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 ▼サイパン慰霊の旅から考える  ぎみゆら 05/6/30(木) 15:27
   ┣Re(1):サイパン慰霊の旅から考える  昭和 人 05/6/30(木) 15:55
   ┃  ┣Re(2):サイパン慰霊の旅から考える  告天子 05/6/30(木) 17:12
   ┃  ┃  ┗Re(3):サイパン慰霊の旅から考える  昭和 人 05/6/30(木) 17:29
   ┃  ┃     ┗Re(4):サイパン慰霊の旅から考える  告天子 05/6/30(木) 18:07
   ┃  ┗Re(2):サイパン慰霊の旅から考える  ぎみゆら 05/7/1(金) 17:40
   ┗Re(1):サイパン慰霊の旅から考える  加茂井77 05/7/1(金) 18:02
      ┗Re(2):サイパン慰霊の旅から考える  ぎみゆら 05/7/1(金) 22:16
         ┗Re(3):サイパン慰霊の旅から考える  JIMBOUF 05/7/10(日) 1:18
            ┗Re(4):サイパン慰霊の旅から考える  告天子 05/7/10(日) 1:46
               ┗Re(5):サイパン慰霊の旅から考える  頑固生きがい 05/7/10(日) 2:48
                  ┗Re(6):サイパン慰霊の旅から考える  告天子 05/7/10(日) 8:50
                     ┣Re(7):サイパン慰霊の旅から考える  たけチャン 05/7/10(日) 10:38
                     ┃  ┣Re(8):サイパン慰霊の旅から考える  告天子 05/7/10(日) 11:02
                     ┃  ┃  ┗Re(9):サイパン慰霊の旅から考える  告天子 05/7/10(日) 11:26
                     ┃  ┗Re(8):サイパン慰霊の旅から考える  たけチャン 05/7/10(日) 11:50
                     ┃     ┣Re(9):サイパン慰霊の旅から考える  たけチャン 05/7/10(日) 11:52
                     ┃     ┃  ┗Re(10):サイパン慰霊の旅から考える  たけチャン 05/7/10(日) 11:54
                     ┃     ┃     ┗Re(11):サイパン慰霊の旅から考える  たけチャン 05/7/10(日) 11:56
                     ┃     ┃        ┗Re(12):サイパン慰霊の旅から考える  たけチャン 05/7/10(日) 12:04
                     ┃     ┃           ┣Re(13):サイパン慰霊の旅から考える  告天子 05/7/10(日) 12:24
                     ┃     ┃           ┗Re(13):サイパン慰霊の旅から考える  昭和 人 05/7/10(日) 15:41
                     ┃     ┃              ┗Re(14):サイパン慰霊の旅から考える  たけチャン 05/7/10(日) 16:55
                     ┃     ┗移動しました  管理スタッフ 05/7/10(日) 20:31
                     ┗Re(7):サイパン慰霊の旅から考える  頑固生きがい 05/7/10(日) 14:56

 ───────────────────────────────────────
 ■題名 : サイパン慰霊の旅から考える
 ■名前 : ぎみゆら <gimiyura@fox.dti2.ne.jp>
 ■日付 : 05/6/30(木) 15:27
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   《6/27〜28サイパン慰霊の旅から考える》

●朝日コム 6月27日夜
http://www.asahi.com/national/update/0627/TKY200506270276.html
同 6月28日午前
http://www.asahi.com/national/update/0628/TKY200506280143.html
同 6月28日夜
http://www.asahi.com/national/update/0628/TKY200506280287.html
●読売オンライン 6月28日早朝
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050627i111.htm
同 6月28日午後
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050628i103.htm
同 6月28日夜
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050628ic28.htm

   *

最初にお断りしておきますが、私は今回のサイパン慰霊の旅から、
皇室問題、皇室の現在や今後について論じたいわけではありません。

そうではなく、今回のサイパン慰霊の旅で示された、戦争犠牲者
慰霊の「一つの形」に、感じるところがあって、思ったことを、
少し書いてみたいと考えました。

   *

報道によれば、今回の慰霊の旅における、面会者、訪問先は、
以下のように多数に及んでいます。

〈6/27、空港で〉
・サイパン自治政府ババウタ知事
・シーファー駐日米大使
・皇太子時代に交流した地元住民ら
〈6/27、宿泊先のホテルで〉
・マリアナ戦友会(元日本兵ら)
・愛知マリアナ献水会(遺族)
・旧陸軍士官学校第57期生(戦友をなくした方々)
・日本遺族会
〈6/28、訪問先の数々〉
・マタンシャ海岸近くの浜辺(日本軍が最後の突撃を行った)
・中部太平洋戦没者の碑(島北部、日本政府が1974年に建立)
・スーサイドクリフ(多くの日本人が投降を拒んで身を投げた断崖)
・バンザイクリフ(島最北端、多くの日本人が自ら命を落とした)
・バンザイクリフなどの周辺の慰霊碑
・おきなわの塔(琉球政府が沖縄出身者のために1968年に建立)
・太平洋韓国人追念平和塔(朝鮮半島出身者の慰霊)
・アメリカ慰霊公園(米軍上陸50周年を記念して作られた)
・マリアナ記念碑(チャモロ人など現地人900人の慰霊)
・第2次世界大戦慰霊碑(サイパン、テニアンの戦死米兵追悼)
・市中心部にある敬老センターで、島の高齢者たちと交流

   *

私が感じたのは、今回の「慰霊の旅」で示された、戦争犠牲者への
慰霊の形とは、以下のような姿勢であっただろうということです。

「自国、他国、味方、敵を問わず、軍人も民間人も分け隔てなく、
 称揚せず、美化することなく、ただ安らかな眠りを祈る」

このような「形」は、非戦、平和を心より願う立場から、戦争の
犠牲者を慰霊するとはどういったことなのか、あらためて考えて
いくうえで、とても大切な示唆を持っているように感じました。

そのような意味で、今回の慰霊の旅は、たいへん印象深いものと
思いました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):サイパン慰霊の旅から考える  ■名前 : 昭和 人  ■日付 : 05/6/30(木) 15:55  -------------------------------------------------------------------------
   ニュースを有難うございました。
昭和天皇の子供の慰霊訪問だから、静かに見守れたのでしょうね。
しかし、「海ゆかば〜」はどうも。
あれは 葬式の詩です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):サイパン慰霊の旅から考える  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/6/30(木) 17:12  -------------------------------------------------------------------------
   ▼昭和 人さん:
>ニュースを有難うございました。
>昭和天皇の子供の慰霊訪問だから、静かに見守れたのでしょうね。
>しかし、「海ゆかば〜」はどうも。
>あれは 葬式の詩です。

あれはことほぎの詩ですよ。顧みは せじと言立て ますらをの・・・
と続く長歌ですし、歌にしてもカンタータとか、賛美歌みたいだと
いう話はよく聞きますネ。

葬式の詩、というのは、広く行き渡った誤解に基づくのではないかと
思います。我々が自然にそう感じてしまうとしたら、むしろそこに
日本人の運命、というものを解く鍵のようなものがあるのかもしれません。

