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 ▼死刑が執行されましたね。  k・satou 05/9/24(土) 8:36
   ┣Re(1):死刑が執行されましたね。  もの申す 05/9/24(土) 10:31
   ┃  ┗Re(2):死刑が執行されましたね。  k・satou 05/9/24(土) 12:49
   ┃     ┗Re(3):死刑が執行されましたね。  ウミサチヒコ 05/9/24(土) 12:54
   ┃        ┣Re(4):死刑が執行されましたね。  k・satou 05/9/24(土) 13:08
   ┃        ┣Re(4):死刑が執行されましたね。  もの申す 05/9/24(土) 13:41
   ┃        ┃  ┣[管理人削除]   
   ┃        ┃  ┃  ┗移動しました  管理スタッフ 05/9/24(土) 23:44
   ┃        ┃  ┗Re(5):死刑が執行されましたね。  k・satou 05/9/24(土) 20:29
   ┃        ┃     ┗Re(6):死刑が執行されましたね。  k・satou 05/9/24(土) 21:13
   ┃        ┃        ┗Re(7):死刑が執行されましたね。  もの申す 05/9/25(日) 8:47
   ┃        ┃           ┗Re(8):死刑が執行されましたね。  k・satou 05/9/25(日) 9:45
   ┃        ┃              ┗Re(9):死刑が執行されましたね。  石頭の息子 05/9/25(日) 10:09
   ┃        ┃                 ┗司法取引の容認とセットです。  退役軍人 05/9/25(日) 16:10
   ┃        ┃                    ┗Re(1):司法取引の容認とセットです。  石頭の息子 05/9/25(日) 22:39
   ┃        ┃                       ┗ちと誤解があるようで  退役軍人 05/9/25(日) 23:57
   ┃        ┃                          ┗Re(1):裁判員制度  ワン太郎 05/9/26(月) 19:34
   ┃        ┗Re(4):死刑が執行されましたね。  風鈴カザン 05/9/27(火) 16:50
   ┃           ┗Re(5):死刑が執行されましたね。  ウミサチヒコ 05/9/27(火) 18:12
   ┃              ┣横レス御免  通介 05/9/27(火) 19:05
   ┃              ┗Re(6):死刑が執行されましたね。  風鈴カザン 05/9/27(火) 19:20
   ┣Re(1):死刑が執行されましたね。  憲法9条改正 05/9/24(土) 11:55
   ┃  ┗Re(2):死刑が執行されましたね。  k・satou 05/9/24(土) 12:57
   ┃     ┗Re(3):死刑が執行されましたね。  憲法9条改正 05/9/24(土) 14:38
   ┣Re(1):死刑が執行されましたね。  もの申す 05/9/24(土) 14:09
   ┃  ┗Re(2):死刑が執行されましたね。  憲法9条改正 05/9/24(土) 14:47
   ┣Re(1):死刑が執行されましたね。  BadBloke 05/9/24(土) 18:26
   ┃  ┣Re(2):死刑が執行されましたね。  憲法9条改正 05/9/24(土) 22:13
   ┃  ┃  ┣Re(3):死刑が執行されましたね。  BadBloke 05/9/25(日) 1:21
   ┃  ┃  ┃  ┗Re(4):死刑が執行されましたね。  憲法9条改正 05/9/25(日) 10:53
   ┃  ┃  ┗Re(3):死刑が執行されましたね。  BadBloke 05/9/25(日) 2:03
   ┃  ┃     ┣Re(4):死刑が執行されましたね。  k・satou 05/9/25(日) 6:27
   ┃  ┃     ┗Re(4):死刑が執行されましたね。  憲法9条改正 05/9/25(日) 10:54
   ┃  ┗Re(2):死刑が執行されましたね。  ステディ ベア 05/9/25(日) 22:39
   ┃     ┗Re(3):死刑が執行されましたね。  ステディ ベア 05/9/25(日) 22:41
   ┃        ┗Re(4):死刑が執行されましたね。  BadBloke 05/9/26(月) 2:42
   ┃           ┣ちょっと横レス失礼しますね  コップ酒 05/9/27(火) 4:16
   ┃           ┃  ┗Re(1):ちょっと横レス失礼しますね  BadBloke 05/9/27(火) 7:53
   ┃           ┃     ┣Re(2):ちょっと横レス失礼しますね  憲法9条改正 05/9/27(火) 19:14
   ┃           ┃     ┃  ┗Re(3):ちょっと横レス失礼しますね  BadBloke 05/9/27(火) 21:59
   ┃           ┃     ┣レスありがとうございました 1  コップ酒 05/9/28(水) 7:09
   ┃           ┃     ┗レスありがとうございました 2  コップ酒 05/9/28(水) 7:10
   ┃           ┗Re(5):死刑が執行されましたね。  k.satou 05/9/27(火) 9:46
   ┃              ┗三木清で、ちょっと寄り道  BadBloke 05/9/28(水) 7:16
   ┃                 ┗Re(1):三木清で、ちょっと寄り道  k.satou 05/9/28(水) 9:37
   ┣Re(1):死刑は執行すべきでない。  昭和 人 05/9/24(土) 21:32
   ┃  ┗Re(2):死刑は執行すべきでない。  k・satou 05/9/25(日) 13:31
   ┣「死刑廃止」の条件  ワン太郎 05/9/25(日) 9:17
   ┃  ┗Re(1):「死刑廃止」の条件  k・satou 05/9/25(日) 11:02
   ┃     ┗Re(2):「死刑廃止」の条件  ワン太郎 05/9/25(日) 19:06
   ┃        ┗Re(3):「死刑廃止」の条件  k・satou 05/9/25(日) 20:31
   ┃           ┗Re(4):「死刑廃止」の条件  ワン太郎 05/9/26(月) 20:21
   ┃              ┣Re(5):「死刑廃止」の条件  k・satou 05/9/26(月) 20:54
   ┃              ┃  ┗Re(6):「死刑廃止」の条件  ワン太郎 05/9/27(火) 9:30
   ┃              ┃     ┗Re(7):「死刑廃止」の条件  k.satou 05/9/27(火) 10:18
   ┃              ┗Re(5):「死刑廃止」の条件  松林 05/9/26(月) 20:56
   ┃                 ┗Re(6):「死刑廃止」の条件  k・satou 05/9/26(月) 21:19
   ┣Re(1):死刑が執行されましたね。  卯 05/9/27(火) 10:07
   ┃  ┗Re(2):死刑が執行されましたね。  k.satou 05/9/27(火) 10:25
   ┗Re(1):死刑が執行されましたね。  キタキツネ 05/9/27(火) 14:22
      ┗Re(2):死刑が執行されましたね。  ウミサチヒコ 05/9/27(火) 15:00

 ───────────────────────────────────────
 ■題名 : 死刑が執行されましたね。
 ■名前 : k・satou <cbl13464@nifty.com>
 ■日付 : 05/9/24(土) 8:36
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   9月16日 大阪拘置所で 北川晋 死刑確定者が執行されました。
 98年11月に国連の委員会からの勧告されているのに それを無視して
  南野法相へ 抗議の意思表示をしましょう。
  世界の趨勢に なんら考慮することなく ハンを押している顔を
  よーく 直視すべきです。
  世界から 日本人て奴は!と見られているのは 私たちですから。

  アメリカでも黒人の女性が 執行さました。
  しかし 5・6年前?の執行反対へのもりあがりとの
  ちがいを思うと  寂しいおもいをしているのですが。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):死刑が執行されましたね。  ■名前 : もの申す  ■日付 : 05/9/24(土) 10:31  -------------------------------------------------------------------------
   k・satouさん

satouさんは死刑廃止論者とお見受けいたしますが、私はいま死刑制度の是非について迷っております。
四年ほど前から犯罪被害者並びに遺族の方々を支援しておりますが、彼等の悲痛な叫びを聞いていると死刑は廃止すべきものと断言できないのです。

朝いつものように出勤した一家の大黒柱が、僅か数万円の金のために殺され犯人は逃走。その後逮捕された無職の男(36才)は裁判で懲役10年を言い渡されました。
判決理由は被告が反省しており人生をやり直すチャンスを奪うのは忍びない、と言うものでした。懲役10年の判決を聞いた時遺族は悔しさに泣き崩れました。
犯人には思いやりをもって接する裁判官は、裁判終了まで遺族には一言も慰めの言葉さえかけることはありませんでした。

被告は弁護士による刑罰軽減の法廷芝居で形だけ謝罪の言葉を述べただけで、極刑を免れました。犯人は一言も遺族に謝罪せず服役しました。勿論損害賠償に応じる経済力もありません。
民事裁判を依頼した遺族の弁護士が言うには、犯人は6〜7年も服役すれば仮釈放されるのではないかとのことでした。

中学生と高校生の子供を抱えている遺族の妻はパートで働きだしました。高校生は大学進学を諦め卒業後近くの町工場に就職しました。中学生も来年は卒業しますが、母親が病弱なため高校へは進学しないと言っています。平和な家族の生活は根底から破壊されました。長男は何故自分の父親を理不尽に殺害した犯人が死刑にならないのかと会うたびに言います。彼の心から生涯犯人への憎しみが消えることはないでしょう。

この他にも殺人事件で平和な生活を一瞬に破壊され苦しみ抜いている遺族が大勢います。罪も無い人を殺し、遺族にたとえようもない苦しみを与えた犯人の大半は死刑にはなりません。憲法は死刑制度を認めていますが、これを適用することは例外でしかありません。
死刑がダメならばせめて犯人を生涯社会に出して欲しくないと言うのが遺族の方々の大勢の意見です。終身刑が制度化されていない日本で、死刑はダメと主張する死刑制度廃止論者の皆様には、一度でも遺族の悲痛な声を聞いてから判断をしてもらいたいと願っております。

個人的には私利私欲の為に人の命を奪った者は、己の命をもって償うというのが日本人の心に受け継がれてきたDNAではないかと考えております。
死刑を人道的に否定する方々は、悲惨な最期を遂げた被害者の人権を人道的にはどのように見ているのでしょうか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):死刑が執行されましたね。  ■名前 : k・satou <cbl13464@nifty.com>  ■日付 : 05/9/24(土) 12:49  -------------------------------------------------------------------------
   ▼もの申すさん:
 ごていねいにどうも すみません。
  拝読いたしました。
 私はそれでも 死刑は廃止されるべきだと思います。
  たしかに個々の犯罪については 憎悪すべく 憎んでも飽き足らず
  お思いになるのも いちいち 理解できます。
 しかし その原因を たどると 病的なもの・貧困からくるもの
  が大半で もっともっと 世の中 悪い奴が大勢いるのになぜ?
  爆弾を勝手に落とし 発射側の映像だけまるで テレビゲームのように
  しかうつさず 落とされ 逃げ惑う人は みたことがないし そして
  大量に 罪もない人たちを 殺すわけです。
因果応報! みせしめ! かたきうち! 等々の
  刑罰論をする気はありません。
たしかに 自分にたいしてなされた悪を ゆるす権利はあるとしても
 他の人達にたいしてなされた悪をゆるす権利はありませんし。
 そんな権利は持ち合わせていないのですが。
生きたくても 生きられない人も大勢いる。
 意識なんてものは そんな 世の中の”奇跡”で この世に
 生きてんじゃないか? 
 死ねば意識もなくしてしまう!
 せっかくの意識を(奇跡を)なくすことはないじゃないの?
意を尽くせないのは 説得するだけの 力不足というわけです。 
 おゆるしいただきたい。
 要は 死刑反対ということです。


>k・satouさん
>
>satouさんは死刑廃止論者とお見受けいたしますが、私はいま死刑制度の是非について迷っております。
>四年ほど前から犯罪被害者並びに遺族の方々を支援しておりますが、彼等の悲痛な叫びを聞いていると死刑は廃止すべきものと断言できないのです。
>
>朝いつものように出勤した一家の大黒柱が、僅か数万円の金のために殺され犯人は逃走。その後逮捕された無職の男(36才)は裁判で懲役10年を言い渡されました。
>判決理由は被告が反省しており人生をやり直すチャンスを奪うのは忍びない、と言うものでした。懲役10年の判決を聞いた時遺族は悔しさに泣き崩れました。
>犯人には思いやりをもって接する裁判官は、裁判終了まで遺族には一言も慰めの言葉さえかけることはありませんでした。
>
>被告は弁護士による刑罰軽減の法廷芝居で形だけ謝罪の言葉を述べただけで、極刑を免れました。犯人は一言も遺族に謝罪せず服役しました。勿論損害賠償に応じる経済力もありません。
>民事裁判を依頼した遺族の弁護士が言うには、犯人は6〜7年も服役すれば仮釈放されるのではないかとのことでした。
>
>中学生と高校生の子供を抱えている遺族の妻はパートで働きだしました。高校生は大学進学を諦め卒業後近くの町工場に就職しました。中学生も来年は卒業しますが、母親が病弱なため高校へは進学しないと言っています。平和な家族の生活は根底から破壊されました。長男は何故自分の父親を理不尽に殺害した犯人が死刑にならないのかと会うたびに言います。彼の心から生涯犯人への憎しみが消えることはないでしょう。
>
>この他にも殺人事件で平和な生活を一瞬に破壊され苦しみ抜いている遺族が大勢います。罪も無い人を殺し、遺族にたとえようもない苦しみを与えた犯人の大半は死刑にはなりません。憲法は死刑制度を認めていますが、これを適用することは例外でしかありません。
>死刑がダメならばせめて犯人を生涯社会に出して欲しくないと言うのが遺族の方々の大勢の意見です。終身刑が制度化されていない日本で、死刑はダメと主張する死刑制度廃止論者の皆様には、一度でも遺族の悲痛な声を聞いてから判断をしてもらいたいと願っております。
>
>個人的には私利私欲の為に人の命を奪った者は、己の命をもって償うというのが日本人の心に受け継がれてきたDNAではないかと考えております。
>死刑を人道的に否定する方々は、悲惨な最期を遂げた被害者の人権を人道的にはどのように見ているのでしょうか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):死刑が執行されましたね。  ■名前 : ウミサチヒコ <movement@me.scn-net.ne.jp>  ■日付 : 05/9/24(土) 12:54  -------------------------------------------------------------------------
   ▼k・satouさん:
>▼もの申すさん:
死刑反対かどうか貫く自信はありませんが、死刑に反対する人は断固支持できます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):死刑が執行されましたね。  ■名前 : k・satou <cbl13464@nifty.com>  ■日付 : 05/9/24(土) 13:08  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ウミサチヒコさん:
 リンカーンが 言ってたんだって?
  そのことはできる。 それをやると決定せよ。
  そしたら その方法をみつけりゃいい。
  人民の人民による人民のための政治を
  この地上から絶滅させては ならない。

