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 ▼悲惨沖縄戦(記念日)に蛇足  しまったk2 05/6/24(金) 22:35
   ┣Re(1):悲惨沖縄戦(記念日)に蛇足  peace 05/6/24(金) 23:04
   ┃  ┗Re(2):悲惨沖縄戦(記念日)に蛇足  昭和 人 05/6/25(土) 19:43
   ┃     ┗Re(3):悲惨沖縄戦(記念日)に蛇足  ぎみゆら 05/6/26(日) 1:05
   ┃        ┣*一文訂正します。  ぎみゆら 05/6/26(日) 10:19
   ┃        ┣Re(4):沖縄を返せ琉球へ  昭和 人 05/6/26(日) 19:51
   ┃        ┃  ┣Re(5):沖縄を返せ琉球へ  k・satou 05/6/26(日) 21:24
   ┃        ┃  ┃  ┗Re(6):沖縄を返せ琉球へ  悠々 05/6/27(月) 8:34
   ┃        ┃  ┃     ┗Re(7):沖縄を返せ琉球へ  k.satou 05/6/27(月) 10:20
   ┃        ┃  ┃        ┗Re(8):沖縄を返せ琉球へ  昭和 人 05/6/27(月) 10:39
   ┃        ┃  ┃           ┗Re(9):沖縄を返せ琉球へ  k.satou 05/6/30(木) 10:59
   ┃        ┃  ┃              ┗Re(10):沖縄を返せ琉球へ  昭和 人 05/6/30(木) 13:25
   ┃        ┃  ┗Re(5):沖縄を返せ琉球へ  ぎみゆら 05/6/28(火) 22:18
   ┃        ┗Re(4):悲惨沖縄戦(記念日)に蛇足  安本単三 05/6/27(月) 14:03
   ┣Re(1):悲惨沖縄戦(記念日)に蛇足  石頭の息子 05/6/24(金) 23:35
   ┃  ┗Re(2):悲惨沖縄戦(記念日)に蛇足  ウミサチヒコ 05/6/24(金) 23:46
   ┃     ┗Re(3):悲惨沖縄戦(記念日)に蛇足  石頭の息子 05/6/24(金) 23:52
   ┣Re(1):悲惨沖縄戦に奇跡の無防備地域。  MNG 05/6/25(土) 0:03
   ┣前スレッド【54444】などへのお返事  ぎみゆら 05/6/25(土) 0:09
   ┣Re(1):悲惨沖縄戦捨て石、質草(犠牲)の歴史  昭和 人 05/6/25(土) 7:29
   ┃  ┣Re(2):悲惨沖縄戦捨て石、質草(犠牲)の歴史  パンドラ 05/6/25(土) 10:50
   ┃  ┃  ┗Re(3):悲惨沖縄戦捨て石、質草(犠牲)の歴史  昭和 人 05/6/25(土) 19:56
   ┃  ┗Re(2):悲惨沖縄戦捨て石、質草(犠牲)の歴史  JIMBOUF 05/6/26(日) 4:48
   ┃     ┣Re(3):悲惨沖縄戦捨て石、質草(犠牲)の歴史  昭和 人 05/6/26(日) 10:10
   ┃     ┗Re(3):悲惨沖縄戦捨て石、質草(犠牲)の歴史  秋明菊 05/6/27(月) 22:33
   ┗Re(1):悲惨沖縄戦(記念日)に蛇足  しまったk2 05/6/27(月) 21:01

 ───────────────────────────────────────
 ■題名 : 悲惨沖縄戦(記念日)に蛇足
 ■名前 : しまったk2
 ■日付 : 05/6/24(金) 22:35
 -------------------------------------------------------------------------
   スレッドがオーバーフローしたので、ここに、皆さんの立派な議論にチリを付け足します。昭和 人さんの発言を、きっかけに50の書き込みがありましたが、ちょっと気がかりです。例によって、どなたも机上の抽象論がお好きなようで、それは好き好きですが、たまに、糸満の平和祈念公園の風景でも語ってください。

何度か、沖縄に行っていますが、そこには今も、米軍占領が現実として感じられます。島の中央部の芝のきれいな平地を米軍とその家族が占領しています。沖縄の人々は、そのあまった土地に窮屈にくらしているように見えます。

勿論、いまは沖縄の人達は、非常にバイタリティの旺盛なところを見せています。宮里 藍ちゃんが、その一人の象徴でしょう。

沖縄は、江戸の時代から本土の都合で、外交的に政治的に振り回されてきました。
30年ほど前に、全国から集まった会合で、友人になった沖縄の方から、「沖縄は、本土と同じ日本です。」と、真剣に言われたとき、その意味がよく飲みこめなかったが、何度か訪れているうちに、よく解るようになりました。

そして、沖縄戦で戦死した兵隊が4万人いるが、そのうちの1万人が極寒の北海道で訓練した北海道部隊であったと聞いて、その戦術的な意味が解らなかった。しかし、後で解ったことは、もう、その時は、戦術がなかったということでした。

沖縄で血迷った兵隊が、鬼畜と化した話を聞くたびに、北海道兵には、そんな者がいなかったことを祈ります。そして、氏名が刻まれた墓石に合掌した。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):悲惨沖縄戦(記念日)に蛇足  ■名前 : peace  ■日付 : 05/6/24(金) 23:04  -------------------------------------------------------------------------
   ▼しまったk2さん:

25年ほど前に座間味島に友人と一緒に訪れました。友人のおじさんがその地で戦死され、生前の下宿先のお世話になった方たちを訪れる旅でした、もちろん自然を愉しむ目的が第一でしたが。

美しい自然と島の親切な方々に感動したと同時に、案内していただいたおばあさんに聞いた沖縄戦当時のお話の数々は今でも忘れません。
沖縄の方々の当時の苦しみは私たちの想像を絶するものあったと思います。

もう二度とあのような愚かな過ちは繰り返してはいけないと思い知らされた旅でもありました。そしてどうすれば良いのかを考え実行することが私たちに課せられていると思います。

合掌。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):悲惨沖縄戦(記念日)に蛇足  ■名前 : 昭和 人  ■日付 : 05/6/25(土) 19:43  -------------------------------------------------------------------------
   ▼peaceさん:
秋明菊さんも同様のお知らせをしてくれました。

>▼
>>美しい自然と島の親切な方々に感動したと同時に、案内していただいたおばあさんに聞いた沖縄戦当時のお話の数々は今でも忘れません。
>沖縄の方々の当時の苦しみは私たちの想像を絶するものあったと思います。
>
>もう二度とあのような愚かな過ちは繰り返してはいけないと思い知らされた旅でもありました。そしてどうすれば良いのかを考え実行することが私たちに課せられていると思います。
>
>合掌。

