Page 956 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼後藤田元副総理逝く キタキツネ 05/9/21(水) 18:52 ┣Re(1):後藤田元副総理逝く ウミサチヒコ 05/9/21(水) 18:59 ┃ ┣Re(2):後藤田元副総理逝く キタキツネ 05/9/21(水) 20:00 ┃ ┃ ┗Re(3):後藤田元副総理逝く ウミサチヒコ 05/9/21(水) 21:08 ┃ ┃ ┗Re(4):後藤田元副総理逝く 昭和 人 05/9/22(木) 23:34 ┃ ┃ ┣Re(5):後藤田=政治改革小選挙区制の功労者 昭和 人 05/9/22(木) 23:50 ┃ ┃ ┃ ┗Re(6):後藤田=政治改革小選挙区制の功労者 k・satou 05/9/23(金) 7:08 ┃ ┃ ┃ ┗Re(7):後藤田=政治改革小選挙区制の功労者 昭和 人 05/9/23(金) 18:31 ┃ ┃ ┗Re(5):後藤田元副総理逝く ウミサチヒコ 05/9/23(金) 0:21 ┃ ┃ ┗Re(6):後藤田元副総理逝く 頑固生きがい 05/9/23(金) 9:39 ┃ ┃ ┣Re(7):後藤田元副総理逝く k・satou 05/9/23(金) 10:20 ┃ ┃ ┗Re(7):後藤田元副総理逝く 石頭の息子 05/9/24(土) 0:13 ┃ ┃ ┗Re(8):後藤田元副総理逝く 頑固生きがい 05/9/24(土) 16:41 ┃ ┃ ┣Re(9):後藤田元副総理逝く ウミサチヒコ 05/9/24(土) 17:04 ┃ ┃ ┗Re(9):後藤田元副総理逝く 石頭の息子 05/9/24(土) 18:25 ┃ ┃ ┗Re(10):後藤田元副総理逝く 頑固生きがい 05/9/24(土) 22:26 ┃ ┃ ┗Re(11): 再びHNを選んで読むようにします 石頭の息子 05/9/24(土) 23:00 ┃ ┗Re(2):後藤田元副総理逝く k・satou 05/9/21(水) 20:52 ┃ ┗Re(3):後藤田元副総理逝く ウミサチヒコ 05/9/21(水) 21:12 ┣Re(1):後藤田元副総理逝く しまったk2 05/9/21(水) 21:34 ┃ ┗Re(2):後藤田元副総理逝く キタキツネ 05/9/22(木) 7:56 ┃ ┗Re(3):後藤田元副総理逝く 初老人 05/9/22(木) 22:00 ┣Re(1):普通であり続けた稀有の人!(1) 流水 05/9/24(土) 19:00 ┣Re(1):普通であり続けた稀有の人(2) 流水 05/9/24(土) 19:03 ┗Re(1):普通であり続けた稀有の人(3) 流水 05/9/24(土) 19:04 ┗Re(2):普通であり続けた稀有の人(3) ウミサチヒコ 05/9/26(月) 5:55 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 後藤田元副総理逝く ■名前 : キタキツネ ■日付 : 05/9/21(水) 18:52 -------------------------------------------------------------------------
後藤田元副総理が逝きました。享年91歳。 抜群の情報収集力と的確な判断力から「カミソリ」の異名で呼ばれました。 この政治家ほど党派を超えて信望のあつかった人はいません。 昭和の時代の安保闘争や過激派のテロ事件を警察官僚として経験し、特に72年の浅間山荘事件は有名です。 その後76年に政界入りし、82年には中曽根内閣で官房長官に就任。戦後60年の節目に中曽根首相が靖国神社を公式参拝し、中韓両国と関係が悪化した際は、翌86年8月に「近隣諸国の国民感情に配慮し、首相の公式参拝は差し控える」との談話を発表し、火消し役と務めました。その一方で、宮沢内閣の法相を努めた93年には「法秩序の維持」のため3年4ヶ月ぶりに死刑執行に署名したことは有名です。 また「旧日本軍の暴走を知る世代」として、なし崩し的な海外派遣には批判的な態度を貫きました。 小泉さんにも、森喜郎氏のような人じゃなく、後藤田さんのような側近がいたら、少しは日本の政治も変わっていただろうにと残念に思います。 私が一番好きな政治家でした。 |
