Page 284 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼民主主義を唱える暴君 告天子 05/7/3(日) 0:50 ┣Re(1):民主主義を唱える暴君 桃李 05/7/3(日) 1:15 ┃ ┗Re(2):民主主義を唱える暴君 告天子 05/7/3(日) 1:33 ┣Re(1):民主主義を唱える暴君 相良唯夫 05/7/3(日) 11:41 ┃ ┣Re(2):民主主義を唱える暴君 告天子 05/7/3(日) 23:25 ┃ ┗Re(2):民主主義を唱える暴君 安本単三 05/7/5(火) 13:55 ┣Re(1):民主主義を唱える暴君 告天子 05/7/5(火) 13:07 ┃ ┗Re(2):民主主義を唱える暴君 告天子 05/7/5(火) 13:16 ┃ ┗Re(3):民主主義を唱える暴君 安本単三 05/7/5(火) 13:51 ┃ ┗Re(4):民主主義を唱える暴君 MNG 05/7/5(火) 15:11 ┃ ┗Re(5):民主主義を唱える暴君 告天子 05/7/5(火) 15:22 ┃ ┗Re(6):民主主義を唱える暴君 MNG 05/7/5(火) 21:38 ┣Re(1):民主主義を唱える暴君 石頭の息子 05/7/5(火) 13:37 ┣老人党理念と掲示板の民主性 ワン太郎 05/7/5(火) 16:23 ┃ ┣Re(1):老人党理念と掲示板の民主性 安本単三 05/7/5(火) 17:50 ┃ ┃ ┣Re(2):老人党理念と掲示板の民主性 告天子 05/7/5(火) 19:13 ┃ ┃ ┃ ┣Re(3):老人党理念と掲示板の民主性 安本単三 05/7/5(火) 19:49 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(4):老人党理念と掲示板の民主性 告天子 05/7/5(火) 20:15 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(5):老人党理念と掲示板の民主性 安本単三 05/7/5(火) 21:33 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗老人党の民主集中性 告天子 05/7/5(火) 20:23 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(1):老人党の民主集中性 安本単三 05/7/5(火) 21:36 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):老人党の民主集中性 桃李 05/7/6(水) 1:02 ┃ ┃ ┃ ┗Re(3):老人党理念と掲示板の民主性 ゆきりん 05/7/5(火) 21:59 ┃ ┃ ┃ ┗Re(4):老人党理念と掲示板の民主性 ウミサチヒコ 05/7/5(火) 22:30 ┃ ┃ ┗Re(2):安本単三さんへ(レス遅くなりました) ワン太郎 05/7/6(水) 14:11 ┃ ┣Re(1):老人党理念と掲示板の民主性 ダミアン 05/7/5(火) 22:14 ┃ ┗老人党理念と掲示板の民主性 - II ワン太郎 05/7/6(水) 8:12 ┣Re(1):民主主義を唱える暴君 相良唯夫 05/7/5(火) 23:22 ┃ ┣Re(2):民主主義を唱える暴君 告天子 05/7/6(水) 0:08 ┃ ┃ ┣Re(3):民主主義を唱える暴君 ダミアン 05/7/6(水) 1:01 ┃ ┃ ┃ ┣Re(4):民主主義を唱える暴君 ウミサチヒコ 05/7/6(水) 1:11 ┃ ┃ ┃ ┗Re(4):民主主義を唱える暴君 告天子 05/7/6(水) 1:18 ┃ ┃ ┃ ┣Re(5):民主主義を唱える暴君 ウミサチヒコ 05/7/6(水) 1:32 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(6):民主主義を唱える暴君 告天子 05/7/6(水) 1:45 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(7):民主主義を唱える暴君 ウミサチヒコ 05/7/6(水) 1:53 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(8):民主主義を唱える暴君 告天子 05/7/6(水) 7:51 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(9):民主主義を唱える暴君 ウミサチヒコ 05/7/6(水) 9:07 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(10):民主主義を唱える暴君 告天子 05/7/6(水) 10:57 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(11):民主主義を唱える暴君 ウミサチヒコ 05/7/6(水) 11:40 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(12):民主主義を唱える暴君 告天子 05/7/6(水) 12:23 ┃ ┃ ┃ ┗Re(5):民主主義を唱える暴君 ダミアン 05/7/6(水) 3:00 ┃ ┃ ┗Re(3):民主主義を唱える暴君 ウミサチヒコ 05/7/6(水) 1:06 ┃ ┗Re(2):民主主義を唱える暴君 ウミサチヒコ 05/7/6(水) 0:39 ┃ ┗Re(3):民主主義を唱える暴君 告天子 05/7/6(水) 0:48 ┃ ┗Re(4):民主主義を唱える暴君 ウミサチヒコ 05/7/6(水) 1:09 ┣Re(1):民主主義を唱える暴君 ウミサチヒコ 05/7/6(水) 1:22 ┃ ┗Re(2):民主主義を唱える暴君 告天子 05/7/6(水) 1:37 ┗Re(1):民主主義を唱える暴君 安本単三 05/7/6(水) 8:47 ┗Re(2):民主主義を唱える暴君 告天子 05/7/6(水) 11:15 ┗Re(3):民主主義を唱える暴君 安本単三 05/7/6(水) 12:56 ┗Re(4):民主主義を唱える暴君 告天子 05/7/6(水) 13:14 ┗Re(5):民主主義を唱える暴君 安本単三 05/7/6(水) 13:34 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 民主主義を唱える暴君 ■名前 : 告天子 ■日付 : 05/7/3(日) 0:50 -------------------------------------------------------------------------
民主主義を唱える暴君。 もし、そんなものがいたら、というより、そもそも現代の暴君は「オレは暴君だぞー」などと言うわけがありません。 「自分は民主主義者である、この上ない民主主義の徒である」と言うに決まっています。 しからば、本当に民主主義であるかどうかは、どうやって判別すべきなのでしょうか。思うに、民意を無視する者は、民主主義者ではありますまい。多くの者が「これでよい」と思っているのに、頑強に多数の意志を無視するのは、民主主義に反することの証拠でしょう。 しかしそれでは多数による圧政のごときに転化しかねませんから、少数でも真実の言葉を語る者がいるなら、それに耳傾けるのが民主主義の健全性を担保することになると思います。 民主主義が堕落すれば、多数者のエゴや、あるいはその反対に、少数者が逆に多数者を支配するといった「反民主主義」に墜ちることでしょう。 「明らかにおかしい」ことを放置するのは、無責任というもので、こういうのは成因相互間の対話を重視する民主主義に明らかに反するものです。 あげく、「おかしいのでは?」と言い出した者を迫害するような始末では、民主主義どころか、中世的な暴虐としか言えないのではないかと思うのですが、どんなものでしょうか。 |
告天子さま 管理掲示板3148の 「このスレッドの目的は、シンプルなものです。何故、ウミサチヒコ氏や昔神童・今人道氏はアクセス禁止扱いにならないのでしょう?」これがご質問だったわけですね。 シンプルにそれだけでしたよね。 それが次のご投稿の管理掲示板3151では「桃李さんの仰るとおりだとすると、老人党に協力する論者は罵倒OK、ということになります。」とお書きですね。しかしー、罵倒OKではないから、投稿を削除されることがあるわけです。 ですから、告天子さまのおっしゃる「同調者であるが故にルール無視をも許容する」は管理人さまがたの体制にあっては、同調者の投稿も明らかに削除されてきていますので、そのようなことはありません。「民主主義の試金石」である。というのはそこに立派に現れています。 ですから告天子さまのおっしゃる「何より、異論者をも許容するのが民主主義ですから、同調者であるが故にルール無視をも許容する姿勢は、まさに民主主義に反するものしょう。「民主主義の試金石」である。」 このご意見は、一見筋が通っているようですがよく内容を考えると、先にご投稿された「アクセス禁止にならないのか」というご質問だけに答えて欲しいというご要望とは、また別のお話になりますね。 シンプルな質問を別の問題と混ぜてお話しされること自体、異論者が対抗する者に対して 牽制するためのご意見としか思えないのです。 これにて投稿を終わります。 |
