Page 314 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼小泉総理の靖国参拝の理由変更について 牛歩 05/6/6(月) 16:48 ┣Re(1):小泉総理の靖国参拝の理由変更について 珍 源斎 05/6/6(月) 18:16 ┃ ┗Re(2):小泉総理の靖国参拝の理由変更について 風鈴カザン 05/6/6(月) 18:26 ┃ ┣Re(3):小泉総理の靖国参拝の理由変更について 珍 源斎 05/6/6(月) 18:56 ┃ ┃ ┣Re(4):小泉総理の靖国参拝の理由変更について 愚民 05/6/6(月) 20:13 ┃ ┃ ┣Re(4):小泉総理の靖国参拝の理由変更について 風鈴カザン 05/6/10(金) 0:00 ┃ ┃ ┃ ┣Re(5):小泉総理の靖国参拝の理由変更について 海幸彦 05/6/10(金) 0:54 ┃ ┃ ┃ ┗Re(5):風鈴カザンさんへ! 珍 源斎 05/6/10(金) 11:46 ┃ ┃ ┃ ┣ニュートラルな宗教? 告天子 05/6/10(金) 12:09 ┃ ┃ ┃ ┗Re(6):風鈴カザンさんへ! 風鈴カザン 05/6/10(金) 13:35 ┃ ┃ ┃ ┗100%でなくても あくまの査問官 05/6/10(金) 23:00 ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):近似0でも 告天子 05/6/10(金) 23:11 ┃ ┃ ┃ ┗Re(2):近似0でも 告天子 05/6/10(金) 23:28 ┃ ┃ ┃ ┗Re(3):近似0でも 惣佐衛門 05/6/12(日) 16:02 ┃ ┃ ┃ ┣Re(4):近似0でも あくまの査問官 05/6/12(日) 16:25 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(5):近似0でも 告天子 05/6/12(日) 19:19 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(6):近似0でも あくまの査問官 05/6/13(月) 22:47 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(7):近似0でも 告天子 05/6/13(月) 23:19 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(7):近似0でも 告天子 05/6/13(月) 23:19 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣考えてはならないのか 告天子 05/6/13(月) 23:39 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):考えてはならないのか あくまの査問官 05/6/15(水) 23:36 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(2):考えてはならないのか 告天子 05/6/16(木) 7:59 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(3):考えてはならないのか 告天子 05/6/18(土) 7:43 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(4):考えてはならないのか 告天子 05/6/18(土) 7:53 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗警告>告天子さん 管理スタッフ 05/6/18(土) 10:33 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(3):考えてはならないのか あくまの査問官 05/6/18(土) 11:41 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(4):考えてはならないのか 告天子 05/6/18(土) 12:51 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(4):考えてはならないのか 告天子 05/6/18(土) 13:04 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(7):近似0でも/宗教と政治 とうろう 05/6/14(火) 15:35 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(8):近似0でも/宗教と政治/「宗教者」に問う とうろう 05/6/14(火) 15:48 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗警告>とうろうさん 管理スタッフ 05/6/15(水) 20:39 ┃ ┃ ┃ ┗警告>惣左衛門さん 管理スタッフ 05/6/12(日) 20:50 ┃ ┃ ┗Re(4):小泉総理の靖国参拝の理由変更について 惣佐衛門 05/6/10(金) 8:43 ┃ ┗Re(3):小泉総理の靖国参拝の理由変更について 加茂井77 05/6/6(月) 20:12 ┣オレもそう思う ニッチモサッチモ 05/6/10(金) 5:46 ┣Re(1):小泉総理の靖国参拝の理由変更について 告天子 05/6/10(金) 12:25 ┣Re(1):小泉総理の靖国参拝の理由変更について キタキツネ 05/6/10(金) 18:47 ┃ ┗Re(2):小泉総理の靖国参拝の理由変更について 告天子 05/6/10(金) 19:07 ┣Re(1):小泉総理の靖国参拝の理由変更について 昼寝もぐら 05/6/10(金) 21:32 ┣なんでだろうか? 三吉 05/6/18(土) 11:54 ┃ ┗Re(1):なんでだろうか? 安本単三 05/6/18(土) 14:28 ┃ ┗Re(2):なんでだろうか? 告天子 05/6/18(土) 15:23 ┃ ┣[管理人削除] ┃ ┃ ┣Re(4):なんでだろうか? 昔神童・今人道 05/6/18(土) 16:15 ┃ ┃ ┗Re(4):なんでだろうか? よんよんヨン様 05/6/18(土) 16:30 ┃ ┗Re(3):なんでだろうか? ダミアン 05/6/18(土) 16:09 ┗書き込みをお控えください 管理スタッフ 05/6/18(土) 18:21 ┣警告対象一覧 管理スタッフ 05/6/18(土) 18:28 ┃ ┗Re(1):警告対象一覧 安本単三 05/6/18(土) 20:31 ┗Re(1):書き込みをお控えください 安本単三 05/6/18(土) 18:57 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 小泉総理の靖国参拝の理由変更について ■名前 : 牛歩 ■日付 : 05/6/6(月) 16:48 -------------------------------------------------------------------------
小泉総理の靖国参拝の理由を日本が二度と戦争してはいけないとの理由から 今度は戦犯に対し参拝している訳でない答弁になり一国の総理が述べる言葉 でしょうか。 当初の二度と戦争してはいけない理由これも、おかしいです。子供に説明 している訳ではないでしょう 総理は堂々と何度も中国。韓国出向いて説明した方が良いと思います。 それが出来なければ参拝しない方が良いと思います。 |
小泉総理の靖国参拝はこのまま続行するべきでしょう。 <小泉さんは靖国参拝をした総理大臣として過去形に> 次期の総理大臣は靖国参拝はしない人を選んで 国民の総意を近隣諸国への誤解の無いようにせねば ならぬと思います。 同時に戦没者への慰霊の国立施設を別に設けて外国の首脳でも 誰でも参拝できる宗教色の無い純粋の慰霊施設にする。 |
珍 源斎さん すみません。けちを付けようと言う気ではありませんが よく言われる「宗教色の無い純粋の慰霊施設」というのは、「慰霊」と言う行為、観念が既に某かの宗教観と無縁ではありえませんので、たとえ誰かがそう言って、「宗教色の無い純粋の慰霊施設」と銘打ったものを建立したとしても、端からその存在自体が矛盾したものとなると存じます。 よって「宗教色の無い純粋の慰霊施設」なるものの建設は意味を成さないと存じます。 |