▼キタキツネさん: > 後藤田元副総理が逝きました。享年91歳。 > 抜群の情報収集力と的確な判断力から「カミソリ」の異名で呼ばれました。 > > この政治家ほど党派を超えて信望のあつかった人はいません。 > 昭和の時代の安保闘争や過激派のテロ事件を警察官僚として経験し、特に72年の浅間山荘事件は有名です。 > > その後76年に政界入りし、82年には中曽根内閣で官房長官に就任。戦後60年の節目に中曽根首相が靖国神社を公式参拝し、中韓両国と関係が悪化した際は、翌86年8月に「近隣諸国の国民感情に配慮し、首相の公式参拝は差し控える」との談話を発表し、火消し役と務めました。その一方で、宮沢内閣の法相を努めた93年には「法秩序の維持」のため3年4ヶ月ぶりに死刑執行に署名したことは有名です。 > > また「旧日本軍の暴走を知る世代」として、なし崩し的な海外派遣には批判的な態度を貫きました。 小泉さんにも、森喜郎氏のような人じゃなく、後藤田さんのような側近がいたら、少しは日本の政治も変わっていただろうにと残念に思います。 > > 私が一番好きな政治家でした。 よりによって後藤田などの名前を上げる必要はない。日本の政治家でまともに尊敬できるヤツなどいるもんか。おべっかをつかうのもいい加減にしてくれ。 |
リアルな活動家・ウミサチヒコさんへ >よりによって後藤田などの名前を上げる必要はない。日本の政治家でまともに尊敬できるヤツなどいるもんか。おべっかをつかうのもいい加減にしてくれ。 あら、あら……。相変わらずですね。(笑) おべっかなど使っていませんって。また尊敬しているなどとは、ひとことも言っておりませんが。 政治家として、自分の信念を貫き通した、その姿勢が好きだと言う程度の意味です。むしろ私の感想に「よりによって後藤田などの名前を上げる必要はない」などと言うのは、それこそ失礼じゃないですかね。 それに私は天下の無党派層ですから、後藤田さんが法相をしているころは、たしか自民党を支持していたと思います。何せ天下の無党派なもので、その時々によって変わるものですから定かじゃありませんが、どっちにしろ、あなたにとやかく言われる筋合いはございませんな。 確かに日本の政治家には、「尊敬に値する人」は見当たりませんがね。(笑) まぁ、理想に向って頑張ってください。見守らしていただきます。 |
▼キタキツネさん: 尊敬していなくて、なんとなく「好きだ」くらいなら許して上げましょう。気分の問題ですからね。河野洋平が好きだ、田中角栄が好きだ、そりゃ自由だ。しかし、そんなことをわざわざ誰が言うか?(笑い) 後藤田が死んだ、ふん、時代のひとつの「区切り」かい。いかにも三文評論家が口にしそうなフレーズだ。つまらねぇ。 |
▼ウミサチヒコさん: >▼ また皆さん。 横から失礼 ウミさんに おべっか するわけではないが、ご存知かな。 後藤田と河野洋平は宮沢内閣から政治改革=小選挙区制度の推進者でした。 宮沢首相が小選挙区制に消極的だったので次の細川内閣で羽田、小沢の協力で出来上がったのです。 当時社共の反対を押し切って比例区を妥協として小選挙区比例代表併用制が94年3月に法案可決したのです。 この間立案〜可決まで最も中核になったのが後藤田でした。 ウミさんのキライな小選挙区は後藤田、河野、羽田のコンビで実現したもので、長年のもめたのを細川内閣で日の目をみた経緯があります。 後藤田は金丸、竹下時代の金権政治を打ち切る政治改革をやった功労者として評価された。 >河野洋平が好きだ、田中角栄が好きだ、そりゃ自由だ。しかし、そんなことをわざわざ誰が言うか?(笑い) > >後藤田が死んだ、ふん、時代のひとつの「区切り」かい。いかにも三文評論家が口にしそうなフレーズだ。つまらねぇ。 たまたま、小選挙区制を作った人達がでてきたので、可笑しくなって、つい横レスしました。(詳しくは「自民党と戦後」(政権党の50年)」を参照) |
本の名前間違いました。 「政党崩壊」新潮社でした。(参照) |
▼昭和 人さん: しばらくです。 わたしは あのひとの 今後日本外交の進路を のべているところを 評価しているというのですよ。 それは 財界の一部の要請を代弁はしていますがね。 そりゃ 83年に田中派が使い放題の官房機密費30億円。 陣馬良平 ”小説 商法改正”の仕掛け人であり 93年に雅子妃決定での 皇居にムシロ旗をたてさせるつもりか? 発 言。 中曽根派のうしろだてで入閣したら 小沢一郎ににじりよる。 法相時の死刑執行の本命は 連合赤軍の永田洋子と坂口。 パチンコの景品を刑務所で製造請負計画の仕掛けもなかなかだった。 ジュニアが水野真紀とパチプロ利権団体に関与。 まあ いろいろ あるだろうが たたけば ほこりの出ることだけど 金に弱いのは しかたがないとして 変人といわれる人じゃなかった。 >本の名前間違いました。 >「政党崩壊」新潮社でした。(参照) |