明治日本が軍備するまでは軍事、兵器のない平和な国琉球だったのです。
今だに沖縄に平和はありません。私は佐藤首相の沖縄返還を歓迎したのは本土日本人だけだったことを最近知らされてショックを感じています。
今、60年の記念の時に改めて基地のない、自然の平和に少しでも近づけたいものです。日本本土の防衛基地に沖縄を使う必要はない。日本本土は日本本土の警備防衛を日本本土でやるべきです。

沖縄の青い、美しい 平和の復活を祈ります。
平和と憲法9条を守りましょう。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):悲惨沖縄戦(記念日)に蛇足  ■名前 : ぎみゆら <gimiyura@fox.dti2.ne.jp>  ■日付 : 05/6/26(日) 1:05  -------------------------------------------------------------------------
   昭和 人さん、こんにちは。


> 今だに沖縄に平和はありません。私は佐藤首相の沖縄返還を歓迎
> したのは本土日本人だけだったことを最近知らされてショックを
> 感じています。

沖縄関連のニュースや議論に接するとき、私も、おっしゃるような
ニュアンス、温度差を感じることがあります。

数年前から、上の弟夫妻が沖縄に住んでいますので、私にとって、
沖縄はそれなりに身近な場所でもあるのですが、一方で、いまでも、
自分に対しても、誰かに向けてでも、すんなり素直には説明できない
ような、何か引っかかるものが、ずっとあります。

沖縄戦の話とは離れますが、たとえば、かつて沖縄返還運動のテーマ
ソングとして歌い続けられてきた『沖縄を返せ』という歌について、
三線(さんしん、いわゆる沖縄三味線)と八重山民謡を趣味にして
いる、ある男性の個人サイトで、こんな記述を見つけました。
http://houtoumusko.pepper.jp/sanshin/yaeyamaminyoguide99-1.htm

これと似たような意見や感慨のようなものは、「沖縄を返せ」を
キーワードにネット検索をかければ、すぐにいくつも見つかります。
私もこの方と似たような年代ですし、「意見」というよりも「気分」
として、共感できるところがあります。

もう一つ思い出すのは、佐木隆三の『偉大なる祖国アメリカ』という
小説です。沖縄に住む一青年が、星条旗に憧れ、自分の本当の祖国は
アメリカであると固く信じ、そのころ周囲で盛り上がっていた祖国
復帰運動を忌み嫌うという物語でした。

高校生の頃だったか、学生時代か、とにかくかなり若いときに読んだ
作品なのですが、何か異様なショックを受けながら、しかし同時に、
いわく言い難い魅力も感じ、いまでも一種独特の印象とともに記憶に
残っている作品です。いつかもう一度、読んでみようかな。

> 今、60年の記念の時に改めて基地のない、自然の平和に少し
> でも近づけたいものです。日本本土の防衛基地に沖縄を使う必要は
> ない。日本本土は日本本土の警備防衛を日本本土でやるべきです。

沖縄返還運動の合い言葉は「核抜き、本土並み」であったはずです。
しかし、1972年の本土復帰後30年以上が過ぎたいま、この言葉に
実を感じる人は、沖縄にも、本土にも、残念ながら、いないのでは
ないでしょうか。

> 沖縄の青い、美しい 平和の復活を祈ります。
> 平和と憲法9条を守りましょう。

まったく、おっしゃるとおりと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : *一文訂正します。  ■名前 : ぎみゆら <gimiyura@fox.dti2.ne.jp>  ■日付 : 05/6/26(日) 10:19  -------------------------------------------------------------------------
   上の文章の内、下記の一文を、以下のように訂正させてください。

(元)
> 沖縄返還運動の合い言葉は「核抜き、本土並み」で
> あったはずです。

(訂正)
> 当時の日本政府、佐藤栄作首相は、沖縄返還は「核抜き、本土
> 並み」でと、くり返し強調してきました。

その後少し調べ直したりもして、「核抜き、本土並み」は当時の
政府説明。それが、どのような形で、いったいいつごろまでに、
実現できるのかというのが、沖縄の人たちや、多くの日本国民の
関心事。そんな感じだったなと、思い出しました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):沖縄を返せ琉球へ  ■名前 : 昭和 人  ■日付 : 05/6/26(日) 19:51  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ぎみゆらさん:
>
>
>沖縄戦の話とは離れますが、たとえば、かつて沖縄返還運動のテーマ
>ソングとして歌い続けられてきた『沖縄を返せ』という歌について、
>三線(さんしん、いわゆる沖縄三味線)と八重山民謡を趣味にして
>いる、ある男性の個人サイトで、こんな記述を見つけました。
>http://houtoumusko.pepper.jp/sanshin/yaeyamaminyoguide99-1.htm

やっぱり そうか 日本への沖縄返還は住民は必ずしも望んでいなかった。
よいサイトをありがとうございました。

>
>う一つ思い出すのは、佐木隆三の『偉大なる祖国アメリカ』という
>小説です。沖縄に住む一青年が、星条旗に憧れ、自分の本当の祖国は
>アメリカであると固く信じ、そのころ周囲で盛り上がっていた祖国
>復帰運動を忌み嫌うという物語でした。
>
>高校生の頃だったか、学生時代か、とにかくかなり若いときに読んだ
>作品なのですが、何か異様なショックを受けながら、しかし同時に、
>いわく言い難い魅力も感じ、いまでも一種独特の印象とともに記憶に
>残っている作品です。いつかもう一度、読んでみようかな。
>
>>
一つ追加させてください。
私と同年で沖縄生まれ育ちの新川明(沖縄大百科辞典・編集長)は最近の対談で次のようなことを述べています。

「戦後せっかく日本から切り離されて(連合国統治か)、その後の方向性をいくつかの選択肢を選ぶことができたのに日本復帰を選んで日本へ併合された。何故もっと幅広い別の選択肢を検討し、選ばなかったか悔やまれる。」

沖縄は今も「国内植民地」だと彼はいう。

よく理解しなければ沖縄問題は語れないと私は思い知らされました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(5):沖縄を返せ琉球へ  ■名前 : k・satou <cbl13464@nifty.com>  ■日付 : 05/6/26(日) 21:24  -------------------------------------------------------------------------
   ▼昭和 人さん:
  あのことば ご存知?
ヤマトンチュウ!と対するに ウチナンチュウ!というのを!