日本人と西洋音楽の出会い、とか、あるいは、西洋の精神との格闘の果てに
生まれた歌だと思うのですが。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):サイパン慰霊の旅から考える  ■名前 : 昭和 人  ■日付 : 05/6/30(木) 17:29  -------------------------------------------------------------------------
   そうかも しれません。
私はこの歌は戦争中、さんざん 歌い 聞かされたものですから。
曲、メロデイーは、今でも 靖国へ散歩したときなど くちずさみます。
やっぱり、私にとっては 葬式の詩なんです。
今の平成天皇は年下ですから戦争中には歌ったこと無いんじゃないですか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):サイパン慰霊の旅から考える  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/6/30(木) 18:07  -------------------------------------------------------------------------
   ▼昭和 人さん:
>そうかも しれません。
>私はこの歌は戦争中、さんざん 歌い 聞かされたものですから。
>曲、メロデイーは、今でも 靖国へ散歩したときなど くちずさみます。
>やっぱり、私にとっては 葬式の詩なんです。

それは、よく分かるように思います。それを「こう思うべきだ」とか言うつもりはありませんので・・・。

ただ、この歌を作曲した方をはじめとして、「占領軍によって」言葉を封じられ、排除されてしまった日本人、あるいは、変節して自ら言葉を棄てた日本人というのもいたわけで、真に「日本人」の在り方みたいなものに気づこうとするなら、海ゆかばが漠然と持っている「葬式みたいな感じ」とか、荘厳な感じとか、そういう感じの奥にある「日本人の歴史」の中に入っていかないとダメだ、という気持ちが自分としてはあるんですよ。これがバリケードになって、何となく遠ざけている、見たくない、みたいなものがあるような気がしているんです。ぎみゆらさんの立てたスレッドなので、後は控えます。


>今の平成天皇は年下ですから戦争中には歌ったこと無いんじゃないですか。

それは、今上天皇陛下に対して失礼な言い方ですので、改めた方がよろしいかと思います。意図的に政治意思の表明としてされているのなら別ですが、そういう表現だと諡になってしまいます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):サイパン慰霊の旅から考える  ■名前 : ぎみゆら <gimiyura@fox.dti2.ne.jp>  ■日付 : 05/7/1(金) 17:40  -------------------------------------------------------------------------
   昭和 人さん、こんにちは。


おそらく多くの人たちが、それぞれに複雑な、さまざまな思いで、
サイパンの二日間を見守っていたのではないだろうかと思います。
私自身、かなり複雑な気持ちでした。

たとえば私の父と母は、いまでも昭和天皇を許していないだろうと
思います。たとえば私の妻の母は、いまでも正月の新春参賀が
テレビに映ると、台所仕事の手を止めて、目を細めて見ています。
いずれも昭和 人さんと同じ年頃、昭和ヒトケタです。

それに、サイパンのすぐ南西のテニアン島は、広島に落とされた
リトルボーイ、長崎原爆ファットマンを積んだB29が飛び立った
地です。今回の訪問先には、そのテニアン島で戦死した米兵たちの
ための慰霊碑も、入っていました。

国を問わず、軍人、民間人を問わず。その姿勢はもちろん、先に
書いたとおり、平和のための慰霊として、たいへん重要な条件だと
思うのですが、だからといって、感情まで含めて、そう簡単に、
すべてきれいに割り切れるというものでもないのでしょうね。

ただ、今回の慰霊の旅は、「現在の皇室」という立場から、できる
かぎり、さまざまな方面への配慮やバランスなどを、考え抜いた
うえでのものであったのだろうということは、私なりに感じます。

その点が、戦争犠牲者を慰霊する、非戦、平和を誓って、安らかな
眠りを祈る、そのあり方を考えるうえで、いくつか考えさせられる
ところがあった。そうも、感じています。

正直いって、このスレッドには、レスは付かないかもしれないと
思っていました。書き込んでいただいたおかげで、私もこのように、
少し言葉を継ぐことができました。どうもありがとうございます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):サイパン慰霊の旅から考える  ■名前 : 加茂井77  ■日付 : 05/7/1(金) 18:02  -------------------------------------------------------------------------
   ぎみゆらさん、

 政府関係、たとえば官房長官談話だと、TVニュースでは追悼という言葉が使われる一方、新聞記事はほとんど慰霊になっていました。追悼と慰霊ではまったく意味が違うと思うのですが、今回はどちらが正しいのでしょう。
 眠れないほど気になっているのではないし、その程度の雑な考えでも良いのかとも思いますが、少し気になったもので。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):サイパン慰霊の旅から考える  ■名前 : ぎみゆら <gimiyura@fox.dti2.ne.jp>  ■日付 : 05/7/1(金) 22:16  -------------------------------------------------------------------------
   加茂井77さん、こんにちは。


>  政府関係、たとえば官房長官談話だと、TVニュースでは追悼
> という言葉が使われる一方、新聞記事はほとんど慰霊になって
> いました。追悼と慰霊ではまったく意味が違うと思うのですが、
> 今回はどちらが正しいのでしょう。

今回の報道等に関しては、私は「追悼」という言葉にはあまり記憶が
なかったので、ちょっと調べてみました。

帰国時の官房長官談話は、「慰霊」でした。↓
http://www.kantei.go.jp/jp/tyokan/koizumi/2005/0629danwa.html

あと、テレビニュースはすぐに流れてしまうので、こういうとき、
ちょっと困るのですが、試しにNHKのサイトで「サイパン 天皇」で
検索をかけてみたところ、やはり、ざっと見て目に止まったのは、
「慰霊」でした。
(すみません。これはちょっと、うまく表示させることができません
でしたので、ご興味がある方は、NHKサイトを開いて、ご自身で
お試しになってみてください。)

それはそれとして、どうなんでしょうか。たしかに追悼と慰霊は別の
ことかもしれませんが、これはそれほど大きな違いなんでしょうか。
私のなかでは、死んだ者に対する、生きている者の、一連の態度と
でもいった感覚で、あまり違和感はないのですが。

追悼、悼む、その人の死を悲しむ。今回のサイパン行でいえば、
かつての戦争で、彼の地でなくなった大勢の方々の死を悲しむ。
それは、二度とあのようなことを起こしてはならないという、
非戦の思いにつながるようにも思います。

慰霊、霊を慰めるというと、その言葉にこだわれば、霊魂を信じない
者はどう考えればいいのか、などといったことにもなるのかもしれ
ませんが、私は個人的には、安らかな眠りを願い、祈るということ
自体には、それほど心理的に抵抗はありません。やはり、死者たちに
安らかに眠っていただくためにも、必ず平和な世の中であってほしい
という気持ちにつながるような気がしています。

お答えになっているかどうか、正直、ちょっとよくわからないの
ですが、お尋ねにのって、感じるまま、思うままを書いてみました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):サイパン慰霊の旅から考える  ■名前 : JIMBOUF  ■日付 : 05/7/10(日) 1:18  -------------------------------------------------------------------------
   ぎみゆらさん直接ではありません 一般的に最新番号の後ろにつけさせて頂きます