 民主主義も死刑も
 それに抗して闘ったものが 言えることだと。
ご健闘を祈ります。


>▼k・satouさん:
>>▼もの申すさん:
>死刑反対かどうか貫く自信はありませんが、死刑に反対する人は断固支持できます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):死刑が執行されましたね。  ■名前 : もの申す  ■日付 : 05/9/24(土) 13:41  -------------------------------------------------------------------------
   ウミサチヒコさん

>死刑反対かどうか貫く自信はありませんが、死刑に反対する人は断固支持できます。

仮に自分の妻や子供、場合によっては孫など愛する身内が理不尽に殺されても死刑に反対しますか。私は死刑制度廃止を理屈では理解できても、感情的には頷く自信はありません。
身近に被害者や遺族の方々を見ているせいか、犯罪者を決して許せない気持ちが強いせいかも知れません。
犯罪の理由を挙げればきりがないほどあります。確かに同情すべき理由もあるでしょう。だからと言って人を殺したり傷つけることを許すのは間違いだと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : [管理人削除]  ■名前 :  ■日付 :  -------------------------------------------------------------------------
   この書き込みは管理人によって削除されました。(05/10/5(水) 17:03)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 移動しました  ■名前 : 管理スタッフ  ■日付 : 05/9/24(土) 23:44  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ウミサチヒコさん(63500):

Ray@スタッフです。

この書き込みは掲示板のルールのうち

 ・掲示板を混乱させる恐れのある投稿(揶揄、罵倒、侮蔑的表現)

に該当するため、削除対象としてスタッフ連絡板に移動しました。
以後この書き込みへのレスを禁止します。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(5):死刑が執行されましたね。  ■名前 : k・satou <cbl13464@nifty.com>  ■日付 : 05/9/24(土) 20:29  -------------------------------------------------------------------------
   ▼もの申すさん:
よこから すみませんね。
 我々が罪悪を憎みまたは悲しみ これら再発を根絶するために
 最大の罪悪に最大の刑罰をもって
 望もうとするのは まことに貴重な決意であります。
 しかし 最大の刑罰とは はたして ただちに刑法上の死刑な
 のでしょうか?
 人間としての問題と法律の問題とを混同していないか?
 人間の問題にとっても法律の問題にとっても 解決の糸口は手繰れません。
  罪悪感は人間の問題であって 刑法が人間の問題を
 ことごとく解決するということはできません。

  ひとつ 質問させてください。
 あなたは 極悪非道の犯罪者の生命をたって これを死刑にすれば
  問題は解決する。と思うのですか?
 私たちは あまりにも多くのことを法律・刑法にたよることは
  ゆるされないのではないか?
 ”人間が改善されうるものである”という確信のため人類が有史以来
 思想や社会が積み重ねてきた貴重な努力を無視することはゆるされません。
  もっぱら法律により悪をとりのぞこうとすれば さらに大なる悪を
  発生させてきました。
ふたたびですが
  法律そして刑法は 本質的に罪悪を根絶するものではないのであり
 私達が罪を犯した場合にも 私達が人間としての人権が不当に
 ふみにじられることのないよう 
 これを保証すものが刑法でなくてはならない。
  リストのいう ”刑法は罪を犯した人々にとってのマグナカルタだ”
   不朽の名言だと思います。
あくまでも 理屈です。  失礼します。


>ウミサチヒコさん
>
>>死刑反対かどうか貫く自信はありませんが、死刑に反対する人は断固支持できます。
>
>仮に自分の妻や子供、場合によっては孫など愛する身内が理不尽に殺されても死刑に反対しますか。私は死刑制度廃止を理屈では理解できても、感情的には頷く自信はありません。
>身近に被害者や遺族の方々を見ているせいか、犯罪者を決して許せない気持ちが強いせいかも知れません。
>犯罪の理由を挙げればきりがないほどあります。確かに同情すべき理由もあるでしょう。だからと言って人を殺したり傷つけることを許すのは間違いだと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(6):死刑が執行されましたね。  ■名前 : k・satou <cbl13464@nifty.com>  ■日付 : 05/9/24(土) 21:13  -------------------------------------------------------------------------
   もの申すさん
 しつこくて ごめんなさい。
死刑は 必要欠くべからざるものか?
これがなくては 人間の社会がなりたっていかないようなものか?
 どうしても 社会に必要だとされたのは
 原始的な無自覚の観念であり 社会の自覚と法の進歩により
 当初あらゆる犯罪にたいして なされていた死刑の適用が
 その必要がなくなり 最後の殺人などの極めて重大な犯罪だけが
 残り それも現在多数の国家においてまったく廃止されている事実は
 死刑が必要にして 欠くべからざるものではないということを
 立証しているのだ と思います。
  イギリスでスリなどの犯罪にたいして死刑がおこなわれていた当時
  その死刑執行の公開に群集があつまる そのときこそ
  スリたちが仕事をするにもっともよい機会とされていた。
 ”死刑がものを盗むなどの犯罪を防止しえなかったとすれば
 どうして これが殺人などの犯罪を防止することができようか”と
  1877年イギリス下院で ウイリアム・ハアコオトが言ってます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(7):死刑が執行されましたね。  ■名前 : もの申す  ■日付 : 05/9/25(日) 8:47  -------------------------------------------------------------------------
   k・satouさん:

>もの申すさん
> しつこくて ごめんなさい。
>死刑は 必要欠くべからざるものか?
>これがなくては 人間の社会がなりたっていかないようなものか?

初めに申し上げましたが、私自身死刑の是非について判断が固まっておりません。
死刑廃止を主張される方々のご意見にうなづける点も多々あります。冤罪の危険性も考えねばならない問題です。

しかし、これまで反対を唱える人に見られるのは加害者側に立った判断が多いのではないかと言うことです。人(遺族や被害者)の心情に余りにも配慮のない発言がまかり通っているとの思いがします。

確かに人(国家)が人の命を絶つのは人道上許されないとの判断は理解できないこともありません。
しかし加害者が罪も無い被害者を私利私欲や恨みを晴らすために殺害したことは許されるべきなのでしょうか。加害者の生い立ちや生活環境を配慮して寛大に扱うべきなのでしょうか。過ぎたこととして不問に付すべき性質のものなのでしょうか。

死刑がダメならどのような刑罰が適切なのでしょうか。懲役10年と20年の差は何をもって決められるべきなのでしょうか。
被害者や遺族の方々と向き合う度に、同じ疑問が繰り返されるばかりで納得できる答えが見つかりません。

更に考えてゆくと犯罪者に何故国家は刑罰を与えるのか、刑罰は何の為に必要なのか、死刑が許されないことであるならば生涯獄舎に繋ぐ終身刑は何故許されるのか、死刑に代わる刑罰は何が最も望ましいのか等々、堂々めぐりをするばかりです。

以前「死んだ人には人権はない」と発言して顰蹙を買った国会議員がおりました。
死んだ人(被害者)よりも生きている人間(加害者)を重視すべきとの考えが、現在の法律や社会制度の根幹にあります。
更に被害者や遺族に対する措置は背筋が寒くなるほど冷淡なものです。最近は死刑の是非よりも、犯罪被害者や遺族の人権擁護こそ最も改善すべきことと考えている次第です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(8):死刑が執行されましたね。  ■名前 : k・satou <cbl13464@nifty.com>  ■日付 : 05/9/25(日) 9:45  -------------------------------------------------------------------------
   ▼もの申すさん:
 お便りを なんども読み返してみました。
 私には どういって適切に説明できるか自信がありません。
  次に紹介する事実で 心中をお察し いただきたいのです。
  (ゴ存知かもしれませんが あえて)
 1927年7月ジョン・ロビンソンがチュウアリングクロス停車場トランク
 詰め死体事件の被告として死刑を宣告された時。その殺された女性の母は
 内相につぎのように訴えました。
 娘の死によって 私は傷ついていますが 裁判所においてロビンソン夫人の
 悲嘆をみますと 私はつくづく思います。彼女の夫が絞刑に処せられたとして
 私ども夫婦には何の慰めにもなりません。私達はなにをなしたとて
 私達の娘を生き返らすことはできないのですから
 閣下におかれましては 彼の妻子たちのために 彼を何ら危害をなしえない
 ところの監獄へとどめおかれることを!
 彼は極悪人ですが 今彼が絞刑に処せらると彼女やその幼児たちは
 いかなる恐怖を感づることか 思いやることができます。

あのロビンソンか!と語り継がれることになったもので 引用は困る!
 と管理人におこられそうですが あへて 載せました。 
 法なんかでは 絶対ないと思うのです。人間>法 なんですからね。


>k・satouさん:
>
>>もの申すさん
>> しつこくて ごめんなさい。
>>死刑は 必要欠くべからざるものか?
>>これがなくては 人間の社会がなりたっていかないようなものか?
>
>初めに申し上げましたが、私自身死刑の是非について判断が固まっておりません。
>死刑廃止を主張される方々のご意見にうなづける点も多々あります。冤罪の危険性も考えねばならない問題です。
>
>しかし、これまで反対を唱える人に見られるのは加害者側に立った判断が多いのではないかと言うことです。人(遺族や被害者)の心情に余りにも配慮のない発言がまかり通っているとの思いがします。
>
>確かに人(国家)が人の命を絶つのは人道上許されないとの判断は理解できないこともありません。
>しかし加害者が罪も無い被害者を私利私欲や恨みを晴らすために殺害したことは許されるべきなのでしょうか。加害者の生い立ちや生活環境を配慮して寛大に扱うべきなのでしょうか。過ぎたこととして不問に付すべき性質のものなのでしょうか。
>
>死刑がダメならどのような刑罰が適切なのでしょうか。懲役10年と20年の差は何をもって決められるべきなのでしょうか。
>被害者や遺族の方々と向き合う度に、同じ疑問が繰り返されるばかりで納得できる答えが見つかりません。
>
>更に考えてゆくと犯罪者に何故国家は刑罰を与えるのか、刑罰は何の為に必要なのか、死刑が許されないことであるならば生涯獄舎に繋ぐ終身刑は何故許されるのか、死刑に代わる刑罰は何が最も望ましいのか等々、堂々めぐりをするばかりです。
>
>以前「死んだ人には人権はない」と発言して顰蹙を買った国会議員がおりました。
>死んだ人(被害者)よりも生きている人間(加害者)を重視すべきとの考えが、現在の法律や社会制度の根幹にあります。
>更に被害者や遺族に対する措置は背筋が寒くなるほど冷淡なものです。最近は死刑の是非よりも、犯罪被害者や遺族の人権擁護こそ最も改善すべきことと考えている次第です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(9):死刑が執行されましたね。  ■名前 : 石頭の息子  ■日付 : 05/9/25(日) 10:09  -------------------------------------------------------------------------
   死刑の廃止論と存続論、おのおの世に具体例と観念論を提示しています、それら共にうなずけるのはおかしいでしょうか?

私は結論をもっていませんが、死刑のかわりに100年、200年の禁固刑を制度化してはどうかとおぼろげに考えています、アメリカのこの制度を詳しくはしりませんので、どのように運用されているのかは興味があります。 

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 司法取引の容認とセットです。  ■名前 : 退役軍人  ■日付 : 05/9/25(日) 16:10  -------------------------------------------------------------------------
   石頭の息子さん、こんにちは。

▼石頭の息子さん:
>(略)死刑のかわりに100年、200年の禁固刑を制度化してはどうかとおぼろげに考えています、アメリカのこの制度を詳しくはしりませんので、どのように運用されているのかは興味があります。 

アメリカの制度は、【司法取引】と【陪審員制度】、それに【加重刑】がセットになって初めて機能している制度です。

さて、凶悪犯に対しては禁固150年なんてえのが普通な米国ですけれど。

例えば、殺人罪では起訴の時点で検察官がランクを付けて公訴提起します。

一級殺人罪の場合は、殺人一件につき禁固30年とか。
二級殺人罪の場合は、殺人一件につき禁固10年とか。
(注)州によって違います。多重犯の場合は、死刑とされている州もあります。

従って、三件の一級殺人(一つの事件で三人殺害)で起訴され有罪になると禁固90年ということになります。まぁ、生きている内はシャバには出られないでしょうね。

これが、二級殺人罪三件であれば、禁固30年ということになり恩赦請求なんかもありますから、生きている内に外に出られる可能性があります。

詐欺罪や横領罪でも、詐欺や横領一件につき5年とか。
したがって100件の横領を繰り返していたとすると、禁固500年ってのもあります。

どの罪名のどの級で公訴提起するかは、検察官の裁量に委ねられています。
ここで、司法取引という制度が生きてきます。

罪を認める、つまり犯罪事実については争わないってのが前提ですけれど。

ここで例えば、犯罪組織の情報を提供するあるいは、犯罪組織のボスを有罪に出来る証言を行い、【公共の安全】や【公共の利益】に寄与するということで検察官の裁量により一級殺人罪を二級に格下げするとか、司法取引が成立する訳です。

肝は、公訴提起前に被疑者の代理人として弁護士の関与が認められている点とか。

警察での尋問に弁護士の立ち会いが認められ宣誓供述調書作成時の文言に至るまで弁護士の関与が認められている点なんかも。

つまり被疑者としての防衛権が尊重されている制度であるということ。

これは、逮捕時に被疑者に必ず告げられるミランダ警告なんかにも明確に示されています。

司法取引はその防衛権を放棄すること、つまり事実を裁判で争わない(公判維持に関わる公的な負担を減らすということ)代わりに、検察官の裁量で罪一等を減ずる制度であるということです。

つまり、日本の裁判制度では裁判官にしか与えられていない【情状酌量による刑罰の減免】という権利が、検察官にも与えられているということ。

更には、判事の刑罰に対する減免の裁量範囲もとても狭くされています。

一級殺人罪で有罪となった被疑者に対して、刑法で定められた量刑を大きく逸脱して半分の禁固15年なんかには出来ないということ。

それでも、実情に合わない点が指摘されていて問題もあるようです。
公訴提起前の保釈が認められている点とか。
保釈金専門の金融業者が存在できる点とか。
加重犯による長期受刑者が増えて、刑務所が満杯だとか。

日本の法制度は、犯罪者でも更生可能で社会に戻すという理念が存在すると思います。

これは、犯罪者といえども根底に「人としての善」の存在を認める日本人の価値観によるものでしょう。

裁判により、死刑とされてしまうということは犯した罪の重さや大きさもありましょうが、別の観点でみると【矯正】可能とは認められないということかと。

罪の大きさ重さ(被害者家族への配慮も入れ、社会的影響も勘案して)と、矯正不可能であるとの判断が成された被疑者に対しての判断ですよね。

死刑なのか、終身刑なのか。

単純に、死刑を廃止するだけでは法の下の平等を欠くことになりませんか。

死刑相当の犯罪者に対して、実質的終身刑という二度と社会には戻さないという厳罰があってこそ死刑廃止が可能になるのではないかと。

加重刑による実質的終身刑を採用するのであれば、その根拠となる部分で司法制度も考え直さなければならないでしょうね。

無期懲役という、死刑につぐ厳罰が実質的に十数年の有期刑となっている現状も考える必要があると思います。

人権を盾に、人が人の生命を奪ってはならないという「誰も否定できない根拠」を以て死刑廃止を主張するのは現実を見ない主張であると思います。

失礼いたしました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):司法取引の容認とセットです。  ■名前 : 石頭の息子  ■日付 : 05/9/25(日) 22:39  -------------------------------------------------------------------------
   ▼退役軍人さん:

教えて頂いてるのに申し訳ないが、前段の仕組みはどなたも概ねご存知じゃないかとおもいます、知りたかったのはその先の運用詳細と理念なんですが、これも掲示板ではスペースの関係で無理かと自省。

死刑の可否にまで言及されていますが、私としては少し違和感があります。

「犯罪者といえども根底に「人としての善」の存在を認める日本人の価値観」なのに「矯正不能な犯罪者には死刑」は独自の見解のようで。

いずれにせよ、私には死刑存続か廃止かの結論をもっていないので掲示板の意見を参考にさせてもらっています。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : ちと誤解があるようで  ■名前 : 退役軍人  ■日付 : 05/9/25(日) 23:57  -------------------------------------------------------------------------
   石頭の息子さん、こんばんは。

レスありがとうございます。

▼石頭の息子さん:
>▼退役軍人さん:
>
>教えて頂いてるのに申し訳ないが、前段の仕組みはどなたも概ねご存知じゃないかとおもいます、知りたかったのはその先の運用詳細と理念なんですが、これも掲示板ではスペースの関係で無理かと自省。

実は、弁護士と検察官、それに被疑者との間でどういった【交渉】がなされるかについて、書こうとしたのですけれど........スペースの関係で無理であると悟りました。

肝だけ、簡単に。

被疑者が罪を認めなければ、無罪を主張することになります。
この法廷は陪審員の評決で無罪か有罪かが決まります。
陪審員の評決は全員一致が原則です。

判事は量刑についてのみ定める権限があります。
判事は裁判官としての判断を求められるのではなく、裁判を指揮することが主な仕事になります。

無罪を主張していた被疑者が有罪になると、ほぼ間違いなく刑法の規定にある最高刑に処せられます。

無罪を主張した、即ち法廷で嘘を述べたとされ情状酌量なんてのは普通一切ありません。

一審の陪審法廷で【無罪】の評決を受けると、同一案件について検察側に控訴権がありませんので、このまま確定判決となります。

一方、被疑者が有罪となった場合は被告弁護側には控訴権がありますから、上告することが出来ます。

なんというか、司法取引ってとてもビジネスライクなものです。

>死刑の可否にまで言及されていますが、私としては少し違和感があります。
>
>「犯罪者といえども根底に「人としての善」の存在を認める日本人の価値観」なのに「矯正不能な犯罪者には死刑」は独自の見解のようで。

日本人の価値観が根底にあるから、死刑は極刑なのだと思います。

矯正不能であるということは、社会に危険な人間であるのと同義語です。
再犯の確率が非常に高いということですよね。

悔い改めることが出来ない者、即ち【人としての善】を持たない者ということかと。

こういった人間もどきに人権なんぞある訳がない。(断言

こういった犯罪者は塀の外へ出してはなりません。
死刑を廃止するのであれば、一生塀の中に閉じ込めておかねばなりません。

私は死刑を廃止しても良いと考えますが、加重刑制度等による【死刑に代わる厳罰】が必要であると考えます。

罪の大きさ、即ち社会に与えうる影響。
罪の重さ、即ち被害者の親族に与えた悲しみ。

矯正の余地、即ち悔い改めて罪を償ったあとに、社会人として生きていけるのか。

これを勘案した上で、刑罰は定められるべきです。

現在の制度では、「死刑」という刑罰と実質十数年の禁固刑である「無期懲役」の落差があまりにも大きいと思います。

失礼いたしました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):裁判員制度  ■名前 : ワン太郎  ■日付 : 05/9/26(月) 19:34  -------------------------------------------------------------------------
   ▼退役軍人さん:

>アメリカの制度は、【司法取引】と【陪審員制度】、それに【加重刑】がセットになって初めて機能している制度です。

2009年から「裁判員制度」が実施されることになっています。
そこにおいて 日本でも【司法取引】が行われることになりそうです。

一般市民(素人)が裁判員としてプロの裁判官と同等の権限を持って公判に臨みますが、
裁判員である市民が長期間にわたって拘束されては困るので、裁判の迅速化が考えられています。 (予定では2〜3日で結審)

そのために「公判前整理手続」を検事と弁護士が争点等の整理を行いますが、その時点で事実上の【司法取引】が行われる事になります。

この裁判員制度が「死刑」についてどう影響するか関心がもたれていますが、
私の考えでは 一般市民が「死刑判決」を下すことができるかどうか疑問です。

多くの人に意見を聞きましたが「私には 死刑判決を出せない」というのが ほとんどでありました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):死刑が執行されましたね。  ■名前 : 風鈴カザン  ■日付 : 05/9/27(火) 16:50  -------------------------------------------------------------------------
   >死刑反対かどうか貫く自信はありませんが、死刑に反対する人は断固支持できます。

自分で自信のないものをやる人間を断固支持ですか。

ある人が、「改憲反対かどうか貫く自信はありませんが、改憲に反対する人は断固支持できます。」と言ったとしましょう。私はそんなインチキな奴のいうこと、断固支持できませんな。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(5):死刑が執行されましたね。  ■名前 : ウミサチヒコ  ■日付 : 05/9/27(火) 18:12  -------------------------------------------------------------------------
   ▼風鈴カザンさん:
>>死刑反対かどうか貫く自信はありませんが、死刑に反対する人は断固支持できます。
>
>自分で自信のないものをやる人間を断固支持ですか。
>
>ある人が、「改憲反対かどうか貫く自信はありませんが、改憲に反対する人は断固支持できます。」と言ったとしましょう。私はそんなインチキな奴のいうこと、断固支持できませんな。

バカヤロウ、何いってやがんでぇ。支持するのと確信するのは違うのだ。女房は正しいかどうか分からぬ、でも断固愛しちゃってる、そんなようなもんだ。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 横レス御免  ■名前 : 通介  ■日付 : 05/9/27(火) 19:05  -------------------------------------------------------------------------
    ども、通介です。

▼ウミサチヒコさん

 貴方の意見や思想にどうこう言う気は無いですが、ウミさんの発言態度が、懇親会で「止める」と言われていた「コップの中の嵐」にまた戻りつつありますぜ。
もちっとクールダウンされたし。m(_ _)m

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(6):死刑が執行されましたね。  ■名前 : 風鈴カザン  ■日付 : 05/9/27(火) 19:20  -------------------------------------------------------------------------
   ウミサチヒコさん

>バカヤロウ、何いってやがんでぇ。支持するのと確信するのは違うのだ。女房は正しいかどうか分からぬ、でも断固愛しちゃってる、そんなようなもんだ。

ほう、愛ときましたか。それにしても死刑の支持するしないと同等に扱われては、奥さんが可哀想ですよ。断固愛しちゃってるのは、こんな所じゃなくって、奥さんに直接言ってあげなさいな。あなた、男でしょ?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):死刑が執行されましたね。  ■名前 : 憲法9条改正  ■日付 : 05/9/24(土) 11:55  -------------------------------------------------------------------------
   ▼k・satouさん:おはようございます

>9月16日 大阪拘置所で 北川晋 死刑確定者が執行されました。
> 98年11月に国連の委員会からの勧告されているのに それを無視して
>  南野法相へ 抗議の意思表示をしましょう。

本来なら罪と罰を論議して、それを踏まえて死刑執行の是非を語るべきなのに、いきなり抗議ですか?
しかも「国連」という肩書きを持ち出して、まるで水戸黄門の葵の印籠ですね。

>  世界の趨勢に なんら考慮することなく ハンを押している顔を
>  よーく 直視すべきです。

世界の趨勢?

「クイズ 地球人65億人に聞きました、死刑制度は必要ですか?」 というアンケートで、過半数以上の地球人が不必要と答えたのでしょうか? あなたの説明は根拠が不明です。

>  世界から 日本人て奴は!と見られているのは 私たちですから。

これも意味不明。世界って、どこの世界のこと?

ちなみに国際人権擁護団体アムネスティ・インターナショナルの情報(2004年)によると、お隣の中国では3400人が処刑されているそうです。こちらはタチが悪くて中国政府は機密扱いにしていて正確な処刑者数が判らないという事実があります。
私の個人的な意見ですが、日本の公平な裁判とはほど遠い、見せしめの処刑が沢山あるんだろうと思っています。

>  アメリカでも黒人の女性が 執行さました。
>  しかし 5・6年前?の執行反対へのもりあがりとの
>  ちがいを思うと  寂しいおもいをしているのですが。

まあ、あなたが寂しいおもいをするのは勝手ですけど。

それでは

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):死刑が執行されましたね。  ■名前 : k・satou <cbl13464@nifty.com>  ■日付 : 05/9/24(土) 12:57  -------------------------------------------------------------------------
   ▼憲法9条改正さん:
 はじめまして
 わたしは 事実を報告しただけと
 以前のアメリカの黒人が死刑になったといって さわいだ
  メデアのとりあげよう(7年前?)が 世の中のかわりようか?
 といったわけです。
国連のは 勧告を読まれてからの 話にしましょう。
 98年11月勧告といえば すぐわかるので。
 憲法を論じようとご苦労さんにもハンドルをつけてるくらい
 だから すぐわかるでしょう。


>▼k・satouさん:おはようございます
>
>>9月16日 大阪拘置所で 北川晋 死刑確定者が執行されました。
>> 98年11月に国連の委員会からの勧告されているのに それを無視して
>>  南野法相へ 抗議の意思表示をしましょう。
>
>本来なら罪と罰を論議して、それを踏まえて死刑執行の是非を語るべきなのに、いきなり抗議ですか?
>しかも「国連」という肩書きを持ち出して、まるで水戸黄門の葵の印籠ですね。
>
>>  世界の趨勢に なんら考慮することなく ハンを押している顔を
>>  よーく 直視すべきです。
>
>世界の趨勢?
>
>「クイズ 地球人65億人に聞きました、死刑制度は必要ですか?」 というアンケートで、過半数以上の地球人が不必要と答えたのでしょうか? あなたの説明は根拠が不明です。
>
>>  世界から 日本人て奴は!と見られているのは 私たちですから。
>
>これも意味不明。世界って、どこの世界のこと?
>
>ちなみに国際人権擁護団体アムネスティ・インターナショナルの情報(2004年)によると、お隣の中国では3400人が処刑されているそうです。こちらはタチが悪くて中国政府は機密扱いにしていて正確な処刑者数が判らないという事実があります。
>私の個人的な意見ですが、日本の公平な裁判とはほど遠い、見せしめの処刑が沢山あるんだろうと思っています。
>
>>  アメリカでも黒人の女性が 執行さました。
>>  しかし 5・6年前?の執行反対へのもりあがりとの
>>  ちがいを思うと  寂しいおもいをしているのですが。
>
>まあ、あなたが寂しいおもいをするのは勝手ですけど。
>
>それでは

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):死刑が執行されましたね。  ■名前 : 憲法9条改正  ■日付 : 05/9/24(土) 14:38  -------------------------------------------------------------------------
   ▼k・satouさん:こんにちは

そういえば初めましてですよね、挨拶が遅れて申し訳ありません。

> はじめまして
> わたしは 事実を報告しただけと
> 以前のアメリカの黒人が死刑になったといって さわいだ
>  メデアのとりあげよう(7年前?)が 世の中のかわりようか?
> といったわけです。

日本国内の死刑執行と、他国の過去の死刑執行を同格に扱うあなたの神経が分かりません。米国の黒人が死刑になる背景には何があったのか? なぜ日本のマスコミは大きく取り上げたのか? 米国の人種差別について、日本人で正確に情報を掴んでいる人は何人いるんだろう? それぞれ事情があるはずだろう、ちなみに私はその黒人の話は思い出せませんけど。

>国連のは 勧告を読まれてからの 話にしましょう。
> 98年11月勧告といえば すぐわかるので。

揚げ足取りで申し訳ないんだが、国連が出した勧告に日本政府は無条件で受け入れなければならないのか? あなたこそ「勧告」の意味をよく理解してから投稿すべきと考えます。

> 憲法を論じようとご苦労さんにもハンドルをつけてるくらい
> だから すぐわかるでしょう。

確かに私は日本国憲法の改正、特に第九条の改正を切望しておりますが、しかし、それと上記のあなたの発言とに何ら因果関係を見いだすことができません、何が言いたいのか?
ハンドルネームは所詮、記号ですよ。

それでは

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):死刑が執行されましたね。  ■名前 : もの申す  ■日付 : 05/9/24(土) 14:09  -------------------------------------------------------------------------
   管理人様

satouさんのご意見に真面目に考えを述べたつもりですが、NO.63500のウミサチヒコさんの発言はsatouさんや私を侮辱するものです。
老人党掲示板の主旨に反する意見表明と思いますので、しかるべき措置をお願い致します。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):死刑が執行されましたね。  ■名前 : 憲法9条改正  ■日付 : 05/9/24(土) 14:47  -------------------------------------------------------------------------
   ▼もの申すさん:初めまして、こんにちは

>管理人様
>
>satouさんのご意見に真面目に考えを述べたつもりですが、NO.63500のウミサチヒコさんの発言はsatouさんや私を侮辱するものです。
>老人党掲示板の主旨に反する意見表明と思いますので、しかるべき措置をお願い致します。

管理スタッフに対する要望は、こちらですべきです↓

http://www.6410.jp/bbs/c-board.cgi?cmd=;id=renraku
管理スタッフ連絡掲示板

それでは

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):死刑が執行されましたね。  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/9/24(土) 18:26  -------------------------------------------------------------------------
   かつてKARL JASPERS氏が、「爪を研ぐ!」のスレッドで死刑問題を提起されていたので、ぼくはとてもだいじな問題だと思って自分の意見を述べました。ところが、JASPERS氏は、クールビズだとか、ヒートアイランドだとかと、ぼくとしては予想外の方向へ話をもっていかれまして、ラーメン屋に入ったらメニューにラーメンがなかったくらいに、途方に暮れておりました。

ぼくは死刑廃止を主張します。これは自分が被害者になっても変わらないでしょう。裁判制度によって人が人を裁くことが許されるとしても、人が人を殺す(死刑に処す)ことに法的根拠を与えてはならないと考えます。日本の最高裁の判決を見ても、ぼくにはいまだこの国がほんとうの法治国家だとは思えないことが少なくありません。法治国家として熟成した国は、死刑を廃止する傾向があります。法が万能なものではなく、それによって裁く権力をもつ人間もまちがいをおかすという現実を反省するからでしょう。