▼k・satouさん: >▼ > しばらくです。 やあ〜、やあ〜(これは高橋圭三か) こちらこそ、レスをありがとう。 > > そりゃ 83年に田中派が使い放題の官房機密費30億円。 > 陣馬良平 ”小説 商法改正”の仕掛け人であり > 93年に雅子妃決定での 皇居にムシロ旗をたてさせるつもりか? > 発 言。 田中本人の信頼は厚かった人、かつ実務実力を恐れられた人だったらしい。 > 中曽根派のうしろだてで入閣したら 小沢一郎ににじりよる。 > 法相時の死刑執行の本命は 連合赤軍の永田洋子と坂口。 > パチンコの景品を刑務所で製造請負計画の仕掛けもなかなかだった。 > ジュニアが水野真紀とパチプロ利権団体に関与。 > まあ いろいろ あるだろうが > たたけば ほこりの出ることだけど 金に弱いのは しかたがないとして > 変人といわれる人じゃなかった。 いや、いや金丸スキャンダル、金権政治の打破(自民党内ではあったが)で頑張った人でした。 小選挙区制も金のかからない政治が発想だったようだが、そうではないと思う。 でも、90年〜93年頃、政治改革・小選挙区の主張者が後藤田、伊東、羽田らでこれに反対抵抗したのが3K・小泉、加藤、山崎だから笑っちゃうよね。 いずれにせよ、評価はされた人でしたね。 死んだ人には、その時点での良い点を評価しましょうかね。結果は別として。 また会いましょう。9条の会などで、私ボケないうちに。 > > >>本の名前間違いました。 >>「政党崩壊」新潮社でした。(参照) 伊藤惇夫ー新潮新書でした。 |
▼昭和 人さん: >たまたま、小選挙区制を作った人達がでてきたので、可笑しくなって、つい横レスしました。(詳しくは「自民党と戦後」(政権党の50年)」を参照) 小選挙区制は、支配層にとって便利なシステムです。ソ連でも、アメリカでも、それはそうでした。けれどもそれで社会が維持できるのか?ソ連は崩壊し、アメリカもいつ崩壊しても不思議でありません。株価の暴落と同じです。 有権者国民に等しく一票を与えている以上、他の制度にいくらどう理屈をつけようと、完全比例区はものの道理であります。 世論調査を見て御覧なさい。みんな%でやるではありませんか。世論調査が小選挙区制度の手法をとったのを聞いたことがありません。民の声を正直に国政に反映するのが、そんなにもコワイのです、支配層&支配層願望の人たちは。 話は戻って、後藤田。彼は中曾根派で、いいかっこしていたかのように喧伝されていますが、小泉に対する森の立場と変るものではありません。こういう「伝聞」にコロッといかれてしまう国民&人間のサガに私はやりきれない無力感を感じます。確かに人を褒めれば人は気持ちがいい、その「評判」に棹差すことができるからだ。私はものの流れに掉さす時は充分注意したいと思っている。 |
▼ウミサチヒコさん: >▼昭和 人さん: >>たまたま、小選挙区制を作った人達がでてきたので、可笑しくなって、つい横レスしました。(詳しくは「自民党と戦後」(政権党の50年)」を参照) > >小選挙区制は、支配層にとって便利なシステムです。ソ連でも、アメリカでも、それはそうでした。けれどもそれで社会が維持できるのか?ソ連は崩壊し、アメリカもいつ崩壊しても不思議でありません。株価の暴落と同じです。 >有権者国民に等しく一票を与えている以上、他の制度にいくらどう理屈をつけようと、完全比例区はものの道理であります。 >世論調査を見て御覧なさい。みんな%でやるではありませんか。世論調査が小選挙区制度の手法をとったのを聞いたことがありません。民の声を正直に国政に反映するのが、そんなにもコワイのです、支配層&支配層願望の人たちは。 > >話は戻って、後藤田。彼は中曾根派で、いいかっこしていたかのように喧伝されていますが、小泉に対する森の立場と変るものではありません。こういう「伝聞」にコロッといかれてしまう国民&人間のサガに私はやりきれない無力感を感じます。確かに人を褒めれば人は気持ちがいい、その「評判」に棹差すことができるからだ。私はものの流れに掉さす時は充分注意したいと思っている。 最近の貴方の投稿文を拝見して感じることを率直に申し上げます。 多少気分を害される事があるやも知れませんが野次馬のたわ言と流していただいてもかまいませんから、少し思うことがありますので申し述べます。 私がこの老人党の存在を知り、大変有益な論調がたくさん見られたので早速入党させていただき少ないながらも自分の意見や感想等を投稿してきましたが、その当時から貴方の投稿文は必ず拝読させていただいておりました。確かに当時の貴方の論調は私なんかが知らない内容を披瀝されていられたからです。 その後、右よりの数名のあらしと思われる方々と激しいバトルの結果、元の正常な板に戻った事は貴方の功績大ということで密かに拍手を送ったものです。 だがそれからの貴方の論調が変わったと感じました。つまり当時の好戦的な論調が今も続いているようで、全体的に鋭角的な文体が多くなったことです。 言われていることは正論だろうと思いますが、罵倒するような例が多くなり時には読むには少し抵抗を感じ始めたのです。 内容についてはここでは細かく書きませんが、是非元の冷静かつ的確に時事を捉えて我々老人も抵抗無く読める投稿文を記載してください。 お節介であることは重々承知の上で私のお願いをお聞き届けていただければこれにまさる喜びはありません。どうかご一考願います。 失礼いたしました。 |
