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 ▼戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  昭和 人 05/6/23(木) 11:51
   ┣Re(1):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  告天子 05/6/23(木) 12:14
   ┃  ┣Re(2):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  告天子 05/6/23(木) 12:37
   ┃  ┃  ┗Re(3):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  昭和 人 05/6/23(木) 13:54
   ┃  ┃     ┗Re(4):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  告天子 05/6/23(木) 17:54
   ┃  ┣Re(2):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  昭和 人 05/6/23(木) 13:35
   ┃  ┃  ┣Re(3):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  安本単三 05/6/23(木) 15:37
   ┃  ┃  ┗Re(3):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  告天子 05/6/23(木) 17:45
   ┃  ┃     ┗Re(4):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  昭和 人 05/6/23(木) 18:50
   ┃  ┃        ┣一点だけ、指摘させて頂くと。  退役軍人 05/6/23(木) 21:09
   ┃  ┃        ┃  ┣Re(1):一点だけ、指摘させて頂くと。  ウミサチヒコ 05/6/23(木) 21:47
   ┃  ┃        ┃  ┗Re(1):一点だけ、指摘させて頂くと。  昭和 人 05/6/23(木) 22:04
   ┃  ┃        ┃     ┣Re(2):一点だけ、指摘させて頂くと。  ウミサチヒコ 05/6/23(木) 22:20
   ┃  ┃        ┃     ┃  ┗Re(3):一点だけ、指摘させて頂くと。  昭和 人 05/6/23(木) 22:35
   ┃  ┃        ┃     ┃     ┗Re(4):一点だけ、指摘させて頂くと。  ウミサチヒコ 05/6/23(木) 23:31
   ┃  ┃        ┃     ┗別スレッドでやりましょう。  退役軍人 05/6/24(金) 1:41
   ┃  ┃        ┣Re(5):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  告天子 05/6/23(木) 23:00
   ┃  ┃        ┗Re(5):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  告天子 05/6/23(木) 23:04
   ┃  ┃           ┗Re(6):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  告天子 05/6/23(木) 23:34
   ┃  ┃              ┗Re(7):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ウミサチヒコ 05/6/23(木) 23:49
   ┃  ┣Re(2):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  加茂井77 05/6/23(木) 18:09
   ┃  ┗Re(2):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  安本単三 05/6/24(金) 8:39
   ┃     ┗Re(3):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  告天子 05/6/24(金) 9:04
   ┣Re(1):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  秋明菊 05/6/23(木) 16:07
   ┃  ┣Re(2):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ウミサチヒコ 05/6/23(木) 17:34
   ┃  ┗Re(2):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  昭和 人 05/6/23(木) 19:16
   ┣Re(1):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ぎみゆら 05/6/23(木) 17:29
   ┃  ┗Re(2):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  告天子 05/6/23(木) 18:06
   ┣Re(1):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ぎみゆら 05/6/23(木) 17:38
   ┃  ┗Re(2):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  告天子 05/6/23(木) 18:15
   ┃     ┗Re(3):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ウミサチヒコ 05/6/23(木) 18:37
   ┣Re(1):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ぎみゆら 05/6/23(木) 18:03
   ┃  ┗Re(2):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  告天子 05/6/23(木) 20:42
   ┣Re(1):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  k・satou 05/6/23(木) 20:59
   ┃  ┗Re(2):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  昭和 人 05/6/23(木) 22:23
   ┣Re(1):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  小梨 05/6/23(木) 22:30
   ┃  ┣Re(2):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ウミサチヒコ 05/6/23(木) 23:26
   ┃  ┗Re(2):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  昭和 人 05/6/23(木) 23:40
   ┃     ┗Re(3):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  告天子 05/6/23(木) 23:57
   ┃        ┣Re(4):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ウミサチヒコ 05/6/24(金) 0:09
   ┃        ┗Re(4):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  昭和 人 05/6/24(金) 6:37
   ┃           ┗Re(5):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  告天子 05/6/24(金) 7:30
   ┃              ┗Re(6):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  告天子 05/6/24(金) 7:42
   ┃                 ┣Re(7):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ウミサチヒコ 05/6/24(金) 9:07
   ┃                 ┣Re(7):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  告天子 05/6/24(金) 12:20
   ┃                 ┃  ┣Re(8):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  石頭の息子 05/6/24(金) 13:48
   ┃                 ┃  ┗Re(8):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  安本単三 05/6/24(金) 14:11
   ┃                 ┃     ┗Re(9):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  告天子 05/6/24(金) 14:44
   ┃                 ┗Re(7):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  石頭の息子 05/6/24(金) 13:20
   ┗今も沖縄は&牛島さん  珠 05/6/24(金) 3:04
      ┗Re(1):今も沖縄は&牛島さん  k・satou 05/6/24(金) 5:24

 ───────────────────────────────────────
 ■題名 : 戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)
 ■名前 : 昭和 人
 ■日付 : 05/6/23(木) 11:51
 -------------------------------------------------------------------------
   今日6月23日は沖縄戦終結の日。(1945年6月23日牛島司令官が自刃し実質的組織的沖縄戦争が終わった。実際には9月7日降伏文書調印まであり。)

戦死者数  日本軍人65,908人
      住民 130,000人(全沖縄人口の1/3)
      米軍  12,520人
悲惨な事件
  ・日本軍による沖縄住民虐殺(久米島30人など)
  ・住民の集団自決(軍から強制される)
   (「ひめゆりの塔」三和村ほか2000人以上)
  ・前線は米軍、後ろは日本軍に殺された。

自決のすすめ(赤松隊長の例)
  「軍部隊の行動をさまたげないために、また、食料を軍部隊に提供するため、   いさぎよく自決せよ」

自決は
  手投げ弾。死に損なった人は親しい者同士で棒で頭を打ち合い、カミソリで頸部を切り、斧、釜で頭を叩き割り、首をかき切った。(恩納河原の例)

虐殺は
 米軍との降伏勧告のすすめを取り次いだ者、日本軍の壕に入ろうとした者など。

なお このときの隊長は米軍に降伏し戦後言い訳を証言している。
(以上は沖縄史、那覇市史、友人の話、大田昌秀の沖縄・戦争と平和などによる)

戦争は国と国民を守るために言って、国民総動員してやった。
しかし、上にみるとおり、軍隊と天皇を守った戦争だったのではないか。
一歩譲って、国を守ったが国民・住民は守らず捨てたのである。

今日6月23日、毎年の6月23日にはこれを検証し、戦争を二度としない覚悟で憲法9条を死守することを、沖縄で亡くなった人たちに追悼、約束祈りを捧げたいと思う。
また、経験者はだんだん少なくなっています。語り、記録をし、多くの若者に知ってもらいたいと思う。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/6/23(木) 12:14  -------------------------------------------------------------------------
   ▼昭和 人さん:
>今日6月23日は沖縄戦終結の日。(1945年6月23日牛島司令官が自刃し実質的組織的沖縄戦争が終わった。実際には9月7日降伏文書調印まであり。)
>
>戦死者数  日本軍人65,908人
>      住民 130,000人(全沖縄人口の1/3)
>      米軍  12,520人
>悲惨な事件
>  ・日本軍による沖縄住民虐殺(久米島30人など)
>  ・住民の集団自決(軍から強制される)
>   (「ひめゆりの塔」三和村ほか2000人以上)
>  ・前線は米軍、後ろは日本軍に殺された。
>
>自決のすすめ(赤松隊長の例)
>  「軍部隊の行動をさまたげないために、また、食料を軍部隊に提供するため、   いさぎよく自決せよ」
>
>自決は
>  手投げ弾。死に損なった人は親しい者同士で棒で頭を打ち合い、カミソリで頸部を切り、斧、釜で頭を叩き割り、首をかき切った。(恩納河原の例)
>
>虐殺は
> 米軍との降伏勧告のすすめを取り次いだ者、日本軍の壕に入ろうとした者など。
>
>なお このときの隊長は米軍に降伏し戦後言い訳を証言している。
>(以上は沖縄史、那覇市史、友人の話、大田昌秀の沖縄・戦争と平和などによる)
>
>戦争は国と国民を守るために言って、国民総動員してやった。
>しかし、上にみるとおり、軍隊と天皇を守った戦争だったのではないか。
>一歩譲って、国を守ったが国民・住民は守らず捨てたのである。

沖縄戦が凄絶な戦いであったこと、また、住民に大きな被害をもたらしたことは、自明である。


>しかし、上にみるとおり、軍隊と天皇を守った戦争だったのではないか。
>一歩譲って、国を守ったが国民・住民は守らず捨てたのである。

ならば問う。天皇国日本において天皇を日本国民が守るのは当然である。そのこと自体が、誤りであるというのか。ならば天皇国日本そのものを否定する、ということであろう。

続けて問う。軍隊が不祥事を引き起こしたことは、少なからずあったろう。結果的に国民・住民を死に至らしめた痛ましい例は、十分に反省されねばならない。

しかし、仮に住民を投降させたとして、米軍は戦闘にも参加した住民を安全に保護したものであるのか。その時点で、住民を守る物理力を軍はすでに保有していない。米軍は一般住民をも空襲などで無差別に殺戮した実績を持つ敵軍である。投降のすすめは、日本軍の全崩壊を狙った「作戦行動」であり、この時点において、いかなる住民の保護が考えられたか。

更に指摘する。

国軍の一部の行為を、それも極限状態における行為をもって、あたかも軍のすべてが「超国家主義」の軍であり棄民的思想に基づいて行動していたかの如く言い立てるのは、誤りである。


>今日6月23日、毎年の6月23日にはこれを検証し、戦争を二度としない覚悟で憲法9条を死守することを、沖縄で亡くなった人たちに追悼、約束祈りを捧げたいと思う。
>また、経験者はだんだん少なくなっています。語り、記録をし、多くの若者に知ってもらいたいと思う。

説得力のある「反戦」を望むばかりである。反軍、反日という混ぜものがある限り、真に「反戦」が説得力あるものとなるとは思われない。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/6/23(木) 12:37  -------------------------------------------------------------------------
   >しかし、上にみるとおり、軍隊と天皇を守った戦争だったのではないか。
>一歩譲って、国を守ったが国民・住民は守らず捨てたのである。

沖縄戦の犠牲は、悲惨であった。しかし、沖縄戦を戦わなければ、本土決戦は更に悲惨なものであったろうし、長期化する本土決戦におそらく続くであろう日本の分割統治・国家体制の完全破壊にまで事態が進行していれば、国家と国民の悲惨は、限りないものとなっていたであろう。

「国を守ったが国民・住民は捨てた」というのは、正しくない。国を守らなければ、国民に待っているのは売国の生活である。

「国民、住民を捨てた」と恨むのであれば、軍人は国を守るために命を捨てたではないか。何故そのことは見ずに、「住民を捨てた」ことだけが強調されるのか。

そういうことでは、日本人が皆感謝し、その例安らかなれと祈る沖縄戦の犠牲者に対して、却って失礼な政治に堕した政治意見になりはしないか。犠牲は深く反省されるべきであり、政治に利用されてはならない。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : 昭和 人  ■日付 : 05/6/23(木) 13:54  -------------------------------------------------------------------------
   ▼告天子さん:
こちらもコメントしましょうか。

>>しかし、上にみるとおり、軍隊と天皇を守った戦争だったのではないか。
>>一歩譲って、国を守ったが国民・住民は守らず捨てたのである。
>
>沖縄戦の犠牲は、悲惨であった。しかし、沖縄戦を戦わなければ、本土決戦は更に悲惨なものであったろうし、長期化する本土決戦におそらく続くであろう日本の分割統治・国家体制の完全破壊にまで事態が進行していれば、国家と国民の悲惨は、限りないものとなっていたであろう。

そうかも。
沖縄戦は本土決戦を遅らせるための「捨て石」作戦であったのです。
>
>「国を守ったが国民・住民は捨てた」というのは、正しくない。国を守らなければ、国民に待っているのは売国の生活である。
>
>「国民、住民を捨てた」と恨むのであれば、軍人は国を守るために命を捨てたではないか。何故そのことは見ずに、「住民を捨てた」ことだけが強調されるのか。

沖縄の住民を捨てたと言っているのです。
>
>そういうことでは、日本人が皆感謝し、その例安らかなれと祈る沖縄戦の犠牲者に対して、却って失礼な政治に堕した政治意見になりはしないか。犠牲は深く反省されるべきであり、政治に利用されてはならない。

そうです、沖縄は日本、(本土)の犠牲でした。
あなたこそ深く反省してください。(でもあなたは 知らないか)
お爺ちゃんか親父に、おふくろさんに聞いてみてください。

2度と戦争がないように祈りましょう。、

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/6/23(木) 17:54  -------------------------------------------------------------------------
   ▼昭和 人さん:
>▼告天子さん:
>こちらもコメントしましょうか。

引用部分が多くて長くなりますが、随時適当にカットしますのでよろしく。


>>沖縄戦の犠牲は、悲惨であった。しかし、沖縄戦を戦わなければ、本土決戦は更に悲惨なものであったろうし、長期化する本土決戦におそらく続くであろう日本の分割統治・国家体制の完全破壊にまで事態が進行していれば、国家と国民の悲惨は、限りないものとなっていたであろう。
>
>そうかも。
>沖縄戦は本土決戦を遅らせるための「捨て石」作戦であったのです。

