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 ▼教育の原点(1)  流水 06/3/1(水) 10:46
   ┣Re(1):教育の原点(2)  流水 06/3/1(水) 11:02
   ┃  ┣Re(2):教育の原点(2)  k.satou 06/3/1(水) 11:49
   ┃  ┃  ┗Re(3):教育の原点(2)  流水 06/3/1(水) 13:22
   ┃  ┃     ┗Re(4):教育の原点(2)  k.satou 06/3/1(水) 14:09
   ┃  ┣Re(2):教育の原点(2)  団塊党 06/3/4(土) 8:06
   ┃  ┗Re(2):教育の原点(2)  満点 06/3/16(木) 13:52
   ┣Re(1):教育の危機(1)  流水 06/3/3(金) 10:36
   ┣Re(1):教育の危機(2)  流水 06/3/3(金) 10:41
   ┣Re(1):教育の危機(3)  流水 06/3/3(金) 10:48
   ┣Re(1):教育の危機(4)  流水 06/3/3(金) 10:52
   ┣Re(1):教育の危機(5)  流水 06/3/3(金) 11:00
   ┃  ┣Re(2):教育の危機(5)  k.satou 06/3/3(金) 12:16
   ┃  ┃  ┗Re(3):教育の危機(5)  流水 06/3/3(金) 13:54
   ┃  ┣Re(2):教育の危機(5)  キタキツネ 06/3/4(土) 9:30
   ┃  ┃  ┣Re(3):教育の危機(5)  流水 06/3/4(土) 10:30
   ┃  ┃  ┃  ┗Re(4):教育の危機(5)  こじま社長 06/3/4(土) 16:30
   ┃  ┃  ┃     ┗Re(5):教育の危機(5)  流水 06/3/5(日) 10:27
   ┃  ┃  ┗Re(3):教育の危機(5)  団塊党 06/3/4(土) 14:11
   ┃  ┣Re(2):教育の危機(5)  団塊党 06/3/4(土) 14:38
   ┃  ┃  ┣Re(3):教育の危機(5)  流水 06/3/4(土) 15:38
   ┃  ┃  ┃  ┣Re(4):教育の危機(5)  キタキツネ 06/3/4(土) 16:05
   ┃  ┃  ┃  ┗Re(4):教育の危機(5)  団塊党 06/3/5(日) 4:52
   ┃  ┃  ┃     ┗Re(5):教育の危機(5)  こじま社長 06/3/5(日) 10:27
   ┃  ┃  ┃        ┗Re(6):教育の危機(5)  団塊党 06/3/5(日) 15:27
   ┃  ┃  ┃           ┗Re(7):教育の危機(5)  団塊党 06/3/5(日) 16:12
   ┃  ┃  ┗Re(3):教育の危機(5)  たけチャン 06/3/4(土) 22:06
   ┃  ┃     ┗Re(4):教育の危機(5)  団塊党 06/3/5(日) 10:23
   ┃  ┗Re(2):教育の危機(5)  ぎみゆら 06/3/9(木) 20:14
   ┣Re(1):幸福って何かしら!  流水 06/3/3(金) 19:14
   ┃  ┣Re(2):幸福って何かしら!  弥生 06/3/3(金) 21:12
   ┃  ┃  ┗[管理人削除]   
   ┃  ┃     ┗Re(1):Re(5)教育の危機  弥生 06/3/4(土) 10:04
   ┃  ┃        ┗Re(2):Re(5)教育の危機  流水 06/3/4(土) 15:42
   ┃  ┗Re(2):幸福って何かしら!  k.satou 06/3/3(金) 23:05
   ┃     ┣Re(3):幸福って何かしら!  BadBloke 06/3/4(土) 10:01
   ┃     ┃  ┗Re(4):幸福って何かしら!  k.satou 06/3/5(日) 8:25
   ┃     ┗Re(3):幸福って何かしら!  悠々 06/3/4(土) 22:15
   ┃        ┗Re(4):幸福って何かしら!  k.satou 06/3/5(日) 8:44
   ┃           ┗Re(5):幸福って何かしら!  悠々 06/3/6(月) 10:25
   ┃              ┗Re(6):幸福って何かしら!  k.satou 06/3/7(火) 9:10
   ┃                 ┗Re(7):幸福って何かしら!  たけチャン 06/3/10(金) 0:18
   ┃                    ┣Re(8):幸福って何かしら!  k.satou 06/3/10(金) 9:43
   ┃                    ┃  ┗Re(9):幸福って何かしら!  k.satou 06/3/10(金) 9:57
   ┃                    ┗Re(8):幸福って何かしら!  悠々 06/3/10(金) 19:38
   ┃                       ┣Re(9):幸福って何かしら!  k.satou 06/3/10(金) 20:55
   ┃                       ┃  ┗Re(10):幸福って何かしら!  悠々 06/3/11(土) 19:11
   ┃                       ┗Re(9):幸福って何かしら!  たけチャン 06/3/12(日) 0:54
   ┃                          ┗Re(10):幸福って何かしら!  悠々 06/3/12(日) 18:09
   ┃                             ┗Re(11):幸福って何かしら?  レモン 06/3/12(日) 20:09
   ┃                                ┗Re(12):幸福って何かしら?  悠々 06/3/13(月) 19:04
   ┃                                   ┗Re(13):幸福って何かしら?  k.satou 06/3/13(月) 21:44
   ┃                                      ┗Re(14):幸福って何かしら?  レモン 06/3/14(火) 8:51
   ┃                                         ┗Re(15):幸福って何かしら?  k.satou 06/3/14(火) 11:50
   ┃                                            ┗Re(16):幸福って何かしら?  レモン 06/3/14(火) 12:06
   ┣Re(1):教育の原点(1)  団塊党 06/3/4(土) 3:28
   ┣Re(1):教育の原点(1)  団塊党 06/3/4(土) 3:41
   ┣Re(1):共生社会の教育か、分断社会の教育か  流水 06/3/6(月) 13:20
   ┣Re(1)駒大苫小牧校問題について:雑感  流水 06/3/6(月) 15:52
   ┃  ┗Re(1):Re(1)駒大苫小牧校問題について:雑感  弥生 06/3/6(月) 21:53
   ┗Re(1):教育の原点(1)  満点 06/3/17(金) 11:52

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 ■題名 : 教育の原点(1)
 ■名前 : 流水
 ■日付 : 06/3/1(水) 10:46
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   日本TVに【笑ってコラえて】というバライテイ番組がある。一昨年来、その番組で【男子新体操】や【吹奏楽の旅】というコーナーをやっている。マイナー競技と思われている男子新体操や全国の吹奏楽の強い高校を訪ねて、生徒たちの泣き笑いを取材している。
そのコーナーのスペシヤルが放映されたことがある。
吹奏楽の甲子園、東京の【普門館】を目指した高校を取材したものをまとめて放映したのだ。

その中で、わたしの印象に残ったのは、大阪の淀川工業高校である。この高校の吹奏楽の指導している先生の指導力は、凡百の教育論など足元にも及ばない見事なものだった。
淀川工業高校の吹奏楽部員は約200名。8割は高校で初めて楽器を持った生徒である。
この素人同然の生徒たちを3年間で、全国屈指の強豪校に仕上げる手腕は、並の指導力ではない。
ちなみに【普門館】出場を果たす高校の大半は、中学以来楽器に親しんだ生徒を集めそれを徹底的に鍛えても出れるかどうか分からない難関である。
それを部員の8割が高校で初めて楽器を持った生徒で成し遂げるというのは稀有の例であろう。

この先生の指導の秘密をわたしなりの視点でまとめてみる。
1、個人の演奏技術を鍛える。⇒それも自分から練習するように仕向ける。
2、ここのオーデイションは、生徒全員が参加する。例えば、フルートパートが5人おり、その中から3人選ぶとしたら、5人が順番に演奏して、それを聞いた生徒全員の挙手で3人を選ぶ。 ※ここで重要なのは、よい音を聞き分ける耳を生徒たちが持っているということである。この鍛え方が凄い。
3、演奏会に出場できるのは,50名。残りの150名は参加できない。この150名のやる気をなくさない配慮が行き届いている。
4、常に子供たちの雰囲気に気を配っていて、だれ気味の時とか節目節目に喝をいれ、空気を引き締めている。
5、やるのは生徒、喜ぶのも生徒、ということを常に意識付けしている。つまり、【集団意識】の変容を意図的に行っている。

6、大会間際まで、細かな指示を出さず、スキルの向上に専念させ、大会間際に会場の大きさに負けない音の出し方、演奏曲目の考え方を教えないで、生徒自身に考えさせている。

7、生徒自身に極限までもがかせておいて、最後に一言的確な指示を出す。この番組でいえば、「ミス・サイゴン」の最初の出だしの演奏を【祭り】というイメージで演奏する、という指示を出した。その指示を受けてからの演奏の劇的な変化は、生徒のもがき方の深さと指示を出す間合いの計り方が絶妙だからであり、この先生の力量の高さを実感させた。

※教師の声かけは、タイミングが全てである。生徒の日常をきちんと把握しておいて、ここぞというタイミングで声をかける。特別な言葉でなくても、その言葉によって生徒は劇的に変化する場合がある。何でもない言葉一つでも、教師の日常の観察眼、生徒に対する見方などが凝縮されており、これが教師の力量を決定するのである。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):教育の原点(2)  ■名前 : 流水  ■日付 : 06/3/1(水) 11:02  -------------------------------------------------------------------------
   200人の生徒一人一人成長させるのは至難の業である。
評論家は一人一人の生徒を見るなどというけれど、そんなことが簡単にできるはずが無い。
それこそ、言うは易く、行なうは難しである。

淀川工業高校の先生は、吹奏楽部員の集団の力を借りて、この困難な課題を克服している。
個人のスキルを向上させるには、基本練習以外にない。これをやりきる意識を集団に植え付けている。
同時に、オーデイションの合否を生徒自身に決めさせることにより、耳を鍛え、音楽に対する集団の意識を向上させている。50名に選ばれても、練習過程でよい加減な音を出したら即補欠と交代させ、厳しさを植えつけている。
それでいて、一人一人の力量を正確に把握、励ましの言葉を忘れない。教師自身の能力の高さもさることながら、生徒に対する愛情が溢れていた。

自主性だ、平等だなどという理屈は、どうにでもこねますことはできるが、実践できなかったらそれこそ絵に描いた餅である。
半可通の教育論の大半は、【子供を粘土細工】と同じと考えている場合が多い。つまり、どうにでも形が変えられるものだと考えているのである。

ところが淀川工業高校の例が端的に示しているように、教育とは子供が自分で自分を鍛え、自分で自分を育てていく、教師はそれを手助けし、生徒が自身を向上させる環境をつくることにつきる。子供たちは(人間といってもよい)そういう力を持っていると信じることから教育は始まる。
教育論の原点にその思いが感じられないものは、所詮ただの理屈に過ぎないと思う。

しかし、その為には、それこそ血の滲むような努力が必要である。叱ることも必要だし、時には突き放し、時にはほめ、時には遠くから眺め、時には近くに寄り添い、じっと我慢をすることも必要である。
教育とは時間がかかり、その成果は何十年後にしか表れないかも知れない。
まさに【賽の河原の石積み】のような努力を必要とするのである。

淀川工業高校の吹奏楽部のような鍛錬をして、仲間意識を培った子供たちが、学校を愛さないわけがない。仲間を大切にしないわけがない。人間に対する信頼をなくすわけがない。
同じように全国の強豪高である習志野高校の先生に対して、同校の吹奏楽部の女生徒たちが、【パパ(先生のあだな)、大好き】という声援を送っていたが、むべなるかなと思う。
偉そうに上から愛せよなどという教育とは、根本的に違うのである。
そのことをきわめて分かりやすく教えてくれた番組だった。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):教育の原点(2)  ■名前 : k.satou <cbl13464@nifty.com>  ■日付 : 06/3/1(水) 11:49  -------------------------------------------------------------------------
   ▼流水さん:さすが 読ませますね。
 原点の次も お聞かせいただけませんか?
 実は いい会社に入りたいが?いい生活をしたい?
    いい嫁さんを?とまで
    言われて絶句してます。
 平穏な生活というのも あの9・11日以来最強の国アメリカでさえ
 同時多発テロで米経済の象徴たる世界貿易センタービル2棟を失い
 ペンタゴン まで破壊された。CIAのシュミレーションにはないものは
 いともたやすく原爆じゃなくても 突然現出する事実が証明されました。
 シーレンだのMSD戦略計画だのじゃなくても いくらでもありそうです。
 明日も又変わらない日がやってくるという前提は 
 もう時代性を失ってる  のですかね  


>200人の生徒一人一人成長させるのは至難の業である。
>評論家は一人一人の生徒を見るなどというけれど、そんなことが簡単にできるはずが無い。
>それこそ、言うは易く、行なうは難しである。
>
>淀川工業高校の先生は、吹奏楽部員の集団の力を借りて、この困難な課題を克服している。
>個人のスキルを向上させるには、基本練習以外にない。これをやりきる意識を集団に植え付けている。
>同時に、オーデイションの合否を生徒自身に決めさせることにより、耳を鍛え、音楽に対する集団の意識を向上させている。50名に選ばれても、練習過程でよい加減な音を出したら即補欠と交代させ、厳しさを植えつけている。
>それでいて、一人一人の力量を正確に把握、励ましの言葉を忘れない。教師自身の能力の高さもさることながら、生徒に対する愛情が溢れていた。
>
>自主性だ、平等だなどという理屈は、どうにでもこねますことはできるが、実践できなかったらそれこそ絵に描いた餅である。
>半可通の教育論の大半は、【子供を粘土細工】と同じと考えている場合が多い。つまり、どうにでも形が変えられるものだと考えているのである。
>
>ところが淀川工業高校の例が端的に示しているように、教育とは子供が自分で自分を鍛え、自分で自分を育てていく、教師はそれを手助けし、生徒が自身を向上させる環境をつくることにつきる。子供たちは(人間といってもよい)そういう力を持っていると信じることから教育は始まる。
>教育論の原点にその思いが感じられないものは、所詮ただの理屈に過ぎないと思う。
>
>しかし、その為には、それこそ血の滲むような努力が必要である。叱ることも必要だし、時には突き放し、時にはほめ、時には遠くから眺め、時には近くに寄り添い、じっと我慢をすることも必要である。
>教育とは時間がかかり、その成果は何十年後にしか表れないかも知れない。
>まさに【賽の河原の石積み】のような努力を必要とするのである。
>
>淀川工業高校の吹奏楽部のような鍛錬をして、仲間意識を培った子供たちが、学校を愛さないわけがない。仲間を大切にしないわけがない。人間に対する信頼をなくすわけがない。
>同じように全国の強豪高である習志野高校の先生に対して、同校の吹奏楽部の女生徒たちが、【パパ(先生のあだな)、大好き】という声援を送っていたが、むべなるかなと思う。
>偉そうに上から愛せよなどという教育とは、根本的に違うのである。
>そのことをきわめて分かりやすく教えてくれた番組だった。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):教育の原点(2)  ■名前 : 流水  ■日付 : 06/3/1(水) 13:22  -------------------------------------------------------------------------
   ▼k.satouさん:

● 実は いい会社に入りたいが?いい生活をしたい?
>    いい嫁さんを?とまで
>    言われて絶句してます。
> 平穏な生活というのも あの9・11日以来最強の国アメリカでさえ
> 同時多発テロで米経済の象徴たる世界貿易センタービル2棟を失い
> ペンタゴン まで破壊された。CIAのシュミレーションにはないものは
> いともたやすく原爆じゃなくても 突然現出する事実が証明されました。
> シーレンだのMSD戦略計画だのじゃなくても いくらでもありそうです。
> 明日も又変わらない日がやってくるという前提は 
> もう時代性を失ってる  のですかね  
>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
satouさんの問いは、現代の教育問題を考える時に忘れてはならない問題だと思います。

わたしは以下のように考えています。
元々教育の本来的理念は、如何にして人間を育成するかという考え方でした。ところが、団塊党さんも紹介しているように、現在文部省を中心として行われている教育改革は、如何にして優秀な労働力を育成するか、という視点に貫かれています。換言するならば、「資源」としての労働力という考え方に基づいているのです。

現在の労働情況をよく見てください。労働力が単なる「資源」の一つに還元されつつあります。もう少し露骨にいうならば、企業にとっての労働力とは、利用価値に従って、組織化され、格付けされ、使い回され、場合によっては廃棄される「資源」として考えられているのです。要するに、人的資源はどこでも調達可能であるべき経済商品と同じなのです。
最近よく聞く言葉に、「厭なら止めろ。代わりはいくらでもいる」というのがあります。これは、労働力が単なる資源ないし商品として位置づけられているということを端的に示しています。

だから、労働者は常に自分が使える存在であることを証明しなくてはならなくなります。もともと「労働者の権利」だったものが、「被雇用性」(自分は、雇用されている弱い立場)の証明という新たな義務にすり替わっていくのです。
自分が使える存在であるという証明になるのが、「教育」というわけです。つまり、「教育」の意味が、「被雇用性」の証明にあるということです。これが教育が直面している本質的危機の一つだと思います。

上記の「いい会社に入りたい」「いい生活をしたい」「いい嫁をもらいたい」という発想は、当然【他者と比較して】という前提があります。
ところが、具体的に「いい」という価値基準はどこにあるのでしょう。よくよく問い詰めて見ると、その価値基準は結局外から与えられたものではないかという疑いが拭いきれません。
結局、本人の主体性なるものすらTVをはじめとする情報社会の中での商業性に絡めとられているのが現在という時代でしょう。