 慶長14年(1609年)の薩摩侵攻以来 ずうっとそして今もなお
 差別され 苦しめられている 県民感情の底に流れる心を!
  かの人たちの心情を思いやってください。
私は 復帰のとき 仕事でたまたま 現場にいました。
 内地から来た。といえば 憧れと憎しみの渦のなか 
  私の長男を帰してくれ!天皇陛下のために 次男までも! 
  とそんなにしても今もなお”一丁字も読めないくせに”
  と あなたたちに 馬鹿にされている。と。
  大和人(ヤマトンチュウ)といえば とっさに身構えるのも道理です。  
   彼女の夫の足を奪い 大切な子ども達までを奪ったのですから
 だがそれをじっとただ沈黙でしのばれ続け   私が知ったのは3年後
  掃除をしてくれる気のいいオバサンと私は出張の都度 
  すき焼き用の”ネギ”を 買いとどけたもんでした。ケチな私が!

  知るに至ったいきさつは また悲しい。
 現地に派遣されてたのが 馬鹿にしたのです。にこにことしている年寄りに
  面と向かって  ”魚だね!あんたたちは!”と!
  内地の最高学府をでた奴が こんなことを! 乾杯までやってやった奴が!    この 恥じ知らずには
   とうぜん私は足をちぎれるほど ふんづけてやりましたとも。
  すぐ私は上が代わったのをいいことに 会社の一切の債権を放棄しました。
   どうせ自分の金ではないし、とてもやってられないと言って。勝手に。
  案の定 それからは いろいろ各地めぐりをやりました。
  でも私はそのオバサンの目だけは 忘れることができません。その涙も。

    ごめんなさい。そして庭のデエイゴの花は 今も?


>▼ぎみゆらさん:
>>
>>
>>沖縄戦の話とは離れますが、たとえば、かつて沖縄返還運動のテーマ
>>ソングとして歌い続けられてきた『沖縄を返せ』という歌について、
>>三線(さんしん、いわゆる沖縄三味線)と八重山民謡を趣味にして
>>いる、ある男性の個人サイトで、こんな記述を見つけました。
>>http://houtoumusko.pepper.jp/sanshin/yaeyamaminyoguide99-1.htm
>
>やっぱり そうか 日本への沖縄返還は住民は必ずしも望んでいなかった。
>よいサイトをありがとうございました。
>
>>
>>う一つ思い出すのは、佐木隆三の『偉大なる祖国アメリカ』という
>>小説です。沖縄に住む一青年が、星条旗に憧れ、自分の本当の祖国は
>>アメリカであると固く信じ、そのころ周囲で盛り上がっていた祖国
>>復帰運動を忌み嫌うという物語でした。
>>
>>高校生の頃だったか、学生時代か、とにかくかなり若いときに読んだ
>>作品なのですが、何か異様なショックを受けながら、しかし同時に、
>>いわく言い難い魅力も感じ、いまでも一種独特の印象とともに記憶に
>>残っている作品です。いつかもう一度、読んでみようかな。
>>
>>>
>一つ追加させてください。
>私と同年で沖縄生まれ育ちの新川明(沖縄大百科辞典・編集長)は最近の対談で次のようなことを述べています。
>
>「戦後せっかく日本から切り離されて(連合国統治か)、その後の方向性をいくつかの選択肢を選ぶことができたのに日本復帰を選んで日本へ併合された。何故もっと幅広い別の選択肢を検討し、選ばなかったか悔やまれる。」
>
>沖縄は今も「国内植民地」だと彼はいう。
>
>よく理解しなければ沖縄問題は語れないと私は思い知らされました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(6):沖縄を返せ琉球へ  ■名前 : 悠々  ■日付 : 05/6/27(月) 8:34  -------------------------------------------------------------------------
   ▼k・satouさん:
>▼昭和 人さん:
>  あのことば ご存知?
> ヤマトンチュウ!と対するに ウチナンチュウ!というのを!

> 慶長14年(1609年)の薩摩侵攻以来 ずうっとそして今もなお
> 差別され 苦しめられている 県民感情の底に流れる心を!
>  かの人たちの心情を思いやってください。
横レスで失礼いたします。
30年ほど前に初めて沖縄を訪れました。南部の戦跡をめぐり、
摩文仁の丘に林立する慰霊塔を前にしたときには心が空虚になったような・・
記憶が残っています。黄色のゆうな(花)のやさしい印象とともに。

30年ほどの時を経て再訪した沖縄。
旅をするときには出来るだけ地元の人と会話をします。右も左も
米軍嘉手納基地にはさまれた道路を通ったときには、さすがに慄然としました。
ゴー音が飛び交うなかの日常に!!タクシードライバーが語ってくれた
島津藩の侵攻も悲惨だった、・・どこにでも歴史の語り部はいるのですね。


>>▼ぎみゆらさん:
>>一つ追加させてください。
>>私と同年で沖縄生まれ育ちの新川明(沖縄大百科辞典・編集長)は最近の対談で次のようなことを述べています。
>>
>>「戦後せっかく日本から切り離されて(連合国統治か)、その後の方向性をいくつかの選択肢を選ぶことができたのに日本復帰を選んで日本へ併合された。何故もっと幅広い別の選択肢を検討し、選ばなかったか悔やまれる。」
>>
>>沖縄は今も「国内植民地」だと彼はいう。
>>
>>よく理解しなければ沖縄問題は語れないと私は思い知らされました。
信じられるのは人々がとてつもなく心優しいこと!歴史的背景をなぞれば、
その心優しさの向こうにあるものの悲しみを感じざるをえません。
人々の歴史や暮らしから生まれた民族音楽は、どれも思わず立ち止まって
聞き入ってしまう魅力があります。
沖縄で聞いた、三線と島唄は格別にこころに染みる響きでした。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(7):沖縄を返せ琉球へ  ■名前 : k.satou <kenji.satoucoa@ceres.ocn.ne.jp>  ■日付 : 05/6/27(月) 10:20  -------------------------------------------------------------------------
   ▼悠々さん:
 はじめまして
 30年前? そうあのころは敗戦後すでに30年も経ってましたね。
  泊には東急ホテルに赤旗が翻りロックアウト。面する唯一の国道
  にはバス停はなく らしきところに 砂埃のなか ギュウギュウバス
  のくるのを じっと 待っていたもんです。
  しかし 施政権が返ったよ! なにか変わる! 変えなきゃいけない!
  というピンと張り詰めた空気が感じられました。
  喜手納の米軍将校クラブではドンスのカーテンの向こうで連日ショウが
   なされ スロットマシーンに米ガキどもが興じてました。
   基地にへばりつくように 島民のは犬小屋みたいな家屋ばかり。
 それから20年たち 家族をともない 浦添のステーキハウスや69にいき
  どうだい 緊急発進は相変らずかい? なに!もっとひどくなったの。
  内地に 生きてるさんご礁の持ち帰るのが多くて 困るの!等々。

