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 ▼外来種の脅威(2)−1  エコローグ 05/9/12(月) 14:29
   ┗別スレッドからの転載です  管理スタッフ 05/9/13(火) 0:27

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 ■題名 : 外来種の脅威(2)−1
 ■名前 : エコローグ
 ■日付 : 05/9/12(月) 14:29
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   北海道で発行されている「ファウラ」と言うマイナーな自然雑誌に連載しています。
全国の皆様にも呼んで欲しいので、ここに環境問題として書き込みをします。お読みいただけると幸いです。

ファウラ.2005.No.7.Spring号
知らないうちに改変される身の周りの自然
−開拓とともに始まった外来種汚染−

借り物の原風景(ポプラ並木に思う)
 昨年北海道を襲った台風によって北海道大学構内のポプラ並木の1/3が倒れた。市民から並木復活の要望が多く、北大は募金を集め再生へ着手した。しかし、札幌名物のこのポプラは外来種である。本当に大変なのは構内ローンに残る開拓以前からあるハルニレの老大木の被害だ。このハルニレは開拓の歴史を見てきた生き証人でもある。
 生物分布は生物特性と自然環境との関連によって決まり、北大構内にハルニレが多いのも、ハルニレが河川の氾濫原の微高地などやや湿り気の多い肥沃な土地を好むためで、当時札幌農学校建設の選定地が豊平川の氾濫原で豊平扇状地末端部の湧水に恵まれた肥沃な土壌だったからに他ならない。ハルニレはその自然環境を今に伝えている。

開拓時に入り込んだ外来種
 明治政府は明治2年に開拓使を置き蝦夷地の開発に着手した。未開の原野が広がる北海道は欧米型近代農業を導入しやすいと考えた。合衆国農務局総裁ホラス・ケプロンを開拓使顧問に招き、栽培種の転換・多様化、家畜の飼育、西洋式農業の導入、実験場の開設、食料自給・食生活改善のための農学校開校等、次々と農業政策を断行した。さらにW.S.クラーク博士をはじめ開拓使「お雇い外国人」を多数採用し開拓を指導した。札幌農学校でも最先端の米国農業を導入し北米由来の植物を多種栽培した。生育が早いポプラや、市街地に見られるセイヨウタンポポ、今日の基幹農産物である小麦、亜麻・甜菜・デントコーン等の栽培作物もこの時に導入された植物である。
 明治初頭、蝦夷地の山林は江戸末期の松前藩財政の悪化や戊辰戦争による混乱で乱伐や盗伐が横行し山火事が起き非常に荒廃していた。開拓使は山林の保護植林のため七重勧業試験場や札幌育種園等を設け、種苗育成を図り配布植栽を行った。当時の樹種としてスギ、ヒノキ、信州カラマツ等の本州産種、ニセアカシヤ、ドイツトウヒ、ストローブマツ等の外国産種やエゾマツ、トドマツ、イタヤ等の道産種等約80種もの試験植栽を行っている。中でも良い成績を上げたニセアカシヤや信州カラマツは各地で植林された。政府はその後も外来種万能政策を行い、ポプラやドイツトウヒ等が植栽され、ポプラ並木をはじめとした農村風景や塩狩峠に見られる鉄道防雪林等、現在見られる北海道の風景の基となった。
 牧草も開拓使の農業試験場や札幌農校で数多くの種が試験栽培され道内各地の農場に導入された。例えばエドウィン・ダンは真駒内や新冠の牧場でチモシー・レッドトップ・シロツメクサなどの導入普及を試みた。現在雑草と呼ばれ道端や空地等どこでも見られるイネ科のカモガヤ・オオアワガエリ・ネズミムギ・ハルムギ・ナガハグサ、マメ科のシロツメクサ・ムラサキツメクサ・アルファルファなどは、基幹産業となる酪農を支えるため導入された優秀な牧草が逸出したものだ。
 開拓は最先端の西洋技術を駆使して行われた。鉄道は明治15年手宮−幌内間の開通以来、石炭・農産物・木材等の様々な物資を運び開拓に大きな役割を果たしたが、切り開かれた鉄路は日の当る乾燥環境を生み出した。汽車によって運ばれた穀物類の種は線路に周辺に落ち外来種が線路沿いに広がる結果となった。現在、当時の鉄道の大部分は廃線となったが、その跡には外来種が繁茂しかつての鉄路を彷彿する事が出来る。開拓時に導入した多くの植物や技術が、意図的非意図的に関わらず多くの外来種を道内隅々にまで繁茂させる結果となってしまった。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 別スレッドからの転載です  ■名前 : 管理スタッフ  ■日付 : 05/9/13(火) 0:27  -------------------------------------------------------------------------
   ▼みなさま:

Ray@スタッフです。

以下の書き込みを転載します。

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【62405】外来種の脅威(2)-2
 エコローグ - 05/9/12(月) 14:30 -
引用あり 
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外来種を拡大させる公共事業
 近年、鉄路の代わりをしているのが道路工事だ。森林を切り開き日当たりの良い乾燥環境を山奥にまで作り出す。イネ科外来種の芝を法面緑化と土砂流失防止のため使用する。芝にはセイヨウタンポポやブタナの種が紛れ込み、芽を出し花をつけ綿毛を飛ばす。観光道路、林道、高規格道路など大規模工事が自然豊かな山奥にまで外来種を分散させている。
 河川工事は蛇行した自然河川周辺の河畔林を伐採し直線化する。川沿いに広大な河川敷が造成され巨大な堤防が出現する。この人工荒地は直射日光を受け、高温で非常に乾燥した土壌を作り出す。ここにはブタクサやオオアワダチソウなどの外来種群落が出現し、非常に背の高い薮を形成する。都市部の河川敷は、公園・グラウンド・パークゴルフ場等が造成され一面の芝で被われる。芝に使用した外来イネ科、ブタナ・セイヨウタンポポ・ヒメジョオン等のキク科、ムラサキウマゴヤシ・クローバー等のマメ科等が繁茂し、さながら外来種見本園の様相を呈する。
 外来種として定着する種は、撹乱に適応し、荒地のような過酷な環境に真っ先に入り込む。優れた分散能力を持ち、自家受粉や花粉がなくても種が付けられ栄養繁殖が出来るものが多い。宅地造成・農業基盤整備・河川改修など大規模撹乱が、均一で広大な人工的荒地環境を作り外来種に好適な環境を作り出している。そこはほぼ100%外来種で占められ在来植物はほとんど見られず、外来種子を分散させる広大な供給源となる。多くの公共事業による自然撹乱が外来種に好適な環境を次々と生み出し分布拡大を助長している。

身近に残された在来種の孤島
 人工環境に対し、小さいが良林が残っている場所として北大構内や鎮守の杜等がある。そこにはミズナラ、ハルニレ、ヤマグワ、アズキナシ、キハダ、エゾイタヤ、ヤチダモ等の在来広葉樹の大木が残されている。林床にエゾエンゴサク、ニリンソウ、キバナノアマナ、オオバナエンレイソウといった春植物、古川やメム(湧水)跡にはミズバショウやザゼンソウ等の湿性植物も見られる。これらは、今日市街地で見ることの出来ない希少在来植物であり、開拓時代の自然を彷彿させる原風景がある。しかし住宅地が押し寄せ、周辺の水田や畑もいつ宅地になるか判らない。周囲が宅地に囲まれると水供給が減少し乾燥化し湿性植物は絶滅する。周囲からの外来種子供給が多くなりその比率が増すだろう。鎮守の杜、河畔林、段丘斜面の林といった場所は、市街地の中に浮かぶ孤島であり、常に開発や周囲からの外来種の脅威にさらされているのが現状だ。

緑があることによる錯覚
 北海道でも本来の自然はそれほど多く残されているわけではない。自然が観光の目玉になっているが、観光客に人気の美瑛の丘も馬鈴薯や麦の畑であり、道東の広大な平原も牧草地であって、自然ではない。ニセアカシヤの甘い香りは山が荒廃していた証拠であり、秋を彩るカラマツ林も大規模造林の結果なのだ。知床100平方m運動の場所でアメリカオニアザミが見られるのも、かつて入植があった証である。
 開拓以来、私たちは利益や暮らしを優先するあまり、多くの自然を破壊してきた。本来の北海道の風景は、もはや自然保護区や鎮守の杜等の中にしか残っていない。私たちは一見緑があると自然が沢山残っていると錯覚しがちだ。しかしその多くは、本来の自然ではなく借り物の緑に過ぎない。

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