風鈴カザンさん 早速のレス有難うございます。 >すみません。けちを付けようと言う気ではありませんが >よく言われる「宗教色の無い純粋の慰霊施設」というのは、「慰霊」と言う行為、観念が既に某かの宗教観と無縁ではありえませんので、たとえ誰かがそう言って、「宗教色の無い純粋の慰霊施設」と銘打ったものを建立したとしても、端からその存在自体が矛盾したものとなると存じます。 世界には数多くの宗教や宗派があります。 全ての宗教に添う施設であることが一部の宗教に偏らない形と して全ての宗教を包含した形が「宗教色の無い」「純粋な慰霊施設」 として考えられるコトです。 元々宗教は各人の心の中に存在するものです。 純粋な慰霊施設の私なりのイメージは子供たちの賑やかな 声が聞こえたり、若者の歌が聞こえるような荘厳の中にも 明るく広い公園ようなモノです、若者や子供達の楽しい声が聞こえれば それ自体が慰霊にも供養にもなると存じます。 > 死者への供養は子孫の平和な繁栄そのものです。 |
▼珍 源斎さん: >死者への供養は子孫の平和な繁栄そのものです。 横レス申し訳ありません。 「先祖供養、親に考、子孫繁栄」の三点セットは『考』という儒教の宗教的部分の根本原理です。儒教の一番大事なところといえるかもしれません。 日本は蘇我稲目や聖徳太子の仏教より、そうとう前に儒教が伝来していたと言われています。日本への仏教伝来以前に中国では儒教に妥協しなければ仏教は成り立たなかったのです。 そう、インド仏教には「先祖供養、親に考、子孫繁栄」はないのです。釈迦の生涯を考えれば分かります。 祖霊信仰、儒教、神道、仏教など色々混合されて日本人の道徳感や常識が培われてきたといわれています。 したがって「死者への供養は子孫の平和な繁栄」と、そのように考えられる事そのものが宗教的であると言えると思います。 |
珍 源斎さん 「全ての宗教に添う施設であること」「全ての宗教を包含した形」 というのは、一種の理想郷のような語感さえ伴いますが、しかし、宗教という 各々にしてみれば、いわば究極の哲学が、すべて相容れる形態というのは、まずありえないと私は考えます。それを論理的に解明できたならば、その時点であらゆる人類の紛争は一気に解決に向かうことでしょう。 一例を挙げれば、靖国の熱烈な信者が「宗教色の無い純粋の慰霊施設」というものをすんなり受け入れるでしょうか? ありえません。 靖国の信者もまた、「すべて」のうちの、ひとりひとりなのです。 「宗教色の無い純粋の慰霊施設」 これは、信仰心のないものが、信仰のあるものの心のうちを推し量ることが出来なかったゆえに生み出した、奇妙奇天烈な概念の産物に他ならない、私はそう考えます。 |
▼風鈴カザンさん: >珍 源斎さん 慰霊という空疎な概念を巡って議論すれば迷路に入るということです。 |
風鈴カザンさん 宗教に沿って考えれば宗教毎・或いは宗派ごとににより 基本とする、考え方や捉え方が異なります。 地球上で人類が繰り広げた争いや戦の中で宗教対立がその 原因となったことは歴史上にも数多く記憶されてます。 一部の邪宗は除いて宗教の源は宇宙観に起源をもつと云われてます。 私たちの活かされてる宇宙そして地球、私たちの身体、心までが 宇宙そのもので有ると云う見立ても成り立つ訳です。 よって宗教的には中立「ニュートラル」であることは それぞれの宗教も包含した意味でもあると個々の宗教、宗派の 人々の想いも「それぞれ」の内なる想いも解釈も受け入れられる ことになります。 霊を祀「まつ」るコトにより新たな争いの因になる愚は避けねば とする想いが私の考え方です。 信仰心が有る無しに関わらず、生命の実態には宇宙的な起源に 連なってることは否定しようもありません。 現在の地球上の争いには人間の無知による「宇宙観の欠落」もの で「無知なる業(ごう)」を人類が悟るまでは争いは絶えぬのでは・ ないでしょうか? |
▼珍 源斎さん: こんにちは。宗教的にニュートラル、というのは、要するに無宗教である、ということではないでしょうか。ニュートラルな宗教、というのは、「科学的宗教」みたいなのと同じく、あり得ない話でゃないんですか。ニュートラルな宗教、中立的な宗教など、抽象的な観念に過ぎない。宗教を骨抜きにする、無宗教への道程であり、宗教の解体、この場合は、靖国神社の解体に過ぎません。 >一部の邪宗は除いて宗教の源は宇宙観に起源をもつと云われてます。 >私たちの活かされてる宇宙そして地球、私たちの身体、心までが >宇宙そのもので有ると云う見立ても成り立つ訳です。 > >よって宗教的には中立「ニュートラル」であることは >それぞれの宗教も包含した意味でもあると個々の宗教、宗派の >人々の想いも「それぞれ」の内なる想いも解釈も受け入れられる >ことになります。 どんな宗教の思いも受け入れるのだというのであれば、たとえば東京裁判で戦犯指定を受けた人の魂をも祀るのだ、という思い、そういうことをも受け入れる宗教のカタチというのを、中国は真っ向から否定していますね。ニュートラル、などという観念は架空のもので、実際には、政治的対立を表面上回避するために導入された概念に過ぎないでしょう。 >霊を祀「まつ」るコトにより新たな争いの因になる愚は避けねば >とする想いが私の考え方です。 「ニュートラルな宗教」なる概念を持ち出せば、霊を祀ることによる争いがなくなるのか。なくならないと思います。正確に言えば、そういう「ニュートラルな宗教」を持ち出すことで回避されるのは、「靖国問題」であって、争いの原因は、霊を祀ることではない、政治的立場から宗教に介入してくる中国の姿勢にあります。 ニュートラルな宗教、なるものを持ち出すことは、そうした中国の抗議に対する、一時的な対抗にはなるでしょうが、それで中国の姿勢そのものが変わるわけではありませんから、「中国の政治」により、日本の宗教信仰が左右されてしまうという問題が放置されたことには、何ら変わりはありません。 |
珍 源斎さん 「宗教的には中立「ニュートラル」であること」というのは、即ち基本的には信心のない状態です(それを悪いとは思いません)。たとえば、カトリックの信者で、対イスラム、対ユダヤ、対ヒンズー、対カトリック、に対して「中立」ということは、ありえません。カトリックの信者はあくまで、その教条に精神の主柱を委ね、それを支えにして生きているのですから、全方位的に宗教的中立であるということは、まず、どうやってもありえません。自分はカトリックであるという立場から、他の宗教についての理解・認識をしますので、仮に他の宗教を全く同一にみなすような捕らえ方をしたとしても、自ら信ずる教えと同等になることはありません。他と同等、同様なものであったならば、初めから信じる意味がありません。それは、イスラムでも、仏教でも、或いは名もない土着の宗教でも、基本的には同じと考えます。「何でも良い」「何でも同じ」であっても良いのならば、初めから特定の宗教に身を任せるということが、起こりません。信仰が深まるほどにその傾向は顕著となり、残念ながら、それがしばしば紛争の種になることは周知の通りです。 >霊を祀「まつ」るコトにより新たな争いの因になる愚は避けねば >とする想いが私の考え方です。 こういう考えがあるということは、理解できます。そういった考えが、「宗教色の無い純粋の慰霊施設」に向かっているということも。争いを避けようという意図があることの結果であるということは承知していますし、その点については間違っているとは思いません。 しかし、上記の通り、「宗教色の無い純粋の慰霊施設」というものは初めから存在そのものが矛盾であり、矛盾した存在というのは、それこそ新たな「争いの種」になる可能性を含みます。 私はそのように考えます。 |
〉「宗教色の無い純粋の慰霊施設」というものは初めから存在そのものが矛盾であり 「完全に宗教色の無い慰霊施設」というものを作る事は不可能でしょう。 しかし、「靖国神社よりは宗教色の無い慰霊施設」を作る事は可能だと思います。 広島・長崎の原爆慰霊施設を見てください。 あれらにも宗教色はあるでしょうが、靖国神社と同じレベルの宗教色を持ってはいるでしょうか? ならば、それらと同様の施設を造れば良いのではないでしょうか? 政教分離の存在意義は、 『政治が宗教を利用しない・宗教が政治を利用しない』 事にあります。 完全な分離が不可能だからと問題を持続させるのは間違っていると私は思います。 |
