求している。といいなお >> ”かかる改革を企てる時機はまだ熟していない” >> そうです。ビスマルクが1870年に議会でのべたと同じことを。 >> これに反して ニュルンベルグ国際軍事法廷英代表検事のショウクロスは >> 死刑廃止の立場に立ちました。 >> 投票の結果 死刑廃止が多数で可決下院をとおり。しかし >> 上院は廃止反対181賛成28でした。 >> そのとき1938年に内務卿当時 死刑存置の先鋒テムブルウッド卿は >> その後の体験より 死刑廃止の演説をしました。 >> これは 詳しいBBさんにでも紹介してもらいましょう。 >> 1950年労働党が少数となって以来 廃止のみこみがなくなったかの >> ようにみえました。 >>シルバマンの死刑廃止法案が一人の反対者もなく 上程されたのは感動です >> >> 長い間人類は その英知をもとめ 死刑廃止に心血を注いできた。 >> これら 先人にたいし >> 我が国で 口の端にものらない現実は 悲しいことです。では |
▼k.satouさん: その「世論」ですけど、英国でもそうらしいのですが、死刑廃止が実現するまでの過程では、世論はむしろ死刑を支持していたようですね。それを承知で、政治的なリーダーたち(市民の中の人権運動家たちの応援もあったでしょう)が突き進むのです。もちろん代議制の原則に従ってやるわけですが。 ぼくは戦争も死刑も国家的な暴力だと思うのです。非暴力が実現しない限りは、本当の平和も実現しないと思うのです。 たしか英国の外務省のウェブサイトでは、人権ということに関係して、死刑廃止を世界中に実現するために、英国が果たすべき役割の重要性を訴えているページがありました。BBCの子ども向けサイトでの子どもたちの討論を見ていても、英国人に浸透している人権(動物の権利もですが)の真実さに、ほんとうに歴史と文化のちがいを痛感させられます。 >▼BadBlokeさん:刑法をすこしだけかじりました。 > 死刑廃止といえば 1955年の不屈の人シルバアマンの名こそ残りました。 > 死刑が存続されているために 犯罪の増加にともない裁判所が死刑を > 判決し 充分に慎重でない場合をも生じ 行政上の責任者がその執行に > 必要なる 寛容の方針で 法の不当な適用を救済すべく適切な権限を発動 > しない ためだとするもので 良識の世論のあいだで > 死刑廃止の要請があちこちに沸き起こりました。 > わが国では こんな要請を耳にしたこともなく むしろ法務大臣の > いわば ”あとは野となれ!”の死刑執行署名騒ぎは 情けないことです。 > サア・フランク・ニウサムが死刑問題調査委員会において 法廷において > 死刑の判決があったにもかかわらず、その有罪について少しでも > 疑いがあると内相が感ずる場合には 減刑をおこなわなければならない。 > そのとき内相は法廷にあらわれなかった情報であっても被告の有罪に > 疑いがあるとすべき証拠を受理できる。 > 長い討論を深夜までやり > ロイド・ジョージは政府を代表して 犯罪は増加している。および > 世論がなお死刑廃止に賛成していないといい廃止反対。 > これにたいし 先の労働党の内相イド議員の死刑判決にもあやまりなきを > 保障しえなかったことを指摘し エバンス妻子殺害事件の判決を例にしての > 死刑の廃止を要請したにもかかわらず労働党194保守党17をふくむ > 賛成214に対する245という少数の差で死刑廃止動議は否決されました。 > > 世論とはなにか?為政者のいう世論とは?良識ある世論とは? > この良識ある世論の発展こそ法の進歩を実現してきました。 > 時には しばしばいわゆる群集の世論に反対する事態に直面しても > あえておこなわれねばならなかった。 > 自分たちとちがう教会に行く人を捕らえて 火あぶりの刑にまで > していたのですからね。 >ルス・エリス事件の労働党シンウエル議員のもの保守党バタスタア議員の >ものら広くその名までしられている良識にたいして > 日本人で その名を その発言を 聞かないことも 情けないことです。 > |
今ぼくが送信した内容は、よく見ると、k.satouさんの内容と重複するみたいですね。失礼しました。 |
BBさん: 死刑を廃止すべきでないとしている根拠というものは。 人が罪悪を憎みまたは悲しむ心をもっていることは貴重なことであり その罪悪を憎み悲しみ これを根絶しようと思う心の極地の表現であるから この貴重な決意の表現たる死刑は廃止すべきではない。といい。 これが しまいには 自らのことをさして 護憲だとまでいう。 しかし人間の問題と法律の問題を混同しているし解決の方向性さえおかしくする。人に影響さえ与えるとしたら 犯罪的でもある。 たしかに 罪悪を憎みまた悲しみ 最大の罪悪に最大の刑罰をもって 望もうとするのは まことに貴重な決意ではあるとしても、この最大の 刑罰とは はたして ただちに刑法上の死刑だろうか? 罪悪感は人間に固有の問題であり、刑法が人間の問題にまでことごとく 解決するなどできるはずがない。 極悪非道の犯罪者の生命をたたずこれを刑務所においといていいのか? という じゃあ 極悪非道の犯罪者の生命を断ちこれを処刑にすれば問題は解決したのか? と問いたい。 我々はあまりにも多くのものを 法律に刑法に頼るべきではない。 人間が改善されうるべきものである。という確信があればこそ教育もあり その確信のもと 成長のために 歴史的に人類の思想や人々が積み 重ねてきた努力がある。これを無視することは ゆるされない。 もっぱら 法律により刑法により罪悪を防ごうというのは 実は 人間的に社会に自信を失った絶望のあらわれにほかならない。 法により 悪をのぞこうとすればさらに巨大悪を発生させてきたことは 枚挙にイトマがない。 悪質の図書を映画を禁止しようと 検閲への道を 売春を悲しみ防ごうと その目的を達せず臨検や令状なしの捜査 もともと法は本質的に罪悪を根絶するものではないし リストのいうように”刑法は罪を犯した人にとってのマグナカルタ” 我々が罪をおかした場合にも 人間としての人権が不当にふみにじらること のないように 保障するものが刑法でなくてはならない。 刑法の最大の使命があり 本質というものです。 基本的人権そのものが法律により制限されえないということの意味は たとえ制限されねばならないときであっても 1どうしても その法律がなければいけないということ。 2それはいかなるときでも 濫用されることがないとき 3不当に基本的人権が制限されたと考えられた時は必ず救済する方法をもつ 法律というものは 必ずこの要件が備わってなくちゃいけない。 当然 備わっていないとき 無法という。 死刑が存続すべきかどうか? はたしてこの条件を備えているか? 世界の良識は絶えずこれとの鬩ぎあいをしてきた。 と言えますよね。 >>> 長い間人類は その英知をもとめ 死刑廃止に心血を注いできた。 >>> これら 先人にたいし >>> 我が国で 口の端にものらない現実は 悲しいことです。では |
BBさん: なくてもいいもので 濫用のおそれすらあり、不当に適用されたら救済する こともできないものは 法ではなく 無法というものです。 死刑はこの問いかけに どう答えるか? 死刑は法ですか?という問いに。 歴史に暗ければ 現在にも、未来にも暗い。とワインゼッカーがいい。 過去が空白になるということは 未来が出てこんということ。こりゃ あかん! と漢字の白河教授も言ってます。ので すこしさかのぼり。 死刑は絶対必要であるとされたのは 原始的ないわば無自覚な観念時代 というもので法の進歩・発展にともない その適用が必要でなくなり 殺人などの特殊なものに残ったもので、現在多数の国で全く廃止されている 事実は 死刑が 必要にして 欠くべからざるものでないことを立証している。 ちっとも 犯罪防止になんか役立たないし有効じゃなかった。という事実が 多くの国で死刑が廃止され そのものの廃止が要請されている主な理由と なっています。 貧しい少年が商店の窓ガラスの破れから棒を差し入れ 児童用絵の具を 少しばかりかき出し 捕らえられ 法廷において死刑の判決を受けた。 あの英国議会ですら 当局はこれらのものにたいする処刑は社会の防衛の ためにかくべからざるものと主張し 最高法廷長エレンボロウ卿は 上院において 財産の安全のために実に危険な実験を試みようとする提案 に対して治安のために久しく支持されてきた法令の廃止の企てに 上院議員諸君はためらうところがあるのは当然であると余は確信している。 社会の利益を守ろうとするならば この種の犯罪にたいする威嚇を軽くする ことはできない。これらの法令が廃止されたら 必ずやただちに数しれぬ 掠奪がおこなわれるだろう! とした。 しかし ”飢餓の40年”ともっとも困難な時 イギリスは財産権にたいする 犯罪については 死刑は廃止した。そして その後財産犯罪は減少した。 ”スリ”なぞ その死刑執行の公開に群集が集まるときこそ 格好の”仕事を するチャンスだとされていたという。 死刑がものを盗むなどという犯罪さえ防止できないとしたら どうして これが殺人などの犯罪を防止することができましょうか?(W・ハアコート) なるほど。なくてもいいものなんだ! > もともと法は本質的に罪悪を根絶するものではないし > リストのいうように”刑法は罪を犯した人にとってのマグナカルタ” > 我々が罪をおかした場合にも 人間としての人権が不当にふみにじらること > のないように 保障するものが刑法でなくてはならない。 > 刑法の最大の使命があり 本質というものです。 > 基本的人権そのものが法律により制限されえないということの意味は >たとえ制限されねばならないときであっても > 1どうしても その法律がなければいけないということ。 > 2それはいかなるときでも 濫用されることがないとき > 3不当に基本的人権が制限されたと考えられた時は必ず救済する方法をもつ >法律というものは 必ずこの要件が備わってなくちゃいけない。 > 当然 備わっていないとき 無法という。 > 死刑が存続すべきかどうか? はたしてこの条件を備えているか? > 世界の良識は絶えずこれとの鬩ぎあいをしてきた。 > と言えますよね。> >>>> 長い間人類は その英知をもとめ 死刑廃止に心血を注いできた。 >>>> これら 先人にたいし >>>> 我が国で 口の端にものらない現実は 悲しいことです。では |
BBさん: すぐに 死刑は なるほどなくてもいいもんだ! とならないとこが面白い。 しかし 法は不当に適用されたときに この不当を救済する方法が備えられて いるときのみ法律たることができる。 死刑には不当に適用されたとき 救済の方法などありえない。死人に口なし。 これは法ではなく 無法にほかならない。我々は一瞬たりとも無法を ゆるすものではない。 以下の賢人の言をまつまでもないけど。 錯誤は全ての判断にありうる。裁判は錯誤があっても 死刑以外の場合 にはいつでも被害者にたいして その償いをすることができる。 死刑の場合にはいかなる償いをもなしえない。 ジョン・カラア事件へのボルテールの主張などは 正木博士ので読みました。 >なくてもいいもので 濫用のおそれすらあり、不当に適用されたら救済する > こともできないものは 法ではなく 無法というものです。 > 死刑はこの問いかけに どう答えるか? 死刑は法ですか?という問いに。 > > 歴史に暗ければ 現在にも、未来にも暗い。とワインゼッカーがいい。 > 過去が空白になるということは 未来が出てこんということ。こりゃ あかん! > と漢字の白河教授も言ってます。ので すこしさかのぼり。 >死刑は絶対必要であるとされたのは 原始的ないわば無自覚な観念時代 >というもので法の進歩・発展にともない その適用が必要でなくなり >殺人などの特殊なものに残ったもので、現在多数の国で全く廃止されている >事実は 死刑が 必要にして 欠くべからざるものでないことを立証している。 >ちっとも 犯罪防止になんか役立たないし有効じゃなかった。という事実が >多くの国で死刑が廃止され そのものの廃止が要請されている主な理由と >なっています。 >貧しい少年が商店の窓ガラスの破れから棒を差し入れ 児童用絵の具を >少しばかりかき出し 捕らえられ 法廷において死刑の判決を受けた。 >あの英国議会ですら 当局はこれらのものにたいする処刑は社会の防衛の >ためにかくべからざるものと主張し 最高法廷長エレンボロウ卿は >上院において 財産の安全のために実に危険な実験を試みようとする提案 >に対して治安のために久しく支持されてきた法令の廃止の企てに >上院議員諸君はためらうところがあるのは当然であると余は確信している。 >社会の利益を守ろうとするならば この種の犯罪にたいする威嚇を軽くする >ことはできない。これらの法令が廃止されたら 必ずやただちに数しれぬ >掠奪がおこなわれるだろう! とした。 >しかし ”飢餓の40年”ともっとも困難な時 イギリスは財産権にたいする >犯罪については 死刑は廃止した。そして その後財産犯罪は減少した。 > >”スリ”なぞ その死刑執行の公開に群集が集まるときこそ 格好の”仕事を >するチャンスだとされていたという。 > > 死刑がものを盗むなどという犯罪さえ防止できないとしたら どうして > これが殺人などの犯罪を防止することができましょうか?(W・ハアコート) > なるほど。なくてもいいものなんだ! >> もともと法は本質的に罪悪を根絶するものではないし >> リストのいうように”刑法は罪を犯した人にとってのマグナカルタ” >> 我々が罪をおかした場合にも 人間としての人権が不当にふみにじらること >> のないように 保障するものが刑法でなくてはならない。 >> 刑法の最大の使命があり 本質というものです。 >> 基本的人権そのものが法律により制限されえないということの意味は >>たとえ制限されねばならないときであっても >> 1どうしても その法律がなければいけないということ。 >> 2それはいかなるときでも 濫用されることがないとき >> 3不当に基本的人権が制限されたと考えられた時は必ず救済する方法をもつ >>法律というものは 必ずこの要件が備わってなくちゃいけない。 >> 当然 備わっていないとき 無法という。 >> 死刑が存続すべきかどうか? はたしてこの条件を備えているか? >> 世界の良識は絶えずこれとの鬩ぎあいをしてきた。 >> と言えますよね。> >>>>> 長い間人類は その英知をもとめ 死刑廃止に心血を注いできた。 >>>>> これら 先人にたいし >>>>> 我が国で 口の端にものらない現実は 悲しいことです。では |
