Page 450 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼うん。グッドニュースじゃ ニッチモサッチモ 05/7/13(水) 9:55 ┣Re(1):うん。グッドニュースじゃ ozone 05/7/13(水) 11:28 ┃ ┣Re(2):グッドorバッドは別で、 Gokai 05/7/13(水) 13:17 ┃ ┃ ┗Re(3):グッドorバッドは別で、 ozone 05/7/13(水) 15:18 ┃ ┃ ┣Re(4):グッドorバッドは別で、 Gokai 05/7/13(水) 17:08 ┃ ┃ ┗主張の根拠を教えてください。 退役軍人 05/7/13(水) 17:14 ┃ ┃ ┗Re(1):主張の根拠を教えてください。 ozone 05/7/13(水) 19:55 ┃ ┃ ┣Re(2):主張の根拠を教えてください。 ワン太郎 05/7/13(水) 21:12 ┃ ┃ ┣Re(2):主張の根拠を教えてください。 Gokai 05/7/13(水) 21:39 ┃ ┃ ┗これはおかしい。 退役軍人 05/7/13(水) 21:44 ┃ ┃ ┣そもそも教育ってのは『国策』でしょう。 YOTA 05/7/13(水) 22:34 ┃ ┃ ┃ ┗それを言っちゃあ、お終いよ。 退役軍人 05/7/13(水) 23:07 ┃ ┃ ┗Re(1):これはおかしい。 ozone 05/7/13(水) 23:55 ┃ ┃ ┗これもおかしい。 退役軍人 05/7/14(木) 1:21 ┃ ┃ ┗Re(1):これもおかしい。 ozone 05/7/14(木) 12:17 ┃ ┃ ┗Re(2):これもおかしい。 Gokai 05/7/14(木) 13:06 ┃ ┃ ┗Re(3):これもおかしい。 ozone 05/7/14(木) 13:45 ┃ ┃ ┗まったく異質なもの。 退役軍人 05/7/14(木) 17:03 ┃ ┃ ┗Re(1):まったく異質なもの。 ozone 05/7/14(木) 18:59 ┃ ┃ ┗Re(2):教師による選択は恣意(勝手、思い付き)的 Gokai 05/7/14(木) 21:11 ┃ ┃ ┣Re(3):教師による選択は恣意(勝手、思い付き)的 MNG 05/7/14(木) 22:09 ┃ ┃ ┃ ┣Re(4):恣意(勝手、思い付き)的という侮蔑に抗して 蝦夷縞 ふく朗 05/7/14(木) 23:29 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(5):恣意(勝手、思い付き)的という侮蔑に抗して Gokai 05/7/15(金) 0:16 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(6):恣意(勝手、思い付き)的という侮蔑に抗して ozone 05/7/15(金) 18:18 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(6):恣意(勝手、思い付き)的という侮蔑に抗して 蝦夷縞 ふく朗 05/7/15(金) 22:27 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(7):恣意(勝手、思い付き)的という侮蔑に抗して Gokai 05/7/15(金) 23:10 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗精度をたかめよう 沈黙の初夏 05/7/15(金) 23:54 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):精度をたかめよう Gokai 05/7/16(土) 7:50 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(2):精度をたかめよう 蝦夷縞 ふく朗 05/7/16(土) 15:28 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(3):精度をたかめよう Gokai 05/7/16(土) 21:15 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(4):精度をたかめよう 蝦夷縞 ふく朗 05/7/19(火) 20:07 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(5):精度をたかめよう 蝦夷縞 ふく朗 05/7/19(火) 20:08 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(6):精度をたかめよう Gokai 05/7/19(火) 21:28 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(4):精度をたかめよう Gokai 05/7/17(日) 0:48 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(5):精度をたかめよう 蝦夷縞 ふく朗 05/7/19(火) 22:12 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(6):精度をたかめよう 蝦夷縞 ふく朗 05/7/19(火) 22:13 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(7):精度をたかめよう Gokai 05/7/19(火) 22:33 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(8):精度をたかめよう 蝦夷縞 ふく朗 05/7/20(水) 0:33 ┃ ┃ ┃ ┣これは、さらにおかしい。 退役軍人 05/7/14(木) 23:45 ┃ ┃ ┃ ┗Re(4):教師による選択は恣意(勝手、思い付き)的 南国人J 05/7/15(金) 9:22 ┃ ┃ ┗Re(3):教師による選択は恣意(勝手、思い付き)的 ozone 05/7/15(金) 17:29 ┃ ┣Re(2):うん。グッドニュースじゃ ゆきりん 05/7/13(水) 18:26 ┃ ┗お受験には不利? 加茂井77 05/7/14(木) 15:53 ┃ ┗Re(1):お受験には不利? ozone 05/7/14(木) 16:17 ┣へぇー、これもよかね〜 ニッチモサッチモ 05/7/14(木) 15:25 ┃ ┗イヤー、参った、参った。 ニッチモサッチモ 05/7/18(月) 22:16 ┣Re(1):うん。グッドニュースじゃ MNG 05/7/14(木) 19:15 ┃ ┗あい、判った。 ニッチモサッチモ 05/7/14(木) 19:38 ┣こりゃ、やべーニュース ニッチモサッチモ 05/7/15(金) 6:04 ┗こんなのミッケ! ニッチモサッチモ 05/7/15(金) 7:46 ┗Re(1):こんなのミッケ! コップ酒 05/7/17(日) 10:40 ─────────────────────────────────────── ■題名 : うん。グッドニュースじゃ ■名前 : ニッチモサッチモ ■日付 : 05/7/13(水) 9:55 -------------------------------------------------------------------------
扶桑社教科書を採択 栃木・大田原市、市区町村立で初 http://www.sankei.co.jp/news/050713/sha011.htm 諸公のゴキゲン、如何? |
▼ニッチモサッチモさん: >扶桑社教科書を採択 栃木・大田原市、市区町村立で初 >http://www.sankei.co.jp/news/050713/sha011.htm > >諸公のゴキゲン、如何? ニッチモサッチモさんのお知らせで、天下の情勢はと、googleで検索したら次のような沢山のサイトがありました。 http://news.google.co.jp/news?q=%E6%95%99%E7%A7%91%E6%9B%B8%E3%80%80%E3 %81%A4%E3%81%8F%E3%82%8B%E4%BC9A&hl=ja&lr=&rls=GGLE,GGLE:197001,GGLE:ja&sa=N&tab=nn&oi=newsr 教科書採択時期が間近に迫り、まさに全国的にお互いしのぎを削る情勢にある事が分りました。 教育権を有する父母の皆様、その付託を受けて日本の主権者を育成している先生方、どうぞ子供達の幸せのために、教育基本法第十条、日本国憲法を基に、いい教科書を選んで下さい。教育内容に介入する政治権力を跳ね返して頑張って下さい。 教育の内容に政治権力の介入を許すことは、金王朝体制の教育と同じようなものを許すことになります。子供達が可愛そうです。 |
▼ozoneさん: >教育の内容に政治権力の介入を許すことは、金王朝体制の教育と同じようなものを許すことになります。子供達が可愛そうです。 ちょっと待ってください。 政治権力というのは、民主主義の権力=選挙民の権力ではないのですか? だから、政治権力の介入は正当な国民の権利でもあると思います。 官権力や、教育者の権力ならば、頂けないのですけども? |
▼Gokaiさん: >▼ozoneさん: > >>教育の内容に政治権力の介入を許すことは、金王朝体制の教育と同じようなものを許すことになります。子供達が可愛そうです。 > >ちょっと待ってください。 >政治権力というのは、民主主義の権力=選挙民の権力ではないのですか? >だから、政治権力の介入は正当な国民の権利でもあると思います。 > >官権力や、教育者の権力ならば、頂けないのですけども? 教育基本法第10条は如何なる権力によっても教育内容に介入する事を禁じております。これは戦前の教育勅語に基づいた洗脳教育を反省して、そのような条項を設けたそうです。 |