 でも あのマンザモウの沈む夕日は 全く変わりませんでした。

  沖縄の人たちは 
  ほんとうに 全てを水に流して 許してくれているんですかね?   
   米軍基地を75%もおしつけ 緊急発進を繰り返しイラクまで
    戦闘機をとばしているというのに!
    飛行ミスで大学の敷地にまで残骸がとび その調査権すらなくて。

 そういえば 羽田でも成田でも なぜあんなふうに航路をとっているか
  ご存知ですか? 
  厚木・横須賀基地方面への飛行は許可されていないのです。
   米軍から。
   気流のせいだとばかり思っていたのですが。


>▼k・satouさん:
>>▼昭和 人さん:
>>  あのことば ご存知?
>> ヤマトンチュウ!と対するに ウチナンチュウ!というのを!
>
>> 慶長14年(1609年)の薩摩侵攻以来 ずうっとそして今もなお
>> 差別され 苦しめられている 県民感情の底に流れる心を!
>>  かの人たちの心情を思いやってください。
>横レスで失礼いたします。
>30年ほど前に初めて沖縄を訪れました。南部の戦跡をめぐり、
>摩文仁の丘に林立する慰霊塔を前にしたときには心が空虚になったような・・
>記憶が残っています。黄色のゆうな(花)のやさしい印象とともに。
>
>30年ほどの時を経て再訪した沖縄。
>旅をするときには出来るだけ地元の人と会話をします。右も左も
>米軍嘉手納基地にはさまれた道路を通ったときには、さすがに慄然としました。
>ゴー音が飛び交うなかの日常に!!タクシードライバーが語ってくれた
>島津藩の侵攻も悲惨だった、・・どこにでも歴史の語り部はいるのですね。
>
>
>>>▼ぎみゆらさん:
>>>一つ追加させてください。
>>>私と同年で沖縄生まれ育ちの新川明(沖縄大百科辞典・編集長)は最近の対談で次のようなことを述べています。
>>>
>>>「戦後せっかく日本から切り離されて(連合国統治か)、その後の方向性をいくつかの選択肢を選ぶことができたのに日本復帰を選んで日本へ併合された。何故もっと幅広い別の選択肢を検討し、選ばなかったか悔やまれる。」
>>>
>>>沖縄は今も「国内植民地」だと彼はいう。
>>>
>>>よく理解しなければ沖縄問題は語れないと私は思い知らされました。
>信じられるのは人々がとてつもなく心優しいこと!歴史的背景をなぞれば、
>その心優しさの向こうにあるものの悲しみを感じざるをえません。
>人々の歴史や暮らしから生まれた民族音楽は、どれも思わず立ち止まって
>聞き入ってしまう魅力があります。
>沖縄で聞いた、三線と島唄は格別にこころに染みる響きでした。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(8):沖縄を返せ琉球へ  ■名前 : 昭和 人  ■日付 : 05/6/27(月) 10:39  -------------------------------------------------------------------------
   ▼k.satouさん:
>▼
これ よ〜く わかります。
同感 あふれます。

>
> でも あのマンザモウの沈む夕日は 全く変わりませんでした。
>
>  沖縄の人たちは 
>  ほんとうに 全てを水に流して 許してくれているんですかね?   
>   米軍基地を75%もおしつけ 緊急発進を繰り返しイラクまで
>    戦闘機をとばしているというのに!
>    飛行ミスで大学の敷地にまで残骸がとび その調査権すらなくて。
>
> 
>>> 慶長14年(1609年)の薩摩侵攻以来 ずうっとそして今もなお
>>> 差別され 苦しめられている 県民感情の底に流れる心を!
>>>  かの人たちの心情を思いやってください。
>>>30年ほど前に初めて沖縄を訪れました。南部の戦跡をめぐり、
>>摩文仁の丘に林立する慰霊塔を前にしたときには心が空虚になったような・・
>>記憶が残っています。黄色のゆうな(花)のやさしい印象とともに。
>>
>>>私と同年で沖縄生まれ育ちの新川明(沖縄大百科辞典・編集長)は最近の対談で次のようなことを述べています。
>>>>
>>>>「戦後せっかく日本から切り離されて(連合国統治か)、その後の方向性をいくつかの選択肢を選ぶことができたのに日本復帰を選んで日本へ併合された。何故もっと幅広い別の選択肢を検討し、選ばなかったか悔やまれる。」
>>>>
>>>>沖縄は今も「国内植民地」だと彼はいう。
>>>>
>>>>よく理解しなければ沖縄問題は語れないと私は思い知らされました。
>>信じられるのは人々がとてつもなく心優しいこと!歴史的背景をなぞれば、
>>その心優しさの向こうにあるものの悲しみを感じざるをえません。
>>人々の歴史や暮らしから生まれた民族音楽は、どれも思わず立ち止まって
>>聞き入ってしまう魅力があります。
>>沖縄で聞いた、三線と島唄は格別にこころに染みる響きでした。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(9):沖縄を返せ琉球へ  ■名前 : k.satou <kenji.satoucoa@ceres.ocn.ne.jp>  ■日付 : 05/6/30(木) 10:59  -------------------------------------------------------------------------
   ▼昭和 人さん:
沖縄について 
私は会社の長期出張者用の掃除のおばさんに
 ”ネギをいつも持ってくる人”という名前?で呼ばれてました。
 明日は 休日だ タクシーを頼んでおいたんで たまにはどこか
 に行こうじゃないの?と どこか行きたいとこある?と聞きました。
 すると おばさん ニコっとして” 私はこの歳になるまでどこも
 行ったこともないし 家とここしか知らない。”
 休みの日になると 他人の家の草取りと自分の口に入らないニガウリらの
 手入れで あとは ただ寝るだけ。 もう敗戦後30年たっているのに!。
 だって ご主人がいるだろう?こどもさんも?と問い詰める私に
 いままでにこにこしていたのですが キットして
 あなたたちは ”鬼ですね!”と   
   夫の お前だけでも生きてくれ! 
      このまま沖縄からのこの離島で死にたい!
   天皇のため子供2人と 夫の右足をとられ 財産の全てを失い
   夫を背負い励まし命がけで ここまで生きてきたという。    
 米軍の爆音で 面と向かって話せないような状態でしたが
   ”鬼”ということばは はっきり 聞こえました。 
  そこからです。
   だって わたしのことをみんなの前で Oさんは
   魚だ!魚の目だ!といったじゃないですか? 
   たしかに まんぞくに あなたたちみたいに日本語はしゃべれないし
   さんざん馬鹿にもされてきた しかしこれは許せない。
   魚の目というあなたたちは 鬼ですと。
    30年も経ったというのに この差別意識です。   
 翌日  
 あれがひめゆりだ!シュレイの門だと!私のガイドは表面だけで
  やたら詳しい。なんにんがここで入水したとかまで。
  10回以上も案内されりゃ そりゃ暗記するほど。
  沖縄料理の店でも ほとんど口にしたことのないものばかりよ!といわれ
  だって公設市場にはあんなにものがあるじゃないの?とわたし
   夫に食べさせるのが精一杯で とてもとても買いにはこれない。 
 