丁度一週間前の土曜と翌日とのNHKスペシヤル“少年少女達のサイパン”に室井さんと言う当時12歳の子供のお母さんが断崖から飛び降りる写真がありました その直前に小さな人影が同じような落ち方で海に落ちて行きました 落ちついたナレーターの声がお母さんの落ちる直前に“何か別のものが落ちて行く映像が撮影されています”その後にも“落ちたものがなんなのか”という言葉が続き 次に室井さんの妹の遺体であると言う室井さんの言葉を伝えています 次に一寸した当時の混乱を伝える解説があって 目撃者であり撮影者であるアメリカのカメラマンがbabyとkidを見たと言っているのです 1chですから多くの方が見たと思います 
ここでNHKは2回も ものが落ちたと言い 室井さんとカメラマン氏はきちんとヒトと言っているわけです 当時の状況から崖の上から鞄やつづらが落とされる状況ではありませんでした 番組の最初にヒロヒトの子供夫婦がサイパンを訪れ例によってベタベタと仰仰しい敬語羅列のnewsがついていました 近間の別ニュースでは何処から来たか歓迎者が一斉に海ゆかばを歌ったとも報じてました
サイパンで4万人のの軍人と共に全滅に近い1万人以上の非戦闘員 特にこの場合残念ながら近くの兵の強制により命を失った赤ん坊は日本国政府所有の放送局により“もの”と言われ いちばんの戦争責任者(A級戰の命令者でもあった)及びその眷属は敬語ウハウハで敬われる この矛盾をどう考えますか クールな頭で考えて
上記海ゆかばには後半 オオギミのへにこそしなめかえりみはせじ となっています このまえはねっ返りの将棋指しが 国旗,コッカに起立しない者は片端から 退治すると喚いて ヒロヒトの息子がまあまあとなだめたとありましたが幼時Vining夫人の教育も受け 多少は米国民主主義の良さも分っているだろうから彼も頭coolに考えたら どう思うのでしょうかね

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):サイパン慰霊の旅から考える  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/7/10(日) 1:46  -------------------------------------------------------------------------
   ▼JIMBOUFさん:

その、ヒロヒトだの、ヒロヒトの息子だのという表現は、止めてもらえませんか。

非常に不愉快だし、冒涜的な言いようだと思います。あなたは冒涜することで得意になっているのかもしれませんが。

あなたは米国流民主主義の礼賛者なのでしょうが、日本と天皇を信じて戦い没した人に対する侮辱だと思います。あなたが戦勝国の米国流を礼賛するのはご自由ですが、日本国や天皇を貶めるような表現は謹んでください。

こんなことは常識です。


>ぎみゆらさん直接ではありません 一般的に最新番号の後ろにつけさせて頂きます
>
>丁度一週間前の土曜と翌日とのNHKスペシヤル“少年少女達のサイパン”に室井さんと言う当時12歳の子供のお母さんが断崖から飛び降りる写真がありました その直前に小さな人影が同じような落ち方で海に落ちて行きました 落ちついたナレーターの声がお母さんの落ちる直前に“何か別のものが落ちて行く映像が撮影されています”その後にも“落ちたものがなんなのか”という言葉が続き 次に室井さんの妹の遺体であると言う室井さんの言葉を伝えています 次に一寸した当時の混乱を伝える解説があって 目撃者であり撮影者であるアメリカのカメラマンがbabyとkidを見たと言っているのです 1chですから多くの方が見たと思います 
>ここでNHKは2回も ものが落ちたと言い 室井さんとカメラマン氏はきちんとヒトと言っているわけです 当時の状況から崖の上から鞄やつづらが落とされる状況ではありませんでした 番組の最初にヒロヒトの子供夫婦がサイパンを訪れ例によってベタベタと仰仰しい敬語羅列のnewsがついていました 近間の別ニュースでは何処から来たか歓迎者が一斉に海ゆかばを歌ったとも報じてました
>サイパンで4万人のの軍人と共に全滅に近い1万人以上の非戦闘員 特にこの場合残念ながら近くの兵の強制により命を失った赤ん坊は日本国政府所有の放送局により“もの”と言われ いちばんの戦争責任者(A級戰の命令者でもあった)及びその眷属は敬語ウハウハで敬われる この矛盾をどう考えますか クールな頭で考えて
>上記海ゆかばには後半 オオギミのへにこそしなめかえりみはせじ となっています このまえはねっ返りの将棋指しが 国旗,コッカに起立しない者は片端から 退治すると喚いて ヒロヒトの息子がまあまあとなだめたとありましたが幼時Vining夫人の教育も受け 多少は米国民主主義の良さも分っているだろうから彼も頭coolに考えたら どう思うのでしょうかね

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(5):サイパン慰霊の旅から考える  ■名前 : 頑固生きがい <1934shouzou@jcom.home.ne.jp>  ■日付 : 05/7/10(日) 2:48  -------------------------------------------------------------------------
   ▼告天子さん:
>▼JIMBOUFさん:
>
>その、ヒロヒトだの、ヒロヒトの息子だのという表現は、止めてもらえませんか。
>
>非常に不愉快だし、冒涜的な言いようだと思います。あなたは冒涜することで得意になっているのかもしれませんが。
>
>あなたは米国流民主主義の礼賛者なのでしょうが、日本と天皇を信じて戦い没した人に対する侮辱だと思います。あなたが戦勝国の米国流を礼賛するのはご自由ですが、日本国や天皇を貶めるような表現は謹んでください。
>
>こんなことは常識です。
>
>
>>ぎみゆらさん直接ではありません 一般的に最新番号の後ろにつけさせて頂きます
>>
>>丁度一週間前の土曜と翌日とのNHKスペシヤル“少年少女達のサイパン”に室井さんと言う当時12歳の子供のお母さんが断崖から飛び降りる写真がありました その直前に小さな人影が同じような落ち方で海に落ちて行きました 落ちついたナレーターの声がお母さんの落ちる直前に“何か別のものが落ちて行く映像が撮影されています”その後にも“落ちたものがなんなのか”という言葉が続き 次に室井さんの妹の遺体であると言う室井さんの言葉を伝えています 次に一寸した当時の混乱を伝える解説があって 目撃者であり撮影者であるアメリカのカメラマンがbabyとkidを見たと言っているのです 1chですから多くの方が見たと思います 
>>ここでNHKは2回も ものが落ちたと言い 室井さんとカメラマン氏はきちんとヒトと言っているわけです 当時の状況から崖の上から鞄やつづらが落とされる状況ではありませんでした 番組の最初にヒロヒトの子供夫婦がサイパンを訪れ例によってベタベタと仰仰しい敬語羅列のnewsがついていました 近間の別ニュースでは何処から来たか歓迎者が一斉に海ゆかばを歌ったとも報じてました
>>サイパンで4万人のの軍人と共に全滅に近い1万人以上の非戦闘員 特にこの場合残念ながら近くの兵の強制により命を失った赤ん坊は日本国政府所有の放送局により“もの”と言われ いちばんの戦争責任者(A級戰の命令者でもあった)及びその眷属は敬語ウハウハで敬われる この矛盾をどう考えますか クールな頭で考えて
>>上記海ゆかばには後半 オオギミのへにこそしなめかえりみはせじ となっています このまえはねっ返りの将棋指しが 国旗,コッカに起立しない者は片端から 退治すると喚いて ヒロヒトの息子がまあまあとなだめたとありましたが幼時Vining夫人の教育も受け 多少は米国民主主義の良さも分っているだろうから彼も頭coolに考えたら どう思うのでしょうかね


ひろひとにひろひとと言って何が悪いのですか?ぼうどく的だと仰いますが、天皇は神ではありませんし単に日本の象徴です。時代錯誤的な表現を用いたり、特別な人種と捉えるほうがおかしいのではありませんか?多分ヒロヒトと言われたほうがこの場合本人は心安んじると思いますが。

未だあなたたちには天皇は神様なのでしょうね。信じられないけれど古代遺物か生物か まあそのあたりだと思いますが せいぜい軍歌でも歌って満足していてください。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(6):サイパン慰霊の旅から考える  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/7/10(日) 8:50  -------------------------------------------------------------------------
   ▼頑固生きがいさん:

>ひろひとにひろひとと言って何が悪いのですか?