▼頑固生きがいさん: よくぞ 言ってくれました。 そのとうりです。 すこし ヒステリー状態だと思います。 希望したことがそのまま 思いどうりになるなんてことは 万に一つもないのに なぜいかなかったか?と反省する。 そうすりゃ 弱点も見つけられる。 子どもの童話に コクマルガラスというのがあったが また ”ゴタちゃん”というのも会社にいた。 どこに行ってもゴタゴタを起こす。 心が ゴーマンな コクマルカラスというわけ。 これは 自省をこめてのことであり 賢明な彼のことだ 聞く耳はもってることでしょう。 バンバン 都度 だまれ!といえばいいのですが 頻度が多いか? >▼ウミサチヒコさん: >>▼昭和 人さん: >>>たまたま、小選挙区制を作った人達がでてきたので、可笑しくなって、つい横レスしました。(詳しくは「自民党と戦後」(政権党の50年)」を参照) >> >>小選挙区制は、支配層にとって便利なシステムです。ソ連でも、アメリカでも、それはそうでした。けれどもそれで社会が維持できるのか?ソ連は崩壊し、アメリカもいつ崩壊しても不思議でありません。株価の暴落と同じです。 >>有権者国民に等しく一票を与えている以上、他の制度にいくらどう理屈をつけようと、完全比例区はものの道理であります。 >>世論調査を見て御覧なさい。みんな%でやるではありませんか。世論調査が小選挙区制度の手法をとったのを聞いたことがありません。民の声を正直に国政に反映するのが、そんなにもコワイのです、支配層&支配層願望の人たちは。 >> >>話は戻って、後藤田。彼は中曾根派で、いいかっこしていたかのように喧伝されていますが、小泉に対する森の立場と変るものではありません。こういう「伝聞」にコロッといかれてしまう国民&人間のサガに私はやりきれない無力感を感じます。確かに人を褒めれば人は気持ちがいい、その「評判」に棹差すことができるからだ。私はものの流れに掉さす時は充分注意したいと思っている。 > >最近の貴方の投稿文を拝見して感じることを率直に申し上げます。 >多少気分を害される事があるやも知れませんが野次馬のたわ言と流していただいてもかまいませんから、少し思うことがありますので申し述べます。 > >私がこの老人党の存在を知り、大変有益な論調がたくさん見られたので早速入党させていただき少ないながらも自分の意見や感想等を投稿してきましたが、その当時から貴方の投稿文は必ず拝読させていただいておりました。確かに当時の貴方の論調は私なんかが知らない内容を披瀝されていられたからです。 > >その後、右よりの数名のあらしと思われる方々と激しいバトルの結果、元の正常な板に戻った事は貴方の功績大ということで密かに拍手を送ったものです。 > >だがそれからの貴方の論調が変わったと感じました。つまり当時の好戦的な論調が今も続いているようで、全体的に鋭角的な文体が多くなったことです。 >言われていることは正論だろうと思いますが、罵倒するような例が多くなり時には読むには少し抵抗を感じ始めたのです。 > >内容についてはここでは細かく書きませんが、是非元の冷静かつ的確に時事を捉えて我々老人も抵抗無く読める投稿文を記載してください。 >お節介であることは重々承知の上で私のお願いをお聞き届けていただければこれにまさる喜びはありません。どうかご一考願います。 > >失礼いたしました。 |
▼頑固生きがいさん: 始めにウミサチヒコさんの弁護をするものではありません。 私の感想ですが、このウミサチヒコさんは一昨年私が書き込みを始めた時にいきなり噛み付いてきました、随分乱暴だな〜が最初の印象です、ですから鋭角的なところは少し改めて頂きたい、テナこと言って私も時折やるのでえらそうには言えませんが。 次に、彼は「右よりの数人のあらしとバトル」してたときから一貫していて姿勢は変わっていないと思います、ではなぜ彼は変わらないのでしょうか? それはもっと巧妙に立ち回るあらしがいるのも一因ではないかと思えます。 まー人の評価は小泉首相ではないが様々(いろいろ)ですから、あんたの勝手でしょうと言わればそれまでですが。 ついでに言ってしまいますが(嫌だな〜 テレビの占い師みたいだ)、はっきりとここの掲示板で表記の【老人党の目的】に反対する「つきまとい」を従前のつきまといと同じように出入り禁止にしないのか、もしそうすればウミサチヒコも少しはかわるのだが、それでも嫌なら彼を出入り禁止にすればいい、そうするともっと「あらし」が闊歩してくるだろうな。 思いだして欲しい、衆院選の前は「あらし」が闊歩していて、ある人は彼らにやるだけやらして「右翼の焦土作戦」だ、と言ってたが、どなたかも言ってた「少し引いてみる」そうすれば分かるだろう。 ここをログイン制にするか公開性を重んじるか、どちらが良いのかわかりませんが、公開性を選ぶならもう一つ管理の工夫が必要じゃないかな。 (きっと、ウミサチヒコさんは余計なお世話だと言ってくるだろうな) |
