Page 1594 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼教育現場における「平等」と自主性」 その 0 天橋立の愚痴人間 06/2/25(土) 23:58 ┣別スレッドから転載します 管理スタッフ 06/2/26(日) 10:00 ┃ ┣Re(1):別スレッドから転載します 管理スタッフ 06/2/26(日) 10:01 ┃ ┃ ┗モーツァルトの話とか レモン 06/2/26(日) 21:58 ┃ ┃ ┗Re(1):モーツァルトの話とか --- じゃないけれども BadBloke 06/2/26(日) 22:27 ┃ ┃ ┗自分の意見と他人の意見 レモン 06/2/27(月) 14:38 ┃ ┃ ┣Re(1):自分の意見と他人の意見 BadBloke 06/2/27(月) 16:21 ┃ ┃ ┃ ┣戦争と平和 レモン 06/2/27(月) 23:29 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):戦争と平和 BadBloke 06/2/28(火) 0:12 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(2):戦争と平和 レモン 06/2/28(火) 1:31 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(3):戦争と平和/平和主義者じゃない? とうろう 06/2/28(火) 1:42 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(4):戦争と平和/平和主義者じゃない? レモン 06/2/28(火) 13:33 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(5):戦争と平和/平和主義者じゃない?(その1) とうろう 06/3/3(金) 21:59 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(6):戦争と平和/平和主義者じゃない?(その1) レモン 06/3/4(土) 12:09 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(7):戦争と平和/平和主義者じゃない?(その1) とうろう 06/3/9(木) 1:32 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(5):戦争と平和/平和主義者じゃない?(その2) とうろう 06/3/3(金) 22:04 ┃ ┃ ┃ ┗根拠の話 レモン 06/2/28(火) 14:18 ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):根拠の話 k.satou 06/2/28(火) 14:41 ┃ ┃ ┃ ┣Re(2):根拠の話 レモン 06/2/28(火) 14:51 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(3):根拠の話 k.satou 06/2/28(火) 20:33 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(4):根拠の話 たけチャン 06/3/1(水) 22:35 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣コンキョ じゃなくて コント レモン 06/3/2(木) 9:46 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣相変わらずですね。 退役軍人 06/3/2(木) 10:51 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗[管理人削除] ┃ ┃ ┃ ┃ ┗移動しました 管理スタッフ 06/3/4(土) 22:08 ┃ ┃ ┃ ┗根拠じゃなくて球根の話 レモン 06/2/28(火) 20:24 ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):根拠じゃなくて球根の話 k.satou 06/2/28(火) 20:57 ┃ ┃ ┗誤解の無いように。 退役軍人 06/2/28(火) 14:54 ┃ ┃ ┗Re(1):誤解の無いように。 レモン 06/2/28(火) 15:48 ┃ ┃ ┗十人十色 退役軍人 06/2/28(火) 16:26 ┃ ┃ ┗Re(1):十人十色 キタキツネ 06/2/28(火) 16:44 ┃ ┃ ┗Re(2):十人十色 退役軍人 06/2/28(火) 19:58 ┃ ┃ ┗Re(3):十人十色 愚民 06/3/2(木) 19:50 ┃ ┗Re(1):別スレッドから転載します 管理スタッフ 06/2/26(日) 10:10 ┣別スレッドから転載します 管理スタッフ 06/2/26(日) 10:02 ┣別スレッドから転載します 管理スタッフ 06/2/26(日) 10:02 ┣Re(1):教育現場における「平等」と自主性」 その 0 団塊党 06/2/26(日) 10:10 ┃ ┗Re(2):教育現場における「平等」と自主性」 その 0 天橋立の愚痴人間 06/2/26(日) 15:46 ┃ ┗Re(3):教育現場における「平等」と自主性」 その 0 弥生 06/2/26(日) 19:13 ┃ ┗Re(4):教育現場における「平等」と自主性」 その 0 天橋立の愚痴人間 06/2/28(火) 23:32 ┃ ┗Re(5):教育現場における「平等」と自主性」 その 0 弥生 06/3/1(水) 19:57 ┃ ┗Re(6):教育現場における「平等」と自主性」 その 0 天橋立の愚痴人間 06/3/1(水) 20:57 ┣教育現場の事例(一字訂正) たけチャン 06/2/26(日) 21:21 ┗Re(1):教育現場における「平等」と自主性」 その 0 HATTORI 06/3/11(土) 11:47 ┗Re(2):教育現場における「平等」と自主性」 その 0 天橋立の愚痴人間 06/3/12(日) 23:33 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 教育現場における「平等」と自主性」 その 0 ■名前 : 天橋立の愚痴人間 <sskawashima@kud.boglobe.ne.jp> ■日付 : 06/2/25(土) 23:58 -------------------------------------------------------------------------
学校における「平等」と「自主性」教育の問題点 「お話 その1」 ある田舎の町のある小学校の四年のクラスには、教育に非常に熱心な先生がおられまして、その先生は、テストのとき、生徒の全部に90点以上を取らせたいと思い、試験が近づくと、黒板に問題と解答を書き出し、何回も何回も生徒に覚えさせていました。結果は聞いておりませんが、その父兄の一人は、先生の努力を奇異なものと感じておられました。 「お話 その2」 私の子供が小学生のおり、「学級通信」なるプリントを殆ど毎日の様に持って帰ってきました。始めは、先生も大変と思いながら、少しは目も通しておりましたが、そのうち、捨てる訳にもならす、ただ集積するに任したものです。日常化した膨大な量のプリントは子供にとって本来の連絡紙の意味を感じなくなり、本当に必要な内容を含んだものも含めて親に確実に手渡す事の大切さがだんだんとわからなくなってしまいました。知り合いの小学校教諭に聞きますと、そのプリントの作成に毎日時間を取られて、また、毎日なので書く内容に神経を使うため大変らしいです。費用対効果の意味で先生方に同情するだけではすまされない問題が内在していると思います。 「お話 その3」 最近小学校での運動会では、1等・2等・3等と順位をつけない学校があるらしい。幸いに、私の子供の学校では経験しなかったが、早く走れるのにふざけて走らない子供、玉入れでは相手の籠に玉を入れる子供、またそれを観戦する父兄のしらけた表情など、想像するに耐え難い光景を現実のものとしている小学校が少なからずあるようです。 「お話 その4」 私がPTAの地区の役員をしていた中学校で、毎年夏休みに行われている、生徒による古紙回収の行事での話し。 準備の為の役員会が開かれ、教務担当の先生からは以下のように説明されました。「この行事は生徒の社会学習の一つとして、生徒が自主的に計画して行うものです、父兄の方には、回収の為の車両を提供していただき、また行事が安全に行われるように指導してやって下さい」 行事当日の事 ・・・ 行事後のPTAの役員会(反省会)の発言集 ある父兄 今年は生徒達が非常に協力的でスムースにできて、本当に助かりました。(私のところでもそうだったとの同調意見あり) 教務担当の先生 有難うございました、また来年も宜しく・・・ 私の発言 皆さん、少し待って下さい。私の地区では以下のようでした。 集合時間を厳守できていない、特に上級生に目立つ。 集合して後、上級生からは、父兄に何の挨拶もなく、また、下級生にたいして何の指示もしない。 様子を見ていると、班分けは出来ているらしく、ぞろぞろと出発する気配なので、回収道順等について車両を運転する父兄に説明をする様に注意をしたところ、明確に説明する何の資料も持っていない。回収前に、協力を依頼する文書を各家庭に配布していたようだが、そのリストも持っていない。回収作業が始まってからは、トラックの荷台に乗せろと上級生ほど要求する。 以上の内容であり、先日、先生から言われていた、生徒が自主的に行う社会学習の観点から見ると、その目的からは、かけ離れた状態であった。それでも結果として、市からの助成金を含めて50数万円の収入が見込め、それで教材及びクラブ活動の資金が手に入り、生徒が自分達の力でこれを達成したと思うことは、教育上ゆゆしき問題であり、来年からは取り止めていただきたい。資金が必要ならPTA行事として行い、生徒に協力させればよい。(皆さん、しらけてシーン ・・・ ) |