まるで子供の言い分ですね。「何々をして何が悪い」とか、そんなことまで人に尋ねなければ分からないとは、怪しい話です。

何が悪い、と開き直るのは、不良少年の常套です。老人のあなたまでがそんなことを言い出すようでは、倫理道徳がおかしくなるのも、分かるように思います。

この日本始まって以来、そんなことを天皇陛下に向かって言い出すような日本人が出たのは、ごく最近のことに過ぎません。日本伝統の道徳、倫理を全く踏み外した姿勢を、逆に「何が悪い」と人に尋ねるとは、やはり冒涜的な姿勢であり、反倫理的態度だと言わざるを得ません。


>ぼうどく的だと仰いますが、

冒涜的でしたね、やはり。


>天皇は神ではありませんし

あなたが神を知らないだけです。


>単に日本の象徴です。

天皇としての歴史を背負っての天皇陛下でしょう。何ですか、その単に日本の象徴というのは。あなたは日本国をも侮辱しています。こんな、人として最低の道義も弁えないとは、どうしたことかと私などは思います。


>時代錯誤的な表現を用いたり、特別な人種と捉えるほうがおかしいのではありませんか?

何ですか、その特別な人種、って。何か差別表現むき出しなのですが。どうして皇統を「人種」などと表現されるのか、無知の上に重なって無礼だと思います。


>多分ヒロヒトと言われたほうがこの場合本人は心安んじると思いますが。

あたかも、イジメを楽しんでいる高校生みたいな言い分ですね。友達だと思って遊んでやったんだ、とか言ってイビリまくる構図を、あなた、そっくり再現していますよ。大変興味深いですね。


>未だあなたたちには天皇は神様なのでしょうね。信じられないけれど古代遺物か生物か まあそのあたりだと思いますが せいぜい軍歌でも歌って満足していてください。

ほら、基本がおかしいから、侮蔑を再生産してしまう。日本社会を不幸にするような思考に日本人が染まりきったら、本当に恐ろしいことになると、あなたとお話しして思いました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(7):サイパン慰霊の旅から考える  ■名前 : たけチャン  ■日付 : 05/7/10(日) 10:38  -------------------------------------------------------------------------
   ▼告天子さん:
>▼頑固生きがいさん:
>
>>ひろひとにひろひとと言って何が悪いのですか?
>
>まるで子供の言い分ですね。「何々をして何が悪い」とか、そんなことまで人に尋ねなければ分からないとは、怪しい話です。
>
>何が悪い、と開き直るのは、不良少年の常套です。老人のあなたまでがそんなことを言い出すようでは、倫理道徳がおかしくなるのも、分かるように思います。
>
>この日本始まって以来、そんなことを天皇陛下に向かって言い出すような日本人が出たのは、ごく最近のことに過ぎません。日本伝統の道徳、倫理を全く踏み外した姿勢を、逆に「何が悪い」と人に尋ねるとは、やはり冒涜的な姿勢であり、反倫理的態度だと言わざるを得ません。
>

告天子さんは、自分と異なる考え方を一切認めない傾向がある。
「ヒロヒト」と聞くと無性に腹がたつらしい。
皇国思想で育った人は、全員が同じようにしないと、殴られたそうですね。
三つ子の魂100までですか。ごくろうさんなことです。

でもね、そんな単純なことでは理解できないことが多すぎる。
ヒロヒトは日米開戦に反対であったが、おタンポンの東條に騙されて開戦に追い込まれた。だから東條が祀られた靖国にはけしてお参りに行かなかった。このヒロヒトの気持ちを無視して、靖国に参拝する者こそヒロヒトを冒涜している。

グローバル時代に、自分と異なる意見を認めないでは、精神的鎖国になりませんか。外務省あって、外交なしの現在の日本外交は、意外とこんな石頭のせいかもね。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(8):サイパン慰霊の旅から考える  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/7/10(日) 11:02  -------------------------------------------------------------------------
   ▼たけチャンさん:

>告天子さんは、自分と異なる考え方を一切認めない傾向がある。

はあ?

罵倒も意見ですか??


>「ヒロヒト」と聞くと無性に腹がたつらしい。

侮辱をされて腹が立たないのは、およそ不自然な話だと思いますが。それに私は、腹を立てて言っているのではなく、道理を説いただけですが。その辺りの区別は、つかないのでしょうか。

付かないのであれば、迷惑なのでレスを付けるのは止めてくださいね。


>皇国思想で育った人は、全員が同じようにしないと、殴られたそうですね。

はあ???

何と言いますか、妄想に駆られて私にそれをぶつけられても、激しく迷惑なのですが・・・。


>でもね、そんな単純なことでは理解できないことが多すぎる。

あなたの上の意見が単純だと思います。


>ヒロヒトは日米開戦に反対であったが、おタンポンの東條に騙されて開戦に追い込まれた。だから東條が祀られた靖国にはけしてお参りに行かなかった。このヒロヒトの気持ちを無視して、靖国に参拝する者こそヒロヒトを冒涜している。

なんだか、たけチャンさんの手に掛かると、そういう理解になるようですね。歴史認識というものが、いかに難しいか、よく分かるように思います。昭和天皇のお気持ちが分かるとは、あなた様は神様か何かであられますか??


>グローバル時代に、自分と異なる意見を認めないでは、精神的鎖国になりませんか。外務省あって、外交なしの現在の日本外交は、意外とこんな石頭のせいかもね。

愚かな意見なら認める必要など全くありません。以後、私へのご意見は無用に願いたいです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(9):サイパン慰霊の旅から考える  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/7/10(日) 11:26  -------------------------------------------------------------------------
   礼儀を弁えない表現を、止めてもらいないかと頼んだら、

「いろいろな意見がある」

という返事が返ってくるとは、まさに驚きです。


こんなことでは、「老人が住みよい社会」など夢のまた夢で、意見内容を分析してみると、まず日本というものをそもそも軽んじている。自分の国を尊敬していない。過去の日本人を尊敬していないことも伺える。


そして、その「国の象徴」である天皇、と憲法にも記してあるのに、これに敬意を表しない。要するに、憲法に書いてあるからと言って、憲法に反することを平気でし、しかもその自覚がない。国の象徴なら、尊敬するのが当たり前で、ところが逆に「たかが象徴」と理解するらしい。国をも天皇をも法をも軽んじる、反文明的軽薄さ、無反省である。


