Page 992 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼日本人は漕ぎ出せるか (続) Gokai 05/10/3(月) 7:54 ┣Re(1):日本人は漕ぎ出せるか (続) 遍巳亭 05/10/3(月) 19:27 ┗Re(1):日本人は漕ぎ出せるか (続) 沈黙の初夏 05/10/3(月) 23:57 ┣Re(2):日本人は漕ぎ出せるか (続) Gokai 05/10/4(火) 20:35 ┗Re(2):日本人は漕ぎ出せるか (続) たけチャン 05/10/5(水) 18:24 ┗Re(3):日本人は漕ぎ出せるか (続) Gokai 05/10/5(水) 22:20 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 日本人は漕ぎ出せるか (続) ■名前 : Gokai ■日付 : 05/10/3(月) 7:54 -------------------------------------------------------------------------
>▼遍巳亭さん: >>>一片のパンのような知と想像力と、倫理観。 >>>吐き気がする >>ずいぶんな勘違い。 >>吐き気がするには少し気が早いでしょう。 >で、「勘違い」とはなんでしょう。 沈黙のの初夏氏は 「石油がなくなっても困らない」・・と言っていないと思います。 また、直ぐになくなるとも言っていない。 ただ、何百年後かになくなるという事実があるのなら、 それを睨んで その時、 出来るだけ困らないようにするにはどうしたらよいか? それを今から考えるべきであるのに 現社会での人々の想念の中に、 それが十分なだけ見当たらないと 警告しているのではないですか? >身体は理性的である。「吐き気」は理性的である。尺度としての「吐き気」と、常々思っている「わたくし」。 貴方が言及したところの吐き気は 明らかに、感情の産物。それを理性的という。・・ このような 事実と違うことを 常々、公言して憚らない傲慢さがあるのなら、 貴方の生活空間の人々は 少々、困っているかも知れん。 検討の必要はないですか? ま、おそらくこれも勘違いなのでしょうか。 ※感情的、余計な一言でした。 |
▼Gokaiさん: 日曜日の夜から、少し冷静な月曜日の夜に読み直しても、やはり沈黙の初夏氏の投稿はきちんと読んでいたことを知ります。残念ながら吐き気からは解放されません。 >沈黙のの初夏氏は 「石油がなくなっても困らない」・・と言っていないと思います。 >また、直ぐになくなるとも言っていない。 >ただ、何百年後かになくなるという事実があるのなら、 > >それを睨んで その時、 >出来るだけ困らないようにするにはどうしたらよいか? >それを今から考えるべきであるのに 現社会での人々の想念の中に、 >それが十分なだけ見当たらないと 警告しているのではないですか? 沈黙の初夏氏 「ちょっと話しが脱線するが、 石油が枯渇すれば困るという具合に人々を煽っているのが現在の支配体制だ。 本当は石油がなくなれば無いなりの暮らしをすればいいだけである。 たとえば昔は石油文明ではなかったが、人々は暮らせないほどヒドイ社会にいたのだろうか。」 あっても買えなければ無いのと(枯渇状態)同じ。これからの問題ではなく、いま緊急の課題。 これからの社会設計、ライフスタイルの問題は、現在と一応切り離して考え得る問題。脱石油社会についての構想は必須の、避けることのできない、大きな課題だと思いますし、それは個人のライフスタイルとも密接に関わる問題でもある。この点についてはまったく異存はないのです。 問題は、いま現在の緊急の課題から、それはもちろん政治に課せられています、意図的か非意図的かは分かりませんが、結果的に沈黙の初夏氏のような言説は政治へ向かう要求のエネルギーをそらす働きをします。 コスト的な石油の枯渇状態で、いま、これから、どれほどの人間(日本だけとは限りません)、その他地球に在るものが苦しむか、それを想像すると吐き気をもよおす。 沈黙の初夏氏への人格に対してではなく、その言説をこのように読むと。それは倫理の問題でしょう。 >>身体は理性的である。「吐き気」は理性的である。尺度としての「吐き気」と、常々思っている「わたくし」。 > >貴方が言及したところの吐き気は >明らかに、感情の産物。それを理性的という。・・ >このような 事実と違うことを 常々、公言して憚らない傲慢さがあるのなら、 >貴方の生活空間の人々は 少々、困っているかも知れん。 >検討の必要はないですか? >ま、おそらくこれも勘違いなのでしょうか。 > ※感情的、余計な一言でした。 Gokaiさんはこの程度の「身体と理性」についての、「吐き気」についても同様、おそらく共有されているだろうありふれた見方についてご存じないとはとても思われないのですが。 それは知識としてだけではなく(古くはニーチェ参照)、自らの思い、経験とつきあわせて、私はそう思っているのですが、残念ですね。 ついでに、Gokaiさんの経済論、経済学に疎いとしても一応常識のカケラくらいはあると思っておりますが、どうも仮想世界の虚説。正直に申し上げます。 |