★未来というワケの分からぬ存在を/私の形に切り抜いていく

現代の女子高校生の歌です。「私の形」だと思ったものが、実は【他人の形】ではなかったのか、という不分明な世界が現代という時代ではないかと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):教育の原点(2)  ■名前 : k.satou <cbl13464@nifty.com>  ■日付 : 06/3/1(水) 14:09  -------------------------------------------------------------------------
   ▼流水さん:さすが あなたならでは!と思うのですが 
  世の中により つくられ・おしきせにされてるのかもしれませんが
  やはりステキな女性もいるし旨いものも快適生活も実際ある。

  私は聞かれると旨いものは たらふく食え!ああいいなあ!と思うものには
  遠慮なく貪欲に滲みよれ!悲観なんかするな!
  お前のすきなスマップのトライアングルの一節みたいに
   その想いを声の限りに伝えるんだ。という。すると

  そりゃオリコンチャートの話さ
  勉強してもいい会社に入れず。いい会社に入っても いつ潰れ
  リストラされるかわかんない。とても生活の安定なんか望めやしない。
  まして 結婚なんかできない。
  サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ!という世代の貴方たちには
  わかんねーだろうな! なんて 
  自信満々いわれると そうかな?とも。
  踏み切りまでは わかっても 次も難しい。
   ホップ。ステップ。

>▼k.satouさん:
>
>● 実は いい会社に入りたいが?いい生活をしたい?
>>    いい嫁さんを?とまで
>>    言われて絶句してます。
>> 平穏な生活というのも あの9・11日以来最強の国アメリカでさえ
>> 同時多発テロで米経済の象徴たる世界貿易センタービル2棟を失い
>> ペンタゴン まで破壊された。CIAのシュミレーションにはないものは
>> いともたやすく原爆じゃなくても 突然現出する事実が証明されました。
>> シーレンだのMSD戦略計画だのじゃなくても いくらでもありそうです。
>> 明日も又変わらない日がやってくるという前提は 
>> もう時代性を失ってる  のですかね  
>>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>satouさんの問いは、現代の教育問題を考える時に忘れてはならない問題だと思います。
>
>わたしは以下のように考えています。
>元々教育の本来的理念は、如何にして人間を育成するかという考え方でした。ところが、団塊党さんも紹介しているように、現在文部省を中心として行われている教育改革は、如何にして優秀な労働力を育成するか、という視点に貫かれています。換言するならば、「資源」としての労働力という考え方に基づいているのです。
>
>現在の労働情況をよく見てください。労働力が単なる「資源」の一つに還元されつつあります。もう少し露骨にいうならば、企業にとっての労働力とは、利用価値に従って、組織化され、格付けされ、使い回され、場合によっては廃棄される「資源」として考えられているのです。要するに、人的資源はどこでも調達可能であるべき経済商品と同じなのです。
>最近よく聞く言葉に、「厭なら止めろ。代わりはいくらでもいる」というのがあります。これは、労働力が単なる資源ないし商品として位置づけられているということを端的に示しています。
>
>だから、労働者は常に自分が使える存在であることを証明しなくてはならなくなります。もともと「労働者の権利」だったものが、「被雇用性」(自分は、雇用されている弱い立場)の証明という新たな義務にすり替わっていくのです。
>自分が使える存在であるという証明になるのが、「教育」というわけです。つまり、「教育」の意味が、「被雇用性」の証明にあるということです。これが教育が直面している本質的危機の一つだと思います。
>
>上記の「いい会社に入りたい」「いい生活をしたい」「いい嫁をもらいたい」という発想は、当然【他者と比較して】という前提があります。
>ところが、具体的に「いい」という価値基準はどこにあるのでしょう。よくよく問い詰めて見ると、その価値基準は結局外から与えられたものではないかという疑いが拭いきれません。
>結局、本人の主体性なるものすらTVをはじめとする情報社会の中での商業性に絡めとられているのが現在という時代でしょう。
>
>★未来というワケの分からぬ存在を/私の形に切り抜いていく
>
>現代の女子高校生の歌です。「私の形」だと思ったものが、実は【他人の形】ではなかったのか、という不分明な世界が現代という時代ではないかと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):教育の原点(2)  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 06/3/4(土) 8:06  -------------------------------------------------------------------------
   ▼流水さん:

>自主性だ、平等だなどという理屈は、どうにでもこねますことはできるが、実践できなかったらそれこそ絵に描いた餅である。
>半可通の教育論の大半は、【子供を粘土細工】と同じと考えている場合が多い。つまり、どうにでも形が変えられるものだと考えているのである。
>
>ところが淀川工業高校の例が端的に示しているように、教育とは子供が自分で自分を鍛え、自分で自分を育てていく、教師はそれを手助けし、生徒が自身を向上させる環境をつくることにつきる。子供たちは(人間といってもよい)そういう力を持っていると信じることから教育は始まる。
>教育論の原点にその思いが感じられないものは、所詮ただの理屈に過ぎないと思う。
>
>しかし、その為には、それこそ血の滲むような努力が必要である。叱ることも必要だし、時には突き放し、時にはほめ、時には遠くから眺め、時には近くに寄り添い、じっと我慢をすることも必要である。
>教育とは時間がかかり、その成果は何十年後にしか表れないかも知れない。
>まさに【賽の河原の石積み】のような努力を必要とするのである。
>
>淀川工業高校の吹奏楽部のような鍛錬をして、仲間意識を培った子供たちが、学校を愛さないわけがない。仲間を大切にしないわけがない。人間に対する信頼をなくすわけがない。
>同じように全国の強豪高である習志野高校の先生に対して、同校の吹奏楽部の女生徒たちが、【パパ(先生のあだな)、大好き】という声援を送っていたが、むべなるかなと思う。
>偉そうに上から愛せよなどという教育とは、根本的に違うのである。
>そのことをきわめて分かりやすく教えてくれた番組だった。

私が上に言ったことが恥ずかしくなりました。
ここにほとんどすべてが書いてありますね。
これにつきますね。

教師の仕事というのは目の前にいる子どもが相手です。
一瞬たりともじっと待ってくれません。
瞬間瞬間に対応して行かなくてはなりません。

言葉では分かっていてもそれを実践するとなると途方に暮れることばかりです。
私は教師の仕事ほど難しい仕事はないと思います。

その上に流水さんも言われるように子どもを産業界の手段として利用していこうというような力が外部からかかってきます。

愚痴ばかり言っても仕方がありませんけど(こんなこと親に言っても言い訳にしか聞こえないでしょう)せめてこの老人党では少しでも教師の抱えている問題の難しさを理解して欲しいと思っています。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):教育の原点(2)  ■名前 : 満点  ■日付 : 06/3/16(木) 13:52  -------------------------------------------------------------------------
   教育には教える教育、教えない教育があるらしい。士官学校時代同じ教科書を与え,ただそれだけでその内容把握は完璧であった。戦後、国立大で教鞭をとったが、その洞察力は酷いものだった。中学から大学ではどの程度の専門書を読んでいるかを示すべきで、逆にこの程度の知識を得るには今、中学で何を知るべきかを知らしむべきだろう。今の教育は脅しの教育である。先を真っ暗にしてやるやり方は、先生に力がないからだろう。実学がなさ過ぎるからだろう。そのさいたるものは英語教育だろう会話をしたこともないものが英語を教えている。此が日本の英語教育の実体だ。アメリカの小学校の歴史教科書を読みこなせる大卒者がどれだけいるだろうか。理論と実際、どちらも大事。
良い学校ほど先生はらくだ。方向を示すだけでよいからだ。家族でも出来ない子ほど手が掛かる。しかし可愛い。能力だけで言えば、一時期のソ連のように各小学校の1番だけを集めたクラス、2番だけのクラスーーーーーを高校、大学とおこなって秀才教育を行い進路まで決めてやっていたことをソ連帰りの先生から聞いた。それに近いことが日本の私学教育で、日教組を離れて行われているので一安心だ。だいたい日本の教育者は大学時代でも中クラスの程度のが就職で文部省をはじめ各県の行政職をやっている。そして彼らはコンプレックスをもったままに。どうぞ皆さん、はやく日本の教育を考えないと世界で生きていけなくなります。ドウデモイイデスヨ!!!!!

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):教育の危機(1)  ■名前 : 流水  ■日付 : 06/3/3(金) 10:36  -------------------------------------------------------------------------
   ここ数年の日本の教育論議の多くは、国旗・国歌に象徴される愛国心論争や平等批判、教育基本法改正問題、日教組批判のイデオロギー論争に終始してきました。
社会的には、ナショナリズムの台頭という風に見えます。
ところが、現在ナショナリズム復活・台頭は、戦前型国家主義的ナショナリズムの潮流だけではないのです。
米国主導型の【新自由主義的】思想が大きな影響力を持っています。この二つが混在した形が現在の日本のナショナリズム台頭なのです。

ネット右翼に代表される単なる復古調ナショナリズムならば、これほどの力を持つことはできないのですが、その背後にある【新自由主義理論】は無視できない力を持っています。
多くの日本人は、この【新自由主義理論】について、その危険性の認識が薄かったといっても過言ではありません。
小泉首相の叫ぶ【改革】の内実は、この「新自由主義理論」に基づくケインズモデル(修正資本主義的システム)の改変、廃止です。
そして、これを盲目的に信仰し、推進できる人間育成こそが、現在行われている教育改革の方向性なのです。

では、【新自由主義】とは何か、ということになります。

経済評論家内橋克人の説明が大変分かりやすいので、以下引用します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★一九七八年の航空自由化に始まったアメリカのディレギュレーション、つまり規制緩和の流れは、その後、「市場原理至上主義」として世界経済に決定的な影響を与える一種のイデオロギーにまで高められていく訳ですが、その論理的根拠はシカゴ学派と呼ぼれる経済学、すなわち新古典派経済学(新自由主義学派とも呼ぱれている)によって築かれた、という事実です。つまり、背景には経済学の一学派が存在するということです。

★ それは、ケインズ理論を基礎とするニューエコノミックスに対立して、ミルトン・フリードマン米シカゴ大学教授らによって唱導されつつ登場し、たちまち全米の学会を席巻するに至る学派ですが、何よりも、自由な価格機能の復活、市場機能の絶対視、通貨供給量の重視、そしていわゆる「小さな政府」を最善のものとする理論において、他の学派とは決定的に違っていること、などに特徴をみることができるでしょう。

★一言でいえば、何事も市場に委ねさえすればうまくいく、市場機能の働きによって最適の資源配分が達成される、というもので、雇用・労働もまたその例外ではありません。

★レーガン政権の時代、この新古典派経済学は現実の経済政策形成の場において強い影響力、発言力を発揮しつつ興隆し、やがて全米の経済学を制圧していったといわれます

★現在では、世界銀行、IMF(国際通貨基金)などが、経済危機に瀕した新興工業国、開発途上国を救済する、という国際的な経済活動の分野においても、新古典派経済学がべースとなって「新古典派型開発戦略」がとられるようになりました。したがって、経済援助の条件として「国営企業の民営化」「政府介入余地の縮小」「投資環境の整備」「賃金コストの抑制」などが義務づけられるようになっているわけです。
これがすなわちビッグバン・アプローチと呼ばれるものです。

岩波ブックレット458
規制緩和 何をもたらすか(内橋克人,ジェーン・ケルシー,大脇雅子,中野麻美 著,1998年)より
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この「新自由主義」理論は、単に経済学の分野に止まらず、政治、経済、教育などあらゆる分野にわたって世界中に影響を与えました。
日本もその例外ではありません。プラザ合意以来の日本経済の低迷は、【新自由主義理論】に基づくアメリカン・スタンダードをグローバル・スタンダードとして押し付けられた結果として派生したものです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):教育の危機(2)  ■名前 : 流水  ■日付 : 06/3/3(金) 10:41  -------------------------------------------------------------------------
   特にこの理論の影響が顕著なのが、政治と教育の分野です。
政治分野における【新自由主義】とは、以下のように説明されています。
「政府の過度な民間介入を批判して、個人の自由と責任に基づく競争と市場原理を重視する考え。
福祉国家の実現や「大きな政府」を支持する古典的な自由主義に対して、夜警国家的な「小さな政府」を支持する立場において、用いられた。

1980年代には、こうした考えに基づき、経済の安定化を図り、イギリスのサッチャー、アメリカのレーガン、日本の中曽根政権のもとで、民営化や減税が進められた。 また、これらは、経済の国際化に戦略的に対応することによって、貧困層よりも、中産階級の支持を求めようとしていると言われる。」
http://pol.cside4.jp/theory/16.html

日本における教育改革も、この世界の潮流と無縁ではありません。文部科学省の教育改革は、この【新自由主義理論】に基づいて行われているのです。
大学の独立法人化などは、その最たるものでしょう。
一言で言えば、企業の利益になるような研究・学問には金は出すが、企業利益にならない研究にはお金は出さない、ということでしょう。
研究者の業績評価なども、評価基準が変化したら、正反対の結論が出ても不思議はないのです。

このように見てくると、教育問題の本質は、「新自由主義的教育論」をよく理解しないと見えてきません。
日本人の多くは、【新自由主義的教育論】の危険性について、いまだよく理解していないのではないかと危惧します。

わたしは、以前「愛国心教育」で以下のように述べました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
愛国心教育を強調する人には、大きく分けて2種あります。
1、愛国心を強調することにより、国民に犠牲を強要し、統治をしやすくする
⇒きわめて官僚的で国民を道具としか見ない発想。同時に、きわめて合理的思考で効率的な政策運営を志向しています。
※共同体の論理と国家の論理を直線的につなげる発想はとらない。

2、愛国心に人間の美を見る発想⇒家族・親戚だけではなく、共同体や社会や国家のために犠牲になるのを美しいと感じる発想⇒このことを本気で信じるタイプの人間は、往々にして反政府になったり、テロリストになったりする。(戦前型右翼に多いタイプ)
※共同体の論理と国家の論理をそのまま直線的につなげる発想。

本当に危険なのは1のタイプです。そして、政治家・官僚など権力者に多いのは、1のタイプです。
愛国心教育に疑義を呈している人は、この1のタイプの危険性を経験知としてよく知っているのです。

しかし、国民の前に出てくるのは、2のタイプの人間です。1のタイプの人間たちは自分たちの目的を達成するために、2のタイプの人間を利用するのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

現在、進行中の教育改革でも、このメカニズムは健在です。国旗・国歌問題や愛国心教育や日教組批判(偏向教育批判)、平等思想批判、教科書問題など右派からの執拗なイデオロギー論争で、教育問題の本質が国民の目から完全に隠されているのです。
このような論争を横目に見ながら、着々と進められているのが、「新自由主義的教育改革」です。

この教育の危険性については、先進国である程度のモデルができています。リッカルド・ペトレラ(Riccardo Petrella)欧州委員会顧問、ルーヴァン・カトリック大学教授(ベルギー)は、教育における危機を五つにまとめて論じています。

1、教育がだんだんと「人的資源」育成のための手段となりつつあるという事実。
2、教育が商業の世界へシフト。
3、知識獲得競争が、人の人生を左右しかねないほど熾烈になっている。
4、技術への教育の従属。
5、このような教育システムが、新たな形の社会的分断を正当化する手段として使われている。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):教育の危機(3)  ■名前 : 流水  ■日付 : 06/3/3(金) 10:48  -------------------------------------------------------------------------
   彼の所論に従って、日本における教育の危機を私流にまとめてみましょう

★【第一の危機】は、教育がだんだんと「人的資源」育成のための手段となlりつつあるという事実。
日本で言えば、1963年に出された経済審議会が「経済発展における人的能力開発の課題と対策」という答申の中で、【人材開発教育】を要請しています。これが、「詰め込み教育」を起こした大きな要因です。
続けて、1969年に経済審議会が【情報化社会の教育は、分かる教育ではなくて、できる教育である】と答申しています。

つまり、教育の本来的理念である人間を育成するという考え方が、「資源」としての労働力という考え方に駆逐されつつあるということです。現在の労働情況をよく見てください。労働力が単なる「資源」の一つに還元されつつあります。もう少し露骨にいうならば、企業にとっての労働力とは、利用価値に従って、組織化され、格付けされ、使い回され、場合によっては廃棄される「資源」として考えられているのです。要するに、人的資源はどこでも調達可能であるべき経済商品と同じなのです。
最近よく聞く言葉に、「厭なら止めろ。代わりはいくらでもいる」というのがあります。これは、労働力が単なる資源ないし商品として位置づけられているということを端的に示しています。

だから、労働者は常に自分が使える存在であることを証明しなくてはならなくなります。もともと「労働者の権利」だったものが、「被雇用性」(自分は、雇用されている弱い立場)の証明という新たな義務にすり替わっていく。のです。
自分が使える存在であるという証明になるのが、「教育」というわけです。つまり、「教育」の意味が、「被雇用性」の証明にあるということです。これが彼のいう教育が直面している第一の危機です。

★【第二の危機】は、教育が商業の世界へシフトしつつあるということです。

教育の主要な目標が企業に役立つ人材の育成ということになれば、教育に民間資本の商業論理と金融の論理が貫徹しても不思議はないのです。
具体的にいえば、塾・予備校の存在。(すべては点をとることに集約される)各種専門学校。(すぐ企業に役立つ人材の育成)。英会話スクールの繁盛。幼児教育の繁盛などなど。
ここに貫徹しているのは、企業にとって「使える人材」「役立つ人材」を育成する、という目標に特化されているということです。
しかも、これにインターネットが加わり、この使える人材育成競争は、ますます熾烈を極めています。
「先進」国では、個人ベースの教育システムが、通信(インターネット)を利用して、時間を問わず一生にわたり、アラカルト方式(個人のニーズに応じた方式)で組み立てられる傾向が強まっています。現在やかましく叫ばれている【生涯教育】も、この流れから生まれたものです。
教育は、今や新たなビジネスモデルの宝庫なのです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):教育の危機(4)  ■名前 : 流水  ■日付 : 06/3/3(金) 10:52  -------------------------------------------------------------------------
   ★【第三の危機】は、知識獲得競争が、その人の人生を左右しかねないほど熾烈になっている、ということです。今や人々は、一生知識獲得競争のために、狂奔し続けねばならない時代になっています。