 デエイゴの木のとこで できたというマンゴーを複雑な気持ちで
 夫からお礼に といわれ おいしくいただきました。
 どうしても もって帰ってと売り物の”ニガウリ”をもたせ
  迎えのタクシーに いつまでも手を振ってくれてたのを思い出します。
それから10年経って再訪したときは 行方しらずでした。
 
馬鹿なことをいうのもいるものです。鬼といわせた?とか 
  けふもまたこころの鉦を打ち鳴らし 
   打ち鳴らしつつ あくがれて行く (牧水)
 沖縄の人たちは 
>>  ほんとうに 全てを水に流して 許してくれているんですかね?   
>>   米軍基地を75%もおしつけ 緊急発進を繰り返しイラクまで
>>    戦闘機をとばしているというのに!
>>    飛行ミスで大学の敷地にまで残骸がとび その調査権すらなくて。>
>> 
>>>> 慶長14年(1609年)の薩摩侵攻以来 ずうっとそして今もなお
>>>> 差別され 苦しめられている 県民感情の底に流れる心を!
>>>>  かの人たちの心情を思いやってください。
>>>>30年ほど前に初めて沖縄を訪れました。南部の戦跡をめぐり、
>>>摩文仁の丘に林立する慰霊塔を前にしたときには心が空虚になったような・・
>>>記憶が残っています。黄色のゆうな(花)のやさしい印象とともに。
>>>
>>>>私と同年で沖縄生まれ育ちの新川明(沖縄大百科辞典・編集長)は最近の対談で次のようなことを述べています。
>>>>>
>>>>>「戦後せっかく日本から切り離されて(連合国統治か)、その後の方向性をいくつかの選択肢を選ぶことができたのに日本復帰を選んで日本へ併合された。何故もっと幅広い別の選択肢を検討し、選ばなかったか悔やまれる。」
>>>>>
>>>>>沖縄は今も「国内植民地」だと彼はいう。
>>>>>
>>>>>よく理解しなければ沖縄問題は語れないと私は思い知らされました。
>>>信じられるのは人々がとてつもなく心優しいこと!歴史的背景をなぞれば、
>>>その心優しさの向こうにあるものの悲しみを感じざるをえません。
>>>人々の歴史や暮らしから生まれた民族音楽は、どれも思わず立ち止まって
>>>聞き入ってしまう魅力があります。
>>>沖縄で聞いた、三線と島唄は格別にこころに染みる響きでした。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(10):沖縄を返せ琉球へ  ■名前 : 昭和 人  ■日付 : 05/6/30(木) 13:25  -------------------------------------------------------------------------
   Ksatouさん
今仕事中、でも自分のパスワードだからISMSのチェックにもひっからない。

この話、う〜ん いいですね。
「ネギをいつも持ってくる人」の意味以外はよ〜くわかります。

また 書いてください。 ありがとうございました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(5):沖縄を返せ琉球へ  ■名前 : ぎみゆら <gimiyura@fox.dti2.ne.jp>  ■日付 : 05/6/28(火) 22:18  -------------------------------------------------------------------------
   昭和 人さん、こんにちは。


私はもちろん、現在の沖縄は、日本の一部だと思っています。
同じ日本の仲間だと思っています。なんせいま、弟夫婦が住んで
るんですから。(笑)

だけど、その沖縄が、ついこの間まで、違う国だったということを、
忘れてはいけないんだと、そうも、思うんですね。

あんまり話を広げるつもりはないんですが、でも、たとえば私の
カミサンは秋田の出で、秋田の竿灯祭りも、青森のねぶた祭りも、
あれは東北を討伐に来た坂上田村麻呂との戦いが起源だったことは、
地元の人なら、誰でも知っていることなんです。

あるいは、たとえば、会津の人たちには、いまもけっして忘れられ
ないことが、あるといいます。忘れることなんか、ない。それを、
忘れろなどと小賢しく言う人を、心底にくむ気持ちが、私には、
正直いって、あるんです。

ご飯も富士山も大好きな日本人ですが、だけど、日本、日本と
やたらと言い立てることの、その「別の面」に、無神経であっては
いけないと、とっても、とっても、思うんです。

沖縄の歴史は、そのことを、私たちに、くり返し、くり返し、教えて
くれるように思います。それは、とてもありがたいことなんじゃない
かと、私は思っています。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):悲惨沖縄戦(記念日)に蛇足  ■名前 : 安本単三  ■日付 : 05/6/27(月) 14:03  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ぎみゆらさん:

>沖縄返還運動の合い言葉は「核抜き、本土並み」であったはずです。
>しかし、1972年の本土復帰後30年以上が過ぎたいま、この言葉に
>実を感じる人は、沖縄にも、本土にも、残念ながら、いないのでは
>ないでしょうか。
>
>> 沖縄の青い、美しい 平和の復活を祈ります。
>> 平和と憲法9条を守りましょう。
>
懐かしいですね「沖縄を返せ」ですか。当時、歌声喫茶というのがありましたね。
そこで私も歌っていたのですが、なにか違和感がありました。
「返せ」というのがどうも。もともとは東京中心=日本の所有物であったから返してくれみたいな響きがしたところです。もうひとつ、そうなら北の端の「歯舞・色丹を返せという歌はなぜないのか?」