▼桃李さん: え〜と・・・。このスレッドは、管理板での問題を直接に論じるものではありません。民主主義一般について論じる意図で立てました。なので、あちらでの問い立てを、直接にここで論じられても、どうかなあ、と思います。 でも、個別にお答えします。 >告天子さま >管理掲示板3148の >「このスレッドの目的は、シンプルなものです。何故、ウミサチヒコ氏や昔神童・今人道氏はアクセス禁止扱いにならないのでしょう?」これがご質問だったわけですね。 > >シンプルにそれだけでしたよね。 そうです。それだけです。 >それが次のご投稿の管理掲示板3151では「桃李さんの仰るとおりだとすると、老人党に協力する論者は罵倒OK、ということになります。」とお書きですね。しかしー、罵倒OKではないから、投稿を削除されることがあるわけです。 老人党に協力的な論者だから、罵倒を繰り返しても投稿禁止措置が取られないのだ、という桃李さんの主張からすれば、そのように導かれるのは理の当然です。一般の投稿者は、罵倒・揶揄などを繰り返せば、投稿禁止と相成ります。 罵倒は不可、を担保するのは、そうした権力的処分であり、特定の論者のみはどうした訳かそれを逃れているというのは、明らかにおかしいです。 >ですから、告天子さまのおっしゃる「同調者であるが故にルール無視をも許容する」は管理人さまがたの体制にあっては、同調者の投稿も明らかに削除されてきていますので、そのようなことはありません。「民主主義の試金石」である。というのはそこに立派に現れています。 削除はするが、それはその場限りの処分であり、「異論者」に対しては、更に厳しい「アクセス禁止」が処されています。この「厳しい措置」を、老人党に協力する論者が逃れているのは何故か、というのが質問の趣意です。党に協力する者なら厳しい措置は不問とされ、異論者なら排除、であるならば、それは民主主義に反するのではないか、と問うているわけです。 >このご意見は、一見筋が通っているようですがよく内容を考えると、先にご投稿された「アクセス禁止にならないのか」というご質問だけに答えて欲しいというご要望とは、また別のお話になりますね。 同じことです。「何故彼らは処分されないのか」というシンプルな問いに答えることで、自動的に「何故異論者は排除されたか」に対する答えも示されるであろうことが予想されるからです。 >シンプルな質問を別の問題と混ぜてお話しされること自体、異論者が対抗する者に対して >牽制するためのご意見としか思えないのです。 私はウミサチヒコ氏や昔神童・今人道氏のアクセス禁止措置は希望していません。私は管理体制を問うただけで、彼らの主張がどうこうとは、申しておりませんよ。 それに、老人党が厳格にそのような措置をするのであれば、異論者側が問うている「老人党のしていることは、民主主義に反しているのではないか」という疑いは、有効性を失いますね。 これは、ウミサチヒコ氏らの主張の内容の問題ではなく、「老人党管理体制の」問題ですので、混同されないよう願います。 では、この件については私もこれにてということで。 |
▼告天子さん: こんにちは、お久し振りです。 最近は学校だけでなく、職場でのイジメの増加が問題になっているそうです。 例えば民主主義と称し、少数意見を排斥する行為はどうでしょう? 私はこの掲示版では、党員の方と意見を異にしています。 例えば日本の代表者が靖国神社に参拝するのは当然であると考え、意見を述べたときに随分と誹謗され、追いやられた経験をしました。 意見を異にする者へのイジメと様子が似ています。 普通の被害者は、イジメから逃れたい一心で、さまざまな対応を考えますが、その多くは逆効果です。反抗しても迎合しても、相手の嗜虐的な気分を高揚させ、卑劣な行為をエスカレートさせるだけだからです。 彼らは侮辱的な言辞を吐き、理不尽な態度をとることで、被害者の顔色が変化したり、傷ついて滅入ったりすることを期待しているのです。 しかし、その嘲笑や迫害を平然と受け止めることが出来れば、彼らのイジメは収まることが出来るようです。こちらが逞しく、彼らがなぜこのようになったのかと一切を受け入れてることによって、不安や恐れが消えるだけではありません。すべての先入観を捨て去ったとき、相手のすべてがありありと見えてきます。醜さや弱さ、そしてわずかながらも理解し共感し合える手掛かりも見えてくるかもしれません。 言葉で民主主義を発しても、話し合える土壌を捨てては、論ずる以前の問題です。 的外れの意見でしたかな?失礼しました。 いつも、告天子さんの投稿を楽しみに拝読させて頂いています。 >民主主義を唱える暴君。 > >もし、そんなものがいたら、というより、そもそも現代の暴君は「オレは暴君だぞー」などと言うわけがありません。 > >「自分は民主主義者である、この上ない民主主義の徒である」と言うに決まっています。 > >しからば、本当に民主主義であるかどうかは、どうやって判別すべきなのでしょうか。思うに、民意を無視する者は、民主主義者ではありますまい。多くの者が「これでよい」と思っているのに、頑強に多数の意志を無視するのは、民主主義に反することの証拠でしょう。 > >しかしそれでは多数による圧政のごときに転化しかねませんから、少数でも真実の言葉を語る者がいるなら、それに耳傾けるのが民主主義の健全性を担保することになると思います。 > >民主主義が堕落すれば、多数者のエゴや、あるいはその反対に、少数者が逆に多数者を支配するといった「反民主主義」に墜ちることでしょう。 > >「明らかにおかしい」ことを放置するのは、無責任というもので、こういうのは成因相互間の対話を重視する民主主義に明らかに反するものです。 > >あげく、「おかしいのでは?」と言い出した者を迫害するような始末では、民主主義どころか、中世的な暴虐としか言えないのではないかと思うのですが、どんなものでしょうか。 |
▼相良唯夫さん: こちらこそ、お久しぶりです。老人党掲示板とかはもう見られていないのだろうかと、ちょうど相良さんのことを考えていたので、ちょっとうれしく思っています。 >最近は学校だけでなく、職場でのイジメの増加が問題になっているそうです。 >例えば民主主義と称し、少数意見を排斥する行為はどうでしょう? >私はこの掲示版では、党員の方と意見を異にしています。 >例えば日本の代表者が靖国神社に参拝するのは当然であると考え、意見を述べたときに随分と誹謗され、追いやられた経験をしました。 >意見を異にする者へのイジメと様子が似ています。 靖国神社に首相が参拝するのは、私も当然だと思います。それが阻まれているのは、ひとえに憲法問題があるからで、これにしても違憲という憲法判断は出ていないわけですから、もっぱら政治問題、それも、「占領政治」問題かと思います。根っこはその辺りにある話で、日本人が心底かくありたいと願っていることに、むしろ極度に反したことが強制されているのが、靖国参拝問題かと思います。 つまり、多くの日本人が、首相の参拝を願っているのに、(最近のアンケートは、参拝そのものを否とするのではなく、中国との関係からしない方がよい、という数字)それをするなというのは、これこそ民主主義に反する話です。 無理を強要する話だから、いきおい、イジメまがいの陰湿さが出てしまうのかと思います。憲法のあの規定がなければ、靖国神社参拝否定論は、ほとんど全く力を失うでしょう。規定があっても、解釈がきちんと確定すればそうだと思います。占領軍が作った、日本人の心をむしろ強く「無視して」作った規定だから、私たちが「当然」と考えることが、非常識にも否定されてしまう、ということになっているのかと思います。 ところで、私も最近掲示板ではイジメられ気味(苦笑)ですので、相良さんのご意見は頷くところが多かったです。以前にも思っていたのですが、私などは理屈に走る人なのですが、相良さんのお言葉には独特の心術というか、元気が出る高風のようなものがあると思います。 先日は、自分ながら罵倒合戦のようになってしまい、改めて、気持ちを新しくして、議論をしたいと考えています。 |
▼相良唯夫さん: >▼告天子さん: >こんにちは、お久し振りです。 >最近は学校だけでなく、職場でのイジメの増加が問題になっているそうです。 >例えば民主主義と称し、少数意見を排斥する行為はどうでしょう? >私はこの掲示版では、党員の方と意見を異にしています。 >例えば日本の代表者が靖国神社に参拝するのは当然であると考え、意見を述べたときに随分と誹謗され、追いやられた経験をしました。 >意見を異にする者へのイジメと様子が似ています。 >普通の被害者は、イジメから逃れたい一心で、さまざまな対応を考えますが、その多くは逆効果です。反抗しても迎合しても、相手の嗜虐的な気分を高揚させ、卑劣な行為をエスカレートさせるだけだからです。 >彼らは侮辱的な言辞を吐き、理不尽な態度をとることで、被害者の顔色が変化したり、傷ついて滅入ったりすることを期待しているのです。 >しかし、その嘲笑や迫害を平然と受け止めることが出来れば、彼らのイジメは収まることが出来るようです。こちらが逞しく、彼らがなぜこのようになったのかと一切を受け入れてることによって、不安や恐れが消えるだけではありません。すべての先入観を捨て去ったとき、相手のすべてがありありと見えてきます。醜さや弱さ、そしてわずかながらも理解し共感し合える手掛かりも見えてくるかもしれません。 > >言葉で民主主義を発しても、話し合える土壌を捨てては、論ずる以前の問題です。 > >的外れの意見でしたかな?失礼しました。 > >いつも、告天子さんの投稿を楽しみに拝読させて頂いています。 > 20歳以上において、意見の否定は人格の否定ではない。人格の否定と感じたのなら、あなたの幼児性を示す意外何ものでもない。 |
民主主義を唱える暴君は、どのようにして自己を正当化するでしょうか。 「民主主義は、現代における至上至高の価値である。したがって、民主主義「体制」を守るためであるならば、民主主義的「方法」を破棄することは、何ら躊躇すべき事柄ではない。むしろ民主主義を守るためなら、積極的に非民主的方法に訴えなければならないときがある」 つまり、この民主主義の「暴君」は、まさしく民主主義のためなら暴君的手法によることも当然に許される、と言うが故に、まさに「暴君」なのです。 いわゆる、民主独裁であるとかの逆理はこのようにして正当化されるのではないかと思います。 つまり、ここに目的化されている「民主主義」なるものは、もはや参加者の自由と真っ向から対立するような「民主主義」なのでしょう。もはや「治者と被治者の一致」という民主主義の効能は、ここでは作用していません。 「権力を持った治者」の体制のためには、被治者の自由は当然に抑圧されるのであるなら、これは民主制というより、独裁体制に近い性格のものでしょう。かように、「民主主義を唱える暴君」はメカニズムとして理解できるのではないかと思います。 |
ここにおいて、「平和と自由」という要素を入れてみたいと思います。 上にあげた理屈からすれば、「民主主義を守るためなら」、当然に「戦う」ということは正当化されます。つまり、民主主義は、必ずしも平和的ではありません。 また、民主主義体制を守るためならば、参加者の自由をも当然に制限するのですから、民主主義だから「自由だ」とも限りません。 しからば、参加者の平和や自由をも保障しない「民主主義」というものが目的化されたとき、その体制を守るための行為は、必然的に暴君化する(平和をも自由をも抑圧する)性格を内包するものではないか、と予想されます。 そのようなモーメントが顕在化するとき、判別基準としては、目的論的に「民主主義(なり、そのグループなりの目的)」が提示されるのではないかと思います。 かかる「審問」がなされるとき、「民主主義」は、成員の平和や、自由というものを保証するものでは「なくなっている」可能性があります。 |