東大生の保護者の年収が、他大学の保護者の年収に比して、きわめて高いというのは、すでに20年以上前から指摘されてきたことです。この傾向はますます酷くなっています。親の生活レベルが、子供の将来を決定してしまうという時代が到来しているのです。
格差社会の進行は、【教育の機会均等】の権利を奪い去りつつあるのです。執拗に
繰り返される悪平等批判は、結果として国民から教育の機会均等の機会を奪い去る論理として機能しているのです。

つまり、教育の目標が、【戦うための素養の習得(他人などどうでもよい。自分だけよければ)】の場に変質しつつあるのです。伝統的教育目標の【生きるための素養(公共の利益を尊重しながら他人と共生すること)を身に着ける場】ではなくなりつつあるのです。

実は、この両者のバランスが絶妙だったのが、日本型教育システムだったのです。人材育成機能と生きるための素養育成の危ういバランスの上に乗っていたのが、日本型教育システムだったのです。
ところが、行き過ぎた受験競争「戦うための素養の習得(他人などどうでもよい。自分だけよければよい」が、荒れる中学校という結果をもたらしたため、このバランスが崩れたのです。それに加えて、【新自由主義的競争原理】が世界的潮流として押し寄せたため、一気に伝統的教育目標に固執する公教育批判となって噴出しているのです。

★【第四の危機】は、技術への教育の従属です。わたしもその渦中にいたのですが、1970年代以降、理科教育の重要性がどれだけ叫ばれたことか。男の子の優秀な人間の大半は、理科系の大学に進みました。女の子の優秀な子供が文科系に進んだくらいで、理科系にあらずば人にあらずという風潮が支配したのです。

ですから、大多数の政治家は、現在のグローバリゼーションを技術進歩の産物と見なしているのです。それに反対することは非常識とされるのです。従って、現在進んでいる変化を理解する能力と、それに適応するための手段を新しい世代に与えていくのが、教育の主な役割ということになるのです。この三段論法に抗することは至難の業です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):教育の危機(5)  ■名前 : 流水  ■日付 : 06/3/3(金) 11:00  -------------------------------------------------------------------------
   ★【第五の危機】は、このような教育システムが、新たな形の社会的分断を正当化する手段として使われているということです。
先進国では、21世紀は『知識の時代』というのが主流でしょう。つまり、無形の(知識、情報、通信、コンピューター)を中心とした知識の時代だというわけです。

マスコミやTVで見聞きする「eビジネス」、「e交通」、「e教育」、「e企業」、「e労働者」という言葉は、いわゆるニューエコノミーと呼ばれるものです。ニューエコノミーは、知識を基本的な資源とします。
だから、企業は「価値ある知識」を推進し、組織化し、付加価値を高めることに狂奔します。
そして、それを推進するためには、「価値ある知識」を生み出すことができる人材育成が必要だ、という結論になります。そして、それを保障する「場」が教育というわけです。
このような教育が推進されるためには、効率性が必要です。伝統的教育論※【生きるための素養(公共の利益を尊重しながら他人と共生すること)を身に着ける場】のような非効率な方法は、捨て去らねばなりません。

では、このような教育についていけれる人間はよいのですが、ついていけない人間はどうしたらよいのでしょうか。
これに対する文部科学省の回答が、「ゆとり教育」です。簡単に言えば、このような効率的な教育についてこれる人間は一握りでよい、残りの大多数の人間は、ゆっくり遊んでいろ、というのです。公教育の教師は、この子供たちの「お守り」をするのが主要な役割だ、ということになります。

では、一握りの人間の教育はどうするのか。
これが、「中高一貫教育」とか「教育の自由化」とか私立を重視しようという方向性なのです。
これは日本では、既知のシステムです。簡単に言えば、戦前型の教育システムの
再現です。戦前、尋常小学校、尋常高等小学校、中学校と教育の階段を上って言ったのですが、中学校に進学できるのはそれこそ村に一人か二人でした。まして、高等学校に進学できるのは奇跡に近かったのです。
この教育制度の現代版復活と考えれば分かりやすいのです。
一言で言えば、『教育の階層化』の推進です。これが、現に進行しつつある「新自由主義的教育改革」なのです。

国旗・国歌法案や歴史教科書問題などを本気で信じている連中は、自分が上記のような教育改革の露払いをしているなどと思わないでしょうが、これがわたしのいう1タイプの人間の凄さなのです。
論争の矢面に右派をたて、左派とのイデオロギー論争をさせておいて、気がつかないうちに「教育の階層化」を実現させてしまうのです。
しかし、わたしたちが真剣に考えておかなければならないのは、教育の結果は20年、30年経たなければ分からない、ということです。上記のような教育で育てられた子供たちが、20年後、30年後どのような人間になり、どのような社会を作り出すのか、誰にも分からないということです。
だからこそ、本当に真剣に教育問題を考えなければならないのです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):教育の危機(5)  ■名前 : k.satou <cbl13464@nifty.com>  ■日付 : 06/3/3(金) 12:16  -------------------------------------------------------------------------
   ▼流水さん:さすがですね
 私としちゃ あの第一歩のつぎをほんとはききたかった。
 たしかに 教育の危機はいわれるとうりでしょう。
  むしろ あらゆると言いたいところを置き換えたものと
   勝手に解釈してます。
 ご高説を 感謝いたします。


>★【第五の危機】は、このような教育システムが、新たな形の社会的分断を正当化する手段として使われているということです。
>先進国では、21世紀は『知識の時代』というのが主流でしょう。つまり、無形の(知識、情報、通信、コンピューター)を中心とした知識の時代だというわけです。
>
>マスコミやTVで見聞きする「eビジネス」、「e交通」、「e教育」、「e企業」、「e労働者」という言葉は、いわゆるニューエコノミーと呼ばれるものです。ニューエコノミーは、知識を基本的な資源とします。
>だから、企業は「価値ある知識」を推進し、組織化し、付加価値を高めることに狂奔します。
>そして、それを推進するためには、「価値ある知識」を生み出すことができる人材育成が必要だ、という結論になります。そして、それを保障する「場」が教育というわけです。
>このような教育が推進されるためには、効率性が必要です。伝統的教育論※【生きるための素養(公共の利益を尊重しながら他人と共生すること)を身に着ける場】のような非効率な方法は、捨て去らねばなりません。
>
>では、このような教育についていけれる人間はよいのですが、ついていけない人間はどうしたらよいのでしょうか。
>これに対する文部科学省の回答が、「ゆとり教育」です。簡単に言えば、このような効率的な教育についてこれる人間は一握りでよい、残りの大多数の人間は、ゆっくり遊んでいろ、というのです。公教育の教師は、この子供たちの「お守り」をするのが主要な役割だ、ということになります。
>
>では、一握りの人間の教育はどうするのか。
>これが、「中高一貫教育」とか「教育の自由化」とか私立を重視しようという方向性なのです。
>これは日本では、既知のシステムです。簡単に言えば、戦前型の教育システムの
>再現です。戦前、尋常小学校、尋常高等小学校、中学校と教育の階段を上って言ったのですが、中学校に進学できるのはそれこそ村に一人か二人でした。まして、高等学校に進学できるのは奇跡に近かったのです。
>この教育制度の現代版復活と考えれば分かりやすいのです。
>一言で言えば、『教育の階層化』の推進です。これが、現に進行しつつある「新自由主義的教育改革」なのです。
>
>国旗・国歌法案や歴史教科書問題などを本気で信じている連中は、自分が上記のような教育改革の露払いをしているなどと思わないでしょうが、これがわたしのいう1タイプの人間の凄さなのです。
>論争の矢面に右派をたて、左派とのイデオロギー論争をさせておいて、気がつかないうちに「教育の階層化」を実現させてしまうのです。
>しかし、わたしたちが真剣に考えておかなければならないのは、教育の結果は20年、30年経たなければ分からない、ということです。上記のような教育で育てられた子供たちが、20年後、30年後どのような人間になり、どのような社会を作り出すのか、誰にも分からないということです。
>だからこそ、本当に真剣に教育問題を考えなければならないのです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):教育の危機(5)  ■名前 : 流水  ■日付 : 06/3/3(金) 13:54  -------------------------------------------------------------------------
   ▼k.satouさん:
長い文章を読んでいただいて感謝いたします。
教育の原点で書いたのは、「伝統的価値観」に基づいたすぐれた教育実践の
一つを知っていただきかったからです。

【普門館」に出場できるのは、ほんの一握りの学校です。
その中で金賞を勝ち取れるのは、それこそ全国の高校ブラスバンドの頂点と
言ってよいのです。
この激烈な競争を勝ち抜くために、多くの高校ブラスバンドが懸命に練習します。
わたしの近所にも県で一二を争うブラスバンドの名門校があります。それこそ、
一年365日練習に明け暮れているといって過言ではありません。
そういう高校が全国に無数にあるのです。

こう書くと如何にも【競争原理】に基づいた教育理論を語っているように誤解されますが、このような競争を行いながら、子供たちを育てる方法論として、伝統的教育目標である【生きるための素養(公共の利益を尊重しながら他人と共生すること)を身に着ける場】として教育という立場を堅持していることを知ってもらいたかったのです。

わたしのいう【競争原理】と【生きるための素養を身に着ける場としての教育】という危ういバランスの上にたっていた日本の教育の典型がここに見られるからです。
そして、【生きるための素養を身に着ける場としての教育】というきちんとした目標を保持している指導者のいる学校ほど、逆に激烈な競争を勝ち抜いていっているということを知ってもらいたかったのです。
淀川工業高校のように、ほとんど素人集団といってよい高校がなぜ毎年素晴らしい成績をおさめる事ができるのか。その秘密は、、【生きるための素養を身に着ける場としての教育】としての伝統的教育目標をきちんと保持し、具現化しているからだということを知ってもらいたかったからです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):教育の危機(5)  ■名前 : キタキツネ  ■日付 : 06/3/4(土) 9:30  -------------------------------------------------------------------------
    流水さん、団塊党さん

 投稿文を読ませていただきました。全く異論はございません。

 ところで、私が楽しみにしていた駒苫高が春の選抜を辞退しました。昨年夏の甲子園で連覇を果たした駒大苫小牧高の三年生の野球部員らが、飲酒と喫煙で補導され、春の選抜を辞退することになったのです。

 駒苫高は、昨年夏の甲子園優勝直後に発覚した元野球部長の暴力からまもない不祥事で、辞退するのは当然なのであろうが、道民としては残念でなりません。そして駒苫高をここまで強くし連覇に導いた幸田監督も責任を取ることになり、監督を辞任するようです。

 卒業式が終わった夜で気が緩んでいたのことや、今時の高校生の間では酒やタバコは珍しいことではない。といった軽い気持ちだったのだと思う。(私も遠い昔、高校卒業した日に同級生と祝杯を上げたことがあります)しかし、昨年のこともあり学校も父兄ももっと気を引き締めなければいけなかった。きっと昨年の夏の連覇でどこかに気の緩みがあったのではないだろうか?

  駒苫高は連覇以来地元でも顔を知られるようになり、通報した客も駒苫高の野球部員のレギュラーだという事がすぐ分かったそうです。私がもしその客だったら、さり気なく注意するか、店の人に言って警察に通報するようなことはしないだろう。

 社会の不正義に対してする内部告発は大いにけっこうだが、今回の事件はなんとなくやりきれなさを感じます。昨年の元部長の部員殴打事件も殴られた親からの通報でした。

 かわいそうなのは選抜を夢見て過酷な練習をしてきた下級生たちです。高校野球が教育の一環だとするならば、なんの関係のない下級生が連帯責任を負うというのは、いかにも日本的で私には理解できないのです。

 ここはひとつ教育の専門家である、流水さん、団塊党さんは、どのようにお考えかぜひ意見を賜りたくお願いします。
 

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):教育の危機(5)  ■名前 : 流水  ■日付 : 06/3/4(土) 10:30  -------------------------------------------------------------------------
   ▼キタキツネさん:
● 駒苫高は連覇以来地元でも顔を知られるようになり、通報した客も駒苫高の野球部員のレギュラーだという事がすぐ分かったそうです。私がもしその客だったら、さり気なく注意するか、店の人に言って警察に通報するようなことはしないだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この手の話、よくありますね。子供用語でいえば、【ちくり】ですか。有名税と
いえば聞こえは良いのですが、要するに有名になった人、力のある人、世間的にいえば良い職業などについている人間、それらに対する嫉み、そねみの感情が働いているのではないかと思います。
もし、飲酒している生徒が他校の生徒だったらどうでしょうか。【最近の高校生はどうなっているんだ】と怒っても、通報はしなかったのではないでしょうか。
駒大苫小牧の野球部のレギュラーだったから通報されたのでしょう。

この時の心の動きの背後には、野球で全国制覇をするような生徒は、【清く、正しく、美しく】あらねばならないという倫理観が働いていたと思います。
普通に考えればすぐ分かるのですが、野球で全国制覇したからといっても、高校生は高校生、羽目も外したくもなれば酒も飲みたいと思うはずです。
しかし、世間の人はそうは考えないのです。
建前どおりの道学者として振舞うことを要求するのです。
この落差にきずかないと今回のような失敗が起きるのだと思います。

● かわいそうなのは選抜を夢見て過酷な練習をしてきた下級生たちです。高校野球が教育の一環だとするならば、なんの関係のない下級生が連帯責任を負うというのは、いかにも日本的で私には理解できないのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こういう連帯責任の取り方、日本の学生スポーツの悪しき弊害ですね。特に高校野球は、飛田穂州の精神が強く息づいており、【野球道】とでもいうべきストイックな精神が称揚されているので、どうしても今回のような形になるのでしょう。
スポーツとしての野球という考え方ならばそうはならないのですが、鍛錬としての野球という考え方がいまだに拭いきれないのだと思います。
>

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):教育の危機(5)  ■名前 : こじま社長  ■日付 : 06/3/4(土) 16:30  -------------------------------------------------------------------------
   淀工の話をしておりましたが、別の高校で柏高校も取り上げていたことを思い出していただきたい。あの高校での放送の中で、昼休み後に廊下に爪楊枝が1本落ちていたことで部の生徒が全員集合をかけられ説教がはじまった。たった1本の楊枝が落ちていただけで練習場所としていた校舎を全員が掃除を命じられその日の練習が中止になった。先生曰く、たとえ楽器がうまく演奏できても学生として、人間としての資質がなければお前らに音楽をやる資格はないと言い切った。
この教育が駒大苫小牧にはなかったのであろう

ちなみに柏高校も連続20年以上の全国大会常連校である

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(5):教育の危機(5)  ■名前 : 流水  ■日付 : 06/3/5(日) 10:27  -------------------------------------------------------------------------
   ▼こじま社長さん:
●淀工の話をしておりましたが、別の高校で柏高校も取り上げていたことを思い出していただきたい。あの高校での放送の中で、昼休み後に廊下に爪楊枝が1本落ちていたことで部の生徒が全員集合をかけられ説教がはじまった。たった1本の楊枝が落ちていただけで練習場所としていた校舎を全員が掃除を命じられその日の練習が中止になった。先生曰く、たとえ楽器がうまく演奏できても学生として、人間としての資質がなければお前らに音楽をやる資格はないと言い切った。
>この教育が駒大苫小牧にはなかったのであろう
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その場面もみております。
しかし、今回の書き込みの趣旨にはそぐわないと判断して、書いておりません。
柏高校の先生のようなタイプには、わたしが現役時代何人も遭遇しています。
彼のようなやり方が成功するためには、いくつかの条件が必要です。
1、生徒が本当に音楽が好きで、それで成功したいと思っている。
2、教師の意図を冷静に理解できる生徒の能力が必要
3、教師の音楽の力量が抜きん出ている必要
等、いくつかの条件が必要です。

中学校のブラスバンド部の生徒は女の子が圧倒的に多いのです。それも他の部の教師が羨むくらい優秀な生徒が多いのです。
柏高校は普通科、進学校だと思いますが、そのような高校にブラスバンド部の女の子は進学するケースが多いのです。
つまり、上記の条件が備わっているからあのような指導ができるのです。もし、このような条件が備わっていない高校で、このような指導を行ったら大変な反発を受ける可能性が高いと思います。

わたしが取り上げなかった理由もそこにあります。この先生の指導方法は否定しませんが、誰にでもできる【普遍性】がないと考えたから取り上げなかったのです。

淀川工業高校は、工業高校です。この学校の情況はよく知りませんが、全国の工業工での指導の難しさは、周知の事実です。
このような中で、あれだけの指導を行える秘密は何故か、というのが今回の書き込みの狙いです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):教育の危機(5)  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 06/3/4(土) 14:11  -------------------------------------------------------------------------
   ▼キタキツネさん:

> 社会の不正義に対してする内部告発は大いにけっこうだが、今回の事件はなんとなくやりきれなさを感じます。昨年の元部長の部員殴打事件も殴られた親からの通報でした。
>
> かわいそうなのは選抜を夢見て過酷な練習をしてきた下級生たちです。高校野球が教育の一環だとするならば、なんの関係のない下級生が連帯責任を負うというのは、いかにも日本的で私には理解できないのです。