▼みなさま: Ray@スタッフです。 以下の書き込みを別スレッドから転載いたします。 ---- 【74619】教育現場における「平等」と「自主性」 ... 天橋立の愚痴人間 - 06/2/25(土) 23:53 - 引用あり パスワード 広辞苑を引きますと「平等」とは「かたよりや差別がなく、すべてのものが一様で等しいこと」その用例としては「・・・に扱う」とか「男女・・」 のように、あるものとあるものの関係において平等の概念を当てはめることが正しい使い方であり、また「平等に分ける」の場合のように、平等の概念が適用できる対象について可能な言葉であります。しかるに、我々人間の能力・環境など、それ自体が平等になりえないものに、平等の概念を適用しようとする行為は、愚劣を通り越していて、このような概念を教師が持っているとすれば、直ちに矯正すべき内容であります。我々人間は、与えられた環境・身体・能力に応じて精一杯生きてゆく事が大切なのです。年少者の教育の場での神様になるような教育は、子供達が長じて社会生活に入って行く上に、大変な弊害をきたす以外のなにものでもありません。頭の良い子はそれを生かし・身体の頑丈な子はそれを利用するもよし、成長と共に、自分に応じた生き方を身に付けさせること、自分の長所を認識させることが義務教育時点での重大な課題ではないでしょうか。民主主義の世の中で、機会とか情報とか、社会的各種差別に対して平等を主張するのは結構ですが、人間自身が平等に生きられると思い込ませかねない教育は、この世ではやって欲しくないものです。 同様に「自主性」について、広辞苑では「他人の干渉を受けないで、自分で決定して事を行うさま」とあります。子供でも、成人でも、自らを成長させるにおいて、一番大切な心がまえは、見習うことです。その昔、我々老人の時代には、親は生活に追われていて、我が子の教育などは、ただ叱り付けることでした。その中で子供達は、やってならない事、善い事を自然に習ってきました。成人に達してからも、先輩達の仕事を盗むようにして覚えていったものでした。年少のころから、少しずつ確実なものを身に付けて、それが自信になり、判断力の根拠となって、他の人からも信頼されるようになりました。自主性などは、その過程で無意識のうちに醸成されてゆく、責任感を伴った自我に基づくものでなければなりません。自我とは、これも広辞苑によりますと哲学的には「認識・感情・意志・行為の主体を外界や他人と区別して言う語」、また心理学的には「意識や行動の主体を示す概念」、精神分析の世界では「イドから発する衝動を、外界の現実や良心の統制に従わせるような働きをする」とあります。自我の発育は心理学で言っておりますように、思春期に反抗期を伴って顕著になってくるものであり、個人の心的体験等によりそれぞれに差異があるものです。発育途上の子供に対して、択一的に、他動的に、まず先に、自主性の概念を教え込む等の手法によって、正常な自我を醸成させることが出来ると思っているのでしょうか。自主性と言う言葉を自我と置き換えて考えればそんなに単純に、教えて身につけさせられることではないはずです。自我の未成熟のまま自主性の概念のみが発達した、能力も責任感もない多くの人間が社会に出た時、社会の秩序が崩壊するのは目に見えております。 ---- |
▼みなさま: Ray@スタッフです。 以下の書き込みを別スレッドから転載いたします。 ---- 【74624】Re(1):教育現場における「平等」と「自主... BadBloke - 06/2/26(日) 1:48 - 引用あり パスワード ▼天橋立の愚痴人間さん: 問題意識は、なんとなく分かるような気がするのですが、突然に現れた<老人党員(候補)>さんの発言の中にもある「行き過ぎた自由(民主主義)」に対する不安と、どこかで共鳴しているような印象を受けます。 ぼくの考えでは、自主性とか自由とか平等とか、そして民主主義もそうですが、日本人は本当にその意味を理解しているのか、とても疑問です。もし理解していないとすれば、子どもたちの現状について、自主性などを問題にできるのでしょうか。これがいつも疑問に思うことです。 こういう議論が、もしも、国民に権利を与えすぎたから義務を教えなければならない、というような発想につながるのだとしたら、やはり日本人は自由も平等も誤解している可能性があるようです。 ---- |
BadBloke さん こんばんは。お久しぶりです。 私は一度退場宣言をしたのですが、まだ言い残していたことがあるので戻って来ました。まあ、都はるみやキャンディーズと同じことです。 かっこなんてつけないで、言いたいことは言うことにしました。 「もう投稿しないと言った人はまた必ず戻って来る。」 という法則は、今のところ正しいようです。進化論などより、簡単に証明できます。 さっき掲示板を見て、自分の心が醜くなったのでモーツァルトのピアノソナタを弾いて、心を洗ったところです。 それで、BadBloke さんのことを思い出しました。どなたかが言われたように、ここでは BadBlokeさんと音楽の話でもしていればよかったようです。まあ、それもうっとうしいという平和主義者もいるようですけどね。 ところで、【平和を語る人々】を読みました。レスがつけられないので、ここに書かせていただきます。 そこでBadBloke さんが、いわゆるエリートコースの人間が目指しているのは成功であって幸福だとは思えない、と書かれていました。 それは、まわりのいわゆる社会的に成功しているような人たちを見て、私も感じて来たことでした。(例えば、香典が100万円なんていう世界の人たちとかを見て来ました。) でもそれは、エリートコースの人間だけでしょうか?そんな意味のことをBadBlokeさんも、どこかに書かれていませんでしたか? 世間では、お金持ちだけが自分の成功しか考えていないように思われることが多いようですが、現在、自分が経済的に貧しいと考えている人たちの中にだって、チャンスさえあれば自分だって成功したいと考えている人は多いのではないでしょうか? つまり人間の心が豊かなのか貧しいのかは、現実の地位や名誉や経済力とは関係ないことではないかと思うのです。 自分が権力側にいないときと同じような姿勢を、権力側に立ったときにも貫ける人間というのは、現実にはどのくらいいるのかと私も考えています。 |
▼レモンさん: > >ところで、【平和を語る人々】を読みました。レスがつけられないので、ここに書かせていただきます。 >そこでBadBloke さんが、いわゆるエリートコースの人間が目指しているのは成功であって幸福だとは思えない、と書かれていました。 >それは、まわりのいわゆる社会的に成功しているような人たちを見て、私も感じて来たことでした。(例えば、香典が100万円なんていう世界の人たちとかを見て来ました。) > >でもそれは、エリートコースの人間だけでしょうか?そんな意味のことをBadBlokeさんも、どこかに書かれていませんでしたか? 名古屋博が始まったとき、弁当の持ち込み禁止が話題になりましたね。理由が食中毒予防だとか、また例によって不可解なことを言ってるなと、ぼくは思いました。すると、ミスター小泉がしゃしゃり出てきた。そのひと声で、事態は急変。弁当持ち込みオーケーになったのでしたね。 人民は弱し。総理は強し。ああ、情けない。それがひとつ、ぼくの感想でした。でも、それだけじゃなかった。弁当の持ち込みをして何が悪いと文句を言った人たちの中に、じゃ、逆の立場になったら、どれだけの人が、そういう文句に対して真摯に耳を傾けるだろうか。そんなことを、ぼくは考えていたようです。 博覧会の中で自分がレストランを開いていたとしましょうか。弁当なんか持ち込まれちゃ、売れゆきに響くでしょう。それでも、他人の自由を尊重できますか? こんな疑問が、ぼくにはあったのです。 > >自分が権力側にいないときと同じような姿勢を、権力側に立ったときにも貫ける人間というのは、現実にはどのくらいいるのかと私も考えています。 名古屋だけが栄えればいい。新潟だけが栄えればいい。こういう発想じゃ、民主主義は育たないし、日本国全体が住み良い国になるとも思えないのです。これって、ぼくのコモン・センスでは当然のことに思うのですが、日本人の常識では、ちがうのでしょうか? 幸福とは何かを考えて生きていれば、きっと、他人の幸福のことも考えられるようになるのだと思います。幸福じゃなくて、成功ばかりを目指す人が多いから、他人を不幸にしてでも、自分だけは成功しようとする人間が増えるのじゃないでしょうか。 |
BadBloke さん こんにちは。 お返事ありがとうございました。 名古屋博のお弁当の話になるとは、興味深く読ませていただきました。 失礼ながら、また犬と英国のお話になるのではないかと思っていたものですから。 これは想像ですが、多分BadBloke さんは、博覧会に興味を持って実際に出かけたりはしない方なのではないかと思います。 犬と散歩をしている方が、よほど楽しいのではないでしょうか? 勝手な決めつけ、失礼。 それでも名古屋博を例にして、いろいろな立場の人の気持ちを想像して考えているところが、とても幅広い視点だと思いました。 一つのことをめぐっても、様々な立場の人がいて、様々な意見が出てきます。 こんなこと一つでも、劇にしてみたら、いろいろな人の心理が描けることと思います。 日本人は自分の意見を主張することができないと言われていましたが、最近はだんだんとはっきりと意見を言える世の中に変化してきているように思います。 それはよいのですが、一方で他人の意見を聞くということが、まだまだ足りないような気がします。 他人とは意見が違うことが多いのは当たり前なのですが、それはそれで違う意見を認めるということが難しいようです。 何か、日本人は皆で同じ意見で一つにまとまりたい、同じ意見の人間が仲間だ、という傾向の強さを感じます。これって、BadBloke さんが今までこの掲示板に書いていらしたことでしたっけ? それにしても、BadBloke さんは退役軍人さんと、よく衝突されていますね。 BadBloke さんは退役軍人さんとは議論する意志はないようですけれど、退役軍人さんは、BadBloke さんの根拠なき主観に傾く投稿が、とても気になられるようですね。 退役軍人さんの指摘なさるように、BadBlokeさんの意見には、確かに根拠のないことがあるように思います。 でも私は自分が証明や根拠のある発言をする人間ではないし、意見なんで主観を述べているに過ぎないと考えているので、あまり気になりません。 まあ言うとしたら、「BadBloke さん、私はあなたとは考えが違います。」と言うだけです。 私は英国時間での挨拶は苦手なので、その点は退役軍人さんの方がBadBloke さんと波長が合うのではないでしょうか? それでは失礼しました。 |
