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 ▼恨みは、個人の「胸の内」に納める時期では?  ワン太郎 05/6/28(火) 14:17

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 ■題名 : 恨みは、個人の「胸の内」に納める時期では?
 ■名前 : ワン太郎
 ■日付 : 05/6/28(火) 14:17
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   前スレッドがリミット一杯になりましたので、新しく立てさせていただきます。

▼役立たず隅の隠居さんへ(元記事は【54818】を参照ください)

>敗戦時私は13歳でした。軍国少年だったので大きくなったら兵隊になると頭から信じていた。
>自分が大人になることは考えなかった。

私は直接的に戦争を知る年代ではありません。
私は戦争指導者への反感より、進駐軍の米兵への「あこがれ」と「憎しみ」の矛盾した感情が強く残っています。
米兵のカッコよさ(背が高く、金持ちで・・・)、
米兵の暴虐(酔って暴れまわる米兵。強姦される女性、それを制止しようとして袋叩きにあっている日本人警官・・・)を間近に見る地域に住んでいました。

>庶民の恨みは50年や60年で消えない。

私も「記憶」は決して消えません。
米兵を警官と一緒になって制止しようとした 父親の顔半分が紫に腫上がっていたのを。
私も子供心に拳銃が欲しかった、そうすればあの米兵達を撃ち倒すことができたのだと。

>私も含めて日本人は馬鹿だと思う、あんな苦しい目をしながら政治には無関心で、
>いまのような国を次の世代に引き継ぐことになったのは、なんとも情けないことだ。

私はそうは思わない。
父親たちが、口角泡を飛ばして政治について議論しているのを覚えている。
(父親は市井の単なる「オヤジ」でした)
映画館で行われる政治講演会が満員で入りきれなくなっているのを見ています。

政治に無関心では決してなかった。
民衆の意識が政治に強く反映していた時代だと思う。
デモ隊が羽田でハガティ秘書官を襲撃し、アイゼンハワー大統領の訪日を岸首相に断念させたのは民衆の力であった。
一方、岸首相が日米安保締結を強行したのも、ソ連・中共の脅威から日本を守るための「当時における正しい選択」であったと思う。

民衆には「意思」があり、政治には「理念」が濃厚だったと思う。
(ただ、意思と理念の通りには事が進まない社会(世界)情勢と「日本の国力」であったと思う。)

そういった先輩のおかげで、私は戦争に駆り出されることも無く、
世界から羨ましがられるほどの安心・安全な社会で、豊かな生活に浸ることができたと思っています。
これもひとえに先輩たちの努力の結果だと感謝しています。

「後知恵(あとからクサシ)」なら、どうとでも云えます。
独裁者が日本を動かしていたわけではないのです。
為政者たちと民衆が「真剣に政治」と対面していた時代だったと思う。

それを「オオバカ」だと罵るのは勝手だが、
何でも自分の意に沿わないことは「人のせい」と押しやり、
「人をバカ呼ばわり」することで溜飲を下げるゲスな言動には
軽蔑の思いしか浮かんできません。

あえて「オオバカ」を探すとしたら、自分自身が候補に浮かんできます。
高度成長の風に乗り、猛烈に働くことを美徳と信じ、能力の高いものが報われるべきだと胸を張り、経済性と効率向上を第一優先とし、次世代の若者たちにおもねって放任した。
ここに至って最も反省すべきは 誰でもない「自分」であると。

いま、政治に「真剣に」向かい合った時、
「50年や60年」前の怨念を持ち出し、恨みをぶちまける、
その結果が引き起こす将来に、責任が取れるのかどうか、
子や孫の為になるのかどうか。


もう一度お考えになっていただきたいと思うのです。
恨みは、個人の「胸の内」に納め我慢する時期となった
のではありませんか?

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