関係した生徒は出場停止で仕方ないでしょうが、それ以外の生徒にとってはあきらめきれないでしょうね。
連帯責任というのはいかにも古い発想だと思います。

責任の取り方については今回の民主党のことでも議論になっていますが、老人党でも話題にして良いテーマですね。

連帯責任というのもおかしいですが、日本では誰も責任を取らない、責任の所在が分からないという点も一つの特徴ではないかと思います。
特に上が責任を取ろうとしない。
文科省の指導がくるくる変わっていますが、これについて誰も責任を取りません。
日本を借金まみれにした責任の所在もはっきり問題にしません。

そのくせ、いったん非が明らかになると辞めて責任を取ることが美学になる。
辞めさえすれば責任を取ったといって一件落着になる。
おかしいことが多いですね。

内部告発についてもよく吟味しないと、罪のない人間が犠牲になることはあるように思います。
職業柄、これは人ごとではありません。

社会全体が事実を冷静に分析する冷静な判断力を持っていないと、正義の面をかぶった偽善者が幅を利かす世の中になってしまいますね。
この点についてもマスコミの責任は大きいと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):教育の危機(5)  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 06/3/4(土) 14:38  -------------------------------------------------------------------------
   ▼流水さん:

>では、このような教育についていけれる人間はよいのですが、ついていけない人間はどうしたらよいのでしょうか。
>これに対する文部科学省の回答が、「ゆとり教育」です。簡単に言えば、このような効率的な教育についてこれる人間は一握りでよい、残りの大多数の人間は、ゆっくり遊んでいろ、というのです。公教育の教師は、この子供たちの「お守り」をするのが主要な役割だ、ということになります。
>
>では、一握りの人間の教育はどうするのか。
>これが、「中高一貫教育」とか「教育の自由化」とか私立を重視しようという方向性なのです。
>これは日本では、既知のシステムです。簡単に言えば、戦前型の教育システムの
>再現です。戦前、尋常小学校、尋常高等小学校、中学校と教育の階段を上って言ったのですが、中学校に進学できるのはそれこそ村に一人か二人でした。まして、高等学校に進学できるのは奇跡に近かったのです。
>この教育制度の現代版復活と考えれば分かりやすいのです。
>一言で言えば、『教育の階層化』の推進です。これが、現に進行しつつある「新自由主義的教育改革」なのです。

格差が広がっているとよく言われますが、国際的な学力調査でも日本の子どもの学力格差は広がっています。
ピラミッド型の分布ではなく上位が突出して中間層が減り下位が増えるいびつな曲線分布になっています。

上位3割の子どもだけを視野に入れた教育が今後も続いたら、日本は人材的にみても危機に陥るのではないかと予想します。
産業界の思惑は外れるのではないでしょうか。
すそ野を広げてこそ活力のある健康な社会が保てるのに、産業界はそれに気づいていないようです。

淀川工業高校の先生のように、競争を入れながらも共生と協同を大事にした伝統的な価値観を日本の教育は忘れてはならないと思います。

>国旗・国歌法案や歴史教科書問題などを本気で信じている連中は、自分が上記のような教育改革の露払いをしているなどと思わないでしょうが、これがわたしのいう1タイプの人間の凄さなのです。
>論争の矢面に右派をたて、左派とのイデオロギー論争をさせておいて、気がつかないうちに「教育の階層化」を実現させてしまうのです。
>しかし、わたしたちが真剣に考えておかなければならないのは、教育の結果は20年、30年経たなければ分からない、ということです。上記のような教育で育てられた子供たちが、20年後、30年後どのような人間になり、どのような社会を作り出すのか、誰にも分からないということです。
>だからこそ、本当に真剣に教育問題を考えなければならないのです。

まったくそうですね。
本当に問題にしなければいけない相手は別の所にいるのですから。
これに早く気づかなければ20年後、とんでもない社会が訪れるでしょう。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):教育の危機(5)  ■名前 : 流水  ■日付 : 06/3/4(土) 15:38  -------------------------------------------------------------------------
   ▼団塊党さん:
>●格差が広がっているとよく言われますが、国際的な学力調査でも日本の子どもの学力格差は広がっています。
>ピラミッド型の分布ではなく上位が突出して中間層が減り下位が増えるいびつな曲線分布になっています。

>上位3割の子どもだけを視野に入れた教育が今後も続いたら、日本は人材的にみても危機に陥るのではないかと予想します。
>産業界の思惑は外れるのではないでしょうか。
>すそ野を広げてこそ活力のある健康な社会が保てるのに、産業界はそれに気づいていないようです。
>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本社会は身分社会と言われていましたが、じょじょに階級社会へ変りつつある
のでしょう。
スポーツを考えてみれば、一番良く理解できるのですが、サッカーの隆盛は企業名を排し、ジュニアチーム育成を義務付け、地域密着型を目指したところから成功しました。一見、商業性を排しているように見えるのですが、結局グッズの売り上げ、TV放映権料の値上がり(TV朝日が全日本の試合を5年間60億で買っている)など見事に経営的に黒字を実現しています。
つまり、サッカー人口を増やし、裾野を拡大することにより、現在の隆盛を実現したのです。

もう少し同様なことを語れば、森の活性化は雑木にかかっているというのは、森の研究家の常識です。均質集団は、必ず衰退するのです。
現在の教育改革を続行すれば、近未来に日本は必ず衰退するとわたしは考えています。

●淀川工業高校の先生のように、競争を入れながらも共生と協同を大事にした伝統的な価値観を日本の教育は忘れてはならないと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
わたしは適度な競争は子供を育てる上に不可欠だと考えています。それは逆に子供たちが自分自身の限界と他者の能力との差異をきちんと測ることができる機会でもあるのです。
競争の勝者は、ほんの一握りです。敗者が大部分なのです。しかし、その敗者が勝者を嫉妬せず、その能力の高さをきちんと評価できる関係を作ることは、社会的な嫉妬を軽減します。
社会的な嫉妬を拡大する政策は、必ず社会不安を招きます。現に日本社会の治安の悪さは、社会的な嫉妬拡大を物語っているのです。
【機会の平等】の確保は、社会の安定の基盤なのだと思います。
>

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):教育の危機(5)  ■名前 : キタキツネ  ■日付 : 06/3/4(土) 16:05  -------------------------------------------------------------------------
   流水さん

>競争の勝者は、ほんの一握りです。敗者が大部分なのです。しかし、その敗者が勝者を嫉妬せず、その能力の高さをきちんと評価できる関係を作ることは、社会的な嫉妬を軽減します。
>社会的な嫉妬を拡大する政策は、必ず社会不安を招きます。現に日本社会の治安の悪さは、社会的な嫉妬拡大を物語っているのです。
>【機会の平等】の確保は、社会の安定の基盤なのだと思います。

 まったくその通りですね。金メダルを取った荒川選手に、憧れは持っても妬みを持つ人はいないでしょう。彼女の謙虚な姿勢がそうさせているのでしょうが(たまに妬むひねくれ者もいるようですが…)。
 またこれはスポーツばかりじゃなく他の分野でも同じことが言えますね。たとえばノーベル物理学者の小柴さんのお話を聞く機会がありましたが、同様のことを感じました。

 やはり正当な競争は人を高めるもので、一所懸命に努力したプロセスがあれば、結果として勝者になれなくとも、そこには妬みは生まれないと考えます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):教育の危機(5)  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 06/3/5(日) 4:52  -------------------------------------------------------------------------
   ▼流水さん:

>>上位3割の子どもだけを視野に入れた教育が今後も続いたら、日本は人材的にみても危機に陥るのではないかと予想します。
>>産業界の思惑は外れるのではないでしょうか。
>>すそ野を広げてこそ活力のある健康な社会が保てるのに、産業界はそれに気づいていないようです。
>>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>日本社会は身分社会と言われていましたが、じょじょに階級社会へ変りつつある
>のでしょう。
>スポーツを考えてみれば、一番良く理解できるのですが、サッカーの隆盛は企業名を排し、ジュニアチーム育成を義務付け、地域密着型を目指したところから成功しました。一見、商業性を排しているように見えるのですが、結局グッズの売り上げ、TV放映権料の値上がり(TV朝日が全日本の試合を5年間60億で買っている)など見事に経営的に黒字を実現しています。
>つまり、サッカー人口を増やし、裾野を拡大することにより、現在の隆盛を実現したのです。
>
>もう少し同様なことを語れば、森の活性化は雑木にかかっているというのは、森の研究家の常識です。均質集団は、必ず衰退するのです。
>現在の教育改革を続行すれば、近未来に日本は必ず衰退するとわたしは考えています。

まったくそうです。
衰退しているのはすそ野が狭くなっているものばかりです。
日本の技術力も近い将来、衰退するのではないかと心配です。

>●淀川工業高校の先生のように、競争を入れながらも共生と協同を大事にした伝統的な価値観を日本の教育は忘れてはならないと思います。
>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>わたしは適度な競争は子供を育てる上に不可欠だと考えています。それは逆に子供たちが自分自身の限界と他者の能力との差異をきちんと測ることができる機会でもあるのです。
>競争の勝者は、ほんの一握りです。敗者が大部分なのです。しかし、その敗者が勝者を嫉妬せず、その能力の高さをきちんと評価できる関係を作ることは、社会的な嫉妬を軽減します。
>社会的な嫉妬を拡大する政策は、必ず社会不安を招きます。現に日本社会の治安の悪さは、社会的な嫉妬拡大を物語っているのです。
>【機会の平等】の確保は、社会の安定の基盤なのだと思います。

淀川工業の先生が200人全員の子どもに切磋琢磨させながらその中の50名を選んだやり方は、すそ野を広げることにもつながるし、勝者と敗者の関係にもつながりますね。
競争と共生を両立させるような方向を企業も学校も探っていけば日本の未来が見えてきます。

政治家も財界も教育改革の誤りに早く気づいてほしいものです。
マスコミも改革という名に惑わされずに真実をしっかり見て報道してもらいたいです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(5):教育の危機(5)  ■名前 : こじま社長  ■日付 : 06/3/5(日) 10:27  -------------------------------------------------------------------------
   淀工であれ、野球、サッカー、その他の部活等での有名校の先生、指導者はその道のプロであります。
有名校の部活への入部は全員目的を持ってその部活へ入部するのであります。つまり、すでに部活にいる部員全員はそのベクトルの方向がちゃんとそろっている。
指導者はそのベクトルの大きさを最大にしてやるのが目的であります。
しかし、普通の教室、授業ではベクトルの方向がそろっていないから難しいのであります。これが学級崩壊であり、均一的な学力の向上、個性尊重ができないのであります。
私立の進学校が人気があるのは当たり前で生徒のベクトルはすでに進学という共通目標がありベクトルの方向が明確にそろっている。あとは同じくその大きさを最大限にひきだしてやる。
その道のプロがやればベクトルの大きさは違っても最大限の効果がでるのが当たり前であります。
教育問題はベクトルの方向が多種多様に向いている。だから難しいのであります。
淀工の先生もベクトルがバラバラだったら指導はできるものではないのであります。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(6):教育の危機(5)  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 06/3/5(日) 15:27  -------------------------------------------------------------------------
   ▼こじま社長さん:

>淀工であれ、野球、サッカー、その他の部活等での有名校の先生、指導者はその道のプロであります。
>有名校の部活への入部は全員目的を持ってその部活へ入部するのであります。つまり、すでに部活にいる部員全員はそのベクトルの方向がちゃんとそろっている。
>指導者はそのベクトルの大きさを最大にしてやるのが目的であります。
>しかし、普通の教室、授業ではベクトルの方向がそろっていないから難しいのであります。これが学級崩壊であり、均一的な学力の向上、個性尊重ができないのであります。
>私立の進学校が人気があるのは当たり前で生徒のベクトルはすでに進学という共通目標がありベクトルの方向が明確にそろっている。あとは同じくその大きさを最大限にひきだしてやる。
>その道のプロがやればベクトルの大きさは違っても最大限の効果がでるのが当たり前であります。
>教育問題はベクトルの方向が多種多様に向いている。だから難しいのであります。
>淀工の先生もベクトルがバラバラだったら指導はできるものではないのであります。

普通の教室でも授業のベクトルつまり目標を最初に明確にします。
ただそれが進学であったり、スポーツや音楽の技術の向上であったりという手段ではなく、学習内容そのものが目標になります。
学級崩壊するような教室は学習そのものに期待感がありません。
あなたの表現で言えばベクトルがばらばらなのです。
ですから学級崩壊などの現象が起こるわけです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(7):教育の危機(5)  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 06/3/5(日) 16:12  -------------------------------------------------------------------------
   ▼こじま社長さん:

ベテランで授業の技術もある教師のクラスで学級崩壊が起こることもあります。
それは一部の子どもにクラスがかき回されるケースです。
むしろこちらのケースが多いかもしれません。
誤解を与えそうなので補足しておきます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):教育の危機(5)  ■名前 : たけチャン  ■日付 : 06/3/4(土) 22:06  -------------------------------------------------------------------------
   ▼団塊党さん:
>▼流水さん:
>格差が広がっているとよく言われますが、国際的な学力調査でも日本の子どもの学力格差は広がっています。
>ピラミッド型の分布ではなく上位が突出して中間層が減り下位が増えるいびつな曲線分布になっています。上位3割の子どもだけを視野に入れた教育が今後も続いたら、日本は人材的にみても危機に陥るのではないかと予想します。
>産業界の思惑は外れるのではないでしょうか。
>すそ野を広げてこそ活力のある健康な社会が保てるのに、産業界はそれに気づいていないようです。
>
>淀川工業高校の先生のように、競争を入れながらも共生と協同を大事にした伝統的な価値観を日本の教育は忘れてはならないと思います。

進学校と言われるような高校でさえ、上位の生徒には毎日、実力テストを行うが、下位の生徒には、おしゃべりをしようが、居眠りをしようが放任が一般的である。
クラスの人数が増えれば増えるほど、教師が生徒の理解度をチェックして、進度を調整するのは難しくなる。30人学級が最適であると言われているが、30人でも生徒の理解度はバラバラであるから、落ちこぼれ、逆に進度が遅すぎるの不満が表れるのはやむを得ない。

集団主義とか共生が言われています。この問題でその主義とか理念が実行されないのか、私には不思議でならない。
理解の進んだ生徒が、遅い生徒に教える、ほほえましい風景は、山奥の分校と言われるような地域で行われている。集団主義を教育理念に掲げる学校では、上級生が下級生に補習を行っている。アメリカでは大学院の学生が給与を貰って、数学、コンピューター実習の補習を行っている。

日本の学校では小学校から大学まで生徒、学生、教師、文部省の関係は極めて階級的であり、互いの領分を侵さないようにしている。また文部省は教師の団結を恐れ、教師は生徒の団結を恐れている。恐れるのは愚かである。むしろ積極的に団結を利用すればいいのに、それが出来ないで苦悩しているのが日本の教育界である。

生徒のクラス出席率が95%以上であれば、マシなクラスである。出席率99以上にするには教師の努力だけでは不可能で、教師の指導プラス、ある種の集団主義が不可欠である。日本の教育界を眺めていると、外国人が日本人を支配し易いように、日本人を幼少の頃から、互いに喧嘩し、苛めあいをさせているように思える。そんな子ども達は、大きくなっても絶対に団結しないから安心である。

日本の教育界は世界の失敗例である。ところが日本の産業界には逆に非常に強い集団主義がみられる。私は、愛知県のある製造会社にソフトウエアー技術者として10年位出入りしていた。その企業にはコンピューター関係者が3人いた。この会社の課長職には、何にもしない、無能な人物がいた。毎日居眠りしか出来ない人物を、企業は私が出入りしていた間だけでも、辛抱して使い続けていた。その後私は定年で退職した。風の便りによれば、今はその人物は行方知れずである。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):教育の危機(5)  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 06/3/5(日) 10:23  -------------------------------------------------------------------------
   ▼たけチャンさん:

>集団主義とか共生が言われています。この問題でその主義とか理念が実行されないのか、私には不思議でならない。
>理解の進んだ生徒が、遅い生徒に教える、ほほえましい風景は、山奥の分校と言われるような地域で行われている。集団主義を教育理念に掲げる学校では、上級生が下級生に補習を行っている。アメリカでは大学院の学生が給与を貰って、数学、コンピューター実習の補習を行っている。
>
>日本の学校では小学校から大学まで生徒、学生、教師、文部省の関係は極めて階級的であり、互いの領分を侵さないようにしている。また文部省は教師の団結を恐れ、教師は生徒の団結を恐れている。恐れるのは愚かである。むしろ積極的に団結を利用すればいいのに、それが出来ないで苦悩しているのが日本の教育界である。

日本の学校には伝統的に共生とか教え合いの理念は受け継がれてきました。
それを阻害しているのがここのところ立て続けに出てきている一連の教育改革なのです。
習熟度別指導によって子どもを分断しようとしていますし、教員への人事考課の導入によって教師をもばらばらに分断しようとしています。
そのほかに様々な新自由主義的な政策を次々に打ち出してきています。

http://www32.ocn.ne.jp/~everydayimpress/Bookreview/review12.htm

>日本の教育界は世界の失敗例である。ところが日本の産業界には逆に非常に強い集団主義がみられる。私は、愛知県のある製造会社にソフトウエアー技術者として10年位出入りしていた。その企業にはコンピューター関係者が3人いた。この会社の課長職には、何にもしない、無能な人物がいた。毎日居眠りしか出来ない人物を、企業は私が出入りしていた間だけでも、辛抱して使い続けていた。その後私は定年で退職した。風の便りによれば、今はその人物は行方知れずである。