▼ozoneさん: >>ちょっと待ってください。 >>政治権力というのは、民主主義の権力=選挙民の権力ではないのですか? >教育基本法第10条は如何なる権力によっても教育内容に介入する事を禁じております。これは戦前の教育勅語に基づいた洗脳教育を反省して、そのような条項を設けたそうです。 結局、選挙民の権力といっても、 民意は洗脳専門機関のマスコミの意思でもあるから、 マスコミ権力ということになる。 従ってあらゆる権力の介入を禁止したのでしょうかね? しかしね。 教育委員会は誰がコントロールしているのでしょうか? 親の意思が反映されない教育とは一体何なのでしょう? |
ozoneさん、こんにちは。 ▼ozoneさん: >▼Gokaiさん: >>▼ozoneさん: >> >>>教育の内容に政治権力の介入を許すことは、金王朝体制の教育と同じようなものを許すことになります。子供達が可愛そうです。 >> >>ちょっと待ってください。 >>政治権力というのは、民主主義の権力=選挙民の権力ではないのですか? >>だから、政治権力の介入は正当な国民の権利でもあると思います。 >> >>官権力や、教育者の権力ならば、頂けないのですけども? > >教育基本法第10条は如何なる権力によっても教育内容に介入する事を禁じております。これは戦前の教育勅語に基づいた洗脳教育を反省して、そのような条項を設けたそうです。 このお説は教育基本法第十条の規定を、拡大解釈されていると考えます。 教育基本法第十条 (教育行政)第10条 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。 ↑この部分で教育行政の責任を定義し。 2 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。 ↑この部分で、その目的と手段を定義している、と読めます。 従って、いかなる権力によっても教育内容についての介入を禁じているとは読めません。 選挙を通じて選良、即ち国会議員や地方自治体議員に与えられた「立法権」。 更には、選挙によって選ばれた国会議員により、選ばれた大臣や長官等の行政責任者、あるいは自治体首長に与えられた「行政権」。 この二つの公権力による介入は、どちらも選挙を通じて合法的に与えられた権利であることから、この条文で規定された「不当な支配」と定義出来ないと考えます。 それとも、他の法律や省令などで規定されているのでしょうか。 どういう解釈でこう断言できるのか、根拠を教えて下さい。 失礼いたしました。 |
▼退役軍人さん: >ozoneさん、こんにちは。 > >▼ozoneさん: >>▼Gokaiさん: >>>▼ozoneさん: >>> >>>>教育の内容に政治権力の介入を許すことは、金王朝体制の教育と同じようなものを許すことになります。子供達が可愛そうです。 >>> >>>ちょっと待ってください。 >>>政治権力というのは、民主主義の権力=選挙民の権力ではないのですか? >>>だから、政治権力の介入は正当な国民の権利でもあると思います。 >>> >>>官権力や、教育者の権力ならば、頂けないのですけども? >> >>教育基本法第10条は如何なる権力によっても教育内容に介入する事を禁じております。これは戦前の教育勅語に基づいた洗脳教育を反省して、そのような条項を設けたそうです。 > >このお説は教育基本法第十条の規定を、拡大解釈されていると考えます。 > >教育基本法第十条 > >(教育行政)第10条 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。 > >↑この部分で教育行政の責任を定義し。 > >2 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。 > >↑この部分で、その目的と手段を定義している、と読めます。 > >従って、いかなる権力によっても教育内容についての介入を禁じているとは読めません。 > >選挙を通じて選良、即ち国会議員や地方自治体議員に与えられた「立法権」。 > >更には、選挙によって選ばれた国会議員により、選ばれた大臣や長官等の行政責任者、あるいは自治体首長に与えられた「行政権」。 > >この二つの公権力による介入は、どちらも選挙を通じて合法的に与えられた権利であることから、この条文で規定された「不当な支配」と定義出来ないと考えます。 公権力は教育行政を通じ教育条件の整備などを行う責任があります。そして公権力は憲法、教育基本法の精神、直接には、教育基本法10条により、教育内容に介入することは出来ません。 教育権はは子どもを産み育ている父母の皆さんにあります。従って教育はこの原点に依拠して成就されることを第一として行われなければなりません。 公権力が介入し、特定の価値観を子ども達に擦り込むような教育は洗脳教育です。戦後日本は戦前の子供達への軍国主義教育の注入を反省し、憲法、教育基本法に基づいて、偏向教育によって教育内容が歪められることが無いようにしたのです。 |
▼ozoneさん: 横から失礼します。 >公権力が介入し、特定の価値観を子ども達に擦り込むような教育は洗脳教育です。戦後日本は戦前の子供達への軍国主義教育の注入を反省し、憲法、教育基本法に基づいて、偏向教育によって教育内容が歪められることが無いようにしたのです。 「洗脳教育」は教師の主体的な行動無くしては不可能で、教科書、指導要綱程度ではほとんど無力です。 戦後において「洗脳教育」が行われた事実があります。 それは、ご心配の「公権力の介入」によるものでなく、 「左傾化偏向教師(のグループ)」によるものであります。 なぜこのように断言するのかと申しますと、 私がその「洗脳教育」の被害者であるからです。 「公権力による洗脳教育」というのは反体制を志向する人々の「常套句」であり、 現在の日本において「現実的」なものとは思えません。 「洗脳」を心配するなら「偏向教師(右でも左でも)の排除」を第一に考えるべきです。 |
▼ozoneさん: >>ちょっと待ってください。 >>政治権力というのは、民主主義の権力=選挙民の権力ではないのですか? >>だから、政治権力の介入は正当な国民の権利でもあると思います。 >>>教育基本法第10条は如何なる権力によっても教育内容に介入する事を禁じております。これは戦前の教育勅語に基づいた洗脳教育を反省して、そのような条項を設けたそうです。 >教育権はは子どもを産み育ている父母の皆さんにあります。従って教育はこの原点に依拠して成就されることを第一として行われなければなりません。 父母の皆さんの教育への意思は 誰が何時くみ上げているのでしょう? 現実はどうなっているのでしょう。 中央では文部官僚、地方では 教育委員会と教師の方々の意思が教育を行っているだけで、 父母の皆さんの意志はどこに通じているのですか? この部分では、教育の分野では 日本に民主主義が存在していないと思えてしまいます。 良い悪いは別にして。 >公権力が介入し、特定の価値観を子ども達に擦り込むような教育は洗脳教育です。戦後日本は戦前の子供達への軍国主義教育の注入を反省し、憲法、教育基本法に基づいて、偏向教育によって教育内容が歪められることが無いようにしたのです。 ↑こういう気持ちはわかりますが、基準がないのではありませんか。 つまり、枠があっても中身がない。 教育スキルがあっても、魂がないように見えます。 だから悪いと解かっている?・・内申書制度も何時までもなくならない。??? |
ozoneさん、こんばんは。 ozoneさんの個人的見解であり、法で規定されていないというのであれば、これ以上お訊ねするつもりはありません。 ▼ozoneさん: >公権力は教育行政を通じ教育条件の整備などを行う責任があります。そして公権力は憲法、教育基本法の精神、直接には、教育基本法10条により、教育内容に介入することは出来ません。 精神ですか........、まぁ前文とも呼べる部分に立法の精神をうたってあります。 以下、転載します。 >>われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。 >> われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。 >> ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。 この前文のどこに教育に対する公権力を禁止した文言があるのでしょうか。 確かに、日本国憲法の精神に則りとありますが、日本国憲法にうたわれた教育に関する条文は以下の通りです。 >>第二十六条【教育を受ける権利、教育の義務、義務教育の無償】 >>1 すべて国民は、法律(教育基本法第三条第二項)の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。 >>2 すべて国民は、法律(教育基本法第四条)の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。 これだけです。 そして教育基本法が教育行政の定義として第十条によって、行政権の範囲にあるとしている以上、教育行政に対して行政権を行使するのは当然のことです。 そして日本国憲法第六十五条において >>第六十五条【行政権と内閣】 >> 行政権は、内閣に属する。 と規定しているため、教育行政に対して内閣に属する行政権という公権力を行使するのは当然のことです。 また、立法権については憲法四十一条において >>第四章 国会 >>第四十一条【国会の地位、立法権】 >> 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。 したがって、法律を制定するという立法権を行使して、法律を制定し教育行政に公権力を行使するのも当然のことかと。 >教育権はは子どもを産み育ている父母の皆さんにあります。従って教育はこの原点に依拠して成就されることを第一として行われなければなりません。 教育権??????????? この権利を規定している法律の条文を示してくださいませんか。?? 少なくとも、最高法規である憲法にも、教育基本法にも、規定した条文がありませんが。?? 教育を受ける権利や、保護者が教育を受けさせる義務については前述したように、憲法に規定があります。 >公権力が介入し、特定の価値観を子ども達に擦り込むような教育は洗脳教育です。戦後日本は戦前の子供達への軍国主義教育の注入を反省し、憲法、教育基本法に基づいて、偏向教育によって教育内容が歪められることが無いようにしたのです。 このお説は、本末転倒の見解であると考えますが、ここは見解の相違、言わば埋められない溝ですからコメントは控えます。 ご主張の論旨は成文法に提示されてるとの根拠に依りますが、その根拠を見出すことが出来ません。他の法律で規定されているのでしょうか。 失礼いたしました。 |