これでは、「憲法をもって憲法を破る」の愚です。こういう日本人の性格が、戦争をもたらした原因にもなっているのでしょう。


反戦運動的なことをやっているつもりで、その実、無法な反文明や不道徳、争いごとを招来するなら、まさしく倒錯です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(8):サイパン慰霊の旅から考える  ■名前 : たけチャン  ■日付 : 05/7/10(日) 11:50  -------------------------------------------------------------------------
   >でもね、そんな単純なことでは理解できないことが多すぎる。
>ヒロヒトは日米開戦に反対であったが、おタンポンの東條に騙されて開戦に追い込まれた。だから東條が祀られた靖国にはけしてお参りに行かなかった。このヒロヒトの気持ちを無視して、靖国に参拝する者こそヒロヒトを冒涜している。

http://www.katokoichi.org/message/debate/index_go.htmlより
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【首相の靖国参拝問題について阿川弘之著「米内光政」から考える(その1)】

昨今、小泉首相の靖国神社参拝問題により、戦後長年にわたって我が国が努力してきた近隣諸国との友好関係がそこなわれ、わが国のアジアにおける地位が崩れかけてきているように見受けられます。近隣諸国、特に中国および韓国が問題にしているのは、現在の日本が太平洋(大東亜)戦争をきちんと総括していないという一点にあります。現代の日本人がその事を理解できないのは、開戦前夜から戦中にかけての事実をきちんと教育されてこなかった事が原因だと考えます。
戦後日本では、「戦前戦中は軍国主義であり軍国主義は誤りだった」というようにあまりにも単純に教えるだけで、なぜ開戦を止めることが出来なかったのかという問題の本質をきちんと総括せず、開戦前夜から戦中にかけての政治状況に関し、国民に対してほとんど具体的な知識を与えないまま過ごしてきてしまったのです。
また最近靖国参拝問題に関して外国の干渉という面ばかり強調されていますが、東京裁判におけるA級戦犯は、連合国に対する戦争犯罪人というだけでなく、積極的であるか消極的であるかを問わず、彼らの無責任で無謀な開戦方針により死んでいった200万にものぼる邦人に対する犯罪人でもあるのです。
ABCD包囲網により日本は開戦せざるを得なかったというような戦争前夜の亡霊のような意見が多くの国民に支持され始めている現状はあまりにも危険です。なぜ経済包囲網の中でもじっとこらえ、耐えに耐えて夜明けを待つことが出来なかったのか?その道を進むべく戦争回避の為に天皇陛下とともに努力していた人々を謀略により政権の中枢から追い出して開戦を方向付けたのは誰なのか?その者たちの責任をうやむやにして良いのか?
若い頃から英国皇室との結びつきが深く米英とはあくまで戦争をしたくなかった昭和天皇の意思を踏みにじって開戦を方向付けたのは誰なのか? 開戦に反対し続け、その為に努力をしていた人々を日本政府の中枢から追い落とした人間は戦争犯罪人ではないのか? 東京裁判の適法性を言う前にA級戦犯とされた人々が日本国民に対してどれほどの罪を犯したかをきちんと総括すべきであり、その為には国民に正確な情報を知らせる必要があるのです。私は多くの国民に正確な情報を知ってもらうには、阿川弘之著「米内光政」を読んでいただくのが一番だと思い、同書の要約を致しました。この本が多くの国民に読まれ、日本国民が正確な情報の元で正しい判断が出来るよう望んでやみません。
 阿川弘之著「米内光政」(昭和53年新潮社発行)は戦後心有る旧海軍関係者が2度とこのような悲惨な戦争を起こす事の無いように身を粉にして書き綴った事実の記録の集大成です。この本には太平洋戦争開戦にいたる上層部の権力闘争の記録、開戦に至った経緯と激しい反省、昭和天皇の陸軍への反発、天皇と海軍による対米英戦回避の努力についての記載があり、戦争に反対しぬいていた海軍首脳が無謀な開戦を主張する人々によって政権から引き摺り下ろされ万策尽きるまでの国内状況の記録があります。一部真珠湾攻撃の部分は同じ著者の「山本五十六」からの要約です。「米内光政」を読まれた後、同著者が同じく新潮社から出版している「山本五十六」「井上成美」「軍艦長門の生涯」を読んでいただければ幸いです。「軍艦長門の生涯」は長門の生涯を通して今は滅亡してしまった日本海軍の歴史を綴ったものです。
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 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(9):サイパン慰霊の旅から考える  ■名前 : たけチャン  ■日付 : 05/7/10(日) 11:52  -------------------------------------------------------------------------
   【首相の靖国参拝問題について阿川弘之著「米内光政」から考える(その2)】

阿川弘之著「米内光政」(昭和53年新潮社発行)要約(カッコ内は私のコメント)。

 昭和5年ロンドン軍縮会議を手がけた財部海軍大将は帰国すると「売国奴財部を葬れ」とか「英米の前にひれ伏して国を売った降将財部、速やかに自決して罪を謝せ」とかいった檄文を何百枚もまかれたが、この時から海軍米英協調派の提督達が次々に現役を追われ海軍は右傾化して行き、世論マスコミもこれを支持した。この条約派のなかで奇跡的に首にならずに現役に留まったのが山本五十六や井上成美だった。軍縮条約によって相手の軍艦の建造数を抑えるのは海戦でその軍艦を沈めるのと同じ効果がある。国力の小さな国が無尽蔵の資源を持つ国を相手にするには軍縮条約によって相手の手を縛るのが最も効果があるというのが条約派の主張だった。
 昭和11年2月26日、陸軍部隊のクーデター「2.26事件」が起きた。この第一報を受けて海軍の横須賀鎮守府は陸軍部隊の鎮圧にたちあがる準備に入った。昭和天皇をいつでも洋上にお移しする事が出来るよう巡洋艦「那珂」が芝浦沖回航の待機状態に入った。この時の鎮守府長官が米内光政であり参謀長が井上成美だった。米内はこの陸軍部隊を即座に「反乱軍」と断定し、内部に同調者が出そうになっていた海軍部隊全体の動揺を完全に抑えた。宿毛湾で演習中だった連合艦隊は急遽第1艦隊と第2艦隊に分かれ、東京湾及び大阪湾に入港した。東京湾に入った旗艦長門以下第1艦隊の戦艦群はその主砲の照準を反乱軍の占拠する国会議事堂に合わせていた。もし陸軍が反乱軍に呼応した場合一挙に反乱軍を鎮圧し陸軍との内戦に入る為である。長門の主砲3発で国会議事堂は反乱軍もろともこなごなになるところだった。この間陸軍上層部の姿勢は「皇軍をもって皇軍は討てない」などと二転三転した。この時昭和天皇は陸軍が反乱軍を討てないと言うなら自分みずから近衛師団を率いて反乱軍の鎮圧にあたるとまで言い出された。その結果海軍と陸軍による内戦の危機は回避され、反乱軍将校の逮捕または自決、下士官は原隊復帰という形で決着がついた。(この時生き残った将校がその後満州に追放され関東軍の中枢を占める事になる)この時陸軍はこの大不祥事を起こした責任を反省し体質を正して粛軍をしなければならなかったのに、事件後居直ったかたちで態度を硬化させ始めた。この身内に対する甘さが後の戦争への布石となって行く。