死刑を廃止すると凶悪犯罪が増える、と主張する人がいます。こういう意見は、少年法を厳しくすれば少年犯罪を抑止できると考える人の発想でしょう。しかし、これはなんら実証的な根拠をもたない考えです。単なる思い込みにすぎません。ぼくはなぜ人を殺さないか。極刑を恐れるからではないでしょう。人を殺したくはないからです。では、自分のたいせつな人を殺されたらどうか。その犯人を殺したいと思うだろうか。思うかもしれない。それでも実際に殺すことはしないでしょう。人を殺したくはないからです。その憎しみを法律に託して、死刑によって恨みを晴らすというのも、むなしいことです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):死刑が執行されましたね。  ■名前 : 憲法9条改正  ■日付 : 05/9/24(土) 22:13  -------------------------------------------------------------------------
   ▼BadBlokeさん:初めまして

>ぼくは死刑廃止を主張します。これは自分が被害者になっても変わらないでしょう。

被害者(死者)になったら、加害者のことなんて考える暇があるのでしょうか?
死後の世界から、意見を表明する手段でもあれば別ですが。

>裁判制度によって人が人を裁くことが許されるとしても、人が人を殺す(死刑に処す)ことに法的根拠を与えてはならないと考えます。

この根拠が全く記されていません。人が罪を犯し、それを他の人(裁判官)が裁いて罰を与える、ごく当たり前のことですよね。まさか物理的な神が存在して、公明正大な裁きを施すなんてあり得ません、罪を行うのも人ならばそれを裁くのもまた人なり、と私考えます。
さらに言うと、死という罪を行った者にはそれ相当の罰を与えるのが本筋である、というのが私の考え方である。
死んだ方(年齢にもよるが)には罪人に殺されたことにより、生きていく権利を失ってしまう、かたや罪人は死刑制度が廃止となれば何人何十人殺そうとも、選択肢は狭められるけど、国家によって生きていく保証を得られる、なんと矛盾に満ちたことか、ここに大きな不条理があると私は考えます。

>日本の最高裁の判決を見ても、ぼくにはいまだこの国がほんとうの法治国家だとは思えないことが少なくありません。法治国家として熟成した国は、死刑を廃止する傾向があります。法が万能なものではなく、それによって裁く権力をもつ人間もまちがいをおかすという現実を反省するからでしょう。

あのう少々お尋ねしたいのですが、ほんとうの法治国家とは具体的にどこの国を指しているのでしょうか? 根拠も明示していただきたいのですが。
「免罪」あってはならないことですよね、我が日本では大東亜戦争の敗戦後に、物的証拠を採用しておりますが、もしかしたら今でも免罪はあるのかなーと確かに不安です、もし私が免罪によって極刑(しかも死刑)を言い渡されたら・・・想像するのも恐ろしいことです。
だが、どんなに真剣な捜査をしても、どんなに時間を費やして審理をしても免罪を100%無くすことは不可能と思ってます、人間であるかぎり。繰り返し言いますがあってはならないことですが。

>死刑を廃止すると凶悪犯罪が増える、と主張する人がいます。こういう意見は、少年法を厳しくすれば少年犯罪を抑止できると考える人の発想でしょう。しかし、これはなんら実証的な根拠をもたない考えです。単なる思い込みにすぎません。

ではお尋ねしますが、罪を犯した人を一切咎めない、要するに法律が全く無くなったらこの世はどうなるでしょうか? 

もし法律があったとして、それに拘束力を持たせる法律がなかったらどうしますか? 例えとしては適切かどうか分かりませんが、NHKの放送受信料は法律は存在しますが、罰則規定はありません、未払い者は900万人強でしたっけ、沢山いますね。

次に法律があってなおかつその罰則が軽微なもの、例えば殺人を犯しても罰金10万円ならどうなるでしょうか? 私の個人的な考えですが、仕事人と呼ばれる職業が増えるでしょうね。
罪と罰、あなたも一度よく考えてみては如何でしょうか。

>ぼくはなぜ人を殺さないか。極刑を恐れるからではないでしょう。人を殺したくはないからです。

それはあなたの考え方であり、我が国1億数千万人の国民の総意ではないでしょう、例えば私なんて罰則の法律があるから罪を犯さないだけです。

>では、自分のたいせつな人を殺されたらどうか。その犯人を殺したいと思うだろうか。思うかもしれない。それでも実際に殺すことはしないでしょう。人を殺したくはないからです。その憎しみを法律に託して、死刑によって恨みを晴らすというのも、むなしいことです。

これもあなたの個人的な主観であり、私なら別の考え方を持ちます。

こんなところでよろしいでしょうか

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):死刑が執行されましたね。  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/9/25(日) 1:21  -------------------------------------------------------------------------
   ▼憲法9条改正さん:

>被害者(死者)になったら、加害者のことなんて考える暇があるので
>しょうか?
>死後の世界から、意見を表明する手段でもあれば別ですが。
>
ここでいう<被害者>とは、もちろん遺族を含めて生きている人のことです。こんなことを説明する必要があるとは思わなかったなあ。裁判とは、生きている人間のする行為でしょう。
>
>この根拠が全く記されていません。人が罪を犯し、それを他の人
>(裁判官)が裁いて罰を与える、ごく当たり前のことですよね。

その「ごく当たり前のこと」の中に、なぜ死刑という<罰>が含まれなくてはいけないのですか。その根拠は?

>さらに言うと、死という罪を行った者にはそれ相当の罰を与えるのが
>本筋である、というのが私の考え方である。

これがあなたが死刑に賛同する根拠ですか。<目には目を>というわけですね。ぼくには、そのような報復的・復讐的な行為は、たとえ法制度でカムフラージュされていようが、野蛮だと思うわけです。野蛮な行為に対して野蛮な罰で報復するクセから解放されないかぎり、人類はこの地上でもっとも野蛮な動物であるという汚名を返上できないでしょう。

>死んだ方(年齢にもよるが)には罪人に殺されたことにより、生きていく
>権利を失ってしまう、かたや罪人は死刑制度が廃止となれば何人何十人
>殺そうとも、選択肢は狭められるけど、国家によって生きていく保証を
>得られる、なんと矛盾に満ちたことか、ここに大きな不条理があると私は
>考えます。

そもそも人が殺人のようなことを犯すこと自体が不条理なのです。そういう不条理な人間社会に、死刑制度という不条理を加える必要はないだろう、というのがぼくの考えです。つまり、刑法上の殺人は重大な犯罪とされながら、裁判の判決による死刑は合法であり正義とさえみなされるというのは、ぼくには不条理としか思えないのです。

>あのう少々お尋ねしたいのですが、ほんとうの法治国家とは具体的に
>どこの国を指しているのでしょうか? 根拠も明示していただきたい
>のですが。

たとえば英国ですが、1965年に議会で死刑廃止法が可決されて以来、当然のことながら一度も死刑判決は出ていません。その法律の原名には、Abolition of Death Penalty とあります。訳せば、<死刑という刑罰の廃止>となるでしょうか。あなたの主張される<罰>を廃止するという法律です。その後も、死刑復活案が議会で提議されたことが何度かありますが、今のところ死刑の復活する兆しはないようです。死刑廃止によって凶悪犯罪が昔より増えたということもなく、基本的人権を重視するという近代法の精神からみても、英国は法治国家として成長した段階にあるといえるでしょう。この世にユートピアなんて存在しませんが、トマス・モアが『ユートピア』の中で死刑廃止論を主張してから450年後、英国は少しだけユートピアに近づいたわけです。

(すぐに、つづく)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):死刑が執行されましたね。  ■名前 : 憲法9条改正  ■日付 : 05/9/25(日) 10:53  -------------------------------------------------------------------------
   ▼BadBlokeさん:おはようございます

>ここでいう<被害者>とは、もちろん遺族を含めて生きている人のことです。こんなことを説明する必要があるとは思わなかったなあ。裁判とは、生きている人間のする行為でしょう。

要するに死んだ人間の人権なんて既に存在しない、罪人(加害者)には生きる権利がある、だから死刑なんてナンセンスということですね。

>その「ごく当たり前のこと」の中に、なぜ死刑という<罰>が含まれなくてはいけないのですか。その根拠は?

根拠? 無いですよ、あえて言えば人類は有史以来「殺人」という行為を続けてきた、現在も世界中の至る所で行われています。犯罪或いは処刑という形でね。すっかり定着していると言った方がいいかな。
罰の中に「死刑」という選択肢が含まれていることに私は違和感を持っていません、あくまでもこれは私の考え方です。

>これがあなたが死刑に賛同する根拠ですか。<目には目を>というわけですね。ぼくには、そのような報復的・復讐的な行為は、たとえ法制度でカムフラージュされていようが、野蛮だと思うわけです。野蛮な行為に対して野蛮な罰で報復するクセから解放されないかぎり、人類はこの地上でもっとも野蛮な動物であるという汚名を返上できないでしょう。

報復、復讐、ともに犯罪(殺人)という行為に含まれている要素ですね、人間が不完全な生物である証拠ともいえるでしょう、それに対して「野蛮」という単語を用いて人間を冒涜するあなたは人間を越えた生物なんですか?
この地上に生きる全ての生物は不完全であり、人間もまた然り! それを野蛮な行為などと断罪するあなたを私は軽蔑します。ただ単にきれい事言ったって、犯罪(殺人)という行為は撲滅されません。

>そもそも人が殺人のようなことを犯すこと自体が不条理なのです。そういう不条理な人間社会に、死刑制度という不条理を加える必要はないだろう、というのがぼくの考えです。つまり、刑法上の殺人は重大な犯罪とされながら、裁判の判決による死刑は合法であり正義とさえみなされるというのは、ぼくには不条理としか思えないのです。

その殺人という不条理がなぜ今も延々と続くのかな? 理想は多いに結構だが、現実は直視せにゃならんでしょう、それともあなたに殺人という行為をなくす世界を構築するプランでもあるのでしょうか?
あなたは死刑制度は不条理というが、私はその逆に「選択肢」に入れておくべきと考えており、この溝は埋まりそうにないですね。

>たとえば英国ですが、1965年に議会で死刑廃止法が可決されて以来、当然のことながら一度も死刑判決は出ていません。その法律の原名には、Abolition of Death Penalty とあります。訳せば、<死刑という刑罰の廃止>となるでしょうか。あなたの主張される<罰>を廃止するという法律です。その後も、死刑復活案が議会で提議されたことが何度かありますが、今のところ死刑の復活する兆しはないようです。死刑廃止によって凶悪犯罪が昔より増えたということもなく、基本的人権を重視するという近代法の精神からみても、英国は法治国家として成長した段階にあるといえるでしょう。この世にユートピアなんて存在しませんが、トマス・モアが『ユートピア』の中で死刑廃止論を主張してから450年後、英国は少しだけユートピアに近づいたわけです。

あなたの言う法治国家とは英国、たった1つだけなんですか? もっと他に沢山あるのかと思ってましたよ。
確かに英国では死刑制度は廃止されましたが、犯罪(殺人)は根絶されましたか?
死刑廃止は達成されても、殺人根絶というもう一つの題目は達成されていないでしょう。凶悪犯罪云々と言ってますが、データもないんじゃ説得力0ですし、そもそも死刑を廃止で同じく凶悪犯罪が全く無くなったわけでもないだろう、さらにユートピアは存在しないが、ユートピアでは死刑廃止になっているなんて、まるで矛盾した解説ですね。

つづく

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):死刑が執行されましたね。  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/9/25(日) 2:03  -------------------------------------------------------------------------
   (つづき)

>「免罪」あってはならないことですよね、我が日本では大東亜戦争の
>敗戦後に、物的証拠を採用しておりますが、もしかしたら今でも免罪は
>あるのかなーと確かに不安です、もし私が免罪によって極刑(しかも
>死刑)を言い渡されたら・・・想像するのも恐ろしいことです。

ここで言う「免罪」とは<冤罪>のことですね。英国で死刑が廃止されたひとつの理由として、過去に冤罪によって死刑になった人が少なからず存在したということもあったようです。「少なからず」というのは、近代に限定したばあいであって、人間の裁判の歴史を過去にずっとさかのぼれば、どれほど多くの罪なき人が権力によって残酷に処刑されたことか、ここで振り返る必要もないでしょう。ただ、日本のばあい、まさに近代において、形式的であれ人権を認めた憲法(明治憲法)があったにもかかわらず、罪なき人を国家権力が大量に処刑(拷問によるリンチも含めて)したことは、けっして忘れるべきではないと思います。

>ではお尋ねしますが、罪を犯した人を一切咎めない、要するに法律が全く
>無くなったらこの世はどうなるでしょうか? 
>
そのような仮定が今の議論に必要だとは思えませんが。

>罪と罰、あなたも一度よく考えてみては如何でしょうか。

あなたの場合は、罪人とご自分の区別をよくお考えになったほうがよろしいかもしれません。あなたは、凶悪犯は国家の権力によって死刑にされても当然だと考えるわけですよね。あなたは殺人を憎むのでしょう。そこまではぼくも同じです。ところが、ぼくの場合は、殺人犯は極悪人で、ぼくは善良だというように、人間の善悪を単純に区別することができないのです。この世には悪いことをする人がいることは知っている。しかし、そういういわゆる<悪人>と自分との区別はそれほど明確ではないのです。ただ、ハッキリしているのは、母親のおなかの中で小さな生命体としてその存在を開始したということ。これは悪人も善人も共通しているということです。その生命を法律の名のもとに奪うことを認めることはできない。たとえ罪なき人のいのちを奪った人の生命であっても。

>>ぼくはなぜ人を殺さないか。極刑を恐れるからではないでしょう。人を
>>殺したくはないからです。

>それはあなたの考え方であり、我が国1億数千万人の国民の総意ではない
>でしょう、例えば私なんて罰則の法律があるから罪を犯さないだけです。
>
あなたの考え方も1億数千万人の総意でないことを、こころから願っています。

>>では、自分のたいせつな人を殺されたらどうか。その犯人を殺したいと
>>思うだろうか。思うかもしれない。それでも実際に殺すことはしない
>>でしょう。人を殺したくはないからです。その憎しみを法律に託して、
>>死刑によって恨みを晴らすというのも、むなしいことです。
>
>これもあなたの個人的な主観であり、私なら別の考え方を持ちます。
>
そうです。結局は、この問題も個人の哲学・信条といいますか、あなたのいう<主観>が関係する問題なのでしょう。だからこそ、ひとは死刑などという高慢なことを考えるべきではないということです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):死刑が執行されましたね。  ■名前 : k・satou <cbl13464@nifty.com>  ■日付 : 05/9/25(日) 6:27  -------------------------------------------------------------------------
   ▼BadBlokeさん:
よこから どうもすみません。
おっしゃること いちいちごもっともです。
 
