Page 1312 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼護憲九条で日本を守る。(IV) 退役軍人 05/12/27(火) 1:59 ┣【69261】へのレス 退役軍人 05/12/27(火) 2:03 ┃ ┗Re(1):【69261】へのレス あくまの査問官 05/12/28(水) 20:08 ┃ ┗Re(2):【69261】へのレス 松 05/12/28(水) 21:46 ┣【69270】への横レス 退役軍人 05/12/27(火) 2:08 ┃ ┗コスタリカ幻想補足 tomyk 05/12/27(火) 3:24 ┃ ┗Re(1):コスタリカ幻想補足 こころ 05/12/27(火) 15:00 ┃ ┣Re(2):コスタリカ幻想補足 憲法9条改正 05/12/27(火) 16:43 ┃ ┃ ┗Re(3):コスタリカ幻想補足/冗句みたいに! とうろう 05/12/27(火) 22:02 ┃ ┣Re(2):コスタリカ幻想補足 tomyk 05/12/27(火) 18:43 ┃ ┃ ┗Re(3):コスタリカ幻想補足 こころ 05/12/28(水) 15:23 ┃ ┃ ┗[管理人削除] ┃ ┗Re(2):コスタリカ幻想補足 レモン 05/12/28(水) 1:38 ┃ ┗後先が逆ですよ。 退役軍人 05/12/28(水) 2:34 ┃ ┗Re(1):後先が逆ですよ。 レモン 05/12/28(水) 15:16 ┃ ┗[管理人削除] ┣【69270】へのレス 退役軍人 05/12/27(火) 2:21 ┃ ┗[管理人削除] ┣[管理人削除] ┃ ┗Re(1):【MNGさん69270】 への 縦レス 昭和 人 05/12/27(火) 19:10 ┃ ┣Re(2):【MNGさん69270】 への 縦レス tomyk 05/12/27(火) 19:40 ┃ ┃ ┣Re(3):私自身の結論です。 昭和 人 05/12/27(火) 22:20 ┃ ┃ ┃ ┗Re(4):私自身の結論です。 ← 質問 ワン太郎 05/12/27(火) 23:00 ┃ ┃ ┃ ┣Re(5):私自身の結論です。 ← 質問 昭和 人 05/12/27(火) 23:27 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(6):私自身の結論です。 ← 質問 ワン太郎 05/12/28(水) 0:06 ┃ ┃ ┃ ┗[管理人削除] ┃ ┃ ┃ ┗[管理人削除] ┃ ┃ ┗Re(3):【MNGさん69270】 への 縦レス ぎみゆら 05/12/28(水) 0:11 ┃ ┃ ┗Re(4):【MNGさん69270】 への 縦レス tomyk 05/12/28(水) 5:37 ┃ ┃ ┗Re(5):【MNGさん69270】 への 縦レス ぎみゆら 05/12/29(木) 9:51 ┃ ┗自衛隊の海外派遣 あぶさん 05/12/27(火) 21:45 ┃ ┣Re(1):自衛隊の海外派遣 昭和 人 05/12/27(火) 22:33 ┃ ┗Re(1):自衛隊の海外派遣/命・血の贖(あがな)いは兵士の専売か? とうろう 05/12/27(火) 22:49 ┃ ┗Re(2):自衛隊の海外派遣/命・血の贖(あがな)いは兵士の専売か? ワン太郎 05/12/27(火) 23:53 ┃ ┗Re(3):命・血の贖(あがな)いは兵士の専売か? とうろう 05/12/28(水) 0:18 ┃ ┗[管理人削除] ┃ ┗[管理人削除] ┣九条を変えてはならない<前スレへの反論1-1 退役軍人 05/12/28(水) 1:45 ┃ ┣九条を変えてはならない←反論1-2 退役軍人 05/12/28(水) 1:52 ┃ ┃ ┗九条を変えてはならない←反論1-3 退役軍人 05/12/28(水) 1:56 ┃ ┃ ┗九条を変えてはならない←反論2-1 退役軍人 05/12/28(水) 2:01 ┃ ┃ ┗九条を変えてはならない←反論2-2 退役軍人 05/12/28(水) 2:09 ┃ ┃ ┗九条を変えてはならない←反論2-3 退役軍人 05/12/28(水) 2:14 ┃ ┗丁寧なお返事に感謝いたします。 