▼告天子さん: >ここにおいて、「平和と自由」という要素を入れてみたいと思います。 > > >上にあげた理屈からすれば、「民主主義を守るためなら」、当然に「戦う」ということは正当化されます。つまり、民主主義は、必ずしも平和的ではありません。 > >また、民主主義体制を守るためならば、参加者の自由をも当然に制限するのですから、民主主義だから「自由だ」とも限りません。 > > >しからば、参加者の平和や自由をも保障しない「民主主義」というものが目的化されたとき、その体制を守るための行為は、必然的に暴君化する(平和をも自由をも抑圧する)性格を内包するものではないか、と予想されます。 > > >そのようなモーメントが顕在化するとき、判別基準としては、目的論的に「民主主義(なり、そのグループなりの目的)」が提示されるのではないかと思います。 > >かかる「審問」がなされるとき、「民主主義」は、成員の平和や、自由というものを保証するものでは「なくなっている」可能性があります。 「民主主義」X7で結局、何を言いたいの?突然、具体的靖国問題に振ったりして、「民主主義」の本質ご持論ならもっと論理的にしていただきたい。私には理解不可能。 |
▼安本単三さん:こんにちは。 >>ここにおいて、「平和と自由」という要素を入れてみたいと思います。 >> >> >>上にあげた理屈からすれば、「民主主義を守るためなら」、当然に「戦う」ということは正当化されます。つまり、民主主義は、必ずしも平和的ではありません。 >> >>また、民主主義体制を守るためならば、参加者の自由をも当然に制限するのですから、民主主義だから「自由だ」とも限りません。 >> >> >>しからば、参加者の平和や自由をも保障しない「民主主義」というものが目的化されたとき、その体制を守るための行為は、必然的に暴君化する(平和をも自由をも抑圧する)性格を内包するものではないか、と予想されます。 >> >> >>そのようなモーメントが顕在化するとき、判別基準としては、目的論的に「民主主義(なり、そのグループなりの目的)」が提示されるのではないかと思います。 >> >>かかる「審問」がなされるとき、「民主主義」は、成員の平和や、自由というものを保証するものでは「なくなっている」可能性があります。 > >「民主主義」X7で結局、何を言いたいの?突然、具体的靖国問題に振ったりして、「民主主義」の本質ご持論ならもっと論理的にしていただきたい。私には理解不可能。 このスレッドは、何を隠そう、ブッシュ政権の本質を批判する為に立てられたと読めるのですが如何でしょうか? ご本人にその気はないかもしれませんが、読めば読むほど的確なブッシュ批判になっています。 「民主主義を唱える暴君」の名に最もふさわしいのは、ブッシュ大統領しかないでしょう。 |
▼MNGさん: >このスレッドは、何を隠そう、ブッシュ政権の本質を批判する為に立てられたと読めるのですが如何でしょうか? >ご本人にその気はないかもしれませんが、読めば読むほど的確なブッシュ批判になっています。 MNGさん、フォローいただいて、ありがとうございます。民主主義批判をしたら、ブッシュ批判にもなっていたということは、私としてはありがたい感想です。 >「民主主義を唱える暴君」の名に最もふさわしいのは、ブッシュ大統領しかないでしょう。 必ずしもブッシュ大統領を想定して書いたのではありませんが、民主主義の総本山を名乗る米国の大統領にそっくり当てはまると思われたとは、意義深いことです。 しかし、そうすると他の方のご意見との整合性が問題になるかと思います。ブッシュ大統領と同じだ、とMNGさんは語っておられますが、そうではないと感じた向きもあるわけです。この文章は、一般論であること、あらかじめお断りしておきます。 |
▼告天子さん: >▼MNGさん: > >>このスレッドは、何を隠そう、ブッシュ政権の本質を批判する為に立てられたと読めるのですが如何でしょうか? >>ご本人にその気はないかもしれませんが、読めば読むほど的確なブッシュ批判になっています。 > >MNGさん、フォローいただいて、ありがとうございます。民主主義批判をしたら、ブッシュ批判にもなっていたということは、私としてはありがたい感想です。 別にフォローのつもりではないので、悪しからず。 >>「民主主義を唱える暴君」の名に最もふさわしいのは、ブッシュ大統領しかないでしょう。 > >必ずしもブッシュ大統領を想定して書いたのではありませんが、民主主義の総本山を名乗る米国の大統領にそっくり当てはまると思われたとは、意義深いことです。 > >しかし、そうすると他の方のご意見との整合性が問題になるかと思います。ブッシュ大統領と同じだ、とMNGさんは語っておられますが、そうではないと感じた向きもあるわけです。この文章は、一般論であること、あらかじめお断りしておきます。 アメリカが民主主義の総本山と言われているかもしれませんが、現在は制度疲労が著しく、真の民主主義には程遠い状態です。 その最たるものが、ゴア候補より総得票が少なかったのに、ブッシュ大統領が当選してしまったことでしょう。 今回の二選目も、選挙に関する疑惑は様々取り沙汰されています。 自国がこんな非民主的状態でありながら、他国を民主化すると言って、アフガン・イラクをメチャクチャにしてしまうとは、まさに「民主主義を唱える暴君」に他なりません。 そしてブッシュ暴君の下僕たる小泉総理の責任にも、重大なものがあるのは当然だと思います。 批判されるべきは「民主主義」ではなく、あくまでも「エセ民主主義」なのです。 老人党掲示板の理念に関しては、安本さんを支持致します。 |
告天子さん、 今は管理スタッフ掲示板の過去ログに入っているが、貴方は「老人党」批判をして、「気持ち悪い」と切って捨てている、それ以来貴方の態度はどうしても納得できない。 主題もここの掲示板を批判するために立てたのでしょうが、貴方の意見は「気持ち悪い」理論、論理じゃない、それ以前の問題で「気持ち悪い」んです。 未だに居座って延々と老人党批判をしています、それが「気持ち悪い」んです。 自分で「老人党は気持ち悪い」なる掲示板を立てて述べればいいのに、そうすれば貴方の意見に頷く人も少なくはないでしょうに、なぜ延々と居座って「老人党は気持ち悪い」を続けるのか、それが「気持ち悪い」んです。 老人党趣旨と異なる意見は多くみられますが、それはそれで議論なり喧嘩すればいいが、ここの掲示板自体を批判するために書き込みをするのが「気持ち悪い」んです。 そーいうのを「ネットアラシ」というのです、そのために掲示板を閉鎖した例は枚挙にいとまがない。 ご自分で「老人党は気持ち悪い」なる掲示板を作られることをお勧めします。 |
このスレは桃李さんのご指摘のように、管理掲示板から発して、 「民主主義の基本」の話と、「老人党の掲示板が民主的に運営できているか」の二つがテーマとなっています。 私、ワン太郎は老人党に 未だ入党宣言いたしておりません。 老人党理念の「かなりの部分」に賛同するところがあり、このボードに参加しています。 老人党員の皆さんと議論を重ね、老人党の理念を確認していくことによって入党を判断しよう、と考えていました。 ボードに参加して すぐにガッカリしたのは、 「老人党の理念・趣旨(と、その解釈)」が「一部の方」に占有されていることでした。 時々、議論が荒れてくると「なださん」を引き合いに出してきます。 これ「いつか、どこかで見た景色」です。 「なださん」を天皇、「老人党の理念・趣旨」を帝国憲法、「一部の人」を軍部、と置き換えてみましょう、 お判りですね。全くよく似た構造・言動なのです。 「一部の人」達は「とんでもない!」とお怒りになるでしょうが「何処が違うのでしょう?」 「マインド」でしょうか? 「民主主義のマインド」と「帝国主義・全体主義のマインド」とは全く違う、 とおっしゃるのでしょう。 確かに、違います。 しかし、自分たちの「マインド」とは異なる「(相容れない)マインド」を排斥する、という言動においては「同じ」と見ます。 自分達が信じる民主主義に対する「相容れない民主主義」を主張する者を排除する、と言う点において「同じ」なのです。 相容れない民主主義は「民主主義ではない!」 と云う点において「同じ」であります。 こういった「構造・言動」がある限り、私は老人党への入党に踏み切れないでいます。 「お前なんか老人党に入ってもらいたくもない!」という声が聞こえてきます。 だから! 「そこが オカシイ」・・・と言うのですが、ね? ここのところは「しっかり議論」すべき(してほしい!)と思うのです。 |
▼ワン太郎さん: ゴチャゴチャ言なさるな。 私は、離党しました。 党員でいるということは老人党の民主集中性を守ることです。 私はどこかで日本共産党の民主集中性を批判しましたが、それは集中が非常に強すぎる点です。しかし、どの党も民主集中性で成り立っています。自民党も執行部が党員に対し盛んに拘束をかけています。 拘束なき党派は無し。拘束がいやな者はタダの通行人になれば良いのです。 |
▼安本単三さん: >▼ワン太郎さん: > >ゴチャゴチャ言なさるな。 安本さんにお願いなのですが、ゴチャゴチャ言うなとか、意見が理解できないとかいう書き込みは、スレッド的に混乱するので控えてはいただけないでしょうか。 >私は、離党しました。 >党員でいるということは老人党の民主集中性を守ることです。 ワン太郎さんは党員ではありませんから、ご意見内容は関係ない話ですし、老人党が民主集中性を守る党である、という話は初耳です。 ところで、異論者をも排除しない党、自由な議論を受け入れる党だとは聞きましたが、老人党の民主集中性とは何ですか?。 >私はどこかで日本共産党の民主集中性を批判しましたが、それは集中が非常に強すぎる点です。しかし、どの党も民主集中性で成り立っています。自民党も執行部が党員に対し盛んに拘束をかけています。 自民党では、いったん党議として決定されたならば一丸となりそれを守る、という意味では拘束は掛けるでしょうが、その前提としての自由な議論に対しては「言論封殺」は許されない、という党風はあったかと思います。 さて、たとえば「異論者は追い出す」などの老人党議決定でもあったのならまた別ですが、さような決定が話し合いによりなされた、ということは聞いたことがありません。 聞いたことがない決定がどこかで勝手になされているなら、それは秘密決定であり、また、独裁専制とでも言うべきことでしょう。これは、自由な議論を経ての上での「拘束」とはまるで違うものです。 この区別がされないところに、「拘束がある」ことの一義をもってして「どの党も民主集中性で成り立っているのだ」というのは、拘束を正当化するには資する論ですが、民主主義にとっては破壊的な論かと思います。 >拘束なき党派は無し。拘束がいやな者はタダの通行人になれば良いのです。 ワン太郎さんは党員ではなく自由な立場でものをいっているだけですので、その「自由な立場でものをいう」こと自体が否定されることを危惧しておられるのかと推察します。 拘束のない党派はありませんが、自由な議論を最初から認めないような党派は、独裁専制の党派であると言われても仕方がない、と考えます。 |