日本の教育が世界の失敗例と断じるのはどうかと思います。
社会状況の変化、子どもの変化に追いつけずに様々な問題も生じましたが、総体的にみると日本の学校は健闘してきたのではないかと思います。
日本の教師は民間研究団体(文部省主導の研究に対して教師の自主的な研究をこういいます)の中で、各教科ごとに熱心に研究をし実践を進めてきました。
教え合うとか学び合うという共生の理念もその中で受け継がれてきました。
学級定員40名という先進国の中では最低の条件の中で学力も上位を保ってきました。
こういうこれまでに蓄積されてきた伝統を一気に壊して、効率と競争だけを重視し、3割の子どもだけを将来の人材として育てていこうとしているのが一連の教育改革なのです。

今の教師達はますます難しい条件の中に追いやられています。
その中で学力も人格も伸ばしていくのは至難の業です。
しかし、それでも子どもの素晴らしい面を実際に事実として示していこうと必死になってもがいているのが現状です。
どうぞご理解ください。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):教育の危機(5)  ■名前 : ぎみゆら  ■日付 : 06/3/9(木) 20:14  -------------------------------------------------------------------------
   流水さん、こんにちは。


【75194】より
> つまり、教育の目標が、【戦うための素養の習得(他人などどうでも
> よい。自分だけよければ)】の場に変質しつつあるのです。伝統的
> 教育目標の【生きるための素養(公共の利益を尊重しながら他人と共生
> すること)を身に着ける場】ではなくなりつつあるのです。
>
> 実は、この両者のバランスが絶妙だったのが、日本型教育システム
> だったのです。人材育成機能と生きるための素養育成の危うい
> バランスの上に乗っていたのが、日本型教育システムだったのです。
> ところが、行き過ぎた受験競争「戦うための素養の習得(他人など
> どうでもよい。自分だけよければよい」が、荒れる中学校という
> 結果をもたらしたため、このバランスが崩れたのです。それに
> 加えて、【新自由主義的競争原理】が世界的潮流として押し寄せた
> ため、一気に伝統的教育目標に固執する公教育批判となって噴出して
> いるのです。

戦後日本社会をざっくりと年代刻みで特色づけてみると、こんな
感じになるのではないかと思っています。

  1945〜52年 占領期、新憲法
  1950年代 朝鮮戦争特需、単独講和、戦後復興
  1960年代 安保改訂、高度成長、東京五輪
  1970年代 大阪万博、沖縄返還、日中国交回復、安定成長
  1980年代 狂乱地価、バブル経済の沸騰から破裂へ
  1990年代 長期不況、価格破壊、競争主義の跋扈
  2000年代 新自由主義と新国家主義の「奇妙な接合」

沖縄返還と日中国交回復がやはり最大の「戦後の清算」だったろうと
思うのですが、これを承けて日本国民のなかで「先の戦争の清算」を
きちんとすることなく、「個人の享楽万能」の1980年代に雪崩れ
込んだところに、大きな落とし穴があったと感じざるを得ません。

とにもかくにもの沖縄返還、せっかくの日中国交回復を、自分たち、
身近な人たちの事柄にきちんと投げ返し、とらえ返すのをサボって
きた。実際、「基地だらけの沖縄」も「すれ違い続きの日中」も、
30年前と何も変わっていない。むしろ悪くなっているかもしれない。

戦争指導者の責任問題を一貫して曖昧にし、市民戦災者への償いには
いっさい頬被りし続けてきたことのツケが、ここに来てまた、国内外で
噴き出しているんじゃないんでしょうか。日中関係と沖縄に「歪み」や
「矛盾」が集中的に表れているのは、偶然ではないと思います。

ちょっと話を広げすぎかもしれませんが、書いていただいたことを
読んで、そんなことを感じました。一人一人が「みんなのため」を
置き去りにして「個人の幸せ」ばかりに閉じこもり続けてきた。
その置き去りにされたものの蓄積が、いま噴出しつつある。

このまま行けば、もっともっとひどいことになる。なんだか、そんな
気がして仕方がありません。まとまらなくてごめんなさい。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):幸福って何かしら!  ■名前 : 流水  ■日付 : 06/3/3(金) 19:14  -------------------------------------------------------------------------
   先日、姪の結婚式に出た。
多くの人から祝辞が述べられたが、最後には幸福な人生を願う、という意味の言葉で終わっていた。

「山の彼方の空遠く 幸いすむと 人のいう」というお馴染みの文句を持ち出すまでもなく、中国の「桃源郷」伝説を持ち出すまでなく、古来より世界中の人々は見果てぬ夢としての幸福を希求し続けてきた。
日本人も例外ではなく、海の彼方のどこかに人々が幸せに暮らしていける国があると信じられてきた。

幸福の幸という字には、訓読みが二つある。
「しあわせ」という読み方と「さいわい」という読み方である。
「しあわせ」という言葉には、きわめて個人的、感性的な響きがある。
つまり、自分が「しあわせ」だなあ、と感じる一瞬の感覚を言い表している。
この感覚はきわめて個人的なもので、「しあわせ」の概念は人々の数だけあると
言って過言ではない。

例えば、トリノオリンピック、フィギュアで荒川静香選手の金メダルが確定した瞬間の荒川選手の母親の心境のようなものも「しあわせ」の感覚であるが、孫がおじいちゃん、おばあちゃん、と膝の上に這いあがってきた時も「しあわせ」であろう。
例え貧しくても、家族全部が健康な生活を送れていればそれもしあわせだといえる。

日本人の幸福観の根底には、「しあわせ」というのは移ろいやすいもの、という一種の無常観がある。
だからこそ、移ろいやすい「しあわせ」を人々は懸命に求め続け、例え一瞬でもそのような瞬間を感じ取れれば、それこそ望外の【しあわせ】だと感じるのである。
スポーツの世界での日本人の練習好きはよく知られているが、これも辛く苦しい練習があればあるほど、勝った瞬間の喜びが増幅するという、一瞬の「しあわせ」を追い求めているのであろう。

ところがもう一つの読み方「さいわい」というのは、木の枝にたくさんの花が咲いていく、というのが原義である。
これなら、木に水をやり、肥料をやり、一生懸命世話をすれば、美しい花が咲くであろうという予想がつく。つまり、人間の努力で何とかなるという意味がある。
わたしは幸福概念を「しあわせ」という視点で考えるのでなく、「さいわい」という視点で考えるのが【教育】だと考えている。

日本の教育観の底流には、「しあわせ」追求型があった。刻苦勉励すれば、末は博士か大臣かという果実が待っている、という命題が信じられていた。
日本の多くの人々がそれぞれの「あすなろ物語」を持っていたのである。
明治以降、バブル経済がはじけるまで、この「あすなろ物語」は実体のあるものとして信じられてきたといってよい。
司馬遼太郎風にいうならば、それぞれの人がそれぞれの【坂の上の雲】を信じてきたのである。
ところが、バブル崩壊以降、社会的実体としての「あすなろ物語」は消滅したといってよい。

ではどうしたらよいのか。言葉の意味からすれば、「さいわい」的方向へ転換すればよかった。一瞬の「しあわせ」を追い求めるより、人間の努力で多くの人が美しい花を咲かせることができる教育観に転換すればよかったのである。

実は、日本の戦後教育は、「しあわせ」追求型教育と「さいわい」追求型教育との危ういバランスの上に立っていたのである。
この危ういバランスが壊れたため、現実に起こったのは、一瞬の「しあわせ」をできるだけ効率的につかもうと言う政策だった。
【一瞬の幸せ】に挑戦できる人間の数をできるだけ少なくしてしまおうという政策だった。これが「新自由主義的」教育論である。効率性を追い求める発想からは、多くの人が美しい花を咲かせるような教育は、手間とコストがかかりすぎてとても時代の速度に合わないのである。

つまり、社会的実体として【あすなろ物語】が消滅したのだから、現実の教育の上でも【あすなろ物語】を幻想として消滅してしまえ、という教育政策を採りつつある。
【あすなろ物語】の消滅は、若者たちの虚無主義的、刹那主義的生き方として結実しつつある。
【坂の上の雲】が金儲け、良い女、良い生活という即物的な目標物に変化してきたといってよい。

平成の為政者たちは、平成版【あすなろ物語】【坂の上の雲】を打ち出さなければ、日本の没落は目の前だということに気がつく必要がある。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):幸福って何かしら!  ■名前 : 弥生  ■日付 : 06/3/3(金) 21:12  -------------------------------------------------------------------------
    流水さん はじめまして、よろしくお願いします。

教育の原点〜幸福って何かしら!まで読ませて頂きました。

引用....【教育とは子供が自分で自分を鍛え、自分で自分を育てて行く、教師はそれを手助けし、生徒が自身を向上させる環境につきる。子供たちは、(人間といってもよい)そういう力を持っていると信じることから教育は始まる。】
 
引用....【そしてここ数年の日本の教育論議の多くは、国旗・国家に象徴される愛国心論争や、平等批判、教育基本法問題、日教組批判のイデオロギー論争に終始してきたこと】
    【戦前型国家主義ナショナリズム】
    【米国主導型の新自由主義的】思想が大きな影響力を持って、混在した形が現在の日本のナショナリズムの台頭なのです。
また、教育が「人的資源の」育成のための手段となりつつある。<引用終わり>

そうなんですね。逆らわない人間をつくるために愛国心教育が必要なんですね。
現在の教育の問題点、大まかなことわかりました。

この国の20.30年後が心配だと仰ってますが、ほんとにどうなるのでしょうか。
 危機意識はあるのですが、筋道立てて、理論的に述べることは苦手ですのでとても参考になり勉強になりました。有り難うございました。
       

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : [管理人削除]  ■名前 :  ■日付 :  -------------------------------------------------------------------------
   この書き込みは管理人によって削除されました。(06/3/4(土) 13:25)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):Re(5)教育の危機  ■名前 : 弥生  ■日付 : 06/3/4(土) 10:04  -------------------------------------------------------------------------
    読みが浅く流水さんが仰りたいことの把握ができてなく、失礼な書き込みをしたのではと思います。許してください。私の受け止め方です。

 「価値ある知識」を生み出すことができる人の育成に力を入れる。

アメリカ型の能力中心主義の、そして、それに適応できる人は3割ぐらいで後は教育に金をかけず、安い賃金で働かされる人間を 大量に確保する。

親の経済力によって教育にも格差を促し、「教育の機会均等」の機会が奪いされつつある。生きるために必要な基本的な素養を身につける場が奪い去られつつあるということですね。おおざっぱですので、ゆっくり読み直してみます。前の投稿を補うために書き足しました。

流水さん はじめまして、よろしくお願いします。
>>
>>教育の原点〜幸福って何かしら!まで読ませて頂きました。
>>
>>引用....【教育とは子供が自分で自分を鍛え、自分で自分を育てて行く、教師はそれを手助けし、生徒が自身を向上させる環境につきる。子供たちは、(人間といってもよい)そういう力を持っていると信じることから教育は始まる。】
>> 
>>引用....【そしてここ数年の日本の教育論議の多くは、国旗・国家に象徴される愛国心論争や、平等批判、教育基本法問題、日教組批判のイデオロギー論争に終始してきたこと】
>>    【戦前型国家主義ナショナリズム】
>>    【米国主導型の新自由主義的】思想が大きな影響力を持って、混在した形が現在の日本のナショナリズムの台頭なのです。
>>また、教育が「人的資源の」育成のための手段となりつつある。<引用終わり>
>>
>>そうなんですね。逆らわない人間をつくるために愛国心教育が必要なんですね。
>>現在の教育の問題点、大まかなことわかりました。
>>
>>この国の20.30年後が心配だと仰ってますが、ほんとにどうなるのでしょうか。
>> 危機意識はあるのですが、筋道立てて、理論的に述べることは苦手ですのでとても参考になり勉強になりました。有り難うございました。
>>

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):Re(5)教育の危機  ■名前 : 流水  ■日付 : 06/3/4(土) 15:42  -------------------------------------------------------------------------
   ▼弥生さん:
はじめまして。よろしくお願いいたします。
長文を読んでいただきありがとうございます。
重要なところはきちんと読んでいただいていると思います。
ぜひ、現在の教育改革の問題点を把握していただき、反対の声を
挙げていただきたいと願っています。
>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
> 「価値ある知識」を生み出すことができる人の育成に力を入れる。
>
>アメリカ型の能力中心主義の、そして、それに適応できる人は3割ぐらいで後は教育に金をかけず、安い賃金で働かされる人間を 大量に確保する。
>
>親の経済力によって教育にも格差を促し、「教育の機会均等」の機会が奪いされつつある。生きるために必要な基本的な素養を身につける場が奪い去られつつあるということですね。おおざっぱですので、ゆっくり読み直してみます。前の投稿を補うために書き足しました。
>
>流水さん はじめまして、よろしくお願いします。
>>>
>>>教育の原点〜幸福って何かしら!まで読ませて頂きました。
>>>
>>>引用....【教育とは子供が自分で自分を鍛え、自分で自分を育てて行く、教師はそれを手助けし、生徒が自身を向上させる環境につきる。子供たちは、(人間といってもよい)そういう力を持っていると信じることから教育は始まる。】
>>> 
>>>引用....【そしてここ数年の日本の教育論議の多くは、国旗・国家に象徴される愛国心論争や、平等批判、教育基本法問題、日教組批判のイデオロギー論争に終始してきたこと】
>>>    【戦前型国家主義ナショナリズム】
>>>    【米国主導型の新自由主義的】思想が大きな影響力を持って、混在した形が現在の日本のナショナリズムの台頭なのです。
>>>また、教育が「人的資源の」育成のための手段となりつつある。<引用終わり>
>>>
>>>そうなんですね。逆らわない人間をつくるために愛国心教育が必要なんですね。
>>>現在の教育の問題点、大まかなことわかりました。
>>>
>>>この国の20.30年後が心配だと仰ってますが、ほんとにどうなるのでしょうか。
>>> 危機意識はあるのですが、筋道立てて、理論的に述べることは苦手ですのでとても参考になり勉強になりました。有り難うございました。
>>>

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):幸福って何かしら!  ■名前 : k.satou <cbl13464@nifty.com>  ■日付 : 06/3/3(金) 23:05  -------------------------------------------------------------------------
   ▼流水さん: あとで ゆっくり読ませてもらいます。
  今は こういうので ごかんべん。
 自分だけ幸せであればいい。というのより
 みんなで そういう幸せな環境をつくり そこで 各人が かってに
 おもいおもいの個性を発揮しあい お互いに伸びて いくことが
 天国へといく理想の道だ。というのは チルチルミチルの読みすぎですか?

  明日 ちょっと早いので これにて 失礼いたします。
  春もちかいので  ”ひばり”のことでも語りましよう。 では。
>幸福の幸という字には、訓読みが二つある。
>「しあわせ」という読み方と「さいわい」という読み方である。
>「しあわせ」という言葉には、きわめて個人的、感性的な響きがある。
>つまり、自分が「しあわせ」だなあ、と感じる一瞬の感覚を言い表している。
>この感覚はきわめて個人的なもので、「しあわせ」の概念は人々の数だけあると
>言って過言ではない。>
>例えば、トリノオリンピック、フィギュアで荒川静香選手の金メダルが確定した瞬間の荒川選手の母親の心境のようなものも「しあわせ」の感覚であるが、孫がおじいちゃん、おばあちゃん、と膝の上に這いあがってきた時も「しあわせ」であろう。>例え貧しくても、家族全部が健康な生活を送れていればそれもしあわせだといえる。>
>日本人の幸福観の根底には、「しあわせ」というのは移ろいやすいもの、という一種の無常観がある。
>だからこそ、移ろいやすい「しあわせ」を人々は懸命に求め続け、例え一瞬でもそのような瞬間を感じ取れれば、それこそ望外の【しあわせ】だと感じるのである。
>スポーツの世界での日本人の練習好きはよく知られているが、これも辛く苦しい練習があればあるほど、勝った瞬間の喜びが増幅するという、一瞬の「しあわせ」を追い求めているのであろう。
>
>ところがもう一つの読み方「さいわい」というのは、木の枝にたくさんの花が咲いていく、というのが原義である。
>これなら、木に水をやり、肥料をやり、一生懸命世話をすれば、美しい花が咲くであろうという予想がつく。つまり、人間の努力で何とかなるという意味がある。
>わたしは幸福概念を「しあわせ」という視点で考えるのでなく、「さいわい」という視点で考えるのが【教育】だと考えている。>
>日本の教育観の底流には、「しあわせ」追求型があった。刻苦勉励すれば、末は博士か大臣かという果実が待っている、という命題が信じられていた。
>日本の多くの人々がそれぞれの「あすなろ物語」を持っていたのである。
>明治以降、バブル経済がはじけるまで、この「あすなろ物語」は実体のあるものとして信じられてきたといってよい。
>司馬遼太郎風にいうならば、それぞれの人がそれぞれの【坂の上の雲】を信じてきたのである。
>ところが、バブル崩壊以降、社会的実体としての「あすなろ物語」は消滅したといってよい。>
>ではどうしたらよいのか。言葉の意味からすれば、「さいわい」的方向へ転換すればよかった。一瞬の「しあわせ」を追い求めるより、人間の努力で多くの人が美しい花を咲かせることができる教育観に転換すればよかったのである。>
>実は、日本の戦後教育は、「しあわせ」追求型教育と「さいわい」追求型教育との危ういバランスの上に立っていたのである。
>この危ういバランスが壊れたため、現実に起こったのは、一瞬の「しあわせ」をできるだけ効率的につかもうと言う政策だった。
>【一瞬の幸せ】に挑戦できる人間の数をできるだけ少なくしてしまおうという政策だった。これが「新自由主義的」教育論である。効率性を追い求める発想からは、多くの人が美しい花を咲かせるような教育は、手間とコストがかかりすぎてとても時代の速度に合わないのである。>
>つまり、社会的実体として【あすなろ物語】が消滅したのだから、現実の教育の上でも【あすなろ物語】を幻想として消滅してしまえ、という教育政策を採りつつある。
>【あすなろ物語】の消滅は、若者たちの虚無主義的、刹那主義的生き方として結実しつつある。
>【坂の上の雲】が金儲け、良い女、良い生活という即物的な目標物に変化してきたといってよい。>
>平成の為政者たちは、平成版【あすなろ物語】【坂の上の雲】を打ち出さなければ、日本の没落は目の前だということに気がつく必要がある。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):幸福って何かしら!  ■名前 : BadBloke  ■日付 : 06/3/4(土) 10:01  -------------------------------------------------------------------------
   ▼k.satouさん:

> 自分だけ幸せであればいい。というのより
> みんなで そういう幸せな環境をつくり そこで 各人が かってに
> おもいおもいの個性を発揮しあい お互いに伸びて いくことが
> 天国へといく理想の道だ。というのは チルチルミチルの読みすぎですか?