▼レモンさん: <根拠>の話。ちょっとしましょうか? たとえば、こないだの老人党戦争で、だれかがぼくに、「つくる会の教科書を読んだことあるのか?」と質問してきました。ぼくは答えなかった。 つくる会の教科書なんか読んだ時間を返せ、とぼくは言いたい。なぜ、あんなものを読まねばならなかったか。この国には、相変わらず、右翼学者、御用学者たちが、教育の中枢にも生き残っていて、そればかりか、新しい受精卵からも育ち始めているらしいからです。 レモンさんと音楽の話をするとすれば、そんなに根拠を示さなくても、話は通じるでしょ。ぼくには今まで生きて来た経験と、その中で学んだ歴史の事実から、日本の近代史に対して生々しい感覚があります。音楽で言えば、ぼくにとってモーツァルトは過去の人ではない。今も生きていて、ぼくの親友のように感じる。 日本の近代史は哀しい。モーツァルトの透明な哀しさとはちがいます。 >BadBloke さん > >こんにちは。 >お返事ありがとうございました。 >名古屋博のお弁当の話になるとは、興味深く読ませていただきました。 >失礼ながら、また犬と英国のお話になるのではないかと思っていたものですから。 > >これは想像ですが、多分BadBloke さんは、博覧会に興味を持って実際に出かけたりはしない方なのではないかと思います。 >犬と散歩をしている方が、よほど楽しいのではないでしょうか? >勝手な決めつけ、失礼。 > >それでも名古屋博を例にして、いろいろな立場の人の気持ちを想像して考えているところが、とても幅広い視点だと思いました。 >一つのことをめぐっても、様々な立場の人がいて、様々な意見が出てきます。 >こんなこと一つでも、劇にしてみたら、いろいろな人の心理が描けることと思います。 > >日本人は自分の意見を主張することができないと言われていましたが、最近はだんだんとはっきりと意見を言える世の中に変化してきているように思います。 >それはよいのですが、一方で他人の意見を聞くということが、まだまだ足りないような気がします。 >他人とは意見が違うことが多いのは当たり前なのですが、それはそれで違う意見を認めるということが難しいようです。 >何か、日本人は皆で同じ意見で一つにまとまりたい、同じ意見の人間が仲間だ、という傾向の強さを感じます。これって、BadBloke さんが今までこの掲示板に書いていらしたことでしたっけ? > >それにしても、BadBloke さんは退役軍人さんと、よく衝突されていますね。 >BadBloke さんは退役軍人さんとは議論する意志はないようですけれど、退役軍人さんは、BadBloke さんの根拠なき主観に傾く投稿が、とても気になられるようですね。 >退役軍人さんの指摘なさるように、BadBlokeさんの意見には、確かに根拠のないことがあるように思います。 >でも私は自分が証明や根拠のある発言をする人間ではないし、意見なんで主観を述べているに過ぎないと考えているので、あまり気になりません。 >まあ言うとしたら、「BadBloke さん、私はあなたとは考えが違います。」と言うだけです。 >私は英国時間での挨拶は苦手なので、その点は退役軍人さんの方がBadBloke さんと波長が合うのではないでしょうか? > >それでは失礼しました。 |
▼BadBlokeさん: ><根拠>の話。ちょっとしましょうか? 根拠の前にちょっと気になりました。 > >たとえば、こないだの老人党戦争で、だれかがぼくに、「つくる会の教科書を読んだことあるのか?」と質問してきました。ぼくは答えなかった。 > <老人党戦争>というのは、「世界の平和をめざし、日本を戦争をしない国とする」ために、行なわれているのでしょうか? |
▼レモンさん: ><老人党戦争>というのは、「世界の平和をめざし、日本を戦争をしない国とする」ために、行なわれているのでしょうか? 老人党に集まる人は、きっと、そういう思いで集まっているのだと、ぼくは思っていました。一見、そのようには見えます。しかし、ほんとうでしょうか? ある程度は思想・信条がちがっていても、直感的に、この人なら最後まで平和のために闘うだろうと思える人もいます。そういう人は、人の揚げ足を取るようなことはしないものです。なんのための議論なのか。その目的を知っているでしょう。 今、ぼくは「平和のために闘う」と言いました。闘わなければ平和を守れないのが、人間の哀しい宿命なのでしょうか。それにしても、なぜこんなことで闘う必要があるのかと思うことも少なくないようです。 |
▼BadBlokeさん: >▼レモンさん: > >><老人党戦争>というのは、「世界の平和をめざし、日本を戦争をしない国とする」ために、行なわれているのでしょうか? > >老人党に集まる人は、きっと、そういう思いで集まっているのだと、ぼくは思っていました。一見、そのようには見えます。しかし、ほんとうでしょうか? > >ある程度は思想・信条がちがっていても、直感的に、この人なら最後まで平和のために闘うだろうと思える人もいます。そういう人は、人の揚げ足を取るようなことはしないものです。なんのための議論なのか。その目的を知っているでしょう。 > >今、ぼくは「平和のために闘う」と言いました。闘わなければ平和を守れないのが、人間の哀しい宿命なのでしょうか。それにしても、なぜこんなことで闘う必要があるのかと思うことも少なくないようです。 戦争というと、敵は海の向こうの国にいるように思っていましたが、どうやらそうではないようですね。 闘わなければならない相手は、日本の国の中に、平和を願うかのような顔をして、たくさん歩いているようです。 政治家に不満はぶつけているけれど、選挙で支持して来たのは国民でしょう。 自分の心の内にだって、些細なことで他人を憎む気持ちや、死刑という人間を殺すことまで願う気持ちもあるのです。だから私は、自分のことを平和主義者だとは思わないのです。 |
▼レモンさん:こんばんは。 横レスごめんなさいね。 貴方が「平和主義者」じゃないと言う投稿をされておられたのでこれは如何?と疑問に思っておりました。 以下の貴言からは、人は、本能として平和動物ではないのでは?と言うことを仰っているように思いました。 「主義」は思想、価値観であって、他の方の言葉を借りて汚く言えば「人は糞袋」です。「本能」にのみ従えば、ヒトは「平和主義」でないと思います。 しかし、幸いヒトは、思想、価値観を持つことが出来、「主義」として「平和」を言うことができると、私は思っております。 >▼BadBlokeさん: >>▼レモンさん: >> >>><老人党戦争>というのは、「世界の平和をめざし、日本を戦争をしない国とする」ために、行なわれているのでしょうか? >> >>老人党に集まる人は、きっと、そういう思いで集まっているのだと、ぼくは思っていました。一見、そのようには見えます。しかし、ほんとうでしょうか? >> >>ある程度は思想・信条がちがっていても、直感的に、この人なら最後まで平和のために闘うだろうと思える人もいます。そういう人は、人の揚げ足を取るようなことはしないものです。なんのための議論なのか。その目的を知っているでしょう。 >> >>今、ぼくは「平和のために闘う」と言いました。闘わなければ平和を守れないのが、人間の哀しい宿命なのでしょうか。それにしても、なぜこんなことで闘う必要があるのかと思うことも少なくないようです。 > >戦争というと、敵は海の向こうの国にいるように思っていましたが、どうやらそうではないようですね。 > >闘わなければならない相手は、日本の国の中に、平和を願うかのような顔をして、たくさん歩いているようです。 >政治家に不満はぶつけているけれど、選挙で支持して来たのは国民でしょう。 > >自分の心の内にだって、些細なことで他人を憎む気持ちや、死刑という人間を殺すことまで願う気持ちもあるのです。だから私は、自分のことを平和主義者だとは思わないのです。 |
▼とうろうさん: >▼レモンさん:こんばんは。 > >横レスごめんなさいね。 とうろんさん、こんにちは。 とうろうさんは、夜行性のようですね。それともまさか、英国時間ではないですよね? > >貴方が「平和主義者」じゃないと言う投稿をされておられたのでこれは如何?と疑問に思っておりました。 > とうろうさんは、平和主義者だと書かれていましたから、この件については、とうろうさんと私は違う考え方だということになります。 >以下の貴言からは、人は、本能として平和動物ではないのでは?と言うことを仰っているように思いました。 >「主義」は思想、価値観であって、他の方の言葉を借りて汚く言えば「人は糞袋」です。「本能」にのみ従えば、ヒトは「平和主義」でないと思います。 > 私は、とうろうさんの言葉で表現すれば、本能や思想、価値観だけで、平和主義か否かを考えません。 現実の行動、毎日の生き方が、平和主義であるかということを考えています。 思想というのは、頭の中にあるだけでは何の役にも立たないと思います。それは議論の役には立つだろうし、平和主義的意見を言っていれば、一応社会ではいい人間に見えると思います。波風はたたない。 名乗るのは簡単ですから、日本には平和主義の人はたくさんいるような気がします。 でも、それで本当に平和な世の中になるのでしょか? それで平和になるのであれば、戦後教育のお蔭で、とっくに平和な日本の国になっているのではないでしょうか? 私はそんな「言葉だけの平和」は、とても信用はできません。 だいだい、本当に平和を望む心があるのなら、他人の意見を馬鹿にしたり、つまらないことで言い争いなどしないのではありませんか? (とうろうさんは、他人の意見を馬鹿にしたり、言い争いをする人だとは思いません。私の意見を誤解することはありますけれど。) 争いごとをするのが平和主義者ではないという意味ではありません。 平和主義者は、大事なときには黙っていないで、闘わなければなりません。 だから、いざというときには闘う勇気と行動力のある人が、私の考える真の平和主義者です。 その、「いざというとき闘う」という判断基準も、個人の平和ではなくて、世界の平和を考えたものでなければなりません。 残念ながら私は、そんな勇気も行動力も判断力も持っていないと思うので、自分は平和主義者だとは思いません。 >しかし、幸いヒトは、思想、価値観を持つことが出来、「主義」として「平和」を言うことができると、私は思っております。 > とうろうさんの価値観にケチはつけませんが、以上書いた理由で私の考えとは違います。 |