BBさん: 死刑がこれを執行する人に与える苦痛と収容されている人々に及ぼす 悲惨さは まことにふせぐ術のない法律の濫用というものです。 死刑執行がいかに人を堕落せしめるか まさに ここに公開の執行を廃止させた理がある。 獄吏や典獄は証言してます。 ”私自身もすこしばかり殺人の罪を犯しているように感じる” ”私は死刑執行前の幾晩も眠れない。執行が済むと私はその光景を はらいのけることができない。” ”私は1ヶ月あるいはそれ以上毎日その男に接し、彼が私に 自分の 衷情をうちあけられたこともあった。” ”これらの人々の多数が私の心中の全く暖かい席を占めている。 挙句 それら記憶に悩まされて自殺をしている看守長もいる。 加賀乙彦さんの一連のものでおなじみです。 死刑はこの法律を管理する裁判官を腐敗させ・残酷にし非文明的にする 新聞・読者らまで腐敗させ苦悩させる。 刑務官は直感している 不思議なことに処刑される殺人犯人たちだけがこれら作用をうけず 贖罪し彼はもう無罪であり 我々が人間を殺したのだ。とまでいう。 文明の人を非文明にし 非文明の人々を文明に導かない。 けっして 殺人などの犯罪を防止するものではない。 死刑は人間に対する威嚇としてゆるすべからざる法の濫用であり 人々を威嚇して支配しようとするのを専制主義という。 これは現在すでに廃止されていなければいけない。というわけですね。 >しかし 法は不当に適用されたときに この不当を救済する方法が備えられて >いるときのみ法律たることができる。 >死刑には不当に適用されたとき 救済の方法などありえない。死人に口なし。 >これは法ではなく 無法にほかならない。我々は一瞬たりとも無法を >ゆるすものではない。 >以下の賢人の言をまつまでもないけど。 > 錯誤は全ての判断にありうる。裁判は錯誤があっても 死刑以外の場合 > にはいつでも被害者にたいして その償いをすることができる。 > 死刑の場合にはいかなる償いをもなしえない。> >>なくてもいいもので 濫用のおそれすらあり、不当に適用されたら救済する >> こともできないものは 法ではなく 無法というものです。 >> 死刑はこの問いかけに どう答えるか? 死刑は法ですか?という問いに。 >> >> 歴史に暗ければ 現在にも、未来にも暗い。とワインゼッカーがいい。 >> 過去が空白になるということは 未来が出てこんということ。こりゃ あかん! >> と漢字の白河教授も言ってます。ので すこしさかのぼり。 >>死刑は絶対必要であるとされたのは 原始的ないわば無自覚な観念時代 >>というもので法の進歩・発展にともない その適用が必要でなくなり >>殺人などの特殊なものに残ったもので、現在多数の国で全く廃止されている >>事実は 死刑が 必要にして 欠くべからざるものでないことを立証している。 >>ちっとも 犯罪防止になんか役立たないし有効じゃなかった。という事実が >>多くの国で死刑が廃止され そのものの廃止が要請されている主な理由と >>なっています。 >>貧しい少年が商店の窓ガラスの破れから棒を差し入れ 児童用絵の具を >>少しばかりかき出し 捕らえられ 法廷において死刑の判決を受けた。 >>あの英国議会ですら 当局はこれらのものにたいする処刑は社会の防衛の >>ためにかくべからざるものと主張し 最高法廷長エレンボロウ卿は >>上院において 財産の安全のために実に危険な実験を試みようとする提案 >>に対して治安のために久しく支持されてきた法令の廃止の企てに >>上院議員諸君はためらうところがあるのは当然であると余は確信している。 >>社会の利益を守ろうとするならば この種の犯罪にたいする威嚇を軽くする >>ことはできない。これらの法令が廃止されたら 必ずやただちに数しれぬ >>掠奪がおこなわれるだろう! とした。 >>しかし ”飢餓の40年”ともっとも困難な時 イギリスは財産権にたいする >>犯罪については 死刑は廃止した。そして その後財産犯罪は減少した。 >> >>”スリ”なぞ その死刑執行の公開に群集が集まるときこそ 格好の”仕事を >>するチャンスだとされていたという。 >> >> 死刑がものを盗むなどという犯罪さえ防止できないとしたら どうして >> これが殺人などの犯罪を防止することができましょうか?(W・ハアコート |
▼k.satouさん: そうですね。その問題はとかく忘れがちです。ひとは復讐といいます。よく聞きます。「この手で殺してやりたい」と。しかし、本当に自分の手で犯人の首を絞められるか? 坂本弁護士一家のこと思うと、ぼくは今でもつらいです。ぼくでもこんなくらいだから、ご遺族にとってはどれほどつらいことでしょう。極刑を望む。それが被害者の正直な気持ちかもしれない。でも、殺す側に立つのは、役人です。職務として。でも、そんな職務が国家公務員にあってよいのでしょうか。 ぼくはかつて日本の死刑執行のやり方について調べたことがあります。公式には発表されていないことらしいから、どこまでが本当なのかわかりません。でも、だいたいは想像できます。中には、便器にしがみついて「いやだ!」と叫ぶ人もいるらしい。それを無理矢理に引っ張りだすのも、国家公務員の仕事です。 酷いことをしたのだから当然だと、ひとは思うかもしれない。しかし、死刑執行は酷いことにはならないのだろうか。k.satouさんが指摘されていたように、犯罪者にも家族がいます。その家族が苦しむことはどうでもいいのでしょうか。殺されたから殺すという論理は、いつのまにか被害者も加害者になる可能性はないでしょうか。死刑執行人や犯人の家族たち。彼らは死刑を許す法律の被害者のように思えます。 いつも思います。知らないということは気楽なことですね。イラクで香田さんが殺されたとき、日本人はどれほどその事実を重く受け止めたでしょうか。自己責任。自業自得。そんなムードがなかったでしょうか。一方では、テロリストは酷いとか。米国その調子で復讐しろとか。暴力を支持している。 ぼくはテロリストが録画した香田さん殺害ビデオを手に入れましたが、さすがに見ることができませんでした。以前、外国人ですが、同じやり方で殺されるビデオを見て、しばらく気持ちが落ち着かなくたったのです。でも、事実は知っておかなくちゃと思い、そのビデオを見た人の解説と、殺されたあとの写真だけは見ました。香田さんのからだが星条旗の上に倒れていて、背中に切り落とされた頭がのせられていました。 こういうのを見て、じゃ、何を考え、何を行動すればいいのでしょう。テロリストは酷いやつらだ。そう思って、怒りに燃え、彼らに復讐する暴力を応援すればよいのでしょうか。そういうことを香田さんは望んだでしょうか。香田さんは、彼の行動に対する日本人と日本のマスコミの冷たさを、どう思ったでしょうか。ぼくは、むしろ、そういう問題のほうが、気になるのです。すべての残虐は、そういう人間の心の問題に原因があるように思うからです。 >BBさん: >死刑がこれを執行する人に与える苦痛と収容されている人々に及ぼす >悲惨さは まことにふせぐ術のない法律の濫用というものです。 >死刑執行がいかに人を堕落せしめるか >まさに ここに公開の執行を廃止させた理がある。 >獄吏や典獄は証言してます。 > ”私自身もすこしばかり殺人の罪を犯しているように感じる” > ”私は死刑執行前の幾晩も眠れない。執行が済むと私はその光景を > はらいのけることができない。” > ”私は1ヶ月あるいはそれ以上毎日その男に接し、彼が私に 自分の > 衷情をうちあけられたこともあった。” > ”これらの人々の多数が私の心中の全く暖かい席を占めている。 >挙句 それら記憶に悩まされて自殺をしている看守長もいる。 >加賀乙彦さんの一連のものでおなじみです。 >死刑はこの法律を管理する裁判官を腐敗させ・残酷にし非文明的にする >新聞・読者らまで腐敗させ苦悩させる。 刑務官は直感している >不思議なことに処刑される殺人犯人たちだけがこれら作用をうけず >贖罪し彼はもう無罪であり 我々が人間を殺したのだ。とまでいう。 >文明の人を非文明にし 非文明の人々を文明に導かない。 >けっして 殺人などの犯罪を防止するものではない。 >死刑は人間に対する威嚇としてゆるすべからざる法の濫用であり >人々を威嚇して支配しようとするのを専制主義という。 >これは現在すでに廃止されていなければいけない。というわけですね。 |
BadBloke さん こんばんは。 ちょうど今、BBさんの投稿、ワン太郎さんへの返信などをよく読んだところです。 またよく考えてみます。 |
BadBlokeさん 死刑があるから人を殺さないということと、保険があるから事故を起こしても気楽だということと、私は似ているような気がしました。 保険の話ではとても嫌な気持ちがしましたが、すぐに死刑廃止論には結びつきませんでした。 きっと私が、自分の立場だけで考えているからでしょうね。 |
▼BadBlokeさん: なんでもかんでも法にたよらないで くださいな! しかも 死刑なんて法としての要件を欠いてるわけですからね。 死刑は無法そのもの。 無法は一瞬たりともゆるすものではありません。 専制と隷従から解放されたいとした憲法に違反するもの。 なかなか解ってもらえないものです。 出かけますので また。> >そうですね。その問題はとかく忘れがちです。ひとは復讐といいます。よく聞きます。「この手で殺してやりたい」と。しかし、本当に自分の手で犯人の首を絞められるか?> >坂本弁護士一家のこと思うと、ぼくは今でもつらいです。ぼくでもこんなくらいだから、ご遺族にとってはどれほどつらいことでしょう。極刑を望む。それが被害者の正直な気持ちかもしれない。でも、殺す側に立つのは、役人です。職務として。でも、そんな職務が国家公務員にあってよいのでしょうか。 > >ぼくはかつて日本の死刑執行のやり方について調べたことがあります。公式には発表されていないことらしいから、どこまでが本当なのかわかりません。でも、だいたいは想像できます。中には、便器にしがみついて「いやだ!」と叫ぶ人もいるらしい。それを無理矢理に引っ張りだすのも、国家公務員の仕事です。 > >酷いことをしたのだから当然だと、ひとは思うかもしれない。しかし、死刑執行は酷いことにはならないのだろうか。k.satouさんが指摘されていたように、犯罪者にも家族がいます。その家族が苦しむことはどうでもいいのでしょうか。殺されたから殺すという論理は、いつのまにか被害者も加害者になる可能性はないでしょうか。死刑執行人や犯人の家族たち。彼らは死刑を許す法律の被害者のように思えます。> >いつも思います。知らないということは気楽なことですね。イラクで香田さんが殺されたとき、日本人はどれほどその事実を重く受け止めたでしょうか。自己責任。自業自得。そんなムードがなかったでしょうか。一方では、テロリストは酷いとか。米国その調子で復讐しろとか。暴力を支持している。> >ぼくはテロリストが録画した香田さん殺害ビデオを手に入れましたが、さすがに見ることができませんでした。以前、外国人ですが、同じやり方で殺されるビデオを見て、しばらく気持ちが落ち着かなくたったのです。でも、事実は知っておかなくちゃと思い、そのビデオを見た人の解説と、殺されたあとの写真だけは見ました。香田さんのからだが星条旗の上に倒れていて、背中に切り落とされた頭がのせられていました。> >こういうのを見て、じゃ、何を考え、何を行動すればいいのでしょう。テロリストは酷いやつらだ。そう思って、怒りに燃え、彼らに復讐する暴力を応援すればよいのでしょうか。そういうことを香田さんは望んだでしょうか。香田さんは、彼の行動に対する日本人と日本のマスコミの冷たさを、どう思ったでしょうか。ぼくは、むしろ、そういう問題のほうが、気になるのです。すべての残虐は、そういう人間の心の問題に原因があるように思うからです。>けない。というわけですね。 |