自国の子弟の教育に国家が携わるのはある意味当たり前なわけで------ただそれが過度、もしくは単一的なものにならないように、例えば教科書検定というものがある訳で。 教育というのは間違いなく政治が担当する分野であり、政治の介入を排せなんて言ってる人は、教育の分野で『別の政治介入』を行ってる人たちが言ってることなのではありませんかね。身もフタもなく言えば。 |
YOTAさん、こんばんは。 ▼YOTAさん: >自国の子弟の教育に国家が携わるのはある意味当たり前なわけで------ただそれが過度、もしくは単一的なものにならないように、例えば教科書検定というものがある訳で。 > >教育というのは間違いなく政治が担当する分野であり、政治の介入を排せなんて言ってる人は、教育の分野で『別の政治介入』を行ってる人たちが言ってることなのではありませんかね。身もフタもなく言えば。 正論ですけれど、それを言っちゃうとお終いですよ。(苦笑 何故に、そういった思考になるのか順序よく聞いて見たかったのです。 なんか、いかにも法律に明確に示された条文に対する見解を根拠とする、みたいな発言ですのでしっかり聞いて見たいのです。 それを言っちゃあ、お終いよ。(フーテンの寅さん風に........ |
▼退役軍人さん: 今晩は。 >そして教育基本法が教育行政の定義として第十条によって、行政権の範囲にあるとしている以上、教育行政に対して行政権を行使するのは当然のことです。 何遍も言っているように、教育基本法第十条で公権力は教育行政を執行するにあたって、教育【内容】には介入できないのです。公権力は教育行政としては、子供達のために設備の整った立派な学校を沢山作ったり、30人学級を実現して一人一人の子供達に行き届いた非行などが起こらないような教育を出来るように配慮をする事は当然です。 公権力の教育内容への介入が認められれば、あの金王朝体制のような子供達に対する洗脳教育が行われるようになり子供達が不幸になるからです。 >>教育権はは子どもを産み育ている父母の皆さんにあります。従って教育はこの原点に依拠して成就されることを第一として行われなければなりません。 > >教育権??????????? > >この権利を規定している法律の条文を示してくださいませんか。?? 教育権はその起源を家族に発し、両親に属します。両親の教育権は根底的には人間性の中に深く根ざしているところの人類普遍の原理である自然法上の権利であります。 実定法上は、憲法26条の権利、民法上の親権の規程などが関連しております。 歴史上においても、ドイツのワイマール憲法第120条が、両親の教育についての最高の義務および自然的権利を承認しております。 また西ドイツ基本法第6条第2項は「子の養育および教育は両親の自然の権利であって、なによりも先に両親に課せられた義務である」とするとしております。 なお世界人権宣言第26条第3項が「親がその子どもに施されるべき教育の種類を選択するについて、優先的の権利を有する」といっております。 以上のように子どもに対する両親の教育権は普遍的人類の権利なのです。 従って教育はこの原点に依拠して成就されることを第一として行われなければなりません。 |
ozoneさん、こんばんは。 これもおかしいですよ。 ▼ozoneさん: >▼退役軍人さん: 今晩は。 > >>そして教育基本法が教育行政の定義として第十条によって、行政権の範囲にあるとしている以上、教育行政に対して行政権を行使するのは当然のことです。 > >何遍も言っているように、教育基本法第十条で公権力は教育行政を執行するにあたって、教育【内容】には介入できないのです。公権力は教育行政としては、子供達のために設備の整った立派な学校を沢山作ったり、30人学級を実現して一人一人の子供達に行き届いた非行などが起こらないような教育を出来るように配慮をする事は当然です。 介入していると考えますが。 教科書の検定制度を定め、運用しているということは、教育の内容に介入しているということかと。 教科書検定という行為が、行政主導で行われているってことは、行政が【教育の中身】に介入しているということかと。 文部省が、指導要項を示して教育現場で行われるカリキュラムにガイダンスを設けているってことも介入ですよ。 >公権力の教育内容への介入が認められれば、あの金王朝体制のような子供達に対する洗脳教育が行われるようになり子供達が不幸になるからです。 なりません。(断言 日本は指導者個人の権威に依拠する独裁国家ではありませんから。 現実に介入していながら、洗脳教育も行われていないし、子供たちが不幸になっているわけでもない。 >>>教育権はは子どもを産み育ている父母の皆さんにあります。従って教育はこの原点に依拠して成就されることを第一として行われなければなりません。 >> >>教育権??????????? >> >>この権利を規定している法律の条文を示してくださいませんか。?? > >教育権はその起源を家族に発し、両親に属します。両親の教育権は根底的には人間性の中に深く根ざしているところの人類普遍の原理である自然法上の権利であります。 > >実定法上は、憲法26条の権利、民法上の親権の規程などが関連しております。 関連しているが、成文法ではないということですね。 明文化された定義ではないということは、違う解釈も認められるということですよね。 私の見解では、人類不変の権利であるわけがないと思います。 人類不変の義務ではありますが。親あるいは保護者として養育する責任がありますからね、この責任を果たす義務が第一義であるということ。 この義務を果たすことによって得られる権利であり二義的なものです。 >歴史上においても、ドイツのワイマール憲法第120条が、両親の教育についての最高の義務および自然的権利を承認しております。 我が国の憲法ではない。 >また西ドイツ基本法第6条第2項は「子の養育および教育は両親の自然の権利であって、なによりも先に両親に課せられた義務である」とするとしております。 同じく、我が国の法律ではない。 >なお世界人権宣言第26条第3項が「親がその子どもに施されるべき教育の種類を選択するについて、優先的の権利を有する」といっております。 義務があり、結果についての責任があるから、これを果たすという前提で初めて両親に選択の権利が生じるのです。 権利の発生は、義務を果たすという結果を担保することにより生じるものです。 一枚の紙の表と裏に書かれていて、不可分であるということですよ。 >以上のように子どもに対する両親の教育権は普遍的人類の権利なのです。 義務なのです。 結論として、属する社会に適合するために必要とされる素養を得させる責任があるのです。 >従って教育はこの原点に依拠して成就されることを第一として行われなければなりません。 これは、ご意見として伺っておきます。 失礼いたしました。 |
▼退役軍人さん:今日は。 >▼ozoneさん: >>▼退役軍人さん: 今晩は。 >> >>>そして教育基本法が教育行政の定義として第十条によって、行政権の範囲にあるとしている以上、教育行政に対して行政権を行使するのは当然のことです。 >> >>何遍も言っているように、教育基本法第十条で公権力は教育行政を執行するにあたって、教育【内容】には介入できないのです。公権力は教育行政としては、子供達のために設備の整った立派な学校を沢山作ったり、30人学級を実現して一人一人の子供達に行き届いた非行などが起こらないような教育を出来るように配慮をする事は当然です。 > >介入していると考えますが。 > >教科書の検定制度を定め、運用しているということは、教育の内容に介入しているということかと。 公的権力が教科書検定をする際、その教科書の記述の内容を変えさせるような事は介入です。 >文部省が、指導要項を示して教育現場で行われるカリキュラムにガイダンスを設けているってことも介入ですよ。 公的権力が恣意的な価値観を基盤にした教育内容を指導要領に盛り込んでそれを現場に強制すればそれは介入です。 形の上では独裁者が行うものではなくても、それは金王朝体制の洗脳教育と本質的には同値です。 >>>>教育権はは子どもを産み育ている父母の皆さんにあります。従って教育はこの原点に依拠して成就されることを第一として行われなければなりません。 >>> >>>教育権??????????? >>> >>>この権利を規定している法律の条文を示してくださいませんか。?? >> >>教育権はその起源を家族に発し、両親に属します。両親の教育権は根底的には人間性の中に深く根ざしているところの人類普遍の原理である自然法上の権利であります。 >> >>実定法上は、憲法26条の権利、民法上の親権の規程などが関連しております。 > >関連しているが、成文法ではないということですね。 >明文化された定義ではないということは、違う解釈も認められるということですよね。 実定法でも違う解釈が行われます。 自然法、実定法凡て法であり、社会規範であり、人間社会ではゆるがせに出来ないものであります。 |