▼石頭の息子さん: >▼頑固生きがいさん: > >始めにウミサチヒコさんの弁護をするものではありません。 > >私の感想ですが、このウミサチヒコさんは一昨年私が書き込みを始めた時にいきなり噛み付いてきました、随分乱暴だな〜が最初の印象です、ですから鋭角的なところは少し改めて頂きたい、テナこと言って私も時折やるのでえらそうには言えませんが。 > >次に、彼は「右よりの数人のあらしとバトル」してたときから一貫していて姿勢は変わっていないと思います、ではなぜ彼は変わらないのでしょうか? それはもっと巧妙に立ち回るあらしがいるのも一因ではないかと思えます。 > >まー人の評価は小泉首相ではないが様々(いろいろ)ですから、あんたの勝手でしょうと言わればそれまでですが。 > >ついでに言ってしまいますが(嫌だな〜 テレビの占い師みたいだ)、はっきりとここの掲示板で表記の【老人党の目的】に反対する「つきまとい」を従前のつきまといと同じように出入り禁止にしないのか、もしそうすればウミサチヒコも少しはかわるのだが、それでも嫌なら彼を出入り禁止にすればいい、そうするともっと「あらし」が闊歩してくるだろうな。 > >思いだして欲しい、衆院選の前は「あらし」が闊歩していて、ある人は彼らにやるだけやらして「右翼の焦土作戦」だ、と言ってたが、どなたかも言ってた「少し引いてみる」そうすれば分かるだろう。 > >ここをログイン制にするか公開性を重んじるか、どちらが良いのかわかりませんが、公開性を選ぶならもう一つ管理の工夫が必要じゃないかな。 > >(きっと、ウミサチヒコさんは余計なお世話だと言ってくるだろうな) 貴方の折角の擁護意見ですが、やはり少しおかしいですよ。別レスの死刑廃止論が是か非かとの論議で又も悪態と思われる発言をされています。 自分の信条と合わない意見には論議を尽くせばいい訳で いきなり罵倒をされるのはどうしても得心出来ません。古いお付き合いと同士感情だけではうなずけないと思いますが如何でしょう。 |
▼頑固生きがいさん: ご丁寧なたしなめの言葉を頂きながらレス遅れて申し訳ありません。私、最近変なんです。さようなら。 |
▼頑固生きがいさん: > >貴方の折角の擁護意見ですが、やはり少しおかしいですよ。別レスの死刑廃止論が是か非かとの論議で又も悪態と思われる発言をされています。 > >自分の信条と合わない意見には論議を尽くせばいい訳で いきなり罵倒をされるのはどうしても得心出来ません。古いお付き合いと同士感情だけではうなずけないと思いますが如何でしょう。 わかりました。弁護するつもりはないと断わっていました、また擁護ともとられたなら、私が彼を擁護の積りがなくても結果的には擁護していたのだと思います。 「古いお付き合いと同士感情だけではうなずけない」は、残念としか言いようが無い、ここの掲示板で古くから?多くのHNは存じているし、意見は違っても同士感情を持っています、立場の違いと言われたらそれまでです返す言葉はありません。 * ご指摘の死刑廃止論を見ました、確かによくないと思います。掲示板では個人の感情の起伏や、その背景まで読み取ることは出来ないのですから。 それで、頑固生きがいさんは彼をもう一度たしなめますか? それとも管理人連絡版で出入り禁止(アク禁)の処置を訴えますか? * ところで、私は掲示板の乱れの矛先を彼にだけ向ける傾向に嫌になっています。 |
▼石頭の息子さん: >▼頑固生きがいさん: >> >>貴方の折角の擁護意見ですが、やはり少しおかしいですよ。別レスの死刑廃止論が是か非かとの論議で又も悪態と思われる発言をされています。 >> >>自分の信条と合わない意見には論議を尽くせばいい訳で いきなり罵倒をされるのはどうしても得心出来ません。古いお付き合いと同士感情だけではうなずけないと思いますが如何でしょう。 > >わかりました。弁護するつもりはないと断わっていました、また擁護ともとられたなら、私が彼を擁護の積りがなくても結果的には擁護していたのだと思います。 > >「古いお付き合いと同士感情だけではうなずけない」は、残念としか言いようが無い、ここの掲示板で古くから?多くのHNは存じているし、意見は違っても同士感情を持っています、立場の違いと言われたらそれまでです返す言葉はありません。 > >* > >ご指摘の死刑廃止論を見ました、確かによくないと思います。掲示板では個人の感情の起伏や、その背景まで読み取ることは出来ないのですから。 > >それで、頑固生きがいさんは彼をもう一度たしなめますか? それとも管理人連絡版で出入り禁止(アク禁)の処置を訴えますか? > >* > >ところで、私は掲示板の乱れの矛先を彼にだけ向ける傾向に嫌になっています。 こんな書き出しをすると又反撃を受けるかもしれませんが、古くからの戒めに 親しき仲にも礼儀あり というのが私の大切にしている言葉ですが、決してウミ氏を排除しよう等申し上げているわけではあありません。是非ともこれから先もこの板の論客で活躍してほしいと願っております。 それだけに言葉しか分からないこういう投稿欄では投稿文からの人間性を推察するしか方法が無いのです。ウミ氏の反体制的な生き方は正に私の歩いてきた人生そのものだと痛感しております。いわば同士的存在ともいえましょう。それだけに、僅かな瑕疵で誤解を受けるのだけは止めてほしい と願っているのです。 貴方は以前にも私の悩みにも親身になってアドバイスや激励をいただきました。 従って貴方を惑わせたり困らせる結果になっているのであれば謝ります。幸いにも流水氏の丁寧な一文が掲載されました。是非ともウミ氏もこの内容を熟読頂ければこれにて終わりにしたいと思います。有難うございました。 |
頑固生きがいさん、 反撃だなんてとんでもない、頑固生きがいさんのおっしゃってることは十分に分かっている積りです。 同士感情を持つようになるほど長居してしまった、投稿も減らそうと思っているのですが、根が軽いのでまだうろうろしています。 ひたすら松さんも「変化も交え乍ら発展し続け」ないとと言われています、そのとうりです、頑固生きがいさんやひたすら松さん達のような常識のある方々がもっともっと書き込めば掲示板もよくなっていくでしょう。 そのような方々の投稿を邪魔する投稿者も増えています、それだけが気がかりです。 これからは、再びHNを選んで読むようにします。 スレッドから逸れたことをお詫びします。 |
▼ウミサチヒコさん: よこから ウミさん 後藤田さんてのは なかなかだよ。 歴史に 正対せよ。 それだけの国民としての勇気をもて! 道義性をもて これが一番大事だと。 歴史からにげたら あかん! という 後藤田さんてのは 正論だね。 惜しい人を亡くした。 世界8月号の ”歴史に正対しなければ 未来はない” 加藤周一との対談しかしらないが なかなかいい。 >▼キタキツネさん: >> 後藤田元副総理が逝きました。享年91歳。 >> 抜群の情報収集力と的確な判断力から「カミソリ」の異名で呼ばれました。 >> >> この政治家ほど党派を超えて信望のあつかった人はいません。 >> 昭和の時代の安保闘争や過激派のテロ事件を警察官僚として経験し、特に72年の浅間山荘事件は有名です。 >> >> その後76年に政界入りし、82年には中曽根内閣で官房長官に就任。戦後60年の節目に中曽根首相が靖国神社を公式参拝し、中韓両国と関係が悪化した際は、翌86年8月に「近隣諸国の国民感情に配慮し、首相の公式参拝は差し控える」との談話を発表し、火消し役と務めました。その一方で、宮沢内閣の法相を努めた93年には「法秩序の維持」のため3年4ヶ月ぶりに死刑執行に署名したことは有名です。 >> >> また「旧日本軍の暴走を知る世代」として、なし崩し的な海外派遣には批判的な態度を貫きました。 小泉さんにも、森喜郎氏のような人じゃなく、後藤田さんのような側近がいたら、少しは日本の政治も変わっていただろうにと残念に思います。 >> >> 私が一番好きな政治家でした。 > >よりによって後藤田などの名前を上げる必要はない。日本の政治家でまともに尊敬できるヤツなどいるもんか。おべっかをつかうのもいい加減にしてくれ。 |
▼k・satouさん: >▼ウミサチヒコさん: > よこから ウミさん 後藤田さんてのは なかなかだよ。 ああ、最近のマスコミじゃあなかなかのようだね。そんなことは百も承知。後藤田ごときを持ち上げて「悦(えつ)」に入ってるのがアホくさいと言っているのですよ。 |
党派を超えて、是是非非を通した政治家です。このような政治家は、党派を超えて是是非非で議論をしてみたい。レクチャーを聴きたい。 北海道では、箕輪 登氏を大事にしたい。 |
▼しまったk2さん: >党派を超えて、是是非非を通した政治家です。このような政治家は、党派を超えて是是非非で議論をしてみたい。レクチャーを聴きたい。 > >北海道では、箕輪 登氏を大事にしたい。 まったく同感。 自衛隊イラク派遣のときも、箕輪 登氏は老骨に鞭打ち、反対運動をしていました。こういう政治家はぜったい必要なんですよ。このような政治家が一人でも多くいると、国が道を誤ることもなくなります。 |