 昭和14年2月、第1次近衛内閣の時、衆議院予算海軍分科会における社会大衆党水谷長三郎の質問に対し、海軍大臣だった米内光政は「軍備は最小にとどめるべき、軍人は政治に関与すべからず、国防あって政治無き国家は滅亡する、統制は限度があり生産配分の統制までは良いとしても消費まで統制するべきではない、諸般の改革は必要だがレボリューショナリーではなくエボリューショナリーに行うべき」などと答弁している。この時の海軍次官が山本五十六、軍務局長が井上成美でこのラインによって日独伊三国同盟は完全に阻止し抜かれていた。

 このころの外務省はどうかというと、陸軍と同じく下克上の状態にあり、ヒットラーかぶれのイタリア大使白鳥敏夫やドイツ大使大島浩の三国同盟締結に向けた策動は目にあまるものがあった。戦後駐米大使を務め福田内閣では経済担当相として活躍した牛場信彦など、三国同盟に熱を上げる若い外務事務官数十人がしきりに周囲を扇動し「白鳥敏夫を外務大臣に」と50人ばかりの連判状を直接総理大臣に提出している。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(10):サイパン慰霊の旅から考える  ■名前 : たけチャン  ■日付 : 05/7/10(日) 11:54  -------------------------------------------------------------------------
   【首相の靖国参拝問題について阿川弘之著「米内光政」から考える(その3))】

 昭和14年5月になると海軍首脳の身辺にも常に暗殺の危険が伴ってくるようになった。7月になると各地の都市で排英市民大会が開かれるようになり、新聞には「援蒋政策に躍起となって我が聖戦の目的を妨害している英国を排撃せよとの反英運動が全国に燃え広がっている折柄、帝都では7月12日午後6時から対支同志会主催の英国排斥市民大会が日比谷公会堂で堂々と開催された。熱心な聴衆約四千人が詰めかけ、暑さも忘れて反英の意気に沸き立ち真に感激と緊張、織りなす国民的な興奮を描いた。」等という記事が掲載されるようになる。
 記事は続き、「講師は{日本の敵は支那に非ずして英国である。老獪大英国に乗ぜられぬよう我々国民は当局を激励するとともに日英会談を見守らねばならぬ}と説き、聴衆熱狂の中に最後に万歳を三唱九時過ぎ散会した」とある。
 これが当時の世論であり、この「天の声民の声」に逆らっていたのは少数の閣僚を除くと海軍上層部のみとなっていた。現在ではこの頃の事を「軍人ばかり威張っていやな世の中だった」と言われるが海軍省の軍人にとっては威張るどころではなく、右翼の壮士から「貴様らイギリスがこわいか、アメリカがこわいか。弱虫、腰抜け、役立たず。貴様らの大和魂はどこについておる」と罵声を浴びせかけられる毎日であり、米内光政、山本五十六などは何時殺されてもおかしくない状況だった。このころ山本五十六は暗殺を覚悟し遺書をしたためている。

 このような情勢にもかかわらず、同年8月8日に行われた5相会議において石橋蔵相の「日独伊の海軍が英仏米ソの海軍と戦って勝算があるか」との質問に米内光政海相は「勝てる見込みはありません。だいたい日本の海軍は、米英を向こうに廻して戦争するようには建造されておりません。独伊の海軍にいたっては問題になりません」と答弁している。

 その後ドイツの背信行為とも言える独ソ不可侵条約により、三国同盟を推進しようとしていた平沼内閣は「欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じ」という有名な言葉を残して総辞職する。閣内で三国同盟反対の砦であった米内光政海軍大臣は隠居、山本五十六は連合艦隊司令長官として政権を離れた。この総辞職までの間、実に70数回に及ぶ五相会議において、陸軍が提案していた日独伊三国同盟は米内、山本、井上ラインによってことごとく潰されていた。

 次ぎの阿部内閣は、組閣に対し昭和天皇から「憲法尊守、米英協調、陸軍大臣は梅津か畑以外は許可しない」ときつく注意されたために自主外交、欧州の戦乱不介入を唱えるほど穏健になり、組閣からわずか4ヶ月後にみずから担ぎ出した陸軍の倒閣運動により瓦解する。

 次期首相として陸軍は畑陸相を本命としていたが、昭和天皇は時代の大きな流れを憂慮され平和の最後の砦としてこの頃としては異例な「ご自身の意思」により米内光政に大命を降下され世間の驚きの中で米内内閣が組閣された。しかし組閣後すぐの昭和15年7月上旬には右翼団体による米内首相暗殺未遂事件が発覚、その数日後に陸軍大臣の辞任と陸軍からの入閣拒否によって総辞職に追い込まれ、組閣からわずか6ヶ月で瓦解してしまった。米内内閣は世論の支持もあり長期化する様相を示した為、三国同盟を急ぐ陸軍は策略をめぐらし米内内閣を瓦解させるに至った。

 昭和天皇は終戦後米内光政に「あの時米内内閣が続いていれば」と惜しまれた。事実米内内閣があと数年倒れずに続いていればナチスドイツの敗色は鮮明となり、日独伊三国同盟の締結など考えられない状況になっていた。そして数百万日本国民は死なずにすみ、近隣諸国は戦禍に蹂躙されずに済んだ。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(11):サイパン慰霊の旅から考える  ■名前 : たけチャン  ■日付 : 05/7/10(日) 11:56  -------------------------------------------------------------------------
   【首相の靖国参拝問題について阿川弘之著「米内光政」から考える(その4)】

この頃ヒットラー、ムッソリーニとの三国同盟に真正面から強力に反対していたのは海軍であって世論でもマスコミでもなかった。それどころかマスコミは三国同盟締結の為に世論をあおっていたのである。

 第3次近衛内閣によって提案された三国同盟案は、本会議にかける前に枢密院審査委員会の審議が必要だったが、委員会では近衛文麿首相に対し激しい質疑が続き、また昼食後昭和天皇から「この条約が出来たら国民はさぞ難儀をするだろう」とのお言葉があり近衛首相はその罪の深さを思い宮中で卒倒してしまった。ロンドン大使館の海軍武官は、親米英の昭和天皇がヒットラーやムッソリーニと同列にされてしまった皮肉に涙を流してそのお立場を察したという。

 海軍首脳部では合理的な図上演習が何度も繰り返されていた。しかし何度やっても最後は全国が焼け野原になる状況が続いていた。鉱工業生産力のあまりの違いから兵器生産能力に大きな差があったため、戦争継続はせいぜい1年から1年半が限度だった。米内光政、山本五十六、井上成美が米英戦に強力に反対していたのもその為だった。しかし非合理的で無謀な東条内閣のもとで開戦が決定されてしまった。(この東条内閣の閣僚として登場する岸信介は右翼社会主義思想の旗手「北一輝」に大きな影響を受けており、東条英機ら陸軍の首脳部の政策に大きな影響を与えていたが終戦後首相にまで上りつめている)計らずもこの時期に連合艦隊司令長官の任にあった山本五十六は自らの信念に反する戦争の海軍における最高責任者となってしまっていた。英国王室との深い関係を持つ天皇家も、英国海軍を模範として発展し、英国海軍と非常に強い繋がりをもつ日本海軍も米英との戦争はどうしてもしたくなかった。しかしますます開戦は避けられない情勢に進み、悩んだ末に山本五十六は最も少ない被害で早期講和に持ち込む策として真珠湾攻撃を考案し、その後一挙にアメリカの空母をたたくべくミッドウエー作戦を容認した。