「沖縄へ返せ」と歌うようになったとは初めて知りました。
良い響き意味合いですね。
ご紹介ありがとうございました。

太田元沖縄県知事が「我々は何年待てばならないのか?」と温厚な沖縄県人にしては珍しく怒っておられたTV上の顔を思い出しました。与党も野党もありません。
総ヤマトンチューに投げられた言葉と受け止めました。
1955年「もはや戦後ではない」の言葉に沖縄への配慮があったのか?
これも時の総理というより総ヤマトンチューの無神経な感覚でしょう。

蛇足:沖縄出身の同僚から聞いたのですが、昔は、ヤマトンチューとは薩摩人のことで、本土人はウウ(大)ヤマトンチューだったそうです。かつて栄えた琉球王朝を強引に支配した薩摩人への恨みのほうがウウヤマトンチューに対してよりも強かったと言います。今は変わっているでしょうが。
毎日のTV天気予報の地図では位置関係が分かりませんが、大阪ー鹿児島と、鹿児島ー那覇の距離が同じぐらいで、思っているより南西遠くにあります。石垣に至っては、台北の南にあります。
それでいて、ウチナワグチ=琉球語は、日本語の方言というのが定説です。この方言成立の謎は解けていないようです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):悲惨沖縄戦(記念日)に蛇足  ■名前 : 石頭の息子  ■日付 : 05/6/24(金) 23:35  -------------------------------------------------------------------------
   蛇足と言うか、雑感だが。

>「沖縄は、本土と同じ日本です。」と。

今の沖縄はそうではないかと思う、長い歴史で日本人化してきたのではないだろうか。

今年の春、博物館で多くの中国古地図をみた、「琉球」が台湾よりも大きく描かれていたのを見た、古地図には台湾が「小琉球」となっていた、年代はわすれたが、古くは琉球の存在は中国から見て大きかったのではないかと感じた、西洋の中国図にも琉球は日本と同じぐらいの大きさで描かれていた、古くから琉球は地理的にも大きい存在だったのではないか。

あの美しい海に囲まれた沖縄が、穏やかな民族が、そのまま周囲の国から侵されることもなく今日に至っていたならば、平和な島の生活をしていたに違いない。

今は、アメリカの極東最大戦略基地となっている、日本が敗戦で差し出したのか、獲られた島なんだが、「沖縄は、本土と同じ日本です。」と言ったのであれは、アメリカの基地となっている沖縄の心が伺え知れる、しかしその日本は既にアメリカ化してしまっているのに。

戦争というのは、負けた国は勝った国の文化、習慣に馴らされていくのだろう、アジアの国々でもかっての宗主国の言語が主流となっている、台湾にも随分と日本の習慣、風習がのこっている、古老は日本語を流ちょうに話す、日本の若者より正統なのが皮肉だ。

その点、韓国は徹底的に日本語排斥があった、ハングルに誇りを持たせる教育をしている、中国はさすが他民族の長い歴史と中華思想で日本化しなかったのではないだろうか。

このような歴史が繰り返されて、人種、民族の同化があるのではないかな、そして気が遠くなるような時空を越えて人類の同化が果たされるのだろう、其の時には戦争の愚があるだろうか、わからない。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):悲惨沖縄戦(記念日)に蛇足  ■名前 : ウミサチヒコ  ■日付 : 05/6/24(金) 23:46  -------------------------------------------------------------------------
   大和政府→薩摩→沖縄→付属の島々、服従の関係はこうだ。それはソ連→共和国→自治共和国のヒエラルキーと酷似している。そいつは父→子、の関係かもしれない。
歴史って反抗と服従の連鎖じゃあないかな。人間の知恵のなさ、力のなさ、愚かさの尺度でもある。あと1−2世紀必要かもしれない。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):悲惨沖縄戦(記念日)に蛇足  ■名前 : 石頭の息子  ■日付 : 05/6/24(金) 23:52  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ウミサチヒコさん:
>大和政府→薩摩→沖縄→付属の島々、服従の関係はこうだ。それはソ連→共和国→自治共和国のヒエラルキーと酷似している。そいつは父→子、の関係かもしれない。
>歴史って反抗と服従の連鎖じゃあないかな。人間の知恵のなさ、力のなさ、愚かさの尺度でもある。あと1−2世紀必要かもしれない。

ウミサチヒコさん、

あまい、あまい、100年や200年なんてあっと言う間にすぎてしまう、人間の歴は始まったばかりなのに、気の遠〜くなるような未来でしょうに。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):悲惨沖縄戦に奇跡の無防備地域。  ■名前 : MNG  ■日付 : 05/6/25(土) 0:03  -------------------------------------------------------------------------
   ▼しまったk2さん:

きのうのニュース23でもやってましたが、悲惨な沖縄戦が戦われ、住民に多大な犠牲が出る中で、渡嘉敷村の前島だけは270名の島民すべてが無事だったそうです。

それは何故かというと、前島には、上海事変に従軍したことのある分校長がいて、上海事変の経験から『兵がいなければ相手方の兵隊は加害しない』と考えていたので日本軍の駐屯をやめさせるために決死の説得をし、その「熱意」に日本軍は撤退したというのです。
やがて米軍が上陸、島中を調査して日本軍がいないことがわかると、『この島には砲撃を加えないし、捕虜もとらない。安心していつものとおり生活をしなさい』とスピーカーで放送して引き揚げたわけです。

 しかし、前島だけが攻撃を受けず生きのびたということが、逆にタブーのようになって、ほんの最近まで公にならなかったそうです。
 沖縄戦で、この前島は一種の無防備地域となり、そのことで住民の命が守られたのです。

軍備がなくて国が守れるかという意見がありますが、戦争の真っ只中で、軍がいなかったために住民が守られたと言う実例は、非常に貴重なことではないでしょうか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 前スレッド【54444】などへのお返事  ■名前 : ぎみゆら <gimiyura@fox.dti2.ne.jp>  ■日付 : 05/6/25(土) 0:09  -------------------------------------------------------------------------
   *しまったk2 さんが、新しいスレッドを立ててくださったので、
前スレッド、告天子さん【54444】【54446】【54463】への
お返事を、ここに書き込みます。

   *

告天子さんへ


三つ、お伝えしたいと思います。

一つめ。私の、感情むき出しの、三篇にわたる長いコメントを、
丁寧に読み、冷静なお返事を書いてくれたことに対して、お礼を
いいます。どうもありがとうございます。

二つめ。戦争被害者が、その傷について、自ら語るということが、
どれほどめんどくさく、やるせなく、長い長い時間がかかったりも
するのか。そのことに、どうかもう一度、思いをいたしてほしい。
そしてそのことを、思いやる気持ちをもってほしい。