▼告天子さん: >▼安本単三さん: >>▼ワン太郎さん: >> >>ゴチャゴチャ言なさるな。 > >安本さんにお願いなのですが、ゴチャゴチャ言うなとか、意見が理解できないとかいう書き込みは、スレッド的に混乱するので控えてはいただけないでしょうか。 > あなたの意見は、良く分かりました。あなたの理屈で言えば、ゴチャゴチャいうなと言うのも自由です。 |
▼安本単三さん: >▼告天子さん: >>▼安本単三さん: >>>▼ワン太郎さん: >>> >>>ゴチャゴチャ言なさるな。 >> >>安本さんにお願いなのですが、ゴチャゴチャ言うなとか、意見が理解できないとかいう書き込みは、スレッド的に混乱するので控えてはいただけないでしょうか。 >> >あなたの意見は、良く分かりました。あなたの理屈で言えば、ゴチャゴチャいうなと言うのも自由です。 否、それは私の意見とは異なります。どんな発言でも、自由である、ということではありません。それは、無秩序・無法状態を容認する、ということであり、文明社会の否定であります。 少なくとも、民主主義を標榜するのであれば、法(ルール)に基づいた統制が必要であり、また、法の運用は公平でなければなりません。恣意でもって、ある者には厳しく法を適用し、ある者には法を適用させず、「おかしいではないか」と問う者は、お上を侮辱したというかどで排除されるような社会は、民主主義の社会ではありません。 どのように私の意見を理解すれば、「ゴチャゴチャ言うな」と言うことも自由であるのか、その筋道が分かりません。 自由、ということと、単なる放埒・身勝手・わがまま放題ということとは、別の話ではないかと私は思います。 |
▼告天子さん: >▼安本単三さん: >>▼告天子さん: >>>▼安本単三さん: >>>>▼ワン太郎さん: >>>> >>>>ゴチャゴチャ言なさるな。 >>> >>>安本さんにお願いなのですが、ゴチャゴチャ言うなとか、意見が理解できないとかいう書き込みは、スレッド的に混乱するので控えてはいただけないでしょうか。 >>> >>あなたの意見は、良く分かりました。あなたの理屈で言えば、ゴチャゴチャいうなと言うのも自由です。 > > >否、それは私の意見とは異なります。どんな発言でも、自由である、ということではありません。それは、無秩序・無法状態を容認する、ということであり、文明社会の否定であります。 > >少なくとも、民主主義を標榜するのであれば、法(ルール)に基づいた統制が必要であり、また、法の運用は公平でなければなりません。恣意でもって、ある者には厳しく法を適用し、ある者には法を適用させず、「おかしいではないか」と問う者は、お上を侮辱したというかどで排除されるような社会は、民主主義の社会ではありません。 > >どのように私の意見を理解すれば、「ゴチャゴチャ言うな」と言うことも自由であるのか、その筋道が分かりません。 > >自由、ということと、単なる放埒・身勝手・わがまま放題ということとは、別の話ではないかと私は思います。 ハイ。私はわがままです。我が身が一番可愛いのです。地下鉄のレールに落ちた人に対し身を挺して助ける勇気があるようにも思えません。 民主主義=民主集中性という私の理解は変わりません。 老人党員であれば掲示板の管理人さん(集中)に少しは協力的であるべきです。 私は党員をやめましたので、言いたい放題をします。国会議員様もヤジとばしますから、ヤジることもあります。 |
▼安本単三さん: >あなたの意見は、良く分かりました。あなたの理屈で言えば、ゴチャゴチャいうなと言うのも自由です。 ところで、私の意見はともかくとして、「老人党の民主集中性」とは何なのでしょう。 上で他にも質問したことについて、お答えいただけたら幸いに思います。 それから、相楽さんに対しても「幼児性」が云々、と発言されておりましたが、そのような表現は避けていただきますよう、重ねてですが、お願いしたいと思います。 |
▼告天子さん: >▼安本単三さん: > >>あなたの意見は、良く分かりました。あなたの理屈で言えば、ゴチャゴチャいうなと言うのも自由です。 > > >ところで、私の意見はともかくとして、「老人党の民主集中性」とは何なのでしょう。 > >上で他にも質問したことについて、お答えいただけたら幸いに思います。 > > >それから、相楽さんに対しても「幼児性」が云々、と発言されておりましたが、そのような表現は避けていただきますよう、重ねてですが、お願いしたいと思います。 避けません。率直にそう感じたからです。 |
告天子さま こんばんは。 私は離党しています。 老人党は、ああしろこうしろと命令をする党首がいません。 老人党の中の民主主義については、数多くの概念の説明をする言葉よりも 大事なのはつぎの2点だと思います。 1・現実に人の行動、ここでは党の掲示板に書き込むということ。 2・そして日々書き込まれる話の内容。 そして、これをどう受け取るかは、個人の範疇です。民主主義の概念は知っていても 実生活でそれを自分の間やり方で表現しようと思えば、参加者の数だけやり方があります。 ですから、回答をもらうというよりは、老人党の掲示板を含めて党で行われている行動。 掲示板では、書き込み、内容を、管理のやり方などの行動をみて、自分で答えを出すもの だと私は思います。 言葉でなく、実際の民主主義は、誰かに答えを教えてもらうものではないと思います。 おやすみなさい。 |
▼告天子さん:こんばんは >ところで、異論者をも排除しない党、自由な議論を受け入れる党だとは聞きましたが、老人党の民主集中性とは何ですか?。 余計な口出しかもしれませんが、民主集中制ですよね。 こればボルシュビキが打ち出した理屈で ナドーニキのテロルや暴力装置に裏付けされた中央集権制に レーニンが民主主義制を色づけして作られたものです。 民主主義ですから選挙によって党の幹部は選ばれるのですが、 選ばれた党幹部は中央集権制により絶対権力を握り独裁体制を確立していく。 異端者は単に地位を失うのみならず、場合によっては死をも甘受せざるを得ない。 流石に日本共産党の場合は除名でおさまり死などはありませんが 所謂左翼の内ゲバによるリンチの論理的根拠はこの民主集中制にあります。 共産党の一党支配を正当化して民主主義を標榜しながら 民主主義を認めないのが民主集中制です。 民主集中制などを取り入れたらその組織は独裁を肯定することになります。 今世界で民主集中制を行っているのは 中国、北朝鮮、キューバ、ベトナムの共産党(労働党)と日本共産党だけだと思います。 それにしてももう死語となっていると思った民主集中制なる言葉を 二十一世紀の現在に目にするとは思いもしませんでした。 |
▼ゆきりんさん: >▼告天子さん: 民主主義がいかに優れているか口先で認める輩。戦前の体制はどうかと尋ねれば、昔は昔と言う。その昔を今に持ってきている為政者を代弁するお前たち。 ただ言葉で遊ぶ、唾棄すべき輩。老人党はこういう輩と付き合っていかねばならないのか。気が重い。 |
▼安本単三さん: >▼ワン太郎さん: 見落としていました、スミマセン。 おくればせながら。 >ゴチャゴチャ言なさるな。 こういう発言は「議論・討論」にあっては 相応しくありませんね。 ほとんど「アラシ」と同じ部類の言葉遣いでしょう。 こういった発言には「議論をしましょう!」としか答えようがありません。 安本単三さんの「まともなご発言の内容」まで低レベルに見えてきます。 >私は、離党しました。 >党員でいるということは老人党の民主集中性を守ることです。 >私はどこかで日本共産党の民主集中性を批判しましたが、それは集中が非常に強すぎる点です。しかし、どの党も民主集中性で成り立っています。自民党も執行部が党員に対し盛んに拘束をかけています。 老人党が<民主集中制>をとっているということを知りませんでした。 (私がウカツだったのでしょうか? それとも、安本単三さんの創作でしょうか?) 通常に言われる<民主集中制>とは、社会主義的体制でとなえられるものと思っていました。 <拘束をかける>という事象だけを見て<集中制をとっている>というのは 解釈を拡大させ過ぎているのじゃないでしょうか? 一般的な話しでは通じないと思います。 >拘束がいやな者はタダの通行人になれば良いのです。 私は そういった態度をとるのは「最後の手段」と考えています。 「最後の手段」に至るまでは、今の姿勢を続けようと思っております。 |
▼ワン太郎さん: >「なださん」を天皇、「老人党の理念・趣旨」を帝国憲法、「一部の人」を軍部、と置き換えてみましょう、 >お判りですね。全くよく似た構造・言動なのです。 別の掲示板を見たときからの印象ですが、日本人には、「専制君主制」を望んでいる人が結構多いような気がしてます。お気に入りの君主に一任して、自らは責任を引き受けない。お上が自分の気に入らないことを始めたら、「裏切り者」のレッテルを着せて、別の君主に交代させるのです。いくさなしで政権交代が達成できるところは違うが、残りの中味は「専制君主制」と同じものを望んでるように感じます。 >自分達が信じる民主主義に対する「相容れない民主主義」を主張する者を排除する、と言う点において「同じ」なのです。 イデオロギーを異とするものに対する排斥傾向はかなり強いですね。一般的なイメージとは異なり、どういうわけだか右派を自称する人の方が寛容です。これはどうしてなのか?左派の原動力が、「恨み」や「憎しみ」であるからかもしれません。 |