▼あくまの査問官さん: こんばんは。興味深く思い、横レスします。 >〉「宗教色の無い純粋の慰霊施設」というものは初めから存在そのものが矛盾であり > >「完全に宗教色の無い慰霊施設」というものを作る事は不可能でしょう。 >しかし、「靖国神社よりは宗教色の無い慰霊施設」を作る事は可能だと思います。 慰霊施設を新しく作ることは、いくらでも可能です。いかなる濃淡の宗教度合いを持った施設をも、新設することが出来るでしょう。 しかし、またその行為は、「政治的行為」であることから逃れることは出来ないでしょう。 >広島・長崎の原爆慰霊施設を見てください。 >あれらにも宗教色はあるでしょうが、靖国神社と同じレベルの宗教色を持ってはいるでしょうか? >ならば、それらと同様の施設を造れば良いのではないでしょうか? これは、靖国神社に反対する、という政治の意見だと思います。宗教色の異なる(薄い、と考えるような)施設を作れば、「問題は解決する」のか?。しないと思います。 何故ならば、A級戦犯を非としてBC級を是とする理由は、何もないからです。あるとするなら、それは、政治の理由だからです。新しい施設を作っても、何の問題の解決にもなりません。その新しい施設すら、政治的理由に基づき、否定される可能性は決してなくなりません。 したがって、新施設を作るということは、単に「靖国神社の排除」という政治目的にしか寄与しないでしょう。 >政教分離の存在意義は、 >『政治が宗教を利用しない・宗教が政治を利用しない』 >事にあります。 >完全な分離が不可能だからと問題を持続させるのは間違っていると私は思います。 私は、政治が宗教を利用しても、宗教が政治を利用してもよいと思います。「政教分離」というのは、両者の関係を一切絶つというようなものではなく、もっと精妙な理屈です。 あくまの審問官さんの言われている「問題」とは、すなわち、靖国神社の持続そのものが問題である、という政治意志、そして、靖国信仰の否定です。 |
更に端的に言ってしまえば、 「新しい施設を作ったから、ここで拝め」 という命令には、私は従う気はありません。また、「靖国では、拝むな」という命令も、政治の命令です。 「新しく施設を作るから、そこで拝め」というのは、一体誰がそういうのですか。誰の金でそういう施設を作るのですか。中国の命令で、新しいところで拝むことになりました、というのが解決になるんでしょうか。 そんなところで拝めと言われて、一体誰が喜ぶのですか。そういう暴力を、暴力だと思わなくなる(それより政治の都合が優先する)ことこそ、「宗教への政治の介入」であり、宗教の政治利用なのですよ。 |
「無宗教の施設に死者を祀る」、これ文章になってはいませんわな。死者を祀ること、それ即ち宗教行為の何者でもないですよね。新しい施設を作って戦没者を祀るとか、元首相の中にもこんな事を言う人がおります。情けないですね。 |
私は別に、 「新しい慰霊施設を造って、靖国神社を潰そう」 とも、 「新しい慰霊施設を造って、告天子さん達一般人に参拝を強制しよう」 とも言っているわけではないです。 私が言いたいのは、 「靖国神社ではない、公人が政教分離の問題なく慰霊できる施設が必要だ」 ということであり、 「公人が公人として慰霊できるための施設を造るべきだ」 という事です。 ご理解、お願いします。 >それ即ち宗教行為の何者でもないですよね 例え宗教行為だとしても、 「政治的主張を含んだ宗教行為」か「政治的主張を含まない宗教行為」か それをお考え下さい。 靖国神社は先の大戦について「必要な事だった」との主張をしています。 その議論の是非は別として、いえ、そのような国家の姿勢に関わる問題があるからこそ、政治的な主張をしない(主張をゆるされない)施設が必要だと思います。 |
▼あくまの査問官さん: >私は別に、 >「新しい慰霊施設を造って、靖国神社を潰そう」 >とも、 >「新しい慰霊施設を造って、告天子さん達一般人に参拝を強制しよう」 >とも言っているわけではないです。 それは、分かります。しかし、首相の参拝は、させない、ということになるでしょう。首相の参拝は、してはならぬ、ということで新施設を作るという筋ではないのでしょうか。そして、そうなった場合の新施設というのは、果たして、慰霊の場所なんですか、それとも「政治のために作った場所」なんですか。新しく慰霊の場所を作って、首相はそこで拝みます、というのでは、靖国神社の慰霊の場としての働きに、著しく妨害的だと思います。また、新しく作ったその場所でも、慰霊としての宗教的意味は、一体どういう形式で持たせるのでしょう。何か、モニュメントでも作ってそれに頭を下げれば、みたいなカタチだけで、どうして本当の慰霊になり得ますか。 政治が優先して、しかも、外国への配慮と言うことが優先して・・・否、配慮と言うより、「抗議・圧力を受けて」、新しく作る「慰霊の場」というのは、単なる場であるに過ぎず、「慰霊の意味」など持たせようもありません。 > >私が言いたいのは、 >「靖国神社ではない、公人が政教分離の問題なく慰霊できる施設が必要だ」 >ということであり、 >「公人が公人として慰霊できるための施設を造るべきだ」 >という事です。 >ご理解、お願いします。 慰霊の場なら、政教分離はあり得ないでしょう、霊なんて、宗教的なものでしかあり得ないじゃないですか。だから、「靖国神社でない」場を設けても、政教分離になどなり得ません、それが慰霊である限りは。 そして、公人が公人として慰霊できる、ことに非を唱えている中国の主張は、内政干渉であり、またその筋にしても、自らの政治利害に基づいて日本の信仰に対して制約を加えてくる性格を持つものですから、むしろ日本の公人ならば、決して受け入れることの出来ない主張であるはずです。その筋は、上の投稿に説明しました。 >靖国神社は先の大戦について「必要な事だった」との主張をしています。 >その議論の是非は別として、いえ、そのような国家の姿勢に関わる問題があるからこそ、政治的な主張をしない(主張をゆるされない)施設が必要だと思います。 靖国神社が政治的主張をするのを許さないとするのであれば、遺族会と政治家の結びつきも否定されねばならず、つまり、国民と政治との関係に対してかなりの程度、破壊的に作用する主張かと思われます。 神社にしても、仏教各派にしても、政治主張はしますし、先の大戦の位置づけにしても、それぞれ自由にするでしょう。それを「主張は政治主張になるから許さない」というのは、それ自体が、全体主義的な性格を持つと思います。 |
>新しく慰霊の場所を作って、首相はそこで拝みます、というのでは、靖国神社の慰霊の場としての働きに、著しく妨害的だと思います。 宗教とは無数の個人が集まって維持されるものです。 政治によって維持される存在ではありません。 公人たる首相が公人として拝まなくなる事が妨害的となるのなら、「首相が靖国神社に拝み続ける事は何かしらの意味を持っている」という事になりませんか。 その意味こそが「政教分離」の問題に繋がるのではないでしょうか? >「抗議・圧力を受けて」 これは、抗議があるから、抗議に屈した形になるのが駄目だからという理由でしょうか? 抗議がないのなら、新しく慰霊の場を作っても良いとの意味でしょうか? 例えば、中国が 「日本は憲法を改正して9条を撤廃すべきだ」 と『強硬な圧力』をかければ、日本は永遠に憲法改正できないのでしょうか? (私は改正に反対ですけど) そうではないでしょう。 >遺族会と政治家 私は遺族会を潰せと言っているわけではありません。 「首相は靖国神社に参拝するべきだ」という意見への反論をしているのだと理解をお願いします。 どちらの意見が正しいのかは、それぞれの人が判断することでしょう。 >「主張は政治主張になるから許さない」 「政治主張そのものだから許されない」です。 靖国神社の主張は、「先の大戦において日本に正義があった」というもので、戦後の条約などと抵触するものです。その問題が正しいか間違っているかは別としても完全に政治の側の問題です。 ならば、その様な主張は政治団体として行うべきで、宗教として行うべきものではないと思います。 |