▼レモンさん:こんばんは。 >とうろんさん、こんにちは。 >とうろうさんは、夜行性のようですね。それともまさか、英国時間ではないですよね? はい、夜行性です。昼間は、恥ずかしくて言うことも言えないのです。そして、英国時間ではありません。日本時間です。 >>貴方が「平和主義者」じゃないと言う投稿をされておられたのでこれは如何?と疑問に思っておりました。 >とうろうさんは、平和主義者だと書かれていましたから、この件については、とうろうさんと私は違う考え方だということになります。 そうですか。もっと、直接的にお答え頂けませんか?平和主義者か否か?と。 >>以下の貴言からは、人は、本能として平和動物ではないのでは?と言うことを仰っているように思いました。 >>「主義」は思想、価値観であって、他の方の言葉を借りて汚く言えば「人は糞袋」です。「本能」にのみ従えば、ヒトは「平和主義」でないと思います。 >私は、とうろうさんの言葉で表現すれば、本能や思想、価値観だけで、平和主義か否かを考えません。 これは、理解を超えるお言葉です。「主義」は「思想・価値観」以外の何ものでもないと私は思っておりますが・・・。なお、「本能」と言う概念は全く別物です。 >現実の行動、毎日の生き方が、平和主義であるかということを考えています。 ということは、主義・主張とか自己の価値観に関係なく、自己の感性、感覚に基づいて、その日の天気、天候・・・あるいは偶然の出会い、などに基づいて、毎日「平和主義的」に生きておられると言うことでしょうか? >思想というのは、頭の中にあるだけでは何の役にも立たないと思います。それは議論の役には立つだろうし、平和主義的意見を言っていれば、一応社会ではいい人間に見えると思います。波風はたたない。 多分、「平和主義的」意見を仰る方々は、意見を言うだけ (行動は違って??) のために、あるいは、いい人間に見えることだけを期して、まして、「波風を自身の周りに立てない」ためだけに、言っているのではない!と思いますよ。 「議論の役に立つ」などと仰っていますが、貴方は「議論」だけが目的なのでしょうか?議論は、行動のため、より多くの行動、言葉を変えて言えば、より多くの賛意、共感を得るためにする主張でしょう? 波風なんか何の関係もないと私は思いますが・・・。 (つづく) |
▼とうろうさん: こんにちは。 >>とうろうさんは、夜行性のようですね。それともまさか、英国時間ではないですよね? > >はい、夜行性です。昼間は、恥ずかしくて言うことも言えないのです。そして、英国時間ではありません。日本時間です。 夜に飛ぶ鳥というのは、珍しいですね。ふくろうかな?(冗談です。) とうろうさんは、昼間は恥ずかしくて言うことも言えないそうですが、なぜでしょうか? 匿名のネット掲示板で、何がそんなに恥ずかしいのですか? ご自身で、以下の発言もされていましたが。 >掲示板の上の、匿名の上のことでしょう、だから、余裕を持ってもとは思いました。 (引用終わり) > >>>貴方が「平和主義者」じゃないと言う投稿をされておられたのでこれは如何?と疑問に思っておりました。 > >>とうろうさんは、平和主義者だと書かれていましたから、この件については、とうろうさんと私は違う考え方だということになります。 > >そうですか。もっと、直接的にお答え頂けませんか?平和主義者か否か?と。 > ですから。既にとうろうさんが私の投稿で読まれたように、「私は平和主義者ではありません。」 >>>以下の貴言からは、人は、本能として平和動物ではないのでは?と言うことを仰っているように思いました。 > 私はそのようには述べておりません。 本能云々は、とうろうさんが想像されたことです。拡大解釈ではないでしょうか? (大気の意味をめぐらせたように。) お話が拡散するといけませんので、まずはここまでとさせていただきます。 失礼いたしました。 |
▼レモンさん:こんばんは。 レス有難う御座います。 本貴レスのご趣旨は分りました。続き(その2)をお待ちします。 なお、冗談は冗談としてご推察のほどを。 また、人生の真理は皮膜一枚の間にある・・・云々、というような言葉があったような気がします。 ついでに言えば、 私はこのごろ「好い加減、あるいは、ええ加減(酔い?加減)」な、夜行的、感じで投稿させて頂いておりますので、何とか、レモンさんのお言葉について行けております。 なお、大気数子云々についてはお教えわかりました。当該スレッド満杯につき、ここでお礼申し上げます。 では、宜しく。 |
(承前) >名乗るのは簡単ですから、日本には平和主義の人はたくさんいるような気がします。でも、それで本当に平和な世の中になるのでしょか?それで平和になるのであれば、戦後教育のお蔭で、とっくに平和な日本の国になっているのではないでしょうか? 平和主義者を名乗ること(平和主義を主張する)と、平和主義で生きることは、確かに違うと思います。 しかし、今日本は平和ではありませんか。それを否定されますか? >私はそんな「言葉だけの平和」は、とても信用はできません。 ところで、レモンさんの言われる「平和」とは何なのでしょうか。また「言葉だけの平和」とは、何を言われているのでしょうか?教えてください。 私は「平和」は「平和」であって、庶民、人民・・・が、戦禍あるいは革命などの過激な変革に遭うことなく、一応各自が目論んだ(望んだ)生涯、一生をまっとうできること、これを期待できる状況、と思っているのですが。 >だいだい、本当に平和を望む心があるのなら、他人の意見を馬鹿にしたり、つまらないことで言い争いなどしないのではありませんか? それは、その通りと思います。しかし、万人の「平和」を達成する方法論の違いだからしょうがないと私は思っております。 どの方法も、言えば、相対的にしか正しくないのですから。 >(とうろうさんは、他人の意見を馬鹿にしたり、言い争いをする人だとは思いません。私の意見を誤解することはありますけれど。) > >争いごとをするのが平和主義者ではないという意味ではありません。 >平和主義者は、大事なときには黙っていないで、闘わなければなりません。 >だから、いざというときには闘う勇気と行動力のある人が、私の考える真の平和主義者です。 >その、「いざというとき闘う」という判断基準も、個人の平和ではなくて、世界の平和を考えたものでなければなりません。 >残念ながら私は、そんな勇気も行動力も判断力も持っていないと思うので、自分は平和主義者だとは思いません。 言われんとすることは分るような気がしますが、すみません、なんか支離滅裂の感じを受けました。 一国平和から世界平和へというような・・・、ごめんなさい。私の、夜行の感覚です。 >>しかし、幸いヒトは、思想、価値観を持つことが出来、「主義」として「平和」を言うことができると、私は思っております。 >> >とうろうさんの価値観にケチはつけませんが、以上書いた理由で私の考えとは違います。 以上書かれた理由があんまり良く分りませんので、レモンさんのご思想を、私の価値観との違いにおいて、よく分かりませんでした。 重々失礼申しました。 なお、あるいは「平和」の概念が定義されていないことの基づくことかと、私は思っております。 いずれ他の貴レスにもご回答申し上げます。 出来れば、少なくとも弊とうろうがお伺いしたことに対してレスいただければ幸いです(強要はしておりませんよ)。宜しく。 |
▼BadBlokeさん: >▼レモンさん: > ><根拠>の話。ちょっとしましょうか? > >たとえば、こないだの老人党戦争で、だれかがぼくに、「つくる会の教科書を読んだことあるのか?」と質問してきました。ぼくは答えなかった。 > <根拠>の話の続きです。 ネット上の議論を楽しむには<根拠>というのが必要なようですね。議論を知的なゲームとして楽しむのなら、そういうやり方に従わないと、議論という名の会話は成立しないようです。だから議論には、もちろん私は参加しません。 ここは、自由の広場ということになっていますから、議論をするのも、おしゃべりをするのも、各自の自由なんですよね。 自由の広場で、歌を歌ったり、独り言をつぶやく老人がいたって、とても自然なことだと思います。 おしゃべりを続けさせてもらいます。 <根拠>の話です。私は普通の他人との会話で、相手の話の根拠を追究するということは、ほとんどありません。会話の流れの中で、どうしてそう思うのかと聞くことはあります。 相手の話が本当なのかどうかは、相手の示した証拠とか根拠で判断したりはしません。相手の話を聞いた私の頭の中で、その話は信用できるのかどうかを考えます。 だいたい誤魔化しがあれば、だんたんと辻褄が合わなくなって、おかしいなと思うものです。 例えば、何かのセールスマンがこれはお勧めの商品です、とか言ってたくさんの説明をしてくれます。学者の研究成果だとか、いろいろな統計の数字とか、有名人も購入したとか、その商品がいかにすばらしいのかという<根拠>をたくさん並べてくれます。 雑誌などを見ていると、そういう根拠を信じてしまう消費者は、意外とたくさんいるようです。 私は、相手の言うことが疑わしいと思ったら、相手に<根拠>を求めたりしないで、こちら側で正しい<根拠>があるのかどうかを見抜くことができればよいと思うのです。 そうすれば、世の中のつまらない騒ぎが少しは減るにではないかと思います。 そういえば、モーツァルトの音楽にも、どうして聴くとよいのかなんておかしな<根拠>をつける人々がいて、それも哀しいことです。 |
▼レモンさん: しばらくです。 なにも そんなにむきになる必要はありません。 命をよこせ!と言われているわけじゃなし。 なにかを語るとき その資格があるのですか?と聞いているだけです。 BBさんには むろんその資格はあります。 彼は親切なので なんとかものごとの道理というやつから教えてやろう。 というのです。 根拠をしめせ!よく聴く言葉ですね。 口でいうより 手のほうが早い! なんて誰かが唄ってました。 >▼BadBlokeさん: >>▼レモンさん: >> >><根拠>の話。ちょっとしましょうか? >> >>たとえば、こないだの老人党戦争で、だれかがぼくに、「つくる会の教科書を読んだことあるのか?」と質問してきました。ぼくは答えなかった。 >> ><根拠>の話の続きです。 >ネット上の議論を楽しむには<根拠>というのが必要なようですね。議論を知的なゲームとして楽しむのなら、そういうやり方に従わないと、議論という名の会話は成立しないようです。だから議論には、もちろん私は参加しません。 > >ここは、自由の広場ということになっていますから、議論をするのも、おしゃべりをするのも、各自の自由なんですよね。 >自由の広場で、歌を歌ったり、独り言をつぶやく老人がいたって、とても自然なことだと思います。 > >おしゃべりを続けさせてもらいます。 ><根拠>の話です。私は普通の他人との会話で、相手の話の根拠を追究するということは、ほとんどありません。会話の流れの中で、どうしてそう思うのかと聞くことはあります。 >相手の話が本当なのかどうかは、相手の示した証拠とか根拠で判断したりはしません。相手の話を聞いた私の頭の中で、その話は信用できるのかどうかを考えます。 >だいたい誤魔化しがあれば、だんたんと辻褄が合わなくなって、おかしいなと思うものです。 > >例えば、何かのセールスマンがこれはお勧めの商品です、とか言ってたくさんの説明をしてくれます。学者の研究成果だとか、いろいろな統計の数字とか、有名人も購入したとか、その商品がいかにすばらしいのかという<根拠>をたくさん並べてくれます。 >雑誌などを見ていると、そういう根拠を信じてしまう消費者は、意外とたくさんいるようです。 >私は、相手の言うことが疑わしいと思ったら、相手に<根拠>を求めたりしないで、こちら側で正しい<根拠>があるのかどうかを見抜くことができればよいと思うのです。 >そうすれば、世の中のつまらない騒ぎが少しは減るにではないかと思います。 > >そういえば、モーツァルトの音楽にも、どうして聴くとよいのかなんておかしな<根拠>をつける人々がいて、それも哀しいことです。 |