活発な 議論が交わされ、うれしく思っています。 民主制というのは「手続を大切にする制度」でもあります。 意思の決定は「議論と投票」によって「ルール」に従い行われます。 老人党には未だ意思決定確立のルールが成立しておりません。 その様な場合「話し合い」を重ね続けることによって 全体の「空気を醸成」するということが必要になってきます。 この「空気の醸成」という点で、この掲示板の問題点を二つ提起したいと思います。 一つは、「空気の醸成」において「継続した話し合い」というのが唯一の方法となるわけですが、 その話し合いにおいて「発言の自由」は保障されなくてはいけません。 しかし、発言のすべてが「自由」という訳にはいきません。 民主制の「暗黙の約束事」として、 (1)人(人格)を侮辱することは控えなくてはいけない(それを犯した場合は「自己責任」が発生し「暗黙のルール」では「保護されない」事を覚悟しなければならない : 即ち、反発の侮辱に耐えなくてはならない、ということ) (2)「発言の自由」を妨げる発言の自由までは保障されていない(リアルな討議の場であれば、人間の耳はうまくできていて「聞き分け」もできますが、ネットの場合は非常な混乱を招きます : 「アラシ」「カキマゼ」行為です) 二つめに、「空気醸成の中心人物の役割」があります。 「中心人物」は自分の意思があろうがなかろうが、その人の「存在感」がその他のメンバーの認知によって、位置付けられていきます。 そういった「中心人物」は「責任」を感じてほしいのです。 「わしゃイヤだ」「勝手にさせてもらう」等といってはいけないのです。 一般のメンバーが「暗黙のルール」を守る責任があるように「中心人物」としての責任を感じてもらわねばならないのです。 私の問題意識は、このボードの「中心人物」と目される人達が、そういった意識が希薄で「個人」としての意見(議論)と中心人物としての(謂わば「公的」存在)発言の区別をできないでいる、というところにあります。 この老人党は未成熟です、発展させよう・充実させようという気概が具体的な活動に展開されていきません。 「小泉打倒」「政権交代」と口だけは威勢はいいのです、これでは「党」ではなく「同好の会」「愚痴こぼし会」「赤提灯談義」レベルであります。 長くなりました、要するに私の期待は、 「『党』としての気概、それを裏付ける正当性・積極性を持ちましょうヨ」 ということなんですがね。 |
話し合いが出来なくさせている「モノ」は何でしょう? 人が共に生き、仲良く楽しく暮らしていくための法則があります。 その法則に外れたとき、人は不幸になっていくのです。 その法則は人が定めたものではなく、大自然の摂理と言えようかと思います。 自然の力の恐ろしさも知らずに次々に緑を消すことも、大海原を埋め立てることも、人間の勝手な行為であり、そのしっぺ返しも起きています。 そのような自然破壊ばかりでなく、人と人との心を破壊しない生き方、法則があるのです。法則などと言わず、“すじみち”と言った方が良いかも知れません。 目には見えなくても、社会生活をまっとうする上に確かに存在するルールです。 これは政治、経済、あらゆる主義、思想などの基盤であり、それらすべてを包括して、正しい方向を指示する道といえるでしょう。 茶道、華道、書道、あるいは柔道、剣道などと「道」がついているようにこの道は人の生き方を示しています。 法則は人が造り定めたものでなく、確かに存在するものです。 それを法則とも言わず、各家庭で親や祖父母から受け継がれ、作法としても教えられました。 この人としての行き方、“すじみち”を教えられなくなったことが、学校での「荒れ」であり、話し合いができない社会であると言ったら言いすぎでしょうか? 言うばっかりで、人の話が聞けなければ、民主主義を語るに足りずで、道から大きく外れていると言わざるを得ない。 |
中間で、まとめ的な書き込みをします。 ▼相良唯夫さん: >話し合いが出来なくさせている「モノ」は何でしょう? 根本的な問題提起だと思います。私は相良さんのご意見に、大人の気風を感じましたが、それは神道的な精神にそう感じるのだと思います。 そして、安本さんなどはまさにその逆の感じ方をされたようですが、この安本さんが提唱するところの「民主集中性」、これはゆきりんさんご指摘のように、革命ロシア・ソヴィエトであるとか、共産圏の立場から唱えられる「民主主義」であることは明瞭でしょう。 老人党賛同者の諸氏から、「いや、老人党は決してそのような性格を持つものではない」という異論が出ないということは、安本さんのご意見は、大きく事実と違うものではないことを暗示しています。私も、民主集中性なる言葉に、正直、ぎょっとしました。 ところで、ウミサチヒコ氏は、 >民主主義がいかに優れているか口先で認める輩。 と書いていますが、私は別段、民主主義が優れているとか書いた覚えはありません。 私が賛同する「民主主義」は、相良さんが言われるような、自然の法則に則した、・・・私なりに言うなら、日本民族が発見した、伝統的な生き方・・・・話し合いを持つ土壌、と言いますか、こういうのは、決して世界的にありふれた在り方ではないと思うのですが、 >人が共に生き、仲良く楽しく暮らしていくための法則があります。 人類皆兄弟、というような発想は、案外、きわめて日本的特殊的な考え方なのかもしれない、と思うのです。そして、自然に対する感じ方も、日本人には独特のものがあるのではないかと思うのです。多分それは、「民主集中性」というような姿勢とは全く別個のものではないかと。 また、案外と我々日本人は、相良さんが言われるような在り方に、無自覚なのではないか。日本的な美質に、自覚的に目覚めていなくて、まるで見当違いの「民主集中性」みたいな民主主義に、夢を見ているのではないか。だから、筋道を根本的に間違えているのではないか。 >この人としての行き方、“すじみち”を教えられなくなったことが、学校での「荒れ」であり、話し合いができない社会であると言ったら言いすぎでしょうか? >言うばっかりで、人の話が聞けなければ、民主主義を語るに足りずで、道から大きく外れていると言わざるを得ない。 この、自然の法則に気づくようなものとしての「民主主義」、というか、生き方、というのは、西洋思想的な意味合いでの民主主義とは、大いに違っているように思いました。まして、「民主集中性」というような独裁的・権力集中的性格とは、かなりかけ離れたものを感じます。 |
▼告天子さん: >私が賛同する「民主主義」は、相良さんが言われるような、自然の法則に則した、・・・私なりに言うなら、日本民族が発見した、伝統的な生き方・・・・話し合いを持つ土壌、と言いますか、こういうのは、決して世界的にありふれた在り方ではないと思うのですが、 戦いにより勝ち取る「民主主義」というのは、日本の風土になじまないのだと思います。悪く言えば受身の姿勢ということになってしまいますが、自然の流れを大切にしたい意識というのが、我々日本人の中にはあるのだと思います。 「民主主義」にしろ「共産主義」にしろ、制度そのものに価値を求めると、人工的に感じて拒絶したくなります。もっと、自然で大らかなものに包まれていたい気がします。 現在の日本は、人工的なものに支配されすぎて本来の長所を失いつつあり、触れすぎた振り子を元に戻そうとしているような気がします。ただ、振り子が逆に触れすぎて単なる復古主義に陥ったり、アメリカ自由主義そのものに同化してもダメ。これから、振り子のバランスをどこに落ち着けるのかが問題になってくるのでしょう。 |
▼ダミアンさん: >▼告天子さん: > >>私が賛同する「民主主義」は、相良さんが言われるような、自然の法則に則した、・・・私なりに言うなら、日本民族が発見した、伝統的な生き方・・・・話し合いを持つ土壌、と言いますか、こういうのは、決して世界的にありふれた在り方ではないと思うのですが、 > >戦いにより勝ち取る「民主主義」というのは、日本の風土になじまないのだと思います。悪く言えば受身の姿勢ということになってしまいますが、自然の流れを大切にしたい意識というのが、我々日本人の中にはあるのだと思います。 >「民主主義」にしろ「共産主義」にしろ、制度そのものに価値を求めると、人工的に感じて拒絶したくなります。もっと、自然で大らかなものに包まれていたい気がします。 > >現在の日本は、人工的なものに支配されすぎて本来の長所を失いつつあり、触れすぎた振り子を元に戻そうとしているような気がします。ただ、振り子が逆に触れすぎて単なる復古主義に陥ったり、アメリカ自由主義そのものに同化してもダメ。これから、振り子のバランスをどこに落ち着けるのかが問題になってくるのでしょう。 いいことを言いますね。 >ただ、振り子が逆に触れすぎて単なる復古主義に陥ったり、アメリカ自由主義そのものに同化してもダメ。 まったくその通り、言うことなし。大賛成。 |
▼ダミアンさん: >▼告天子さん: > >>私が賛同する「民主主義」は、相良さんが言われるような、自然の法則に則した、・・・私なりに言うなら、日本民族が発見した、伝統的な生き方・・・・話し合いを持つ土壌、と言いますか、こういうのは、決して世界的にありふれた在り方ではないと思うのですが、 > >戦いにより勝ち取る「民主主義」というのは、日本の風土になじまないのだと思います。悪く言えば受身の姿勢ということになってしまいますが、自然の流れを大切にしたい意識というのが、我々日本人の中にはあるのだと思います。 確かに。ただ、それが具体的に政治の動向に生かされていないのではないかと思います。受け身の姿勢、というところに頷くところがあるのですが、強い主体的「日本的な生き方」というものが、まだキチンと構築されていないのではないかと思います。 >「民主主義」にしろ「共産主義」にしろ、制度そのものに価値を求めると、人工的に感じて拒絶したくなります。もっと、自然で大らかなものに包まれていたい気がします。 御意です。自然でおおらか、というと、私などは、神道的なものを考えますが、天皇制というものは、神ながらの道ですから、まさに「自然でおおらか」そのものかと思います。 >現在の日本は、人工的なものに支配されすぎて本来の長所を失いつつあり、触れすぎた振り子を元に戻そうとしているような気がします。ただ、振り子が逆に触れすぎて単なる復古主義に陥ったり、アメリカ自由主義そのものに同化してもダメ。これから、振り子のバランスをどこに落ち着けるのかが問題になってくるのでしょう。 私が思うに、復古といっても、良いものと悪いものと、混ざっての話だろうと思います。日本的な良さ、というものを、どのように再発見(ルネッサンス)するか、そういうことが出来るか、に問題の鍵があると思います。 日本伝統の良さというものを全否定するような、アメリカナイズとか共産主義化は、論外だと思います。過去の全肯定ではなく、日本の美質の再発見なしには、日本が正気を取り戻すことは不可能だと思います。 まず第一段階として、「占領軍史観」的な見方や、そういう意味合いでの「民主主義」の桎梏から自由になることが必要ではないかと思っています。 |
▼告天子さん: 結局落ち着くところに落ち着くんですね。 民主主義が日本になじまないものとして、こっそり神道や天皇制を持ち込む。占領軍史観?」を否定して戦前史観を賛美する。 やっぱりあんたらは、ぐるっと回って古巣に戻るのね。 ガッツ石松曰く「オレは…で360度世界観が変わったよ」 バーカ、もとに戻っただけじゃんか。 |