▼ozoneさん: >形の上では独裁者が行うものではなくても、それは金王朝体制の洗脳教育と本質的には同値です。 民主的選挙が行われている国の国権は国民にありますが、 北朝鮮はそれがないのですから、同一視はおかしい。 何故そんな明らかな誤りを述べるのでしょう。 そのような論が老人党の主流なれば、他に幾ら良いことを言おうとも日本人の心は老人党から離れます。戦後政治の流れの中で経験したことでしょう。 |
▼Gokaiさん: 今日は。 >▼ozoneさん: > >>形の上では独裁者が行うものではなくても、それは金王朝体制の洗脳教育と本質的には同値です。 > >民主的選挙が行われている国の国権は国民にありますが、 >北朝鮮はそれがないのですから、同一視はおかしい。 >何故そんな明らかな誤りを述べるのでしょう。 本質的に同値といっているだけです。 公権力の恣意的な価値観を強制的に教育の現場で子供達に注入したら、限りなく金王朝の洗脳教育に近付く事になるのではないでしょうか。 Web上で「教科書 つくる会」のキーワードで検索をすると、実に様々な見解に触れる事が出来ますから、更に一層日本の子どもたちの未来のために、主権者を育てる教育は如何にあるべきかということの勉強を深めて行きたいと思っております。 |
ozoneさん、こんにちは。 ▼ozoneさん: >▼Gokaiさん: 今日は。 >>▼ozoneさん: >> >>>形の上では独裁者が行うものではなくても、それは金王朝体制の洗脳教育と本質的には同値です。 >> >>民主的選挙が行われている国の国権は国民にありますが、 >>北朝鮮はそれがないのですから、同一視はおかしい。 >>何故そんな明らかな誤りを述べるのでしょう。 > >本質的に同値といっているだけです。 まったく異質なものです。 本質は対極にあります。 複数の異なる歴史認識が、違う教科書に記述されていて、教育委員会に選択権がある我が国の制度は健全なものといえます。 ある程度のトーレランスの幅の中で、異なる歴史認識による記述とその主張に沿った歴史教育が容認されているということですから。 これと指導者権威の基盤として、一つだけの認識しか存在しない【国定教科書】による歴史教育しか認めない北朝鮮は本質的にまったく異質のものです。 これは、指導部として中国共産党の権威基盤として、一つの認識しか認めずたった一つの【国定教科書】による歴史教育しか認めない中国と本質的には同じです。 これらの独裁国家は個人の権威によるか、あるいは指導部としての共産党の権威によるかの違いはあれ、本質的にまったく同質であり同値です。(断言 しかしながら、我が国の制度とその運用は断じて同質でもなければ同値でもない。 詭弁に過ぎないと指摘させていただきます。 >公権力の恣意的な価値観を強制的に教育の現場で子供達に注入したら、限りなく金王朝の洗脳教育に近付く事になるのではないでしょうか。 断じて、近づきもしなければ同質にもなりません。 むしろ、戦後行われてきた教育労働者労組による、恣意的な価値観にに基づく教育現場での偏向教育こそ問題にされるべきです。 教育には、外してはならない基本があると考えます。 生徒あるいは学生自身の価値観による判断ができるように素養を育てても、判断そのものを教えてはならないということです。 >Web上で「教科書 つくる会」のキーワードで検索をすると、実に様々な見解に触れる事が出来ますから、更に一層日本の子どもたちの未来のために、主権者を育てる教育は如何にあるべきかということの勉強を深めて行きたいと思っております。 失礼いたしました。 |
▼退役軍人さん: 今日は。 >ozoneさん、こんにちは。 > >▼ozoneさん: >>▼Gokaiさん: 今日は。 >>>▼ozoneさん: >>> >>>>形の上では独裁者が行うものではなくても、それは金王朝体制の洗脳教育と本質的には同値です。 >>> >>>民主的選挙が行われている国の国権は国民にありますが、 >>>北朝鮮はそれがないのですから、同一視はおかしい。 >>>何故そんな明らかな誤りを述べるのでしょう。 >> >>本質的に同値といっているだけです。 > >まったく異質なものです。 >本質は対極にあります。 > >複数の異なる歴史認識が、違う教科書に記述されていて、教育委員会に選択権がある我が国の制度は健全なものといえます。 > >ある程度のトーレランスの幅の中で、異なる歴史認識による記述とその主張に沿った歴史教育が容認されているということですから。 > >これと指導者権威の基盤として、一つだけの認識しか存在しない【国定教科書】による歴史教育しか認めない北朝鮮は本質的にまったく異質のものです。 > >これは、指導部として中国共産党の権威基盤として、一つの認識しか認めずたった一つの【国定教科書】による歴史教育しか認めない中国と本質的には同じです。 > >これらの独裁国家は個人の権威によるか、あるいは指導部としての共産党の権威によるかの違いはあれ、本質的にまったく同質であり同値です。(断言 > >しかしながら、我が国の制度とその運用は断じて同質でもなければ同値でもない。 教育権を有する父母の方々と、その方々に付託されて社会的責任を持って学校教育に従事している先生方が、そもそも、子供達が使用する教科書を選ぶべきだと思います。 現行の民主主義の教育行政としては問題が指摘されているシステムのもとで、公権力の介入があからさまに行われなくても、実質的に行われれば、それは教育の内容への介入と言ってもよいと思います。 戦前天皇主権のもとで行われた日本の臣民教育は、明治憲法、教育勅語に基づいた軍国主義教育でした。 臣民は忠君愛国の思想を注入され、洗脳され、思想統制を受けました。 現在、マスコミの報道によると、政権与党の主だった政治家の中には公然と現憲法を限りなく明治憲法に戻そうと発言したり、教育基本法を廃止して教育勅語を復活させようと強調しておる人々もおります。 以上を勘案して、私は公権力が教育内容に介入する事は、その洗脳性、思想統制等という本質において金王朝体制のそれに限りなく近付いていると、見ているのです。 #中国には「言論・表現の自由を認める」ようにと思っております。ただ、先だってのテレビ放送では最近の中国の教科書は国定の枠が外されて来ているとのことでした。中国は変わって来ているのでしょうか。 >むしろ、戦後行われてきた教育労働者労組による、恣意的な価値観にに基づく教育現場での偏向教育こそ問題にされるべきです。 > >教育には、外してはならない基本があると考えます。 私もそのように考えます。 学校教育は、日本国憲法、教育基本法等に基づいて子供達を主権者に育てなければならないと思います。 |
▼ozoneさん: > >教育権を有する父母の方々と、その方々に付託されて社会的責任を持って学校教育に従事している先生方が、そもそも、子供達が使用する教科書を選ぶべきだと思います。 子供達のためにも学校の先生方が教科書を選ぶべきではありません。 教育方針を決めるべきでもありません。あくまで国民が民主的に決めるべきです。 教育方針は国民主権によって決め、 教育のプロである教師の方々はその方針に沿って、 教育業務を付託されるべきです。 教師方が教科書や教育方針を決定するのは その方針が個人的、あるいは一定になりにくいことから、 きわめて恣意的(=思い付き的)と言わざるを得ません。 |
▼Gokaiさん:こんばんは。 >あくまで国民が民主的に決めるべきです。 >教育方針は国民主権によって決め、 >教育のプロである教師の方々はその方針に沿って、 >教育業務を付託されるべきです。 そうですね。 しかし教育委員は首長の任命制であり、恣意的な選任も可能です。 今回、つくる会の教科書が全会一致で採択されたことをみれば、あらかじめそういう人選がなされていた可能性が高く、かならずしも民主的とはいえないように思います。 衆議院の郵政特別委員会で、反対派が賛成派にすげ替えられて可決されたようなものではないでしょうか。 教育委員も公選制にすれば、より民主的になるでしょう。 |
▼MNGさん: >▼Gokaiさん:こんばんは。 > >>あくまで国民が民主的に決めるべきです。 >>教育方針は国民主権によって決め、 >>教育のプロである教師の方々はその方針に沿って、 >>教育業務を付託されるべきです。 > >そうですね。 >しかし教育委員は首長の任命制であり、恣意的な選任も可能です。 >今回、つくる会の教科書が全会一致で採択されたことをみれば、あらかじめそういう人選がなされていた可能性が高く、かならずしも民主的とはいえないように思います。 >衆議院の郵政特別委員会で、反対派が賛成派にすげ替えられて可決されたようなものではないでしょうか。 > >教育委員も公選制にすれば、より民主的になるでしょう。 学問や教育の世界に、「多数決」だの「公権力」だのを割り込ませるべきではない。権力の主体が誰であろうと、学問の真理は学者が、教育の真理は教育者が決める。政治・宗教が学問や教育を奴隷にすべきではない。進化論を否定する州がある。あまりにも民主的すぎる国、アメリカのことである。進化論を否定する生物の教師がいるのだろうか?それで大学を卒業できるだろうか? 地動説はどうだったっけ? 昭和22年の「学習指導要領(案)」を見られたし。それが何の説明もなく「(案)」が取れ、強制への道を突っ走った。その結果日本人はバカになり続けた。戦後民主主義が悪かったのではない、民主主義への道を数年で閉ざされているのだ。 現行教育基本法は、行政による不当な支配を戒めている。今、改悪が策謀される「案」には、逆に「教育行政は不当な支配に屈することなく」となる。後者が言う「不当な支配」は教育者による行政への異議申し立てを指すのだろう。この改悪は、現行憲法に抵触する。憲法改悪は教育基本法改悪を成し遂げるために必要なのだ。 校長や教師を自殺・精神病に追いやりながら強行される日の丸・君が代。「恐怖の象徴」・「悪の印」として刻まれることになった日の丸・君が代。おぞましく学問と教育を圧殺する象徴だけではなく、今は現実のものへと具現化するために、学習指導要領が、教科書が、憲法改悪がある。 多くの人は自分の子どもが学校へ行っている間以外は、教育に無関心だ。関心を示すのは教育を薄汚い欲望の実現のために利用しようとする者ばかりだ(現在は)。学問や教育の自立・独立を考える人はいないのか?・・・いないんだろうなあ。 |