イギリスがその社会史上もっとも困難な時代いわゆる
”飢餓の40年の時代”に財産権にたいする犯罪について
 死刑を廃止した。そしてその後この時代のおわりに
 イギリスにおける財産犯罪は激減したのでしたね。
人間の生命は 法律以上のものである。
 法律をもって人間の生命をうばうことは法律の濫用
 これより大なるものはありません。
 われわれは 人間の生命をうばう権限を国家に譲渡することの
 できるものではない。1764年にベッカリアが著”犯罪と刑罰”で
改善の望みなき人間があるという判断は 全人間にたいする
 侮辱にほかならない。と刑政局長までやった正木亮博士が著”死刑”で。
死刑の有害なことは それが民衆を訓育するどころか
 民衆の道徳を退廃させ、その感受性をまひさせることである。と
 ビクトル・ユウーゴーが”死刑囚最後の日”のなかで指摘し
 その影響のおよぶところは ますます拡大されております。
 死刑がその死刑囚の家族にたいし これら罪なきひとびとにたいし
 あたえる無限の苦痛は まことにおそるべき権利の濫用であり
 これをふせぐ術がない。
 ”諸君は死刑囚の子ども達が15年もすると 男は徒刑場に 女は
 売春街に収容されていくのをふせぐことができるのか”と。
 さすが ユウーゴーですね。
1927年7月のロビンソンのトランク詰め死体事件の
 ころされた女性の母親の内相あての嘆願書ほど私に
 考えさせるものは ありません。
錯誤はすべての判断にありうる。
 死刑は不当に適用された時 救済の方法がない。
 これは法ではなく 無法というもの。
 一日たりとも 無法をゆるすことはできません。

それに 国連は日本にこれら死刑廃絶への努力にたいし すこしは
 おもいめぐらし 努力してみたら?と言ってるわけですが。
>
>あなたの場合は、罪人とご自分の区別をよくお考えになったほうがよろしいかもしれません。あなたは、凶悪犯は国家の権力によって死刑にされても当然だと考えるわけですよね。あなたは殺人を憎むのでしょう。そこまではぼくも同じです。ところが、ぼくの場合は、殺人犯は極悪人で、ぼくは善良だというように、人間の善悪を単純に区別することができないのです。この世には悪いことをする人がいることは知っている。しかし、そういういわゆる<悪人>と自分との区別はそれほど明確ではないのです。ただ、ハッキリしているのは、母親のおなかの中で小さな生命体としてその存在を開始したということ。これは悪人も善人も共通しているということです。その生命を法律の名のもとに奪うことを認めることはできない。たとえ罪なき人のいのちを奪った人の生命であっても。
>
>>>ぼくはなぜ人を殺さないか。極刑を恐れるからではないでしょう。人を
>>>殺したくはないからです。
>
>>それはあなたの考え方であり、我が国1億数千万人の国民の総意ではない
>>でしょう、例えば私なんて罰則の法律があるから罪を犯さないだけです。
>>
>あなたの考え方も1億数千万人の総意でないことを、こころから願っています。
>
>>>では、自分のたいせつな人を殺されたらどうか。その犯人を殺したいと
>>>思うだろうか。思うかもしれない。それでも実際に殺すことはしない
>>>でしょう。人を殺したくはないからです。その憎しみを法律に託して、
>>>死刑によって恨みを晴らすというのも、むなしいことです。
>>
>>これもあなたの個人的な主観であり、私なら別の考え方を持ちます。
>>
>そうです。結局は、この問題も個人の哲学・信条といいますか、あなたのいう<主観>が関係する問題なのでしょう。だからこそ、ひとは死刑などという高慢なことを考えるべきではないということです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):死刑が執行されましたね。  ■名前 : 憲法9条改正  ■日付 : 05/9/25(日) 10:54  -------------------------------------------------------------------------
   ▼BadBlokeさん:つづきです、よろしくお願いします。

>ここで言う「免罪」とは<冤罪>のことですね。英国で死刑が廃止されたひとつの理由として、過去に冤罪によって死刑になった人が少なからず存在したということもあったようです。「少なからず」というのは、近代に限定したばあいであって、人間の裁判の歴史を過去にずっとさかのぼれば、どれほど多くの罪なき人が権力によって残酷に処刑されたことか、ここで振り返る必要もないでしょう。ただ、日本のばあい、まさに近代において、形式的であれ人権を認めた憲法(明治憲法)があったにもかかわらず、罪なき人を国家権力が大量に処刑(拷問によるリンチも含めて)したことは、けっして忘れるべきではないと思います。

ご指摘ありがとうございます「冤罪」ですね、間違えてました。
過去の話は横においといて、大日本帝国憲法では自白証拠が採用されていたのに対して、現日本国憲法では物的証拠が採用されました、細かい流れは面倒なので省略しますが、冤罪の数が激減したのは事実でしょう、ただし、減ったといっても「0」になったわけではないので課題は残りますが。

過去を忘れるなとのことですが、それと死刑廃止とどんな因果関係があるのか? どういう趣旨で上記の発言をしたのか私には理解できません、私流に解釈すると国家が裁きを下してはいけないと判断してしまいます。要するに法律なんか必要ないと解釈してしまいますよ。そうではないですよね。

>そのような仮定が今の議論に必要だとは思えませんが。

そうかなー、我々人間なんて例えれば羊なんですよ、羊飼いと番犬という「縛り」に誘導されていく存在みたいなもの。
具体的にいえば番犬は「法」であり、羊飼いは「行政」といったところでしょうか、これらの縛りがなくなればどうなるか? 暴力と圧力という別の「縛り」が自然に発生する無秩序の世界になるんでしょう。重要なことだと思いますが。

>あなたの場合は、罪人とご自分の区別をよくお考えになったほうがよろしいかもしれません。あなたは、凶悪犯は国家の権力によって死刑にされても当然だと考えるわけですよね。あなたは殺人を憎むのでしょう。そこまではぼくも同じです。ところが、ぼくの場合は、殺人犯は極悪人で、ぼくは善良だというように、人間の善悪を単純に区別することができないのです。この世には悪いことをする人がいることは知っている。しかし、そういういわゆる<悪人>と自分との区別はそれほど明確ではないのです。ただ、ハッキリしているのは、母親のおなかの中で小さな生命体としてその存在を開始したということ。これは悪人も善人も共通しているということです。その生命を法律の名のもとに奪うことを認めることはできない。たとえ罪なき人のいのちを奪った人の生命であっても。

はいはい、こんな情緒じみた話で、罪と罰を論ずるとは情けないかぎりだな。
殺人という罪を犯して、それに対する罰という手段の中に「死刑」の有無を論じているのであって、なんで国家権力が出てくるんだ! 北朝鮮じゃあるまいし。
ごく普通の市民が、きっかけは様々だが犯罪(殺人)という罪を犯すことによって極悪人というレッテルを貼られるのであって、なんでそれと「善良」という単語を組み合わせて説明するのかな、ごちゃ混ぜで論じないほうがよいのでは?

>あなたの考え方も1億数千万人の総意でないことを、こころから願っています。

あなたは死刑廃止を唱え、私は死刑容認を唱える。あとは我が国の民主主義に則って法改正の是非を国の代表に決めてもらうしかないでしょう。

>そうです。結局は、この問題も個人の哲学・信条といいますか、あなたのいう<主観>が関係する問題なのでしょう。だからこそ、ひとは死刑などという高慢なことを考えるべきではないということです。

それを言うなら、犯罪(殺人)という罪が起きない社会を構築すべきでしょう、そんな社会できるとは私はハナから思っていませんが。

それでは

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):死刑が執行されましたね。  ■名前 : ステディ ベア  ■日付 : 05/9/25(日) 22:39  -------------------------------------------------------------------------
   ▼BadBlokeさん 失礼します。
結論から言います。
死刑制度に関する議論は、犯罪被害者やその遺族の心情を抜きにして論ずるべきではありません。

>ぼくは死刑廃止を主張します。これは自分が被害者になっても変わらないでしょう。

殺されてしまった自分がどう主張しようと言うのでしょうか。完全に無意味な主張です。

>裁判制度によって・・・人が人を殺す(死刑に処す)ことに法的根拠を与えてはならないと考えます。

ならば、福岡ドームに機関銃を持った犯人が乱入して手当たり次第に撃ち始めても、銃を持った警官がその殺戮を止められない、と言うことになりませんか?
国家は人の命を奪う権利はない、と言うのは格好は良いが、これほど非論理的で現実離れした話はありません。
死刑廃止を導入している国もそうでない国も、警察官による現場射殺は実行されています。
日本だけは現場での射撃に異常なまでに規制が加えられる反面、裁判による適法な死刑を問題にする、裁判なしでの現場射殺について議論されないのはどうしたことでしょう。

>日本の最高裁の判決を見ても、ぼくにはいまだこの国がほんとうの法治国家だとは思えないことが少なくありません。
>法治国家として熟成した国は、死刑を廃止する傾向があります。
>法が万能なものではなく、それによって裁く権力をもつ人間もまちがいをおかすという現実を反省するからでしょう。

なんだか、説明に変なトリックを感じます。
日本におけるえん罪事件の多くは科学捜査に不慣れな刑事訴訟法の切り替え時期の話であって、現在は極めて可能性が少ない。
それに、えん罪の可能性は何も重大事件の時ばかりではなく、有期懲役や罰金刑、あるいは導入が検討されている終身刑の場合にも許される者ではありません。
仮に発生するとすれば、その原因を追及し、発生を防ぐ制度の方を確立すべきであって、えん罪をおそれるあまり、極刑をさけるという選択は、制度そのものをないがしろにするものです。

続きます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):死刑が執行されましたね。  ■名前 : ステディ ベア  ■日付 : 05/9/25(日) 22:41  -------------------------------------------------------------------------
   ▼BadBlokeさん
>死刑を廃止すると凶悪犯罪が増える、と主張する人がいます。しかし、これはなんら実証的な根拠をもたない考えです。単なる思い込みにすぎません。

では、逆に「死刑を廃止すると凶悪犯罪の大きな増加がない」と言う具体的根拠となる資料がなければ説得力はありますまい。いまだ、どちらも立証されていません。
「こういう意見は、少年法を厳しくすれば少年犯罪を抑止できると考える人の発想でしょう。」全くそのとおりではありませんか。少年から司法は全く舐められ、形ばかりの保護矯正施設で長期休暇をとってから、悠々と娑婆(シャバ)に復帰しています。
再犯率も極めて高い、矯正していないのです。なぜ、そのことに思い至らないのでしょうか。

死刑ほど恐ろしく、威嚇的力のある刑罰はありません。駐車違反を死刑にすれば、たちまち駐車違反はなくなります。死刑は刑罰の頂点に立つのですから、刑罰の頂点の死刑が無くなれば、一切の刑に威嚇力が無くなります。
死刑にするより、生かして償いをさせた方が良いという人もいますが、死亡した被害者に償いのしようがないではありませんか。
遺族に賠償したって償いなんかにはなりはしない、償うというのは、罪を犯した相手に対して償うことです。人命は限りなく尊いが故に、故なく人を殺した場合には、その人間の命を以て償うしかない、そうではありませんか。

>ぼくはなぜ人を殺さないか。極刑を恐れるからではないでしょう。人を殺したくはないからです。
>では、自分のたいせつな人を殺されたらどうか。その犯人を殺したいと思うだろうか。思うかもしれない。それでも実際に殺すことはしないでしょう。人を殺したくはないからです。

殺人者に対して、何ゆえそれほどまでに肩入れするのか、それは被害の当事者でないからに過ぎないからです、失礼を承知で言わせていただくなら『世迷言』です。
判例主義の日本の極刑は2〜3人殺して初めて適用される、1人くらいじゃ、くらっても無期懲役、それもせいぜい15年で出所です。
強盗やレイプによって殺された人はなぶりものにされ、地獄の苦しみの中で死んでいきます。被害者の気持ちを少しも忖度できない貴方にこの無念さが判るわけがない。
死刑囚のように、何年もかけて心の教誨を受け、平安を受けて死ぬのとは大違いです。
元刑務官で作家の坂本敏夫氏は「1日3000キロカロリーを超える食事が届けられるなど準備を整えて迎える死刑囚の死を『至福の死』」と断じています。(平成14年9月14日 朝日新聞)

>その憎しみを法律に託して、死刑によって恨みを晴らすというのも、むなしいことです。

ならば、個人的に被害者本人が助命嘆願書を出せばよい、趣味の範疇でしょう。
晴らせぬ恨み、だからこそ国家権力の強制力に期待するしかないのです。
死刑にしたって被害者が帰ってくるわけではないと言うが、だからこそ、自分の生命で償わなければならないのです。
故なく他人の命を奪った以上は、自らの命を差し出さなければならない、という社会的規律が必要です。
他人の命を奪っておいて、税金で養ってもらえる、という甘い社会であってはならない、と私は心から思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):死刑が執行されましたね。  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/9/26(月) 2:42  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ステディ ベアさん:

最初の出会いの時から感じましたが、あなたとぼくでは余りにも信条がちがいすぎるようです。野球とクリケット、どちらが好きですか? きっと野球でしょうね。

たしか、あなたは山本夏彦ファンということでしたよね。であれば、今日出海の『三木清における人間の研究』を紹介した小文をごぞんじでしょう。もし三木清を全く読んだことがなくて、この小文によって初めて彼に出会ったとしたら、たいていの日本人は三木清をいやなヤツだと思うでしょうね。伝記であれば、三木のいやらしい面を知るのも面白いかもしれません。しかし、山本氏のこの小文の意図は、三木の評価を落とすことにあったと思うので、こういう行為はペンを武器とする者としてフェアでない、とぼくは考えます。

戦後まもない頃、三木の処女作『パスカルにおける人間の研究』をもじった題名で、あのような作文を公表した今日出海のせいで、三木清を誤解した人は多かったことでしょう。それから35年後に、『文藝春秋』で再びその小文を紹介した山本夏彦によって、さらに被害者の増えたであろうことを、ぼくは非常に残念に思います。

哲学や信条は、人生の出会いというようなもので決まるのかもしれません。その出会いをじゃまするものも、人生には少なくないようです。

三木清のような、横暴な国家権力の犠牲となった人に、からし種ひとつぶほどの同情心があるとすれば、今日出海にしても、山本夏彦にしても、そのペンのほこ先は、まったくちがう方向へ向いたはずです。

ステディベアさん、この議論においても、あなたの反論を読んでいると、ぼくにはあなたが、法治国家というよりも、警察国家を理想としているように感じるのです。そして、そこには、何か三木清を殺した権力の臭いすら感じ取ってしまうのです。ぼくの記憶だと、あなたは戦前の特高警察によって弾圧された人々に同情するどころか、国家に逆らったのだから当然だというような意見を述べていましたよね。こういう話は、死刑問題と関係がないと思われますか? ぼくには、どこかでつながるような気がしますが。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : ちょっと横レス失礼しますね  ■名前 : コップ酒  ■日付 : 05/9/27(火) 4:16  -------------------------------------------------------------------------
   ▼BadBlokeさん:こんにちは。

>▼ステディ ベアさん:
>最初の出会いの時から感じましたが、あなたとぼくでは余りにも信条がちがいすぎるようです。野球とクリケット、どちらが好きですか? きっと野球でしょうね。

あの、どうして野球とクリケットなんでしょうか?(汗)

あと、クリケットはイギリスに親しみのある人ならすぐに
わかるとは思うんですけど、そうでない人もたくさんいると
思うんですね。

同様のことは、三木清や山本夏彦についても言えて、
本の内容も書かずに著作名だけを挙げて、みんなが知っている
ことを前提で話が進んでいっても閲覧者には「?」なんです。
つまり説得力に欠けてしまう恐れもあるわけで。

無知を自慢するわけでも開き直るわけでもないんですけど、
このへんもご配慮いただければ発言者閲覧者双方にとって
ベターかと思いました。ズレおしまい。

>ステディベアさん、この議論においても、あなたの反論を読んでいると、ぼくにはあなたが、法治国家というよりも、警察国家を理想としているように感じるのです。そして、そこには、何か三木清を殺した権力の臭いすら感じ取ってしまうのです。ぼくの記憶だと、あなたは戦前の特高警察によって弾圧された人々に同情するどころか、国家に逆らったのだから当然だというような意見を述べていましたよね。こういう話は、死刑問題と関係がないと思われますか? ぼくには、どこかでつながるような気がしますが。

ええと警察国家って、大雑把にいうと

「国家権力が警察組織等の行政組織を多用し、国民生活を隅々まで
監視する国家体制。ファシズム政権や共産主義諸国に多く見られた。」

ってことですよね?
 