▼ウミサチヒコさん: >▼告天子さん: > >結局落ち着くところに落ち着くんですね。 >民主主義が日本になじまないものとして、こっそり神道や天皇制を持ち込む。占領軍史観?」を否定して戦前史観を賛美する。 ??。 私は戦前の史観を賛美などしておりませんが?。そもそも戦前に、神道というものはむしろ徹底的に弾圧された歴史があったこと、ご存知ありませんか?。維新政府は、維新成立後数年にして、神道派閥のグループを権力中枢から排除しています。 あなたは架空の戦前に反発しているのだと思いますし、また、私の意見をあなたが考える架空の戦前になぞらえて理解しているだけです。 >やっぱりあんたらは、ぐるっと回って古巣に戻るのね。 あなたはそういう図式に基づいて、事実に根ざさない「古巣」を想定しているだけかと思います。私にそのような古巣などありません。 >ガッツ石松曰く「オレは…で360度世界観が変わったよ」 >バーカ、もとに戻っただけじゃんか。 元に戻ることなど、あり得ません。明日は昨日ではあり得ませんから。 |
▼告天子さん: >▼ウミサチヒコさん: >>▼告天子さん: >> >>結局落ち着くところに落ち着くんですね。 >>民主主義が日本になじまないものとして、こっそり神道や天皇制を持ち込む。占領軍史観?」を否定して戦前史観を賛美する。 > >??。 > >私は戦前の史観を賛美などしておりませんが?。そもそも戦前に、神道というものはむしろ徹底的に弾圧された歴史があったこと、ご存知ありませんか?。維新政府は、維新成立後数年にして、神道派閥のグループを権力中枢から排除しています。 捏造するな。右翼から怒られるぞ。国家神道のことダヨ。 >あなたは架空の戦前に反発しているのだと思いますし、また、私の意見をあなたが考える架空の戦前になぞらえて理解しているだけです。 なにが「あなた」だ。気持ち悪いからそういう呼び方はやめとくれ。 >>やっぱりあんたらは、ぐるっと回って古巣に戻るのね。 > >あなたはそういう図式に基づいて、事実に根ざさない「古巣」を想定しているだけかと思います。私にそのような古巣などありません。 アホンダラ、 >>>民主主義が日本になじまないものとして、こっそり神道や天皇制を持ち込む。占領軍史観?」を否定して戦前史観を賛美する。 と説明してあげてるぜ。 >>ガッツ石松曰く「オレは…で360度世界観が変わったよ」 >>バーカ、もとに戻っただけじゃんか。 > >元に戻ることなど、あり得ません。明日は昨日ではあり得ませんから。 ???アナクロさんさん、お休み。 |
▼ウミサチヒコさん: >>私は戦前の史観を賛美などしておりませんが?。そもそも戦前に、神道というものはむしろ徹底的に弾圧された歴史があったこと、ご存知ありませんか?。維新政府は、維新成立後数年にして、神道派閥のグループを権力中枢から排除しています。 > >捏造するな。右翼から怒られるぞ。国家神道のことダヨ。 ねつ造ではありません。維新後数年にして、神道派閥のグループは欧化に走る勢力から排除されているのは史実に明らかです。遷都にも猛反発していますし、復古と欧化とでは、方向性がまるで違うでしょう?。 国家神道のことでしたら、あれは外国のキリスト教勢力(や国内の仏教勢力)からの「攻撃」を受けたことから、(神道を保護するのか、と)、日本なりの「政教分離」を実現するために編み出されたものです。政府見解としては、あれはいわゆる「宗教」ではない、としたために、神社の「布教活動」は禁止され、一時は賽銭箱や祈祷なども禁じられたことがあったほどです。 国家神道だから神道をとにかく称揚したのだろうと思えばそれは捏造的見解で、占領軍のプロパガンダに過ぎません。役所としては神祇関係はかなり冷遇的扱いを受けていた、というのが実態です。 >>あなたはそういう図式に基づいて、事実に根ざさない「古巣」を想定しているだけかと思います。私にそのような古巣などありません。 > >アホンダラ、 >>>>民主主義が日本になじまないものとして、こっそり神道や天皇制を持ち込む。占領軍史観?」を否定して戦前史観を賛美する。 >と説明してあげてるぜ。 その説明自体が、占領軍プロパガンダに追随したものに過ぎないと思います。神道や天皇制が、「こっそり」持ち込まれるべき「悪いものである」、というような煽りが、十分に感じられます。 >>元に戻ることなど、あり得ません。明日は昨日ではあり得ませんから。 > >???アナクロさんさん、お休み。 日本を占領した連合軍の史観に未だ追随しているというのも、アナクロなのではないかと思います。これは、日本の歴史を深く研究してのものではなく、たかだか「日本支配のための戦略」のために編み出された歴史観でしょう。 いわゆるあなたの言う「民主主義」が、たとえば古代から中世、近世、明治時代といった日本の歴史を貫いて、遠い時代から確かに日本に存在していたような歴史あるものとは、とても思えません。 |
▼告天子さん: >▼ウミサチヒコさん: > >>>私は戦前の史観を賛美などしておりませんが?。そもそも戦前に、神道というものはむしろ徹底的に弾圧された歴史があったこと、ご存知ありませんか?。維新政府は、維新成立後数年にして、神道派閥のグループを権力中枢から排除しています。 >> >>捏造するな。右翼から怒られるぞ。国家神道のことダヨ。 > > >ねつ造ではありません。維新後数年にして、神道派閥のグループは欧化に走る勢力から排除されているのは史実に明らかです。遷都にも猛反発していますし、復古と欧化とでは、方向性がまるで違うでしょう?。 > > >国家神道のことでしたら、あれは外国のキリスト教勢力(や国内の仏教勢力)からの「攻撃」を受けたことから、(神道を保護するのか、と)、日本なりの「政教分離」を実現するために編み出されたものです。政府見解としては、あれはいわゆる「宗教」ではない、としたために、神社の「布教活動」は禁止され、一時は賽銭箱や祈祷なども禁じられたことがあったほどです。 > >国家神道だから神道をとにかく称揚したのだろうと思えばそれは捏造的見解で、占領軍のプロパガンダに過ぎません。役所としては神祇関係はかなり冷遇的扱いを受けていた、というのが実態です。 > > >>>あなたはそういう図式に基づいて、事実に根ざさない「古巣」を想定しているだけかと思います。私にそのような古巣などありません。 >> >>アホンダラ、 >>>>>民主主義が日本になじまないものとして、こっそり神道や天皇制を持ち込む。占領軍史観?」を否定して戦前史観を賛美する。 >>と説明してあげてるぜ。 > > >その説明自体が、占領軍プロパガンダに追随したものに過ぎないと思います。神道や天皇制が、「こっそり」持ち込まれるべき「悪いものである」、というような煽りが、十分に感じられます。 > > >>>元に戻ることなど、あり得ません。明日は昨日ではあり得ませんから。 >> >>???アナクロさんさん、お休み。 > >日本を占領した連合軍の史観に未だ追随しているというのも、アナクロなのではないかと思います。これは、日本の歴史を深く研究してのものではなく、たかだか「日本支配のための戦略」のために編み出された歴史観でしょう。 > >いわゆるあなたの言う「民主主義」が、たとえば古代から中世、近世、明治時代といった日本の歴史を貫いて、遠い時代から確かに日本に存在していたような歴史あるものとは、とても思えません。 あさも早からごくろうさん、明治初期に詳しい詳しい史観評論家どの。 >あれは外国のキリスト教勢力(や国内の仏教勢力)からの「攻撃」を受けたことから、(神道を保護するのか、と)、日本なりの「政教分離」を実現するために編み出されたものです。 キリスト教や仏教から神道を守るために国家神道にしてそして政教分離した、だと?でたらめもいい加減にしてくれ。 小生が知らないことをいいことに、随分といい加減なストーリーを捏造するではないか。結局あんたたちは民主主義を語るふりをして、その実、街宣右翼と同じことをがなりたいだけだ。なんという姑息な輩。 |
▼ウミサチヒコさん: >>あれは外国のキリスト教勢力(や国内の仏教勢力)からの「攻撃」を受けたことから、(神道を保護するのか、と)、日本なりの「政教分離」を実現するために編み出されたものです。 > >キリスト教や仏教から神道を守るために国家神道にしてそして政教分離した、だと?でたらめもいい加減にしてくれ。 帝国憲法制定の史実に明らかなのですが。いわゆる「廃仏毀釈」により大打撃を受けた仏教勢力は、新政府下において巻き返しを図ろうとして、強大な財力や人脈を通じて復権をはかろうとします。 キリスト教国はキリスト教国で、布教の公認を各国政府が(宗教団体ではなく、政府がです)強硬に要求してきますから、禁止になど勿論出来ない相談です。 大日本帝国憲法では、信教の自由は保障されています。神道は日本の「国教」としての法的扱いは受けておりません。いわゆる「国家神道」は、宗教にあらず、というのが政府の一貫した説明です。宗教ではない、という扱いなので、当然に布教活動などは禁じられましたし、経済活動も大きく制約を受けましたから、国家神道体制下で衰えた神社というのも多かったのです。 国家神道は、占領軍プロパガンダをなぞれば、軍国主義の象徴のようにイメージされますが、その実、神社の非宗教化を通じて信教自由を保障する制度、と見た方が事実に近いでしょう。 徳川三百年の歴史を経て葬儀などを一切仕切ってきた仏教、世俗の社会律としてきわめて広範な影響力を持っていた儒学、そこに古代研究を通じて再発見された日本神道、というものが江戸中期頃から起こってきたわけです。 この辺りの経緯を抜きにして「国家神道=ファシズム」といったような占領軍の宣伝した政治史観が「民主主義」とセットで主張しても、史実は分からないと思いますし、史実までねじ曲げるような「主義」というのは、人間の自由に対して敵対的な性格を持つでしょう。 >小生が知らないことをいいことに、随分といい加減なストーリーを捏造するではないか。 知らないのなら、どうして捏造だと分かるのですか? >結局あんたたちは民主主義を語るふりをして、その実、街宣右翼と同じことをがなりたいだけだ。なんという姑息な輩。 結論が先にあるのであれば、何も議論などしなければよいのではないかと思いますが。 ところで、「民主主義を唱える暴君」という当初のタイトル通り、民主主義を唱えつつも、実は強固な権力を振るう必要があるのだ、という主張が頻出しております。私の意見に同意いただけたものと思い、うれしく思っております。 |