▼蝦夷縞 ふく朗さん: >▼MNGさん: >>教育委員も公選制にすれば、より民主的になるでしょう。 ↑これに賛成です。 いわゆる首長は忙しすぎて、或いは教育に知恵が回らなくて 結局 、恣意的にならざるを得ないと思います。 ところが教育は他の行政に比べても重要事項でありますから、 文部大臣も含めて直接公選制にすべきではないかと思います。 >学問や教育の世界に、「多数決」だの「公権力」だのを割り込ませるべきではない。権力の主体が誰であろうと、学問の真理は学者が、教育の真理は教育者が決める。 学問の真理はどの学者が決める? 真理は誰かが見つけるものだとは思うけど、学者とは限らないでしょう。 「教育の真理」・・って何ですか? >政治・宗教が学問や教育を奴隷にすべきではない。 はいそうです。 |
▼Gokaiさん:今日は。 >▼蝦夷縞 ふく朗さん: >>▼MNGさん: >>>教育委員も公選制にすれば、より民主的になるでしょう。 > >↑これに賛成です。 >いわゆる首長は忙しすぎて、或いは教育に知恵が回らなくて 結局 、恣意的にならざるを得ないと思います。 私も教育委員は公選制に戻すべきだと思います。戦後日本の教育は親御さん達、地域の人たちのための民主教育を実現するために教育委員の公選制を採用しておりました。 それが、日本の政治が、アメリカの占領政策の転換と呼応して、反動化して来るにつれて時の政権党のごり押しで、首長による任命制へと変えられたのです。 当然、多くの教育の専門的な研究者、教育者、父母、国民の間から強い反対意見があがりましたが、政権党は警察を国会に導入し、従来まで施行されて来た「教育委員会法」を「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」というものに強権的に取り替え、教育委員を任命制にしました。 そして、当時反対意見を述べていた人たちが最も恐れていた、上からの教育の集権化が行われて来ているのです。 |
▼Gokaiさん: >▼蝦夷縞 ふく朗さん: >>▼MNGさん: >>>教育委員も公選制にすれば、より民主的になるでしょう。 > >↑これに賛成です。 >いわゆる首長は忙しすぎて、或いは教育に知恵が回らなくて 結局 、恣意的にならざるを得ないと思います。 >ところが教育は他の行政に比べても重要事項でありますから、 >文部大臣も含めて直接公選制にすべきではないかと思います。 > >>学問や教育の世界に、「多数決」だの「公権力」だのを割り込ませるべきではない。権力の主体が誰であろうと、学問の真理は学者が、教育の真理は教育者が決める。 > >学問の真理はどの学者が決める? >真理は誰かが見つけるものだとは思うけど、学者とは限らないでしょう。 > >「教育の真理」・・って何ですか? > >>政治・宗教が学問や教育を奴隷にすべきではない。 >はいそうです。 公選されることが政治の奴隷になると言うことです。選ばれた人間の権力によりますが、程度の差はあれ、教育をしもべにしようとするでしょう。教科書の選定からもつんぼさじきに置かれて、教師にやる気が起きるんでしょうかね。 >学問の真理はどの学者が決める? >真理は誰かが見つけるものだとは思うけど、学者とは限らないでしょう。 学者の範囲は広げて下さい。メンデルは物理の先生で、生物学者ではありませんでした。アインシュタインが特殊相対性理論を発表した当時は税務官だったはず。学問で生活の糧を得ようとする人には政治がはたらきます。 >「教育の真理」・・って何ですか? 真理を決めていく・追求していくのが学者であり教育者です。教育者の範囲も広げて置いて下さい。「陶冶」と言っておけば間違いないでしょうか? |
▼蝦夷縞 ふく朗さん: >公選されることが政治の奴隷になると言うことです。選ばれた人間の権力によりますが、程度の差はあれ、教育をしもべにしようとするでしょう。 民主主義を否定したいのですか? >教科書の選定からもつんぼさじきに置かれて、教師にやる気が起きるんでしょうかね。 教科書の選定に関して、一般の人々と同じ権利を持つだけでは不十分なのですか? それ以上の権利を持つべき理由はどこに求められるのでしょう? >>学問の真理はどの学者が決める? >>真理は誰かが見つけるものだとは思うけど、学者とは限らないでしょう。 >学者の範囲は広げて下さい。メンデルは物理の先生で、生物学者ではありませんでした。アインシュタインが特殊相対性理論を発表した当時は税務官だったはず。学問で生活の糧を得ようとする人には政治がはたらきます。 貴方の仰りたいことは 政治が真理を追究する学問をまぜっかえすなということではないのですか? 正しく教育をし、真理を追究する子供達を育て上げよではないのですか? 政治家は信用できん!・・ではないのですか? そうでないとこれも↓訳解からん。 >>「教育の真理」・・って何ですか? >真理を決めていく・追求していくのが学者であり教育者です。教育者の範囲も広げて置いて下さい。「陶冶」と言っておけば間違いないでしょうか? とにかく、 教育の真理→教育の陶冶→正しい鍛錬・・・ですか? しかし、教師は優れて人格者であってほしいのですが、現実がそうであるとは限らないのですし、子供達のコミュニケーション能力の育成に問題ありとの立場から、現教育行政に対してベストチョイスをしなけりゃならんと思うのです。 |
まぁまぁ。 思うのだが、おふたりとも学問と教育を混同されておるのではないか。 明確に区別すれば妥当なトコに落ち着くと思うのだが。 |
▼沈黙の初夏さん: >まぁまぁ。 > >思うのだが、おふたりとも学問と教育を混同されておるのではないか。 >明確に区別すれば妥当なトコに落ち着くと思うのだが。 ご仲裁有難うございます。 蝦夷縞ふく朗さんと 手を握るのは 当方願ってもないことです。 蝦夷縞さん、よろしくお願いします。 |
▼Gokaiさん: >▼沈黙の初夏さん: >>まぁまぁ。 >> >>思うのだが、おふたりとも学問と教育を混同されておるのではないか。 >>明確に区別すれば妥当なトコに落ち着くと思うのだが。 > >ご仲裁有難うございます。 >蝦夷縞ふく朗さんと 手を握るのは 当方願ってもないことです。 >蝦夷縞さん、よろしくお願いします。 よろしくお願いしますったって、まだ糸口がつかめない。 上の書き込みをして言いっぱなしで手を引くつもりでいたし、けたたましく消耗されるスレッドでは、自分の中にいくつものことが去来して短時間ではまとまらないし、気が乗らないことではあるのだけれど。 まあ、沈黙の初夏さんの仲裁でもありますし・・・。 学問、特に科学などは、政治の場であろうとどの場面であろうと真実は一つです。それをねじ曲げるかは別ですが、真実は一つに収束するでしょう。学問のなんたるかを知っているわけでもなく、たとえ話として持ち出した程度のものです。多くを語る資格は持ち合わせていないでしょう。Gokaiさんのお考えを。 教育は、職人に必要な教育、企業が必要とする人材の教育、政治家が後進を育てる教育、農民の教育、親が子供を育てる家庭教育、・・・、様々ありますが、まあ、国や自治体が関与する幼児教育から高校教育ぐらいまでのことを考えましょう。学問以上に、教育について語る資格は最もない人間ですが。 終戦直後は、隣り合う学級でさえも違った教科書が使われたと聞きます。あくまでも伝聞で、実体を描く複数の資料にぶつかっていません。少なくとも学校教育は現場で作られるという原則を崩してはならないと思います。子ども・教師・保護者・地域社会が作り上げていくことが原則です。地域ボスが学校に君臨する状況は好ましくありません。きわめて人間の根幹に関わる部分を多く含みますし、個別具体的で「ケース・バイ・ケース」の連続です。独裁制であろうと民主制であろうと、いかなる権力もこれに関わることは危険です。保護者・地域社会であっても権力の利用(無名性の陰に隠れたマスコミの利用なども)は戒められるべきでしょう。権力者・地域ボスが保護者になる場合もあるでしょう。そうであってなお、学校の恒常性を保ちつつ子どもの成長に寄与することが大事です。ただ、現代にあっては地域社会の崩壊、家庭教育の病変、等、学校教育に馴染まない問題が学校の中に多く入り込んで来すぎますけれども。 公教育における思想教育についても、教師が本心を押し殺して語るべきではない、「踏み絵」的に本心を押し殺すことを強要すべきでない、と申しています。日の丸・君が代強制に賛成ですか? 教師は聖職者、人格者であらねばならない、という抑圧から教師を解き放ち、学校をもっと自由なものにできないでしょうかね。学校教育は、広い意味の教育(子どもの成長に関わるすべて)のごく一部に過ぎません。教科書裁定は権利といえるかわかりませんが、教師にとって自分の存在そのものと同義と言っていいものでしょう。何をどう語るか、教師自らが決めないで教育者といえるでしょうか? 養護学校の性教育(性的被害から子ども達を守るために、知的障害のある子どもに具体的な状況を再現して見せていると判断しますが)を教育とは無縁なマスコミ・議員が騒ぎ立て、保護者・教師の願いを踏みにじって教材の没収・性教育の禁止をやるようなことを、よそからやってくれるな、と言うことです。教師の願い・保護者の願いをこうまですりあわせていった過程の大変さを想像します。教室の中の活動は実に個別・具体的です。一般化させて公にして良いものではありません。 う〜ん、同じことの繰り返しになってしまった。 陶冶という言葉がお嫌いのようですね。この言葉にそうした否定的意味合いが含まれているのですか? また、「教育の陶冶」という言い方は初めて聞きました。「人格の陶冶」ならあるのですが、どのような意味合いでしょうか。 |