後藤田正晴五訓 一、省益ヲ忘レ、国益ヲ想エ。 一、悪イ、本当ノ事実ヲ報告セヨ。 一、勇気ヲ以ッテ意見具申セヨ。 一、自分ノ仕事デナイトイウ勿レ。 一、決定ガ下ッタラ従イ、命令ハ実行セヨ。 世の役人よ、もう一度しっかり頭に刻め! |
後藤田正晴氏が逝去した。 享年91歳。戦後の保守政治家の中でも、屈指の人物であろう。 簡単に略歴を見てみる。 1914年徳島県美郷村(現吉野川市)生まれ。1939年東京大学法学部卒。 2005年9月19日、91歳で死去。 1939年内務省入省、自治省を経て 1969年警察庁長官。 1972年内閣官房副長官。 1976年に衆議院議員に徳島全県区より初当選、以後7期連続当選。 その間、自治大臣、内閣官房長官、行政管理庁長官、総務庁長官、法務大臣、副総理を歴任。 中曽根内閣では他派閥である田中派から官房副長官に異例の抜擢をされ、以降通算3期を勤めた。 鋭い舌鋒や認識力から”カミソリ後藤田?”とあだ名され、長く権力の中枢に在った。内閣危機管理室の創始者としても知られる。 http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B8%E5%C6%A3%C5%C4%C0%B5%C0%B2 彼が警察庁長官時代は、東大紛争、連合赤軍事件などをはじめ、戦後学生運動の一つの頂点の時代だった。これから以降、学生運動は終息し、若者たちの脱政治化、保守化、右傾化の傾向が顕著になった。その意味では、後藤田警察庁長官の果たした役割は大きかったといわざるをえない。 では彼はどのように学生運動を見ていたか。 安保闘争に関連して、以下のように述べている。 ●「戦後は大学教育が一般化し、大学生が戦前に比べて飛躍的に増えた。私の時代は、同世代の100人に1人が大学に進んだに過ぎなかったが、この時期には5人に1人が大学に進んでいた。政治的勢力がそこに火をつければ、このような騒ぎになるのは当然の事だ。もし、この大学生が大学を卒業しても、それを受け入れる職場がなければ、なおのことその騒ぎはふくれあがるだろう。だから、私は、彼らが大学を卒業したら職を与え、生活の安定をはかるように考えるのが、国家の役目だと思っていた。…警察力だけでは限界があると考えていたんだ」 東大安田講堂については、 ●東京に出勤してくる各県の本部長には、決して暴走するな。いかなることがあっても死者は出すな。学生達に死者を出すな、という訓示を与えて送り出した。…確かに警察がその気になって実力を行使すれば、学生を追い払う事は簡単なことかもしれない。しかし我々の任務はこの安田講堂だけで終わるものではない。治安というものは、長期的に見て取り組まなければならない。必要なのは彼らに敵対心だけを与えないことだ。いずれ彼らも善良な市民として育っていくわけだから、そういうしこりを残すと長い目で見たら不利になる。今、必要なのは彼らの行動を国民から浮き上がらせてしまうことだ。なんと愚かな事をしているのかと理解してもらうことだ。少々対応が遅れて、警察は何をやっている、と非難されても構わない。我々は軍隊とは異なるのだから…」 連合赤軍事件に関しては、 ●「相手を射殺することは簡単だが、人質を撃ってはならないという、手足をしばられたうえでの警察活動だった。警察官の死は断腸の思いだ」 このときの後藤田氏の仕事振りについて、朝日新聞記者は以下のように述べている。 ●「他県の機動隊を東京に出動させる時は、食糧をどう調達するか、下着を何枚もたせるか、どこに泊めるか、どのようにして休憩を与えるか、そういう細かいことを指示していましたね。びっくりするくらいマメな人でした」 このことについて、後藤田の考え方は、 ●「食に飢えたり、風呂にも入れずにいたり、雑魚寝のような生活をすれば、人間の精神状態が日頃の状態を維持できるわけがない。これでは人間の知性や感性を低下させるだけだ」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 彼の発想を良く見て欲しい。どこにもはっとするような斬新なものはない。 安保闘争に関連して述べた【もし、この大学生が大学を卒業しても、それを受け入れる職場がなければ、なおのことその騒ぎはふくれあがるだろう。だから、私は、彼らが大学を卒業したら職を与え、生活の安定をはかるように考えるのが、国家の役目だと思っていた。…警察力だけでは限界があると考えていたんだ】というものの見方は、多少人生経験をつんだ大人なら誰でも考えることである。 |