▼あくまの査問官さん: >宗教とは無数の個人が集まって維持されるものです。 >政治によって維持される存在ではありません。 それなら、新施設の方が余程「政治により維持される宗教」ではないのですか。 >公人たる首相が公人として拝まなくなる事が妨害的となるのなら、「首相が靖国神社に拝み続ける事は何かしらの意味を持っている」という事になりませんか。 >その意味こそが「政教分離」の問題に繋がるのではないでしょうか? 新施設を作る、というのは、「首相には靖国参拝はさせない」、ということで作るわけでしょう。それが、政治の立場による、宗教に対する介入だということです。靖国神社で首相は拝んではならぬ、というのは、宗教に対して政治の立場から制限を掛けるものであり、新施設の建設目的にはそれが入っているのではありませんか。 参拝に賛成かどうかは、政教分離の問題ではなく、政治問題です。その政治問題を決着させるために、「国の金でもって」慰霊のための新施設を作るのだ、というのですから、逆にこれこそ「政治による宗教の自由に対する制約」を、国の金ですることにほかなりません。首相が参拝しようがしまいが、また、反対をすることにしても自由ですが、国の金で「靖国に参拝させないがための施設を作る」ことは、それ自体、宗教的な行為でもあり、また、靖国信仰に対する妨害でもあります。 首相が参拝をすることに意味があるのは当たり前で、新施設で礼拝しようが、そこに宗教的な意味があることには何の変わりもありません。そういう礼拝や参拝を「一切するな」というのならば、筋として理解しますが、そうではないのなら、政治の立場からする宗教への抑圧です。 >これは、抗議があるから、抗議に屈した形になるのが駄目だからという理由でしょうか? >抗議がないのなら、新しく慰霊の場を作っても良いとの意味でしょうか? 抗議自体が不当なものであり、日本人の信教の自由に対する抑圧だからです。抗議がない場合であっても、新しい慰霊の場を公金でもって作ること自体が、「靖国に祀られている戦没者」への信仰を害する行為ですので、国がそういう行為を公金ですべきではありません、という意味です。 作ってもよい、とか悪い、という質問は、私の先の書き込みからすると意図を図りかねますが、「いくらでも作ることが出来る」だろうが、それは国が信仰の形を規定するが如き行為ではないのか、ということです。何故なら、礼拝とか、慰霊ということから宗教性は抜ききれないし、「無宗教の礼拝施設」ということ自体が矛盾だ、という諸氏の問いかけにこそ、まず悪魔の審問官さんは答えられるべきかと思います。 もし新施設にも「宗教性」が「全然ない」のではないのであれば、それは、国がする「宗教の規定」であり、また、実質それにより首相の靖国参拝を妨げることですから、宗教への介入になります。こういうのが、「政教分離」に対する違反なのです。首相の靖国参拝は、任意ですので、これは政教分離には違反しない行為です。 |
▼あくまの査問官さん: >例えば、中国が(略) まず架空の質問を弄ぶことは、すべきではないと思いますが、中国がそのようなことを強硬に主張するなら、それは内政干渉です。そういう意見を言うのは勝手ですが、それで政治的に圧力など掛けてくるなら、靖国問題と同じく、内政干渉として退けるべきものでしょう。 悪魔の審問官さんは、内政干渉の問題と、「どのような内政干渉をするか」というその相手の主張内ようとを混同されていると思います。相手方の干渉内容に、こちらが賛成かどうかは、何の関係もありません。内政干渉自体が、退けられるものであり、内容は関係ないでしょう。 >>遺族会と政治家 > >私は遺族会を潰せと言っているわけではありません。 >「首相は靖国神社に参拝するべきだ」という意見への反論をしているのだと理解をお願いします。 >どちらの意見が正しいのかは、それぞれの人が判断することでしょう。 参拝すべきだ、とは思いますが、参拝すべきでない、と言う人もいるのは当然、そうでしょう。ただし、両者の意見が、全く内容的に均質に尊重されるべきだとは思いませんが。なので私はその結果に至る筋に対して、あれこれ書いているだけで、悪魔の審問官さんが「遺族会を潰せといっている」などと私は書いていません。しかし、あなたの意見を延長していけば、遺族会と政治家とのつながりに対しても破壊的に作用せざるを得なくなるのではないか、どうなのか、と疑問を呈しているのであり、「それぞれの人が判断すること」というのは、元の疑義に対する答えになっていません。 >>「主張は政治主張になるから許さない」 > >「政治主張そのものだから許されない」です。 >靖国神社の主張は、「先の大戦において日本に正義があった」というもので、戦後の条約などと抵触するものです。その問題が正しいか間違っているかは別としても完全に政治の側の問題です。 >ならば、その様な主張は政治団体として行うべきで、宗教として行うべきものではないと思います。 ちょっと、元発言をカットされているので分かりにくくなっていますが、私は「靖国神社の主張は、政治的主張である」といっていますよ?。だから、政治主張をしてはいけないのか、と尋ねているのです。それに、他の宗教諸勢力にしても、政治主張はしていますよ。 それを正しいか、間違っているかを考えるのは、思想の自由に任せるべきことであり、宗教団体が政治主張をすべきではない、というのは思想の自由に対する大変な侵害である、と私は言っているのです。 |
▼あくまの査問官さん: >>「主張は政治主張になるから許さない」 > >「政治主張そのものだから許されない」です。 >靖国神社の主張は、「先の大戦において日本に正義があった」というもので、戦後の条約などと抵触するものです。その問題が正しいか間違っているかは別としても完全に政治の側の問題です。 日本に正義があった、とすることが、戦後の条約・・・というよりも、むしろ「東京裁判」の判事側の認識と抵触する、と言った方がより正確かと思いますが、 「先の大戦に於いて日本に正義があった」と、考えたり表現したりすることが、許されないことだ、と言うのでしょうか。 そうしたことを、宗教関係者が発言したり表現したりすることが、「政治と関係がある」といえば、全くその通りです。それが何か、「禁じられたこと」であり、「考えてはならぬこと」なのでしょうか。 そういう、考えることの自由が、中国の抗議により非常な制約を受けることが、問題であろう、内政干渉ではないのか、と申しているわけです。 中国という国の政治闘争の激しさ、非寛容というのは、共産党の政争であるとか、あるいは、台湾との論争を見れば分かるように、「決して相手を許さない」ということで、また、それこそ何十年も追及する苛酷なものです。 こういう政治闘争というのは、欧米諸国などとはかなり異質な性格を持つものではないでしょうか、そして、日本がそういう「政治闘争」の傘の中に組み込まれ、否応なしに中国側の政治判断を呑むことを要求される、それが「靖国に止まるという保証は、何もない」のだ、ということをまず私は恐れます。 あくまの審問官さんのご意見は、まず、「政治の発言だから」否である、ということがまず疑問ですし、日本が中国の政治思想判断に対してその傘下に入ることの問題を問題として捉えていないと思われることが、疑問です。 一党独裁の国の政治思想から来る要求を、受け入れるということ自体が、日本の政治・思想の自由を危うくするのであり、その象徴が、靖国参拝への中韓の抗議に現れていると思います。 これは重要なことなので、別に書きました。 |
〉「政治による宗教の自由に対する制約」 ここの「自由」とは誰の自由でしょうか? 私の意見は、公人たる首相の参拝を制限するべきというものです。 靖国神社の純粋な宗教行為に大しては、それを制限する意図はありません。 もちろん、私人である方が自己の価値観によって靖国神社への参拝をするのを制限するべきだとも主張していません。 「靖国に祀られている戦没者」への信仰を持つ事も。 宗教とは権力によって支えられるものではなく、民衆の信仰心によって維持されるものです。 「政治による制約」との考えは、それが「政治の範囲のみへの制約」である限り妥当であると思います。 キリスト教の故事にも、 「神のものは神に、カエザル(皇帝)のものはカエザルのものに」 との明確に区別する言葉もあります。 〉「無宗教の礼拝施設」ということ自体が矛盾だ では、公人が先の戦争について政治的発言をしている靖国神社に参拝する事は問題ではないのでしょうか? 私の言う「無宗教の礼拝施設」というのはその問題を解決する為の1つの案であり、それ以上のアイデアがあるのならそれを採れば 良いと思っています。 私は現時点の日本では「無宗教という矛盾」より「政教分離の問題」の方が重いと思っています。 完全な無宗教の施設を造ることは難しいでしょう。 しかしだからと言って1つの宗教を偏重し、政教分離の問題を無視して良いとは思いません。 〉内政干渉の問題 「内政」とは「国内の政治」という意味です。 ならば、告天子さんも首相の靖国神社参拝は明確な「政治行為」とみなしていると思います。 先の大戦では、威勢の良い積極論ばかりが歓迎され、慎重論は左遷等の怖れあるが為に言うに言えない状況でした。 そのため、軍は適切な行動・命令ができず、多くの死者がでました。 今、中国の存在があるからと怖れ、問題を不問にする事はそれと同じではないでしょうか? この状況を先の戦争で適切な命令がされていれば、または不適切な命令がなければ、死ななくて済んだはずの兵士達が現状を見ればどう思うでしょうか? 靖国神社のみにとどまらず他の政治思想判断に介入する危険性があるとの事ですが、その時は毅然として対処すれば良いと思います。 また、公人の靖国参拝への反対は一党独裁の国の政治思想から来るものだけではなく、日本内部からも発せられている(実際に裁判を起こしている方々もいる)事も考慮をお願いします。 それと、最後にお願いです。 私のネーム「あくまの審問官」ですが、「あくま」の所は平仮名でお願いします。 意味は特にありませんけど。 |