k・satou さん 世間でいきなり 「死刑廃止」 なんて言葉を聞いたら、拒絶反応を起こす人たちもたくさんいると思います。 知人や近所に犯罪で不幸な目に遭った家があったら、その人にいきなり死刑廃止論の話はしませんよね。 そこまでには、長い人間同士の関わりがなければ、ただの冷たい厳しい言葉に聞こえてしまいます。 それから、死刑廃止論を唱える人にもいろいろいますから、問題は難しいです。 単純に殺人抑制になるからと来られたら、納得できるものではありません。 死刑を望まなければならない不幸な人々の、声なき声にも耳を傾けなければならないと思います。 私は、死刑廃止論を聞く耳は持てそうですが、まだまだ唱えることはできそうにありません。 |
▼レモンさん: もちろん 拒絶反応だらけでしょう。 貴方が”死刑反対の話なり本を読んでる人だと聞けば 危険人物だ! アカだ!とまで言う人までいます。 私の父がそうでしたから。 不幸な目にあった人に そんなことをいきなり言いだす人なんかいません。 しかし私はシットから 母が父を殺害し その母までを病気でなくし 叔母に育てられ、みんなから特異の目で見られて育ってきた子供を 知ってます。6歳ぐらいの子供になんの罪があるのでしょう? イジケ・スネテ育ちました。 人というものを信用できないのでしょうか。 ビクトル・ユーゴーが切言してます。 ”諸君は 死刑囚の子供たちが、15年もすると 男は徒刑場に、 女は売春街に収容されて行くのを防ぐことができるのか”と。 なおフランスではシットを挑発の一種とみとめ、この挑発が罪を 軽くするにたる程度ではないとされる時でも減刑の事由となること が認められています。 レ・ミゼラブルとかを生み出す地というわけですかね。 > >世間でいきなり 「死刑廃止」 なんて言葉を聞いたら、拒絶反応を起こす人たちもたくさんいると思います。 >知人や近所に犯罪で不幸な目に遭った家があったら、その人にいきなり死刑廃止論の話はしませんよね。 >そこまでには、長い人間同士の関わりがなければ、ただの冷たい厳しい言葉に聞こえてしまいます。 > >それから、死刑廃止論を唱える人にもいろいろいますから、問題は難しいです。 >単純に殺人抑制になるからと来られたら、納得できるものではありません。 > >死刑を望まなければならない不幸な人々の、声なき声にも耳を傾けなければならないと思います。 > >私は、死刑廃止論を聞く耳は持てそうですが、まだまだ唱えることはできそうにありません。 |
k.satouさん 日本の刑法には、殺人より重い罪がありますね。外患誘致罪。これで有罪になると絶対に死刑になるそうだから恐ろしい。未遂でも裁かれるといいますから、国家権力の構造によっては、冤罪も起こりそうな気がします。しかし、こんなのは死刑だから抑止できるって次元の問題じゃないでしょう。 とにかく、死刑には犯罪抑止効果のないことは、もうハッキリしていると思います。結局、ここでも反論者が主張しているように、被害者感情をどうしてくれるんだというのが、死刑廃止論への最大の批判になるのでしょう。 ハンナ・アーレントは、基本的には死刑廃止論者だったと思うのですが、例外がありましたね。アイヒマンは死刑しかないと。彼女はユダヤ系のドイツ人。ナチの非道は、彼女とてゆるせなかった。刑罰に<ゆるし>の意味を見いだした人なのに。 東條英機は死刑になりました。もし死刑にならなかったら、戦後もずっと生き残った仲間と同じように、日本の政治をどこかで支配することになったかもしれません。こういうことを思うと、アーレントがアイヒマンをゆるせなかった気持ちを支持できるような気もします。しかし、ぼくは死刑廃止論を貫くなら、例外は認めるべきではないと思っています。人には人を殺す権利はない。この原則を守りたいと思っています。 このアーレント、三木清と同じように、マールブルクでハイデッガーに哲学を学んでいます。三木清が今このスレッドに登場したら、どんな意見を述べたでしょう。 |
k・satou さん BadBlokeさん こんにちは。 k・satouさん、私がこの前、死刑廃止論について少し書いていたことを、覚えていてくださったのですね。ありがとうございます。 今の私には、信用できない人たちの目にふれる場所で、死刑廃止論について語る勇気はありません。 参考になるご意見をいろいろ書いてくださっているようですが、実はまだこの後の投稿はよく読んでいません。 よく読む前にお伺いしたいのですが、k・satouさんとBadBlokeさんは、ご自分の愛する人や犬が凶悪な犯罪で殺されたとしても、ここに書かれたようなご意見を貫かれるのだと受け止めてよろしいのでしょうか? 私は死刑が望ましいものだとも、それで何かが解決されるものだとも、考えてはいません。 それと同時に、ただ法律で死刑が廃止されるだけで、大切なことが解決されるとも考えていません。 死刑囚の生命だけは確実に救われることになりますが、死刑廃止になっただけで、世の中の人の心は変わるのでしょうか? 不幸にして起きる世の中の犯罪、その被害に遭われた人たちの深い悲しみを、心から受け止めることのできる社会にならない限り、私は死刑廃止論を支持する気持ちにはなれないのです。 私は大きな事件の被害者のご家族と、直接お話したことがあります。家族の方は、加害者よりも無理解な社会に怒りと憎しみを持っていらっしゃるようでした。 被害者の弁護にあたる心ある弁護士の方々も、こういう事件にはとても悩まれるようです。(知らない方はいらっしゃらない、あまりにも凶悪な事件ですから、敢えて加害者とその団体の名前は出しません。) やはり私が語るには、事柄があまりにも大き過ぎます。 失礼しました。 |
▼レモンさん: いまから 出かけるので またのちほど。 済みません。 身内にいないのは事実ですがね。ウーン! 貫きたいとは思いますが 実際は どうですかね? >k・satou さん BadBlokeさん > >こんにちは。 >k・satouさん、私がこの前、死刑廃止論について少し書いていたことを、覚えていてくださったのですね。ありがとうございます。 > >今の私には、信用できない人たちの目にふれる場所で、死刑廃止論について語る勇気はありません。 > >参考になるご意見をいろいろ書いてくださっているようですが、実はまだこの後の投稿はよく読んでいません。 > >よく読む前にお伺いしたいのですが、k・satouさんとBadBlokeさんは、ご自分の愛する人や犬が凶悪な犯罪で殺されたとしても、ここに書かれたようなご意見を貫かれるのだと受け止めてよろしいのでしょうか? > >私は死刑が望ましいものだとも、それで何かが解決されるものだとも、考えてはいません。 >それと同時に、ただ法律で死刑が廃止されるだけで、大切なことが解決されるとも考えていません。 >死刑囚の生命だけは確実に救われることになりますが、死刑廃止になっただけで、世の中の人の心は変わるのでしょうか? >不幸にして起きる世の中の犯罪、その被害に遭われた人たちの深い悲しみを、心から受け止めることのできる社会にならない限り、私は死刑廃止論を支持する気持ちにはなれないのです。 > >私は大きな事件の被害者のご家族と、直接お話したことがあります。家族の方は、加害者よりも無理解な社会に怒りと憎しみを持っていらっしゃるようでした。 >被害者の弁護にあたる心ある弁護士の方々も、こういう事件にはとても悩まれるようです。(知らない方はいらっしゃらない、あまりにも凶悪な事件ですから、敢えて加害者とその団体の名前は出しません。) > >やはり私が語るには、事柄があまりにも大き過ぎます。 >失礼しました。 |
▼みなさん: みなさん 死刑廃止については 「犯罪抑制効果」 を語られますが、 その前に 「報復」 はどうなりましょう、あまり語られることがありません。 死刑は 「仕返し、意趣返し」 の気持ちが 始まりでしょう。 もし 私の子供が 殺されたとしたら、「公的」 意味の「犯罪抑制効果」 など 全く気にもならないでしょう。 「私的」 な 「仕返し」 の気持ちを どう抑えるかが 大問題になると思います。 公権力が 私に代わって 「仕返し」 をせず、私の気持ちを 抑えてくれない としたら、 私の気持ちは 「どうなる(どうしてくれる)」 のでしょうか? |
▼ワン太郎さん: >公権力が 私に代わって 「仕返し」 をせず、私の気持ちを 抑えてくれない としたら、 >私の気持ちは 「どうなる(どうしてくれる)」 のでしょうか? > ぼくの記憶だと、あなたは死刑廃止論者だと思っていたのですが、転向したのですか。それとも、議論を面白くしようというサービス精神なのでしょうか? 刑罰を「仕返し」と見るのは個人の勝手だとしても、刑罰そのものの意味をそう解釈するのは、ちがうでしょ。たしかに、個人に任せていたら、仕返しでもリンチでもやりかねない。そういう状況を法律で処理しようってのが刑罰なのかもしれません。 「目には目を」のハンムラビ法典にしても、<仕返し>の法律と見る人が多いみたいですが、あの時代にあっては、フェアというか、むしろ和解をめざした法律だったのだと思います。ひとは目をつぶされても、相手のいのちまで取ろうとするかもしれません。人間は凶暴ですから。 たとえば、我が子のようにだいじにしていたバラの花を、近所の悪ガキがもぎ取ったとしましょうか。すると、そのオヤジはエンマ大王のように変身して、その悪ガキを叩きのめす。その悪ガキが血を流して、死んだバラのように倒れた姿を見て、やっと気が落ち着く。しかし、それで本当によかったのか? 殺されたら、相手を殺すってのは、一見、フェアには見えます。しかし、殺された人が復讐するのじゃなくて、それを法律が代わって復讐するってのはどうでしょう。遺族には復讐する権利があるということを法律が認めるのはどうでしょう。それを認めると、国家が国家に対して、暴力によって仕返しすることも認めてよいことになりますね。でも、本当にそれでよいのでしょうか? 暴力に対して暴力をもって報復すれば、限りなく暴力の連鎖がつづくでしょう。刑罰も暴力による仕返しの代用になるのだとすれば、人間はほとんど進歩していないことになる。むしろ、2000年前に、イエスが言った「すべて剣をとる者は剣にて亡ぶるなり」の精神をめざしてこそ、人間は進歩するように思います。人間の目標が本当に平和であるのならば。 > >死刑は 「仕返し、意趣返し」 の気持ちが 始まりでしょう。 > >もし 私の子供が 殺されたとしたら、「公的」 意味の「犯罪抑制効果」 など 全く気にもならないでしょう。 >「私的」 な 「仕返し」 の気持ちを どう抑えるかが 大問題になると思います。 > |
▼BadBlokeさん:横レス失礼します。 ババン、ババン、バン、バン・・・であなたの痴的レベルが大体判りました・・・ >刑罰を「仕返し」と見るのは個人の勝手だとしても、刑罰そのものの意味をそう解釈するのは、ちがうでしょ。たしかに、個人に任せていたら、仕返しでもリンチでもやりかねない。そういう状況を法律で処理しようってのが刑罰なのかもしれません。 死刑は法哲学で言うならば、「殺 人」です。 でも、それはあり得べき「正当防衛殺人の代行である」と捉えるべきでしょう。 正当防衛殺人ならば、違法性は阻却されます。殺人は犯罪です。 しかし、「殺人をするしかない状況」というものがあるのです。 それが「急迫不正の侵害」に対する正当防衛殺人です。 死刑はその延長上に捉えられるべきです。 >「目には目を」のハンムラビ法典にしても、・・・死んだバラのように倒れた姿を見て、やっと気が落ち着く。しかし、それで本当によかったのか? 憎しみに憎しみで応える人、右の頬を殴られたら右の頬を殴り返す人が「低 級」で、憎しみに愛で応える人、右の頬を殴られたら左の頬を差し出す人が「高 級」ということはありません。 そもそも、死刑の議論と無関係なので、埒外といたします。さて、 >殺されたら、相手を殺すってのは、一見、フェアには見えます。しかし、殺された人が復讐するのじゃなくて、それを法律が代わって復讐するってのはどうでしょう。遺族には復讐する権利があるということを法律が認めるのはどうでしょう。 応報は決して次元の低いものではなく、現実に侵害されてしまった権利を応用して、逆に犯罪者の責任を問い、責任を果たさせるといういわば刑罰の大半を構成するものです。 刑罰は形式上、全部「犯 罪」です。形式上「犯 罪」でない刑罰などありません。 刑罰とは、国家による「監禁(懲役)、強要(禁固)、恐喝(罰金)」などの犯罪形式を用いた私的な復讐の代行です。 「あり得べき正当防衛の代行」であり、「応報刑」なのです。次元の「高低」、法の「堕落」など問題になりません。 そして、死刑はたしかに形式上国家による「殺 人」という犯罪行為ですが、しかし、それは刑罰すべてがそうなのであって、それ自体は死刑廃止の根拠には決してなり得ません。 >それを認めると、国家が国家に対して、暴力によって仕返しすることも認めてよいことになりますね。 >暴力に対して暴力をもって報復すれば、限りなく暴力の連鎖がつづくでしょう。刑罰も暴力による仕返しの代用になるのだとすれば、人間はほとんど進歩していないことになる。 個人に対する刑罰と国家間の紛争とは全く次元の異なる話です。 この位はお判りにならなくちゃ・・・ >むしろ、2000年前に、イエスが言った「すべて剣をとる者は剣にて亡ぶるなり」の精神をめざしてこそ、人間は進歩するように思います。人間の目標が本当に平和であるのならば。 イエスが、「イエス」と言ったか「ノー」と言ったか知りませんが、下らぬ「はぐらかし」です。 失礼致しました。 |