▼告天子さん: >大日本帝国憲法では、信教の自由は保障されています。神道は日本の「国教」としての法的扱いは受けておりません。いわゆる「国家神道」は、宗教にあらず、というのが政府の一貫した説明です。宗教ではない、という扱いなので、当然に布教活動などは禁じられましたし、経済活動も大きく制約を受けましたから、国家神道体制下で衰えた神社というのも多かったのです。 そうです、大日本帝国憲法では、信教の自由は保障されています。すべての自由が認められています。天皇のお気に召す範囲で。 神道にかぎって、政教分離などありません。まさしく「国家」神道なのです。 >ところで、「民主主義を唱える暴君」という当初のタイトル通り、民主主義を唱えつつも、実は強固な権力を振るう必要があるのだ、という主張が頻出しております。私の意見に同意いただけたものと思い、うれしく思っております。 国家が暴力を持たないという画期的な説、ありがたく拝聴いたします。あなたはいつから絶対平和主義者になったのか、実に喜ばしいことです。 |
▼ウミサチヒコさん: >▼告天子さん: > >>大日本帝国憲法では、信教の自由は保障されています。神道は日本の「国教」としての法的扱いは受けておりません。いわゆる「国家神道」は、宗教にあらず、というのが政府の一貫した説明です。宗教ではない、という扱いなので、当然に布教活動などは禁じられましたし、経済活動も大きく制約を受けましたから、国家神道体制下で衰えた神社というのも多かったのです。 > >そうです、大日本帝国憲法では、信教の自由は保障されています。すべての自由が認められています。天皇のお気に召す範囲で。 ??。全ての自由など認められていませんよ?。また、天皇陛下の主観は何ら関係ありません。安寧秩序と臣民たるの義務に反せざる限りにおいて、という制限はありますが、無秩序的な放任ではない、ということでごく当然の話かと思います。 ウミサチヒコ氏の発言内容は、事実と違います。 >神道にかぎって、政教分離などありません。まさしく「国家」神道なのです。 ??。よく分かりませんが、いわゆる政教分離というのは、キリスト教国で言われ出した話であり、無条件に日本国に適用するのはおかしい、という意見でしたらその通りだと思います。 天皇をいただく日本においては、そもそもキリスト教と神道は違う性格の宗教ですから、教権と世俗の政治権力の覇王とが激しく対立し、相互に独立を保つ要請があったキリスト教世界とは、事情が違います。 で、まさしく「国家」神道というのはどういう意味か分かりませんが、明治維新は神道信仰と別には考えられませんから、神道を尊重しつつも信教の自由を認めるためには制度的にどうすべきか、ということで国家神道というものにまとまっていったのです。 >>ところで、「民主主義を唱える暴君」という当初のタイトル通り、民主主義を唱えつつも、実は強固な権力を振るう必要があるのだ、という主張が頻出しております。私の意見に同意いただけたものと思い、うれしく思っております。 >国家が暴力を持たないという画期的な説、ありがたく拝聴いたします。あなたはいつから絶対平和主義者になったのか、実に喜ばしいことです。 私はそういう説は唱えておりませんが?。民主主義が必然的に暴君に近づく性格を持っているのではないか、と申しているのであり、民主主義(国家)が暴力を持たない、ということは申しておりませんので、よくお読みになってから意見されるよう、お願いしたいと思います。 いわゆるスレッド流し的なことにならないよう、ご留意いただけたらと思います。 |
▼告天子さん: >確かに。ただ、それが具体的に政治の動向に生かされていないのではないかと思います。受け身の姿勢、というところに頷くところがあるのですが、強い主体的「日本的な生き方」というものが、まだキチンと構築されていないのではないかと思います。 自然な流れを自らの力だけでは変えることは出来ないと自覚しつつ、それでもやむにやまれず、自らの姿勢を毅然と示すことは必要だと思います。流れを無視するのではなく、流れに身を任せるだけでもなく、自らの意思で道を選択していくような姿勢。そうはいっても、実際にはかなり難しいものですが。 >御意です。自然でおおらか、というと、私などは、神道的なものを考えますが、天皇制というものは、神ながらの道ですから、まさに「自然でおおらか」そのものかと思います。 天皇制というのは、「中空」構造なのかなと思ってます。天皇は確かに国の核となるところに存在するのだが、実態は「空」。しかし、「空」であるからこそ、無限の広がりと大らかさを持つようなイメージ。戦前の一時期においては、「中空」を絶対君主のイメージで埋めようとして、失敗してしまったように思います。ちょっと、観念的過ぎますね。もう少し、頭が整理できたらまた書きます。 >私が思うに、復古といっても、良いものと悪いものと、混ざっての話だろうと思います。日本的な良さ、というものを、どのように再発見(ルネッサンス)するか、そういうことが出来るか、に問題の鍵があると思います。 仰るとおりですね。しかし、私には、なかなか完全な答えが見つかってません。 >日本伝統の良さというものを全否定するような、アメリカナイズとか共産主義化は、論外だと思います。過去の全肯定ではなく、日本の美質の再発見なしには、日本が正気を取り戻すことは不可能だと思います。 ここで、ちょっと遊びたくなりました。失礼だったらお許しください。告天子さんが著名な政治家だったとして、そのような発言をすると・・・ 「告天子、アメリカとの友好関係を否定!」 という見出しで新聞は報じるでしょう。「日本伝統の良さというものを全否定するような」という形容詞を無視して、文脈の一部だけを強調することにより、発言内容を歪めてしまう。先ずは、そういう土壌を何とかしないといけないと思います。 |
▼告天子さん: >中間で、まとめ的な書き込みをします。 > >▼相良唯夫さん: >>話し合いが出来なくさせている「モノ」は何でしょう? > >根本的な問題提起だと思います。私は相良さんのご意見に、大人の気風を感じましたが、それは神道的な精神にそう感じるのだと思います。 あれれ、出てきたぞ。いつの間にか民主主義賛美が神道賛美に変わって来たのかな。 >この安本さんが提唱するところの「民主集中性」、これはゆきりんさんご指摘のように、革命ロシア・ソヴィエトであるとか、共産圏の立場から唱えられる「民主主義」であることは明瞭でしょう。 おやおや老人党は革命政党なんですかね。考えすぎなんじゃあないの。考えすぎ、私が200%保証します。 >老人党賛同者の諸氏から、「いや、老人党は決してそのような性格を持つものではない」という異論が出ないということは、安本さんのご意見は、大きく事実と違うものではないことを暗示しています。私も、民主集中性なる言葉に、正直、ぎょっとしました。 ぎょっとしてください。コワイよコワイよ、老人党はコワイよ、ボリシェビキだかんね。 >ところで、ウミサチヒコ氏は、 >>民主主義がいかに優れているか口先で認める輩。 >と書いていますが、私は別段、民主主義が優れているとか書いた覚えはありません。 やっぱりね。どうも話がおかしいと思ったよ。 >私が賛同する「民主主義」は、相良さんが言われるような、自然の法則に則した、・・・私なりに言うなら、日本民族が発見した、伝統的な生き方・・・・話し合いを持つ土壌、と言いますか、こういうのは、決して世界的にありふれた在り方ではないと思うのですが、 > >>人が共に生き、仲良く楽しく暮らしていくための法則があります。 はいはい、皆兄弟。兄弟仲良く、法律なんかいらない。仲良いから世の中、遺産相続若貴騒動もない。良かったね。 >人類皆兄弟、というような発想は、案外、きわめて日本的特殊的な考え方なのかもしれない、と思うのです。そして、自然に対する感じ方も、日本人には独特のものがあるのではないかと思うのです。多分それは、「民主集中性」というような姿勢とは全く別個のものではないかと。 民主集中制、おおいに結構。みんなやってることだよ、驚くな。 |
▼相良唯夫さん: >この人としての行き方、“すじみち”を教えられなくなったことが、学校での「荒れ」であり、話し合いができない社会であると言ったら言いすぎでしょうか? いえいえ、言い過ぎではありません。全面的に賛成します。 学校で、“すじみち”を教えられなくなったことが学校での「荒れ」であり、話し合いができない社会を作ったというご意見、まったく賛成であります。 >言うばっかりで、人の話が聞けなければ、民主主義を語るに足りずで、道から大きく外れていると言わざるを得ない。 これも賛成です。まったく異議ありません。民主主義を賛美する相良唯夫さんに、どうして反対できましょう。民主主義万々歳です。 |
▼ウミサチヒコさん: >▼相良唯夫さん: > >>この人としての行き方、“すじみち”を教えられなくなったことが、学校での「荒れ」であり、話し合いができない社会であると言ったら言いすぎでしょうか? > >いえいえ、言い過ぎではありません。全面的に賛成します。 >学校で、“すじみち”を教えられなくなったことが学校での「荒れ」であり、話し合いができない社会を作ったというご意見、まったく賛成であります。 > >>言うばっかりで、人の話が聞けなければ、民主主義を語るに足りずで、道から大きく外れていると言わざるを得ない。 > >これも賛成です。まったく異議ありません。民主主義を賛美する相良唯夫さんに、どうして反対できましょう。民主主義万々歳です。 相良さんは靖国神社に首相が参拝するのは当然だとされておるし、その意見と「(学校での)荒れ」とか「話し合いの出来ない社会」、「道から大きく外れている」という意見は一体不可分だと思うが?。 都合のいい部分にだけ賛成するのは、議論上の功利主義ではないのか。相良さんがよしとしているのは「自然の法則としての筋道」であって、ウミサチヒコ氏が言うような「民主主義」とは違うと思うが、どうか。 そもそも、管理板などで異論者に対して罵倒を繰り返してきたウミサチヒコ氏の基本姿勢は、「話し合い」を根本から否定しているから、相良さんの意見とはまるで異なっているのではないのか。 |
▼告天子さん: >▼ウミサチヒコさん: >>▼相良唯夫さん: >> >>>この人としての行き方、“すじみち”を教えられなくなったことが、学校での「荒れ」であり、話し合いができない社会であると言ったら言いすぎでしょうか? >> >>いえいえ、言い過ぎではありません。全面的に賛成します。 >>学校で、“すじみち”を教えられなくなったことが学校での「荒れ」であり、話し合いができない社会を作ったというご意見、まったく賛成であります。 >> >>>言うばっかりで、人の話が聞けなければ、民主主義を語るに足りずで、道から大きく外れていると言わざるを得ない。 >> >>これも賛成です。まったく異議ありません。民主主義を賛美する相良唯夫さんに、どうして反対できましょう。民主主義万々歳です。 > > >相良さんは靖国神社に首相が参拝するのは当然だとされておるし、その意見と「(学校での)荒れ」とか「話し合いの出来ない社会」、「道から大きく外れている」という意見は一体不可分だと思うが?。 > > >都合のいい部分にだけ賛成するのは、議論上の功利主義ではないのか。相良さんがよしとしているのは「自然の法則としての筋道」であって、ウミサチヒコ氏が言うような「民主主義」とは違うと思うが、どうか。 > >そもそも、管理板などで異論者に対して罵倒を繰り返してきたウミサチヒコ氏の基本姿勢は、「話し合い」を根本から否定しているから、相良さんの意見とはまるで異なっているのではないのか。 いいえ、話し合い大いに結構。民主主義を認めたり認めなかったり、民主主義を神道になぞらえてみたり、フラフラフラフラしてちゃあ、ちょっと話にはならないかもね。 |