▼蝦夷縞 ふく朗さん: >>▼沈黙の初夏さん: >>>まぁまぁ。 >よろしくお願いしますったって、まだ糸口がつかめない。 手を握っていることを表明してのお話ということでよいかと思います。 >上の書き込みをして言いっぱなしで手を引くつもりでいたし、 >まあ、沈黙の初夏さんの仲裁でもありますし・・・。 それは申し訳ないことでありました。 >学問、特に科学などは、政治の場であろうとどの場面であろうと真実は一つです。 なるほどね、私も真実はひとつであると思うし、事実は一回限りかなと思ったりします。 >Gokaiさんのお考えを。 わたしも哲学者ではないので真実について長々とかいたことがなく、上記で終わりです。 >教育は、職人に必要な教育、企業が必要とする人材の教育、政治家が後進を育てる教育、農民の教育、親が子供を育てる家庭教育、・・・、様々ありますが、まあ、国や自治体が関与する幼児教育から高校教育ぐらいまでのことを考えましょう。 >終戦直後は、隣り合う学級でさえも違った教科書が使われたと聞きます。あくまでも伝聞で、実体を描く複数の資料にぶつかっていません。 戦前の師範学校卒の方々が教師だったという事実もあります。 >少なくとも学校教育は現場で作られるという原則を崩してはならないと思います。子ども・教師・保護者・地域社会が作り上げていくことが原則です。 こんな原則あったんですか? これの良否を問う必要もありそうですね。 >地域ボスが学校に君臨する状況は好ましくありません。 政治家が嫌い?嫌悪すべき人種?・・ですか? >きわめて人間の根幹に関わる部分を多く含みますし、個別具体的で「ケース・バイ・ケース」の連続です。 >独裁制であろうと民主制であろうと、いかなる権力もこれに関わることは危険です。 とはいえ、誰かが権力を保持していないと 学校というシステムは機能しないのではないですか? 現在、その権力の最善が 民主主義によって発現されるべきだと私は思っています。でなければ、教師の権力によって、学校システムが運営されてしまうのです。教師が優れて人格者であることが保障されているのならまだしも、その保障はないのですから、野放しにすることこそ危険です。 教師とて人です。そして人はいつでも自分こそは正しいと思い込む動物なのですから、やはり民主主義的管理が必要です。 まして現代は、真実の証明法さえも曖昧な人々が多いのですから、尚更です。 >公教育における思想教育についても、教師が本心を押し殺して語るべきではない、 「押し殺す。」などと大げさに考えなくても良いではないですか? 保護者の最大公約数が希望する教育を効率的に与えればよいと思います。 >「踏み絵」的に本心を押し殺すことを強要すべきでない、と申しています。日の丸・君が代強制に賛成ですか? 公教育の場以外での思想の意見表明は 自由という、社会ルールではいけないのですか? |
▼Gokaiさん: あまり気乗りしない旨を書きましたので、早々にうち切って下さったのだと思います。ただ、まあ、やはり、ある程度言わないと気が済まないというか・・・。面白くなければ無視して下さって構いません。 >戦前の師範学校卒の方々が教師だったという事実もあります。 さらには特攻隊の生き残り、何十人と殺し死体に隠れて生き残ったような人だって居たかも知れません。教師の給料なんて安かったので、「飯は食わす。住まいも用意する。来てくれ。」という山間僻地の学校(今よりも相当数多かった)もあったでしょう。代用教員制度なんてのがあったりして、その混乱は想像に難くありません。食い詰め者が教師になっていったかも、とまで思えるほどです。 しかしながら、子どもに囲まれ、地域に直面しながら、そうした者が教師に育っていったのだと思います。家庭教師や塾の講師は学生アルバイトの定番でもあります。基本的には誰でもいいとさえ言える職業でしょう。そこに腰を据えて長年の経験を積んだり、その後の研鑽が大きいのでしょう。 >>少なくとも学校教育は現場で作られるという原則を崩してはならないと思います。子ども・教師・保護者・地域社会が作り上げていくことが原則です。 > >こんな原則あったんですか? >これの良否を問う必要もありそうですね。 「原則」というのが誰によってどのように作られるか、特に深く考えずにそう決めつけていました。「原則」であるかどうかは別にしても、そうあるべし、という考えに変わりはありません。 >>地域ボスが学校に君臨する状況は好ましくありません。 > >政治家が嫌い?嫌悪すべき人種?・・ですか? 政治家とも限りません、その地域の有力者です。多くはそうした人はそれなりに人望を集めているでしょうが、何でも自分の思い通りでなければ気の済まない人、というのも狭い地域では存在するのです。 >とはいえ、誰かが権力を保持していないと 学校というシステムは機能しないのではないですか? 組織内の権力でも、その性格は大いに違います。金に関わることは確かに政治・行政の大いに関わることではあります。詰まり教育の外側は。しかし、その教育の内容を権力によって統治する、というのは子どもを健全に育てる場で、ふさわしいものとは思えません。話し合いと納得、教育実践の検証、この積み上げしかないと思うのです。 |
>現在、その権力の最善が 民主主義によって発現されるべきだと私は思っています。でなければ、教師の権力によって、学校システムが運営されてしまうのです。教師が優れて人格者であることが保障されているのならまだしも、その保障はないのですから、野放しにすることこそ危険です。 読んでいて感じますが、「下から作り上げる」と言うことが本当の民主主義だと思います。Gokaiさんの文を読んでいると、まわりの人間と何かを作り上げていくのではなく、ただ選挙で選ばれた議員によって強権発動して貰うこと、を望んでいるかのような印象を受けます。地域の一員として、お子さんがおありでしたら保護者の一員として、周りの人と練り上げていくことも大事かと思います。 >教師とて人です。そして人はいつでも自分こそは正しいと思い込む動物なのですから、やはり民主主義的管理が必要です。 >まして現代は、真実の証明法さえも曖昧な人々が多いのですから、尚更です。 この管理の手法について、手順や規模、方法の説明がないため、上のように感じました。教育が子どもを守りための管理を行うことはありますが、管理社会はのびのびとした教育の対極に位置すると思います。 管理や巨悪に対峙するためにこそ、民主主義的強権が必要なのだと思います。 >>「踏み絵」的に本心を押し殺すことを強要すべきでない、と申しています。日の丸・君が代強制に賛成ですか? > >公教育の場以外での思想の意見表明は 自由という、社会ルールではいけないのですか? まあ、説明不足でしたが、政治思想のみではなく、すべての言葉には思想がある、というくらいのもの。生き方・見方としての思想です。ただ、題材によっては政治思想に踏み込まねばならない場面はあるでしょう。教師の言葉はよどみなく朗らかであるべきで、何かを押し殺して語るべきではありません。 ・・・でも、僕を含め、“こんな”掲示板に出入りするのは、教師や学校というモノと、いい関係を作れなかったモノどもではないかと・・・。 |
▼蝦夷縞 ふく朗さん: >読んでいて感じますが、「下から作り上げる」と言うことが本当の民主主義だと思います。Gokaiさんの文を読んでいると、まわりの人間と何かを作り上げていくのではなく、ただ選挙で選ばれた議員によって強権発動して貰うこと、を望んでいるかのような印象を受けます。地域の一員として、お子さんがおありでしたら保護者の一員として、周りの人と練り上げていくことも大事かと思います。 > >>教師とて人です。そして人はいつでも自分こそは正しいと思い込む動物なのですから、やはり民主主義的管理が必要です。 >>まして現代は、真実の証明法さえも曖昧な人々が多いのですから、尚更です。 > >この管理の手法について、手順や規模、方法の説明がないため、上のように感じました。教育が子どもを守りための管理を行うことはありますが、管理社会はのびのびとした教育の対極に位置すると思います。 >管理や巨悪に対峙するためにこそ、民主主義的強権が必要なのだと思います。 > >>公教育の場以外での思想の意見表明は 自由という、社会ルールではいけないのですか? >まあ、説明不足でしたが、政治思想のみではなく、すべての言葉には思想がある、というくらいのもの。生き方・見方としての思想です。ただ、題材によっては政治思想に踏み込まねばならない場面はあるでしょう。教師の言葉はよどみなく朗らかであるべきで、何かを押し殺して語るべきではありません。 拝読いたしました。有難うございました。 違いも多々ありそうですが今後ともよろしくお願いします。 |