▼ステディ ベアさん: >ババン、ババン、バン、バン・・・であなたの痴的レベルが大体判りました・・・ > 正しくは、ババンバ、バン、バン、バン、です。君のは、西部劇の撃ち合い。 >(略)... >>むしろ、2000年前に、イエスが言った「すべて剣をとる者は剣にて亡ぶるなり」の精神をめざしてこそ、人間は進歩するように思います。人間の目標が本当に平和であるのならば。 > >イエスが、「イエス」と言ったか「ノー」と言ったか知りませんが、下らぬ「はぐらかし」です。 > イエスの精神が理解できないところに、君の脳に住む倒錯した常識の原因がある。それをビートルズは、No Reply と歌った。たまにはビートルズでも聴けよ。ババンバ、バン、バン、バン。聖書も読めよ。 |
▼BadBlokeさん: >>▼ステディ ベア: >>イエスが、「イエス」と言ったか「ノー」と言ったか知りませんが、下らぬ「はぐらかし」です。 >イエスの精神が理解できないところに、君の脳に住む倒錯した常識の原因がある。それをビートルズは、No Reply と歌った。たまにはビートルズでも聴けよ。ババンバ、バン、バン、バン。聖書も読めよ。 相変わらず、本論には答えず(答えられず)、茶化すだけ・・・ ホントは、死刑廃止論には死刑存続論者にとって手強い論拠があるんだが、少しは反論してもらいたいもんだ。 「No Reply 」ねぇ・・・前奏なしで始まる、韻をよく踏んだ気持ちいい歌だけど、歌詞の中身はオマエ様のことか? だんだんひどくなって行ってますが。 |
▼BadBlokeさん: >刑罰を「仕返し」と見るのは個人の勝手だとしても、刑罰そのものの意味をそう解釈するのは、ちがうでしょ。 公権力による処罰の意味が <犯罪抑止> だけ だと おっしゃるのですか? <悪行に対する 「公」による報復> の意味は無い ・・・ と? 被害者や 家族・友人の <「悔しい思い」 への対処> の意味は無い、とでも? そうは 思えないのですが。 もう少し BadBlokeさんの考えを 教えてください。 |
▼ワン太郎さん: > >公権力による処罰の意味が <犯罪抑止> だけ だと おっしゃるのですか? > ><悪行に対する 「公」による報復> の意味は無い ・・・ と? > すでに述べたつもりですが、個人が刑罰に報復の意味を求めることにまで、干渉することはできません。他人の心の問題ですから。しかし、法的に、社会的に、刑罰には報復の意味があると規定するのは、まちがっている。あるいは、そう規定するべきではない。そう考えています。 >被害者や 家族・友人の <「悔しい思い」 への対処> の意味は無い、とでも? > 被害者の遺族にもいろいろあるでしょう。やられたら十倍にして仕返ししなくちゃ気が収まらない人がいたり、暴力を受けても暴力では仕返しをしない人もいるでしょう。でも、ほんとうに被害者は、犯人の死刑によって心の平和を得られるのでしょうか。犯人が死刑になるまでは、ゆるせないのでしょうか。いや、死刑になっても、犯人をゆるすことはできないのでしょうか。 死刑があってもなくても、凶悪な犯罪を犯す人間はいなくならないでしょう。殺人なんてことが現実としてある。しかし、刑罰の影響ではなくて、社会のあり方の影響によって、殺人は増えるのだと思います。日本はどうして自殺が多いのか。社会構造にそのいちばんの原因があるにちがいないのです。自分ではなくて他人を殺す殺人も、社会のあり方にこそ原因があるはずです。もちろん例外はあるでしょうが。 死刑廃止論は、人間の命を尊ぶこと、人権を守ること、だれにも人の命を奪う権利のないこと、そういう思いから発せられる主張です。基本的人権を尊重する社会であれば、そうでない社会よりも、凶悪犯罪が減るにちがいありません。人間のあり方に対処する完璧な方法はないのだとしても、この方向こそが、犯罪抑止効果を期待できる最善の道であると確信します。 被害者の無念な気持ちを軽んじているのではないのです。むしろ、そういう無念な思いをしなければならない人のいる人間社会の不条理を少しでも改善したい。その道として死刑廃止論があるのです。 |
すこし書かせて頂きます。 私は刑法等に詳しく無いのでその事には反論出来ませんが、ここで述べられている反対論は机上の空論の様に感じます。 当事者(遺族・被害者・犯罪者)の気持ちや心を置き去りにしているように思います。 また死刑等の刑罰は復讐や仕返しの代行と書いていますが、これは犯罪者の償いと考えられませんか?命を持って償うとは考えられませんか? 犯罪の抑止力としての力も否定はしませんが、もし自分の家族が殺されたとして、その犯罪者が税金でのうのうと暮らしていると思うと腹立たしさがいつまでも続くと思いますがとうでしょう? 山口県の母子殺害事件の家族の御主人が「死刑にならないのであれば、今直ぐ無罪にして下さい。私が殺します。」と言ったのは、印象的でした。ぐさっと来ましたがみなさんはあれを聞いても反対と強く言えるのでしょうか? 死刑反対に対しての単純な疑問です。 |
▼てんぷるさん:こんばんは。 > すこし書かせて頂きます。 > > 私は刑法等に詳しく無いのでその事には反論出来ませんが、ここで述べられている反対論は机上の空論の様に感じます。 > > 当事者(遺族・被害者・犯罪者)の気持ちや心を置き去りにしているように思います。 > > また死刑等の刑罰は復讐や仕返しの代行と書いていますが、これは犯罪者の償いと考えられませんか?命を持って償うとは考えられませんか? > > 犯罪の抑止力としての力も否定はしませんが、もし自分の家族が殺されたとして、その犯罪者が税金でのうのうと暮らしていると思うと腹立たしさがいつまでも続くと思いますがとうでしょう? > > 山口県の母子殺害事件の家族の御主人が「死刑にならないのであれば、今直ぐ無罪にして下さい。私が殺します。」と言ったのは、印象的でした。ぐさっと来ましたがみなさんはあれを聞いても反対と強く言えるのでしょうか? > > 死刑反対に対しての単純な疑問です。 私は、先に、刑法における主観主義?と私は思いますが、 犯罪者が計画的・意図的に犯罪、例えば、殺人を犯すことと、激情に駆られて思わずも殺人を犯すことに、罪の軽重がある、のはある意味不合理ではないか? という意見を書きました。残念ながら、反応はありませんでした。 というのは、計画的であろうと無かろうと、咎(科;とが)無く殺された被害者にとってはかけがえの無い自らの命を奪われたのですから、その罪の差の理由がはっきりしないのです。 そして、想像し、 強いて言えば「死人に口なし」「死ねばもはや人ではない」今や、生きている「犯罪者」の方が大事、人権は「生ある人間のもの」だ、という風に理解しました。 しかし、これが正しい人の道か、人倫か、と疑問を持っております。 山口の事件は記憶にあり、殺された妻子を思う遺族の気持ちはよく分ります。そして、敢えて言えば「血で血を償う」ことも認められるべきか、とも思います。 誤解されそうですが、敢えて、敢えて言えば、私自身も含めて、「ヒトが生きて有らねばならない」理由など、ヒトが勝手に作っているようなものですから・・・。 失礼を申しました。 |
お返事有難うございます。 罪の軽重に付いて少しだけ書かせて下さいませ。殺人のプロセスというか、何故相手が死んだかで罪がかわるかですが、細かい所は解りませんが、交通事故で、相手を死に至らしめたと、殺人は相手を殺した事には変わり有りませんが、どちらも同じ罪にするのは、ちゃっと違うような・・・・。と捕らえてしまいましたが、間違っていますでしょうか? 仰る通り今の法律ですと、死人に口なし・犯罪者の人権の方が大事という風に取れますよね。 でも、ここで犯罪者の意見なり、心情と言う物を誰も知らないと言う事も問題だと思うのです。死刑廃止と言われますが、この間の池田小の事件の死刑囚も早く死刑にしてくれと行っています。(謝罪が無いのは少しおかしい気もしますが、本人の本当の気持が解らないのでなんともいえませんが・・・) 罪の意識で死刑止む無しと思っている死刑囚もいるはずです。 犠牲者の家族はいわでもかなですが。 人の為の刑法が刑法の為の刑法というように、一人歩きしているようにも思えます。本質はもっと単純なのではと思います。 案外小学生低学年の子供に死刑反対論の是非を聞いたらすっと答えてくれたりしてね(笑) また御意見等宜しくお願い致します。失礼致しました。 |
▼てんぷるさん:こんばんは。 多分とうろう宛のレスと思い、少し書きます。 > お返事有難うございます。 > > 罪の軽重に付いて少しだけ書かせて下さいませ。殺人のプロセスというか、何故相手が死んだかで罪がかわるかですが、細かい所は解りませんが、交通事故で、相手を死に至らしめたと、殺人は相手を殺した事には変わり有りませんが、どちらも同じ罪にするのは、ちゃっと違うような・・・・。と捕らえてしまいましたが、間違っていますでしょうか? それはその通りです。 ただ、私は、 >誤解されそうですが、敢えて、敢えて言えば、私自身も含めて、「ヒトが生きて有らねばならない」理由など、ヒトが勝手に作っているようなものですから・・・。 という観点と、 故なく犯罪人の所為で命を失った、今は声無き人の声を尊重する、 と言う立場に立てば、 その過程はどうあれ、結果として、人の命を奪った罪の大きさは 「同一」と思うものです。 犯罪者への「情状酌量」も分りますが、 被害を受けた方への「情状斟酌」(声なき方は、遺族しか言う人はいませんね)も考えるべきだと思うものです。 この辺りを、刑法の思想は如何に考え、如何なる思想、哲学に基づいているのかを知りたいと思っており、同時に 死刑反対の人権主義者の方のヒトに対する価値観、哲学を知りたいのです。 また、勝手なことを申しました。 なお、死刑と言う刑罰の非人間性は、 昔読んだ、多分、加賀乙彦の「死刑囚の記録???」で学んでおり、改悛の情に目覚め、その罪を当然として、諾々と刑を受ける死刑囚の命を奪う意味があるのか?とは、当然思っていることを付記します。 しかし、 >誤解されそうですが、敢えて、敢えて言えば、私自身も含めて、「ヒトが生きて有らねばならない」理由など、ヒトが勝手に作っているようなものですから・・・。 ということです。 |
BadBlokeさん、こんにちは。 ▼BadBlokeさん: >被害者の遺族にもいろいろあるでしょう。やられたら十倍にして仕返ししなくちゃ気が収まらない人がいたり、暴力を受けても暴力では仕返しをしない人もいるでしょう。でも、ほんとうに被害者は、犯人の死刑によって心の平和を得られるのでしょうか。犯人が死刑になるまでは、ゆるせないのでしょうか。いや、死刑になっても、犯人をゆるすことはできないのでしょうか。 死刑廃止問題、本当に難しい問題だと思います。 ただ、被害者は犯人の死刑によって心の平和が得られるのか、については 答えはわかりきっていることですよね。 なぜなら、被害者はもう殺されてしまっているから。 日本だと人を2人以上殺さないと、滅多に死刑には なりませんしね。死人に口なし・・・。 ので、残された者の感情というのも、ワン太郎さんが おっしゃるようにとっても大事なことだと思います。 もしかしたら、被害者自身のそれよりもmore重要かも しれません。 それを「人の心だから」ということで、俎上に上げない、 これはどうにもわかりにくいです。 >死刑があってもなくても、凶悪な犯罪を犯す人間はいなくならないでしょう。殺人なんてことが現実としてある。しかし、刑罰の影響ではなくて、社会のあり方の影響によって、殺人は増えるのだと思います。日本はどうして自殺が多いのか。社会構造にそのいちばんの原因があるにちがいないのです。自分ではなくて他人を殺す殺人も、社会のあり方にこそ原因があるはずです。もちろん例外はあるでしょうが。 社会のあり方と殺人・自殺率には何らかの因果関係はあるのかとも 思うのですが、科学的には検証しづらいところだと思います。 ただ、シンガポールの例ですが、ご存知のように死刑制度を 外国人にも適用させている国ですよね。 シンガポールと日本の犯罪率の相違(2003年統計) シンガポール 日本 認知件数 33458件 2790136件 犯罪率 799件 3187件(10万人あたり) ひったくり 387件 46354件 殺人 24件 1452件 >死刑廃止論は、人間の命を尊ぶこと、人権を守ること、だれにも人の命を奪う権利のないこと、そういう思いから発せられる主張です。基本的人権を尊重する社会であれば、そうでない社会よりも、凶悪犯罪が減るにちがいありません。人間のあり方に対処する完璧な方法はないのだとしても、この方向こそが、犯罪抑止効果を期待できる最善の道であると確信します。 死刑廃止論は、だれにも人の命を奪う権利のないこと、ということは わかります。 でも被害者は、殺されちゃったあとにそんなこと言われても…と、 草葉の陰で涙していることでしょう。 シンガポールと日本とでは、構成民族も地理的状況も違い、 犯罪率ひとつとっても単純比較はできないと思います。 ただ、10万人あたりの犯罪率、そして殺人件数のこの違いは 何なんだろうと思わざるを得ません。 シンガポールは、制服を着た警察官が街を巡回することは ないようですが、私服警察官はまわっているようですね。 その数は公開されていませんが。。 また、街のあちこちに防犯カメラやレコーダーがたくさん 取り付けられてあり、それも犯罪抑止効果を発揮していると いいますよね。 その根本にあるのは、人としての最低の権利、生存権を 個人個人で尊重されるべき社会にしよう、という意識が 社会に共通しているためだと思われます。 でも、日本で防犯カメラを取り付けようなんて話になると、 すぐに「人権侵害だー」なんて話になっちゃう。 日本でも、防犯カメラや警察官の数を増やして、犯罪を 最小限に食い止めるべく努力したあとなら、死刑廃止論も 考慮すべきテーマだと思います。 でも…、今、犯罪率の比較的高い外国人の恒久ビザ免除や 空き交番が目立つなか(今は変わった?)、治安的には ヌケヌケの状態で、死刑廃止と言われても、ちょっとピンと 来ないのが正直なところです。 ありきたりなデータにありきたりな書き込み、失礼しました。 |