▼あくまの査問官さん: >〉「政治による宗教の自由に対する制約」 > >ここの「自由」とは誰の自由でしょうか? 「誰の」、という自由の主体を言うのであれば、「いかなる信仰内容であるか」の自由、ということです。何を拝み、何を信ずるかの自由、に対して、国家が制限を設けるべきではない、という意味で書きました。 >私の意見は、公人たる首相の参拝を制限するべきというものです。 これは、首相の参拝には「反対だ」というのとは、質的に異なるレベルの意見です。「制限せよ」というのですから、宗教に対する統制でしょう。そして、それを、公費を用いて、「参拝を回避させるための」新施設を作ることで実現しようというのですから、国の力を持ってしてする信教自由に対する統制ではないか、というのが私の意見の筋です。 首相が参拝するもせぬも、また、それに対して私人の私たちが賛成するもしないも、自由であり、任意です。それに対して「国が制限を掛ける」ようなら、これはむしろ信教の自由に対する統制でしょう。 >キリスト教の故事にも、 >「神のものは神に、カエザル(皇帝)のものはカエザルのものに」 >との明確に区別する言葉もあります。 それはキリスト教の神観念であり、日本人がそれを強制される筋合いはありません。それこそ、宗教観の対立を政治に持ち込む話です。「外国の宗教ではこういっている」ということを、国内政治に持ち込まれるのは、迷惑な話です。日本の宗教信仰の形を全く無視して、尊重せず、自己の宗教信条を押しつけようとすることになります。その人が守る分には自由ですが、人にまで信条を強要するのはおかしいです。 >〉「無宗教の礼拝施設」ということ自体が矛盾だ > >では、公人が先の戦争について政治的発言をしている靖国神社に参拝する事は問題ではないのでしょうか? 問題ではありません。靖国神社の人がそう考えることは自由であり、任意です。政教分離上も、首相の参拝は問題がないと考えます。だから、それが問題ならば、新施設を作るというのではなく、「一切の参拝を禁止」でなければ、筋が通らないでしょう、と申しているのです。 >私は現時点の日本では「無宗教という矛盾」より「政教分離の問題」の方が重いと思っています。 >完全な無宗教の施設を造ることは難しいでしょう。 >しかしだからと言って1つの宗教を偏重し、政教分離の問題を無視して良いとは思いません。 率直に言って、諸氏の質問に答えた内容とは思えません。 >〉内政干渉の問題 > >「内政」とは「国内の政治」という意味です。 >ならば、告天子さんも首相の靖国神社参拝は明確な「政治行為」とみなしていると思います。 政治問題だと思います。法の問題からすれば、なんの問題もない行為だと思います。 >また、公人の靖国参拝への反対は一党独裁の国の政治思想から来るものだけではなく、日本内部からも発せられている(実際に裁判を起こしている方々もいる)事も考慮をお願いします。 これは、司法を政治の場と混同して用いられている部分が、判決を出す側にもあったりして、これ自体が憲法体制に係わる大問題だと考えます。司法があたかも立法府のような機能を果たすとしたら、三権分立の制度を破壊する「司法独裁」の危険が批判されねばならないと思います。 >それと、最後にお願いです。 >私のネーム「あくまの審問官」ですが、「あくま」の所は平仮名でお願いします。 >意味は特にありませんけど。 了解しました。間違えて、大変失礼したと思っております。 |
さて、別スレッドで、靖国の話題から、「南京大虐殺」に移っているようですが、それほどあったかなかったかの南京大虐殺をも「あった」と責めるのであれば、どうして中国側のした陵辱や略奪、虐殺、こうしたことは責めないのでしょう?。 中国側では、反日運動家を「抗日の英雄」として、讃えているではありませんか。 要するに、勝った側は何をしてもよいということなのでしょうか。そして、負けた側のことは未来永劫許さないぞ、ということであれば、こうした意見は著しく不公平なもので、戦勝国の罪をあたかもなかったかの如くするものであり、道義上、許されないことです。 靖国神社に対して参拝反対を言い立てるならば、中国側の「抗日英雄」といった愛国主義の言論に対して、断固反対すべきでしょう。 それはしないというのは、何故でしょうか。 |
要するに、勝った者は無罪であり、問うこと自体が許されない、ということでしょうか。 極めて暴力的で、「戦争」愛好的な考えだと思います。勝者の言い分におもねり、その尻馬に乗って敗者のことは叩くというのであれば、人間道徳というのではなくて、「政治的処世」ではないかと思います。 そうした姿勢を「恐ろしい」ということ自体が、ここでは許されない、秩序を乱す行為なのだというようなことなら、そこに潜む全体主義性というのは、決して「老人に優しい社会」など生まないでしょう。 ある種の考え方をする者をしか、許さない、そういう「政治社会」が全体を覆うだけのことであり、中国という一党独裁の思想上の支配下に「入るのか、どうか、それに協力するのか、しないのか」ということなら、私はしません。靖国神社も、そうした思想の統制下に入れるべきではありません。 |
▼告天子さん(53928): Ray@スタッフです。 この書き込みは、 > そうした姿勢を「恐ろしい」ということ自体が、ここでは許されない、秩序を乱す行為なのだというようなことなら、そこに潜む全体主義性というのは、決して「老人に優しい社会」など生まないでしょう。 等の部分が掲示板のルール(投稿内容、転載、引用その他/ 字種、文字数の制限)のうち ・掲示板を混乱させる恐れのある投稿(誹謗中傷、揶揄) に抵触する可能性の高いものですので警告いたします。 #ルールの詳細は「掲示板のルール」をご参照ください# 同様の書き込みが繰り返される場合には 掲示板のルールを遵守する意志のないものとして 削除・書き込み制限措置の対象と見なします。 なお、この件に関して総合掲示板に書かれたご意見には 原則としてレスいたしませんのであらかじめご了承ください。 よろしくお願いいたします。 |
>>「政治による宗教の自由に対する制約」 >>ここの「自由」とは誰の自由でしょうか? >「誰の」、という自由の主体を言うのであれば、「いかなる信仰内容であるか」の自由、ということ これをまとめると、「政治による『宗教のいかなる信仰内容であるかの自由』に対する制約」となると思います。 ならば首相の靖国参拝に反対する事は妥当だと思います。 制限するのは宗教の信仰内容ではなく公人の行為なのですから。 靖国神社が「公人の参拝を求める」と言うのなら、それは政治の領域に踏み込んでいるのであって「信仰内容」の範囲外だと思います。 (先の戦争についての靖国神社の発言について) >靖国神社の人がそう考えることは自由であり、任意です。 それはそうでしょう。 しかしその靖国神社に首相があえて参拝するということは、首相が靖国神社の考え方を支持し後押しをしている事になりませんか? 一国を代表する政治家としては慎重な行動を求めたいのです。 (「内政干渉」の問題について) >政治問題だと思います。法の問題からすれば、なんの問題もない行為だと思います。 「政教分離」とは、政治と宗教を混同しない、というルールだと思います。 特定の宗教行為が政治問題となるのは、政治と宗教が混同しているからではないでしょうか? それになんの問題もないとするのはおかしいと思います。 >司法を政治の場と混同して用いられている このこと自体に対しても異議はありますが、私は「公人の靖国参拝への反対は一党独裁の国の政治思想から来るものでない」との説明で裁判(司法)の話を出しました。 靖国参拝への反対は一党独裁の国の政治思想から来るだけのものか、それ以外の人々は誰も反対していないのか? それに対する答えをお願いします。 |