捨て石作戦だから無駄だった、ということでしょうか?。


>>「国を守ったが国民・住民は捨てた」というのは、正しくない。国を守らなければ、国民に待っているのは売国の生活である。
>>
>>「国民、住民を捨てた」と恨むのであれば、軍人は国を守るために命を捨てたではないか。何故そのことは見ずに、「住民を捨てた」ことだけが強調されるのか。

>沖縄の住民を捨てたと言っているのです。

沖縄の住民が酷い目にあったことをなかったかの如く言うのではありません。沖縄の住民だけが犠牲になったのか、といっているのです。そして沖縄の悲劇は無駄だったのか、と問うているのです。


>>そういうことでは、日本人が皆感謝し、その例安らかなれと祈る沖縄戦の犠牲者に対して、却って失礼な政治に堕した政治意見になりはしないか。犠牲は深く反省されるべきであり、政治に利用されてはならない。
>
>そうです、沖縄は日本、(本土)の犠牲でした。

そのことは最初から否定していません。その犠牲が、無駄死にだったと言うのか、と問うているのです。

>あなたこそ深く反省してください。(でもあなたは 知らないか)
>お爺ちゃんか親父に、おふくろさんに聞いてみてください。

>2度と戦争がないように祈りましょう。、

同意します。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : 昭和 人  ■日付 : 05/6/23(木) 13:35  -------------------------------------------------------------------------
   ▼告天子さん:
あなたと議論するのは始めてかな。
真面目な議論なら対応したい。
まず、事実から、あなたの誤りを指摘したい。
>
>>>しかし、上にみるとおり、軍隊と天皇を守った戦争だったのではないか。
>>一歩譲って、国を守ったが国民・住民は守らず捨てたのである。
>
>ならば問う。天皇国日本において天皇を日本国民が守るのは当然である。そのこと自体が、誤りであるというのか。ならば天皇国日本そのものを否定する、ということであろう。

国民には天皇を守る義務はない。
特に戦後は「日本」と人間おのれを守るために仕事をし、戦い、生きている。
>
>続けて問う。軍隊が不祥事を引き起こしたことは、少なからずあったろう。結果的に国民・住民を死に至らしめた痛ましい例は、十分に反省されねばならない。
>
>しかし、仮に住民を投降させたとして、米軍は戦闘にも参加した住民を安全に保護したものであるのか。その時点で、住民を守る物理力を軍はすでに保有していない。米軍は一般住民をも空襲などで無差別に殺戮した実績を持つ敵軍である。投降のすすめは、日本軍の全崩壊を狙った「作戦行動」であり、この時点において、いかなる住民の保護が考えられたか。

不勉強ですね、、史実を調べ、検証するとよい。
米軍(私は好きではない、嫌いだが)は住民をもろとも殺しもしたが、助けもした。
日本軍は米軍のように保護はしなかった。
米軍は沖縄戦に住民保護(反抗防止、説得かも)の目的で5,000人の軍政要員を送り込んでいる。沖縄系2、3世で日本語はもとより沖縄方言のわかる人を選定している。
結果は実際に米軍上陸ご1ヶ月で126,000人の地元住民が保護、管理されている。この人たちは生き残ったのである。
戦後60年後も80歳の体験者は「日本軍の残虐さと米兵の親切さが対比的に語られています。
こうして、沖縄では現地日本守備軍によってでなく逆に敵兵に命を助けられた住民の数が多いのである。(私の仕事仲間友人もそうで戦後米軍の仕事をしている)
捕虜(非軍事人だが)だとしても食料生活は保障された)
日本人としては残念ながら、それが事実であった。
>
>更に指摘する。
>
>国軍の一部の行為を、それも極限状態における行為をもって、あたかも軍のすべてが「超国家主義」の軍であり棄民的思想に基づいて行動していたかの如く言い立てるのは、誤りである。

そんな記述はしていない。読みやすいように簡潔に記したまで。(長文は嫌い)
>
>
>>今日6月23日、毎年の6月23日にはこれを検証し、戦争を二度としない覚悟で憲法9条を死守することを、沖縄で亡くなった人たちに追悼、約束祈りを捧げたいと思う。
>>また、経験者はだんだん少なくなっています。語り、記録をし、多くの若者に知ってもらいたいと思う。
>
>説得力のある「反戦」を望むばかりである。反軍、反日という混ぜものがある限り、真に「反戦」が説得力あるものとなるとは思われない。

反戦、反軍は当然だが 「反日」とは何と失礼な、私は良心的か弱いナショナリストだと自認している。
私は平和、反戦、護憲9条を説得しつつ生きていきます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : 安本単三  ■日付 : 05/6/23(木) 15:37  -------------------------------------------------------------------------
   ▼昭和 人さん:
>▼告天子さん:
>あなたと議論するのは始めてかな。
>真面目な議論なら対応したい。
>まず、事実から、あなたの誤りを指摘したい。
>>
>>>>しかし、上にみるとおり、軍隊と天皇を守った戦争だったのではないか。
>>>一歩譲って、国を守ったが国民・住民は守らず捨てたのである。
>>
>>ならば問う。天皇国日本において天皇を日本国民が守るのは当然である。そのこと自体が、誤りであるというのか。ならば天皇国日本そのものを否定する、ということであろう。
>
>国民には天皇を守る義務はない。
>特に戦後は「日本」と人間おのれを守るために仕事をし、戦い、生きている。
>>
>>続けて問う。軍隊が不祥事を引き起こしたことは、少なからずあったろう。結果的に国民・住民を死に至らしめた痛ましい例は、十分に反省されねばならない。
>>
>>しかし、仮に住民を投降させたとして、米軍は戦闘にも参加した住民を安全に保護したものであるのか。その時点で、住民を守る物理力を軍はすでに保有していない。米軍は一般住民をも空襲などで無差別に殺戮した実績を持つ敵軍である。投降のすすめは、日本軍の全崩壊を狙った「作戦行動」であり、この時点において、いかなる住民の保護が考えられたか。
>
>不勉強ですね、、史実を調べ、検証するとよい。
>米軍(私は好きではない、嫌いだが)は住民をもろとも殺しもしたが、助けもした。
>日本軍は米軍のように保護はしなかった。
>米軍は沖縄戦に住民保護(反抗防止、説得かも)の目的で5,000人の軍政要員を送り込んでいる。沖縄系2、3世で日本語はもとより沖縄方言のわかる人を選定している。
>結果は実際に米軍上陸ご1ヶ月で126,000人の地元住民が保護、管理されている。この人たちは生き残ったのである。
>戦後60年後も80歳の体験者は「日本軍の残虐さと米兵の親切さが対比的に語られています。
>こうして、沖縄では現地日本守備軍によってでなく逆に敵兵に命を助けられた住民の数が多いのである。(私の仕事仲間友人もそうで戦後米軍の仕事をしている)
>捕虜(非軍事人だが)だとしても食料生活は保障された)
>日本人としては残念ながら、それが事実であった。
>>
>>更に指摘する。
>>
>>国軍の一部の行為を、それも極限状態における行為をもって、あたかも軍のすべてが「超国家主義」の軍であり棄民的思想に基づいて行動していたかの如く言い立てるのは、誤りである。
>
>そんな記述はしていない。読みやすいように簡潔に記したまで。(長文は嫌い)
>>
>>
>>>今日6月23日、毎年の6月23日にはこれを検証し、戦争を二度としない覚悟で憲法9条を死守することを、沖縄で亡くなった人たちに追悼、約束祈りを捧げたいと思う。
>>>また、経験者はだんだん少なくなっています。語り、記録をし、多くの若者に知ってもらいたいと思う。
>>
>>説得力のある「反戦」を望むばかりである。反軍、反日という混ぜものがある限り、真に「反戦」が説得力あるものとなるとは思われない。
>
>反戦、反軍は当然だが 「反日」とは何と失礼な、私は良心的か弱いナショナリストだと自認している。
>私は平和、反戦、護憲9条を説得しつつ生きていきます。

昭和人さんの見解を支持します。

本の名前は忘れたのですが、司馬遼太郎さんが書いていました。軍隊にいたとき、「日本軍戦車の走行前方に日本人群衆が居てジャマになった際どうするか?」上官に聞いたそうです。そうすると「ひき殺してもよいから進め」だったそうです。それで、軍隊は民衆を守らないのか?とショックを受けた。それが「この国のかたち」を憂う原点となったそうです。司馬遼太郎さんは、左翼ではありません。むしろ右翼と誤解されるような愛国者です。

指摘↑のような伝統は、戦後も官僚組織の中に脈々と生きています。
今、社会保険庁がらみの堕落官僚が問題になっていますが、司馬遼太郎さんの危惧が如実に現れています。「社会」を「保つ」はずの機関の人間が、国民よりも「自己」を「保つ」ことに専念し国民を犠牲にしているのです。

俺の兄貴は自衛隊員だから一般国民より逃げ足は早い、訓練しているからな。

私の元同僚の寒いジョークです。誤解なきよう。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/6/23(木) 17:45  -------------------------------------------------------------------------
   ▼昭和 人さん:
>▼告天子さん:
>あなたと議論するのは始めてかな。
>真面目な議論なら対応したい。

初めてですよ。よろしく。

>まず、事実から、あなたの誤りを指摘したい。
>>
>>>>しかし、上にみるとおり、軍隊と天皇を守った戦争だったのではないか。
>>>一歩譲って、国を守ったが国民・住民は守らず捨てたのである。
>>
>>ならば問う。天皇国日本において天皇を日本国民が守るのは当然である。そのこと自体が、誤りであるというのか。ならば天皇国日本そのものを否定する、ということであろう。

>国民には天皇を守る義務はない。
>特に戦後は「日本」と人間おのれを守るために仕事をし、戦い、生きている。

国民に天皇を守る法的義務があるかとは問うていない。日本を守るための沖縄の戦闘は無意味だったのか、そのこと自体が誤りであり、すべての死が無駄死にであったのか、と問うている。また、戦前日本の体制そのものを「国民・住民は守らず捨てた」ものとして全否定するのか、と問うている。全否定するなら、それを守るために死んだ者は無駄死にであろう。


>>続けて問う。軍隊が不祥事を引き起こしたことは、少なからずあったろう。結果的に国民・住民を死に至らしめた痛ましい例は、十分に反省されねばならない。
>>
>>しかし、仮に住民を投降させたとして、米軍は戦闘にも参加した住民を安全に保護したものであるのか。その時点で、住民を守る物理力を軍はすでに保有していない。米軍は一般住民をも空襲などで無差別に殺戮した実績を持つ敵軍である。投降のすすめは、日本軍の全崩壊を狙った「作戦行動」であり、この時点において、いかなる住民の保護が考えられたか。
>
>不勉強ですね、、史実を調べ、検証するとよい。
>米軍(私は好きではない、嫌いだが)は住民をもろとも殺しもしたが、助けもした。
>日本軍は米軍のように保護はしなかった。

米軍は住民の殺戮を目的とはしていないから、もちろん助けはしたろうが、殺しもしたのであり、助かるということは戦闘は放棄し、投降するということであろう。住民を組み込んだ戦闘作戦自体がすでに問題なのだが、沖縄戦を遂行し、なおかつ住民をも十分に保護するような作戦行動を取るだけの余裕があったのか、どんな行動が考えられたか、と問うている。

民間人は投降させ、軍人は最後まで戦え、ということか。それとも、軍人も早期に降伏していれば問題はなかったかということなのか、ということである。軍人から民間人への多くの残虐な行為があったこととは別に、そう問うている。それに対して史実を調べ検証せよでは答えになっていない。

私は「戦闘にも参加した住民」にも米兵がもれなく親切に保護したのか、と問うているのであり、米兵が親切だったかとか保護された者はいなかったのかとか問うているのではない。


>>更に指摘する。
>>
>>国軍の一部の行為を、それも極限状態における行為をもって、あたかも軍のすべてが「超国家主義」の軍であり棄民的思想に基づいて行動していたかの如く言い立てるのは、誤りである。
>
>そんな記述はしていない。読みやすいように簡潔に記したまで。(長文は嫌い)

ならば了解した。


>>説得力のある「反戦」を望むばかりである。反軍、反日という混ぜものがある限り、真に「反戦」が説得力あるものとなるとは思われない。

>反戦、反軍は当然だが 「反日」とは何と失礼な、私は良心的か弱いナショナリストだと自認している。
>私は平和、反戦、護憲9条を説得しつつ生きていきます。

ここは失礼しました。昭和 人さんが反日であるというつもりではなく、一般的な反戦言論について書いた。ところで、反軍とはいかなる意味で言われるのか。反戦必ずしも反軍とは限らぬと思うが、軍組織の全廃・非武装は非現実的ではないのか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : 昭和 人  ■日付 : 05/6/23(木) 18:50  -------------------------------------------------------------------------
   ▼告天子さん:
>▼
>
>>国民には天皇を守る義務はない。
>>特に戦後は「日本」と人間おのれを守るために仕事をし、戦い、生きている。
>
>国民に天皇を守る法的義務があるかとは問うていない。日本を守るための沖縄の戦闘は無意味だったのか、そのこと自体が誤りであり、すべての死が無駄死にであったのか、と問うている。また、戦前日本の体制そのものを「国民・住民は守らず捨てた」ものとして全否定するのか、と問うている。全否定するなら、それを守るために死んだ者は無駄死にであろう。