ぼくがいつも思っていること、この掲示板でも、いつも主張したいと思っていることが、まさにそれです。これだけのことを表現するのに、ぼくはやはり多弁にしてオナラじゃなくって、なんでしたか、とにかく回りくどいようです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):幸福って何かしら!  ■名前 : k.satou <cbl13464@nifty.com>  ■日付 : 06/3/5(日) 8:25  -------------------------------------------------------------------------
   ▼BadBlokeさん:
  あなたの文章の奥に  こんなものを 
  みつける奴もいるということを
  お忘れなく!
  下敷きというのは やはり大切なんだな!心にも! と。
   どんどん発言して ください。


>
>> 自分だけ幸せであればいい。というのより
>> みんなで そういう幸せな環境をつくり そこで 各人が かってに
>> おもいおもいの個性を発揮しあい お互いに伸びて いくことが
>> 天国へといく理想の道だ。というのは チルチルミチルの読みすぎですか?
>
>ぼくがいつも思っていること、この掲示板でも、いつも主張したいと思っていることが、まさにそれです。これだけのことを表現するのに、ぼくはやはり多弁にしてオナラじゃなくって、なんでしたか、とにかく回りくどいようです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):幸福って何かしら!  ■名前 : 悠々  ■日付 : 06/3/4(土) 22:15  -------------------------------------------------------------------------
   潰れそうになったときも、何度かあるけれど、迷い道を逡巡しては
「元気をださなきゃ」と、自らに言い聞かせて・・。過ぎてみれば、
重いと感じていた諸々も、年月とともに負担が軽くなっていくようです。

幸福と感じる時間が長くなったからでしょうか。
季節の推移−四季折々の草花や木々の姿−を体感できること。
風に吹かれる心地よさも、幸福なことにちがいありません。

見守ってくれる家族と語り合える友人がいて、そして健康!
誰一人として器用な人はいないけれど、それぞれがその人らしい歩みの途中。
これからいくつの山を登り、谷を下るにしても、潰れるってことはなさそう。

・・若いころに南米やアジアを旅したせいか私の顔にはでかいシミがあるが、
ちっともイヤではない。安い焼酎を飲んで、酔っ払って転んでしまうことも
あるけれど、この楽しさは若いときは知らなかった。・・。夜は疲れ切った顔に
なるが、今日も一日がんばったなと思うだけだ。生きていれば、時にはさみしいと
感じるのが当然である。それが、どうした。「見た目」とは、所詮無責任な
他人の視線である。老いの幸福も不幸も自分自身のものでしかないのである。
(与那原 恵 ノンフィクションライター『週刊ポスト』'06.1.20)共感して。
▼k.satouさん:>▼流水さん:
> 自分だけ幸せであればいい。というのより
> みんなで そういう幸せな環境をつくり そこで 各人が かってに
> おもいおもいの個性を発揮しあい お互いに伸びて いくことが
> 天国へといく理想の道だ。というのは チルチルミチルの読みすぎですか?

>>幸福の幸という字には、訓読みが二つある。
>>「しあわせ」という読み方と「さいわい」という読み方である。
>>「しあわせ」という言葉には、きわめて個人的、感性的な響きがある。
>>つまり、自分が「しあわせ」だなあ、と感じる一瞬の感覚を言い表している。
>>この感覚はきわめて個人的なもので、「しあわせ」の概念は人々の数だけあると
>>言って過言ではない。>

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):幸福って何かしら!  ■名前 : k.satou <cbl13464@nifty.com>  ■日付 : 06/3/5(日) 8:44  -------------------------------------------------------------------------
   ▼悠々さん:
 四季の島もいいところ。でも砂しかない砂漠だって!
 雪一色の極地だって!
 誰が良くないとこだなんて言えましょう?
 自分にとって 辛いからといって
 他人のものまで つまらないことだ!なんて誰が言えましょう?
  賢人はこういいました。
 仁にすぐれば 弱くなる
 義にすぐれば 固くなる
 礼にすぐれば 脆くなる
 智にすぐれば 嘘をつく
  なにもすぐれることのない自分は
 たとえ 損をすることが わかっていても ”やる”
  こういう奴は 死んでもなおらないのかも 知れません。

 そこに 人がいてこそ”人生”ですよね。
 語りあへる数は多いほうがいい。 


>潰れそうになったときも、何度かあるけれど、迷い道を逡巡しては
>「元気をださなきゃ」と、自らに言い聞かせて・・。過ぎてみれば、
>重いと感じていた諸々も、年月とともに負担が軽くなっていくようです。
>
>幸福と感じる時間が長くなったからでしょうか。
>季節の推移−四季折々の草花や木々の姿−を体感できること。
>風に吹かれる心地よさも、幸福なことにちがいありません。
>
>見守ってくれる家族と語り合える友人がいて、そして健康!
>誰一人として器用な人はいないけれど、それぞれがその人らしい歩みの途中。
>これからいくつの山を登り、谷を下るにしても、潰れるってことはなさそう。
>
>・・若いころに南米やアジアを旅したせいか私の顔にはでかいシミがあるが、
>ちっともイヤではない。安い焼酎を飲んで、酔っ払って転んでしまうことも
>あるけれど、この楽しさは若いときは知らなかった。・・。夜は疲れ切った顔に
>なるが、今日も一日がんばったなと思うだけだ。生きていれば、時にはさみしいと
>感じるのが当然である。それが、どうした。「見た目」とは、所詮無責任な
>他人の視線である。老いの幸福も不幸も自分自身のものでしかないのである。
>(与那原 恵 ノンフィクションライター『週刊ポスト』'06.1.20)共感して。
>▼k.satouさん:>▼流水さん:
>> 自分だけ幸せであればいい。というのより
>> みんなで そういう幸せな環境をつくり そこで 各人が かってに
>> おもいおもいの個性を発揮しあい お互いに伸びて いくことが
>> 天国へといく理想の道だ。というのは チルチルミチルの読みすぎですか?
>
>>>幸福の幸という字には、訓読みが二つある。
>>>「しあわせ」という読み方と「さいわい」という読み方である。
>>>「しあわせ」という言葉には、きわめて個人的、感性的な響きがある。
>>>つまり、自分が「しあわせ」だなあ、と感じる一瞬の感覚を言い表している。
>>>この感覚はきわめて個人的なもので、「しあわせ」の概念は人々の数だけあると
>>>言って過言ではない。>

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(5):幸福って何かしら!  ■名前 : 悠々  ■日付 : 06/3/6(月) 10:25  -------------------------------------------------------------------------
   ▼k.satouさん:こんにちは。

アラスカに散った自然写真家の星野道夫さん。どんな小さな命にさえ畏敬を持って
接した、その眼差しとその豊かな感受性!アラスカの大自然に生きるものの鼓動を
感じるところまで被写体と向き合った写真は、現代人が忘れかけている大事な何かを語りかけてくれるようでした。

先日、植村直己賞を受けたリヤカーで地球一周を果たされた永瀬さん。
「驚きとうれしさから体が震えた」と。過酷な体験を経ても(あるいは、経たから
こその)この初々しいコメント。ご自分を見つめる目を持った謙虚さは素敵です。

北極の玄関口からいらしたゲストは「11月末から1月末まで、太陽は見えないけれど、いたって普通の生活ですよ」。厳しい自然環境にも愛情溢れてGreatNorthに
戻ったときの嬉しさをメールは伝えておりました。日本人も多く訪れるという
オーロラが見える美しい町だそうです。

砂漠といえば、アフリカの地におけるあるNGOの活動報告が入ります。例えば、
このような。・・小学校のある地域は、4年続きの旱魃で食料が不足しており、
WFPによって緊急食糧援助が必要な南部アフリカの1000万人の中に入る地域です。
HIV/AIDSも大変深刻です。学校の公式統計でも、750名の子供たちのうちの約300
名がエイズ孤児です。しかしHIV/AIDSへの偏見・差別がひどいので、親の死因を
隠しているケースが少なくなく(たとえば結核と称している)、推計では子供たちの4分の3の親がエイズでなくなっているといいます。したがって、このような子供たちの場合、たいていは子供たち自身がHIVに感染しています。10年もすれば、大半の
これらの子供たちにエイズが発症し、この世を去る運命です。旱魃による飢饉だけ
でなくエイズにも苦しめられ、村が消えてなくなるかもしれないといった、なんとも深刻な事態です−。
先月の報告では、かの地に5年ぶりに雨が降ったとか。けれど、厳しく辛い現実が
続いている状況に変わりはありません。
> 四季の島もいいところ。でも砂しかない砂漠だって!
> 雪一色の極地だって!
> 誰が良くないとこだなんて言えましょう?
> 自分にとって 辛いからといって
> 他人のものまで つまらないことだ!なんて誰が言えましょう?

> そこに 人がいてこそ”人生”ですよね。
> 語りあへる数は多いほうがいい。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(6):幸福って何かしら!  ■名前 : k.satou <cbl13464@nifty.com>  ■日付 : 06/3/7(火) 9:10  -------------------------------------------------------------------------
   ▼悠々さん:こんにちわ。
 ごていねいなレスを どうも。
 当地の桜も間近を思わせる陽気になり、今年も 律儀に 春は必ず
 やってくるようです。
 サクラサク・チルの受験生とその家族も落ち着かない日が続いています。
 そりゃ合格すれば嬉しいが その後の負担を考えたりすると頭が痛い。
 毎年授業料まで引き上げらるのでは 大学は資本家の手先だ!とし
 ”学生は 搾取されてる”と感じるのもわかります。
 学生証と引き換えに 文科で約100万理科で150万医歯科で500万を
 なんだかんだと とられます。国公は文理の差はなく80万ぐらいとか。
  入学する前にも受験料とかで3万5千・センター1万6千・2次1万7千円
 掛け持ち受験をするから バカにならない出費。
 マンモス大学側は笑いが止まらない。監督なんかで教官も結構な日当を
 もらい 在学生も弁当つきでアルバイトとしては悪くない。
 支払う側の受験生こそいい面の皮でそのうえ 門前払いまで食らったら
 たまらない。
 搾取される身になり ”幸福”を味わいたい!と言われると
  なるほど!となっとくしてしまう。
 地方からでてくりゃ 毎日の諸掛りも大変だ!
 せっせと投下してそのリーターンは?
 なんて考えてはいけない”幸せ”というものも ありそうです。


>▼k.satouさん:こんにちは。
>
>アラスカに散った自然写真家の星野道夫さん。どんな小さな命にさえ畏敬を持って
>接した、その眼差しとその豊かな感受性!アラスカの大自然に生きるものの鼓動を
>感じるところまで被写体と向き合った写真は、現代人が忘れかけている大事な何かを語りかけてくれるようでした。
>
>先日、植村直己賞を受けたリヤカーで地球一周を果たされた永瀬さん。
>「驚きとうれしさから体が震えた」と。過酷な体験を経ても(あるいは、経たから
>こその)この初々しいコメント。ご自分を見つめる目を持った謙虚さは素敵です。
>
>北極の玄関口からいらしたゲストは「11月末から1月末まで、太陽は見えないけれど、いたって普通の生活ですよ」。厳しい自然環境にも愛情溢れてGreatNorthに
>戻ったときの嬉しさをメールは伝えておりました。日本人も多く訪れるという
>オーロラが見える美しい町だそうです。
>
>砂漠といえば、アフリカの地におけるあるNGOの活動報告が入ります。例えば、
>このような。・・小学校のある地域は、4年続きの旱魃で食料が不足しており、
>WFPによって緊急食糧援助が必要な南部アフリカの1000万人の中に入る地域です。
>HIV/AIDSも大変深刻です。学校の公式統計でも、750名の子供たちのうちの約300
>名がエイズ孤児です。しかしHIV/AIDSへの偏見・差別がひどいので、親の死因を
>隠しているケースが少なくなく(たとえば結核と称している)、推計では子供たちの4分の3の親がエイズでなくなっているといいます。したがって、このような子供たちの場合、たいていは子供たち自身がHIVに感染しています。10年もすれば、大半の
>これらの子供たちにエイズが発症し、この世を去る運命です。旱魃による飢饉だけ
>でなくエイズにも苦しめられ、村が消えてなくなるかもしれないといった、なんとも深刻な事態です−。
>先月の報告では、かの地に5年ぶりに雨が降ったとか。けれど、厳しく辛い現実が
>続いている状況に変わりはありません。
>> 四季の島もいいところ。でも砂しかない砂漠だって!
>> 雪一色の極地だって!
>> 誰が良くないとこだなんて言えましょう?
>> 自分にとって 辛いからといって
>> 他人のものまで つまらないことだ!なんて誰が言えましょう?
>
>> そこに 人がいてこそ”人生”ですよね。
>> 語りあへる数は多いほうがいい。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(7):幸福って何かしら!  ■名前 : たけチャン  ■日付 : 06/3/10(金) 0:18  -------------------------------------------------------------------------
   ▼k.satouさん:
>▼悠々さん:こんにちわ。
> ごていねいなレスを どうも。
> 当地の桜も間近を思わせる陽気になり、今年も 律儀に 春は必ず
> やってくるようです。
> サクラサク・チルの受験生とその家族も落ち着かない日が続いています。
> そりゃ合格すれば嬉しいが その後の負担を考えたりすると頭が痛い。
> 毎年授業料まで引き上げらるのでは 大学は資本家の手先だ!とし
> ”学生は 搾取されてる”と感じるのもわかります。
> 学生証と引き換えに 文科で約100万理科で150万医歯科で500万を
> なんだかんだと とられます。国公は文理の差はなく80万ぐらいとか。
>  入学する前にも受験料とかで3万5千・センター1万6千・2次1万7千円
> 掛け持ち受験をするから バカにならない出費。
> マンモス大学側は笑いが止まらない。監督なんかで教官も結構な日当を
> もらい 在学生も弁当つきでアルバイトとしては悪くない。
> 支払う側の受験生こそいい面の皮でそのうえ 門前払いまで食らったら
> たまらない。
> 搾取される身になり ”幸福”を味わいたい!と言われると
>  なるほど!となっとくしてしまう。
> 地方からでてくりゃ 毎日の諸掛りも大変だ!
> せっせと投下してそのリーターンは?
> なんて考えてはいけない”幸せ”というものも ありそうです。

中学から進学の高校に入るのに30%の競争がある。高校でも一流の大学に入るためには30%の競争がある。大学でも30%の競争がある。狭き門から入れるのは0.3x0.3x0.3=0.027である。アンドレジードの「狭き門」みたいで雰囲気が暗いですね。

狭き門から入学した学生からは入学金とか施設費を取る。日本だけの習慣である。
地獄の沙汰もカネ次第と言う。カネのために、卒業は広い門になっている。入学させたのだから(カネを取ったのだから)、卒業させないと可哀相でしょうということである。これには、更なる裏がある。学生が余りに勉強すれば、大学の先生のポストが危うくなるから、困るのである。

大学の先生は貴族階級だから競争が無い。学生も、このことに気が付けば全く勉強しなくなる。日本の子どもは小学生から競争また競争と頑張っているが、大学生になると、競争の先には、何も無いことに気が付く。だから大学でも最近は「資格」とか実学とかが流行している。

この風潮は、税金がたらふく使える限り続くでしょうね。税金が無くなったら、トヨタ自動車に学校も運営してもらうことになるでしょう。実際に愛知県蒲郡市に中高一貫で全寮制の学校があり、トヨタが運営している。非常に人気があるようです。僕もその年頃の子どもが居れば、入学させたでしょう。税金泥棒には困ったものです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(8):幸福って何かしら!  ■名前 : k.satou <cbl13464@nifty.com>  ■日付 : 06/3/10(金) 9:43  -------------------------------------------------------------------------
   ▼たけチャンさん:
 しかし入学してからも 大変ですよ。金銭てきにも。
 自宅から通えばいいが 下宿している子供たちの悲惨なこと。
  投資効果ってあるものですかね?
  親たちが生活をきりつめてのリターンという奴も!