率直にいえば、昭和 人さんが立てた前スレッドに対して、あなたが
いきなり「政治利用」「反軍、反日」と突っかかったそのやり方は、
あまりに、そういった思いやりを欠いたものだったと、私の目には
映ったのです。そのことに、言いようもなく腹が立ったのです。

三つめ。私は、一般市民戦災者、非戦闘員の戦争被害だけが、戦争
体験だと思っているわけではありません。むしろ、旧軍人さんに、
もっともっと、語っていただきたいです。

戦場で、軍の内部で、つらかったこと、苦しかったこと、不条理に
感じたこと。それだけではなく、戦功、戦勲。どうしようもなく
厳しい状況のなかでの、逡巡、苦悩、決断。その果てに得た勝利。
それを仲間と分かち合った喜び。お話しになっていただきたい。

戦後60年。そういったことが、たいへん語りにくい一面をもった
日本社会であったことは、私は私なりに、承知しているつもりです。
しかし、悲しみも喜びもすべて含めた、それぞれの方々の体験が、
私たち日本人の、戦争の記憶であろうと思っています。

それを受け継ぎ、未来に生かし、あなたも同意してくれた、戦争の
ない日本、核兵器のない世界をつくっていこうと志すのが、「無駄に
しない」ということなのではないのでしょうか。こんな形でしたが、
お話しできたことを、うれしく思っています。またいつか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):悲惨沖縄戦捨て石、質草(犠牲)の歴史  ■名前 : 昭和 人  ■日付 : 05/6/25(土) 7:29  -------------------------------------------------------------------------
   琉球(沖縄)は昔から武器をもたない有名な平和な島でした。
古くは省略する(手元に資料さく記憶で書く)が、近代だけをみても
・薩摩の琉球侵略
・明治政府の富国強兵策による軍事化(琉球・住民の反対を押し切る)
 常に日本本土の安全利益を擁護するために政治経済上の「質草」として沖縄を犠 牲にしてきた。
・太平洋戦争では先に記述したとおり「捨てられた」
・米軍基地としての苦しみ、問題に枚挙の限りなし
・講和条約沖縄返還ー米軍と自衛隊の軍事基地

昨日友人と沖縄戦の悲劇を語り合った。友人(沖縄出身)は怒りをこめて云った。
「琉球沖縄は日本ではない独立の平和な国だった。沖縄返還は反対だった。天皇が象徴の国へ何故一緒に統治されなければならないのか」「あんたもわかってないよ・沖縄琉球は日本と違う文化を持つ、沖縄の日本への返還は返す返すも残念だった。」
私は「でも戦後復興は僕らがやった」と反論はしたもののショックだった。

沖縄問題は簡単に日本人だけが決めることではない。根は深い。

ウミさんもMNGさん、ぎみゆらさんKさんその他の皆さんも指摘しているとおりです。

「捨て石」のほんとうの奥深い意味は3段以上の人しかわかるまい。
「質草」は同様に70歳以上80歳前後の人しか知るまい。
(半分冗談半分本音)
史実と体験を尊重した議論を望みます。(出かけます、また明日)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):悲惨沖縄戦捨て石、質草(犠牲)の歴史  ■名前 : パンドラ  ■日付 : 05/6/25(土) 10:50  -------------------------------------------------------------------------
   昭和人さん、おはようございます

「戦争体験を語るー悲惨沖縄戦記念日」良いスレッドを立てて頂き
ありがとうございました

このスレツドは早くも50のレスを超えてしまいました
みなさんとても真摯に意見を述べられ私は沖縄については
何も知らないことの方が多いので、みなさんのご意見を
興味深く拝見させて頂きました

特にK.satouさんの何時になく分かりやすい書き込みにも
驚かされました
(K.satouさんゴメンナサイ、読んでおられるかしら)

さっそく あおばびとさんのウラ老人党へみなさんのご意見を
推薦させて頂きました

所で昭和人さんは7月30日(土)の
有明、九条の会 一万人集会にはいらっしゃいますか?
スレッド違いなので又、集会のスレッドでお話いたしましょう

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):悲惨沖縄戦捨て石、質草(犠牲)の歴史  ■名前 : 昭和 人  ■日付 : 05/6/25(土) 19:56  -------------------------------------------------------------------------
   ▼パンドラさん:
>昭和人さん、おはようございます
>
>特にK.satouさんの何時になく分かりやすい書き込みにも
>驚かされました
>(K.satouさんゴメンナサイ、読んでおられるかしら)
私も褒めたのです。よく知っているし彼なりの主張があるから解りやすいのです。
>
>さっそく あおばびとさんのウラ老人党へみなさんのご意見を
>推薦させて頂きました
>
>所で昭和人さんは7月30日(土)の
>有明、九条の会 一万人集会にはいらっしゃいますか?
>
行こうとは思いますが 
孫にせがまれたらそっちへ そっちのほうへ 行っちゃうかもしれません。
ゴルフの予約はしないでおきます。
(こうゆう私語はRayさんに注意されそう、)では また。


 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):悲惨沖縄戦捨て石、質草(犠牲)の歴史  ■名前 : JIMBOUF  ■日付 : 05/6/26(日) 4:48  -------------------------------------------------------------------------
   沖縄戦に関する関心が極めて高くK1かboxingの最後の大乱戦みたいにもなりましたが 取り敢えず私も54579昭和人さんへaddressさせて頂きます 同世代の故か趣旨全く同意なのですが 特にこの友人の方の意見日本敗戦時独立か連邦かの絶好の機会だったのに惜しいことです そもそも琉球王朝500年か300年にわたったに関わらず日本の一地方政権たる薩摩の侵略,占領を受け平和な独立と特有の文化を破壊されてしまいました 織田信長の桶狭間の逆で大将島津は関が原の戦いで形勢不利となると単騎(?)故国に逃げ帰り 蟄居をしていたに関わらず10年もするとまたぞろ侵略を始めたのです 一地方政権が独立国を占領支配することは下克上もいいところで 琉球もおとなしすぎて日本政府,同じく協商を行っていた明/秦に和解,干渉を求めることは出来たと思うのですが もともと島津は薩摩に転封されてきたときから 身内の武士を上士と称し 先住領民を苛れん誅求 隼人という言葉はもともと熊襲と共に縄文系の先住民に使われていたのを何時の間にか島津の薩摩隼人に摩り替えたと言う事で甚だ侵略的なgroupだったわけです 江戸瓦解のときも琉球にとっては独立乃至連邦設立の機会でした あの疾風怒濤の時代は列強の間に立って失地回復を図る好機だったでしょう 其れに今度の敗戦です          