▼蝦夷縞 ふく朗さん: 続きです。 >公教育における思想教育についても、教師が本心を押し殺して語るべきではない、「踏み絵」的に本心を押し殺すことを強要すべきでない、と申しています。 >日の丸・君が代強制に賛成ですか? 強制は何でも嫌いですが、 でもそれが義務であるなら、義務を放棄すれば強制させられますね。 税金と同じようなものでしょうか? >教師は聖職者、人格者であらねばならない、という抑圧から教師を解き放ち、学校をもっと自由なものにできないでしょうかね。 どういう意味なのでしょう? 教師は一般の人々以上にそれらを求められているのですか? 一般の人々だって、聖職者、人格者であるべきを求められているはずではないですか? >学校教育は、広い意味の教育(子どもの成長に関わるすべて)のごく一部に過ぎません。 子供達は、小学一年から高校三年まで、ずっと学校の影響を受けます。一日のうち学校で過ごす時間が最も長いといっても良いのではないですか? だから、「ごく一部に過ぎない。」・・というのは過小評価では? >教科書裁定は権利といえるかわかりませんが、教師にとって自分の存在そのものと同義と言っていいものでしょう。 これは歴史教科書についてでありましょうが、 教師はイデオロギーにまで踏み込んで教育すべきではないと思います。 それこそ教師は哲学者や人格者や学者ではないのですから、 教科書に忠実であるべきで、その教科書の採択の権利も、一般の人々と同等のものでなくてはなりません。 イデオロギーの選択の権利も一般の人々と同等でなければなりません。 教科書採択の権利が教師にとって存在と同義というのは思い込みすぎでしょう? 医者が、患者に向かって、 「この治療法をしないのなら、治療をしないぞ!」・・と言っているようなもので、我侭や傲慢にもとれます。 >何をどう語るか、教師自らが決めないで教育者といえるでしょうか? 治療法はこんなにもたくさん知っている。 貴方はどの治療法を選択しますか?・・・ ・・どの治療法が最も最善であるかを知っている医者でさえも、患者に許可を得て治療しなければならない筈です。 教師は、どんな教育が最善であるかを知っているのでしょうか? どの教育が最善であるかを知る機会は一般の人々と教師の方々とは同じであるはずなのではありませんか? 効率的な教育の方法を知る機会を比べているのではないのです。 教育技術の量ではないのですから。 >教師の願い・保護者の願いをこうまですりあわせていった過程の大変さを想像します。教室の中の活動は実に個別・具体的です。一般化させて公にして良いものではありません。 プライバシーのこと、守秘義務のことですか?ならば一般化させてはいけないが、 通常、教育内容は公開されるべきではありませんか? >陶冶という言葉がお嫌いのようですね。 いや、生まれてこの方、「陶冶」という言葉に出会った最初です。 >この言葉にそうした否定的意味合いが含まれているのですか? だから、適切な使い方が出来ませんでした。 >また、「教育の陶冶」という言い方は初めて聞きました。「人格の陶冶」ならあるのですが、どのような意味合いでしょうか。 教育の真理・・との拙の問いに この言葉が出てまいりましたので、 教育の陶冶と並べただけでした。誤りなのですね。 教育の真理との問いかけでの貴兄のご回答は、 子供達の能力開発にあるとのご回答でしたか?・・それを「陶冶」・・と。 貴教育論、拝読させていただきましたが、 拙に真意は伝わらなかったかもしれません。 けれどもこれに懲りず、またご指導ください。有難うございました。 |
▼Gokaiさん: >▼蝦夷縞 ふく朗さん: >続きです。 > >>公教育における思想教育についても、教師が本心を押し殺して語るべきではない、「踏み絵」的に本心を押し殺すことを強要すべきでない、と申しています。 >>日の丸・君が代強制に賛成ですか? > >強制は何でも嫌いですが、 >でもそれが義務であるなら、義務を放棄すれば強制させられますね。 >税金と同じようなものでしょうか? 自分の生き方・世界の捉え方、といったものを強制されることが、税金と同じ義務? 民主主義の根幹となるものを否定して、民主主義を口になさいますか? >>教師は聖職者、人格者であらねばならない、という抑圧から教師を解き放ち、学校をもっと自由なものにできないでしょうかね。 > >どういう意味なのでしょう? >教師は一般の人々以上にそれらを求められているのですか? >一般の人々だって、聖職者、人格者であるべきを求められているはずではないですか? 今の時代では、聖職者・人格者→尊敬ではありません。人に自分のやりたくないことを押しつけるための言葉です。相手を縛り付ける魂胆が見え見えです。最近では「プロ」という言葉が台頭してるかな。自分で名乗る人が多いので、まだ意味合いは違いますが、他人に対して「プロ」であることを求めるときは、大概独りよがりな要求を押しつけるときです。 >子供達は、小学一年から高校三年まで、ずっと学校の影響を受けます。一日のうち学校で過ごす時間が最も長いといっても良いのではないですか? >だから、「ごく一部に過ぎない。」・・というのは過小評価では? 僕はそうではありませんでしたね。同じ言葉を投げかけても、受け取り方は千差万別です。その受け取り方を作り上げるもの、という意味で、時間の多少ではありません。家庭の雰囲気、友人、諸々ありますが、僕の場合、少年マガジンが結構大きな比率を占めています。 >教科書採択の権利が教師にとって存在と同義というのは思い込みすぎでしょう? >医者が、患者に向かって、 >「この治療法をしないのなら、治療をしないぞ!」・・と言っているようなもので、我侭や傲慢にもとれます。 むしろ、「私はこの教科書でこういう教え方しかできません。別なものをお望みでしたら紹介状を書きましょう。」ぐらい自由になったらいいでしょうね。 >>何をどう語るか、教師自らが決めないで教育者といえるでしょうか? > >治療法はこんなにもたくさん知っている。 >貴方はどの治療法を選択しますか?・・・ >・・どの治療法が最も最善であるかを知っている医者でさえも、患者に許可を得て治療しなければならない筈です。 その通り。あくまでも現場での話し合いでしょう? 強権的強制は馴染まないとおわかりのはずです。選び選ばれる自由さはどうすれば実現できるでしょうか? |
>教師は、どんな教育が最善であるかを知っているのでしょうか? >どの教育が最善であるかを知る機会は一般の人々と教師の方々とは同じであるはずなのではありませんか? >効率的な教育の方法を知る機会を比べているのではないのです。 >教育技術の量ではないのですから。 そうしたことを考えるように訓練されてはいないでしょう、これだけ強権的な抑圧が強まっている中では。また、「どんな教育」というほど選択肢はありません。作って行くべきでしょうね。 >>教師の願い・保護者の願いをこうまですりあわせていった過程の大変さを想像します。教室の中の活動は実に個別・具体的です。一般化させて公にして良いものではありません。 > >プライバシーのこと、守秘義務のことですか?ならば一般化させてはいけないが、 >通常、教育内容は公開されるべきではありませんか? 具体的には養護学校の性教育を提示したわけですが・・・。ニュースで流された5秒ほどの映像はご覧になっていないようですね。男性教師が股間に毛の生えたチンチンのぬいぐるみ(?)をつけて子どもの前に現れるというモノ。障害者教育について真剣に考えることのない人には、ひたすら嫌悪感を呼び起こしたことでしょう。しかし、ある程度の想像力があったら、その必要性、その授業を可能にした保護者と教師の結びつき(性器のぬいぐるみは保護者が作った)に思いをいたすことが出来るはずです。真似をしようとしても、他の学校で可能とは思えません。真似をすべきは、そうした結びつきなのです。 それをニュースで流して理解が得られたでしょうか? 教育について真剣に考えない人々が感情で強権を行使し出すというのは、いかにも空恐ろしいことです。 >いや、生まれてこの方、「陶冶」という言葉に出会った最初です。 すみません、古くさい言葉ですよね。政治的方向性を含まない言葉を選んで見たつもりです。 |
▼蝦夷縞 ふく朗さん: >>教師は、どんな教育が最善であるかを知っているのでしょうか? >>どの教育が最善であるかを知る機会は一般の人々と教師の方々とは同じであるはずなのではありませんか? >>効率的な教育の方法を知る機会を比べているのではないのです。 >>教育技術の量ではないのですから。 > >そうしたことを考えるように訓練されてはいないでしょう、これだけ強権的な抑圧が強まっている中では。また、「どんな教育」というほど選択肢はありません。作って行くべきでしょうね。 同じく、謹んで拝読いたしました有難うございました。m(__)m |
Gokaiさん、お読み下さってありがとうございました。 民主主義について真剣に語ったことはありませんでした。 終戦直後は、おそらく寄ると触ると民主主義とはなんぞや?という話で持ちきりだったのではないでしょうか。 さて、Gokaiさんに向けてではなくて、ちょっと止まらなくなりました。 また別な話題で。 精神科のお医者さんの講演を聴いたことがあります。(お名前は失念いたしました) 日の丸問題で自殺した校長、民間から登用された校長の自殺、についてお話下さいました。それに関して裁判の証言台に立っているそうです。 日の丸で自殺した広島の校長は、マスコミでは、「組合との軋轢」という捏造が流布されていましたが、実際は教育委員会が朝な夕なに押し掛けては追いつめていったというのが実相です。 民間から登用された校長は、実は子どもが嫌いでした。校長室に閉じこもり完全な鬱症状でした。教師なんて誰でもできるものですが、その経験のない人間が教師を束ねられるわけがない。やめたい、と申し出たとき、「あなたは民間登用の第一号です。何か成果を上げるまではやめて貰うわけには行きません」と言われます。そこで続けることにしたわけですが、やはりうまくいかない。実力と信頼によって組織は動くものです。しかし下手に出てヒラ教員に教えを請うなどと言うことの出来なかった人でしょう。すでに鬱ですから。無類の子ども好きなら救われもしたでしょう。しかしこればかりは好き嫌いの問題ですからどうにもなりません。もう一度やめたいと申し出て、同じ言葉で拒否された後、自殺します。 現場での話し合いと納得を無視する動きが、こうした悲劇を生んだのでしょう。 ★扶桑社の教科書 「国家」を第一義に、日本の最もおぞましい瞬間を定着させようと言う策謀には暗澹たる思いがあります。日本は「恥」の文化だ、と聞いたことがあります。日本の最も恥ずかしい瞬間を、いつまでねぶり回しているのでしょうか。恥知らず!自虐の恍惚に溺れる者どもよ!(恥を舐めくり回すことこそ自虐だ) 新たに民主主義と人類の幸福について語る時代を作って行くべきだと考えます。 |