 卒業してからの彼らを待つ”会社”というのが すごい。
 いい会社に入り 親を安心させ 良い嫁さんを貰いたい!
 いいぞ!いいぞ!頑張れ! と肩を叩いて言ってきたが

  俺のこと気にしないで 辞めてもいいからな!
  そんなに頑張るな!別にお前が いなくなっても会社はへっちゃら!
  早く家に帰れ! 部下のことなんか知らないフリしてろ!無視!
  どうせ 気の弱いいわゆる負け組みって奴だから! 
  と言い続ける自分の姿に嫌悪感さえ感じます。昨日も遅くまで。


>▼k.satouさん:
>>▼悠々さん:こんにちわ。
>> ごていねいなレスを どうも。
>> 当地の桜も間近を思わせる陽気になり、今年も 律儀に 春は必ず
>> やってくるようです。
>> サクラサク・チルの受験生とその家族も落ち着かない日が続いています。
>> そりゃ合格すれば嬉しいが その後の負担を考えたりすると頭が痛い。
>> 毎年授業料まで引き上げらるのでは 大学は資本家の手先だ!とし
>> ”学生は 搾取されてる”と感じるのもわかります。
>> 学生証と引き換えに 文科で約100万理科で150万医歯科で500万を
>> なんだかんだと とられます。国公は文理の差はなく80万ぐらいとか。
>>  入学する前にも受験料とかで3万5千・センター1万6千・2次1万7千円
>> 掛け持ち受験をするから バカにならない出費。
>> マンモス大学側は笑いが止まらない。監督なんかで教官も結構な日当を
>> もらい 在学生も弁当つきでアルバイトとしては悪くない。
>> 支払う側の受験生こそいい面の皮でそのうえ 門前払いまで食らったら
>> たまらない。
>> 搾取される身になり ”幸福”を味わいたい!と言われると
>>  なるほど!となっとくしてしまう。
>> 地方からでてくりゃ 毎日の諸掛りも大変だ!
>> せっせと投下してそのリーターンは?
>> なんて考えてはいけない”幸せ”というものも ありそうです。
>
>中学から進学の高校に入るのに30%の競争がある。高校でも一流の大学に入るためには30%の競争がある。大学でも30%の競争がある。狭き門から入れるのは0.3x0.3x0.3=0.027である。アンドレジードの「狭き門」みたいで雰囲気が暗いですね。
>
>狭き門から入学した学生からは入学金とか施設費を取る。日本だけの習慣である。
>地獄の沙汰もカネ次第と言う。カネのために、卒業は広い門になっている。入学させたのだから(カネを取ったのだから)、卒業させないと可哀相でしょうということである。これには、更なる裏がある。学生が余りに勉強すれば、大学の先生のポストが危うくなるから、困るのである。
>
>大学の先生は貴族階級だから競争が無い。学生も、このことに気が付けば全く勉強しなくなる。日本の子どもは小学生から競争また競争と頑張っているが、大学生になると、競争の先には、何も無いことに気が付く。だから大学でも最近は「資格」とか実学とかが流行している。
>
>この風潮は、税金がたらふく使える限り続くでしょうね。税金が無くなったら、トヨタ自動車に学校も運営してもらうことになるでしょう。実際に愛知県蒲郡市に中高一貫で全寮制の学校があり、トヨタが運営している。非常に人気があるようです。僕もその年頃の子どもが居れば、入学させたでしょう。税金泥棒には困ったものです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(9):幸福って何かしら!  ■名前 : k.satou <cbl13464@nifty.com>  ■日付 : 06/3/10(金) 9:57  -------------------------------------------------------------------------
   たけチャンさん:
 追伸 その部下と言う奴に相談され やめちまえ!
    なーに 日本だけじゃないぜ!世界に目をむけろ!男だろ!
    おまえんとこの上のは みんなどうしようもない奴ばかりだ。
    なに?上のが・会社が可愛そうだ? お前が悩むことじゃない。
     そういうのこそ ”身の程知らず”っていうんだ
    てめえの頭のハエもオエナイくせに!
     なんて 大きな顔して説教してきたのはいつの日か?
     一週間とは経ってない。
  しかし みんなまじめないい奴ばかりです。
    悪いのは 当方かもしれません。


> しかし入学してからも 大変ですよ。金銭てきにも。
> 自宅から通えばいいが 下宿している子供たちの悲惨なこと。
>  投資効果ってあるものですかね?
>  親たちが生活をきりつめてのリターンという奴も!
>
> 卒業してからの彼らを待つ”会社”というのが すごい。
> いい会社に入り 親を安心させ 良い嫁さんを貰いたい!
> いいぞ!いいぞ!頑張れ! と肩を叩いて言ってきたが
>
>  俺のこと気にしないで 辞めてもいいからな!
>  そんなに頑張るな!別にお前が いなくなっても会社はへっちゃら!
>  早く家に帰れ! 部下のことなんか知らないフリしてろ!無視!
>  どうせ 気の弱いいわゆる負け組みって奴だから! 
>  と言い続ける自分の姿に嫌悪感さえ感じます。昨日も遅くまで。
>
>
>>▼k.satouさん:
>>>▼悠々さん:こんにちわ。
>>> ごていねいなレスを どうも。
>>> 当地の桜も間近を思わせる陽気になり、今年も 律儀に 春は必ず
>>> やってくるようです。
>>> サクラサク・チルの受験生とその家族も落ち着かない日が続いています。
>>> そりゃ合格すれば嬉しいが その後の負担を考えたりすると頭が痛い。
>>> 毎年授業料まで引き上げらるのでは 大学は資本家の手先だ!とし
>>> ”学生は 搾取されてる”と感じるのもわかります。
>>> 学生証と引き換えに 文科で約100万理科で150万医歯科で500万を
>>> なんだかんだと とられます。国公は文理の差はなく80万ぐらいとか。
>>>  入学する前にも受験料とかで3万5千・センター1万6千・2次1万7千円
>>> 掛け持ち受験をするから バカにならない出費。
>>> マンモス大学側は笑いが止まらない。監督なんかで教官も結構な日当を
>>> もらい 在学生も弁当つきでアルバイトとしては悪くない。
>>> 支払う側の受験生こそいい面の皮でそのうえ 門前払いまで食らったら
>>> たまらない。
>>> 搾取される身になり ”幸福”を味わいたい!と言われると
>>>  なるほど!となっとくしてしまう。
>>> 地方からでてくりゃ 毎日の諸掛りも大変だ!
>>> せっせと投下してそのリーターンは?
>>> なんて考えてはいけない”幸せ”というものも ありそうです。
>>
>>中学から進学の高校に入るのに30%の競争がある。高校でも一流の大学に入るためには30%の競争がある。大学でも30%の競争がある。狭き門から入れるのは0.3x0.3x0.3=0.027である。アンドレジードの「狭き門」みたいで雰囲気が暗いですね。
>>
>>狭き門から入学した学生からは入学金とか施設費を取る。日本だけの習慣である。
>>地獄の沙汰もカネ次第と言う。カネのために、卒業は広い門になっている。入学させたのだから(カネを取ったのだから)、卒業させないと可哀相でしょうということである。これには、更なる裏がある。学生が余りに勉強すれば、大学の先生のポストが危うくなるから、困るのである。
>>
>>大学の先生は貴族階級だから競争が無い。学生も、このことに気が付けば全く勉強しなくなる。日本の子どもは小学生から競争また競争と頑張っているが、大学生になると、競争の先には、何も無いことに気が付く。だから大学でも最近は「資格」とか実学とかが流行している。
>>
>>この風潮は、税金がたらふく使える限り続くでしょうね。税金が無くなったら、トヨタ自動車に学校も運営してもらうことになるでしょう。実際に愛知県蒲郡市に中高一貫で全寮制の学校があり、トヨタが運営している。非常に人気があるようです。僕もその年頃の子どもが居れば、入学させたでしょう。税金泥棒には困ったものです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(8):幸福って何かしら!  ■名前 : 悠々  ■日付 : 06/3/10(金) 19:38  -------------------------------------------------------------------------
   ▼たけチャンさん:
>▼k.satouさん:
こんばんは。
この一年、頑張った末っ子の親友からも吉報が届いています♪
>> 当地の桜も間近を思わせる陽気になり、今年も 律儀に 春は必ず
>> やってくるようです。

ある国では大学教師の勤務評定があります。教師ではなくて、学生が
自らの主体性を発揮できるような授業であったか否かとか、教師の
遅刻の有無まで、数十項目を5段階で学生に評価を求めます。
それが教師に対する諸々の評価の一端を担います。また、ある国では
知人のベテラン大学教師は「3日やったらやめられない職業ですよ」と、
冗談まじりにおっしゃったことがあります。

日本の大学教師は、学生からどのような評価は受けているのでしょうか。
大学当局は教師の評価をどのように行っているのでしょうか。まさか
定年間近な教師を餞別代わりに学部長になんてこと、現在はどうなんで
しょう。時間講師などの待遇の悪さは聞き及ぶところですけれど。
>大学の先生は貴族階級だから競争が無い。学生も、このことに気が付けば全く勉強しなくなる。日本の子どもは小学生から競争また競争と頑張っているが、大学生になると、競争の先には、何も無いことに気が付く。だから大学でも最近は「資格」とか実学とかが流行している。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(9):幸福って何かしら!  ■名前 : k.satou <cbl13464@nifty.com>  ■日付 : 06/3/10(金) 20:55  -------------------------------------------------------------------------
   ▼悠々さん:
”レクレーションというのは 新しい自分を作り上げることだ。”
 と 言いきり 私の目の中を覗き込むようにしながら 
”合鍵作ってやるから 田舎の俺の家 いつでも行っていいよ!”
私は下をみて ”うん ありがとう”
 短い言葉だが 心の中では 私達には たくさんの やりとりがある。

障害に痴呆まで出てきた母との二人暮しは!
俊才とまで言われて嘱望されてたのに!
 そんな年来の奴の苦労の白髪頭が
 共通の友の出版を心から祝うため 飲もうぜ!と誘ってくれました。
 幸福って何だ?とは とても話題には出せませんでした。
 そんな奴にレクレ−ションを持てよ!と言われても。
 新しい自分をつくりあげることより
 語りあえる奴がいるという私は幸福な奴なんでしょうね。


>▼たけチャンさん:
>>▼k.satouさん:
>こんばんは。
>この一年、頑張った末っ子の親友からも吉報が届いています♪
>>> 当地の桜も間近を思わせる陽気になり、今年も 律儀に 春は必ず
>>> やってくるようです。
>
>ある国では大学教師の勤務評定があります。教師ではなくて、学生が
>自らの主体性を発揮できるような授業であったか否かとか、教師の
>遅刻の有無まで、数十項目を5段階で学生に評価を求めます。
>それが教師に対する諸々の評価の一端を担います。また、ある国では
>知人のベテラン大学教師は「3日やったらやめられない職業ですよ」と、
>冗談まじりにおっしゃったことがあります。
>
>日本の大学教師は、学生からどのような評価は受けているのでしょうか。
>大学当局は教師の評価をどのように行っているのでしょうか。まさか
>定年間近な教師を餞別代わりに学部長になんてこと、現在はどうなんで
>しょう。時間講師などの待遇の悪さは聞き及ぶところですけれど。
>>大学の先生は貴族階級だから競争が無い。学生も、このことに気が付けば全く勉強しなくなる。日本の子どもは小学生から競争また競争と頑張っているが、大学生になると、競争の先には、何も無いことに気が付く。だから大学でも最近は「資格」とか実学とかが流行している。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(10):幸福って何かしら!  ■名前 : 悠々  ■日付 : 06/3/11(土) 19:11  -------------------------------------------------------------------------
   ▼k.satouさん:
こんばんは。あたたかな陽に誘われて、里山を歩いてまいりました。
むじな池を過ぎたところの梅林ではシートを敷いたお花見の家族も。
ドングリの雑木林の傾斜地を登ったら、のどかな風景が見渡せました。
子どもたちが大好きだったトトロの世界を、ちょっと思い出しました。
子どもの頃から、憧れはいつも空想の中。

《幸福って何かしら!》
以前、見た番組。病に倒れたあとで著名な細胞学者が語っておられました。
ご不自由な生活を余儀なくされている状況に対して「今のほうが良く生きている」。

社会学者の鶴見和子さんも、ご不自由になった状況を冷静に見つめられて、
病を経たことで、新たに短歌の道が見い出せたと、話されておられました。

困難な状況を冷静に受け止めて、そこからの人生を、なお、自らに問い
つづける姿は、気持ちの深〜いところで共感を感じざるを得ません。
> 幸福って何だ?とは とても話題には出せませんでした。
> そんな奴にレクレ−ションを持てよ!と言われても。
> 新しい自分をつくりあげることより
> 語りあえる奴がいるという私は幸福な奴なんでしょうね。
心から、そのように思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(9):幸福って何かしら!  ■名前 : たけチャン  ■日付 : 06/3/12(日) 0:54  -------------------------------------------------------------------------
   ▼悠々さん:

勤務評定というと、人事課、総務課、教務課といった課の職員が、教師の評価を学生へのアンケートをしたり、授業を参観したり、あるいはテレビモニターで監視したり、あるいは論文の点数を調べたりと言ったことを思い浮かべます。
しかし、人事課も総務も教務課も人事権がありません。適当にやってお茶を濁す程度のことだと思います。

一般企業ならば、企業の評価は財務諸表とか、株価だとか、生産台数だとか、世界で第何位だとか、経済と深く結びついている。企業の従業員も、もし自分ひとりくらいサボっても分からないだろうという不心得者がいると、その雰囲気が伝染して企業の全体的な評価も下がってくる。従業員が10万人もいると、リーダーシップも並々ならぬものが必要である。例えば、昔フォードのムスタング2500ccに乗ったことがあるが、新車なのに窓が完全に閉まらない、エンジンオイルがガソリンと一緒に燃焼していまい、3ヶ月に一度は補充しないといけない。なんていう車の不具合も企業のリーダーシップに問題があるからだと思います。

大学の評価、教員の評価というのは、日本の場合、教授会による談合であるから、経済とあまり関係がない。世界的にみても産学協同が遅れている。
また、学生が事件を起こしたりして、警察に捕まっても、指導教官、高校なら担任は、自分とは関係ありませんという顔をする。非常に冷たいんですね。指導した生徒、学生が不祥事を起こせば、腹を切るくらいのことをしなければ、本当の指導はできないと思います。

>▼たけチャンさん:
>>▼k.satouさん:
>こんばんは。
>この一年、頑張った末っ子の親友からも吉報が届いています♪
>>> 当地の桜も間近を思わせる陽気になり、今年も 律儀に 春は必ず
>>> やってくるようです。
>
>ある国では大学教師の勤務評定があります。教師ではなくて、学生が
>自らの主体性を発揮できるような授業であったか否かとか、教師の
>遅刻の有無まで、数十項目を5段階で学生に評価を求めます。
>それが教師に対する諸々の評価の一端を担います。また、ある国では
>知人のベテラン大学教師は「3日やったらやめられない職業ですよ」と、
>冗談まじりにおっしゃったことがあります。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(10):幸福って何かしら!  ■名前 : 悠々  ■日付 : 06/3/12(日) 18:09  -------------------------------------------------------------------------
   ▼たけチャンさん:
こんばんは。久しぶりに帰国して、年末年始を家族と過ごした子が「面白いよ」と
薦めてくれたのが『白い巨塔』のDVD。40年も前の作品とはいえ、医学部を取り巻く
人間模様が、現在にもそのまま通じる部分が少なくないことが、数度の映像化を
可能したのでしょう。国立大学は今は独立行政法人となって、以後、どのように
公平で適正な教師の人事が見直されているのか、興味あるところです。
>大学の評価、教員の評価というのは、日本の場合、教授会による談合であるから、経済とあまり関係がない。世界的にみても産学協同が遅れている。

ドングリを育てていらしたように記憶しているのですが、春うららの日和に
芽が出てきたのでは?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(11):幸福って何かしら?  ■名前 : レモン  ■日付 : 06/3/12(日) 20:09  -------------------------------------------------------------------------
   ▼悠々さん:
横から失礼します。
山崎豊子原作の「白い巨塔」ですね。
いわゆるエリートコースの人間たちとそれを取り巻く人間の姿を、とてもよく描いた作品だと思います。
最近の大学病院は、教授の権威が昔より弱くなったり、表向きは腰が低い医師が増えたと思います。
でもその裏側はどうでしょうか。私に文才があったら、一冊の関東版白い巨塔が書けるくらい実際に見たり聞いたりして来た話があります。とても「面白い」 話ではありませんが。

私は大学病院勤務の医師から聞きましたが、特殊な治療でない限り、家族や友人には大学病院を勧めないそうです。もちろんこれは一例に過ぎない話です。

>▼たけチャンさん:
>こんばんは。久しぶりに帰国して、年末年始を家族と過ごした子が「面白いよ」と
>薦めてくれたのが『白い巨塔』のDVD。40年も前の作品とはいえ、医学部を取り巻く
>人間模様が、現在にもそのまま通じる部分が少なくないことが、数度の映像化を
>可能したのでしょう。国立大学は今は独立行政法人となって、以後、どのように
>公平で適正な教師の人事が見直されているのか、興味あるところです。
>>大学の評価、教員の評価というのは、日本の場合、教授会による談合であるから、経済とあまり関係がない。世界的にみても産学協同が遅れている。
>
>ドングリを育てていらしたように記憶しているのですが、春うららの日和に
>芽が出てきたのでは?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(12):幸福って何かしら?  ■名前 : 悠々  ■日付 : 06/3/13(月) 19:04  -------------------------------------------------------------------------
   ▼レモンさん:
こんばんは。
何度か老人会にお誘いを受けた、ある年長者の方は「行ったら、
お酌させられて、もう2度とイヤッ!」と憤慨されておりました。
雲仙市議会議員の仰天行動も、ちっとも仰天じゃないなんて・・
派遣業者いわく「なんでもあり」ですって。男女共同参画事業云々
以前に意識改革が必要ですね。それにしても・・絶句!!