そんなこと、私はどこにも述べていない。
今問うのなら答えよう。
沖縄戦は今の平和、反戦、憲法9条の成立に役立った。
無駄死ではない。これを活かせ。
>
>
>>>続けて問う。軍隊が不祥事を引き起こしたことは、少なからずあったろう。結果的に国民・住民を死に至らしめた痛ましい例は、十分に反省されねばならない。
>>>
>>>しかし、仮に住民を投降させたとして、米軍は戦闘にも参加した住民を安全に保護したものであるのか。

14歳前後の子供と女子ですよ。12万人以上保護されたのです。
軍人以外の助けを求めた住民は安全にほごされた。生き証人が今日も集まっています。

その時点で、住民を守る物理力を軍はすでに保有していない。米軍は一般住民をも空襲などで無差別に殺戮した実績を持つ敵軍である。投降のすすめは、日本軍の全崩壊を狙った「作戦行動」であり、この時点において、いかなる住民の保護が考えられたか。

怪我をした、抵抗しない住民は 保護された、現実に戦後証言している人が沢山いるのです。

>>
>>不勉強ですね、、史実を調べ、検証するとよい。
>>米軍(私は好きではない、嫌いだが)は住民をもろとも殺しもしたが、助けもした。
>>日本軍は米軍のように保護はしなかった。
>
>米軍は住民の殺戮を目的とはしていないから、もちろん助けはしたろうが、殺しもしたのであり、助かるということは戦闘は放棄し、投降するということであろう。住民を組み込んだ戦闘作戦自体がすでに問題なのだが、沖縄戦を遂行し、なおかつ住民をも十分に保護するような作戦行動を取るだけの余裕があったのか、どんな行動が考えられたか、と問うている。

余裕がないなら、放っておけばよいのに、自殺、自決を強要したのです。
>
>民間人は投降させ、軍人は最後まで戦え、ということか。
当たり前です。

それとも、軍人も早期に降伏していれば問題はなかったかということなのか、ということである。

牛島司令官は自殺のまえに降伏すべきだったと私は思う。
住民に自決をさせた将校は後で投降している。

軍人から民間人への多くの残虐な行為があったこととは別に、そう問うている。それに対して史実を調べ検証せよでは答えになっていない。

私の書いたことは、事実、史実が証明している。私のこの記述よりも勉強しろと言いたい。
>
>私は「戦闘にも参加した住民」にも米兵がもれなく親切に保護したのか、と問うているのであり、米兵が親切だったかとか保護された者はいなかったのかとか問うているのではない。

前に答えたとおりです。体験者に聞いてください。沖縄へ行って。

>
>>国軍の一部の行為を、それも極限状態における行為をもって、あたかも軍のすべてが「超国家主義」の軍であり棄民的思想に基づいて行動していたかの如く言い立てるのは、誤りである。
>>
>>そんな記述はしていない。読みやすいように簡潔に記したまで。(長文は嫌い)
>
>ならば了解した。
>
>>>説得力のある「反戦」を望むばかりである。反軍、反日という混ぜものがある限り、真に「反戦」が説得力あるものとなるとは思われない。
>
>>反戦、反軍は当然だが 「反日」とは何と失礼な、私は良心的か弱いナショナリストだと自認している。
>>私は平和、反戦、護憲9条を説得しつつ生きていきます。
>
>ここは失礼しました。昭和 人さんが反日であるというつもりではなく、一般的な反戦言論について書いた。ところで、反軍とはいかなる意味で言われるのか。反戦必ずしも反軍とは限らぬと思うが、軍組織の全廃・非武装は非現実的ではないのか。

軍隊は嫌いだ、反対だ との意味だ。
軍組織によらない国土防衛、自衛の方法は現実的にある。別途のスレッドで議論したい。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 一点だけ、指摘させて頂くと。  ■名前 : 退役軍人  ■日付 : 05/6/23(木) 21:09  -------------------------------------------------------------------------
   昭和人さん、こんばんは。

▼昭和 人さん:
>軍隊は嫌いだ、反対だ との意味だ。
>軍組織によらない国土防衛、自衛の方法は現実的にある。別途のスレッドで議論したい。

自尊自立の道を捨て、民族としての誇りや伝統、歴史で培われてきた日本人としての価値観を捨てる覚悟があるのなら。
誰かに従属し、奴隷として生きる事だけを望むのなら。
軍隊のような暴力装置を持たずに生き延びる事が可能でしょうね。

少なくとも私は嫌だ。

日本人として生き、日本人として死にたい。

陸上自衛隊幹部候補生学校の、戦史教程において「沖縄戦史」が必須となっているのは何故か。

沖縄返還前から、幹部候補生を沖縄に派遣し戦跡を巡る研修と、沖縄戦を自身で経験した語り部達を囲んで経験談を聞く研修が続けられているのは何故か。

失礼いたしました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):一点だけ、指摘させて頂くと。  ■名前 : ウミサチヒコ  ■日付 : 05/6/23(木) 21:47  -------------------------------------------------------------------------
   ▼退役軍人さん:

>自尊自立の道を捨て、民族としての誇りや伝統、歴史で培われてきた日本人としての価値観
を保持するために、あなたは何をしますか。

>誰かに従属し、奴隷として生きる事
をしないために、あなたは何をしますか。

>日本人として生き、日本人として死にたい。
大概はそうです。あなたがいきり立って言うことではあるまい。

>陸上自衛隊幹部候補生学校の、戦史教程において「沖縄戦史」が必須となっているのは何故か。>沖縄返還前から、幹部候補生を沖縄に派遣し戦跡を巡る研修と、沖縄戦を自身で経験した語り部達を囲んで経験談を聞く研修が続けられているのは何故か。

何故か?またあなたの我田引水に入り込みたくないので質問してくれなくて結構です。


>失礼いたしました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):一点だけ、指摘させて頂くと。  ■名前 : 昭和 人  ■日付 : 05/6/23(木) 22:04  -------------------------------------------------------------------------
   ▼退役軍人さん:
>
>
>▼昭和 人さん:
>>軍隊は嫌いだ、反対だ との意味だ。
>>軍組織によらない国土防衛、自衛の方法は現実的にある。別途のスレッドで議論したい。
>
>自尊自立の道を捨て、民族としての誇りや伝統、歴史で培われてきた日本人としての価値観を捨てる覚悟があるのなら。
>誰かに従属し、奴隷として生きる事だけを望むのなら。
>軍隊のような暴力装置を持たずに生き延びる事が可能でしょうね。

これ 誰に言ってるのですか。
文章、国語、関連なし、そんな人 どこにも いない。
>
>少なくとも私は嫌だ。

何が嫌いなんですか。
>
>日本人として生き、日本人として死にたい。

同感です。
>
>陸上自衛隊幹部候補生学校の、戦史教程において「沖縄戦史」が必須となっているのは何故か。
>
>沖縄返還前から、幹部候補生を沖縄に派遣し戦跡を巡る研修と、沖縄戦を自身で経験した語り部達を囲んで経験談を聞く研修が続けられているのは何故か。

是非、教えてください。興味あります。
解りやすい文章で お願いします。
>
>

追記
「反軍」は私の言葉ではない。告天子さんが私を指して「反戦、反軍、反日だ、、というから私は「反戦、反軍はいいとしても、反日とは失礼だ」とやり返したのです。反軍なんて言葉、私は自分から書いてjません。よーく見てください。
遠慮なしに また ご意見ください。どうも失礼。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):一点だけ、指摘させて頂くと。  ■名前 : ウミサチヒコ  ■日付 : 05/6/23(木) 22:20  -------------------------------------------------------------------------
   ▼昭和 人さん:

>是非、教えてください。興味あります。

ねね、ほら。無視せよという話があっても「是非」なんて人も出てくる。Rayさんの言っていることは現実的でないんですよね。(ところで今日は☆が出てないなあ、今日は新月かいな?)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):一点だけ、指摘させて頂くと。  ■名前 : 昭和 人  ■日付 : 05/6/23(木) 22:35  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ウミサチヒコさん:
>▼
結構 気 つかって いるんですよ。あの人には 内緒。
>
>ねね、ほら。無視せよという話があっても「是非」なんて人も出てくる。Rayさんの言っていることは現実的でないんですよね。(ところで今日は☆が出てないなあ、今日は新月かいな?)

Rayさん 見てないかな。では また。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):一点だけ、指摘させて頂くと。  ■名前 : ウミサチヒコ  ■日付 : 05/6/23(木) 23:31  -------------------------------------------------------------------------
   ▼昭和 人さん:
>▼ウミサチヒコさん:
>>▼
>結構 気 つかって いるんですよ。あの人には 内緒。
>>
>>ねね、ほら。無視せよという話があっても「是非」なんて人も出てくる。Rayさんの言っていることは現実的でないんですよね。(ところで今日は☆が出てないなあ、今日は新月かいな?)
>
>Rayさん 見てないかな。では また。

屁理屈を言う連中のことは、時々からかってやるくらいでいいんです。べらべらべらべら、確たる信念もなしに屁理屈をならべるのが連中の趣味ですから。「日本人として死にたい!」ですって!?誰も止めやせんよ。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 別スレッドでやりましょう。  ■名前 : 退役軍人  ■日付 : 05/6/24(金) 1:41  -------------------------------------------------------------------------
   昭和 人さん、こんばんは。

>>▼昭和 人さん:
>>>軍隊は嫌いだ、反対だ との意味だ。
>>>軍組織によらない国土防衛、自衛の方法は現実的にある。別途のスレッドで議論したい。
>>
>>自尊自立の道を捨て、民族としての誇りや伝統、歴史で培われてきた日本人としての価値観を捨てる覚悟があるのなら。
>>誰かに従属し、奴隷として生きる事だけを望むのなら。
>>軍隊のような暴力装置を持たずに生き延びる事が可能でしょうね。
>
>これ 誰に言ってるのですか。
>文章、国語、関連なし、そんな人 どこにも いない。

そんな現実論は無いと確信しているからです。
あなたに向けた言葉ですよ。

別のスレッドで議論しましょう。
少なくとも、軍隊という暴力装置を持たないで国土防衛が可能であるという具体論を聞いたことがありませんから。

>>少なくとも私は嫌だ。
>
>何が嫌いなんですか。

単純です、そういった生存の方法しかないですからね。
そういった生存の方法で、物理的に生きているだけという状態は嫌だと言っているのです。

>>日本人として生き、日本人として死にたい。
>
>同感です。
>>
>>陸上自衛隊幹部候補生学校の、戦史教程において「沖縄戦史」が必須となっているのは何故か。
>>
>>沖縄返還前から、幹部候補生を沖縄に派遣し戦跡を巡る研修と、沖縄戦を自身で経験した語り部達を囲んで経験談を聞く研修が続けられているのは何故か。
>
>是非、教えてください。興味あります。
>解りやすい文章で お願いします。

簡単ですよ。

以前の投稿で、士官や将校、おっとこの場合は幹部自衛官ですよね、失礼。
こういった指揮官養成の過程で戦史教育がなんのために行われるかと書いたことがありますが、全く同じです。

してはならない選択をしないため。

そのために、反面教師としての日本軍の沖縄戦における選択を検証し学ぶのです。
成功した作戦に学ぶべき点は少ないからですよ、多くの民間人死傷者を出した沖縄戦を学ぶことにこそ大きな意義があるからです。

何故なら、我が国が堅持する「専守防衛」という軍事ドクトリンの概念は、国土防衛戦が領土内で行われることを前提にしているからです。

>追記
>「反軍」は私の言葉ではない。告天子さんが私を指して「反戦、反軍、反日だ、、というから私は「反戦、反軍はいいとしても、反日とは失礼だ」とやり返したのです。反軍なんて言葉、私は自分から書いてjません。よーく見てください。
>遠慮なしに また ご意見ください。どうも失礼。

反軍とか反戦という言葉に反応した訳ではありません。
軍備を持たずに国土防衛が可能な現実論があるとのご主張に興味を持っただけのことです。

別スレッドでの具体論に期待しています。

失礼いたしました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(5):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/6/23(木) 23:00  -------------------------------------------------------------------------
   ▼昭和 人さん:

>>国民に天皇を守る法的義務があるかとは問うていない。日本を守るための沖縄の戦闘は無意味だったのか、そのこと自体が誤りであり、すべての死が無駄死にであったのか、と問うている。また、戦前日本の体制そのものを「国民・住民は守らず捨てた」ものとして全否定するのか、と問うている。全否定するなら、それを守るために死んだ者は無駄死にであろう。
>
>そんなこと、私はどこにも述べていない。
>今問うのなら答えよう。
>沖縄戦は今の平和、反戦、憲法9条の成立に役立った。
>無駄死ではない。これを活かせ。

無駄死にではない、というのは分かった。しかし、沖縄戦での犠牲は「日本全体にとって」意義があったのであり、反戦や九条成立のために彼らが死んだのではない。やはりあなたの事実認識と意見部分との間には、大きな乖離がある。

彼らの死を「反戦、憲法九条の成立に役立った」と位置づけることは、沖縄戦の犠牲の政治利用でしかないと思う。


>>>>しかし、仮に住民を投降させたとして、米軍は戦闘にも参加した住民を安全に保護したものであるのか。
>
>14歳前後の子供と女子ですよ。12万人以上保護されたのです。
>軍人以外の助けを求めた住民は安全にほごされた。生き証人が今日も集まっています。