 真珠湾攻撃によって一挙に米国の海軍力を瓦解させ、民主国家米国の国民に冤戦気分を蔓延させ、その世論によって議会に食い込み有利に講和に持ち込もうという考え方だった。真珠湾攻撃は大成功に終わったが山本五十六が最も重要視していた空母を発見し撃沈する事は出来なかった。その為にその後ミッドウエー作戦が行われたが、ミッドウエー島への攻撃はあくまでアメリカの空母をおびき寄せる為のおとりであると言う山本五十六の考えが正確に伝わっておらず、おびき寄せられた空母を撃沈する為に前もって装備されていた魚雷を陸用爆弾に切り替えるというミスにより大敗北をし、この敗北により早期講和の機会は失われてしまった。
 山本はミッドウエー作戦を開始するにあたりこの開戦に勝利したら和平交渉を始めてほしい諭旨上申している。また連合艦隊司令長官を米内光政に譲り、自分は第一航空艦隊司令として現場で指揮を取りたいと申し出ていた。山本五十六が直接指揮を取っていたならミッドウエー海戦に勝利し、浮き足立つアメリカと早期講和が実現していた可能性もある。

 井上成美海軍大将は戦前この戦争に徹頭徹尾反対しつづけた為に戦争中江田島の海軍兵学校長として中央から遠ざけられていた。戦争末期になって東条英機が戦いを投げ出した後、再び米内光政が海軍大臣として入閣すると、請われて海軍次官になりポツダム宣言のずっと前から高木惣吉少将に極秘裏に早期終戦の為の研究を命じた。この頃一億玉砕はほぼ避けえないものと思われており、終戦のための努力などが知られれば暗殺は免れない状況だった。高木惣吉は昭和19年9月から伊豆にこもって終戦の研究を始め、これによりポツダム宣言の受諾がスムーズに進み日本国民は一億玉砕から救われた。(この研究がなかったならば終戦は遅れ、広島、長崎に続き数日のうちに小倉、新潟に原子爆弾が投下されていた。)

 

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(12):サイパン慰霊の旅から考える  ■名前 : たけチャン  ■日付 : 05/7/10(日) 12:04  -------------------------------------------------------------------------
   【首相の靖国参拝問題について阿川弘之著「米内光政」から考える(その5)】

 米英と戦争をしたくないという昭和天皇のご意志を泥足で踏みにじりながら、天皇を利用して統帥権を盾に自らの責任をのがれつづけた東条英機など陸軍の首脳部。改革派と呼ばれた青年外務官僚らの言に乗って三国軍事同盟案を提案したり、日ソ不可侵条約締結に有頂天になった松岡外相。ただただバスに乗り遅れまいと無責任極まりなく三国同盟を締結した近衛文麿首相。彼等一握りの人々が井上成美の言う本当の戦争責任者であり戦争犯罪人なのです。

 戦後靖国神社は米国の決めたA級戦犯すべてでは無く、A級戦犯のうち天皇の意志に反してヒットラーとの日独伊三国同盟締結に奔走し、無謀な開戦に直接関与し、何百万の日本国民の死に大きな責任がある東条英機ら14名の戦争責任者を祀らずに別にしていました。しかしその後旧陸軍出身の人物が宮司となった1978年に、せっかく別祀されていたこれら戦争責任者もすべて靖国神社に合祀されてしまったのです。

 戦前からずっと戦争への道に抵抗しつづけておられながらヒットラーやムッソリーニと同列に扱われる運命になった昭和天皇の苦悩。マッカーサーに「すべての責任は自分に有る。自分を処刑してよいから国民を救ってくれ」と懇願された昭和天皇。戦後焦土と化した国土の中、国民を励ます為に全国を回られた昭和天皇。その昭和天皇が最も嫌われたのが、天皇の反対を押し切って中国における戦争を始め、天皇の意思に反して三国同盟への道を突き進んだ横暴な陸軍首脳部でした。 

 靖国神社はもともと天皇家の為に戦って戦死した兵士の御霊を祀る為の神社です。従って西南戦争で官軍と戦って死んだ西郷隆盛などは明治維新に大きな貢献をしていても、祀られてはいないのです。そのような靖国神社に、昭和天皇の意志に反して戦争を始めた東条英機ら数名の戦争責任者を今なお平気で合祀している現在の靖国神社の態度と、合祀した状態での靖国神社への首相の公式参拝を声高に主張する方々は昭和天皇の苦悩をどう考えておられるのでしょうか。
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以上、http://www.katokoichi.org/message/debate/index_go.htmlからのコピーでした。
昭和天皇の側近の方々の記述から判断して、東条英機の祀られている靖国には参拝する気になれないお気持ちを察したしだいです。これを、神様だのと茶化すのは、間接的にヒロヒトを冒涜していることになる。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(13):サイパン慰霊の旅から考える  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/7/10(日) 12:24  -------------------------------------------------------------------------
   ▼たけチャンさん:

>以上、http://www.katokoichi.org/message/debate/index_go.htmlからのコピーでした。
>昭和天皇の側近の方々の記述から判断して、東条英機の祀られている靖国には参拝する気になれないお気持ちを察したしだいです。これを、神様だのと茶化すのは、間接的にヒロヒトを冒涜していることになる。


こういうコピペはこちらでは禁じられていたと思いますが。私に迷惑なだけでなく、掲示板にまで迷惑が掛かるようですから、いよいよ止めていただきたいのですが。


なお、上記引用は一方の言い分だけであり、陸軍には陸軍の見方があるでしょう。それをすっかり信用して、それを根拠に他人を罵倒するとは、単純に過ぎる、という感想は特に変わりません。


それから、私が「あなたは神様ですか」と尋ねたのは「たけチャン」さんにそう言っているので、誤読による言いがかりは止めていただきたいです。

また、相変わらず「ヒロヒト」などと書いたその上で、逆に他人を「天皇を冒涜」と言い出すなど、倒錯的であり、ご自身の文章をまず読んでから意見を書くことをおすすめします。


お気持ちを察するどころか、

>ヒロヒトは日米開戦に反対であったが、おタンポンの東條に騙されて開戦に追い込まれた。だから東條が祀られた靖国にはけしてお参りに行かなかった。このヒロヒトの気持ちを無視して、靖国に参拝する者こそヒロヒトを冒涜している。

どう読んでも昭和天皇を愚弄した意見内容であり、愚弄しながら「お気持ちを察しているのだ」など、とてもまともな意見とは思えません。改めて確認しましたので、今後はレスはご無用に願います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(13):サイパン慰霊の旅から考える  ■名前 : 昭和 人  ■日付 : 05/7/10(日) 15:41  -------------------------------------------------------------------------
   たけチャンさん。
このこと常識的に受け取られていますが、私は、その他の昭和史の史実や井上成美の戦後談から少々違った評価をしています。