でも、ステディベアさんは法治国家が前提で刑罰の頂点としての
死刑制度を支持されていると思います。
ステディベアさんの発言のどこが「警察国家を理想としている
ように思え」るのか、具体的にご明示下さいますと幸いです。

それから悪いやつさんは、戦前の特高警察による虐殺と
現在の死刑制度を関連づけて「どこかでつながるような気が
しますが」とおっしゃっていますが、どこでつながるのでしょうか。
これも具体的にご明示くださいますと幸いです。

ただ、わたしが思うに、戦前の混乱状況の中で生まれた特高警察と
現在の法治国家の中での警察権力をごた混ぜにされて発言
されるのは、あまりにも無茶苦茶ではないでしょうか。

国家権力=恐ろしいもの、という点ばかりを【戦前の視点】から
煽ってばかりでは、あまりにも現実とは乖離してます。
それとも、国家権力=恐ろしいもの、ではなくては困る
ことでもあるのでしょうか? 

戦後の現在の視点で、国家権力を健全に機能していくように
話し合い深めていくほうがよっぽど大切なことなんじゃないかと
思うのですけれど…。

ちなみに社会のために国家権力を健全に機能させるひとつの
役割としての死刑制度には、わたしは賛成です。
廃止なんて考えたこともありませんでした。横レス失礼しました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):ちょっと横レス失礼しますね  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/9/27(火) 7:53  -------------------------------------------------------------------------
   ▼コップ酒さん:

ネット上の公開掲示板であるからして、すべての閲覧者の知識を配慮しながら投稿するのがマナーである。そう本気で思っているのでしょうか? ぼくは思うに、ステディベアさんの代わりにあなたが無理して理解しなくてもいい事があってもいいのじゃないかと。それを書いちゃダメなんて言われちゃ、ぼかあ困っちゃう。

ぼくだってほかの人の投稿を読んでいて、知らない知識にぶつかることは少なくないですよ。それを知るまでは眠れないという緊急事態の場合、ぼくならまず自分で調べますね。今はネットのおかげで、その気になれば手軽にいろんな知識を得られるでしょう。投稿した人に質問するって手もあるけれど、ネット上の討論には、尊重すべき<流れ>みたいなものがあると、ぼくは思うわけでして、それを乱すようなことは、できるだけしないのが、それこそマナーじゃないでしょうか。もちろん、質問をすることで議論の内容がさらに豊かになることもあるし、流れが乱れることによって面白くなることだってあるでしょうから、あまり厳格に考えてもらっちゃ困りますが。

取りあえず、野球とクリケットのことだけ、ちょっと言わせてもらいますと、どちらもたかがスポーツにすぎないわけでして、知らなけりゃ天国に行けないってわけでもないのですから、そう心配なさらなくてもよろしいかと。ただ、ぼくとしては、そこに微妙なニュアンスを込めたことは確かでして、ちょっとタネ明かしをすれば、死刑制度が生き残っている米国と、死刑を廃止した英国、それぞれを代表する国民的スポーツを対比することで、何か感じてくれる人がいてくれるかな、なんて期待をしていたのですね。もちろん、ぼくは誰よりもベアさんにそれを期待したわけです。でも、わかってくれなくても、どうでもいいとは思っていたのですけど。

それと、法治国家と警察国家のお話ですが、あなたには現代人にありがちな、現代を過信する傾向があるように、ぼくは診断しました。そりゃ、今は戦前のようにはおおっぴらにはやりませんし、交番のお巡りさんなんかは、実にいい人が多いですよ。でも、ですね。戦後にだって、警察がいろいろやってることは確かなんです。全学連がなぜヘルメットをかぶるようになったか、ごぞんじですか? 60年安保闘争の頃は、まだそんなもんかぶっていなかったのですよ。無防備な学生たちに機動隊が暴力をふるうものだから、ヘルメットをかぶるようになったのです。これ、本で読んで知った知識にすぎないんですけど。

現代人ってのは、いつの時代にも、自分たちこそ現代人であると思ってはいたのでしょうね。歴史をながめると、人間自身はそれほど変わっていないように、ぼくは感じています。

戦前と戦後がそれほど革命的に変化したと、もし本気で信じていらっしゃるのなら、たとえば、これなどお読みになったらどうでしょう。

家永三郎著『歴史のなかの憲法』(上下2巻、東京大学出版会)

特に、第八章<日本国憲法はどのようにして空洞化されつつあるか、国民はこれにたいしてどのようなたたかいを展開しつつあるか>を読むと、この国が、果たしてほんとうに法治国家の方向へ向かっているのか、その現実がよく見えてくると思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):ちょっと横レス失礼しますね  ■名前 : 憲法9条改正  ■日付 : 05/9/27(火) 19:14  -------------------------------------------------------------------------
   ▼BadBlokeさん:こんばんは

横レス失礼

だらだらと、中身のない投稿をする方だね。

ところで、私に対するレスはまだですか?

>家永三郎著『歴史のなかの憲法』(上下2巻、東京大学出版会)
>
>特に、第八章<日本国憲法はどのようにして空洞化されつつあるか、国民はこれにたいしてどのようなたたかいを展開しつつあるか>を読むと、この国が、果たしてほんとうに法治国家の方向へ向かっているのか、その現実がよく見えてくると思います。

あなたは法治国家ではなく、ユートピアを目指しているんでしょう。
ならば夢でも沢山見て下さい、夢の中ならいくらでも理想郷を観ることができますよ。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):ちょっと横レス失礼しますね  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/9/27(火) 21:59  -------------------------------------------------------------------------
   ▼憲法9条改正さん:

>▼BadBlokeさん:こんばんは
>
>横レス失礼
>
>だらだらと、中身のない投稿をする方だね。
>
>ところで、私に対するレスはまだですか?
>

いやあ、こりゃまた失礼いたしました。実を言いますと、あなたへの返事もその「だらだらと中身のない」調子になってしまいそうで、どうしようかなと、ちと迷っていたところなんですよ。

じゃ、せっかくですから、なんとか中身のある方向へ向かうよう努力しますね。で、そのことと関係しそうな話なんですけど、あなたのお名前<憲法9条改正 >からすると、あなたは改憲論者ですね? だとすれば、ちょっと面白いと思いませんか。この死刑問題に関しては、ぼくが改正論者で、あなたは反対だ。つまり、憲法問題とは、立場が逆になってます。

そこでお訊ねしますが、あなたが憲法9条を変えようとされる理由はなんでしょうか。箇条書きでもいいですから、もれなく説明してもらえないでしょうか。これ、この討論が「だらだら」しないために、ぜひ必要な感じがするんです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : レスありがとうございました 1  ■名前 : コップ酒  ■日付 : 05/9/28(水) 7:09  -------------------------------------------------------------------------
   ▼BadBlokeさん:こんにちは。レスありがとうございました。

>ネット上の公開掲示板であるからして、すべての閲覧者の知識を配慮しながら投稿するのがマナーである。そう本気で思っているのでしょうか? それを書いちゃだめなんて言われちゃあ、ぼかあ困っちゃう。

いや、書いちゃダメなんて申しておりません。
「そのほうが閲覧者発言者にとってベターなんじゃないか」と
言っているだけです。

掲示板で注釈ナシでワケわからん専門用語を使う人とかいますけど、
どうしてかなあと思ってたんですよね。
・自分の言いたいことをロムしている人に理解して欲しくないのか
(→ならどうして書き込むのかな?)、
・自分の知っていることはみんな知ってて当たり前と思っているのか
(→専門バカに多いタイプですけど他人との距離がわからない人かな?)
・自分の知識のひけらかし(→かわいそうな人、で終了)

…あたりかなあと。わたしの脳内ではみんなまとめて
「イタい人」に分類されておしまいなんですけど(苦笑)。

>ぼくは思うに、ステディベアさんの代わりにあなたが無理して理解しなくてもいい事があっても
>いいのじゃないかと。

あら、だったらメールでやりとりなさればよろしいのでは?
え? ステディベアさんのメールアドレスをご存知ない?
じゃあ掲示板に書くしかないですよね。

レスの直接の相手ではない=閲覧している他人が無理にわかろうとする
必要がない、とおっしゃるなら、掲示板に書く意味って
あるんでしょうか? 掲示板なんざ一対一のやりとりじゃ
ないんだし。…って再度思ってしまいました。

>ぼくだってほかの人の投稿を読んでいて、知らない知識にぶつかることは少なくないですよ。それを知るまでは眠れないという緊急事態の場合、ぼくならまず自分で調べますね。今はネットのおかげで、その気になれば手軽にいろんな知識を得られるでしょう。投稿した人に質問するって手もあるけれど、ネット上の討論には、尊重すべき<流れ>みたいなものがあると、ぼくは思うわけでして、それを乱すようなことは、できるだけしないのが、それこそマナーじゃないでしょうか。

なるほど、おっしゃることはわかります。
ただ、マナーをおっしゃるなら、まず書き手のマナーをふまえる
ことが第一義では? 
書き手と書き手の応酬で展開していく中で<流れ>が生まれる
わけですもんね。個々のマナーをふまえずして、全体の流れの
マナーをおっしゃることは本末転倒だと思いました。

ともあれ、悪いやつさんがお考えになっていることは、共感は
できないのですけれど理解はいたしました。

すぐにつつきます(長くなってしまってすみません

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : レスありがとうございました 2  ■名前 : コップ酒  ■日付 : 05/9/28(水) 7:10  -------------------------------------------------------------------------
   >取りあえず、野球とクリケットのことだけ、ちょっと言わせてもらいますと、どちらもたかがスポーツにすぎないわけでして、知らなけりゃ天国に行けないってわけでもないのですから、そう心配なさらなくてもよろしいかと。

すみません、昔ですけどクリケットの試合に数回行ってある程度は
理解してました。でもこれって「たまたま」わたしがそこに住んでただけで、
「普通は」そうじゃないですよね。

>ただ、ぼくとしては、そこに微妙なニュアンスを込めたことは確かでして、ちょっとタネ明かしを
>すれば、死刑制度が生き残っている米国と、死刑を廃止した英国、それぞれを代表する国民的
>スポーツを対比することで、何か感じてくれる人がいてくれるかな、なんて期待をしていたのですね。

そうでしたか、わたしはてっきり個々の身体能力がモノを言う
野球VSメンタルな部分が醍醐味でもあるクリケット、とか、

ダイレクトに球が飛べば飛ぶだけよしの野球VS地面に
バウンドした球でも標的(ウィケットなんて言いませんよー笑)
を倒せばいいクリケット、

とか、そんなことを考えてました。それぞれの特性が死刑制度や
ステディベアさんの投稿とどうリンクするのかなあと。了解しました。

>それと、法治国家と警察国家のお話ですが、あなたには現代人にありがちな、現代を過信する傾向があるように、ぼくは診断しました。

現代人て…、悪いやつさんは「現代人」ではないのですか?(笑)
過信はしてませんが、戦前戦中よりは明らかに雲泥の差で絶対的に
ベターであることは確かであることは断言できます。
だからこうして平和にネットもできます。ありがたいことです。

>60年安保闘争の頃は、まだそんなもんかぶっていなかったのですよ。無防備な学生たちに機動隊が
>暴力をふるうものだから、ヘルメットをかぶるようになったのです。

何をおっしゃっているんですか?
「国会構内乱入事件」(34年11月)、「国会請願デモ事件」(35年4月)、
「首相官邸乱入事件」(35年5月、6月)などの事件を起こしたとき、
全学連の学生達は角材や石塊で武装し警察部隊と激しい衝突を繰り返し
ましたよ。

鶏が先か卵が先かということではなく、事実としては
全学連の学生達だって「武装」していた、ということです。
当時、日本はすでに法治国家です。全学連が破壊行動に出たから
警察部隊も応酬しただけでしょう。彼ら警察部隊は、法に
則って、自らの職務を遂行したまでです。
わたしはまだ生まれてませんでしたが、それくらいのことは
わかりますよ。

長くなり失礼しました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(5):死刑が執行されましたね。  ■名前 : k.satou <kenji.satoucoa@ceres.ocn.ne.jp>  ■日付 : 05/9/27(火) 9:46  -------------------------------------------------------------------------
   ▼BadBlokeさん:
よこから 失礼いたします。
 おみごとですね!あらためて 所論を 楽しませていただき
  勉強になりました。感謝いたします。
  三木清のことですが
  高倉テルをかくまったというくだらない理由で 逮捕し
   幼い洋子さんの叙述は東畑精一の妹の病弱の奥さんの
   ことを思うと 涙なくして語れません。
  あれだけの人を 敗戦の日のあと むざむざと牢死させ
  だれひとり迎えにいかなかったとは?
  とうぜん 私は日本中の哲学を志すひとたちが いや京大学派の
  人たちも その釈放に努力し駆けつけたものと思ってました。
   それどころか 戦前も戦後も教授として居座りこんどは
   急に民主主義者として登場し
   それこそ 血にまみれた手で 自由だの民主主義を
   こねまわして 平然としている人たちに ”恥をしれ!”と。
   その論は とても 信用できるものでは ありません。
  人は 疥癬なんかでは死なない!といわれるお父さんの
  無念のすがたと心情をおもいやると たしかに立派に殺されたのです。
  けして 病死したのではありません。そして
  ソクラテスを彼に見た とまでいわれる偉人を失ったことは
  まことに 残念です。
  いつものくせで 山本夏彦だの!今東光だの!なんなんだ!と読まずに
   私は言い切ります。
  国家権力により 殺されたのです。けっして病死したのではない。