▼コップ酒さん:BBさんになりかわりまして 一席 お耳を! 1927年7月にジョン・ロビンソン事件というのがありました。 いわゆる ”トランク詰め死体事件”というやつです。 殺された女性の母の内相あての訴えを お聞きおよびかも知れませんが あへて 紹介いたします。以下。 娘の死にあっては 私は傷心していますが 裁判所においてロビンソン夫人 の悲嘆を見ますと 私はつくづく思います。 彼女の夫が絞刑に処せられたとて、私ども夫婦には何の慰めにもならない。 私たちは何をなしたとて 私達の娘を生き返らすことはできないのですから。 閣下におかせられても、彼の妻子たちのために 彼をなんら危害をなしえない ところの監獄に拘禁するにとどめられることと存じます。 彼は極悪人ですが、今彼が絞刑に処せられますとすれば 彼女や その幼児たちはいかなる恐怖を感づることかと 思いやることができます。 忌むべき内容の犯罪にたいして この訴状は 印象深いものです。 実際 自身のことになっても こんなことが言えるか?言いたいとは思うけど。 >BadBlokeさん、こんにちは。> >▼BadBlokeさん: >>被害者の遺族にもいろいろあるでしょう。やられたら十倍にして仕返ししなくちゃ気が収まらない人がいたり、暴力を受けても暴力では仕返しをしない人もいるでしょう。でも、ほんとうに被害者は、犯人の死刑によって心の平和を得られるのでしょうか。犯人が死刑になるまでは、ゆるせないのでしょうか。いや、死刑になっても、犯人をゆるすことはできないのでしょうか。> >死刑廃止問題、本当に難しい問題だと思います。> >ただ、被害者は犯人の死刑によって心の平和が得られるのか、については >答えはわかりきっていることですよね> >なぜなら、被害者はもう殺されてしまっているから。 >日本だと人を2人以上殺さないと、滅多に死刑には >なりませんしね。死人に口なし・・・。> >ので、残された者の感情というのも、ワン太郎さんが >おっしゃるようにとっても大事なことだと思います。 >もしかしたら、被害者自身のそれよりもmore重要かも >しれません。> >それを「人の心だから」ということで、俎上に上げない、 >これはどうにもわかりにくいです。> >>死刑があってもなくても、凶悪な犯罪を犯す人間はいなくならないでしょう。殺人なんてことが現実としてある。しかし、刑罰の影響ではなくて、社会のあり方の影響によって、殺人は増えるのだと思います。日本はどうして自殺が多いのか。社会構造にそのいちばんの原因があるにちがいないのです。自分ではなくて他人を殺す殺人も、社会のあり方にこそ原因があるはずです。もちろん例外はあるでしょうが。> >死刑廃止論は、だれにも人の命を奪う権利のないこと、ということは >わかります。 >でも被害者は、殺されちゃったあとにそんなこと言われても…と、 >草葉の陰で涙していることでしょう。 > >シンガポールと日本とでは、構成民族も地理的状況も違い、 >犯罪率ひとつとっても単純比較はできないと思います。 > >ただ、10万人あたりの犯罪率、そして殺人件数のこの違いは >何なんだろうと思わざるを得ません。 > >シンガポールは、制服を着た警察官が街を巡回することは >ないようですが、私服警察官はまわっているようですね。 >その数は公開されていませんが。。 > >また、街のあちこちに防犯カメラやレコーダーがたくさん >取り付けられてあり、それも犯罪抑止効果を発揮していると >いいますよね。> >その根本にあるのは、人としての最低の権利、生存権を >個人個人で尊重されるべき社会にしよう、という意識が >社会に共通しているためだと思われます。> >でも、日本で防犯カメラを取り付けようなんて話になると、 >すぐに「人権侵害だー」なんて話になっちゃう。> >日本でも、防犯カメラや警察官の数を増やして、犯罪を >最小限に食い止めるべく努力したあとなら、死刑廃止論も >考慮すべきテーマだと思います。> >でも…、今、犯罪率の比較的高い外国人の恒久ビザ免除や >空き交番が目立つなか(今は変わった?)、治安的には >ヌケヌケの状態で、死刑廃止と言われても、ちょっとピンと >来ないのが正直なところです。> >ありきたりなデータにありきたりな書き込み、失礼しました。 |
k・satou さん こんな話を思い出しました。 あるところに悪女がいて、毒を撒き散らして、人々を困らせていました。 そして平和主義の人々からさんざん「出て行け!」と罵られていたのです。 さすがの悪女も、改心するはめになりました。 それを見て、一番に追放を叫んでいた人も、悪女の救済を望みました。終わり |
▼レモンさん:こんなのご存知ですか コウモリとイバラとカモメが一緒に商売を始めた。 コウモリは金を借り イバラは着物を仕入れ カモメは銅を買い船出した。 ところが 嵐で船が沈み 全てを失った。 それからというもの カモメは海岸で銅が打ち上げられていないかと 見張り、コウモリは借金取りを怖がって姿をみせず、イバラは 自分のではないかと通行人の着物をトゲでひっかけるようになった。 そうです。あのイソップの童話です。 なにを 教えようというのでしょうかね。 これって 失ったものをいつまでも追いかけるな! うしなった自分への人生への未練で 一生を終わるなよ! 浅読みかもしれません。 >k・satou さん > >こんな話を思い出しました。 >あるところに悪女がいて、毒を撒き散らして、人々を困らせていました。 >そして平和主義の人々からさんざん「出て行け!」と罵られていたのです。 >さすがの悪女も、改心するはめになりました。 >それを見て、一番に追放を叫んでいた人も、悪女の救済を望みました。終わり |
この書き込みは管理人によって削除されました。(06/3/19(日) 3:11) |
▼みなさま: Ray@スタッフです。 【76030】:あるお話 坊主 - 06/3/10(金) 18:33 - は、掲示板のルールのうち ・揶揄、中傷、侮蔑的表現の使用 に該当するため削除対象としてスタッフ連絡板へ移動しました。 |
▼k.satouさん: こんばんは。 k・satou さんのお気持ちは、よく伝わって来ます。 でも、金も着物も銅も生命ではありませんからね。 失ってもどうということはありません。 このお話の原作は、ちょっと記憶にありませんが、 コウモリもイバラもカモメも、無事だったようですから、 全てを失ったというのかどうか・・・。 >▼レモンさん:こんなのご存知ですか > コウモリとイバラとカモメが一緒に商売を始めた。 > コウモリは金を借り イバラは着物を仕入れ カモメは銅を買い船出した。 > ところが 嵐で船が沈み 全てを失った。 > それからというもの カモメは海岸で銅が打ち上げられていないかと > 見張り、コウモリは借金取りを怖がって姿をみせず、イバラは > 自分のではないかと通行人の着物をトゲでひっかけるようになった。 > そうです。あのイソップの童話です。 > なにを 教えようというのでしょうかね。 > > これって 失ったものをいつまでも追いかけるな! > うしなった自分への人生への未練で 一生を終わるなよ! > 浅読みかもしれません。 > |
▼レモンさん: こんなのは?いかが? 道端のクルミの木の実を落とそうと 通りがかりの人達が 石を投げつけていた。 クルミの木は泣き声で”なさけない。実をあげようと思っていたのに” 毎年苦しいめにあわされる”と嘆いた。 これもなにを教えようというのでしょうね。 気持ちのづれ? クルミは実をわけてやろうと思っているのですが 取ろうとしている人は分けてくれないと思っている。 どうせ時機がくりゃ 手に入るのにあせって 無駄な努力なんか することはない。天のときを待て! おいしそうだからと 手を出すな!そのとき得したようでも 後で考えると人生の軌道をふみはずしてることもある。 こちらのほうが 頭がくらくらしてきます。ガキはへっちゃら! >▼k.satouさん: >こんばんは。 >k・satou さんのお気持ちは、よく伝わって来ます。 >でも、金も着物も銅も生命ではありませんからね。 >失ってもどうということはありません。 > >このお話の原作は、ちょっと記憶にありませんが、 >コウモリもイバラもカモメも、無事だったようですから、 >全てを失ったというのかどうか・・・。 > > >>▼レモンさん:こんなのご存知ですか >> コウモリとイバラとカモメが一緒に商売を始めた。 >> コウモリは金を借り イバラは着物を仕入れ カモメは銅を買い船出した。 >> ところが 嵐で船が沈み 全てを失った。 >> それからというもの カモメは海岸で銅が打ち上げられていないかと >> 見張り、コウモリは借金取りを怖がって姿をみせず、イバラは >> 自分のではないかと通行人の着物をトゲでひっかけるようになった。 >> そうです。あのイソップの童話です。 >> なにを 教えようというのでしょうかね。 >> >> これって 失ったものをいつまでも追いかけるな! >> うしなった自分への人生への未練で 一生を終わるなよ! >> 浅読みかもしれません。 >> |
▼k.satouさん: 今度は、k・satou 作の童話でしょうか。 こちらの方が、気に入りました。 どうせ時機がくりゃ 手に入るのにあせって 無駄な努力なんか することはない。天のときを待て! 時機のづれ? ではないかと思います。 >こんなのは?いかが? >道端のクルミの木の実を落とそうと 通りがかりの人達が >石を投げつけていた。 >クルミの木は泣き声で”なさけない。実をあげようと思っていたのに” >毎年苦しいめにあわされる”と嘆いた。 > > これもなにを教えようというのでしょうね。 > >気持ちのづれ? > クルミは実をわけてやろうと思っているのですが > 取ろうとしている人は分けてくれないと思っている。 >どうせ時機がくりゃ 手に入るのにあせって 無駄な努力なんか > することはない。天のときを待て! >おいしそうだからと 手を出すな!そのとき得したようでも > 後で考えると人生の軌道をふみはずしてることもある。 > >こちらのほうが 頭がくらくらしてきます。ガキはへっちゃら! > |
▼レモンさん:こんなのは? 私達は よく成功者に学べ!なんて言われます。 しかし 本当は ありゃウソで 成功者というのは 失敗して不幸になった人から学んでいて 自分だけが 得をしているんじゃありませんか? 何故 その人が そこまで不幸になってしまったか? 自然災害や自動車事故の場合を除いて 多くの場合 不幸になった人には 原因があるものです。 失敗者に学べ! ですよね? でもまわりに多すぎる! >▼k.satouさん: >今度は、k・satou 作の童話でしょうか。 >こちらの方が、気に入りました。 > > どうせ時機がくりゃ 手に入るのにあせって 無駄な努力なんか > することはない。天のときを待て! > >時機のづれ? ではないかと思います。 > >>こんなのは?いかが? >>道端のクルミの木の実を落とそうと 通りがかりの人達が >>石を投げつけていた。 >>クルミの木は泣き声で”なさけない。実をあげようと思っていたのに” >>毎年苦しいめにあわされる”と嘆いた。 >> >> これもなにを教えようというのでしょうね。 >> >>気持ちのづれ? >> クルミは実をわけてやろうと思っているのですが >> 取ろうとしている人は分けてくれないと思っている。 >>どうせ時機がくりゃ 手に入るのにあせって 無駄な努力なんか >> することはない。天のときを待て! >>おいしそうだからと 手を出すな!そのとき得したようでも >> 後で考えると人生の軌道をふみはずしてることもある。 >> >>こちらのほうが 頭がくらくらしてきます。ガキはへっちゃら! >> |
▼k.satouさん: これは、むずかしいお話ですね。 成功者というのは、失敗者から学んでいるんだったら、、 失敗者から学んだら、成功者になってしまいます。 世間でいう成功者というのは、だいたい不幸なものです。 大人というのは、誰かに学べ! なんて命令されても、 駄目だと思いますね。 他人の言うことなんか、聞きはしないし、 他人のいう通リにしたって、しょうがない。 自分には 自分で学べ! と言いたいですね。 >▼レモンさん:こんなのは? > 私達は よく成功者に学べ!なんて言われます。 > しかし 本当は ありゃウソで > 成功者というのは 失敗して不幸になった人から学んでいて > 自分だけが 得をしているんじゃありませんか? > 何故 その人が そこまで不幸になってしまったか? > 自然災害や自動車事故の場合を除いて 多くの場合 > 不幸になった人には 原因があるものです。 > 失敗者に学べ! ですよね? でもまわりに多すぎる! |