▼k.satouさん: >▼レモンさん: >しばらくです。 > なにも そんなにむきになる必要はありません。 > 命をよこせ!と言われているわけじゃなし。 > なにかを語るとき その資格があるのですか?と聞いているだけです。 > BBさんには むろんその資格はあります。 > 彼は親切なので なんとかものごとの道理というやつから教えてやろう。 > というのです。 > 根拠をしめせ!よく聴く言葉ですね。 > 口でいうより 手のほうが早い! なんて誰かが唄ってました。 > こんにちは。 命をよこせ!ではないけれど、根拠をよこせ!とよく聞くでしょう? そういう人は、相手の出した根拠で納得するのでしょうかね。 BB さんは、そんなつまらない根拠をあげる人ではないと、 私も思います。k・satou さんもね。 |
▼レモンさん: もう1回 いってみろ! なにを言っても もう1回!と。 なんども同じこというのです。 馬鹿馬鹿しくなり笑顔でもみせりゃ しめた!もの。 なんだ その笑い方は!と 愚図愚図やるのが常套手段。 根拠なんぞは 求めてる連中は 自分だってわかってない。 これって マニュアルがあるんですよ。 まだ近所のファーストフードのアルバイト嬢の注文とりのほうがいい。 客: ハンバガーを100ケください。 こちらでお召し上がりですか? それともお持ち帰りですか? マニュアルはここまで まさか100ケもお召し上がりにはなる奴はいないが。 でも ニコッと笑うとこがいい。 >▼k.satouさん: >>▼レモンさん: >>しばらくです。 >> なにも そんなにむきになる必要はありません。 >> 命をよこせ!と言われているわけじゃなし。 >> なにかを語るとき その資格があるのですか?と聞いているだけです。 >> BBさんには むろんその資格はあります。 >> 彼は親切なので なんとかものごとの道理というやつから教えてやろう。 >> というのです。 >> 根拠をしめせ!よく聴く言葉ですね。 >> 口でいうより 手のほうが早い! なんて誰かが唄ってました。 >> >こんにちは。 >命をよこせ!ではないけれど、根拠をよこせ!とよく聞くでしょう? >そういう人は、相手の出した根拠で納得するのでしょうかね。 >BB さんは、そんなつまらない根拠をあげる人ではないと、 >私も思います。k・satou さんもね。 |
▼k.satouさん: >▼レモンさん: b: 私はバイブルを信じる。 t:私は根拠の無い話を許せない。バイブルなんて紙とインクだ。 b:あなたはエセクリスチャンなんでしょ。 t:そういう独断が許せないのです。 b:あなたは単に自分の意見を否定されたことに怒っているのでしょ。 t:自分の信じる所を言っても誰も理解してくれない。 b:プライドが高くても中身がないからでしょ。 この掲示板は、己が信じる所を述べる場なのか、それとも裁判所のように根拠の在る話だけが可能な場なのであろうか。 魔女狩りみたいな真似が流行っていませんか。 > もう1回 いってみろ! > なにを言っても もう1回!と。 なんども同じこというのです。 > 馬鹿馬鹿しくなり笑顔でもみせりゃ しめた!もの。 > なんだ その笑い方は!と 愚図愚図やるのが常套手段。 > 根拠なんぞは 求めてる連中は 自分だってわかってない。 > これって マニュアルがあるんですよ。 > > まだ近所のファーストフードのアルバイト嬢の注文とりのほうがいい。 > 客: ハンバガーを100ケください。 > こちらでお召し上がりですか? それともお持ち帰りですか? > マニュアルはここまで > まさか100ケもお召し上がりにはなる奴はいないが。 > でも ニコッと笑うとこがいい。 > > >>▼k.satouさん: >>>▼レモンさん: >>>しばらくです。 >>> なにも そんなにむきになる必要はありません。 >>> 命をよこせ!と言われているわけじゃなし。 >>> なにかを語るとき その資格があるのですか?と聞いているだけです。 >>> BBさんには むろんその資格はあります。 >>> 彼は親切なので なんとかものごとの道理というやつから教えてやろう。 >>> というのです。 >>> 根拠をしめせ!よく聴く言葉ですね。 >>> 口でいうより 手のほうが早い! なんて誰かが唄ってました。 >>> >>こんにちは。 >>命をよこせ!ではないけれど、根拠をよこせ!とよく聞くでしょう? >>そういう人は、相手の出した根拠で納得するのでしょうかね。 >>BB さんは、そんなつまらない根拠をあげる人ではないと、 >>私も思います。k・satou さんもね。 |
▼たけチャンさん: 世の中に必要なのは、根拠ではなくて、笑いだと思います。 >▼k.satouさん: >>▼レモンさん: > >b: 私はバイブルを信じる。 >t:私は根拠の無い話を許せない。バイブルなんて紙とインクだ。 >b:あなたはエセクリスチャンなんでしょ。 >t:そういう独断が許せないのです。 >b:あなたは単に自分の意見を否定されたことに怒っているのでしょ。 >t:自分の信じる所を言っても誰も理解してくれない。 >b:プライドが高くても中身がないからでしょ。 > >この掲示板は、己が信じる所を述べる場なのか、それとも裁判所のように根拠の在る話だけが可能な場なのであろうか。 >魔女狩りみたいな真似が流行っていませんか。 > |
たけチャンさん、おはようございます。 ▼たけチャンさん: >▼k.satouさん: >>▼レモンさん: > >b: 私はバイブルを信じる。 >t:私は根拠の無い話を許せない。バイブルなんて紙とインクだ。 >b:あなたはエセクリスチャンなんでしょ。 >t:そういう独断が許せないのです。 >b:あなたは単に自分の意見を否定されたことに怒っているのでしょ。 >t:自分の信じる所を言っても誰も理解してくれない。 >b:プライドが高くても中身がないからでしょ。 あのねぇ、自身の見解に都合の良い部分だけを切り取るコメントはよしてくださいな。 一例をあげると、 バイブルはその指し示す指針と共に生きなければ、という前提の存在があって紙とインクにすぎないと言っているのです。 >この掲示板は、己が信じる所を述べる場なのか、それとも裁判所のように根拠の在る話だけが可能な場なのであろうか。 己の信じるところを述べる場所ですよ。 節度が必要ではありますが。 >魔女狩りみたいな真似が流行っていませんか。 どのような所信を述べようと自由です。 いくつか前提がありますけどね。 ★まず公開されている場所であるということ。 公開された場所で自論を述べるということは、批判を引き受ける覚悟が必要であるということですよ。 批判されるのが嫌なら、自身で開設したホームページでも掲示板にでも【俺様ルール】を適用してログイン制にするなり、反論は即刻削除という方針で管理するなり、好きなようにすればいいでしょ。 誰でも閲覧可能で、投稿も自由であるということには、大きな価値があります。 違う価値観による考え方を容認するということ、即ち多様な価値観の存在を認めるということ。 これは掲示板の価値という観点ですけどね。 投稿者の前提として、この価値観を共有するべきです。 当然違う考え方を持つ人がいるわけですから、いくつか守らなければならないルールがあります。 考え方を否定しても、人格を否定してはならないということ。 醜い言葉と、厳しい言葉は違います。 罵倒し言葉を選ばない発言が、リアルな社会で許されますか。?? 考え方を否定し主張を否定するのであれば、そういった結論に至る過程を明らかにしなければならないということ。根拠と論旨の提示が必須となる理由ですね。 お前は間違っている、理由はないって許されますか。?? あとは、自身の主張が誰かを傷つけてしまう可能性を配慮し、節度を持った投稿をすること。 たった、これだけですよ。 リアルな社会で要求される節度となんら変わりはありません。 リアルな社会では節度をもっているが、バーチャルな世界では匿名という盾に隠れて節度を守らないという人も良く見かけますけどね。 二重の規範、つまりネットで使われている言葉でいえば、ダブルスタンダードであるということです。 こういった絶対的な規範や節度を守らない投稿に、説得の力が宿るはずもない。 またそういった節度を守らずに誰かを誹謗中傷する発言には、徹底して反論の狼煙をあげさせて頂きます。 いわば、貴兄に対する宣戦布告ですね。 徹底して闘いますよ。 失礼いたしました。 |
この書き込みは管理人によって削除されました。(06/3/19(日) 3:09) |
▼BadBlokeさん(75141): Ray@スタッフです。 この書き込みは掲示板のルールのうち ・伏せ字、隠語の使用 ・中傷 に該当するため、削除対象としてスタッフ連絡板へ移動しました。 掲示板をご利用の際は掲示板のルールを遵守してくださるよう よろしくお願いいたします。 |
k・satou さん こんばんは。 ところで、k・satouさんが植えた球根は、どうなりましたか? 花泥棒に盗まれたのでしたっけ? 私のところでは、葉は出てきましたが花はまだです。 k・satouさんだったら、わかるでしょう? 葉や花を見ただけで、根っこがしっかりしているかどうかということが。 |