浅読み・早とちりは 私の得意とするところで お許し下さい。
 お説を楽しみにしています。 お元気で。


>▼ステディ ベアさん:
>
>最初の出会いの時から感じましたが、あなたとぼくでは余りにも信条がちがいすぎるようです。野球とクリケット、どちらが好きですか? きっと野球でしょうね。
>
>たしか、あなたは山本夏彦ファンということでしたよね。であれば、今日出海の『三木清における人間の研究』を紹介した小文をごぞんじでしょう。もし三木清を全く読んだことがなくて、この小文によって初めて彼に出会ったとしたら、たいていの日本人は三木清をいやなヤツだと思うでしょうね。伝記であれば、三木のいやらしい面を知るのも面白いかもしれません。しかし、山本氏のこの小文の意図は、三木の評価を落とすことにあったと思うので、こういう行為はペンを武器とする者としてフェアでない、とぼくは考えます。
>
>戦後まもない頃、三木の処女作『パスカルにおける人間の研究』をもじった題名で、あのような作文を公表した今日出海のせいで、三木清を誤解した人は多かったことでしょう。それから35年後に、『文藝春秋』で再びその小文を紹介した山本夏彦によって、さらに被害者の増えたであろうことを、ぼくは非常に残念に思います。
>
>哲学や信条は、人生の出会いというようなもので決まるのかもしれません。その出会いをじゃまするものも、人生には少なくないようです。
>
>三木清のような、横暴な国家権力の犠牲となった人に、からし種ひとつぶほどの同情心があるとすれば、今日出海にしても、山本夏彦にしても、そのペンのほこ先は、まったくちがう方向へ向いたはずです。
>
>ステディベアさん、この議論においても、あなたの反論を読んでいると、ぼくにはあなたが、法治国家というよりも、警察国家を理想としているように感じるのです。そして、そこには、何か三木清を殺した権力の臭いすら感じ取ってしまうのです。ぼくの記憶だと、あなたは戦前の特高警察によって弾圧された人々に同情するどころか、国家に逆らったのだから当然だというような意見を述べていましたよね。こういう話は、死刑問題と関係がないと思われますか? ぼくには、どこかでつながるような気がしますが。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 三木清で、ちょっと寄り道  ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/9/28(水) 7:16  -------------------------------------------------------------------------
   ▼k.satouさん:

この掲示板で三木清を語り合える人に会えたことは、すごくうれしい。同世代の友には、めったにいませんでした。だいたい、ぼくは自分より30才以上は年長の世代の人と同じような青春をすごしたのじゃないか、と思うことがあります。もちろん文学的な意味においてですけど。たとえば、文庫は岩波というように。

ぼくが三木清の本に出会ったのは、まだ十代の頃で、どこが気に入ったのか言葉で表現するのはむずかしいけれど、なんだか信頼できるいい先生に出会ったみたいな気持ちだったのでしょう。三木清からぼくは読書の基本を学んだような気がします。読書を通して考えることを。

彼が治安維持法によって検挙され、獄中死していたことを知ったときは、一体どうしてあのような人がそんな目に会わなけりゃいけなかったのかと、どこにその疑問と怒りをぶつけていいのかわからないほどでした。しかも、戦争が終わったときはまだ獄中で生きていたのに、なぜ外国人記者から指摘されるまで問題にならなかったのでしょう。

たしかその記者はロイターだったと記憶しますから、きっと英国人だったのでしょうね。ぼくは老人党掲示板でも、ことあるたびに何かと英国や三木清が出て来まして、われながら、ほぼビョーキじゃなかろうかって、ひとりで笑ってしまうこともあります。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):三木清で、ちょっと寄り道  ■名前 : k.satou <kenji.satoucoa@ceres.ocn.ne.jp>  ■日付 : 05/9/28(水) 9:37  -------------------------------------------------------------------------
   ▼BadBlokeさん:
 さっそくのお便りを拝読いたしました。
 三木清を語れるなんて 思ってもいませんでいた。
  元気が出てきました。感謝いたします。
あれは ハーバート・ノーマンらの熱心なよびかけによるものです。
 病気だというのに わざと無視され10月ごろ病院移送が決まった日に
 亡くなったのです。
 日本敗戦の日から かっての同僚がきっと迎えにきてくれる、と信じて
 どんなに拘置所でまっていたことでしょう。
 充分間に合ったのですから。
 不衛生な状態と疥癬に寝不足の身で 愛子(洋子)に会いたかったろう!
  しかしだれも行かなかった。さびしいことです。
 真の思想家というものを 彼にみます。
信念をもち なにものにもそれを貫く。それは世の中を見通していたから。
 日本の敗戦を予告し ドイツでアルゲマイネ?かなにかにのった人
 は 前にも後にも彼一人でした。
外套を貸してもらったという高倉テルを憎むとともにそれ以上に
 警察・権力をまた京都大学から追い出した学派をも憎みます。
 善の研究 なんか捨てちゃいました。 
  お元気で お体をご自愛ください。


>▼k.satouさん:
>
>この掲示板で三木清を語り合える人に会えたことは、すごくうれしい。同世代の友には、めったにいませんでした。だいたい、ぼくは自分より30才以上は年長の世代の人と同じような青春をすごしたのじゃないか、と思うことがあります。もちろん文学的な意味においてですけど。たとえば、文庫は岩波というように。
>
>ぼくが三木清の本に出会ったのは、まだ十代の頃で、どこが気に入ったのか言葉で表現するのはむずかしいけれど、なんだか信頼できるいい先生に出会ったみたいな気持ちだったのでしょう。三木清からぼくは読書の基本を学んだような気がします。読書を通して考えることを。
>
>彼が治安維持法によって検挙され、獄中死していたことを知ったときは、一体どうしてあのような人がそんな目に会わなけりゃいけなかったのかと、どこにその疑問と怒りをぶつけていいのかわからないほどでした。しかも、戦争が終わったときはまだ獄中で生きていたのに、なぜ外国人記者から指摘されるまで問題にならなかったのでしょう。
>
>たしかその記者はロイターだったと記憶しますから、きっと英国人だったのでしょうね。ぼくは老人党掲示板でも、ことあるたびに何かと英国や三木清が出て来まして、われながら、ほぼビョーキじゃなかろうかって、ひとりで笑ってしまうこともあります。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):死刑は執行すべきでない。  ■名前 : 昭和 人  ■日付 : 05/9/24(土) 21:32  -------------------------------------------------------------------------
   やっぱり、死刑は執行すべきではない。
死刑を執行することは、人間の傲慢のなせる業ではないか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):死刑は執行すべきでない。  ■名前 : k・satou <cbl13464@nifty.com>  ■日付 : 05/9/25(日) 13:31  -------------------------------------------------------------------------
   ▼昭和 人さん:
そうなんです。
 人命の尊重こそ 人間の生命の最大の安全の保障です。
 死刑の法律が人命の尊重を支持するというのは
  みせかけにすぎないのであり 死刑は実は人命の尊重
 を 破壊している。
 正義はあわれみによってやわらげられてのみ 道徳へつらなる。
  といいますものね。
 正木博士は 著”死刑”で
 きつい刑罰を設けさえすれば犯罪が防げるというのは政治家の
 無知であり 責任の逃避である。
 政治家は もっとさかのぼり犯罪の社会的の諸原因を除去することに
 力をつくさなければいけない。といいます。
 これは ルソーの民約論の
 死刑がしきりにおこなわれるのは政府の薄弱または怠慢を意味する。
 よい政治のおこなわれる国家では 犯罪が少なく 刑罰も軽くしうる。

似たようなことをいうのは やはり真理か!とおもうのです。


>やっぱり、死刑は執行すべきではない。
>死刑を執行することは、人間の傲慢のなせる業ではないか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 「死刑廃止」の条件  ■名前 : ワン太郎  ■日付 : 05/9/25(日) 9:17  -------------------------------------------------------------------------
   ▼k・satouさん:

「裁判員制度」の啓蒙活動に関わっています。
その活動グループ内でも 死刑についての考え方は二分しています。

私は「死刑は廃止する方向」に進めたいと思っていますが、
どうしても 解決できない問題が一つだけあります。

「被害者の遺族・友人が納得できる刑」 が死刑以外にあるか? であります。

あまり この観点では議論されませんが、私にとって これが「最重要項目」であります。
どなたか、「被害者の遺族・友人が納得できる刑」についての アイディアをいただけませんか?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):「死刑廃止」の条件  ■名前 : k・satou <cbl13464@nifty.com>  ■日付 : 05/9/25(日) 11:02  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ワン太郎さん:
 はじめまして
  2分されてるというのは よくわかります。
  生と死しかないのですものね。
   しかし なにか混同して考えているような気がします。
 人間と法律を等価としているような気がするのです。
  人間>法律 であり 人間=法律では けっしてない。
 むしろわけて考えていくのが いいのではないか?と思います。
  罪悪感なんてものは 人間の側の問題であり 刑法なんかいや法
  なんてものが とくに なんでも人間の問題まで解決することは
  できっこありません。
  極悪非道の命をカマユデにしても なんにも解決してませんし
  毎週テレビでよくもこんなに悪代官がいたものだ!とおどろいてます。
 法律・刑法にたよるなんて考えないほうが いいんじゃないですか?
  極刑は ”愛”だなんていうのは すこし キザでしょうね。 


>▼k・satouさん:
>
>「裁判員制度」の啓蒙活動に関わっています。
>その活動グループ内でも 死刑についての考え方は二分しています。
>
>私は「死刑は廃止する方向」に進めたいと思っていますが、
>どうしても 解決できない問題が一つだけあります。
>
>「被害者の遺族・友人が納得できる刑」 が死刑以外にあるか? であります。
>
>あまり この観点では議論されませんが、私にとって これが「最重要項目」であります。
>どなたか、「被害者の遺族・友人が納得できる刑」についての アイディアをいただけませんか?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):「死刑廃止」の条件  ■名前 : ワン太郎  ■日付 : 05/9/25(日) 19:06  -------------------------------------------------------------------------
   ▼k・satouさん:
>▼ワン太郎さん:
> はじめまして
>  2分されてるというのは よくわかります。
>  生と死しかないのですものね。
>   しかし なにか混同して考えているような気がします。
> 人間と法律を等価としているような気がするのです。
>  人間>法律 であり 人間=法律では けっしてない。

そのことについては理解しているつもりです。
しかし、死刑の是非については、純粋に法律(罰する方法)として考えるべきと考えています。

罪を犯した(多分人の命を残酷に奪った)者に対して「どのような罰」を与えるべきか、に集中して考えればよい事だと考えています。

罰金、禁固、懲役・・・については「妥当な処罰方法」とコンセンサスが得られていますが、
終身懲役(禁固)以上の刑について、我々は 今の所「死刑」以外の方法を見つけ出してはいません。

その最高刑である「死刑」を廃止しようと主張するならば、死刑に相当する「最高刑をどうすべきか」の提案無しでは 無責任でありましょう。

その場合、最も重視すべきは「被害者側の感情」を どう納得させられるか、であろうと考えているのです。


>  極悪非道の命をカマユデにしても なんにも解決してませんし ・・・

<何も解決していない>というのは「冷たい考え方」と感じます。

<極悪非道の命をカマユデに>した場合、影響を及ぼすのは「被害者遺族の感情」があります。

殺害された被害者が「苦しんで死んだかどうか」は 残された家族には重要な関心事であります。
<何も解決していない>という考えには、この被害者家族の感情を 無視することにも繋がっているように感じるのです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):「死刑廃止」の条件  ■名前 : k・satou <cbl13464@nifty.com>  ■日付 : 05/9/25(日) 20:31  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ワン太郎さん:
どうもさっそくのご返事を
 最高の刑つまり極刑としましょう。
  それがみつけられていないのは 法のほうがダメだからです。
  死刑が極刑だなんて わたしにはとても思えません。
  被害者の感情も 2度とこんなことは 起こされるべきではない。
   あってたまるか!自分たちだけで たくさんだ!   
  と 他の人たちへの思いまでして その罪を憎むのではないですか?
   しかし私達は 過去 何度も死刑をしてきました。
   しかし そのくりかえしです。
   たいていのことは くりかえさないようにしようか?と考え
    じゃその方法が今まで 間違えていたんじゃないか? じゃ
    変えてみようか?となるもんだとおもうのですが。
  どだい おおきなものをちいさなもので律しようとすることが
   そもそも間違えている。と私には思えるのです。


>▼k・satouさん:
>>▼ワン太郎さん:
>> はじめまして
>>  2分されてるというのは よくわかります。
>>  生と死しかないのですものね。
>>   しかし なにか混同して考えているような気がします。
>> 人間と法律を等価としているような気がするのです。
>>  人間>法律 であり 人間=法律では けっしてない。
>
>そのことについては理解しているつもりです。
>しかし、死刑の是非については、純粋に法律(罰する方法)として考えるべきと考えています。
>
>罪を犯した(多分人の命を残酷に奪った)者に対して「どのような罰」を与えるべきか、に集中して考えればよい事だと考えています。
>
>罰金、禁固、懲役・・・については「妥当な処罰方法」とコンセンサスが得られていますが、
>終身懲役(禁固)以上の刑について、我々は 今の所「死刑」以外の方法を見つけ出してはいません。
>
>その最高刑である「死刑」を廃止しようと主張するならば、死刑に相当する「最高刑をどうすべきか」の提案無しでは 無責任でありましょう。
>
>その場合、最も重視すべきは「被害者側の感情」を どう納得させられるか、であろうと考えているのです。
>
>
>>  極悪非道の命をカマユデにしても なんにも解決してませんし ・・・
>
><何も解決していない>というのは「冷たい考え方」と感じます。
>
><極悪非道の命をカマユデに>した場合、影響を及ぼすのは「被害者遺族の感情」があります。
>
>殺害された被害者が「苦しんで死んだかどうか」は 残された家族には重要な関心事であります。
><何も解決していない>という考えには、この被害者家族の感情を 無視することにも繋がっているように感じるのです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):「死刑廃止」の条件  ■名前 : ワン太郎  ■日付 : 05/9/26(月) 20:21  -------------------------------------------------------------------------
   ▼k・satouさん:
>▼ワン太郎さん:

> 最高の刑つまり極刑としましょう。
> それがみつけられていないのは 法のほうがダメだからです。

「法のほうがダメ」???
ひょっとすると、k・satouさんの主張は「感情論」だったのですか?