実は、かみそりと異名をとった後藤田正晴の凄さの秘密は、ここにある。どんな組織でもそうだが、人間の評価の基準を他人に真似できないこと、新しいことに置く傾向がある。【進歩】を絶対の価値基準におけば、必然的にそうならざるを得ない。 そのため、人は、常に新しいこと、新しいことを追い求めたくなる。ところが、新しいことは、常に真実とは限らない。それどころか、一見新しいように見えて、実はとんでもない偽者だったりする場合もしばしばある。 新しいものは、歴史のフィルターをかけなければ、【真実の価値】にはならない。 戦後日本の風潮は、【進歩】を絶対的価値基準において、新しさを追い求めて、古いものを【ふるい】という価値基準だけで捨て去ってきた傾向がある。 後藤田は、新しさの偽者性を見切っていたと思う。 後藤田の凄さは、人間の心の流れを読みきって、組織運営を行ったところにある。例えば、他府県の警察官を動員するときの考え方【食に飢えたり、風呂にも入れずにいたり、雑魚寝のような生活をすれば、人間の精神状態が日頃の状態を維持できるわけがない。これでは人間の知性や感性を低下させるだけだ】という発想に顕著に現れている。 今の言葉で言えば、【現場主義】とでもいうのであろう。 この認識は、少しでも多数の人間を現場で動かした経験のある人なら常識である。しかし、この認識を徹底して実践に移すことができるトップの人間は、数少ない。 古くは文禄・慶長の役の時の石田三成の例が示すように、頭の中で描いた数値だけで事を行う切れ者の官僚的決定が行われるケースが大部分であろう。【効率性】と【人間の生理】との価値判断の問題である。 実は、この相違は、人が考えるよりはるかに大きい。極端にいえば、【大きな政府論】と【小さな政府論】の違いにまで遡及する違いなのである。 後藤田は、この認識を彼の戦争経験から得たのではないかと思う。 終戦を台湾で迎えた後藤田は、そのときの経験を次のように語っている。 【8月15日に台北の街中で鳴った爆竹、それまで我々と一緒にやってきたと言っても、彼らにとって日本が負けたということは嬉しい事だったんだ。この時に僕は異様な感じを受けたね。それまで異民族に支配されるという屈辱を我々は知らなかったんだな。】 ここで彼は、彼を凡百の官僚と画然と分かつ他者に対する想像力と複眼的思考を手に入れたと思われる。 |
彼は軍隊での死についても興味ある言葉を残している。 【戦争は、死ぬも生きるも紙一重。だが、死よりも生に近づく方法がある。確かに同じ場にいて、同じ列に並んでいるのに、助かる者と命を落とす者がいる。それは運命と言っていいだろう。だが、運命論だけでは片付かない面が戦争にはつきまとっている。それはできるだけ多くの情報を集め、それを正確に解析して死の側に組み入れられる確率を少なくする努力をしなければならないということだ。運命論者であり続けるならば、いつか死の側に組み込まれる。】 ここに【かみそり】と異名をとった後藤田の真骨頂がある。軍隊のような死と隣り合わせの場所にいれば、人は自然と「運命論者」にならざるを得ない。しかし、運命論に流されれば、結局【死】に組み込まれる。これを阻止できるのは、情報収集と冷徹な解析と生きようという強い【意志】だというのである。 関東軍兵士だったわたしの父親が戦争の教訓としてわたしに語った言葉がある。 「戦場で真っ先に死ぬ奴は、猪突猛進型で後先考えない人間、次に死ぬ奴は、病的に臆病で弾から逃げよう逃げようとする人間、そういう奴には不思議に弾があたる。最後まで生き残る奴は、冷静にあたりを観察し、突進する時には突進し、危ないと見たら引くことができる人間だ」 わたしの父親は生涯を田舎の一商売人として生きた人間なので、後藤田などと比較にはならないが、実戦経験は後藤田よりはるか豊富である。その父親の教訓と戦場の認識が重なり合うところに、後藤田の凄さがある。 政界入り後の彼を支えたのは、【仕事師】としての凄さと【警察庁長官の人脈】を生かした【情報収集】とその【冷徹な解析】、しかもその情報を使わないで握りこむことにより、周囲から【畏怖の念】を勝ち取り、仕事の遂行を容易にする手腕である。 弁護士中坊功平氏のいう、【正面の理、側面の利、背面の恐怖が揃わなければ、人は動かず。】という認識を一身で表現したのが、後藤田正晴という人物であろう。 しかも、彼は生涯を官僚、保守政治家として送りながら、自分の信念、【戦争をしてはならない】【人に恨みを抱かせてはならない】を死ぬまで貫き通した稀有の人でもある。 一言で彼を評するならば、【普通の感性】を、衆にすぐれた仕事力と抜群の情報収集力と解析力 で、貫き通した人であったと思う。 【普通である、普通を貫き通す】ことの凄さを体現した人物である。 |
▼流水さん: 後藤田という日本人がいたこと、熟読しました。個人的な感情でなく、どうやって保守の世の中を維持していくかを考えぬいた、というか感覚で知り抜いていた人物と言えます。中曾根のぬけめのなさもこの辺か。たしかに後藤田は小泉とは違って大人(おとな)ですね。 |