Gokai殿 私から見れば頑迷な硬直した脳味噌の存在が視界に入ってくるのは 目眩がするが、 石油にしても件の経済にしても、 この手の話題は理解できない人間には本当に理解できないのだ。 ちょうど地球が平面だと思われた時代に地球が丸いことを唄うようなものである。 ゆえに無駄な論争はさけたほうが賢明だろう。 吐き気がするというなら、それは個人の生理的現象なのだから仕方あるまい。 ・・・ それはさておき、 「石油がなくなっても困らない」と言ったのは のは本当だ。 ただし、石油がなくなっても困らないように社会システムそのものの設計を、 見直しておく必要がある。 さすがに現在の石油文明下で直ちに石油がなくなれば困惑と混乱の極みとなるだろうが、 無くなれば石油文明下での困った問題も一緒になくなるのである。 多くの人は石油文明の恩恵だけに眼がゆき、 無くなることへの恐怖心だけが膨らみヒステリックに叫ぶ。 そういう人は文明の成立過程と文明自体への考察が抜け落ちているのである。 オーヴァーに言えば、 文明とは過剰な食料生産と物資の遠方大量輸送によって成立している。 本来、固体の生命維持とは無関係なデコレーションにすぎないのだが、 いわゆる常識のあるアタマノヨイ人々には、こんなことはどうでもいいのだろう。 だから石油工業文明維持を暗黙の前提としてしかモノを考えられない。 それ以外のモデルはヤマギシのようなそれしか想像できないのだ。 頭がよすぎて全くの白紙という前提がないのだと思う。 常識の枠という系外には一歩も踏み出せない優等生は、ほっておくしかない。 いつまで? 地球が丸いという常識が世の中に浸透するまでだ。 もっとも、浸透する前に人類が滅亡してしまうかもしれんが。(苦笑) (文明には後進用のギアが無いという説もあるが、それはまた別の話。 今、その話を掘り下げると収拾困難になるからだ。) |
▼沈黙の初夏さん:こんにちは >私から見れば頑迷な硬直した脳味噌の存在が視界に入ってくるのは >目眩がするが、 >石油にしても件の経済にしても、 >この手の話題は理解できない人間には本当に理解できないのだ。 この手の話題が理解できないということは、すべての話題において理解できていないと同じに思えます。ただ、知っているかいないかだけ。 大勢の人々の知識に自分の知識を擦り寄らせるだけ。 全てにおいて理解していると思っているだけ。 ソレデハ真実などに、大して意味も感じないのでしょう。 ということは民主主義も無用の長物、 もちろん、子供達に正しい是非も教えられない。 それでいて、ろくに議論もせずに、「吐き気がする」などという失礼も言う。 これでは是非だけでなく、子供達に行儀も教えられないのではないかと思います。 しかしこの方はそんな方ではないと思っていたのですが、・・・。 >それはさておき、 >「石油がなくなっても困らない」と言ったのは >のは本当だ。 > >ただし、石油がなくなっても困らないように社会システムそのものの設計を、 >見直しておく必要がある。 >さすがに現在の石油文明下で直ちに石油がなくなれば困惑と混乱の極みとなるだろうが、 >無くなれば石油文明下での困った問題も一緒になくなるのである。 >多くの人は石油文明の恩恵だけに眼がゆき、 >無くなることへの恐怖心だけが膨らみヒステリックに叫ぶ。 >そういう人は文明の成立過程と文明自体への考察が抜け落ちているのである。 >オーヴァーに言えば、 >文明とは過剰な食料生産と物資の遠方大量輸送によって成立している。 |
▼沈黙の初夏さん: 石油が枯渇した世界を想像してみるみるのも面白い。 自家用車はすでにガソリンが高騰して、維持費が大変である。 リッター200円時代が近いでしょう。車はステイタスシンボルから完全な飾り物になる日がくるかもしれない。個人的には車は無くてもいいと思う。車が無ければ、月5万円の節約になる。車の代わりに自分の足で歩けばいいのである。健康になっていいかもね。ご先祖様から戴いた土地に、今は花を植えて、毎週墓参りをしている。その内、芋、ジャガイモ、野菜を植えて自給自足をしないといけないかもしれない。その準備のためにも、有機栽培の野菜つくりを今やっている。10年前に山で拾ったどんぐりを庭に植えたら成長して、今では屋根まで葉先が届くようになった。毎日植物を眺めていると、人間の心が植物に伝わるのか、植物が女のように美しくなることに気が付いた。 石油が枯渇したら、新幹線も電力不足で動かないでしょう。名古屋から東京まで東海道を自分の足で歩くのも、江戸時代の気分が出て楽しそうである。東海道を歩いたら次はシルクロードだな。天津まで、石炭で動く船で行き、そこからカラコルムイラク、トルコを経てローマまで自分の足で歩いてみたいな。満天の星空を毎日眺められそうである。 詰まらない独り言でした。 |
▼たけチャンさん: >▼沈黙の初夏さん: 衣食住だけ、ぼんやりと思っていたが、 そういや、 石油が枯渇したとき、 運搬手段はどうなるのだろう。レジャーはどうなるのだろう。 心の糧はどこに求めるのだろう。 尋ねることもぼんやりしてて、やはり、まるで未消化であります。 >石油が枯渇した世界を想像してみるのも面白い。 >自家用車はすでにガソリンが高騰して、維持費が大変である。 >リッター200円時代が近いでしょう。車はステイタスシンボルから完全な飾り物になる日がくるかもしれない。個人的には車は無くてもいいと思う。車が無ければ、月5万円の節約になる。車の代わりに自分の足で歩けばいいのである。健康になっていいかもね。 |