▼レモンさん: 今クリスマス・ローズをくれたのがいて どうせ捨てるからなんていうので 安心しもらってきたら なんと同じのを店で 奴は売ってました。 はじめて するという人たちに ニワカ先生。喫茶店。 次から次とこれはどちらがいい?と聞かれ奴から前日聞いたばかりのを講釈。 しまいには 花屋でもやらないか?と持ちかけられてます。 庭は クロッカスと水仙各種というとこですか。 ミラクルフルーツに今年こそ実をならせてみせます。 草花は 官の仕事のように平均でこれだけ水をやったから充分だ というわけにはいきません。一週間ぶりにやるとかも。 息のふきかけ 夏なんか毎日やらなくては 駄目ですね。 >k・satou さん > >こんばんは。 >ところで、k・satouさんが植えた球根は、どうなりましたか? >花泥棒に盗まれたのでしたっけ? >私のところでは、葉は出てきましたが花はまだです。 > >k・satouさんだったら、わかるでしょう? >葉や花を見ただけで、根っこがしっかりしているかどうかということが。 |
レモンさん、こんにちは。 誤解して頂きたくないので一点だけ。 ▼レモンさん: >それにしても、BadBloke さんは退役軍人さんと、よく衝突されていますね。 >BadBloke さんは退役軍人さんとは議論する意志はないようですけれど、退役軍人さんは、BadBloke さんの根拠なき主観に傾く投稿が、とても気になられるようですね。 >退役軍人さんの指摘なさるように、BadBlokeさんの意見には、確かに根拠のないことがあるように思います。 >でも私は自分が証明や根拠のある発言をする人間ではないし、意見なんで主観を述べているに過ぎないと考えているので、あまり気になりません。 >まあ言うとしたら、「BadBloke さん、私はあなたとは考えが違います。」と言うだけです。 >私は英国時間での挨拶は苦手なので、その点は退役軍人さんの方がBadBloke さんと波長が合うのではないでしょうか? 気になるのではなく、許せないのです。 根拠なんぞなくとも良いのです。 論理的でなくとも良いのです。 印象論でも良いのです。 主観の表明でも良いのです。 なんの問題もありません。 自身が述べる主観や主張が、他者を謂われなき誹謗中傷に貶めていないか、という他者への配慮からの節度があればね。 BadBlokeさんの発言には、これがないから許せないのです。 誰かの主張を否定する、あるいはその行為を非難するのであれば、否定したり批判したり非難する側に、その根拠を示す責任がありませんか。 レモンさんが沈黙の初夏さんの投稿文に鋭く反応されたのはそれが理由ではありませんか。 謂れもない罵倒であると感じられたのは、レモンさんご自身がそうではないという根拠をお持ちであるからでしょう。 違いましょうか。 私が、沈黙の初夏さんに「言葉を選んでください」とお願いしたものも同じ理由です。 BadBloke さんはこれを一切なさらないで、「誰それは、何々だから」という非難をなさいます。 これは絶対に許しません。 とことん追求しますよ。 ネットだろうとリアルだろうと、言ってはならない事はありますからね。 失礼いたしました。 |
▼退役軍人さん: >レモンさん、こんにちは。 > >誤解して頂きたくないので一点だけ。 > こんにちは。 > >気になるのではなく、許せないのです。 それでは、私も誤解していたようです。 根拠がないから議論として成り立たないことを気にされているのかと思っていました。 退役軍人さんの議論は、私には難しい話題で分量も多いので、部分的に読んだだけで失礼しました。 > >根拠なんぞなくとも良いのです。 >論理的でなくとも良いのです。 >印象論でも良いのです。 >主観の表明でも良いのです。 > >なんの問題もありません。 ちょっと意外な気もしますが、それならば、もう少しお話をつづけさせていただきます。 > >自身が述べる主観や主張が、他者を謂われなき誹謗中傷に貶めていないか、という他者への配慮からの節度があればね。 この節度の解釈の違いが、掲示板の慢性化している混乱の原因のように思います。 > >BadBlokeさんの発言には、これがないから許せないのです。 退役軍人さんが、許せないというお気持ちであることはわかりました。 クリスチャンから聞いた話に、「汝の敵をも愛せ」という聖書の言葉がありましたが、その許せないというお気持ちは、人間愛からくるものなのでしょうか。 > >誰かの主張を否定する、あるいはその行為を非難するのであれば、否定したり批判したり非難する側に、その根拠を示す責任がありませんか。 根拠なんぞなくても良いけれど、節度を越えたときにのみ、根拠が求められるのでしょうか。 > >レモンさんが沈黙の初夏さんの投稿文に鋭く反応されたのはそれが理由ではありませんか。 > >謂れもない罵倒であると感じられたのは、レモンさんご自身がそうではないという根拠をお持ちであるからでしょう。 > >違いましょうか。 > 根拠などという言葉を持ち出すまでもなく、投稿文に書かれた言葉そのものに、感情的に反応しただけのことです。そういうのを氏はオバハンというそうです。 私は退役軍人さんのように、沈黙の初夏さんに、人間愛は感じられませんでした。 同じ人物の発言でも、人によって感じ方が随分と違うものですね。 >私が、沈黙の初夏さんに「言葉を選んでください」とお願いしたものも同じ理由です。 > 管理人や掲示板利用者が、沈黙の初夏氏の暴言を無視している中で、そのように言われたのは、退役軍人さんだけでしたから、よく覚えています。 でも、今となっては言葉を選ばれても、心の中が見えてしまったので、いわゆるマナーの問題ではありません。 >BadBloke さんはこれを一切なさらないで、「誰それは、何々だから」という非難をなさいます。 > >これは絶対に許しません。 > >とことん追求しますよ。 沈黙の初夏さんや peace さんを許せない気持ちのある私が、とやかく言えることではありません。 >ネットだろうとリアルだろうと、言ってはならない事はありますからね。 > この言葉には、同感です。 とうろうさんは、例の件で私に、ネット上のことなのだから云々と言われ、私は憤慨しているのです。 退役軍人さんと私とでは、許せないことの種類が違うようです。 <根拠>については、特に退役軍人さんのことではなく、掲示板の議論について日頃思っていることを書きました。 >失礼いたしました。 こちらこそ、失礼しました。 |
レモンさん、こんにちは。 ▼レモンさん: >>気になるのではなく、許せないのです。 > >それでは、私も誤解していたようです。 >根拠がないから議論として成り立たないことを気にされているのかと思っていました。 BadBlokeさんの主張は議論というレベルじゃあありませんよ。 >退役軍人さんの議論は、私には難しい話題で分量も多いので、部分的に読んだだけで失礼しました。 >>根拠なんぞなくとも良いのです。 >>論理的でなくとも良いのです。 >>印象論でも良いのです。 >>主観の表明でも良いのです。 >> >>なんの問題もありません。 > >ちょっと意外な気もしますが、それならば、もう少しお話をつづけさせていただきます。 根拠を示し論旨を述べて、自身の主観と客観との距離を埋めなければ、主張とはいいません。 単なる主観の表明にすぎません。 まぁ、いいんじゃあないですか。 議論に特化した掲示板ではないのだから。 >>自身が述べる主観や主張が、他者を謂われなき誹謗中傷に貶めていないか、という他者への配慮からの節度があればね。 > >この節度の解釈の違いが、掲示板の慢性化している混乱の原因のように思います。 解釈の違いではないと思います。 リアルな社会でやらない事は、ネットでもやらないというだけの事でしょ。 逆説的に言えば、ネットで暴言を吐く者はリアルでも吐いているということですよ。 >>BadBlokeさんの発言には、これがないから許せないのです。 > >退役軍人さんが、許せないというお気持ちであることはわかりました。 >クリスチャンから聞いた話に、「汝の敵をも愛せ」という聖書の言葉がありましたが、その許せないというお気持ちは、人間愛からくるものなのでしょうか。 違います。 人間愛というのは、相手も人であると認識出来なければ発揮できませんから。 >>誰かの主張を否定する、あるいはその行為を非難するのであれば、否定したり批判したり非難する側に、その根拠を示す責任がありませんか。 > >根拠なんぞなくても良いけれど、節度を越えたときにのみ、根拠が求められるのでしょうか。 というより、節度を超えてはならないということですよ。 論理は否定しても論敵の人格を否定してはならないというだけのこと。 なにかの括りで、人ではないかのような非難を根拠も示さずにしてはならないというだけのこと。 >根拠などという言葉を持ち出すまでもなく、投稿文に書かれた言葉そのものに、感情的に反応しただけのことです。そういうのを氏はオバハンというそうです。 > >私は退役軍人さんのように、沈黙の初夏さんに、人間愛は感じられませんでした。 >同じ人物の発言でも、人によって感じ方が随分と違うものですね。 人間愛というか、人というものを達観した視点があると思うのです。 >管理人や掲示板利用者が、沈黙の初夏氏の暴言を無視している中で、そのように言われたのは、退役軍人さんだけでしたから、よく覚えています。 >でも、今となっては言葉を選ばれても、心の中が見えてしまったので、いわゆるマナーの問題ではありません。 これはコメントする立場にありません。 >>ネットだろうとリアルだろうと、言ってはならない事はありますからね。 >> >この言葉には、同感です。 >とうろうさんは、例の件で私に、ネット上のことなのだから云々と言われ、私は憤慨しているのです。 >退役軍人さんと私とでは、許せないことの種類が違うようです。 私が、とうろうさんを完全に無視している理由の一つです。 ><根拠>については、特に退役軍人さんのことではなく、掲示板の議論について日頃思っていることを書きました。 はい、一般論として読みました。 失礼いたしました。 |