琉球沖縄は日本ではない独立の平和な国だった。沖縄返還は反対だった。天皇が象徴の国へ何故一緒に統治されなければならないのか」「あんたもわかってないよ・沖縄琉球は日本と違う文化を持つ、沖縄の日本への返還は返す返すも残念だった。」私は「でも戦後復興は僕らがやった」と反論はしたもののショックだった。沖縄問題は簡単に日本人だけが決めることではない。根は深い。

上の一語一語心を刺しますね そして誰か書いていましたが 100年200年また歴史の変わるときがあるでしょう 私は日本が単一民族である必要も其れが事実であるとも考えていません マジョリティの朝鮮半島渡来の大和族,北方からの縄文DNAを持つアイヌ,沖縄人系統,東北・九州の弥生・縄文混血group,
それに新来の朝鮮半島,中国大陸からの永住者(3世4世の容貌、仕草、言葉 日本人と弁別困難のケースは山とあるでしょう アメリカ大陸法的な属地主義で完全な市民権を持てない理由は全くありません)の多民族国家でよいでしょう分子生物学,遺伝子工学が普及するにつれ 褒貶相半ばするでしょうが 個体のDNA特性は一般的知識になり 多民族国家の事実が鮮明に現れるだろうとの予想も持っています  最後に秀明菊さんの援用

以前沖縄に行ったとき、ガイドさんの案内でガマを見学したのですが、あの暗い地下壕で、沖縄の方々がどんな思いを抱いて死に赴いたのか、美しい沖縄の海と明るく優しい沖縄の人達と比べ、余りの落差に涙が溢れた記憶があります。    

僕も大きなヒメユリ部隊の壕 無数の小さなガマ(ここでは非戦闘員の殺戮はやらなかった米軍でも 誰がいるか分からないから 無差別に火炎放射器で焼き払ったのでしょう)を思い出し 今この3行の文を読んでも 涙がにじんでしまいますね

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):悲惨沖縄戦捨て石、質草(犠牲)の歴史  ■名前 : 昭和 人  ■日付 : 05/6/26(日) 10:10  -------------------------------------------------------------------------
   JIMBOUFさん
私が直感的に簡潔に書いた書き込み(54579)に対し、また秋明菊さんの心情を含め、ほんとうに 深いご理解とさらに沖縄史への洞察を、レスを有難うございました。
実は友人には、沖縄復帰で「佐藤と国民は喜んでいたが、お前も解っていない、何が復興だ軍事復興だろう」と言われたのです。
ここの理解なくして、本当の沖縄の悲劇と平和を論じることはできません。
私は今回のスレッドの最終まとめに、沖縄問題(太平洋戦争)の反省と平和の問題をもう少し深く論議したかった。
しかし、史実と生き残りの人の検証を知らず、知ろうともしないイデオロギー泥試合化の傾向はJIMBUFさん お感じのとおりで残念でした。
でもこのスレッドを通し沖縄戦争の反省と平和の尊さを覚えていただいたことと、せめて沖縄人(亡くなった人を含め)への理解を深めることができたのではないかと思っています。

琉球の非軍事化ー平和の歴史と軍事化の歴史を勉強し今の憲法9条論争を深める糧としたい。
 有難うございました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):悲惨沖縄戦捨て石、質草(犠牲)の歴史  ■名前 : 秋明菊  ■日付 : 05/6/27(月) 22:33  -------------------------------------------------------------------------
   JIMBOUFさん こんばんは。

私の拙い文にお目を留めて戴きまして、ありがとうございます。

遅くなってしまいましたが、昨日の中日新聞の社説で、沖縄について少し記述が
ありましたので、よろしければ目を通して戴きたいのですが。
http://www.chunichi.co.jp/00/sha/20050626/col_____sha_____000.shtml

 - - - - -「きのう」を抱いて… (一部掲載) - - - - 

 六十年前のつらい体験をやっと、初めて口にして「私にはきのうのこと」と
テレビでつぶやいたおばあさん。
その顔のしわの深さと、「きのう」という言葉が胸に迫りました。

 六十年が一日の、消えぬ苦悩。秘め続け、黙したまま逝くあまたの沖縄戦経験者たちの胸中を察します。

 沖縄戦の悲劇の象徴、ひめゆり学徒隊の生存者で語り部となった女性の
体験談を「退屈」と。
そんな感想を含む英語入試問題を作った東京の高校が今月、沖縄へ謝罪に行った
とか。「事もなげな世」を物語るような出来事です。
そうした世を相手に体験を語る気になんぞなれない人々に「そんな世だからこそ、どうか語り残して」とお願いする関係者らの努力、苦労のほどはいかばかり。

 六十年前に中年以上だった人はもうこの世になく、青年だった層が今続々と、
彼岸へ去りつつあります。後代が聞いておかなくてはならないことが、老いた胸
に秘められたまま、やがて埋もれ、忘れられ、何もなかったのと同じになる。
歳月の流れの恐ろしさ、むなしさでしょうか。

 風化する死、しない死、いや、させてはならない死があります。死を史実や出来事と言い換えても当てはまる、この三分類にこだわりたい戦後六十年のいまです。

 遠くのものが過小に見える、あるいは過小に見たいから、それがなお遠いもの
にされる。すなわち、風化する。
私たちはいま、故人や歴史に対してそんな不遜(ふそん)を犯していないか、
よくよく考えてみなくてはと思います。
戦争の加害については特に。

 戦争の風化が欧州を、東アジアを割るのか。人類の進歩をまた疑ってしまう、
五月闇(さつきやみ)の六月です。

 - - - - - - - - 以上、終わり - - - - - - - -
 
JIMBOUFさんは、昭和人さんと同世代だそうですね。
もし、ご不快でなければ、お時間の空いた時にでも、戦中戦後のお話をして
戴けませんでしょうか。

上記の社説に書かれている通り、実際に体験された方々の戦中戦後の心模様や
出来事を後の世代に残して置くことは大切だと思いますので。

よろしくお願い致します。ありがとうございました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):悲惨沖縄戦(記念日)に蛇足  ■名前 : しまったk2  ■日付 : 05/6/27(月) 21:01  -------------------------------------------------------------------------
   皆さんの、具体的な写実的なコメントに感謝します。
きっと、沖縄が、今より更に、いい島になることを、北海道から祈ってます。

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