▼告天子さん: >民主主義を唱える暴君。 どうやらこれはオレのことらしいな。 >もし、そんなものがいたら、というより、そもそも現代の暴君は「オレは暴君だぞー」などと言うわけがありません。 それが言うんだな。 >「自分は民主主義者である、この上ない民主主義の徒である」と言うに決まっています。 そう、暴君であり民主主義者である。わかるかなー、わかんえーだろうな。 >しからば、本当に民主主義であるかどうかは、どうやって判別すべきなのでしょうか。思うに、民意を無視する者は、民主主義者ではありますまい。多くの者が「これでよい」と思っているのに、頑強に多数の意志を無視するのは、民主主義に反することの証拠でしょう。 わが道を行く。多数を尊重する場合もあれば少数を尊重する場合もある。ただし、上善水の如し。民主主義は権力である。個人がどう思おうと、なることとならないことがある。それだけ。 >しかしそれでは多数による圧政のごときに転化しかねませんから、少数でも真実の言葉を語る者がいるなら、それに耳傾けるのが民主主義の健全性を担保することになると思います。 おっしゃる通り。 >民主主義が堕落すれば、多数者のエゴや、あるいはその反対に、少数者が逆に多数者を支配するといった「反民主主義」に墜ちることでしょう。 システムで担保されないと、そうなる。 >「明らかにおかしい」ことを放置するのは、無責任というもので、こういうのは成因相互間の対話を重視する民主主義に明らかに反するものです。 ??? >あげく、「おかしいのでは?」と言い出した者を迫害するような始末では、民主主義どころか、中世的な暴虐としか言えないのではないかと思うのですが、どんなものでしょうか。 迫害?泣き言言うな。迫害なき政治はありえない。わかる? |
▼ウミサチヒコさん: >▼告天子さん: > >>民主主義を唱える暴君。 > >どうやらこれはオレのことらしいな。 いえ、そういう揶揄的なつもりはありませんよ。民主主義を唱える暴君であれば、過去、スターリンだの毛沢東だの、いくらでもいた話です。つまり民主主義とは、そういう者とは無縁ではあり得ない、ということが肝です。あまりご自身に引き寄せて読まれないことをおすすめします。 >>もし、そんなものがいたら、というより、そもそも現代の暴君は「オレは暴君だぞー」などと言うわけがありません。 > >それが言うんだな。 そういう人は、真に暴君として君臨することは出来ないと思います。 >>「自分は民主主義者である、この上ない民主主義の徒である」と言うに決まっています。 > >そう、暴君であり民主主義者である。わかるかなー、わかんえーだろうな。 正体を隠して、決して自分は暴君ではない、というような外見を繕うのではないか、ということです。露骨に正体を明かすのであれば、それはそれで結構なのです。 >>しからば、本当に民主主義であるかどうかは、どうやって判別すべきなのでしょうか。思うに、民意を無視する者は、民主主義者ではありますまい。多くの者が「これでよい」と思っているのに、頑強に多数の意志を無視するのは、民主主義に反することの証拠でしょう。 > >わが道を行く。多数を尊重する場合もあれば少数を尊重する場合もある。ただし、上善水の如し。民主主義は権力である。個人がどう思おうと、なることとならないことがある。それだけ。 ならば独裁制と異なるところはないでしょう。 >>しかしそれでは多数による圧政のごときに転化しかねませんから、少数でも真実の言葉を語る者がいるなら、それに耳傾けるのが民主主義の健全性を担保することになると思います。 > >おっしゃる通り。 ならばその「真実性」をいかにして抽出するかが問題になりますが、多数者の意志に反して少数者の意志を貫徹しようとするなら、それはますます独裁に近づかざるを得ない、という話になりはしませんか。 >>民主主義が堕落すれば、多数者のエゴや、あるいはその反対に、少数者が逆に多数者を支配するといった「反民主主義」に墜ちることでしょう。 > >システムで担保されないと、そうなる。 システムで担保される、とはいかなる義でしょう。すなわち、民主主義の徹底するところ、真理に気づきたる少数者の独裁に「ならない」と、どうして言えるのでしょうか。 >>「明らかにおかしい」ことを放置するのは、無責任というもので、こういうのは成因相互間の対話を重視する民主主義に明らかに反するものです。 > >??? 真理に気づいている「指導者」が、被治者を対話により説得できない場合には、強権発動しかない、ということです。すなわち、そこには「対話の重視」はもはやない、ということです。 >>あげく、「おかしいのでは?」と言い出した者を迫害するような始末では、民主主義どころか、中世的な暴虐としか言えないのではないかと思うのですが、どんなものでしょうか。 > >迫害?泣き言言うな。迫害なき政治はありえない。わかる? 迫害なき政治はありませんが、不当な迫害が当然視されるような政治は「悪政」であります。 |
皆さん:説明します。 ネットで検索すれば、民主集中性をとっているのは、キューバ、ベトナム、中国、北朝鮮、日本共産党と出てくるぐらいはアホでも知っています。 ところが、早坂茂三(元田中角栄秘書)は、政権党は民主集中性を志向し党首が十分に指導力を発揮しなければ日本の難局は乗り切れないというような事を書いていたのです。 私は目をこすって何回も読みました。日本共産党の専売特許を自民党元総理秘書が言ったからす。 そこで、集中の無い民衆主義などあるのだろうかと考えたわけです? 考えて見るると、単純化すれば、どの党も民主vs集中のせめぎ合いをしていることに気がつきました。 活発な意見提案とリーダーシップなき党は烏合の衆です。 もっとも、宗教集中性の党もあるようですが・・・・・。 老人党も管理人さんが管理する。そこに集中性がうまれます。メルマガを読めば一定の方向性を志向していることが分かります。なだいなだ著:老人党宣言に共鳴した人が集中しているのです。この党の集中性は弱いです。綱領も定款もなにもありません。 私は、少し共鳴できないところがあるから党を去りました。当然のことです。 世間は活きている・・理屈は死んでいる・・勝海舟・・氷川清話。 |
▼安本単三さん: ご説明ありがとうございます。 安本さんが発見したところによると、民主集中性とは、民主主義を採ろうとする限り、共産主義独裁政権だろうが、軍事政権だろうが、自民党政権だろうが、いかなる体制であろうとも必然的に至らざるを得ない体制が、これなのである。 つまり、民主集中性こそが民主制の粋であり、異論者を積極的に弾圧・排除し、党指導者の意見を徹底させることで、初めて民主主義というものは機能するものである。 多様な意見など有害無益であり、真に民意を代表する(という)指導者の意見がいかに貫徹されるか、その一点に民主制の正否は存するのである。 つまり、民主主義の神髄は、民主集中性にあるのだ、異論は積極的に排除するのが民主主義の必然である、と。 まさしく、暴君とどう違うのか、独裁と混然となった民主主義の姿を見る思いがします。私なら、暴君と異なるところを示すのだとするなら、法の公明正大な運用に違いを求めるところです。これが出来ないのであれば、民主主義を唱えつつも、その実は独裁専制の暴君と違わないのではないでしょうか。 |
▼告天子さん:> > >つまり、民主集中性こそが民主制の粋であり、異論者を積極的に弾圧・排除し、党指導者の意見を徹底させることで、初めて民主主義というものは機能するものである。 昔の日本共産党の細胞論でもあるまいし。時代錯誤で笑っちゃうよ。アハハハハ。 私はそんな事を言ってませんよ。あなたは私の・・・「活発な意見提案と・・・ を意図的にに省略しましたね。 自民党の中で、共産主義を断固支持するといったら異論者として積極的に排除され、専従職員だったら弾圧=クビになるでしょう。 私は、目標があるのにボスのいない組織を見たことがありませんので。 ホームレスにも話し合いがありボスがいるそうです。 オワリ。 |
▼安本単三さん: >▼告天子さん:> >> >>つまり、民主集中性こそが民主制の粋であり、異論者を積極的に弾圧・排除し、党指導者の意見を徹底させることで、初めて民主主義というものは機能するものである。 > >昔の日本共産党の細胞論でもあるまいし。時代錯誤で笑っちゃうよ。アハハハハ。 民主集中性が必要である、とされたのは安本さんですが。 >私はそんな事を言ってませんよ。あなたは私の・・・「活発な意見提案と・・・ >を意図的にに省略しましたね。 あなたの、異論者を排除することを重視する姿勢は、自由で活発な意見提案とは相反するものです。党権力者が盛んに拘束を掛ける、という側面があなたの意見では積極的に肯定されていますから、「活発な意見提案」は目的視されてはいないと判断しました。 >しかし、どの党も民主集中性で成り立っています。自民党も執行部が党員に対し盛んに拘束をかけています。 >拘束なき党派は無し。 この、「拘束」を重視するところが、あなたの意見のきわめて独自的なところです。それに続く論も、「自由」の方ではなく、「拘束」の権力的側面を主としています。 >自民党の中で、共産主義を断固支持するといったら異論者として積極的に排除され、専従職員だったら弾圧=クビになるでしょう。 当たり前です。 >私は、目標があるのにボスのいない組織を見たことがありませんので。 民主主義のボス、というのも面白い表現ですね。 >ホームレスにも話し合いがありボスがいるそうです。 >オワリ。 つまり、ボスの権力的な拘束こそが重視されるべきである、という意見の繰り返しかと思いました。 これが民主主義についてもそうなのだとすれば、そのボス、指導者、というものに成員は服従するのが「民主主義を目的とする組織」の在り方としてイメージづけられていること、大変興味深く思います。 |
告天子さん 一度、早坂茂三さんの本でもお読みになったら? 角栄礼賛で多少へきえきするかもしれませんが、彼が民主集中性と言ったから、びっくらこいて私が引用したまでです。 バレー教室に日舞の格好して行っても排除される。 この程度のことです。 いきり立つもんじゃありません。 |