▼レモンさん: 兄は気が利かないが妹は気がつく!なんてことありませんか。 兄の失敗を下で しっかり観ていたからでしょう。 要領がどうとかは性格ばかりじゃなく 現実を観察することから 生まれてきてるんだろうね。 妹の観察眼を持ち 世の中を渡りたいものです。 どう評価していいかわかんない時 弟 :嫌な言い方で嫌な奴! 兄 :あの人は本当は悪気はないんだ! 妹 :うん。まあ。根はいい人でしょうけどね!とか >▼k.satouさん: >これは、むずかしいお話ですね。 >成功者というのは、失敗者から学んでいるんだったら、、 >失敗者から学んだら、成功者になってしまいます。 >世間でいう成功者というのは、だいたい不幸なものです。 > >大人というのは、誰かに学べ! なんて命令されても、 >駄目だと思いますね。 >他人の言うことなんか、聞きはしないし、 >他人のいう通リにしたって、しょうがない。 >自分には 自分で学べ! と言いたいですね。 > > >>▼レモンさん:こんなのは? >> 私達は よく成功者に学べ!なんて言われます。 >> しかし 本当は ありゃウソで >> 成功者というのは 失敗して不幸になった人から学んでいて >> 自分だけが 得をしているんじゃありませんか? >> 何故 その人が そこまで不幸になってしまったか? >> 自然災害や自動車事故の場合を除いて 多くの場合 >> 不幸になった人には 原因があるものです。 >> 失敗者に学べ! ですよね? でもまわりに多すぎる! |
▼k.satouさん: 死刑廃止論は、スレッド満杯を機会に休止しませんか? 兄弟妹の意見は違ってもいいけれど、 時機のずれもあるし、場所が俗悪過ぎるというもの。 >▼レモンさん: >兄は気が利かないが妹は気がつく!なんてことありませんか。 >兄の失敗を下で しっかり観ていたからでしょう。 >要領がどうとかは性格ばかりじゃなく 現実を観察することから >生まれてきてるんだろうね。 >妹の観察眼を持ち 世の中を渡りたいものです。 > >どう評価していいかわかんない時 >弟 :嫌な言い方で嫌な奴! >兄 :あの人は本当は悪気はないんだ! >妹 :うん。まあ。根はいい人でしょうけどね!とか > |
k.satouさん、こんにちは。 ▼k.satouさん: ジョン・ロビンソン事件について、どうもありがとう ございました。 死刑については、また書いちゃいますけれど、難しい 問題だと思います。 ご紹介くださったのは、遺族感情としても一律ではなく 複雑であることを示す一例ですよね。 犯人は憎いけれど、死刑執行によって生まれる犯人の家族の 悲しみもまた、自分達と同じ悲しみではないだろうかという 感情は、現代でもありますね。 日本でも、身内を殺された犯人に対して減刑を嘆願した 遺族のケースを昔、テレビで見ました。 ただ、このロビンソン事件の遺族が、もし娘だけではなく 自分の夫も殺されていたら? 自分も危害を加えられて 一生後遺症に苛まれるとしたら?どうなんだろうなぁとも 思うのです。果たして同じことを言えるのかと。 死刑廃止するということは、ぶっちゃけて何人殺そうが、 ラッシュアワーの地下鉄にサリンをまいて1万人死のうが、 死刑にはならないってことですよね。 1万人の遺族が、ご紹介してくださった遺族と同じ 感情を持てるのか、何よりもそれで安心して暮らせる 社会を続けていけるのか、わたしにはわからないのです。 否定的な見方しかできません。。。 米国のように「禁固240年」なんかとは違って、日本は 無期懲役と言ってもせいぜい17〜18年で普通は出て きちゃいます。 この「無期懲役」制度を廃止して、文字通りの「終身刑」 が施行されるのなら、死刑廃止も考えてみる気になるかもと 思っています。ってたぶん議論されていることなのでしょう けれど;;。 でも、もしこの終身刑が施行されたとしても、現在 死刑廃止を唱えている方々は、今度は「国家による 人権蹂躙だ」というふうにならないのかしら…。 蹂躙されるだけのことをしておきながら、逆に ヒーローになっちゃうなんてことは…? そうなると、なんていうか、やったもん勝ちになって しまって、善悪の判断基軸が揺れてしまうような気も します。 「かけがえのない命」なんて嘘っぱち、っていう…。 迷走レス、失礼しました。 |
▼コップ酒さん: 私は 死刑は極刑であるはずがない。 しかも死刑は法ではない。 救済の術がないものは法ではないから。 残虐・非道や基本的人権にまでおよぶ憲法違反である。 執行された人間だけが助かり・他の人達はみんななお 苦しむんですからね。 人類が営々と積み重ねてきた 叡智にたいする冒涜以外のなにものでもない。 死刑制度があるから殺人がおきるのか?と疑いをもち 当初は時限立法で(5年間とか)試行してきた国がいまや永久に廃止している 国さえ数多くあります。 なされてきてなおその効果がない時 人間という動物は なされてきたことに先ず疑いをもつべきではないですか? ちがった方法で やってみようという勇気は 人というものには 信頼というものがあると 信ずることかもしれませんね。 その場に及んで お前の愛するものがそういう状態になったとき、 どうする? といわれても 信ずるものがある。と答えたい。 >▼k.satouさん: > >ジョン・ロビンソン事件について、どうもありがとう >ございました。 > >死刑については、また書いちゃいますけれど、難しい >問題だと思います。 > >ご紹介くださったのは、遺族感情としても一律ではなく >複雑であることを示す一例ですよね。 > >犯人は憎いけれど、死刑執行によって生まれる犯人の家族の >悲しみもまた、自分達と同じ悲しみではないだろうかという >感情は、現代でもありますね。 > >日本でも、身内を殺された犯人に対して減刑を嘆願した >遺族のケースを昔、テレビで見ました。 > >ただ、このロビンソン事件の遺族が、もし娘だけではなく >自分の夫も殺されていたら? 自分も危害を加えられて >一生後遺症に苛まれるとしたら?どうなんだろうなぁとも >思うのです。果たして同じことを言えるのかと。 > >死刑廃止するということは、ぶっちゃけて何人殺そうが、 >ラッシュアワーの地下鉄にサリンをまいて1万人死のうが、 >死刑にはならないってことですよね。 > >1万人の遺族が、ご紹介してくださった遺族と同じ >感情を持てるのか、何よりもそれで安心して暮らせる >社会を続けていけるのか、わたしにはわからないのです。 >否定的な見方しかできません。。。 > >米国のように「禁固240年」なんかとは違って、日本は >無期懲役と言ってもせいぜい17〜18年で普通は出て >きちゃいます。 > >この「無期懲役」制度を廃止して、文字通りの「終身刑」 >が施行されるのなら、死刑廃止も考えてみる気になるかもと >思っています。ってたぶん議論されていることなのでしょう >けれど;;。 > >でも、もしこの終身刑が施行されたとしても、現在 >死刑廃止を唱えている方々は、今度は「国家による >人権蹂躙だ」というふうにならないのかしら…。 >蹂躙されるだけのことをしておきながら、逆に >ヒーローになっちゃうなんてことは…? > >そうなると、なんていうか、やったもん勝ちになって >しまって、善悪の判断基軸が揺れてしまうような気も >します。 >「かけがえのない命」なんて嘘っぱち、っていう…。 >迷走レス、失礼しました。 |
コップ酒さん: なあんだ!あなたは公安調査庁の宣伝隊!だったのか! 一連の中核らのを読みました。 どうしてそちら側からのしかみることができないのですか? 敵を知り己を知ればとか先人もいってましたよ。 両目をあけて たまには世の中をみるものです。 目がだめなら 鼻も耳もあるじゃないですか!ふたつづつも! ごくろうさんでした。 お元気で! ちっとも 迷走なんかしてないじゃないですか。 >私は 死刑は極刑であるはずがない。 >しかも死刑は法ではない。 救済の術がないものは法ではないから。 >残虐・非道や基本的人権にまでおよぶ憲法違反である。 >執行された人間だけが助かり・他の人達はみんななお 苦しむんですからね。 >人類が営々と積み重ねてきた 叡智にたいする冒涜以外のなにものでもない。 >死刑制度があるから殺人がおきるのか?と疑いをもち > 当初は時限立法で(5年間とか)試行してきた国がいまや永久に廃止している > 国さえ数多くあります。 >なされてきてなおその効果がない時 人間という動物は >なされてきたことに先ず疑いをもつべきではないですか? >ちがった方法で やってみようという勇気は 人というものには >信頼というものがあると 信ずることかもしれませんね。 >その場に及んで お前の愛するものがそういう状態になったとき、 > どうする? といわれても 信ずるものがある。と答えたい。 > > >>▼k.satouさん: >> >>ジョン・ロビンソン事件について、どうもありがとう >>ございました。 >> >>死刑については、また書いちゃいますけれど、難しい >>問題だと思います。 >> >>ご紹介くださったのは、遺族感情としても一律ではなく >>複雑であることを示す一例ですよね。 >> >>犯人は憎いけれど、死刑執行によって生まれる犯人の家族の >>悲しみもまた、自分達と同じ悲しみではないだろうかという >>感情は、現代でもありますね。 >> >>日本でも、身内を殺された犯人に対して減刑を嘆願した >>遺族のケースを昔、テレビで見ました。 >> >>ただ、このロビンソン事件の遺族が、もし娘だけではなく >>自分の夫も殺されていたら? 自分も危害を加えられて >>一生後遺症に苛まれるとしたら?どうなんだろうなぁとも >>思うのです。果たして同じことを言えるのかと。 >> >>死刑廃止するということは、ぶっちゃけて何人殺そうが、 >>ラッシュアワーの地下鉄にサリンをまいて1万人死のうが、 >>死刑にはならないってことですよね。 >> >>1万人の遺族が、ご紹介してくださった遺族と同じ >>感情を持てるのか、何よりもそれで安心して暮らせる >>社会を続けていけるのか、わたしにはわからないのです。 >>否定的な見方しかできません。。。 >> >>米国のように「禁固240年」なんかとは違って、日本は >>無期懲役と言ってもせいぜい17〜18年で普通は出て >>きちゃいます。 >> >>この「無期懲役」制度を廃止して、文字通りの「終身刑」 >>が施行されるのなら、死刑廃止も考えてみる気になるかもと >>思っています。ってたぶん議論されていることなのでしょう >>けれど;;。 >> >>でも、もしこの終身刑が施行されたとしても、現在 >>死刑廃止を唱えている方々は、今度は「国家による >>人権蹂躙だ」というふうにならないのかしら…。 >>蹂躙されるだけのことをしておきながら、逆に >>ヒーローになっちゃうなんてことは…? >> >>そうなると、なんていうか、やったもん勝ちになって >>しまって、善悪の判断基軸が揺れてしまうような気も >>します。 >>「かけがえのない命」なんて嘘っぱち、っていう…。 >>迷走レス、失礼しました。 |
k.satouさん、こんにちは。レスありがとうございます。 ▼k.satouさん: > なあんだ!あなたは公安調査庁の宣伝隊!だったのか! > 一連の中核らのを読みました。 あの、勘違いをされているかと思います。 わたしが公安調査庁のことを書いたのは、とうろうさんの質問に 回答するためです。 市民団体と過激派の関係は、いくらでもうがった目で 見ることも可能なので、できるだけオーソリティのある 根拠を出すべきだと思い、おおやけの機関である 公安調査庁のページのことを書きました。 逆に、市民団体を敵視している右派系知識人のコメントなどを 書いてもなんら説得力を持たないことくらいは、ぼんくらな わたしにだって想像できます;。 > どうしてそちら側からのしかみることができないのですか? どうして、「そちら側」「こちら側」と二元論で語られる のでしょうか。 そういえば、たけチャンさんも「コップ酒さんは警察情報に 詳しいですね。」とおっしゃっていました。パソコンを持っていて、 その気さえありゃ誰にでもアクセスできるネット情報なのになぁ。 あれでしょうか、 国家VS反国家or市民、という図式が常に頭にあるのでしょうか。 国家がすることは常に悪くて、市民のすることは常に善である、 っていう図式が。 こういう感覚も、二元論で語ることの意味も、わたしには さっぱりわかりません。 > ちっとも 迷走なんかしてないじゃないですか。 まったくテーマの違うスレでのレスから、 コップ酒=「そちら側」とキメツケて、死刑廃止のこのスレで 「迷走なんかしてないじゃないですか」とおっしゃる。 今さっきはわからなかったことがわかったような気がします。 「そっち側」=国家権力側=死刑制度残存側 VS 「こっち側」=反国家or市民側=死刑制度廃止側 だと。こういう図式なのでしょうか。 こう考える以外にk.satouさんのレスが解釈できない のですけれど。 だとしたら、あまりにもシンプルでナイーブなのでは ないのでしょうか。 国だって悪いことばっかりしてるんじゃありません。 官僚だって公務員だってそうです。 それに、右派的意見を持っていたって、死刑制度廃止に 賛成の人なんざたくさんいますし、結論を出しかねている 人も潜在的に多数いると思います。わたしのように。 日本をよくするっていう目的のもと、政府を監視する手段が、 いつのまにか手段=目的になってしまうと、なんら 生産的なものは産み出され得ないと申し上げます。 少なくとも二元論で語られているうちは。 失礼しました。 |