戦闘に参加した(成人)住民をもか、と尋ねています。あげられた事実を否定しているのではありませんよ。戦闘参加した住人の集団投降は、日本軍側の総崩れを意味します。総崩れになってもそうせよ、ということか。


>その時点で、住民を守る物理力を軍はすでに保有していない。米軍は一般住民をも空襲などで無差別に殺戮した実績を持つ敵軍である。投降のすすめは、日本軍の全崩壊を狙った「作戦行動」であり、この時点において、いかなる住民の保護が考えられたか。

>怪我をした、抵抗しない住民は 保護された、現実に戦後証言している人が沢山いるのです。

そうでしょう、ですからそういう事実は私は否定していません。しかし、死んだ者は証言できませんし、集団投降〜総崩れ、以外の、軍組織が崩壊する前の住民の保護というのは、日本軍としては考えられたのか、ということです。

総崩れになった後の悲劇、悲惨、これは決して忘れられてはならないと思います。しかしそのことと、その前の対処とは別でしょう。沖縄戦の悲劇が、「憲法九条のために役立った」など、とても考えられません。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(5):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/6/23(木) 23:04  -------------------------------------------------------------------------
   ▼昭和 人さん:
続きです。
>>米軍は住民の殺戮を目的とはしていないから、もちろん助けはしたろうが、殺しもしたのであり、助かるということは戦闘は放棄し、投降するということであろう。住民を組み込んだ戦闘作戦自体がすでに問題なのだが、沖縄戦を遂行し、なおかつ住民をも十分に保護するような作戦行動を取るだけの余裕があったのか、どんな行動が考えられたか、と問うている。

>余裕がないなら、放っておけばよいのに、自殺、自決を強要したのです。

反攻作戦が失敗した後の自殺、自決の強要については、その通りだと思います。沖縄戦全体について、住民の協力がなければ作戦自体が成立しなかったのではないかと思えますし、無茶な作戦です。ならば、どう行動すればよかったのか、と尋ねています。即刻降伏せよ、ということですか。


>>民間人は投降させ、軍人は最後まで戦え、ということか。
>当たり前です。

どの時点で投降させるか、投降できたかには問題が残ると思いますが、負けがはっきりした時点で民間人を投降させるのは、私も当然だと思います。民間人の協力なしには、組織的な抵抗の続行は難しかったのですから、早い段階での民間人の投降許可は「総崩れ」、つまり敗北でしかない。そして敗北は、本土決戦に対して決定的影響をもたらすことは明らかだ。

それらを踏まえての、無茶な作戦だった、ということでしょう。


その後の戦争継続、日本国の運命をも左右することですから、非常に難しい判断だったのではないかと思います。

米国の言い分は、日本が無条件降伏をするまで止めぬ、ということなのですから、現地軍の司令としては限界を超えるまで粘るというのもあったのではないかと思いますが、勿論、判断に失敗が全くなかったなどと言うつもりはありません。


>牛島司令官は自殺のまえに降伏すべきだったと私は思う。
>住民に自決をさせた将校は後で投降している。

極限状態に陥ってしまえば、軍人も住民も同じ人間ですから、自分だけは助かりたいと思うのは仕方がないこと、極限状態における行動を平常の人が裁くのもどうかと思うが、可能な限り住民の生命は守られるべきだったろう。残念ながら事実はそうではなかった、しかしそれが「軍の一般的否定」「日本軍全体の否定」になるのはおかしいと思う。


>軍人から民間人への多くの残虐な行為があったこととは別に、そう問うている。それに対して史実を調べ検証せよでは答えになっていない。
>
>私の書いたことは、事実、史実が証明している。私のこの記述よりも勉強しろと言いたい。

ただ勉強しろだけでは返答にならない。あなたの言っていることは、事実の部分と反戦の主張などの部分とが混在している。自分の書いたことを史実が証明しているというのはおかしいだろう。


>>私は「戦闘にも参加した住民」にも米兵がもれなく親切に保護したのか、と問うているのであり、米兵が親切だったかとか保護された者はいなかったのかとか問うているのではない。
>
>前に答えたとおりです。体験者に聞いてください。沖縄へ行って。

体験者の語ることが全てではないと思う。死んだ者は何も言えないし、体験者にもいろいろな意見の者がいると思う。また、思っていても言えないようなこともある。戦闘に参加した住民が投降するのは、米軍からすれば作戦遂行上、歓迎すべき事態だから、親切にするのは当たり前である。これは日本軍からすれば利敵行為だから、負け戦の中で残虐な行為が出たとしても不思議ではない。

親切な米兵、残虐な日本兵、人間を大事にしない古い日本の体制・・・。そうしたことが、連合的にイメージ化され、「ああ、恐ろしい、昔の日本」みたいに全否定されるなら、それは反戦と言うより反日に近いものではないかと思う。批判されるべきことと、評価すべきこととは、まだらではないかと思う。

昭和 人さんの場合、軍は嫌いだということで、また軍は必要ですらない、という話ですから、明らかに反軍、でしょう。ご自身でも「軍隊は嫌いだ、反対だ との意味だ」と説明しているのですから、「告天子が言ったことだ」ではないし、ご自身をその意味で「反軍だ」と言っているのですから。私に振るのは変ですね。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(6):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/6/23(木) 23:34  -------------------------------------------------------------------------
   長くなったので改めてまとめると、昭和 人さんの言う「反戦」というのは、要するに沖縄戦で住民の犠牲があったから、その日本軍の作戦失敗や残虐な行為に対して反対することが、「反戦」なのか?。それとも、正義の軍隊みたいな完全無欠・無謬の行動を取る軍隊でもあれば、それには賛成なのか?。

戦争行為そのものに反対、というのならば、沖縄戦は「存在自体を認めない」訳でしょう、だったら犠牲も「無駄死に」でしかないし、犠牲は「九条や反戦に役立ったから、有意義だったのだ」というのであれば、沖縄戦で日本は守られた、ということについて日本人が感謝するということも、感謝すること自体がおかしい、という話になりはしないですか。軍事行動を否定しているんだから、「反戦感情に基づいて」しか、沖縄の犠牲のことは考えられないわけですよね。そうではないの?。

残虐な行為や、なくともよかったかもしれない重すぎる犠牲、そういうことと、沖縄戦が日本防衛のために意義があったということとは別個に考えるべきで、政治的立場を超えて犠牲者は追悼されるべきだ。

なんやら、九条に反対する者は沖縄戦の犠牲を空しくする者だ、みたいな話になっとりませんか?。

九条に賛成の人ばかりではないんですよ。九条に賛成の人は平和を愛する人で、そうでない人は好戦的軍国主義者、みたいな前提があるではないんですか?。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(7):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : ウミサチヒコ  ■日付 : 05/6/23(木) 23:49  -------------------------------------------------------------------------
   ▼告天子さん:

>九条に賛成の人ばかりではないんですよ。九条に賛成の人は平和を愛する人で、そうでない人は好戦的軍国主義者、みたいな前提があるではないんですか?。

えっ、違うんですか?戦争放棄、非軍備、これ平和主義。戦争する、軍備持つ、これ軍国主義。だいたいのところ、そうでしょう?学者さんじゃあないんだから、コマカイことイワンでいいの。

あと、クレッションマークの後に句読点はつけないこと、ね。(コマカクテすいませんネ)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : 加茂井77  ■日付 : 05/6/23(木) 18:09  -------------------------------------------------------------------------
   ▼告天子さん:
>ならば問う。天皇国日本において天皇を日本国民が守るのは当然である。そのこと自体が、誤りであるというのか。ならば天皇国日本そのものを否定する、ということであろう。

明白な誤りである。その誤りの結果、無数の人々が地獄の苦しみ、無限の恨みを抱いて死んでいった。

>続けて問う。軍隊が不祥事を引き起こしたことは、少なからずあったろう。結果的に国民・住民を死に至らしめた痛ましい例は、十分に反省されねばならない。

>しかし、仮に住民を投降させたとして、米軍は戦闘にも参加した住民を安全に保護したものであるのか。その時点で、住民を守る物理力を軍はすでに保有していない。米軍は一般住民をも空襲などで無差別に殺戮した実績を持つ敵軍である。投降のすすめは、日本軍の全崩壊を狙った「作戦行動」であり、この時点において、いかなる住民の保護が考えられたか。

 答えは簡単であり初歩的なことである。もはや抵抗は無益な殺戮以外の何物でもないことが分かれば、住民はもとより,負傷兵、部下の命を救うために取る道は降伏することである。いやしくも文明国の軍隊であれば当然のことである。重傷者を毒殺、射殺し、生存者にバンザイ突撃と称して、敵軍に射殺してもらい厄介払いするなど人間のすることではない。

>国軍の一部の行為を、それも極限状態における行為をもって、あたかも軍のすべてが「超国家主義」の軍であり棄民的思想に基づいて行動していたかの如く言い立てるのは、誤りである。

誤りではないが、日本語にはさらに、良い言葉がある、「人でなし!」

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : 安本単三  ■日付 : 05/6/24(金) 8:39  -------------------------------------------------------------------------
   ▼告天子さん:
▼昭和 人さん:
>
>ならば問う。天皇国日本において天皇を日本国民が守るのは当然である。そのこと自体が、誤りであるというのか。ならば天皇国日本そのものを否定する、ということであろう。
>
>しかし、仮に住民を投降させたとして、米軍は戦闘にも参加した住民を安全に保護したものであるのか。その時点で、住民を守る物理力を軍はすでに保有していない。米軍は一般住民をも空襲などで無差別に殺戮した実績を持つ敵軍である。投降のすすめは、日本軍の全崩壊を狙った「作戦行動」であり、この時点において、いかなる住民の保護が考えられたか。
>
>国軍の一部の行為を、それも極限状態における行為をもって、あたかも軍のすべてが「超国家主義」の軍であり棄民的思想に基づいて行動していたかの如く言い立てるのは、誤りである。
>
>説得力のある「反戦」を望むばかりである。反軍、反日という混ぜものがある限り、真に「反戦」が説得力あるものとなるとは思われない。

↑から読みとれるのは告天子さんは沖縄人でも沖縄出身者でもないだろう。他の一部の人にも言えるのだが、全ての問題を本州とりわけ東京から見るくせがある。

私は自分自身がある過ちを犯していることに気づいた。
日本式庭園と言えば京都式を思い浮かべる。だが、まてよ、沖縄の庭にはハイビスカス・ブーゲンビリア・デイゴが咲いている。これも日本式庭園ではないのか。沖縄は日本国の一部である。

>天皇国日本において天皇を日本国民が守るのは当然である。

おやまあ、びっくらこいた。何を今さら。
天皇の警護は、昔は近衛兵、今は皇宮警察というプロにまかせてあるはずだ。そこに我々は税を払っている=守っている。それで十分だ。何を今さら。そうでしょ退役軍人さん。

国民が精魂を込めて一丸となって天皇を守れというのなら、金正日将軍様マンセーの国家体制と同一である。あなたは共産主義者か?

「天皇を守る」で検索かけたら、出てくる出てくる。あなたとそっくりの意見も入っていた。

>あんたらはは何党支持者だ。
なんて凄むのはおよしなさい。昔の特高警察ではあるまいし。まあ、別のサイトには、何党の論破方とかのマニュアルがウジャウジャあるんで各自の支持政党をお知りになったほうが攻撃に便利でしょうがね。

何党支持をそう簡単に決められれば、老人党などに出入りしていないですよ。
支持政党を決められたら、支持政党に毎日エール送っている。

安本単三は死んでも平和ラッパを離しませんでした。←警察鑑識の見解=単なる死後硬直。

さえないオチ。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/6/24(金) 9:04  -------------------------------------------------------------------------
   ▼安本単三さん:
>▼告天子さん:
>▼昭和 人さん:

>>天皇国日本において天皇を日本国民が守るのは当然である。
>
>おやまあ、びっくらこいた。何を今さら。
>天皇の警護は、昔は近衛兵、今は皇宮警察というプロにまかせてあるはずだ。そこに我々は税を払っている=守っている。それで十分だ。何を今さら。そうでしょ退役軍人さん。

当然だったら何で驚くの?。今更言うまでもない当たり前のことでしょうが。


>国民が精魂を込めて一丸となって天皇を守れというのなら、金正日将軍様マンセーの国家体制と同一である。あなたは共産主義者か?