内閣府によると昨年4月の時点で、管理職ゼロの自治体が819(33.9%)
管理職に占める女性の割合は7.8%、
国会議員に占める女性比は衆議院で44人(9.2%)で過去最高。
ちなみにスウェーデンは(45.3%)、ノルウェーは(37.9%)だそうです。
女性にはもっともっと力をつけて、活躍の場を広げてほしいと切に願います。

さきほどは、”愛と励ましのキルト”を、十数年にわたって、At Risk Babyに
届けている会のみなさんと、お話をしてまいりました。新たな寄贈先を
探しているということでしたので、その橋渡し役として。

全国の小・中・高27校とグループや個人が一針一針、心を込めて作り上げた
キルト。2005年は国内外に千数百枚ものキルトを届けたそうです。
なごやかな雰囲気のなかで、針を動かしているみなさんの表情はとっても
穏やかでした。そのようなみなさんと会えたきょうの幸せがあります。

「自分の耳を鍛えて、いいと思う曲は自分で選ぶんだよ」といいつつも、
子どもがPCに取り込んでくれたグレン・グールドのバッハ、フランス組曲。
音楽を聴きながら過ごす、ゆったりとした時間も大切ですね。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(13):幸福って何かしら?  ■名前 : k.satou <cbl13464@nifty.com>  ■日付 : 06/3/13(月) 21:44  -------------------------------------------------------------------------
   悠々さん:
白と紅の梅が咲き乱れる隣の神社は見ごろです。
 藪椿にも小鳥がきています。
早朝からせっせと 掃くほうきの音がします。みてみりゃ
先日祈祷を教えた若い衆でした。霊験ありで?御礼に来たとか。
 それも体裁悪いから 誰にも言わずにきた。という。
 そんなこと言われりゃ ついホロリ。
 まあ 一杯飲もう! いいから!めでたいときは 飲むもんだ!
 無理に飲ませて ご相伴。飲んでるうちに
 こっちも 調子にのって どうせ捨てる本だ持ってけ!
 じゃ これだけ と言って大事に抱えていったのが 風呂敷ともで
 バナール教授の”歴史における科学” 大切にあつかってくれて本も本望! 
”子供を幸福にしたければ 親が幸福になりなさい。
  だって 不幸な親からは幸福な子は決してうまれない ”という
”むのたけじ”さんを崇拝している両親は なるほど幸福な顔してる。
”とんびは鷹は産まない”ものですね。
  以前から 親父とは祈祷のロウソク売りをやろうとは密談中ですが。


レモンさん:
>こんばんは。
>何度か老人会にお誘いを受けた、ある年長者の方は「行ったら、
>お酌させられて、もう2度とイヤッ!」と憤慨されておりました。
>雲仙市議会議員の仰天行動も、ちっとも仰天じゃないなんて・・
>派遣業者いわく「なんでもあり」ですって。男女共同参画事業云々
>以前に意識改革が必要ですね。それにしても・・絶句!!
>
>内閣府によると昨年4月の時点で、管理職ゼロの自治体が819(33.9%)
>管理職に占める女性の割合は7.8%、
>国会議員に占める女性比は衆議院で44人(9.2%)で過去最高。
>ちなみにスウェーデンは(45.3%)、ノルウェーは(37.9%)だそうです。
>女性にはもっともっと力をつけて、活躍の場を広げてほしいと切に願います。
>
>さきほどは、”愛と励ましのキルト”を、十数年にわたって、At Risk Babyに
>届けている会のみなさんと、お話をしてまいりました。新たな寄贈先を
>探しているということでしたので、その橋渡し役として。
>
>全国の小・中・高27校とグループや個人が一針一針、心を込めて作り上げた
>キルト。2005年は国内外に千数百枚ものキルトを届けたそうです。
>なごやかな雰囲気のなかで、針を動かしているみなさんの表情はとっても
>穏やかでした。そのようなみなさんと会えたきょうの幸せがあります。
>
>「自分の耳を鍛えて、いいと思う曲は自分で選ぶんだよ」といいつつも、
>子どもがPCに取り込んでくれたグレン・グールドのバッハ、フランス組曲。
>音楽を聴きながら過ごす、ゆったりとした時間も大切ですね。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(14):幸福って何かしら?  ■名前 : レモン  ■日付 : 06/3/14(火) 8:51  -------------------------------------------------------------------------
   k・satou さん

なんだ、ここに来ていたんだ。
目がどうしたとか、吐き気がするとか騒いでいたから、慌てて大学病院にでも行ったらいけないと、心配したではありませんか。

悠々さん、失礼しました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(15):幸福って何かしら?  ■名前 : k.satou <cbl13464@nifty.com>  ■日付 : 06/3/14(火) 11:50  -------------------------------------------------------------------------
   ▼レモンさん:
なにかを持っている人を見つけたらそれが女性であろうと
 年下であろと謙虚に教えを求めていくなんてことが いいし
 これが”人が成長する”ということだ。
 ”欺師滅祖”は 古来中国でも最も軽蔑されてるけど。
 世には 自分を大きくみせたいがために
 自分が教えてもらったことを隠し いかにも自分が発見
 したかのごとくいうのもいる。と水仙を植えながらの自省。

 言うものは知らず。知るものは言わず。
 なにごとにも 程度の高低と深遠があるもんだね。
それに 自分の実生活につながらないものは 読む本・聴く音楽・観る映画
  友人の質・友人との会話など 衣食住の全ての質にまで反映して
  しまいませんか? 
若い衆はいい。だいいち くじけないもの。まだ!まだ!といい、あきらめない!
 天人合一を理念とし、豊かな心を養いたいものですね。


>k・satou さん
>
>なんだ、ここに来ていたんだ。
>目がどうしたとか、吐き気がするとか騒いでいたから、慌てて大学病院にでも行ったらいけないと、心配したではありませんか。
>
>悠々さん、失礼しました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(16):幸福って何かしら?  ■名前 : レモン  ■日付 : 06/3/14(火) 12:06  -------------------------------------------------------------------------
   ▼k.satouさん:
こんにちは。
そうですね。人間、去年と同じではありません。
くじけないで、あきらめないで、成長したいものです。
明るい太陽と、清い水と、養分のある土に助けられて。
水仙の花だって、同じように見えても、去年と同じ花ではありませんもの。
目をつぶったら、それが見えなくなります。

>▼レモンさん:
> なにかを持っている人を見つけたらそれが女性であろうと
> 年下であろと謙虚に教えを求めていくなんてことが いいし
> これが”人が成長する”ということだ。
> ”欺師滅祖”は 古来中国でも最も軽蔑されてるけど。
> 世には 自分を大きくみせたいがために
> 自分が教えてもらったことを隠し いかにも自分が発見
> したかのごとくいうのもいる。と水仙を植えながらの自省。
>
> 言うものは知らず。知るものは言わず。
> なにごとにも 程度の高低と深遠があるもんだね。
>それに 自分の実生活につながらないものは 読む本・聴く音楽・観る映画
>  友人の質・友人との会話など 衣食住の全ての質にまで反映して
>  しまいませんか? 
>若い衆はいい。だいいち くじけないもの。まだ!まだ!といい、あきらめない!
> 天人合一を理念とし、豊かな心を養いたいものですね。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):教育の原点(1)  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 06/3/4(土) 3:28  -------------------------------------------------------------------------
   ▼流水さん:

優秀な子どもではなく、楽器を持ったこともないごく普通の子ども達をここまでに育て上げているのは奇蹟のようなことですね。
生半可な理念とか教育論を語るのは誰でもできますが、この先生のように目の前に実際に事実を作り出してみせることは並大抵ではありません。
その苦労が本当に分かっている人にしか、この先生のすごさは分からないでしょうね。

>この先生の指導の秘密をわたしなりの視点でまとめてみる。
>1、個人の演奏技術を鍛える。⇒それも自分から練習するように仕向ける。

基礎基本を訓練すること、それも自分から練習するように仕向ける。
これだけでも大変なことです。
小澤征爾の先生、斉藤秀雄さんを思い出しました。
基礎を徹底的に訓練されたから今の自分があると小澤自身が言っていますね。

>2、ここのオーデイションは、生徒全員が参加する。例えば、フルートパートが5人おり、その中から3人選ぶとしたら、5人が順番に演奏して、それを聞いた生徒全員の挙手で3人を選ぶ。 ※ここで重要なのは、よい音を聞き分ける耳を生徒たちが持っているということである。この鍛え方が凄い。

生徒自身に選ばせるのも、口で言うのは簡単ですが、厳格にごまかしなく選ばせるのは難しいことです。
この先生の一つの特徴はごまかしを生徒にも自身にも許さないところにあるかもしれません。

>3、演奏会に出場できるのは,50名。残りの150名は参加できない。この150名のやる気をなくさない配慮が行き届いている。

競争というウソごまかしのないシビアさを保ちながら全員に暖かい配慮している。
150人もいるのですから、とても一人一人に語りかけるのは無理でしょう。
子ども同士を上手に結びつけているのでしょうか。
どうやったらこんな事ができるのでしょうか。

>4、常に子供たちの雰囲気に気を配っていて、だれ気味の時とか節目節目に喝をいれ、空気を引き締めている。

常に状況を見ていますね。
すみずみまで見渡す目がありますね。
一人一人の心、空気を絶えず読んでいます。
名指揮者、名教師はすべてこれがあります。
私など見ているつもりで表面的なことでさえ見落としてしまいます。

                               続きます

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):教育の原点(1)  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 06/3/4(土) 3:41  -------------------------------------------------------------------------
   ▼流水さん:

>5、やるのは生徒、喜ぶのも生徒、ということを常に意識付けしている。つまり、【集団意識】の変容を意図的に行っている。

生徒自身が自分でやっている、もしかしたらやらされている部分もあるかもしれないのに自分がやっていると徹底的に思わせているということでしょうか。

>6、大会間際まで、細かな指示を出さず、スキルの向上に専念させ、大会間際に会場の大きさに負けない音の出し方、演奏曲目の考え方を教えないで、生徒自身に考えさせている。

これも独特ですね。
大会に出るとなるとつい細かな指示を出すものですが・・・

>7、生徒自身に極限までもがかせておいて、最後に一言的確な指示を出す。この番組でいえば、「ミス・サイゴン」の最初の出だしの演奏を【祭り】というイメージで演奏する、という指示を出した。その指示を受けてからの演奏の劇的な変化は、生徒のもがき方の深さと指示を出す間合いの計り方が絶妙だからであり、この先生の力量の高さを実感させた。

真骨頂ですね。
大工の名棟梁が最後の一たたきでぴしっと決める技のようなものですね。

>※教師の声かけは、タイミングが全てである。生徒の日常をきちんと把握しておいて、ここぞというタイミングで声をかける。特別な言葉でなくても、その言葉によって生徒は劇的に変化する場合がある。何でもない言葉一つでも、教師の日常の観察眼、生徒に対する見方などが凝縮されており、これが教師の力量を決定するのである。

この先生の一言は常に何かを生徒にもたらすと言うことが生徒自身に体験としてある。
しかもタイミングがばっちり合っているのですから効果抜群でしょう。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):共生社会の教育か、分断社会の教育か  ■名前 : 流水  ■日付 : 06/3/6(月) 13:20  -------------------------------------------------------------------------
   今日(3月6日)、朝日新聞の【時流自論】に渡辺靖(慶応大助教授:文化人類学、アメリカ研究)の文章が掲載されていた。

この中で渡辺氏は現在米国で増加しているロサンゼル市近くのゲーテイッド・コミュニテイ(門で仕切られた共同体)の話を書いている。
●「東京ドームの約400倍。・・この高級住宅地の周りは高いフェンスで囲い込まれ、守衛が常駐する検問ゲートは住民と訪問者以外を通すことはない。ゲートの内側は全て私道扱いで、警備員が24時間常駐している。
1万3000人の住民の85%が白人、住民の平均年齢は35歳と若く、5人に1人が大学院卒、子供が1人いる世帯の平均年収は20万ドル(約2300万円)。一戸建はどれも100万ドル(1億1000万円)を軽く超える。【ここはまさにそれ自体が一つの小世界なのです】・・・」
●「四半世紀前には2000ほどだったその数は、現在全米で5万を超え、95年には400万人だった居住人口は2000万人以上に達している。・・」
●「学校からレクレーション施設、公園、道路に至るまで、住宅所有者組合などの私的管理組織がルールを決めるという手法が奨励され、ゲーテイッド・コミュニテイの多くは周辺地域から分離独立し、半自治体化していった。(部分的には税の徴収を認められているケースさえある)・・・」
●「危険(暴力、犯罪、麻薬、性的誘惑、テロなど)に満ちた外部の俗世界から閉ざされた空間や関係性の中でセキュリテイ(安全、安心)を希求している点は、メガチャーチ(信徒2千人以上の巨大教会)も同じだ。
80年代には50にも満たなかったその数は、今日1千に迫るといわれている・・・・・」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記の米国の変貌が新自由主義的政策の結果であることは論を待たない。また、メガチャーチの大部分が、ブッシュ支持のクリスチャンコアリションであることもよく知られている。
渡辺氏は次のようにも指摘する。
●「この4半世紀の間に富裕な上位1%の家庭が全国民の40%以上を保有するようになり、CEO(最高経営責任者)の平均収入は一般社員の500倍までに広がった。・・」
●「経済的・社会的格差の拡大は、パズリック(公)なるもを貧困と同義とした。
地域における精神的つながりや行政に対する信頼の低下が危惧されるなか、セキュリテイへの希求はより切実なものになり、こうした傾向に拍車をかけている。」

「今の米国の姿は、10年後の日本の姿」とは、戦後よく言われた言葉である。
小泉構造改革が、新自由主義理論に基づいて行われていることは、論を待たない。
上記の周辺の地域から分離し、分断されたゲーテイッド・コミュニテイの姿は、10年後の日本の姿だといっても否定できる人は少ないかもしれない。
現に、防犯グッズの売り上げは伸びており、警備会社の仕事は増加の一方である。

小泉流【小さい政府】とは、上記のような結果をもたらすということをよく頭に入れておかなければならない。
同時に、ハリケーン「カトリーナ」で露呈された移動すらできない多数の貧困者の存在も米国の現実であることをよく頭に入れておかなければならない。

今では夢物語に近くなったが、「鍵などかけたことが無い」という地方が、日本では多数だった。
【人に対する信頼】が常識だった日本が【人に対する不信】が基本である社会へ変貌しつつあるのである。

教育も例外ではない。というより、教育ほど、時代の趨勢に弱いものはない。
【人に対する信頼】【地域に対する信頼】を基本においた伝統的教育観が、【効率性】【エリート主義】【人に対する不信】【分断された閉鎖空間】の中での教育という価値観に席巻されつつある。
教育論というのは、未来の人間に対して責任を持たなければならない。少なくとも上記の点に対する姿勢を明確にして、語りたいものである。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1)駒大苫小牧校問題について:雑感  ■名前 : 流水  ■日付 : 06/3/6(月) 15:52  -------------------------------------------------------------------------
   駒大苫小牧高校が甲子園出場辞退した。
上のスレッドでも様々な議論が噴出しているが、これは野球がある意味高校スポーツで特別な地位を占めているからである。
高校スポーツの全国大会は、総合体育大会(通称総体)として行われる。大抵の場合、開催県は年によって違う。
ところが、野球だけは春、夏の甲子園大会として行われ、マスコミの扱いも総体とは比較にならない。
各高校に聞けばすぐ分かるが、野球部にかかる予算も、他の部とは比較にならない。
つまり、高校の硬式野球部というのは、それだけ特別待遇されてきたというのは紛れも無い事実である。
これは「六三制 野球ばかりが 強くなり」と揶揄されたように、米国が奨励したのもあるが、戦後スポーツといえば、野球しかなかったという事情が大きく影響している。ある意味、野球は戦後民主主義の原点のようなところがあったからである。

ところが、明治時代(1911)、東京朝日新聞が【野球と其の害毒】という特集を組んでいる。
その中で紹介されている教育関係者の意見を2,3紹介してみる。

★新渡戸稲造(第一高校長)「野球という遊戯は悪く言えば巾着切の遊戯。対手をペテンにかけよう、計略に陥れよう、塁を盗もうなどと眼を四方八方に配り神経を鋭くしてやる遊びであるー(中略)−一体日本の野球選手は作法を知らぬ」
★乃木希典学習院長「対校試合の如きは勝負に熱中したり又あまり長い時間をそれに費す様の事があり其の他弊害を伴うと見たので禁止して終わった」
  ・・「朝日新聞記事に見るスポーツ人物伝」(朝日文庫)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この記事はなかなか面白い。明治時代から、野球と教育の問題が大問題になっていた、ということと、批判者の視点は常に【道徳】【モラル】からなされているという点も共通している。
これは、日本の野球が、学生スポーツとして発達したという成立の事情も大きく影響しているからである。

新渡戸稲造のような批判を考慮して、日本の学生野球は飛田穂州に代表される【野球道】という独特な考え方を生み出し、それが現在の高校野球に伝承されているのである。
つまり、野球を志すものは、技術だけでなく、心(道徳)も身体も鍛えなければならないという考え方である。これが現在も生き続けていることは、駒大苫小牧の校長のコメント【選抜は心技体にすぐれた高校を選ぶのだから、わが校はそれにふさわしくないから辞退する】に象徴的に示されている。

今回の問題は、日本の学生野球が理念として掲げた【野球道】という考え方が現実のものとして有効性があるかどうかの問題として論じなければ、ほとんど有効性がない。
「たかが棒ふりではないか。たいした問題ではない」といった識者もいたが、この差別的内容はさておき、【スポーツ】としての野球と【野球道】としての野球という異なる理念をきちんと論議しなければ、単なる道学者の批判にしかならない。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):Re(1)駒大苫小牧校問題について:雑感  ■名前 : 弥生  ■日付 : 06/3/6(月) 21:53  -------------------------------------------------------------------------
    流水さん こんばんは。レス有り難うございました。

 教育問題。たずさわる関係者のみなさん、ほんとに大変だと思います。
 難しいところに来てますよね。いろいろ教えてください。ごめんください。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):教育の原点(1)  ■名前 : 満点  ■日付 : 06/3/17(金) 11:52  -------------------------------------------------------------------------
   このスレッドは残してください。宜しく

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