コップ酒さん、横から割り込み失礼します。 先日の件、大変失礼しました。 コップ酒さんには関係のない話で、ご迷惑をおかけいたしました。 二元論のことで、私も書いておきたいことがあるので、この場をお借りします。 政治的話題が中心になるこの掲示板では当然なのかも知れませんが、右派か左派かということがよく書かれます。 私は、そういう二元論的な考えは持っていません。まん中という位置づけもありません。 一つ一つの事柄に対して、あくまで個人の姿勢だけを考えて発言しています。 その意味で、コップ酒さんの二元論的ではないご意見、よく理解できるような気がしました。 コップ酒さんが書かれた図式に当てはまらない、国家権力側の犯罪を憎んで、死刑にしたいというケースだって、存在すると思います。 人間というのは、とても図式にはまらない複雑なものだと思います。 もちろん、k・satou さんが、そういう意味で言われたのではないことは、わかっています。ちょっと勘違いされたのではないでしょうか? 失礼しました。 |
▼コップ酒さん: ついでに 中核のほうからのを ご紹介いただけませんか? まったく公安に反対する立場のものを 御願いします。 不勉強ですみません。 人を決め付けるな!まことにおっしゃるとうりです。 わたしなんかは 毎日 右左 牛和歌丸です。 ちっとも その信念からこられたものを 揶揄したり する気はありません。 >k.satouさん、こんにちは。レスありがとうございます。 > >▼k.satouさん: >> なあんだ!あなたは公安調査庁の宣伝隊!だったのか! >> 一連の中核らのを読みました。 > >あの、勘違いをされているかと思います。 > >わたしが公安調査庁のことを書いたのは、とうろうさんの質問に >回答するためです。 > >市民団体と過激派の関係は、いくらでもうがった目で >見ることも可能なので、できるだけオーソリティのある >根拠を出すべきだと思い、おおやけの機関である >公安調査庁のページのことを書きました。 > >逆に、市民団体を敵視している右派系知識人のコメントなどを >書いてもなんら説得力を持たないことくらいは、ぼんくらな >わたしにだって想像できます;。 > >> どうしてそちら側からのしかみることができないのですか? > >どうして、「そちら側」「こちら側」と二元論で語られる >のでしょうか。 > >そういえば、たけチャンさんも「コップ酒さんは警察情報に >詳しいですね。」とおっしゃっていました。パソコンを持っていて、 >その気さえありゃ誰にでもアクセスできるネット情報なのになぁ。 > > >あれでしょうか、 >国家VS反国家or市民、という図式が常に頭にあるのでしょうか。 >国家がすることは常に悪くて、市民のすることは常に善である、 >っていう図式が。 > >こういう感覚も、二元論で語ることの意味も、わたしには >さっぱりわかりません。 > >> ちっとも 迷走なんかしてないじゃないですか。 > >まったくテーマの違うスレでのレスから、 >コップ酒=「そちら側」とキメツケて、死刑廃止のこのスレで >「迷走なんかしてないじゃないですか」とおっしゃる。 > >今さっきはわからなかったことがわかったような気がします。 > >「そっち側」=国家権力側=死刑制度残存側 > VS >「こっち側」=反国家or市民側=死刑制度廃止側 > >だと。こういう図式なのでしょうか。 >こう考える以外にk.satouさんのレスが解釈できない >のですけれど。 > >だとしたら、あまりにもシンプルでナイーブなのでは >ないのでしょうか。 > >国だって悪いことばっかりしてるんじゃありません。 >官僚だって公務員だってそうです。 > >それに、右派的意見を持っていたって、死刑制度廃止に >賛成の人なんざたくさんいますし、結論を出しかねている >人も潜在的に多数いると思います。わたしのように。 > >日本をよくするっていう目的のもと、政府を監視する手段が、 >いつのまにか手段=目的になってしまうと、なんら >生産的なものは産み出され得ないと申し上げます。 > >少なくとも二元論で語られているうちは。 >失礼しました。 |
コップ酒さん:この問いかけは良くないのかもね。 私のほうを出さずにいうのは 大変失礼ですものね。 もし 所論を展開されるときは 野村旗守・稲垣武・小林一博・青木英一・三浦小太郎・伊藤博一 田村建雄・溝口敦・菊池圭介・日名子曉・荒木和博・黒坂真・佐藤勝巳 らの意見じゃないので 御願いしますね。 これらの人のは読んでますからね。 粋な別れをしましょう! では。 > ついでに 中核のほうからのを ご紹介いただけませんか? > まったく公安に反対する立場のものを 御願いします。 > 不勉強ですみません。 > 人を決め付けるな!まことにおっしゃるとうりです。 > わたしなんかは 毎日 右左 牛和歌丸です。 > ちっとも その信念からこられたものを 揶揄したり > する気はありません。 > > >>k.satouさん、こんにちは。レスありがとうございます。 >> >>▼k.satouさん: >>> なあんだ!あなたは公安調査庁の宣伝隊!だったのか! >>> 一連の中核らのを読みました。 >> >>あの、勘違いをされているかと思います。 >> >>わたしが公安調査庁のことを書いたのは、とうろうさんの質問に >>回答するためです。 >> >>市民団体と過激派の関係は、いくらでもうがった目で >>見ることも可能なので、できるだけオーソリティのある >>根拠を出すべきだと思い、おおやけの機関である >>公安調査庁のページのことを書きました。 >> >>逆に、市民団体を敵視している右派系知識人のコメントなどを >>書いてもなんら説得力を持たないことくらいは、ぼんくらな >>わたしにだって想像できます;。 >> >>> どうしてそちら側からのしかみることができないのですか? >> >>どうして、「そちら側」「こちら側」と二元論で語られる >>のでしょうか。 >> >>そういえば、たけチャンさんも「コップ酒さんは警察情報に >>詳しいですね。」とおっしゃっていました。パソコンを持っていて、 >>その気さえありゃ誰にでもアクセスできるネット情報なのになぁ。 >> >> >>あれでしょうか、 >>国家VS反国家or市民、という図式が常に頭にあるのでしょうか。 >>国家がすることは常に悪くて、市民のすることは常に善である、 >>っていう図式が。 >> >>こういう感覚も、二元論で語ることの意味も、わたしには >>さっぱりわかりません。 >> >>> ちっとも 迷走なんかしてないじゃないですか。 >> >>まったくテーマの違うスレでのレスから、 >>コップ酒=「そちら側」とキメツケて、死刑廃止のこのスレで >>「迷走なんかしてないじゃないですか」とおっしゃる。 >> >>今さっきはわからなかったことがわかったような気がします。 >> >>「そっち側」=国家権力側=死刑制度残存側 >> VS >>「こっち側」=反国家or市民側=死刑制度廃止側 >> >>だと。こういう図式なのでしょうか。 >>こう考える以外にk.satouさんのレスが解釈できない >>のですけれど。 >> >>だとしたら、あまりにもシンプルでナイーブなのでは >>ないのでしょうか。 >> >>国だって悪いことばっかりしてるんじゃありません。 >>官僚だって公務員だってそうです。 >> >>それに、右派的意見を持っていたって、死刑制度廃止に >>賛成の人なんざたくさんいますし、結論を出しかねている >>人も潜在的に多数いると思います。わたしのように。 >> >>日本をよくするっていう目的のもと、政府を監視する手段が、 >>いつのまにか手段=目的になってしまうと、なんら >>生産的なものは産み出され得ないと申し上げます。 >> >>少なくとも二元論で語られているうちは。 >>失礼しました。 |
▼BadBlokeさん: >▼ワン太郎さん: >> >>公権力による処罰の意味が <犯罪抑止> だけ だと おっしゃるのですか? >> >><悪行に対する 「公」による報復> の意味は無い ・・・ と? >> >すでに述べたつもりですが、個人が刑罰に報復の意味を求めることにまで、干渉することはできません。他人の心の問題ですから。しかし、法的に、社会的に、刑罰には報復の意味があると規定するのは、まちがっている。あるいは、そう規定するべきではない。そう考えています。 > >>被害者や 家族・友人の <「悔しい思い」 への対処> の意味は無い、とでも? >> > >被害者の遺族にもいろいろあるでしょう。やられたら十倍にして仕返ししなくちゃ気が収まらない人がいたり、暴力を受けても暴力では仕返しをしない人もいるでしょう。でも、ほんとうに被害者は、犯人の死刑によって心の平和を得られるのでしょうか。犯人が死刑になるまでは、ゆるせないのでしょうか。いや、死刑になっても、犯人をゆるすことはできないのでしょうか。 違う、ちがう! 公権力によって 処罰することで 被害者家族の 「悔しい思い」 が 「断ち切れる」 のです。 被害者家族が それ以上 気持ちを 引き摺る ことができなくなるのです。 犯人を 「許す」 とか、「仕返し」 を考えるのは 良くないこと だとかを云うのは「欺瞞」 にすぎません。 >被害者の無念な気持ちを軽んじているのではないのです。むしろ、そういう無念な思いをしなければならない人のいる人間社会の不条理を少しでも改善したい。その道として死刑廃止論があるのです。 「人の感情」 というのは、 殺された 家族は 「苦しまずに 死んだ」 と思いたいし、 犯人は 「苦しんで 処刑された」 と考えたいのです。 「善悪の話し」 なんかではありません。 そういったところに シッカリと目を据えて 考える必要があるのだ と考えています。 ( ・ ・ ・ と云いながら、どうすれば 良いかの 結論は 出ていません) |
▼ワン太郎さん: あなたは結局どっちの側に立つのですか? 死刑廃止論なのか。それとも死刑存置論なのか? 以前は、死刑廃止論に立つ発言をしていましたね? ぼくの記憶ちがいでしょうか? こういう問題は憲法九条の問題とも、どこかでリンクする問題ですが、現実を諦めて暴力を行使する方向へ進むのか。それとも、人間の進歩に希望をいだいて、世の中を少しずつでも改善し、未来の人間にとって良き文化を伝えていこうとするのか。そういう問題です。 日本人は、たとえば、人にかみつく犬がいるから公園に犬を入れるなとか、公園で犬を放すなとか、何かというと、規則でおしまいにしてしまう傾向があります。そういう規則でやると、犬の教育の可能性が失われて、いよいよ危険な犬が増えていくということを考えない。 現状ではいろいろな問題があったとしても、長い目で見て社会をよりよい方向へ持って行こうという意欲が足りないのが、日本人の特徴だと思います。犬なんてそうやたらに人にかみつくもんじゃない。人にかみつかない犬のほうが多い。それなのに、犬の社会性の育つ社会を用意していないと、危険な犬がどんどん増えていく。それが文化になると、もう手遅れ。そういうことが日本人は得意なようです。 そのような日本人の特質を思うと、死刑廃止論がこの国では一向に無関心のままであることの理由も理解できます。しかし、それで本当にいいのでしょうか? >▼BadBlokeさん: >>▼ワン太郎さん: >>> >>>公権力による処罰の意味が <犯罪抑止> だけ だと おっしゃるのですか? >>> >>><悪行に対する 「公」による報復> の意味は無い ・・・ と? >>> >>すでに述べたつもりですが、個人が刑罰に報復の意味を求めることにまで、干渉することはできません。他人の心の問題ですから。しかし、法的に、社会的に、刑罰には報復の意味があると規定するのは、まちがっている。あるいは、そう規定するべきではない。そう考えています。 >> >>>被害者や 家族・友人の <「悔しい思い」 への対処> の意味は無い、とでも? >>> >> >>被害者の遺族にもいろいろあるでしょう。やられたら十倍にして仕返ししなくちゃ気が収まらない人がいたり、暴力を受けても暴力では仕返しをしない人もいるでしょう。でも、ほんとうに被害者は、犯人の死刑によって心の平和を得られるのでしょうか。犯人が死刑になるまでは、ゆるせないのでしょうか。いや、死刑になっても、犯人をゆるすことはできないのでしょうか。 > >違う、ちがう! > >公権力によって 処罰することで 被害者家族の 「悔しい思い」 が 「断ち切れる」 のです。 >被害者家族が それ以上 気持ちを 引き摺る ことができなくなるのです。 > >犯人を 「許す」 とか、「仕返し」 を考えるのは 良くないこと だとかを云うのは「欺瞞」 にすぎません。 > > >>被害者の無念な気持ちを軽んじているのではないのです。むしろ、そういう無念な思いをしなければならない人のいる人間社会の不条理を少しでも改善したい。その道として死刑廃止論があるのです。 > >「人の感情」 というのは、 >殺された 家族は 「苦しまずに 死んだ」 と思いたいし、 >犯人は 「苦しんで 処刑された」 と考えたいのです。 > >「善悪の話し」 なんかではありません。 > >そういったところに シッカリと目を据えて 考える必要があるのだ と考えています。 >( ・ ・ ・ と云いながら、どうすれば 良いかの 結論は 出ていません) |