こりゃすごい。天皇を国民が守るのは当たり前、というと、それは北朝鮮と同じことであり、共産主義者と疑われる話として理解するとは。それじゃあ、いろいろな形で天皇をお慕いして、お護りしたいと願っている日本国民は、北朝鮮と一緒だということか。あんたの意見の方がよほど驚きだよ。

だいたい、共産主義者って、「日本人は天皇を守って当たり前」なんて言うものか?。罵倒もほどほどにしてね、安本さん。


>「天皇を守る」で検索かけたら、出てくる出てくる。あなたとそっくりの意見も入っていた。

そりゃ結構で。あなたと似た意見にしたって、出てくるんじゃないですか、普通。この世であなただけが、あなたの意見を言ってるんなら、よほどおかしいでしょうが。


>>あんたらはは何党支持者だ。
>なんて凄むのはおよしなさい。昔の特高警察ではあるまいし。まあ、別のサイトには、何党の論破方とかのマニュアルがウジャウジャあるんで各自の支持政党をお知りになったほうが攻撃に便利でしょうがね。

これって、私の台詞じゃないんだけど・・・。誰の台詞ですか?。よく読んでから言ってくださいよ。誰すか、その昔の特高警察みたいなというのは。私に言わないでください、迷惑なので。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : 秋明菊  ■日付 : 05/6/23(木) 16:07  -------------------------------------------------------------------------
   昭和 人さん こんにちは。

今朝の中日新聞・「中日春秋」に、沖縄戦争の事が書いてありました。

http://www.chunichi.co.jp/chn/index.shtml
     
 - - - - - - 紹介させて戴きます - - - - - -

▼六十年前の沖縄戦で亡くなった沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の
「ひめゆり学徒隊」の生徒、教師合わせて二百人以上。

生徒は陸軍病院などに動員され、砲弾が飛び交う中、壕(ごう)内で看護や
手術の手伝いに明け暮れた

▼六月十八日には解散命令。

軍司令官は壊滅状態でも降伏を許さず、一方で生徒ら県民を見捨てたのである。

少女たちは「ふるさと」を泣きながら歌い、集団死を図り、あるいは砲弾に
倒れた。
ひめゆり以外にも多くの学徒が動員されて二千人近い犠牲を出した。

▼兵士も悲劇だが、甚大な犠牲を生んだ県民はより悲劇だ。

軍に協力して最後は棄民のようにされて、母親たちまで子に手をかける集団死も起きた。

それを追跡する男性の言葉を思い出す。
【日の丸がおかあたちを死に追い込んだ】

【投降よりも死を】という教育の恐ろしさも沖縄戦は教えてやまない

▼今日、沖縄は「慰霊の日」。

海軍の大田少将が自決前に打電した電文が重い。「沖縄県民斯(カ)ク戦ヘリ 
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜(タマハ)ランコトヲ」

戦後の沖縄にどれだけ「高配」があったか疑問だが、後世の市民としてはせめて
記憶し続け、「非戦」を胸に刻んで犠牲者に報いるしかない。

 - - - - - - - 以上、終わり - - - - - - - -

以前沖縄に行ったとき、ガイドさんの案内でガマを見学したのですが、
あの暗い地下壕で、沖縄の方々がどんな思いを抱いて死に赴いたのか、
美しい沖縄の海と明るく優しい沖縄の人達と比べ、余りの落差に涙が溢れた
記憶があります。

今日、この記事を読んで思い出し、また涙が滲んできました。

戦争になれば、軍隊は弱い者を守ってくれません。
戦争は特に、優しい人や正直者に辛い思いをさせます。

昭和 人さんの、いつも変わらぬ反戦の尊いご意見、私も見習わなければ、
って思います。

ありがとうございます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : ウミサチヒコ  ■日付 : 05/6/23(木) 17:34  -------------------------------------------------------------------------
   ▼秋明菊さん:

>昭和 人さん こんにちは。

戦争の話を聞くと、いつでも悲惨で、なぜこんなことになったのだろうと考える者です。国を守る、天皇を守る、などというきれいごとを必ず見聞きするのであるが、それは必ず軍人という因果な商売のための言い訳である。
国民の声に耳を傾けるのでなく、声を殺してしか行えない戦争であるから、一度始めたら破滅するまで意地でも止められない。やりつづけることが彼らの使命であり、止めることは軍法会議ものだ。
戦前のように絶対専制的な国ではなおさらである。なぜかというと、そこでは戦争は政府や議会が決めるのでなく、「軍隊が決める」のであるから。

その反省から、日本は戦後、民主主義をあらゆる場面で取り入れた。しかし、取り入れたとたんに直ぐさま逆行が始まった。60年間は、いかに民主主義を発達させるかではなく、いかに制限するかの歴史である。

当時出来た教育基本法は、いまやとんでもない左翼文書扱いだ。アメリカ独立宣言がいまや「危険文書」扱いと同じ事態だ。←これ想像、そう感ずるほどだ。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : 昭和 人  ■日付 : 05/6/23(木) 19:16  -------------------------------------------------------------------------
   ▼秋明菊さん:

今やっと仕事一段落。レス(応援)有難うございます。
>>
>今朝の中日新聞・「中日春秋」に、沖縄戦争の事が書いてありました。
>
>http://www.chunichi.co.jp/chn/index.shtml

皆さんも これ、よく みてください。
>     
> - - - - - - 紹介させて戴きます - - - - - -
>
>▼六十年前の沖縄戦で亡くなった沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の
>「ひめゆり学徒隊」の生徒、教師合わせて二百人以上。
>
>生徒は陸軍病院などに動員され、砲弾が飛び交う中、壕(ごう)内で看護や
>手術の手伝いに明け暮れた
>
>▼六月十八日には解散命令。
>
>軍司令官は壊滅状態でも降伏を許さず、一方で生徒ら県民を見捨てたのである。
>
>少女たちは「ふるさと」を泣きながら歌い、集団死を図り、あるいは砲弾に
>倒れた。
>ひめゆり以外にも多くの学徒が動員されて二千人近い犠牲を出した。
>
>▼兵士も悲劇だが、甚大な犠牲を生んだ県民はより悲劇だ。
>
>軍に協力して最後は棄民のようにされて、母親たちまで子に手をかける集団死も起きた。
>
>それを追跡する男性の言葉を思い出す。
>【日の丸がおかあたちを死に追い込んだ】
>
>【投降よりも死を】という教育の恐ろしさも沖縄戦は教えてやまない
>
>▼今日、沖縄は「慰霊の日」。
>
>海軍の大田少将が自決前に打電した電文が重い。「沖縄県民斯(カ)ク戦ヘリ 
>県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜(タマハ)ランコトヲ」
>
>戦後の沖縄にどれだけ「高配」があったか疑問だが、後世の市民としてはせめて
>記憶し続け、「非戦」を胸に刻んで犠牲者に報いるしかない。
>
> - - - - - - - 以上、終わり - - - - - - - -
>
>以前沖縄に行ったとき、ガイドさんの案内でガマを見学したのですが、
>あの暗い地下壕で、沖縄の方々がどんな思いを抱いて死に赴いたのか、
>美しい沖縄の海と明るく優しい沖縄の人達と比べ、余りの落差に涙が溢れた
>記憶があります。
>
>今日、この記事を読んで思い出し、また涙が滲んできました。
>
>戦争になれば、軍隊は弱い者を守ってくれません。
>戦争は特に、優しい人や正直者に辛い思いをさせます。
>
>
先だって松林さんと会って話しました。平和と反戦はおばあちゃんが一番知っていて、本物だと。(ごめんなさい)。
これからも ご声援をよろしく。

アレあれ レスが多くなってきました。
これから 沖縄出身の仲間と一杯行ってきます。
安本、海、ぎみゆら さんも 声援 有難うございます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : ぎみゆら <gimiyura@fox.dti2.ne.jp>  ■日付 : 05/6/23(木) 17:29  -------------------------------------------------------------------------
   《告天子さんの書き込み【54421】【54424】に対して》


すでに昭和 人さんほか何人かの方々からレスがついていますが、
私は私で、気になったことがあります。戦争体験の政治利用って、
何なんですか? 反軍、反日という混ぜものって、いったい誰に、
何のことを言っているんですか?

かつて、国と軍が指導した戦争のなかで、沖縄で、東京で、広島で、
長崎で、描写もためらわれるほど無惨、悲惨な被害にあった人々が、
軍隊は自分たちを守ってくれなかった、お上が、国が、あんな無謀な
戦争をいつまでも強行したから、我々はこんな目にあったんだと語る
ことに、何か人として、間違ったことでもあるというのですか?

みんな、ただの日本人ですよ。白いお米を毎日ありがたくいただき、
富士山を見るとうれしそうに微笑む、当たり前の日本人です。多くの
兵隊さんが一生懸命だったなんて、みんな知ってます。国をあげての
戦争だったことも、みんなわかってます。

私の父も母も、いまなら中学生の年頃で、工場で働いていました。
後に体をこわして関西に疎開した母は、役立たずの自分をずっと
恥じて、玉音放送の翌日、海に入り、どこをどう流されたかも
わからず、浜に打ち上げられました。

だから、言うんじゃないですか。無謀と百も承知で、あんな泥沼に
まで至った戦争を、無理やり推し進めてきたのは、いったいどこの
誰なんですかと。それを、言ってはいけないとでもいうんですか?
8月15日、玉音放送を聞いて、だったらいったいなぜ、もう一週間、
もう十日早く、それができなかったのか。広島で、長崎で、いったい
どれだけの人々が、そんな思いを、噛み締めたことでしょうか。

生きている以上、誰だって、経済とも、社会とも、政治とも、無縁で
いることはできません。戦争体験を語る人のなかには、自民党的に、
共産党的に、創価学会的に語る人だっているでしょう。そうやって、
政治的、宗教的、文化的な彩りを交えた言い方は、一切するなとでも
いうんですか。そんなことを言ったら、いったい誰に、戦争体験を
語る資格が残るというのでしょうか?

そもそも、ふつうの人が、自分の戦争被害について語るというのは、
それ自体、並大抵のことじゃないんですよ。

現にこの掲示板上で、スレッドを重ねながら、珠さんや、ごまめの
翁さんや、松林さんや、こんぺいとうさんや、昭和 人さんや、
いろんな方々が、少しずつ、ご自身の、言いにくいこと、いいようも
なく切ない、やるせない思いを押し殺しながら、語ってくださり、
語ってくださいと呼びかけてくださってきました。お知り合いや
お友達が、いまでもこんなふうに、まだ話せないと言っている。
そんなお話も、聞かせてくださいました。

(*長いので、次のコメントに続けます)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/6/23(木) 18:06  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ぎみゆらさん:
こんにちは。

>戦争体験の政治利用って、
>何なんですか? 

そんなこと、言いましたか?。

>反軍、反日という混ぜものって、いったい誰に、
>何のことを言っているんですか?

戦争反対、ということと、戦前日本の体制の全否定のようなものを混同することをさして言いました。


>かつて、国と軍が指導した戦争のなかで、沖縄で、東京で、広島で、
>長崎で、描写もためらわれるほど無惨、悲惨な被害にあった人々が、
>軍隊は自分たちを守ってくれなかった、お上が、国が、あんな無謀な
>戦争をいつまでも強行したから、我々はこんな目にあったんだと語る
>ことに、何か人として、間違ったことでもあるというのですか?

全然、間違っておりませんよ。


>だから、言うんじゃないですか。無謀と百も承知で、あんな泥沼に
>まで至った戦争を、無理やり推し進めてきたのは、いったいどこの
>誰なんですかと。それを、言ってはいけないとでもいうんですか?

言ってはいけないと私が言いましたか?。是非、仰ってください、誰が無理矢理推し進めたのかを。


>8月15日、玉音放送を聞いて、だったらいったいなぜ、もう一週間、
>もう十日早く、それができなかったのか。広島で、長崎で、いったい
>どれだけの人々が、そんな思いを、噛み締めたことでしょうか。

感情としては勿論その通りです。しかし、もっと遅くまで粘るべきだった、という説もあります。米軍では厭戦気分が強く、ヨーロッパ戦線からアジアに転戦させられた部隊では、「また戦わされるのか」と、非常に不満が強く、米国にしてもこれ以上戦争を続行することはぎりぎりの判断でした。ポツダム宣言を、国体護持も保証されないままに丸呑みしたために、後の混乱もあったわけで、死ななくてよい戦犯としての日本人の死もあったわけです。


>生きている以上、誰だって、経済とも、社会とも、政治とも、無縁で
>いることはできません。戦争体験を語る人のなかには、自民党的に、
>共産党的に、創価学会的に語る人だっているでしょう。そうやって、
>政治的、宗教的、文化的な彩りを交えた言い方は、一切するなとでも
>いうんですか。そんなことを言ったら、いったい誰に、戦争体験を
>語る資格が残るというのでしょうか?

ですから戦争体験を語るななどと、全然私は言っておりません。一体私の意見をそういう風に読んでいたのかと思うと、なぜぎみゆらさんがこれまでレスを返されなかったのか、分かるような気がします。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : ぎみゆら <gimiyura@fox.dti2.ne.jp>  ■日付 : 05/6/23(木) 17:38  -------------------------------------------------------------------------
   (*前コメント【54437】からの続きです)

私の父は、この掲示板でも何度か書いたとおり、長崎の被爆者です
から、幾人かの被爆者の方々や、そういった方々からの聞き取り
活動を長年地道に続けたり、話しましょう、書きましょうと、静かに
くり返し、呼びかけたりしている人たちを、少しは知っています。
みなさん、ほんとに、語らないのです。たとえでも何でもなく、
墓場まで持って行こうとしているんです。

1995年、広島長崎50年を節目に、せめて死ぬ前に一度はと、話し
始めた被爆者たちがいます。今年、広島長崎60年の年に、イラクに
自衛隊が派遣され、憲法九条改憲が当然のように語られるこの頃、
また日本が戦争をするのではないか、アメリカはまた核兵器を使うの
ではないかと、心底うち震えて、語り始めた人たちが、いるんです。

被爆者たちというのは、もう少し具体的にいえば、原爆被害者の
会が、各都道府県や市区町村などの単位で、あるところもあり、
ないところもある。名称だってバラバラ。特定の政治的な集まり
ではありませんよ。それは、原爆以外のさまざまな一般市民戦災者、
東京空襲やその他各都市の空襲被害者、いろんな形で戦争被害に
あった人たちだって、同じことであるはずです。

そういった人たちが、軍隊ってのは、ありゃいかん。あのとき国は、
指導者たちは、えらい役人どもは、いったい何をしてたんだ。もう
二度と、あんなことはごめんだ。戦争はいかん。イラクに自衛隊を
出したりしちゃいかん。九条を変えてはダメだ。そう声をあげる
ことが、何がいけないというんですか?