▼あくまの査問官さん: >これをまとめると、「政治による『宗教のいかなる信仰内容であるかの自由』に対する制約」となると思います。 > >ならば首相の靖国参拝に反対する事は妥当だと思います。 反対することが許されない、とは私は書いておりません。反対意見を持つことはご自由です、私はその意見内容は不当だと思いますが。 あくまの審問官さんは、「首相参拝に反対することは妥当だ」と仰るのですから、賛成することは不当だ、というお考えのようですね。その辺り、どうなのでしょう。 自分が不当だと考える意見を、公金を使って永久に封じる、ようなことがあってはならない、というのが私の意見の筋です。筋の通らない考えなら、なおさらです。 >制限するのは宗教の信仰内容ではなく公人の行為なのですから。 >靖国神社が「公人の参拝を求める」と言うのなら、それは政治の領域に踏み込んでいるのであって「信仰内容」の範囲外だと思います。 それは違います。参拝するもしないも、首相の自由裁量に属することであり、参拝に反対の人が首相になれば、参拝しないもその人の自由でしょう。 しかし、新施設を作って、靖国参拝の道を封じるが如き行為は、これは、思想信仰の自由に対して統制を掛けるものであります。参拝する自由を、決定的に封じてしまえ、ということでしょう。違うのでしょうか?。 日本国の代表である首相が、参拝して当然である、というのは、これは一定の政治的宗教的信念として認められるべきです。そういう信念を持ったり、それに基づいて行動したりすること自体が「許されないのだ」とする意見は、何ら強制力を持つものではありません。 >しかしその靖国神社に首相があえて参拝するということは、首相が靖国神社の考え方を支持し後押しをしている事になりませんか? 支持し、後押しをしているのだと、首相が言っていますか?。言ったとしても問題ないと思いますが、言ってはいけないことなのですか?。 >一国を代表する政治家としては慎重な行動を求めたいのです。 慎重な行動を求める、ということと、「新施設を作って、参拝の道を完全に封じよう」する行為や意見との間には、大分開きがありますね。 あくまの審問官さんの意見は、「慎重な行動を求める」という領域を既に踏み外しており、「首相には参拝させない」というものになっていると思いますが。 >「政教分離」とは、政治と宗教を混同しない、というルールだと思います。 これ、完全な分離は出来ないだろう、ということは既にお認めだったと思います。また、「混同」ということではなく、政治の立場から宗教を強要・強制する、ということでしょう。「混同するな」というのであれば、それは不可能です。 >特定の宗教行為が政治問題となるのは、政治と宗教が混同しているからではないでしょうか? >それになんの問題もないとするのはおかしいと思います。 ですから、完全に分離することなど不可能だと、先にあくまの審問官さんご自身が仰っていると思います。 >>司法を政治の場と混同して用いられている > >このこと自体に対しても異議はありますが、私は「公人の靖国参拝への反対は一党独裁の国の政治思想から来るものでない」との説明で裁判(司法)の話を出しました。 そうですね。両者は別の問題です。一党独裁の中国の政治主張の統制下に、日本が置かれるべきではありませんし、また、司法が政治の場として利用されることも、国家的損失です。 >靖国参拝への反対は一党独裁の国の政治思想から来るだけのものか、それ以外の人々は誰も反対していないのか? >それに対する答えをお願いします。 反対といっても、尊重されるべき反対と、退けられるべき反対との違いは区別されるべきでしょう。 一党独裁の国の主張と、類似する主張を展開されていることに対して、ご疑問は持たれないのでしょうか?。 あくまの審問官さんのご主張は、数ある「参拝に反対」の意見のうちの一つかと思いますが、今まで述べてきたように、その主張に必然性を見出すことが出来ません。 さて、「反対している人」はいるとは思いますが、「それに従わなければならない」理由はないです。まして中国の主張は、内政干渉ですから、一切受け入れるべきではありませんし、主張にも筋が通っていません。 |
では、私からお尋ねしますが、 思うに、靖国神社が、特定の政治的信念を持っていたとしても、それは何ら問題ではありません。靖国神社への首相公式参拝に、あくまの審問官さんが反対されるのは、自由です。 1 しかし、他人がそれに従わなければならない理由はありませんし、「何故、参拝してはならぬのか」、説得力のある理由をお示しください。 「参拝には、反対だ」ではなく、「参拝してはならぬ」ことの、理由をです。 2 また、参拝の道を永久に封ずるであろう、無宗教の新施設の建設、これが「宗教的性格を持たない」のか、その矛盾へのお答えも、まだだったと思います。 3 中国の、首相参拝に対する政治圧力は、内政干渉ではないのですか。いかが考えられますか。 よろしくお願いします。 |
▼あくまの査問官さん:こんにちは。 >>新しく慰霊の場所を作って、首相はそこで拝みます、というのでは、靖国神社の慰霊の場としての働きに、著しく妨害的だと思います。 >宗教とは無数の個人が集まって維持されるものです。政治によって維持される存在ではありません。公人たる首相が公人として拝まなくなる事が妨害的となるのなら、「首相が靖国神社に拝み続ける事は何かしらの意味を持っている」という事になりませんか。 >その意味こそが「政教分離」の問題に繋がるのではないでしょうか? その通りと思います。 >>「抗議・圧力を受けて」 >これは、抗議があるから、抗議に屈した形になるのが駄目だからという理由でしょうか?抗議がないのなら、新しく慰霊の場を作っても良いとの意味でしょうか? >例えば、中国が「日本は憲法を改正して9条を撤廃すべきだ」と『強硬な圧力』をかければ、日本は永遠に憲法改正できないのでしょうか?(私は改正に反対ですけど)そうではないでしょう。 勿論、当然、そうではない、と思います。 >>遺族会と政治家 > >私は遺族会を潰せと言っているわけではありません。「首相は靖国神社に参拝するべきだ」という意見への反論をしているのだと理解をお願いします。どちらの意見が正しいのかは、それぞれの人が判断することでしょう。 その通りです、と思います。 >>「主張は政治主張になるから許さない」 >「政治主張そのものだから許されない」です。靖国神社の主張は、「先の大戦において日本に正義があった」というもので、戦後の条約などと抵触するものです。その問題が正しいか間違っているかは別としても完全に政治の側の問題です。ならば、その様な主張は政治団体として行うべきで、宗教として行うべきものではないと思います。 全くその通りです。 「宗教」は、言えば、「死後の世界」を云々するべきであって、 「現世利益(げんせりやく)」に拘わるのは、「カルト」であって、「宗教」という崇高な?名に値しないものと思っております。 現代の「宗教」そして過去の宗教の大半が「現世利益」を否定しながら、「お布施(お金、現世利益)」を集めている「矛盾」に気付いていないのかと言う、謂わば「素朴な疑問」を持ち続けております。 「宗教者」さんが、若しこれを見ておらられれば、「確たる」お答えを頂きたいと思います。 「悪魔さん」には失礼をしました。 |
▼とうろうさん: 自己レスです。タイトルを変え、改めて、再掲いたします。 ご覧の「宗教者」さんのコメントを頂ければ誠に幸いです。 >▼あくまの査問官さん:こんにちは。 > >>>新しく慰霊の場所を作って、首相はそこで拝みます、というのでは、靖国神社の慰霊の場としての働きに、著しく妨害的だと思います。 > >>宗教とは無数の個人が集まって維持されるものです。政治によって維持される存在ではありません。公人たる首相が公人として拝まなくなる事が妨害的となるのなら、「首相が靖国神社に拝み続ける事は何かしらの意味を持っている」という事になりませんか。 > >>その意味こそが「政教分離」の問題に繋がるのではないでしょうか? > >その通りと思います。 > >>>「抗議・圧力を受けて」 > >>これは、抗議があるから、抗議に屈した形になるのが駄目だからという理由でしょうか?抗議がないのなら、新しく慰霊の場を作っても良いとの意味でしょうか? >>例えば、中国が「日本は憲法を改正して9条を撤廃すべきだ」と『強硬な圧力』をかければ、日本は永遠に憲法改正できないのでしょうか?(私は改正に反対ですけど)そうではないでしょう。 > >勿論、当然、そうではない、と思います。 > >>>遺族会と政治家 >> >>私は遺族会を潰せと言っているわけではありません。「首相は靖国神社に参拝するべきだ」という意見への反論をしているのだと理解をお願いします。どちらの意見が正しいのかは、それぞれの人が判断することでしょう。 > >その通りです、と思います。 > >>>「主張は政治主張になるから許さない」 > >>「政治主張そのものだから許されない」です。靖国神社の主張は、「先の大戦において日本に正義があった」というもので、戦後の条約などと抵触するものです。その問題が正しいか間違っているかは別としても完全に政治の側の問題です。ならば、その様な主張は政治団体として行うべきで、宗教として行うべきものではないと思います。 > >全くその通りです。 > >「宗教」は、言えば、「死後の世界」を云々するべきであって、 > >「現世利益(げんせりやく)」に拘わるのは、「カルト」であって、「宗教」という崇高な?名に値しないものと思っております。 > >現代の「宗教」そして過去の宗教の大半が「現世利益」を否定しながら、「お布施(お金、現世利益)」を集めている「矛盾」に気付いていないのかと言う、謂わば「素朴な疑問」を持ち続けております。 > >「宗教者」さんが、若しこれを見ておらられれば、「確たる」お答えを頂きたいと思います。 > >「悪魔さん」には失礼をしました。 |