▼BadBlokeさん: >▼ワン太郎さん: > >あなたは結局どっちの側に立つのですか? 死刑廃止論なのか。それとも死刑存置論なのか? >以前は、死刑廃止論に立つ発言をしていましたね? ぼくの記憶ちがいでしょうか? 死刑についての 「質問」 をする人は 「死刑存置論者」 と決めつける のですか? チャンと答えているではアリマセンカ。 <結論は 出ていません> と。 対立軸の どちらかに立たなければ ダメですか? >こういう問題は憲法九条の問題とも、どこかでリンクする問題ですが、現実を諦めて暴力を行使する方向へ進むのか。それとも、人間の進歩に希望をいだいて、世の中を少しずつでも改善し、未来の人間にとって良き文化を伝えていこうとするのか。そういう問題です。 > >日本人は、たとえば、人にかみつく犬がいるから公園に犬を入れるなとか、公園で犬を放すなとか、何かというと、規則でおしまいにしてしまう傾向があります。そういう規則でやると、犬の教育の可能性が失われて、いよいよ危険な犬が増えていくということを考えない。 > >現状ではいろいろな問題があったとしても、長い目で見て社会をよりよい方向へ持って行こうという意欲が足りないのが、日本人の特徴だと思います。犬なんてそうやたらに人にかみつくもんじゃない。人にかみつかない犬のほうが多い。それなのに、犬の社会性の育つ社会を用意していないと、危険な犬がどんどん増えていく。それが文化になると、もう手遅れ。そういうことが日本人は得意なようです。 > >そのような日本人の特質を思うと、死刑廃止論がこの国では一向に無関心のままであることの理由も理解できます。しかし、それで本当にいいのでしょうか? 論旨の 方向が ズレてきては いませんか? |
▼ワン太郎さん: > >死刑についての 「質問」 をする人は 「死刑存置論者」 と決めつける のですか? > >チャンと答えているではアリマセンカ。 ><結論は 出ていません> と。 > >対立軸の どちらかに立たなければ ダメですか? > それなら、かつてもそのような姿勢を明確にしてほしかった。あなたは死刑廃止論を支持するような発言を過去にしていました。これも日本人と議論していて、よく経験することです。議論を深めていくと、どっちの側に立つのかわからなくなることが。じゃ、とにかく今回のことでハッキリしたようです。 >論旨の 方向が ズレてきては いませんか? ぼくとしては、論旨の方向がずれるのを修正しようとしたつもりです。かつてここでぼくが死刑廃止論を主張したときに、ひとりの反論者が、こう言いました。「自分は死刑があるから人殺しをしない」と。それを聞いてぼくは驚いたけれども、世の中にはいろんな人間がいることくらいなら、リアルでもいやというほど経験しています。そういう人間がいても不思議ではない。 しかし、問題は、どうしてその種の人間が育つのかです。生まれた赤ん坊の頃からそうなのだろうか? ぼくは大杉栄の自伝を読んでショックを受けたことがあります。彼は子どもの頃、犬や猫を平気で殺していたという。ぼくのばあいは、子どもの頃、犬や猫どころか、アリさえも踏んじゃかわいそうに思っていました。これは明らかに感情移入のし過ぎだったかもしれない。しかし、ぼくは家族のように一緒に暮らしていた犬という動物から、動物にも人間と同じような感情があり意志があることを知っていました。そういう家族のような動物が死ぬことによって、その悲しみの中からぼくはいのちの尊さを知った。人間だけじゃなく、動物も殺してはいけない。そう思うようになったようです。 大杉栄の自伝にもどると、彼の子ども時代は、どうも不幸な環境だったようです。母親が子どもに何かというと暴力を振るう人だったらしい。子どもの頃の大杉栄の凶暴性は、きっとそういう環境から来ていたのだと思います。ただ、あの人は17歳の頃にキリスト教の信仰を持ち、非戦論にも共鳴するような精神もありました。彼はそれより以前に、ある経験を通して、もう犬や猫を殺さないと決意しているのです。 専門家の研究によれば、凶悪犯罪を犯す人の多くが、子どもの頃に小動物を虐待しています。それは環境の影響が何よりも大きいと思います。家庭環境や社会環境は、何によって決まるだろうか。個別にいうならいろいろな原因があるでしょう。しかし、人間のいのちを尊ぶこと、基本的人権をだいじにすること。そういう教育に効果がないはずはない。ぼくはそういう気持ちで発言したのです。 何をやっても、話が通じない人間はいます。しかし、一方では、話が通じる人もいる。その割合は、個人の理想追求の努力の過程で、きっと良い方向へ向かうにちがいない。死刑があるから人を殺さないという人がだんだんに減ってゆき、いのちを尊ぶ人が増えてゆくでしょう。そしていつかは、今よりは殺人の起こらない社会になるでしょう。被害者のやりきれない悲しみと怒りを思うからこそ、そのような社会をめざしたいと思うのです。死刑では、彼らの悲しみは解決しないからです。 |
▼BadBlokeさん: >▼ワン太郎さん: >> >>死刑についての 「質問」 をする人は 「死刑存置論者」 と決めつける のですか? >> >>チャンと答えているではアリマセンカ。 >><結論は 出ていません> と。 >> >>対立軸の どちらかに立たなければ ダメですか? >> >それなら、かつてもそのような姿勢を明確にしてほしかった。あなたは死刑廃止論を支持するような発言を過去にしていました。 申し訳ないのですが、どの様な発言であったのか 記憶していません。 教えていただけますか? >これも日本人と議論していて、よく経験することです。議論を深めていくと、どっちの側に立つのかわからなくなることが。 今回は、<議論を深めていくと> ではないですね。 「議論の最初に質問」 させてもらっているのですから。 >じゃ、とにかく今回のことでハッキリしたようです。 私の 心の内のこと を よそ様に 決め付けていただく必要はありません。 私は 「結論は 出ていない」 と 云っています。 決めつけをする位なら、私の疑問に対して 端的に答えていただいた方が 嬉しいのですが。 >>論旨の 方向が ズレてきては いませんか? > >ぼくとしては、論旨の方向がずれるのを修正しようとしたつもりです。 「自論への誘導方向に」 ズレたと 感じただけです。 >かつてここでぼくが死刑廃止論を主張したときに、ひとりの反論者が、こう言いました。「自分は死刑があるから人殺しをしない」と。それを聞いてぼくは驚いたけれども、世の中にはいろんな人間がいることくらいなら、リアルでもいやというほど経験しています。そういう人間がいても不思議ではない。 > >しかし、問題は、どうしてその種の人間が育つのかです。生まれた赤ん坊の頃からそうなのだろうか? 「その種」 の人間について 議論しようとしていなかったはずでしょ? 私は、自分の子供を無惨に殺された人が、犯人に対して どうしたら 「復讐の感情」 を抑えきれるだろうか、 というようなテーマを 期待しているのですが。 |
死刑はあまりと感じますが、イラクで香田君の首を切って殺した犯人には死刑になって欲しいと思ってしまう。 あれは酷すぎる。 そして、この頃は酷すぎると思う殺しが多すぎる。 |
▼ワン太郎さん: こんにちは。 死刑廃止論に傾いていますが,結論は出ていません。 なぜ傾いているかというと,冤罪の可能性があるからです。 ただ,日本には終身刑がありませんし,終身刑制度を取り入れると, 刑務所が肥大化してくるという点が問題ですが。 |
k・satou さん 私は、死刑廃止論について、この老人党掲示板で意見交換する気持ちにはなれません。個人的にも、社会的にも、意味を感じないからです。それどころか、大きな害を感じます。 一般の人たちと語る意味があるのは、死刑廃止を考える心についてであり、刑法についての知識ではありません。 知識ならば、法律の専門家とお話をしますので、ここでそのような投稿を読む必要はありません。 ここで死刑廃止論の心について語っている人の、知識のなさを馬鹿にする人の投稿を読むほど馬鹿なことはありません。 失礼しました。 |
▼レモンさん: 意味を感じることのないものは 当然意見交換などされることは ありませんね。 貴方の設問に大きな意義を感じて応じただけです。 自分の身に関係ないことだから気楽に言うんだ!と言われても。また 語る資格があるのか?といわれても 絶句する。 じゃ資格のあるのって誰かな? 狐狸のたぐいじゃなく 人間が語るべきではないかね。 >k・satou さん > >私は、死刑廃止論について、この老人党掲示板で意見交換する気持ちにはなれません。個人的にも、社会的にも、意味を感じないからです。それどころか、大きな害を感じます。 >一般の人たちと語る意味があるのは、死刑廃止を考える心についてであり、刑法についての知識ではありません。 >知識ならば、法律の専門家とお話をしますので、ここでそのような投稿を読む必要はありません。 >ここで死刑廃止論の心について語っている人の、知識のなさを馬鹿にする人の投稿を読むほど馬鹿なことはありません。 > >失礼しました。 |
▼k.satouさん: >▼レモンさん: > 意味を感じることのないものは 当然意見交換などされることは > ありませんね。 > 貴方の設問に大きな意義を感じて応じただけです。 > > 自分の身に関係ないことだから気楽に言うんだ!と言われても。また > 語る資格があるのか?といわれても 絶句する。 > じゃ資格のあるのって誰かな? > 狐狸のたぐいじゃなく 人間が語るべきではないかね。 > 狐狸がやってきて話すのを聞くのは、毒になります。 ここには、その人間というのが少ないような気がします。 資格というのは、心のことでしょう。 とくかく私には、こういう意見交換は、 見せたくない人がたくさんいますので。 人間というのは、そう強くはありません。 失礼しました。 |
▼レモンさん: このスレッドでのレモンさんからの問いかけにまだ答えていなかったので、この場所に侵入するのも、それほど割り込み失礼にはならないでしょう。 リアルの世界で社会的な活動をするときに何が起こるか。いつもはいい人だと思っていた人が、実は、社会的なテーマでは、理想実現を妨害する側に立つということ。 こんにちは、いいお天気ですね。これ実はとっても英国的な挨拶。でも同時に、英国社会には、政治的・社会的な言論や活動が、庶民の生活の中で日常的に見られるようです。さて、日本はどうでしょうか? こんにちは、いいお天気ですね。と、にこやかに挨拶する近所の人々が、いざとなると、平和を破壊する側に立っていたりする。でも、見かけは相変わらずにおとなしい。彼ら流の平和を保持している。そのこころの中を見せないのです。 それが日本のリアルな世界。問題が山積みなのに、多くの人は無関心。それどころか、社会を改革しようとする人の邪魔までします。こそこそっと。たとえば、犬のことでも警察に通報したりする。犬は何も悪いことをしていないのに。 残念ながら、日本社会には市民の力で社会を良くしていこうという伝統がありません。改革というと、過激派の学生運動などを思い浮かべて、眉をひそめる人も多いらしい。そういうリアルの世界が、ヴァーチャルにも反映しているようです。リアルの世界では、こそこそっと邪魔をする連中が、ヴァーチャルになると、バカでかい声で偉そうに邪魔をします。 そういう連中が出現すると、ぼくなんかは黙ってはいない。それはリアルでも同じです。リアルの世界で、ぼくから反論された人々はどういうことをするか。またかげに隠れて、こそこそっと邪魔をし始める。近所の人々にぼくの悪口を広めながら。こういうことがヴァーチャルでも起こる。たとえば、愛犬家グループで、ぼくはリアルの世界の現実をよりリアルに体験しました。 そういう醜い現実。それを、じゃ、どうすればいいのでしょう? あきらめて、自分の世界に閉じこもる? ぼくには趣味がイッパイ。楽しいことがイッパイ。それほど多くはないけど、いい友だちにも恵まれている。もちろん、犬がいる。それだけで、ぼくの人生は幸せのはずなんです。 でも、ぼくはヴァーチャルの世界に希望をもちたい。リアルの現実の醜さが、いやというほどに繰り返されたとしても。 >▼k.satouさん: >>▼レモンさん: >> 意味を感じることのないものは 当然意見交換などされることは >> ありませんね。 >> 貴方の設問に大きな意義を感じて応じただけです。 >> >> 自分の身に関係ないことだから気楽に言うんだ!と言われても。また >> 語る資格があるのか?といわれても 絶句する。 >> じゃ資格のあるのって誰かな? >> 狐狸のたぐいじゃなく 人間が語るべきではないかね。 >> >狐狸がやってきて話すのを聞くのは、毒になります。 >ここには、その人間というのが少ないような気がします。 >資格というのは、心のことでしょう。 > >とくかく私には、こういう意見交換は、 >見せたくない人がたくさんいますので。 >人間というのは、そう強くはありません。 >失礼しました。 |