私も(たぶん多くの人も) 「死刑を廃止にできるなら それに こした ことはない」です。
しかし「社会のルール」として、死刑を廃止する事が妥当・適切であるかどうかを
「感情」ではなく「論理・理屈」で国民を納得させられるかどうか、
それが「問題」だと理解しているのですが、k・satouさんのご理解は?

> 死刑が極刑だなんて わたしにはとても思えません。

「死刑は極刑」でしょう?
(死刑を極刑 「としたくない」 という感情は理解できますが ・・・ )

> 被害者の感情も 2度とこんなことは 起こされるべきではない。
> あってたまるか!自分たちだけで たくさんだ!   
> と 他の人たちへの思いまでして その罪を憎むのではないですか?

多分、それは「タテマエ」でしょう。(TVカメラの前だけの 話し)
ホンネは「アイツは許せない! 極刑にしてくれ!」 だと思います。
そして、極刑が死刑でないのなら「俺が死刑を執行してやる」という人が出てくるでしょう。(外国にはそういった例は珍しくない様です)

>  しかし私達は 過去 何度も死刑をしてきました。
>  しかし そのくりかえしです。
>  たいていのことは くりかえさないようにしようか?と考え
>  じゃその方法が今まで 間違えていたんじゃないか? じゃ
>  変えてみようか?となるもんだとおもうのですが。
>  どだい おおきなものをちいさなもので律しようとすることが
>  そもそも間違えている。と私には思えるのです。

申し訳ありませんが、おっしゃっている事(意味)が 私には理解できません。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(5):「死刑廃止」の条件  ■名前 : k・satou <cbl13464@nifty.com>  ■日付 : 05/9/26(月) 20:54  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ワン太郎さん:
私には あなたを 説得するだけの 力がないということでしょう。
 すこし 勉強でもしてきます。 では!
 とにかく 私は 死刑の執行には 反対です。


>▼k・satouさん:
>>▼ワン太郎さん:
>
>> 最高の刑つまり極刑としましょう。
>> それがみつけられていないのは 法のほうがダメだからです。
>
>「法のほうがダメ」???
>ひょっとすると、k・satouさんの主張は「感情論」だったのですか?
>
>私も(たぶん多くの人も) 「死刑を廃止にできるなら それに こした ことはない」です。
>しかし「社会のルール」として、死刑を廃止する事が妥当・適切であるかどうかを
>「感情」ではなく「論理・理屈」で国民を納得させられるかどうか、
>それが「問題」だと理解しているのですが、k・satouさんのご理解は?
>
>> 死刑が極刑だなんて わたしにはとても思えません。
>
>「死刑は極刑」でしょう?
>(死刑を極刑 「としたくない」 という感情は理解できますが ・・・ )
>
>> 被害者の感情も 2度とこんなことは 起こされるべきではない。
>> あってたまるか!自分たちだけで たくさんだ!   
>> と 他の人たちへの思いまでして その罪を憎むのではないですか?
>
>多分、それは「タテマエ」でしょう。(TVカメラの前だけの 話し)
>ホンネは「アイツは許せない! 極刑にしてくれ!」 だと思います。
>そして、極刑が死刑でないのなら「俺が死刑を執行してやる」という人が出てくるでしょう。(外国にはそういった例は珍しくない様です)
>
>>  しかし私達は 過去 何度も死刑をしてきました。
>>  しかし そのくりかえしです。
>>  たいていのことは くりかえさないようにしようか?と考え
>>  じゃその方法が今まで 間違えていたんじゃないか? じゃ
>>  変えてみようか?となるもんだとおもうのですが。
>>  どだい おおきなものをちいさなもので律しようとすることが
>>  そもそも間違えている。と私には思えるのです。
>
>申し訳ありませんが、おっしゃっている事(意味)が 私には理解できません。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(6):「死刑廃止」の条件  ■名前 : ワン太郎  ■日付 : 05/9/27(火) 9:30  -------------------------------------------------------------------------
   ▼k・satouさん:
>▼ワン太郎さん:
> 私には あなたを 説得するだけの 力がないということでしょう。
> すこし 勉強でもしてきます。 では!
> とにかく 私は 死刑の執行には 反対です。

私を説得するもしないも、
「死刑を廃止する条件」 すなわち 「死刑に代わる刑罰」 の案は提示いただけないのでしょうか?

単に「死刑」を廃止するだけで良いのだ と言うご意見ですか?

被害者(不条理にも「殺された者」)や家族についての「思いやり」 についての
お考えは聞かせていただけないのですか?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(7):「死刑廃止」の条件  ■名前 : k.satou <kenji.satoucoa@ceres.ocn.ne.jp>  ■日付 : 05/9/27(火) 10:18  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ワン太郎さん:
  どうもすみません。叙述がへたでして それにとても横着なので。
  まず 即 死刑廃止です。 無法は一瞬たりとも許せません。
   死刑は法としての要件を備えていないからです。
   63687に書きましたので お読みください。
  被害者へのおもいやりについて
   63593に書きましたので お読みください。
  人間は 法よりも あまりにもおおきい。
   そこで ちいさいものは おおきいものを 処理できない。
   といってる。  のです。
  ためしに死刑をやめてみればいい。とおもえませんか?
   やめた国で 犯罪が増えたとは聞いたことがありません。
 死刑はそれを執行する警吏や関連する人たちをも 苦しめます。
  満足いただけない返事で もうしわけありません。


>▼k・satouさん:
>>▼ワン太郎さん:
>> 私には あなたを 説得するだけの 力がないということでしょう。
>> すこし 勉強でもしてきます。 では!
>> とにかく 私は 死刑の執行には 反対です。
>
>私を説得するもしないも、
>「死刑を廃止する条件」 すなわち 「死刑に代わる刑罰」 の案は提示いただけないのでしょうか?
>
>単に「死刑」を廃止するだけで良いのだ と言うご意見ですか?
>
>被害者(不条理にも「殺された者」)や家族についての「思いやり」 についての
>お考えは聞かせていただけないのですか?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(5):「死刑廃止」の条件  ■名前 : 松林  ■日付 : 05/9/26(月) 20:56  -------------------------------------------------------------------------
   私は死刑廃止に賛成です。
理由は、
警察も,検事も裁判官も人間、絶対に間違いがないということはありえないと思うからです。
今はそんなことはないのかも知れませんが、戦中、戦後の時期の事件で、今ごろになって再審というのが時々みられます。 つまり、誤審の疑いがあるということです。
生きていて再審をうけられるならまだしも、死刑になってしまったら取り返しがつきません。
帝銀事件の平沢貞通氏、死刑の判決を受けながら執行されず、獄中で亡くなりました。当局に氏が真犯人だという自信がなかったせいだと巷の噂でした。
狭山事件の被告(お名前を忘れました)、あえて書きますが部落出身なので、警察に陥れられたと、これももっぱらの噂です。

私は、真犯人かどうか知るすべもありませんが、万々一、真犯人でなかったら、と思うと、そして死刑になっていたらと思うと・・・これが死刑反対の理由です。

ただし殺人罪には十年などという刑期は軽すぎると思います。 終身刑があるべきだとおもっております。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(6):「死刑廃止」の条件  ■名前 : k・satou <cbl13464@nifty.com>  ■日付 : 05/9/26(月) 21:19  -------------------------------------------------------------------------
   ▼松林さん:
 法律は それが不当に適用された時 この不当を救済する方法が
 そなえられる場合のみ 法律たることができる。
 しかし 死刑は不当に適用されたとき 救済の方法がありえない。
 これは 法ではなく無法というものです。
 私達は一日たりとも 無法を許すことはできないのです。
   先人は言ってます。
  錯誤は 全ての判断にありうる。
  死刑以外の場合はたとえ裁判に錯誤があっても死刑以外の場合は
  いつでも被害者に償いをなすことができる。
  死刑の場合はいかなる償いをも なしえない。
  
 言われる。終身刑ですか!その量刑については 納得はしがたいのですが・
 生命は尊貴です。法なんかより 比較にならないくらいおおきいものです。  


>私は死刑廃止に賛成です。
>理由は、
>警察も,検事も裁判官も人間、絶対に間違いがないということはありえないと思うからです。
>今はそんなことはないのかも知れませんが、戦中、戦後の時期の事件で、今ごろになって再審というのが時々みられます。 つまり、誤審の疑いがあるということです。
>生きていて再審をうけられるならまだしも、死刑になってしまったら取り返しがつきません。
>帝銀事件の平沢貞通氏、死刑の判決を受けながら執行されず、獄中で亡くなりました。当局に氏が真犯人だという自信がなかったせいだと巷の噂でした。
>狭山事件の被告(お名前を忘れました)、あえて書きますが部落出身なので、警察に陥れられたと、これももっぱらの噂です。
>
>私は、真犯人かどうか知るすべもありませんが、万々一、真犯人でなかったら、と思うと、そして死刑になっていたらと思うと・・・これが死刑反対の理由です。
>
>ただし殺人罪には十年などという刑期は軽すぎると思います。 終身刑があるべきだとおもっております。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):死刑が執行されましたね。  ■名前 : 卯  ■日付 : 05/9/27(火) 10:07  -------------------------------------------------------------------------
   死刑廃止を肯定されている方々を理解したいとは思っているのですが、どうしても出来ないのです。
普段は死刑廃止と言っていても、ある日突然、自分の娘が目の前で犯され殺された後でも同じく死刑廃止と言えるのか・・・と。
そこまでの覚悟が無い、軽い理想的な気持ちだけの死刑廃止論は、数多く居る実際の被害者遺族の心に対する暴力のような気がして心が痛みます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):死刑が執行されましたね。  ■名前 : k.satou <kenji.satoucoa@ceres.ocn.ne.jp>  ■日付 : 05/9/27(火) 10:25  -------------------------------------------------------------------------
   ▼卯さん:
 はじめまして
  そうですね。
  でも まず理屈で考えるしか どうしようもない
   ことだ。と思うのですが。


>死刑廃止を肯定されている方々を理解したいとは思っているのですが、どうしても出来ないのです。
>普段は死刑廃止と言っていても、ある日突然、自分の娘が目の前で犯され殺された後でも同じく死刑廃止と言えるのか・・・と。
>そこまでの覚悟が無い、軽い理想的な気持ちだけの死刑廃止論は、数多く居る実際の被害者遺族の心に対する暴力のような気がして心が痛みます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):死刑が執行されましたね。  ■名前 : キタキツネ  ■日付 : 05/9/27(火) 14:22  -------------------------------------------------------------------------
    死刑制度の是か非かは、それぞれの個人の世界観、宗教観と密接に関連し、数え切れないほど理由がある。
死刑廃止論者が挙げる理由に、万一誤判であった場合には、取り返しがつかないというものがある。しかし、誤判の場合の、取り返しがつかないのは、死刑の場合ばかりではない。自由刑であっても、失った時間は刑事補償で解消されるものではない。

 死刑には、なんら一般予防の効果はないとする意見もある。殺人などの犯罪を犯す人間は、自分が死刑になるなどとは考えないから、死刑には犯罪を抑止する力がないというものだ。死刑を廃止した国においても殺人などの犯罪が増加した例は少ないというのだ。

 死刑制度反対理由に、死刑を執行する者の苦悩をいうものもある。哲学的に、国家がその仕事として、殺人をするのは自己矛盾であるというのだ。また、死刑確定者の中には、神様のような心境になっている者がいるのに、それを殺す理由はないという反対論もある。

 死刑存続論にとって、誤判問題が最大の論点であることは確かだ。しかし、誤判論を突き詰めれば裁判制度自体の否定に繋がりかねない。
 結局、この社会を維持するために、誤判を前提にしても、死刑制度を維持する理由があるのかというところを議論する必要がある。「疑わしきは罰せず」とか「疑わしきは被告人の利益に」という法の大原則も、冤罪を防止するためなのではないのか。

 死刑の犯罪抑止力については、死刑復活国もあるように簡単に統計だけで結論できない。私は、死刑を廃止した場合、「現場死刑」が増加する恐れがあることを心配する。 

 例えばアメリカなどでは、同僚を殺した犯人を警察官が現場で抵抗を受けたとして射殺することは珍しい例ではない。いわゆる報復殺人・私刑だ。また死刑が廃止されたら、暴力団の親分が舎弟に「あいつは気に食わない、ぶっ殺して来い!」と言われて簡単に人の命を奪うだろう。また、日本はオームのようなテロが簡単に起こる国だ。

 死刑執行者の苦悩はあるだろう。だがそれを正義と信じて実行する刑務官がいるのだ。国家が死刑にしなければ個人が死刑を実行することになる。死刑確定者が、仮に許されて娑婆に出ればすぐ元の悪魔に戻るかもしれない。(凶悪犯罪者は前頭葉に異常が見られるという学説もある)

 絶対的無期刑は、脱獄の為に人を殺しても死刑にならないから、刑務官を殺す可能性もある。死刑廃止論の致命的な欠陥は、被害者の人権のことが忘れられている点だ。
 殺された人間やその遺族の無念を死刑以外で償うことはできない。国家が報復の権限を国民から取り上げながら、報復をしないようでは、国民を守る国家とはいえないと私は思っている。

 国民の多くが死刑維持に賛成していることも考えるべきである。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):死刑が執行されましたね。  ■名前 : ウミサチヒコ <movement@me.scn-net.ne.jp>  ■日付 : 05/9/27(火) 15:00  -------------------------------------------------------------------------
   ▼キタキツネさん:

> 死刑制度の是か非かは、それぞれの個人の世界観、宗教観と密接に関連し、数え切れないほど理由がある。

> 殺された人間やその遺族の無念を死刑以外で償うことはできない。国家が報復の権限を国民から取り上げながら、報復をしないようでは、国民を守る国家とはいえないと私は思っている。

> 国民の多くが死刑維持に賛成していることも考えるべきである。

あなたは巧妙に論理を組み立てる人ですね。あなたの結論は、死刑制度を持たない国家は国家でない、とまで言い切っていながら、死刑反対論者も最大限持ち上げようとしている。しかしあなたは「死刑」を「国家の前提」にすることによって「個人の世界観、宗教観」を否定している。ではあなたは、自分流の国家の概念や仮定的「多くの国民」から個人の思想信条を断罪できるわけだ。

死刑がないと現場死刑が増える?これは逆ではないか?報復する、という概念の一般化を背景として現場死刑が増えているのでは?

どちらにしても良く分かった。自民党はどちらかというと死刑賛成、野党はどちらかというと死刑反対。つくづく思う、物事は理屈をいくらこねているようでも、落ち着くところに落ち着く、上善水の如し、とはよく言ったものだ。

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