退役軍人さん >根拠なんぞなくとも良いのです。 >論理的でなくとも良いのです。 >印象論でも良いのです。 >主観の表明でも良いのです。 > >なんの問題もありません。 > >自身が述べる主観や主張が、他者を謂われなき誹謗中傷に貶めていないか、という他者への配慮からの節度があればね。 > >BadBlokeさんの発言には、これがないから許せないのです。 その通りです。赤信号を無視して横断歩道を渡るのはBadBloke氏のかってですが、信号を守っている人をおちょくるのが許せないのです。宗教に関しても、また犬との接し方でも同じです。 BadBloke氏の考え方に対して異を唱えるつもりはないのですが、自分の考え方が絶対正であり、自分と考え方が違う人を小ばかにする姿勢が許せないのです。 もちろん青信号だからと言って絶対安心とは言えない時代です。しかし信号を守るのは交通事故を避けるためには最低のルールですからね。 車が全く通ってないときに赤信号で横断歩道を渡ると言っても、そのときの状況によって違うでしょうし、自己責任ですからどうのこうの言うつもりはありませんが、信号を守っている人を馬鹿みたいに言う、その気が知れないのですよ。 ましてや子供に「信号を守りましょう」と教えるのがおかしい、などと言われるとこの人、頭大丈夫かなと疑いたくなります。 私は石橋を叩いて渡るほうですが、それでも無法者の無謀運転で大事故に遭い家族全員が死ぬ目にあいました。身を以って体験しているので、人様に迷惑をかけるようなことはするまい、そして何より自分の身を守るために、交通法規は守ろうとしております。これが悪いことなのでしょうか? |
キタキツネさん、こんばんは。 貴兄と私は基本的な考え方の部分で、いわば対極にあると考えています。 しかしながら、考え方以前の部分では大きな共感を抱いています。 ▼キタキツネさん: >退役軍人さん > >>根拠なんぞなくとも良いのです。 >>論理的でなくとも良いのです。 >>印象論でも良いのです。 >>主観の表明でも良いのです。 >> >>なんの問題もありません。 >> >>自身が述べる主観や主張が、他者を謂われなき誹謗中傷に貶めていないか、という他者への配慮からの節度があればね。 >> >>BadBlokeさんの発言には、これがないから許せないのです。 > > その通りです。赤信号を無視して横断歩道を渡るのはBadBloke氏のかってですが、信号を守っている人をおちょくるのが許せないのです。宗教に関しても、また犬との接し方でも同じです。 > > BadBloke氏の考え方に対して異を唱えるつもりはないのですが、自分の考え方が絶対正であり、自分と考え方が違う人を小ばかにする姿勢が許せないのです。 同感です。 別にどのような考え方を語ろうとも、考え方そのものを否定するつもりはありません。 辛辣な表現をすれば、考え方そのものをまともに評価する価値さえありませんから。 > ましてや子供に「信号を守りましょう」と教えるのがおかしい、などと言われるとこの人、頭大丈夫かなと疑いたくなります。 BadBlokeさんの発言に共通した内容ですよ。 違う価値観による判断を認めないという点で。 天上天下唯我独尊論者とでも評すれば妥当かな。(笑 > 私は石橋を叩いて渡るほうですが、それでも無法者の無謀運転で大事故に遭い家族全員が死ぬ目にあいました。身を以って体験しているので、人様に迷惑をかけるようなことはするまい、そして何より自分の身を守るために、交通法規は守ろうとしております。これが悪いことなのでしょうか? 正しいことであると断言いたします。 交通法規を守るのは、自身を守るのと同時に他者をも守っているという至極当たり前の事ですよね。 他者の行為が自身に及ぶということは、自身の行為が他者へ及ぶというのと同義であるはずです。 ここが理解できていないから無神経かつ無節操な発言をしてしまうし、私が何故に厳しい追求をしているのか理解できないのでしょうね。 誰彼なく厳しい追求をしているのではありませんから。 貴兄には、理由がお判りでしょうけれど。 失礼いたしました。 |
▼退役軍人さん: >天上天下唯我独尊論者とでも評すれば妥当かな。(笑 仏教徒(私なんか)が怒りますよ。失礼なって(笑 |
▼みなさま: Ray@スタッフです。 以下の書き込みを別スレッドから転載いたします。 ---- 【74638】Re(1):教育現場における「平等」と「自主... 団塊党 - 06/2/26(日) 9:59 - 引用あり パスワード ▼天橋立の愚痴人間さん: 平等とか自主性ということを「なんでも一緒」とか「何でもやってよい」とか受け取るのは間違いですが、下記のような主義に陥るのも間違いだと思います。 あなたのおっしゃっていることが、こちらと根っこでつながったものでないことを願っています。 特に新自由主義と言われるものが今、教育界を混乱させています。 今後、日本の学校がどうなるのか心配しています。 詳しくお話する時間がありませんが、下記をすべて読んでいただければ私の言いたいことが少しお分かりいただけると思います。 http://www32.ocn.ne.jp/〜everydayimpress/Bookreview/review12.htm ---- |
▼みなさま: Ray@スタッフです。 以下の書き込みを別スレッドから転載いたします。 ---- 【74620】教育現場における「平等」と「自主性」 ... 天橋立の愚痴人間 - 06/2/25(土) 23:57 - 引用あり パスワード 「お話 その5」 今度は私が地区の公民館で文化委員をしているときのお話です。小学校 の夏休みを目前に、公民館の関係委員・小学校の担当の先生・市の教育 委員会からも課長が出席して、地区の子供たちの夏休みの過ごし方を指 導する為の会合でした。 学校の先生からは、海水浴の時の安全確保、交通事故に巻き込まれない 様に注意させるとか、規則正しい生活に留意させるとかの一般的注意を学校の夏休み中の行事とも関連させて発言しておられました。 次に教育委員会の課長は次のように発言されました。「学校では子供が自主性を発揮するように常に指導を行っております、夏休み中も、先生が言われたことを子供が自主的に出来る様に、指導してやってください」 何気ない発言に議事は順調に進むはずでしたが、その場にふさわしくない者が今年は紛れ込んでおりました。 私の発言 最近、教育の場でよく自主性が言われていて、修学旅行の行先も子供の意見を聞かれているそうです。何事でも自主的に出来ると言うことは、その事に関しては、すでに人間として完成できている事ではないでしょうか、我々社会人におきましても、簡単なことから難しい事までそれぞれに任しきるには、慎重な考慮を必要とされます。その人が結果の責任を取れる範囲において、本人にまかす(自主性にまかす)様にしないと、事業などは維持出来ません。もちろん自主性は大切な内容ですが、それを身に付けさせるのは、成人も含めて大変なことです。また自主性を発揮する為の自身の判断力を醸成させる為に、人は、広く他の意見を取り入れる習慣を身に付けないと出来るものではありません。生まれながらにして社会的に有効な自主的な判断力を持った子供などいるはずがありません。正しい自主性などは、その内容に応じて(簡単な事例から複雑な内容のものまで)教導されねば育つはずはないし、年少のころより、そういった、指導をきっちりされる方が、子供はより早く、正しい自主性を身につけることになるのではないでしょうか。子供達に正しい判断力が育っておれば自然に自主的にものを行うことが出来、結果として我々父兄が喜ぶことであります。真に子供の成長を願うならば、自分のことでも責任の取れもしない子供の判断の自由にまかせて、成り行きを見ているような悠長なことは、日々成長を繰り返すべきこの時期に適切では無いはずです。子供の判断の誤りはその都度きっちりと指摘してやる事の連続が教育であり、その必要がなくなった部分に比例して自主性が芽生えたと思うべきです。しかるに、最初に自主性ありきの今の発言が子供の成長にどの様な意味で有効かを、具体的な根拠を示して説明していただきたいものです。(またまた一同 シーン ・・・ ) これらは私の子育ての過程での出来事を中心に述べてきました。その中 によく出て来た、表題の「平等」と「自主性」について考えることにします。 ---- |
▼みなさま: Ray@スタッフです。 以下の書き込みを別スレッドから転載いたします。 ---- 【74617】教育現場における「平等」と「自主性」 その 3 天橋立の愚痴人間 - 06/2/25(土) 23:51 - 引用あり パスワード 教育の場で「自主性」を云々するのは、如何にして正当な自主性を身に付けさせることが出来るかを、教育者自身が己に問う問題であり、子供に自主性を安売りするものではありません。まして、事例を与えて子供に実験させて悦に入っているのみの教育現場のあり方は、もってのほかの状況と考えます。「自主性」にたいする考え方が逆立ちしている様です。最近発表された教育基本法のなかにも「自主性を育てる教育」が方針として盛り込まれておりますが、その抽象的概念をかかげるだけで、教育現場の現状に対して余りにも無責任な対応といえます。子供の内面を伴わない自主性の意識を発揚させる教育が、それだけが全てと申しませんが、やたらと親や教師に反抗し、物事に責任を取れない子供が氾濫している原因となっていると思います。 以上、申し上げました様に、多くの教育関係者様におかれましては、広辞苑等をひも解かれまして、まず自らの語学力の再教育をされた方が、よいのではないでしょうか。従来の認識を変えられたほうが、自らの教員生活にゆとりも出来、崇高なる職業意識の満足にも効果のある事と、御提案申しあげます。 ---- |
▼天橋立の愚痴人間さん: 平等とか自主性ということを「なんでも一緒」とか「何でもやってよい」とか受け取るのは間違いですが、下記のような主義に陥るのも間違いだと思います。 あなたのおっしゃっていることが、こちらと根っこでつながったものでないことを願っています。 特に新自由主義と言われるものが今、教育界を混乱させています。 今後、日本の学校がどうなるのか心配しています。 詳しくお話する時間がありませんが、下記をすべて読んでいただければ私の言いたいことが少しお分かりいただけると思います。 http://www32.ocn.ne.jp/~everydayimpress/Bookreview/review12.htm |
拙文を読んでいただき感謝してます。 御指摘の教育基本法改正の運動内容について拝見しました。私の危機感は彼らの論旨の中にはないものです。規制・強制の範囲が増える可能性があることは共通しているかも知れませんが、だからと言って、成り行きに放置することも限界に近づいているのではないかと思います。我々の精神は、大人でも自身の健全なコントロール下で維持できない様な環境で揺れ動いております。これを進歩と言い切る程に人間性を買かぶることで良いのでしょうか。将来、更なる物質の氾濫、情報の氾濫が予想されます。民主主義が沢山の人々の意識の高まりで、今日を迎えたのも、ここ数百年の事です。未来永劫、単純に頼りきれる仕組みと断定して良いものでしょうか。歴史的にみても大きな屈曲点に存在しているのではないでしょうか。健全な、新しい仕組みを模索する段階に来ているのではないでしょうか。勿論、民主主義を修正改善する方向の上のことです。 先日、ここに投稿されている皆様を知り、早速仲間にさせていただいておりますが、以前から思うことがあり、掲示板で意見を掲載しております。ヤフーの検索で「二十一世紀の風」または「人類の環」で検索して読んでいただければ幸いです。 |