それが、あなたのいう、政治利用、反軍、反日という混ぜものだと
するならば、要するに、どいつもこいつも黙れ。皇国日本を否定する
者など何も言うな。かつての軍や国に否定的な言辞をとるものは、
戦争体験など一切語るな。黙れ、黙れ、黙れ。そう怒鳴り散らして
いるのに、等しいではありませんか。

あなたの言っていることは、あなたが考えるような「正論」に則る
者以外は、すべてけしからん、さっさと黙れという、乱暴で野蛮な
口封じにしか、私には聞こえません。

(*まだ長いので、もう一つ、次のコメントに続けます)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/6/23(木) 18:15  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ぎみゆらさん:
ぎみゆらさんは、何か私が戦争賛成の軍国主義者であるとかいうイメージで、すごくプレッシャーを感じておられるのではないでしょうか?。

基本的に私は、九条に関してはあまり意見は書いておりませんし、実体験を述べられている方にケチをつけるようなことはほとんどしませんし、意識して自制しておるのですが。


>そういった人たちが、軍隊ってのは、ありゃいかん。あのとき国は、
>指導者たちは、えらい役人どもは、いったい何をしてたんだ。もう
>二度と、あんなことはごめんだ。戦争はいかん。イラクに自衛隊を
>出したりしちゃいかん。九条を変えてはダメだ。そう声をあげる
>ことが、何がいけないというんですか?

いけないとは言ってないし、むしろ声を上げるべきかと思いますが。戦争反対というのは、日本人の悲願でありますから、旧軍についても批判すべきことはする、戦争反対の声は上げる、日本人として当然かと思っていますよ。

何か私のことを、そういう声を圧殺する者であると思われてはいませんか?。


>それが、あなたのいう、政治利用、反軍、反日という混ぜものだと
>するならば、要するに、どいつもこいつも黙れ。皇国日本を否定する
>者など何も言うな。かつての軍や国に否定的な言辞をとるものは、
>戦争体験など一切語るな。黙れ、黙れ、黙れ。そう怒鳴り散らして
>いるのに、等しいではありませんか。

>
>あなたの言っていることは、あなたが考えるような「正論」に則る
>者以外は、すべてけしからん、さっさと黙れという、乱暴で野蛮な
>口封じにしか、私には聞こえません。

正論とか諸君みたいな雑誌は嫌いなので、一度しか買ったことはありませんし普段は立ち読みもしません。何となく、ぎみゆらさんはそう思っているのだろうなあ、とは思っていましたが、やはりそうでしたか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : ウミサチヒコ  ■日付 : 05/6/23(木) 18:37  -------------------------------------------------------------------------
   ▼告天子さん:

政治的立場がすべてではないと思いますが、質問させて下さい。あなた(たち)とは歴史の評価ばかりでいつもぐるぐる回りの議論ばかりしていますが、ちょっとリセットしてみませんか。

1)あなたは選挙に行く方ですか。行くとすればナニ党に入れる方ですか。大体の傾向でけっこうです。
2)あなたは、今の日本のどこが好きですか、どこが直すべきと思いますか。日本がどういう形であればいいとお思いですか。

老人党がどうこうでなくて、私の勉強のためによろしくお願いします。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : ぎみゆら <gimiyura@fox.dti2.ne.jp>  ■日付 : 05/6/23(木) 18:03  -------------------------------------------------------------------------
   (*前のコメント【54439】から続きます)

踏み出すまでに時間がかかるのは、被爆者や、直接の戦災被害者だけ
じゃないんですよ。私と同年代のある女性は、18歳のとき、広島の
被爆者の伯母さんに、録音テープを回しながら、話してくれと迫り
ました。そのとき、従姉、その伯母さんの娘は、あんたは勇気が
あるね、私は怖くてよう聞かんと、席を外したそうです。

実の娘が席を外すなか、駆け足で10分ほどで話し終えようとする
伯母さんに、それでも食い下がって、なおあれこれ聞いた。その録音
テープを、しかし彼女はその後15年、机の引き出しにしまったまま
一度も聞かなかった。15年後に、はじめて意を決して聞いたといい
ます。被爆者の姪が、一度は録音テープを回しながら聞いたその
テープを、もう一度聞き直すまでに、15年かかったんです。

1945年8月9日午前11時2分。それから、8月6日午前8時15分。
この二つの年月日は、子どものころから、時、分に至るまで、私の
頭に刷り込まれていました。父が長崎で原爆にあったことも、思い
出せないくらい幼いころから、知っていました。

でも、その体験を詳しく聞いたことは、そういえばなかった。私に
直接ではなく、母や、ウチに遊びに来た仕事仲間に、あのときこう
吹っ飛ばされた、気がつくと学帽がなくなっていてあせったなどと、
冗談交じりに、断片的にしゃべっていたことを、なんとなく、思い
出すくらいなんです。

それに、子どものころから、父が被爆者であることを、隠してきた
覚えはとくにないのですが、そうかといって、自分から積極的に、
話題にしたこともありませんでした。

それを、少しずつでも、こちらから水を向けて聞くようにしたり、
昭和 人さんとご一緒した3月の映画人九条の会で、黒木和雄監督に
対して、自分の父の被爆体験を引き合いに出して、大勢の聴衆がいる
なかで質問をしたり、この老人党掲示板で、何度か父の体験を、少し
ずつでも書いたり、そんなことができるように、曲がりなりにも
なってきたのは、ここ半年ほどのことです。そこまで辿り着くのに、
ものごころついてから、40年以上かかっているんです。

そこには、とつとつとした調子でといっては失礼かもしれませんが、
ご自身の体験を語ってくださった、ごまめの翁さんや、宮天狗さん、
昭和 人さん、松林さん、高橋さん、そのほか何人もの方々や、
自分のつらい体験を振り返り、最愛のパートナーのお父さまの、
アルジェリアの戦場での厳しい体験を聞かせてくれた桃李さん、
お父さまの空襲体験を話してくれたビーンズきしさんら、お若い
方々も含めて、結果的に私の背中を押してくれた、大勢の方々の
お気持ちがあったんです。

それはみんな、平和の世の中をつくろう。子どもたちに、孫たちに、
戦争のない日本、核兵器のない世界を手渡したいという気持ちからで
あったはずです。それ以外の、何ものでもないはずです。それ以外に
いったい、何があるというのでしょうか。

もう一度、言いますよ。告天子さん。私はいま、はっきり言って、
ものすごく怒っています。政治利用って、反軍、反日という混ぜもの
って、いったい誰に向かって、何のつもりで、そんなことを言って
いるんですか。

そのようなセリフを大声で叫き散らすあなたは、いったい、どこの
何様のつもりなんですか。あんまり、場をわきまえないふざけた
ことを言うものではありません。いい加減にしてください。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/6/23(木) 20:42  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ぎみゆらさん:
>(*前のコメント【54439】から続きます)
(これより上の行、失礼して、略させていただきますが、きちんと読みました)、

>そこには、とつとつとした調子でといっては失礼かもしれませんが、
>ご自身の体験を語ってくださった、ごまめの翁さんや、宮天狗さん、
>昭和 人さん、松林さん、高橋さん、そのほか何人もの方々や、
>自分のつらい体験を振り返り、最愛のパートナーのお父さまの、
>アルジェリアの戦場での厳しい体験を聞かせてくれた桃李さん、
>お父さまの空襲体験を話してくれたビーンズきしさんら、お若い
>方々も含めて、結果的に私の背中を押してくれた、大勢の方々の
>お気持ちがあったんです。

ぎみゆらさんのお気持ちは分かりましたが、私は別段あげられた方々に「話すな」とか言うつもりもありませんし、特別に悪感情ももってはいません。(正直言うと、宮天狗さんには多少ありますが)。

それで、ぎみゆらさんはこの方々の戦争体験が、全てであると、そう思われるわけでしょうか。全く別種の戦争体験、言葉を封じられた人の声というのも、あるのではないのですか。


>それはみんな、平和の世の中をつくろう。子どもたちに、孫たちに、
>戦争のない日本、核兵器のない世界を手渡したいという気持ちからで
>あったはずです。それ以外の、何ものでもないはずです。それ以外に
>いったい、何があるというのでしょうか。

この方々が反論を受けたとするなら、それは、ぎみゆらさんが上にあげられた理由からではありません。平和を望み、核のない世界を望むことはほとんど全ての掲示板参加者の願うところだと思います。それを、否定されたとお思いなのですか?。はっきり言って、失礼ながら、的はずれだと思います。


>もう一度、言いますよ。告天子さん。私はいま、はっきり言って、
>ものすごく怒っています。政治利用って、反軍、反日という混ぜもの
>って、いったい誰に向かって、何のつもりで、そんなことを言って
>いるんですか。

誰に向かってでも私は言います。今あげた方々が、反軍、反日の思想ではないかと思うなら、はっきりとそう伝えますよ。何のつもりでと言うなら、それは、謝った平和思想や反軍、反日思想であるならば、それは「平和」や「核のない世界」に至る道にとって障壁だと考えるからです。また、日本人全体にとって、道を誤らせるようなことになりはしないかと危惧するからです。ここは政治の掲示板なのでしょう。おかしなものにはおかしいと言いますよ。


>そのようなセリフを大声で叫き散らすあなたは、いったい、どこの
>何様のつもりなんですか。あんまり、場をわきまえないふざけた
>ことを言うものではありません。いい加減にしてください。

あなたが平和の元締めであるとかいうのならば別だが、そうではないでしょう。私は彼らの戦争体験の話について、ふざけた茶々入れみたいなことをしたことがあるか。何故反軍、反日と言われてそう感情的になるのか。私なら反軍なら反軍で構わない。反日であろうと誰はばかることなく反日を言う。それが正しいと信じるのなら、言うべきではないのか。


あなたも、傲慢だと思う。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : k・satou <cbl13464@nifty.com>  ■日付 : 05/6/23(木) 20:59  -------------------------------------------------------------------------
   ▼昭和 人さん:
ご無沙汰しております。
 太田前知事が”沖縄のこころ”岩波新書で 書かれていました。
  降伏後 中村さんと妊娠中の妻 2歳の子を惨殺し 一家の死体を家ごと
  焼き払った。その2日後 朝鮮人の谷川さん 妻と子ども達一家も
  日本刀で斬殺された。 区長・警防団長は
  宮城さん家族3人や比嘉亀さん家族4人とともに針金でくくられ
  宮城さんの家にあつめられ 銃剣で刺殺されたうえ 家屋もろともに
  焼かれた。こうして 久米島における戦争犠牲者40人のうち
  兵士をふくめ29人までも 友軍の守備軍兵士によるものであったという。
  沖縄全土・久米島も 日本軍を友軍と呼びその人たちは自分たちの
  乏しい食料まで割き 積極的に守ってきたのに。
 天皇を現人神とし そのためには 生命を捧げなくてはならないとした、
 皇民教育が 沖縄も朝鮮も住民監視のもと 強いられました。
 米軍の本土上陸の時間稼ぎをし かたや天皇制を守る交渉をしつつ
 大本営の命令は 住民をスパイ扱いし 食料を奪い自決までさせたのです。
  沖縄戦は米兵でさえ ありとあらゆる残虐を集めてものだ!と呆れてます。

 しかも その後も 沖縄をみすてています。
 米軍の占領状態はつづき 1972年5月の施政権返還後も基地に加えて
 自衛隊まで いる状況です。
  日本の75%もの米軍基地をおき ハブとしての機能までをもおしつけ
  あの ”泣きなさい”と歌う 嘉納さんの声をきくと
  久米島に建立されたという ”痛恨の碑”を思い出します。そこには
 瑠璃はこべという ちいさな花がいっぱい咲いているそうです。


>今日6月23日は沖縄戦終結の日。(1945年6月23日牛島司令官が自刃し実質的組織的沖縄戦争が終わった。実際には9月7日降伏文書調印まであり。)
>
>戦死者数  日本軍人65,908人
>      住民 130,000人(全沖縄人口の1/3)
>      米軍  12,520人
>悲惨な事件
>  ・日本軍による沖縄住民虐殺(久米島30人など)
>  ・住民の集団自決(軍から強制される)
>   (「ひめゆりの塔」三和村ほか2000人以上)
>  ・前線は米軍、後ろは日本軍に殺された。
>
>自決のすすめ(赤松隊長の例)
>  「軍部隊の行動をさまたげないために、また、食料を軍部隊に提供するため、   いさぎよく自決せよ」
>
>自決は
>  手投げ弾。死に損なった人は親しい者同士で棒で頭を打ち合い、カミソリで頸部を切り、斧、釜で頭を叩き割り、首をかき切った。(恩納河原の例)
>
>虐殺は
> 米軍との降伏勧告のすすめを取り次いだ者、日本軍の壕に入ろうとした者など。
>
>なお このときの隊長は米軍に降伏し戦後言い訳を証言している。
>(以上は沖縄史、那覇市史、友人の話、大田昌秀の沖縄・戦争と平和などによる)
>
>戦争は国と国民を守るために言って、国民総動員してやった。
>しかし、上にみるとおり、軍隊と天皇を守った戦争だったのではないか。
>一歩譲って、国を守ったが国民・住民は守らず捨てたのである。
>
>今日6月23日、毎年の6月23日にはこれを検証し、戦争を二度としない覚悟で憲法9条を死守することを、沖縄で亡くなった人たちに追悼、約束祈りを捧げたいと思う。
>また、経験者はだんだん少なくなっています。語り、記録をし、多くの若者に知ってもらいたいと思う。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : 昭和 人  ■日付 : 05/6/23(木) 22:23  -------------------------------------------------------------------------
   ▼k・satouさん:
>▼