MNGさん、こんばんは。 ▼MNGさん: >▼Gokaiさん:こんばんは。 > >>あくまで国民が民主的に決めるべきです。 >>教育方針は国民主権によって決め、 >>教育のプロである教師の方々はその方針に沿って、 >>教育業務を付託されるべきです。 > >そうですね。 >しかし教育委員は首長の任命制であり、恣意的な選任も可能です。 教育委員の任免権という「行政権」を、首長に与えたのは誰なんですか。 ほかならぬ、有権者であり主権者である我々ではないのですか。 首長は公選制ですよね、都道府県知事・市長・町長・村長に至るまで、直接選挙によって選ばれていますよね。 その選挙によって選ばれたという正当性を持つものが、恣意的であろうとなかろうと、付託された権限を主権を持つ国民に代わって行使しているだけのこと。 恣意的な専任かどうかは別の問題としても、なんら不当な行為でもなければ、不法な行為でもない。 >今回、つくる会の教科書が全会一致で採択されたことをみれば、あらかじめそういう人選がなされていた可能性が高く、かならずしも民主的とはいえないように思います。 >衆議院の郵政特別委員会で、反対派が賛成派にすげ替えられて可決されたようなものではないでしょうか。 特別委員会の委員選出は、会派の専権事項です。 どんな手段を使おうが、誰を委員として出席させようが、とやかく言われる必要はないと思います。 そういった状況にしないように、多数派を形成できないよう選挙で結果を出せば良い。 それが出来なければ、多数派の意志に従うってのが、民主主義の掟じゃあありませんか。 >教育委員も公選制にすれば、より民主的になるでしょう。 それは選挙で選出し行政権を与えた首長の権威を無視することになります。 直接民主制なんてのは、現在の選挙により選出された首長が地方自治の枠組みにより運営する統治システムを否定する【夢物語】と指摘しておきます。 失礼いたしました。 |
こんにちは、横レス失礼します。 >教育委員も公選制にすれば、より民主的になるでしょう。 これには同意できませんが、この説に合わせてシミュレーション をしてみましょう。 先ず、教科書を選ぶ教育委員に選挙公約を発表してもらわなければ ならなくなりますね。 扶桑社教科書に反対しているのは、社民、共産に同調する団体や思想の持ち主 が主体ですから、当選可能な公約として”つくる会の教科書を推薦する”と 言った人が圧倒的有利になるでしょう。”反対する”ことを掲げた人は、 地方、国勢両選挙を見ても解るように、極少数派になってしまいます。 結果は明らかですね。全国の中学校歴史教科書は全てつくる会の教科書 一色になります。まあ、私としては望むところですが(笑)。 ついでに公務員全てを公選制にしちゃいますか?。全国津々浦々、毎日選挙 でしょう、もう仕事になりませんわ。(笑) |
▼Gokaiさん:今日は。 >▼ozoneさん: >> >>教育権を有する父母の方々と、その方々に付託されて社会的責任を持って学校教育に従事している先生方が、そもそも、子供達が使用する教科書を選ぶべきだと思います。 > >子供達のためにも学校の先生方が教科書を選ぶべきではありません。 >教育方針を決めるべきでもありません。あくまで国民が民主的に決めるべきです。 >教育方針は国民主権によって決め、 >教育のプロである教師の方々はその方針に沿って、 >教育業務を付託されるべきです。 我が子を産み育てている親御さんが第一義的に教育権を有するのです。その親御さん達の付託を受けて教育の専門家である先生方が親御さん達と充分に意思を通じ、親御さん達の有する教育権が花開くように学校教育に従事するの一番自然の姿だと思います。 ですから先生方はその重責を自覚し、精進に励み、教育研究を深め、教育の技能にも通ずるように努力しなくてはならないと思います。 そして、憲法、教育基本の精神を深く捉え、それに基づいて教育の職務を全うするようにするのが一番に民主的な教育を可能にします。民主教育の要綱は既に日本国憲法、教育基本法の精神、条項に備えられてあるのです。 もし、先生方が憲法、教育基本法に反するような教育を行い、親御さん達の教育権を侵害するような学校教育を行うような事があれば、親御さん達はそれを厳しく批判、追求し、子供達のための真っ当な教育をするように是正すれば良いと思います。その方法はいくらでも創造する可能性はあると思います。また、それを実行しなければ子ども達を主権者として育てることも出来なくなってしまうのではないでしょうか。 |
▼ozoneさん: >教育権を有する父母の皆様、その付託を受けて日本の主権者を育成している先生方、どうぞ子供達の幸せのために、教育基本法第十条、日本国憲法を基に、いい教科書を選んで下さい。教育内容に介入する政治権力を跳ね返して頑張って下さい。 > >教育の内容に政治権力の介入を許すことは、金王朝体制の教育と同じようなものを許すことになります。子供達が可愛そうです。 http://www.asahi.com/national/update/0713/TKY200507130126.html 作る会の教科書採択に反対する政治団体が教育長の車を取り囲んだそうですね。 こういうのは一種のテロでしょう。 こうした暴力的な対応と取る政治権力や政治的圧力を排して、教育委員が粛々と採択する環境を整備すべきでしょうね。 仰るように教育に政治的圧力の介入を許してはなりません。 こうした市民団体を名乗る政治団体の圧力こそ徹底的に排除すべきですね。 |
▼ozoneさん: >教育の内容に政治権力の介入を許すことは、金王朝体制の教育と同じようなものを許すことになります。子供達が可愛そうです。 何年か前、件の教科書が騒ぎになっていた頃、立ち読みでパラパラッと見ました。関心が有ったのはアッツ島のとこでしたが、なんと「玉砕」って言葉が使ってありました。うへっ!一体今は何年だと思っているのか。 たしか、玉砕なんて言葉はアッツ島が最初でした。なぜ全滅ではなくて玉砕なのか、子供心にも不思議なような、言葉で誤魔化しているような嫌な感じでした。 教科書なんて毎日鞄に入れて運ぶだけで、ろくに見もしない物ですから、どこの教科書でも大差ないでしょうけど、あの「教科書」、お受験には不利ですね、それは間違いない。 その意味では、子供達が可愛そうですが、それも廻り合わせ、仕方ないです。 |
▼加茂井77さん: 今日は。 >▼ozoneさん: >>教育の内容に政治権力の介入を許すことは、金王朝体制の教育と同じようなものを許すことになります。子供達が可愛そうです。 > >何年か前、件の教科書が騒ぎになっていた頃、立ち読みでパラパラッと見ました。関心が有ったのはアッツ島のとこでしたが、なんと「玉砕」って言葉が使ってありました。うへっ!一体今は何年だと思っているのか。 > たしか、玉砕なんて言葉はアッツ島が最初でした。なぜ全滅ではなくて玉砕なのか、子供心にも不思議なような、言葉で誤魔化しているような嫌な感じでした。 > > 教科書なんて毎日鞄に入れて運ぶだけで、ろくに見もしない物ですから、どこの教科書でも大差ないでしょうけど、あの「教科書」、お受験には不利ですね、それは間違いない。 > その意味では、子供達が可愛そうですが、それも廻り合わせ、仕方ないです。 お受験もそうですが、近いうちに全国的な学力テストがあるそうです。子供達は答えをどう書けばいいのでしょうか。平均点も出されるでしょうし、学力が低い云々などとからめられたらどうなるのでしょう。これからの子供達は大変ですね。 |
「つくる会」関係者著作の図書館蔵書処分は違法 最高裁 http://www.asahi.com/national/update/0714/TKY200507140233.html 何やらシンクロしてるみたいだねぇ。 |
・焚書事件の被告、土橋悦子氏の著書が船橋市の図書館に35冊も所蔵され てることが判明したんだとよ。狡いよ〜。 http://www2.lib.city.funabashi.chiba.jp/cgi-bin/detail?biblioid= 250183217&type=0&count=10&before=select |
▼ニッチモサッチモさん: >扶桑社教科書を採択 栃木・大田原市、市区町村立で初 >http://www.sankei.co.jp/news/050713/sha011.htm > >諸公のゴキゲン、如何? あったことをなかったというような物は「歴史」の名に値しないし、そんな代物を教科書にするなどとはとんでもないことであります。 |
▼MNGさん: >あったことをなかったというような物は「歴史」の名に値しないし、そんな代物を教科書にするなどとはとんでもないことであります。 ・兎に角、ゴキゲン斜めなのね。あい、判った。 |
シンガンスのこと、いや民主党のこと心配ザンスねぇ。 (コップ酒さん、どーも) http://www.6410.jp/bbs/c-board.cgi?cmd=one;no=56388;id=sougou |
韓国中央日報 私の意見 ←活発じゃのう。 http://japanese.joins.com/article/article.php? aid=65546&servcode=200§code=200 2005-07-14 19:19:07 悲惨な過去、自らの実力を正しく把握し、そこから劣等感を克服する努力をしてこそ真の誇りは生まれるのです。自国の歴史を歪曲捏造隠蔽してまで美化し、すべてを日本の責任にする教育は現実認識のない韓国市民を生み出し、その結果国全体が暴走を始めているではないですか。韓国も扶桑社に頼んで韓国の歴史教科書を作って貰ったほうが良いですよ〜もう遅いかもしれませんが本気の忠告です。 (投稿したのが日本人か、自国人か、在日人かは判らぬ) |
▼ニッチモサッチモさん:こんにちは。 >韓国中央日報 私の意見 ←活発じゃのう。 ↑情報どうもありがとうございます。 昨日、韓国人ファミリーとお夕飯を一緒にしました。 彼らは、日本人と違いビザを取るにすら大変な手間とお金が かかるにも関わらず、米国までやってきました。 理由は娘さんの教育だそうです。 娘さんは歴史を学びたいが、韓国では政権に都合のいい教育しか 施されないから、というのが理由でした。 韓国にも、自国の報道だけではなく、世界の報道を見ながら おのれの立ち位置を考え人達がいます。 反日さえなければ、あとは韓国という国に関しては さしたる興味もないんですが、少しずつ覚醒する人が 出てきているところなのかもしれません。 |