天橋立愚痴人間さま はじめましてよろしくお願いします。 政府与党は教育基本法を変えようと躍起になっています。 安倍官房長官が、ある講演会でライブドア事件を引き合いに出して「だから教育基本法を」といったそうですが、どう思われますか?? 安倍氏自身<小泉内閣が構造改革を進めなかったら堀江氏はでてこなかった。自民党が変わったことがわかる。>8/31日 当時 TBS・テレビでしゃべったんですよ。 ところが、ホリエモンが容疑者になった途端に教育基本法のせいにする。 政権党は、金と規制緩和がすべてで、金儲けできない人は、無能な人間のレッテルハリに等しいことを、言ってきたんと違いますかしら。 格差社会を助長してきた風潮に対して、反省のかけらもなく、この無責任さを是正しないことには日本は良くならないのと違いますかしら。 政府が役立たずの御用学者や有識者に諮問し指導要綱などの改正をしてきました。私たちから見れば良くなるどころか悪くなるばかりのような気がしました。いじればいじるほど、問題行動の子どもが増加してきたような気がしました。 わたしは教育者ではありませんので詳しくはわかりませんが、戦後、綴り方教室や、子どもたちに考える力をつけようと先生方の間でいろいろな取り組みがなされていた時代がありました。ところが、政府にとっては都合が悪かったみたいで、ことごとくつぶされて行ったのではと思います。 先生たちの連帯感をつぶして、バラバラにして孤立させ、自信を失わせたのは政府の介入だったのではと、外から見ていて思いました。 貧しくとも誠実に一生懸命生きている人たちに対して余りにもお粗末な評価しかしない現実に失望しての犯罪も多いのではないでしょうか。 天橋立さんの教育に対する心配はよくわかりますが、いちばんに政治が良くなったら、未来に対して希望がもてます。 まず、政治家や、財界、もちろん先生方も、親も。大人が見本を示すことが大事なことだと思います。そうすれば、犯罪は減少するのではと書き込みさせていただきました。 失礼しました。 |
弥生様 コメント有難うございます。政府与党の教育基本法の改正についての御指摘ですが、彼ら及び関係官庁の現状認識や将来に対する理念の無さは今に始まったことではありません。そうであってはならないのですが、彼らのしようとする事に全く興味がありません。 情報と物質が氾濫する現代において、人間が歴史的につちかって来た、家族や地域の人々との交流、広い意味での共同体の意識が大変希薄になって来ています。私は人から干渉されることは嫌いですが、一方で、あらゆる動物にとって生存する社会基盤が必要です。人間も人間らしい社会を維持し無ければなりません。その事を忘れてはいけないと認識しております。我々の年代のものは、一応は、民主主義だの資本主義と言った社会形態がどのようなものかを、体験的に知っております。人間の精神は我々が想像するよりも多く、外界の刺激や環境に影響されて発育します。現代の若者は、我々が意識している程には、民主主義や資本主義の本質を意識しておりません。それどころか、映像情報の氾濫のなかで、とんでもない社会の擬似体験が浸透してきております。また市場主義原理が横行する現代、勝ち組、負け組の問題が云々されておりますが。このことは、資本主義社会の不治の病です。これを当然の現象の様に説明してはばからない、政治家に、迫りくる社会の本格的な危機の認識など期待出来ません。 誰かが、社会に警鐘を鳴らし、根本的な問題意識に目覚め、青少年を導いてくれることを願っていますが。投稿の文章は、その期待に全く答えられない、現在の教育者を揶揄しているものです。教育基本法など視野には入っておりません。教育者自身が、人間社会の認識・人間の研究に目を開かれ、本当の教育理念に目覚められることを願っているものです。 |
天橋橋愚痴人間さま 大変失礼な投稿をしたみたいで反省しています。私は無知ですから謝ります。 ごめんください。 |
弥生様へ 弥生様に誤解されなくて良かったです。先の文章は以前、当地のミニ新聞に投稿したものであり、御指摘の内容については沢山の方が疑問に思っていられると思います。私の思いの根源にはもともとふれていませんでした、今回初めて弁解の投稿をしたしだいです。その機会を得られて喜んでいます。 |
▼天橋立の愚痴人間さん: >学校における「平等」と「自主性」教育の問題点 >「お話 その1」 >ある田舎の町のある小学校の四年のクラスには、教育に非常に熱心な先生がおられまして、その先生は、テストのとき、生徒の全部に90点以上を取らせたいと思い、試験が近づくと、黒板に問題と解答を書き出し、何回も何回も生徒に覚えさせていました。 小学生から試験というのは、既に問題も解答も分かっているのだ、と思い込む癖がついていると、大学生になっても教官に、事前に問題と解答を教えろと迫るのかもしれない。大学で、追試験ともなれば、試験の前に問題と解答を事前に教えているところもあるようです。確かに奇異な話です。 >「お話 その2」 >私の子供が小学生のおり、「学級通信」なるプリントを殆ど毎日の様に持って帰ってきました。始めは、先生も大変と思いながら、少しは目も通しておりましたが、そのうち、捨てる訳にもならす、ただ集積するに任したものです。 昔は、プリントの原稿を新聞紙を切り抜くように鋏と糊で作っていたそうですが、今はパソコンで簡単に編集できるから、教師も以前に比べれば、プリントの作成も楽になったのではないでしょうか。小学生も大変ですね。一日に何枚もプリントを貰って、教科書も読まなくてはいけないのですから。夕方からは塾通いと、昔の二宮金次郎並みですね。 小学生からそんなに勉強して、大学生になれば90%の学生は全く勉強しなくなるのはなぜですかね。知識も食べ物と同じで、早くから沢山食べ過ぎてしまうと、大きくなってからは、満腹感で食べれなくなるのでしょうか。それならば、小学生の頃は親は今とは逆に、勉強するなといって、知識に対する飢餓意識を植え付けたほうが良いということになります。ま、これはアメリカの場合の受け売りですが。 >「お話 その4」 >私がPTAの地区の役員をしていた中学校で、毎年夏休みに行われている、生徒による古紙回収の行事での話し。 >準備の為の役員会が開かれ、教務担当の先生からは以下のように説明されました。「この行事は生徒の社会学習の一つとして、生徒が自主的に計画して行うものです、父兄の方には、回収の為の車両を提供していただき、また行事が安全に行われるように指導してやって下さい」 親とか教師に言われたことしか行わない子どもが、高く評価されることが良くあります。そんな子どもは社会人になると、大成しない。教師が生徒の自主性を尊重するのは、生徒が将来、大成することを願っているからこそではないでしょうか。 >行事当日の事 ・・・ 回収道順等について車両を運転する父兄に説明をする様に注意をしたところ、明確に説明する何の資料も持っていない。回収前に、協力を依頼する文書を各家庭に配布していたようだが、そのリストも持っていない。回収作業が始まってからは、トラックの荷台に乗せろと上級生ほど要求する。 市からの助成金を含めて50数万円の収入が見込め、それで教材及びクラブ活動の資金が手に入り、生徒が自分達の力でこれを達成したと思うことは、教育上ゆゆしき問題であり、来年からは取り止めていただきたい。資金が必要ならPTA行事として行い、生徒に協力させればよい。(皆さん、しらけてシーン ・・・ ) 教師にも間違いを犯すことがある。社会学習の場合でも、最初から、完璧に出来ると思うのではなくて、試行錯誤があって良いと思います。回収作業で問題があれば、そのつど問題提起して、話し合いで直していけば良いのではないでしょうか。生徒が大人になった時、起業家になる人もいるでしょう。しかし、起業というのは90%が失敗するものです。サラリーマンになる場合でも、トヨタのように、毎日がカイゼンをしているようです。社会学習というのは、失敗を学ぶためにやるのではないでしょうか。 |
▼天橋立の愚痴人間さん: >学校における「平等」と「自主性」教育の問題点 参考になりました。 日本の教育は外見を気にした見てくれの教育と思うのです。 運動会でも、保護者などの観客を意識しての毎日練習、教育上どんな効果があるのでしょうか。 またランドセルで毎日重い教材を持ち運び、これにも疑問なのです。 アメリカの小学校の運動会は、気軽ですよ、それでも保護者の応援も真剣なのです。勝敗に関係なく一生懸命走ればよいと言う感じなのです。 教材は学校に置いて置くのです。楽器など個人で購入はしないのです。 アメリカ.ボルチモアの公立小学校の概要(日本と異なる) http://www002.upp.so-net.ne.jp/HATTORI-n/a210.htm |
教育界の新自由主義とかアメリカの教育現場などいろいろな御意見を紹介していただき有難うございます。先の文章では示しておりませんが、私の発想は現代資本主義や民主主義の根源を問うところに発しております。資本主義の限界はおおくの人々がもはや感じられていることと思います。一方の民主主義の問題に手をつけるのは今だタブーと思いますが、物質と情報が氾濫する世の中、民主主義の一文字を云々するだけで青少年を含めた多くの人々が正常な精神を醸成できるのでしょうか。人間の精神などは医学的にも証明されているように、外界の影響を受けて存在しているのです。民主主義の精神は長い歴史で人類が勝ち取ってきた大切な宝物にちがいありません。しかし今後とも、なんのコントロールをすること無く放置してよいものでしょうか。一部の意思堅固な人々はともかく、人類全体を考えたとき、適正なコントロールの方式を確立すべきではないでしょうか。ただし、現在直ちになすべきとまでは考えておりません。ですが資本主義経済の行き詰まりまでには対応しなければならないのではないでしょうか。物質と情報の量と人間性の問題は比例して変質してきております。資本主義の崩壊は民主主義の崩壊を引き起こすと私は思います。こらからは民主主義そのものを、もっと充実した理念で構築していかねばならないのではないでしょうか。念仏みたいに唱えるだけではやっていけない世の中がちかづいてきておるように思えてなりません。 |