この間はご馳走さまでした。
下記のこと 有難うございます。私は知りませんでした。

> 太田前知事が”沖縄のこころ”岩波新書で 書かれていました。
>  降伏後 中村さんと妊娠中の妻 2歳の子を惨殺し 一家の死体を家ごと
>  焼き払った。その2日後 朝鮮人の谷川さん 妻と子ども達一家も
>  日本刀で斬殺された。 区長・警防団長は
>  宮城さん家族3人や比嘉亀さん家族4人とともに針金でくくられ
>  宮城さんの家にあつめられ 銃剣で刺殺されたうえ 家屋もろともに
>  焼かれた。こうして 久米島における戦争犠牲者40人のうち
>  兵士をふくめ29人までも 友軍の守備軍兵士によるものであったという。
>  沖縄全土・久米島も 日本軍を友軍と呼びその人たちは自分たちの
>  乏しい食料まで割き 積極的に守ってきたのに。
> 天皇を現人神とし そのためには 生命を捧げなくてはならないとした、
> 皇民教育が 沖縄も朝鮮も住民監視のもと 強いられました。
> 米軍の本土上陸の時間稼ぎをし かたや天皇制を守る交渉をしつつ
> 大本営の命令は 住民をスパイ扱いし 食料を奪い自決までさせたのです。
>  沖縄戦は米兵でさえ ありとあらゆる残虐を集めてものだ!と呆れてます。
>
> しかも その後も 沖縄をみすてています。
> 米軍の占領状態はつづき 1972年5月の施政権返還後も基地に加えて
> 自衛隊まで いる状況です。
>  日本の75%もの米軍基地をおき ハブとしての機能までをもおしつけ
>  あの ”泣きなさい”と歌う 嘉納さんの声をきくと
>  久米島に建立されたという ”痛恨の碑”を思い出します。そこには
> 瑠璃はこべという ちいさな花がいっぱい咲いているそうです。

素晴らしい書き込みを 有難うございました。
いつもより 解りやすく 感心させられました。Kさん沖縄 詳しいですね。
また 教えて(書いて)ください。
>
>
>>>悲惨な事件
>>  ・日本軍による沖縄住民虐殺(久米島30人など)
>>  ・住民の集団自決(軍から強制される)
>>   (「ひめゆりの塔」三和村ほか2000人以上)
>>  ・前線は米軍、後ろは日本軍に殺された。
>>
>>自決のすすめ(赤松隊長の例)
>>  「軍部隊の行動をさまたげないために、また、食料を軍部隊に提供するため、   いさぎよく自決せよ」
>>
>>自決は
>>  手投げ弾。死に損なった人は親しい者同士で棒で頭を打ち合い、カミソリで頸部を切り、斧、釜で頭を叩き割り、首をかき切った。(恩納河原の例)
>>
>>虐殺は
>> 米軍との降伏勧告のすすめを取り次いだ者、日本軍の壕に入ろうとした者など。
>>
>>なお このときの隊長は米軍に降伏し戦後言い訳を証言している。
>>(以上は沖縄史、那覇市史、友人の話、大田昌秀の沖縄・戦争と平和などによる)
>>
>>戦争は国と国民を守るために言って、国民総動員してやった。
>>しかし、上にみるとおり、軍隊と天皇を守った戦争だったのではないか。
>>一歩譲って、国を守ったが国民・住民は守らず捨てたのである。
>>
>>

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : 小梨  ■日付 : 05/6/23(木) 22:30  -------------------------------------------------------------------------
   先週の土曜日夜の9時からNHKスペシャル「沖縄よみがえる戦場・地上戦にまきこまれた住民たち」という番組がありました。
仕事が終わって急いでテレビをつけたのが最後の15分位でした。それは「村全体が日本軍からスパイと疑われ、女性は浜辺に並ばされて手榴弾を投げられて殺され、男性は柱にくくりつけられ惨殺されているのを見た」と生き残った女性が語っている場面でした。その女性は一番前の端にいて、腕が飛んできたり、首が飛ばされたりするのを見たそうです。そのとき4歳で、血だらけになって連れ去られた女の子と再会する場面に続きました。
今はもう初老ともいえる年齢になったそのときの女の子は、このとき初めてそのときのこと、それからのことを語ることができた、と言っていました。(言葉は正確ではないかもしれません。)

この方たちが語ってくれたことを忘れてはいけない、伝え続けていかなければいけないのではないかと思いました。

日本がやってきたこと、良いことも悪いことも目をそむけないで事実と向き合う勇気を持ちたいと思っています。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : ウミサチヒコ  ■日付 : 05/6/23(木) 23:26  -------------------------------------------------------------------------
   ▼小梨さん:
初めまして。
広島長崎東京大阪、戦争の悲劇は日本中いたるところにありました。特に沖縄はひどいわけです。毎日毎日繰り返されたわけです。較べるものを私は知らないのですが。
そうした経験は、日本はもう60年もないわけですが、それだけに風化してしまって、私たちがあと10年20年したら、語る人がいなくなるわけです。そうしたら、ますます「それはなかった」「根拠を出せ」というような者たちが頭をもたげてくるでしょう。私はそれがくやしい。
そういうものへの悪口になりますが、そういうものたちに限って「霊魂」だとか「日本人の心」だとか言うのだから、盗人たけだけしいにも程があろうというもの。へそで茶をわかしている場合ではありませんヨ、まったく。
だから私は宗教心だとか霊魂だとか日本人の心だとか言って靖国をありがたがっているフリをしている者たちをかんべんならない。
それは単なる私の感情ですが、そういうことが通用しないんだという世の中を希望しています。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : 昭和 人  ■日付 : 05/6/23(木) 23:40  -------------------------------------------------------------------------
   小梨さん。
レス、情報を有難う。
命がけで米軍の手紙を日本軍に届けた住民はスパイとされ残酷にも虐殺されたのです。
沖縄戦は「捨て石」作戦でした。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/6/23(木) 23:57  -------------------------------------------------------------------------
   ▼昭和 人さん:
>小梨さん。
>レス、情報を有難う。
>命がけで米軍の手紙を日本軍に届けた住民はスパイとされ残酷にも虐殺されたのです。
>沖縄戦は「捨て石」作戦でした。

沖縄戦を「捨て石」として位置づけることは、わざわざ自分たちで犠牲者を冒涜することになりはしないか。沖縄戦での頑強な抵抗がなければ、本土決戦は確実に実行されたでしょうし、それだから感謝しなければならない、ということがあるのでは。

「捨て石だった」とすることで、捨て石に「した」日本軍を責め恨む、それは出来るでしょうし、そのためには「捨て石にされた」と言い続けなければならないでしょう。しかしそれは、犠牲者の死を「無駄死に」とすることとも引き替えになっているんじゃないでしょうか。

何の意義もなく死んだのではないでしょうに、反戦のために彼らは死んだのではないでしょう。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : ウミサチヒコ  ■日付 : 05/6/24(金) 0:09  -------------------------------------------------------------------------
   ▼告天子さん:
>▼昭和 人さん:
>>小梨さん。
>>レス、情報を有難う。
>>命がけで米軍の手紙を日本軍に届けた住民はスパイとされ残酷にも虐殺されたのです。
>>沖縄戦は「捨て石」作戦でした。
>
>沖縄戦を「捨て石」として位置づけることは、わざわざ自分たちで犠牲者を冒涜することになりはしないか。沖縄戦での頑強な抵抗がなければ、本土決戦は確実に実行されたでしょうし、それだから感謝しなければならない、ということがあるのでは。
>
>「捨て石だった」とすることで、捨て石に「した」日本軍を責め恨む、それは出来るでしょうし、そのためには「捨て石にされた」と言い続けなければならないでしょう。しかしそれは、犠牲者の死を「無駄死に」とすることとも引き替えになっているんじゃないでしょうか。
>
>何の意義もなく死んだのではないでしょうに、反戦のために彼らは死んだのではないでしょう。

夜も遅いのでこれくらいにしますが…

何をおっしゃるのでしょう。無駄死に、そのもじゃあないですか。戦争そのものが一部の野心家によって引き起こされ、国民がそれに動員されて無駄に死んでいった。捨石として、無駄に死んで行った、そういうことでしょう。
「日本の捨石として有意義に死んで行った」などと「馬鹿にするのもいい加減にしてほしい」と思うのですが、いかがなものでしょうか?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : 昭和 人  ■日付 : 05/6/24(金) 6:37  -------------------------------------------------------------------------
   これから出かけます。
今夜ゆっくり見て反論の要あればする。
言葉遊びはやめましょう。
「捨石」の意味はウミサチヒコさんに聞いてください。
日本軍司令部は先に述べたとおり沖縄戦は天皇と本土決戦の捨石とした作戦の失敗だと私はおもっている。
あなた 「捨石」とは知らないでしょう。
では、明日また。ウミさん すみません よろしく。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(5):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/6/24(金) 7:30  -------------------------------------------------------------------------
   ▼昭和 人さん:
>これから出かけます。
>今夜ゆっくり見て反論の要あればする。
>言葉遊びはやめましょう。
>「捨石」の意味はウミサチヒコさんに聞いてください。
>日本軍司令部は先に述べたとおり沖縄戦は天皇と本土決戦の捨石とした作戦の失敗だと私はおもっている。
>あなた 「捨石」とは知らないでしょう。
>では、明日また。ウミさん すみません よろしく。

昭和 人さん。あなた、いざ問われると帰ってくるのは「勉強しろ」だとか「自分の意見は史実が証明している」とか、「何々という言葉を知っているか」とか、そんな返事ばかりではないか。

作戦が成功だったとか、軍のしたことには何の非もないとか、私がそんなことを言っているのでないことは分かるでしょう。ウミサチヒコさんは、無駄死にだったと言っている。もう答えは聞いた。

自分が聞かれているのに、ウミサチヒコさんに聞け、おまえは言葉遊びをしているのだとか、それはどうかと思う。九条のために役立ったのだから、無駄死にではなかったなどと、まともに言えるのか。俺はそうは思わん。まさに冒涜だと思う。言葉遊びをしているのは、どっちだ。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(6):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/6/24(金) 7:42  -------------------------------------------------------------------------
   否、反戦のために役立ったから無駄死にではない、という意見に対しても言っておく。

その「反戦」というものが、非現実的空想的なものであるならば、それこそ「反戦のための死」は無駄死にでしかなかったことになろう。

そうではない、というのならば、「空想的反戦」ではないことを示していただきたい。軍隊なしの国家というものが、現実的に、どのように可能なのか。


そしてまた、ただ生きるためだけに、奴隷としてでも生きることが至上の価値であるというのか。国家として、そんな道は歩みたくないから、人間は武力というものを持つのではないか。また時に死を選ぶものではないのか。

極限において、そういう選択をすることに、人間性は一片も含まれていないというのか。以上、二つを更に問う。

・・・いや、あんたはもう答えなくてよい。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(7):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : ウミサチヒコ  ■日付 : 05/6/24(金) 9:07  -------------------------------------------------------------------------
   ▼告天子さん:(再掲)

政治的立場がすべてではないと思いますが、質問させて下さい。あなた(たち)とは歴史の評価ばかりでいつもぐるぐる回りの議論ばかりしていますが、ちょっとリセットしてみませんか。

1)あなたは選挙に行く方ですか。行くとすればナニ党に入れる方ですか。大体の傾向でけっこうです。
2)あなたは、今の日本のどこが好きですか、どこが直すべきと思いますか。日本がどういう形であればいいとお思いですか。

老人党がどうこうでなくて、私の勉強のためによろしくお願いします。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(7):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/6/24(金) 12:20  -------------------------------------------------------------------------
   いや、もう一つ、言っておく。

沖縄戦が捨て石で、沖縄戦の犠牲者が単なる無駄死にだったのであれば、特攻隊も捨て石で、無駄死にだったろうぜ。

こういうことは、二度と失敗を繰り返さないということとは別だ。無駄死にではなかったことを認めると、「国のために死ぬ」ことも認めなければならないから、言いたくないのだろう。