・米内光政も山本五十六も戦争責任者であることには変わりない。

・東条、阿南は責任をとった。
 (「一死、大罪を謝す」角田房子も読んで欲しい。)

日本人による「戦争責任」は未だに 解明追求、総括されていない。 
終戦60年にあたって、戦争体験者の生きているうちに、少しずつ検証、明らかにして行くべきだと思う。
 最近、昭和史は最近若手学者が入って深く、充実されつつあり よいことと思う。
大切なことは、同様な過ちを2度と繰り返すことのないように、へ反省継承へつなぐつなぐことであり、そのためにも 憲法9条を堅持することであると考えます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(14):サイパン慰霊の旅から考える  ■名前 : たけチャン  ■日付 : 05/7/10(日) 16:55  -------------------------------------------------------------------------
   ▼昭和 人さん:
>たけチャンさん。
>このこと常識的に受け取られていますが、私は、その他の昭和史の史実や井上成美の戦後談から少々違った評価をしています。
>
>・米内光政も山本五十六も戦争責任者であることには変わりない。
>
>・東条、阿南は責任をとった。
> (「一死、大罪を謝す」角田房子も読んで欲しい。)
>
>日本人による「戦争責任」は未だに 解明追求、総括されていない。 
>終戦60年にあたって、戦争体験者の生きているうちに、少しずつ検証、明らかにして行くべきだと思う。
> 最近、昭和史は最近若手学者が入って深く、充実されつつあり よいことと思う。
>大切なことは、同様な過ちを2度と繰り返すことのないように、へ反省継承へつなぐつなぐことであり、そのためにも 憲法9条を堅持することであると考えます。


戦争責任の総括、憲法9条を堅持は同感です。
日本にはまだ可笑しなひとがいる。

西欧の文化では、名前は単なる記号であり、誰を示しているかが分ればいい。だから大統領でさえブッシュと呼び捨てにして構わない。
ところが、日本では「名は体を現す」ということである。学校でも、企業でも名前を間違えて呼ぶと失礼に当たる場合がある。名前は単なる記号でなくて、「体」を現す文化は、何処から来るのか。ルーツを辿っていけば中華思想に行き着く。

天皇をヒロヒトというのは、名前で天皇を侮辱するつもりではないかもしれない。
アメリカ人が天皇をヒロヒトと呼んで、怒る人はいないであろう。西欧の文化に慣れ親しんだ者が、自らの価値観に基づいて、言葉を選び発言するのは、良いことである。

ところが、自分と異なる価値観を持つ日本人を認めない態度は、大人気ないと言わざるを得ない。また、そんな単純な価値観では、外国の異なる文化、価値観を持つ人々を理解できないでしょう。相手を認めずして、どうして理解などできようか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 移動しました  ■名前 : 管理スタッフ  ■日付 : 05/7/10(日) 20:31  -------------------------------------------------------------------------
   ▼たけチャンさん:

Ray@スタッフです。
以下の投稿は掲示板のルール(投稿内容、転載、引用その他/
字種、文字数の制限)のうち

 ・各種法令に抵触する恐れのある投稿(著作権の侵害)

に抵触するものと見なし、削除対象として
スタッフ連絡板に移動しました。
以後、この書き込みへのレスを禁止します。

#ルールの詳細は「掲示板のルール」をご参照ください#

同様の書き込みが繰り返される場合には
掲示板のルールを遵守する意志のないものとして
削除・書き込み制限措置の対象と見なします。

なお、この件に関して総合掲示板に書かれたご意見には
原則としてレスいたしませんのであらかじめご了承ください。
よろしくお願いいたします。

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(削除対象)

【55927】Re(8):サイパン慰霊の旅から考える  たけチャン - 05/7/10(日) 11:50 -

【55928】Re(9):サイパン慰霊の旅から考える  たけチャン - 05/7/10(日) 11:52 -

【55929】Re(10):サイパン慰霊の旅から考える  たけチャン - 05/7/10(日) 11:54 -

【55930】Re(11):サイパン慰霊の旅から考える  たけチャン - 05/7/10(日) 11:56 -

【55933】Re(12):サイパン慰霊の旅から考える  たけチャン - 05/7/10(日) 12:04 -

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 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(7):サイパン慰霊の旅から考える  ■名前 : 頑固生きがい <1934shouzou@jcom.home.ne.jp>  ■日付 : 05/7/10(日) 14:56  -------------------------------------------------------------------------
   ▼告天子さん:
>▼頑固生きがいさん:
>
>>ひろひとにひろひとと言って何が悪いのですか?
>
>まるで子供の言い分ですね。「何々をして何が悪い」とか、そんなことまで人に尋ねなければ分からないとは、怪しい話です。
>別に貴方にお尋ねしてはいません。戦争で死ぬ思いを体験したからこそ昭和天皇は国民に謝罪すべきだったんです。
>何が悪い、と開き直るのは、不良少年の常套です。老人のあなたまでがそんなことを言い出すようでは、倫理道徳がおかしくなるのも、分かるように思います。
>貴方には心を読む修練が必要かと思います。字ずらだけを追って説教じみた評論は的外れもいいところです。
>この日本始まって以来、そんなことを天皇陛下に向かって言い出すような日本人が出たのは、ごく最近のことに過ぎません。日本伝統の道徳、倫理を全く踏み外した姿勢を、逆に「何が悪い」と人に尋ねるとは、やはり冒涜的な姿勢であり、反倫理的態度だと言わざるを得ません。
>私は若いときから天皇制に疑問を持ち、否定する信条を貫いてきましたから昨日今日言い出しわけではありません 念のため。但し天皇盲信者と議論するのは時間の無駄ですからレスは必要ありません。
>
>>ぼうどく的だと仰いますが、
>
>冒涜的でしたね、やはり。
>
>
>>天皇は神ではありませんし
>
>あなたが神を知らないだけです。
>
>
>>単に日本の象徴です。
>
>天皇としての歴史を背負っての天皇陛下でしょう。何ですか、その単に日本の象徴というのは。あなたは日本国をも侮辱しています。こんな、人として最低の道義も弁えないとは、どうしたことかと私などは思います。
>
>
>>時代錯誤的な表現を用いたり、特別な人種と捉えるほうがおかしいのではありませんか?
>
>何ですか、その特別な人種、って。何か差別表現むき出しなのですが。どうして皇統を「人種」などと表現されるのか、無知の上に重なって無礼だと思います。
>
>
>>多分ヒロヒトと言われたほうがこの場合本人は心安んじると思いますが。
>
>あたかも、イジメを楽しんでいる高校生みたいな言い分ですね。友達だと思って遊んでやったんだ、とか言ってイビリまくる構図を、あなた、そっくり再現していますよ。大変興味深いですね。
>
>
>>未だあなたたちには天皇は神様なのでしょうね。信じられないけれど古代遺物か生物か まあそのあたりだと思いますが せいぜい軍歌でも歌って満足していてください。
>
>ほら、基本がおかしいから、侮蔑を再生産してしまう。日本社会を不幸にするような思考に日本人が染まりきったら、本当に恐ろしいことになると、あなたとお話しして思いました。

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