▼とうろうさん(53721・53723): Ray@スタッフです。 この書き込みは、 > 「宗教者」さんが、若しこれを見ておらられれば、「確たる」お答えを頂きたいと思います。 等の部分が掲示板のルール(投稿内容、転載、引用その他/ 字種、文字数の制限)のうち ・掲示板を混乱させる恐れのある投稿(伏せ字、隠語の使用、揶揄、煽り) に抵触する可能性の高いものですので警告いたします。 #ルールの詳細は「掲示板のルール」をご参照ください# 掲示板参加者のハンドルを勝手に改変することは、 相手に対して失礼であるだけでなく、どなたに対するご意見なのかが 曖昧になるため、掲示板を不要に混乱させる原因となるものです。 また、ほぼ同一の内容を繰り返し書き込むことは、 同じ内容を繰り返し読むことを他者に強要するものであるだけでなく、 ひとつのスレッドの書き込み総数が50件に制限されている現在、 ほかの方の発言の機会を奪う可能性があるものですのでお控えください。 もし、ご自身の書き込みの一部を修正したいということであれば、 最初に書き込む際にパスワード欄に任意の半角英数字4-8文字を 入れておいていただければ、レスがつかないうちであれば ご自身で削除することができますので、どうぞご利用ください (一度削除し、修正したものを改めてご投稿ください)。 このほか、書き込む際に「送信」ボタンの右側にある 「プレビュー」(小さな四角)をクリックしておけば、 書き込まれたのと同じ形でご自身の書き込みを ご覧いただくことができます(この時点では 書き込み内容を自由に修正できます)ので、 この機能もご利用いただければと思います。 なお、この件に関して総合掲示板に書かれたご意見には 原則としてレスいたしませんのであらかじめご了承ください。 よろしくお願いいたします。 |
▼惣左衛門さん(53562): Ray@スタッフです。 この書き込みは、本文全文が掲示板のルール(投稿内容、転載、引用その他/ 字種、文字数の制限)のうち ・掲示板を混乱させる恐れのある投稿(揶揄、煽り) ・侮蔑的表現 に抵触する可能性の高いものですので警告いたします。 #ルールの詳細は「掲示板のルール」をご参照ください# 同様の書き込みが繰り返される場合には 掲示板のルールを遵守する意志のないものとして 削除・書き込み制限措置の対象と見なします。 なお、この件に関して総合掲示板に書かれたご意見には 原則としてレスいたしませんのであらかじめご了承ください。 よろしくお願いいたします。 |
全ての宗教を包含するもの、それが日本では神道ではないのですか。神社はどんな宗教の人でも、参拝できるようです。 |
▼風鈴カザンさん: >よって「宗教色の無い純粋の慰霊施設」なるものの建設は意味を成さないと存じます。 霊という以上は宗教と無関係ではあり得ないと思います。 したがって、「宗教色の無い」慰霊は理解し難い概念か、 意味をなさない筈です。 問題は小泉純一郎なる人物の、婉曲に言えば、言葉の軽さ、 直裁に言えば、出鱈目な言葉、あるいは、その場限りの誤魔化しを 言う性格を考慮すると何を言っているのか分からん、これが実際です。 最近は、「罪を憎んで、人を憎まず」などと口走るかと思えば、 「A級戦争犯罪人を慰霊しているのではない」とか、次々と矛盾 撞着した言葉を連発していますから、一夜明ければ何を言い出す やら。 たしか、以前は慰霊ではなく、哀悼の意を云々・・、そんな言い 方ではなかったでしょうか。哀悼は生者が死者を悼むと言うことで すから、宗教とも霊とも関係ありません。したがって、「宗教色の 無い純粋の慰霊施設」は、慰霊を哀悼とすれば正しい表現です。 そんな事より、拉致問題をどこへやってしまったのか、押せど 叩けど知らん振り。これは困ります。 |
▼牛歩さん: >総理は堂々と何度も中国。韓国出向いて説明した方が良いと思います。 >それが出来なければ参拝しない方が良いと思います。 本人でもなし、司でもないオレにはよく判らないけど、ひょっとすると 充分に説明責任を果たしていないのかもね。此処は徹底的問答有用だ。 然るのち、堂々と参拝する。尤も、説明されなくとも判ってて、文句云 ってるのなら、無礼というか迚も赦せないね。 |
▼牛歩さん: >小泉総理の靖国参拝の理由を日本が二度と戦争してはいけないとの理由から >今度は戦犯に対し参拝している訳でない答弁になり一国の総理が述べる言葉 >でしょうか。 > >当初の二度と戦争してはいけない理由これも、おかしいです。子供に説明 >している訳ではないでしょう > >総理は堂々と何度も中国。韓国出向いて説明した方が良いと思います。 > >それが出来なければ参拝しない方が良いと思います。 総理の参拝理由の説明に変更があったとても、総理の参拝が中韓の政治的・宗教論的な納得を要するものでは「ない」には何の変わりもありません。中韓両国の、日本人の信仰生活への介入そのものがまず問題なのであり、彼らが納得の行くような説明をしなければ参拝は出来ない、というのであれば、それは日本が信仰の自由を中韓の政治的動向に従属するもの、その下位に当たるものとして位置づけることに他なりません。 むしろ、彼らが納得の行く説明をして、心おきなく参拝しよう、というような姿勢こそ、内政干渉をなし崩し的に認めている立場ですので、私は反対です。まずもって、内政干渉であり、日本の国会議員が中韓の政治発言から来る信教への介入に迎合するのは、国会議員としておかしいだろうと考えます。日本人の信仰の自由を害するからです。中韓の、日本宗教への政治介入を既成事実化させることに協力すべきではありません。 |
宗教を「正しい心のあり方」、「生き方」を教えるものとするならば、無宗教も一つの宗教かも知れませんね。私は無信仰なものですから、ある人から「それだって立派な宗教だよ」と言われ返す言葉が見つかりませんでした。 スレッドから外れて申し訳ありません。 |
▼キタキツネさん: >宗教を「正しい心のあり方」、「生き方」を教えるものとするならば、無宗教も一つの宗教かも知れませんね。私は無信仰なものですから、ある人から「それだって立派な宗教だよ」と言われ返す言葉が見つかりませんでした。 > >スレッドから外れて申し訳ありません。 これは私も似た意見ですね。「ニュートラルな宗教」、というのも、これもまた一つの宗派宗教で、しかし、架空の宗派であると思います。無信仰、というのも、宗教0番としてカウントされるものだろうし、諸宗教との相性の良し悪しも、自ずとあるでしょうね。 中国の靖国問題の場合、政治(あるいは世俗)の論理で宗教・信仰を圧伏することを許容するか、どうなのか、という問題かと思います。その政治認識が正しいとか間違っているとかとは、別の問題であり、宗教、信仰、文化問題を政治問題化させることについてどう考えるか、すべてを政治の俎上に乗せることが好ましいことなのか、という話かと思います。 政治的に納得するなら参拝を許す、宗教を政治が試す、という「全てを政治の元に一元化する」全体主義の問題だと思いますね、これは。 政治による、信仰の審判を、許容するのか、ということであって、いや、無宗教形式の(信仰とは関係のない)慰霊形式にすれば、というのは、「政治的宗教の立場」からするところの全体主義ですよ。「無宗教の立場だから、問題ない」というのは実は逆で、これは政治の立場からの、「宗教を、政治宗教一色に塗りつぶす行為」です。 その主催者が、中国や韓国であって、政治の司祭たちの納得を得て初めて参拝が許されるのだ、という図式になるのかと思いますね。 |