捨て石だ、無駄死にだと自虐も結構だが、それは一面、不利な状況の中で必死の抵抗をした者に対する冒涜だ。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(8):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : 石頭の息子  ■日付 : 05/6/24(金) 13:48  -------------------------------------------------------------------------
   ▼告天子さん:
>いや、もう一つ、言っておく。
>
>沖縄戦が捨て石で、沖縄戦の犠牲者が単なる無駄死にだったのであれば、特攻隊も捨て石で、無駄死にだったろうぜ。
>
>こういうことは、二度と失敗を繰り返さないということとは別だ。無駄死にではなかったことを認めると、「国のために死ぬ」ことも認めなければならないから、言いたくないのだろう。
>
>捨て石だ、無駄死にだと自虐も結構だが、それは一面、不利な状況の中で必死の抵抗をした者に対する冒涜だ。

いえね、無駄死でも自虐でもねーんだな、簡単なこった戦争をおっぱじめた奴らの虐殺なんだ, 沖縄だけじゃなくて、全ての戦没者を冒涜してんのはアンタだ。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(8):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : 安本単三  ■日付 : 05/6/24(金) 14:11  -------------------------------------------------------------------------
   ▼告天子さん:
>いや、もう一つ、言っておく。
>
>沖縄戦が捨て石で、沖縄戦の犠牲者が単なる無駄死にだったのであれば、特攻隊も捨て石で、無駄死にだったろうぜ。
>
>こういうことは、二度と失敗を繰り返さないということとは別だ。無駄死にではなかったことを認めると、「国のために死ぬ」ことも認めなければならないから、言いたくないのだろう。
>
>捨て石だ、無駄死にだと自虐も結構だが、それは一面、不利な状況の中で必死の抵抗をした者に対する冒涜だ。

不利な状況を作ったのは誰なのだ。

特攻隊は米軍をしていっそう日本人恐ろしに駆り立て、只の日本国民のさらなる犠牲を招いたと考えている。
特攻隊員に対する慰霊の気持と、日本軍のバカ作戦に対する批判は別だ。米軍はすぐさま作戦を変更し、特攻の命中率を10%ほどに下げたにもかかわらず日本軍は特攻作戦をそのまま遂行した。私は特攻隊員(私の親戚に居た)を冒涜しないが、特攻作戦を断固冒涜する。

あなたは、盛んに死ぬ死ぬというマゾヒストだ。これを自虐という。
私は国のためには死なないエゴイストだ。
米軍は国のためにできるだけ死ぬのを防ぎ生きのこるべく戦った。若僧でも作戦の上手い上官に老兵が従った。日本軍には年功序列がありバカ指揮官のバカ作戦で死んだ者も多いと聞く。
だからマッカーサに日本人は12歳だか13歳だかと言われたのだ。
マッカーサーが軍服着て腰に手を当て、その横に昭和天皇が燕尾服で直立不動のツーショット・・子供心に涙が出たよ。情けなくてね。

今上天皇の家庭教師は米国派遣のバイニング夫人。警護にあたるのは皇宮警察で十分でございます。ハイ。立派なHPがあります。お慕いしたければどうぞご自由に。私はお近づきになりたいと思い行幸道路の近くに行きましたが、警官からコラッこれ以上入るんじゃないと突っぱねられたのであります。

なお極東軍事裁判は勝てば官軍の裁判だと思うが、その結果がどうであれ、俺の親父を敗色濃厚な昭和19年、赤紙一枚で中国人を殺してこいと命じた最終責任者は東城英機と確信している。これだけは譲れない。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(9):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/6/24(金) 14:44  -------------------------------------------------------------------------
   ▼安本単三さん:
>▼告天子さん:
>>いや、もう一つ、言っておく。
>>
>>沖縄戦が捨て石で、沖縄戦の犠牲者が単なる無駄死にだったのであれば、特攻隊も捨て石で、無駄死にだったろうぜ。
>>
>>こういうことは、二度と失敗を繰り返さないということとは別だ。無駄死にではなかったことを認めると、「国のために死ぬ」ことも認めなければならないから、言いたくないのだろう。
>>
>>捨て石だ、無駄死にだと自虐も結構だが、それは一面、不利な状況の中で必死の抵抗をした者に対する冒涜だ。
>
>不利な状況を作ったのは誰なのだ。

おい、何言ってるんだ。不利な状況を作った日本政府を責めることに、俺が文句を言ったことがあるか?。逆に言えば、あんたらが勘違いされるところがあるとすれば、それもそこだろうな。「不利な状況を作った者」を責めることと、「反日」がごっちゃになってはいないかね。


>特攻隊は米軍をしていっそう日本人恐ろしに駆り立て、只の日本国民のさらなる犠牲を招いたと考えている。
>特攻隊員に対する慰霊の気持と、日本軍のバカ作戦に対する批判は別だ。米軍はすぐさま作戦を変更し、特攻の命中率を10%ほどに下げたにもかかわらず日本軍は特攻作戦をそのまま遂行した。私は特攻隊員(私の親戚に居た)を冒涜しないが、特攻作戦を断固冒涜する。

特攻作戦に避難や批判があるのは当たり前だ。それが無駄死にだったかの如く言うことを、こちらは「冒涜だ」と言っておるのだ。

>あなたは、盛んに死ぬ死ぬというマゾヒストだ。これを自虐という。
>私は国のためには死なないエゴイストだ。

何を威張ってんだよ。極限状態下で、あんたはだったら人を殺さない立派な人なんだろうな。死ぬだの死なぬだの、平時にそんなことを議論してもしょうがないだろうがよ。


>米軍は国のためにできるだけ死ぬのを防ぎ生きのこるべく戦った。若僧でも作戦の上手い上官に老兵が従った。日本軍には年功序列がありバカ指揮官のバカ作戦で死んだ者も多いと聞く。

そういうところは改めなければならないね。ただ、そんな精神主義に頼らざるを得なかった物資の欠乏や、当時の思想状況、政治的混迷というのは、多分に「平和運動」の精神主義にも当てはまるところがあると思う。これも、素直に反省すべきかと思う。

>だからマッカーサに日本人は12歳だか13歳だかと言われたのだ。
>マッカーサーが軍服着て腰に手を当て、その横に昭和天皇が燕尾服で直立不動のツーショット・・子供心に涙が出たよ。情けなくてね。

だったらマッカーサーは大人か?。老人党の運動は、真に「老人」としてあなたの誇りに訴えるような、まともで精神年齢の高いものなのかい。


>今上天皇の家庭教師は米国派遣のバイニング夫人。警護にあたるのは皇宮警察で十分でございます。ハイ。立派なHPがあります。お慕いしたければどうぞご自由に。私はお近づきになりたいと思い行幸道路の近くに行きましたが、警官からコラッこれ以上入るんじゃないと突っぱねられたのであります。

それは残念なことだね。

>なお極東軍事裁判は勝てば官軍の裁判だと思うが、その結果がどうであれ、俺の親父を敗色濃厚な昭和19年、赤紙一枚で中国人を殺してこいと命じた最終責任者は東城英機と確信している。これだけは譲れない。

譲ろうと譲るまいと、事実には何の変わりもない。突っ張る必要などない。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(7):戦争体験を語るー悲惨沖縄戦(記念日)  ■名前 : 石頭の息子  ■日付 : 05/6/24(金) 13:20  -------------------------------------------------------------------------
   ▼告天子さん:
>否、反戦のために役立ったから無駄死にではない、という意見に対しても言っておく。
>
>その「反戦」というものが、非現実的空想的なものであるならば、それこそ「反戦のための死」は無駄死にでしかなかったことになろう。
>
>そうではない、というのならば、「空想的反戦」ではないことを示していただきたい。軍隊なしの国家というものが、現実的に、どのように可能なのか。
>
>
>そしてまた、ただ生きるためだけに、奴隷としてでも生きることが至上の価値であるというのか。国家として、そんな道は歩みたくないから、人間は武力というものを持つのではないか。また時に死を選ぶものではないのか。
>
>極限において、そういう選択をすることに、人間性は一片も含まれていないというのか。以上、二つを更に問う。
>
>・・・いや、あんたはもう答えなくてよい。

いいから、いいから、<b>だから答えたってや、</b>ウミサチヒコさんのこれ↓

>>▼告天子さん:(再掲)
>
>>政治的立場がすべてではないと思いますが、質問させて下さい。あなた(たち)とは歴史の評価ばかりでいつもぐるぐる回りの議論ばかりしていますが、ちょっとリセットしてみませんか。
>
>>1)あなたは選挙に行く方ですか。行くとすればナニ党に入れる方ですか。大体の傾向でけっこうです。
>>2)あなたは、今の日本のどこが好きですか、どこが直すべきと思いますか。日本がどういう形であればいいとお思いですか。
>
>>老人党がどうこうでなくて、私の勉強のためによろしくお願いします。

まさか、投票などしないのではないでしょうね。

まさかこれからの日本のビジョンが無いのではないでしょうね。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 今も沖縄は&牛島さん  ■名前 : 珠  ■日付 : 05/6/24(金) 3:04  -------------------------------------------------------------------------
   今日の毎日新聞には、在沖米軍基地についてのアンケートで、「不要」は沖縄では70%、全国は45%という結果が出ていました。在日米軍専用施設の約75%が沖縄に集中しており、本土と沖縄でこれだけ意識の違いが表れていると、記事は指摘していました。

戦争であれだけの犠牲者を出した沖縄に、アメリカの極東戦略を唯々諾々と受け入れて、この米軍基地の負担を負わせたままでいいのだろうか。つまり私たちは、未だに沖縄を「捨て石」としていないかと思わされた記事でした。

なお、名前の出ていた牛島満司令官ですが、そのお孫さんは、小学校の先生です。沖縄に行くのを躊躇う気持を押して訪ね、摩文仁の平和祈念資料館で、「牛島司令官の『最後まで敢闘し、悠久の大儀に生くべし』という最後の命令と自決、そして非戦闘員十数万人は砲弾弾雨の中に放置された」という説明文に衝撃を受けたそうです。

そして『つるちゃん』という母親の沖縄戦体験を語った絵本に出会い、その絵本を子どもに読み聞かせ、感想文を持って作者を沖縄に訪ねます。牛島司令官の孫に会うことをためらった母親の「つる子」さんは、子供達の感想文に心を動かされ、それを機会に沖縄の小学校と、東京の小学校の子供達との交流が始まった。

自分が体験していない戦争を、子供達にどう語り伝えるか。そして牛島さんは、絶版になっていた『つるちゃん』を、仲間と力を合わせて再版(発売・高文研)したのです。沖縄と東京の子供達の心の出会いから、いまの沖縄の現実を変える芽が出てくることを願いつつ、この絵本の授業を重ねていらっしゃるそうです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):今も沖縄は&牛島さん  ■名前 : k・satou <cbl13464@nifty.com>  ■日付 : 05/6/24(金) 5:24  -------------------------------------------------------------------------
   ▼珠さん:
ご無沙汰してます。
 まったく 要するに いまだ 沖縄を差別しているのです。
  75%は基地だけではありません。所得もです。
  3等国民として 差別されている と独立論まででてくる所以です。
   大使まで派遣しているのですから。
  温和な琉球の人達に むりやり皇民教育を押し付けそのうえ
  いまなお しているのです。
  灰谷健次郎著 ”優しい時間”に渡喜敷島のことが書かれています。
   島人がおよそ損得で行動しているのを見たことがない。
   全てを分かち合い暮らしそのものが優しい と。
  その優しさの向こうには 恐ろしい戦争の犠牲になった島人の
  厳しいがゆえの信念とその後の地道な労働。天然への畏敬があります。

   どうすれば 優しくなれるのか?
  納得のいかない様々な問題について考えこむとき
  民衆運動の原点は この”優しさ”となるのですね!
  珠さん持論の 兵器で武装するのでなくて
   なにも武器もなく日本国民てのは全員 ”優しさ”てので
   戦ったといわれるほど 名誉なことはありませんね!


>今日の毎日新聞には、在沖米軍基地についてのアンケートで、「不要」は沖縄では70%、全国は45%という結果が出ていました。在日米軍専用施設の約75%が沖縄に集中しており、本土と沖縄でこれだけ意識の違いが表れていると、記事は指摘していました。
>
>戦争であれだけの犠牲者を出した沖縄に、アメリカの極東戦略を唯々諾々と受け入れて、この米軍基地の負担を負わせたままでいいのだろうか。つまり私たちは、未だに沖縄を「捨て石」としていないかと思わされた記事でした。
>
>なお、名前の出ていた牛島満司令官ですが、そのお孫さんは、小学校の先生です。沖縄に行くのを躊躇う気持を押して訪ね、摩文仁の平和祈念資料館で、「牛島司令官の『最後まで敢闘し、悠久の大儀に生くべし』という最後の命令と自決、そして非戦闘員十数万人は砲弾弾雨の中に放置された」という説明文に衝撃を受けたそうです。
>
>そして『つるちゃん』という母親の沖縄戦体験を語った絵本に出会い、その絵本を子どもに読み聞かせ、感想文を持って作者を沖縄に訪ねます。牛島司令官の孫に会うことをためらった母親の「つる子」さんは、子供達の感想文に心を動かされ、それを機会に沖縄の小学校と、東京の小学校の子供達との交流が始まった。
>
>自分が体験していない戦争を、子供達にどう語り伝えるか。そして牛島さんは、絶版になっていた『つるちゃん』を、仲間と力を合わせて再版(発売・高文研)したのです。沖縄と東京の子供達の心の出会いから、いまの沖縄の現実を変える芽が出てくることを願いつつ、この絵本の授業を重ねていらっしゃるそうです。

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