以前書きましたが、中国も韓国も靖国問題に関する文句は、小泉首相ひとりにぶつけてほしいと思います。一般の日本国民に反日という形でぶつけないでほしいと願います。 先日の中国のゴギ?副首相のドタキャン騒動が中国国内でどう伝えられたのか興味があります。中国政府も靖国問題を騒げば騒ぐほど、反政府運動という形で跳ね返ってくるかもしれないから、対応には神経を使うことでしょう。 靖国問題でもめて、中国共産党の一党支配がくずれることにつながれば、けがの功名ということになるかもしれません。 ところで、このあいだNHKのラジオのニュースでちょっと聞いたんですが、「中国の胡錦涛氏(あるいは温家宝氏)は、一度首相の靖国参拝を容認する姿勢を示したことがある。しかしその後、中国国内からの突き上げで参拝を認めない姿勢に転じた」と。こんなことってありましたかね? 私もぼんやり聞いていたので、勘違いかもしれません。ネットでも調べてみましたが、よくわかりませんでした。 本当だとすれば、首相が強気に出る要因の一つと思われますが。 ちなみに私はA級戦犯が合祀されているので、参拝すべきではないと思っています。靖国問題も食傷気味です。 |
なんでだろうか? このくには、おくにのためにたたかってなくなった へいたいさんはうやまうのに、おくにのために たたかって、いきのびて、ふっこうとはんえいに おおきくこうけんした、「もとへいたいさん」には、 ひどいしうちをするんだね。 こいずみそうりには そのりゆうをはなしてほしいなあ。 |
▼三吉さん: >なんでだろうか? >このくには、おくにのためにたたかってなくなった >へいたいさんはうやまうのに、おくにのために >たたかって、いきのびて、ふっこうとはんえいに >おおきくこうけんした、「もとへいたいさん」には、 >ひどいしうちをするんだね。 こいずみそうりには >そのりゆうをはなしてほしいなあ。 おっしゃるとおりです。 わたしのじいさんは、にっしん、にちろのせんそうにいき、 ほねかわすじえもんでかえってきたそうです。 かえってもしごとさがしにたいへんくろうしたようです。 わたしのちちはさんじゅうをすぎてにっちゅうせんそうに、かりだされ、 とっこうたいいんのようにわかくなかったから、だいほんえいのうそがわかり、 まけるとしっていたのに、きかんじゅうをうちまくってきたといいます。 やはりほねかわすじえもんでかえってきたのです。 さいしゅうしょくにもくろうしたのです。 もうなくなってじゅうなんねんがすぎます。 わたしのじいさんやとうさんは、きょうりのやますそのはかにねむっています。 そのはかのならびには、りくぐんほへいだれだれせんしというはかが、 いっぱいならんでいます。 そのむらのひとはせんししたひとのたましいは、 やまのみどりにかこまれたはかのなかでねむっているとおもっているのです。 とかいそだちのこいずみそうりにはわからないでしょう。 やすくにじんじゃばかりにたましいをあつめないでください。 |
▼安本単三さん: >▼三吉さん: 何故平仮名だけで書くのですか?。 |
この書き込みは管理人によって削除されました。(05/6/21(火) 10:58) |
▼ロッキー・ラクーンさん: >▼告天子さん:こんにちは。 > >>何故平仮名だけで書くのですか?。 > >1.漢字を忘れてしまった。 >2.現実逃避。 >3.単なる嫌がらせ。 > >私が思いつく理由は、そんなところです。 気にしない。気2しない。きにしない・・・。 ▼三吉さん: >なんでだろうか? >このくには、おくにのためにたたかってなくなった >へいたいさんはうやまうのに、おくにのために >たたかって、いきのびて、ふっこうとはんえいに >おおきくこうけんした、「もとへいたいさん」には、 >ひどいしうちをするんだね。 こいずみそうりには >そのりゆうをはなしてほしいなあ。 ▼安本単三さん: >おっしゃるとおりです。 >わたしのじいさんは、にっしん、にちろのせんそうにいき、 >ほねかわすじえもんでかえってきたそうです。 >かえってもしごとさがしにたいへんくろうしたようです。 >わたしのちちはさんじゅうをすぎてにっちゅうせんそうに、かりだされ、 >とっこうたいいんのようにわかくなかったから、だいほんえいのうそがわかり、 >まけるとしっていたのに、きかんじゅうをうちまくってきたといいます。 >やはりほねかわすじえもんでかえってきたのです。 >さいしゅうしょくにもくろうしたのです。 >もうなくなってじゅうなんねんがすぎます。 >わたしのじいさんやとうさんは、きょうりのやますそのはかにねむっています。 >そのはかのならびには、りくぐんほへいだれだれせんしというはかが、 >いっぱいならんでいます。 >そのむらのひとはせんししたひとのたましいは、 >やまのみどりにかこまれたはかのなかでねむっているとおもっているのです。 >とかいそだちのこいずみそうりにはわからないでしょう。 >やすくにじんじゃばかりにたましいをあつめないでください。 そして、やすくにいがいにしせつはふかのうと、のたまうやろうの、たいじんいがいにたましいがやすまることはありません。いっこくもはやくひきずりおろすことがせんけつです。しかるに、ぽすとこいずみとのおこえがたかいあべおぼっちゃまはつぎのそうりもつぎのつぎのそうりも、やすくににおまいりしろとほえてます。 このように、このくにはどこまでいってもええかげんなくににしたてあげられるのです。 にせい・さんせい・せしゅうぎいんがぎゅうじって、じぶんたちだけがいきながらえたらそれでよし。せんじんにちったいくたのたましいより、じぶんたちだけがいきながらえたらそれでいいのです。えいきゅうせんぱんがそうりだいじんになり、そのまたまごがそうりになり、せいじやのむすこがそうりになり、いつまでたってもこくみんはほねかわすじえもんでチョン。 いつまでたっても「せんきょ」でまけるのはほねかわすじえもんにしておけば「とうひょうしょ」へいくエネルギーもでません。それがきゃつらの「て」なんです。そこにきづかないせんきょみんがアホです・・・。 ♪♭ うたをわすれたカナリヤは・・・ ♪♭ |
▼ロッキー・ラクーンさん: >▼告天子さん:こんにちは。 > >>何故平仮名だけで書くのですか?。 > >1.漢字を忘れてしまった。 >2.現実逃避。 >3.単なる嫌がらせ。 > >私が思いつく理由は、そんなところです。 3だと思ったけど。それにしても平仮名は醜いですね。 |
>何故平仮名だけで書くのですか?。 皮肉を込めた表現、もしくは風刺。子供でも分かることが分からないのかというレトリック。まあ、簡単に言えばちょっとした遊び。私は、そう理解しました。 |
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Ray@スタッフです。 警告対象書き込みとその理由の一覧です。 ---- ●【53968】Re(4):考えてはならないのか 告天子 - 05/6/18(土) 12:51 - (警告:誹謗中傷、揶揄、煽り、侮蔑的表現) ●【53981】Re(3):なんでだろうか? ロッキー・ラクーン - 05/6/18(土) 15:44 - (警告:揶揄、煽り、侮蔑的表現) ●【53982】Re(3):なんでだろうか? ダミアン - 05/6/18(土) 16:09 - (警告:揶揄、煽り、侮蔑的表現) ●【53984】Re(4):なんでだろうか? 昔神童・今人道 - 05/6/18(土) 16:15 - (警告:揶揄、煽り、侮蔑的表現) ●【53985】Re(4):なんでだろうか? よんよんヨン様 - 05/6/18(土) 16:30 - (警告:揶揄、侮蔑的表現) ---- |
▼管理スタッフさん: >Ray@スタッフです。 > >警告対象書き込みとその理由の一覧です。 >---- >●【53968】Re(4):考えてはならないのか 告天子 - 05/6/18(土) 12:51 - >(警告:誹謗中傷、揶揄、煽り、侮蔑的表現) > >●【53981】Re(3):なんでだろうか? ロッキー・ラクーン - 05/6/18(土) 15:44 - >(警告:揶揄、煽り、侮蔑的表現) > >●【53982】Re(3):なんでだろうか? ダミアン - 05/6/18(土) 16:09 - >(警告:揶揄、煽り、侮蔑的表現) > >●【53984】Re(4):なんでだろうか? 昔神童・今人道 - 05/6/18(土) 16:15 - >(警告:揶揄、煽り、侮蔑的表現) > >●【53985】Re(4):なんでだろうか? よんよんヨン様 - 05/6/18(土) 16:30 - >(警告:揶揄、侮蔑的表現) > 言われた当の私本人が揶揄、煽り、侮蔑的表現などとぜーんぜーん考えておりません。いらぬ警告です。 |
管理人さん ひらがな表記は同音異義語を区別しにくいだけでなく、 読み手を馬鹿にしている印象を与える可能性もありますので、 だって、よくもそんなことが偉そうに言えるね。 |