ぎみゆら 05/12/28(水) 20:53 ┃ ┗最終レス ありがとうございました。その1 退役軍人 05/12/29(木) 0:45 ┃ ┗最終レス ありがとうございました。その2 退役軍人 05/12/29(木) 0:50 ┣Re(1):護憲九条で日本を守る。(IV) あくまの査問官 05/12/28(水) 20:23 ┃ ┗[管理人削除] ┃ ┗[管理人削除] ┃ ┗[管理人削除] ┃ ┣[管理人削除] ┃ ┗[管理人削除] ┗経済大国と軍事大国は両立するか たけチャン 05/12/29(木) 16:18 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 護憲九条で日本を守る。(IV) ■名前 : 退役軍人 ■日付 : 05/12/27(火) 1:59 -------------------------------------------------------------------------
退役軍人です。 前スレッドが一杯になりましたので、僣越ながら継続スレッドを立てさせていただきます。 スレ題が気に入らないのですが、昭和人さんに敬意を表してこのままにしておきましょう。(微笑 では、レス順に one by one で。 |
あくまの査問官さん、こんばんは。 ▼あくまの査問官さん: >>退役軍人さんによって 「論破され」 「納得した」 と見て 良いのでしょうか? >>(護憲に取り付かれた人達が いまさら 改心するとも 思えませんが ・・・ ) >(ワン太郎さん、記事69248) > >>理念が現実を凌駕することはありませんが、たった一つの現実で理念は凌駕されてしまうということだと思います。 >(退役軍人さん、記事69260) > > >私がこのトピックに投稿するのは初めてだと思いますが、今更ながら一つ投稿させてもらいます。 > >「大量破壊兵器が使われそうだから先にイラクを撃つ」とのアメリカの主張を鵜呑みにして開戦を支持しておきながら、 >「大量破壊兵器はなかった」と判明しても誰も政治責任をとらない現状では九条廃止には賛成できません。 開戦を支持したのは、日本だけではありません。 支持どころが、米英だけでなく我々の隣国韓国でさえ【戦闘部隊を派兵】しました。 自衛隊の派遣とは訳が違いますよ、これこそ派兵と呼ぶべきですね。 大量破壊兵器うんぬんは、引き金を引くための理由にされただけだと思いますよ。 これが、解っていたからロシアやフランスは反対の立場を貫いたのでしょう。 フランスは、多額の借款を与えていましたからね。 ロシアは新しい油田の開発権入札に参加して落札し、払い込みを終えていましたし、多額の兵器供与契約の債権がありましたから。 フセイン政権が倒されると、倒され方によっては債権がデフォルト(踏み倒されるということ)になってしまう危機感があったと思います。 選挙により新しい政権が樹立され支配を確立し、旧政権の債務について新政権にデフォルトを宣言されてしまえば回収の見込みはなくなってしまいますから。 中国の反対も実に実利に則したものでしたよ、焦眉のエネルギー戦略の要求からフセイン政権との新油田開発計画の交渉を続けていましたからね。 >確か、昨年(2004年)発生したイラクでの日本人人質事件では、人質となった人達に『自己責任』との名目でバッシングと表現せざるをえない程の非難が日本国内からありました。 >「大量破壊兵器」問題の日本政府の『政治責任』にはどれほどの批判があったでしょうか? > >この不公平が無くならない限り、九条(二項含む)廃止には反対です。 >なぜなら、批判されない責任をとらない政府・軍隊の行き着く先は、いくら目先の問題を解決できようが結局は『六十年前と同じ』だからです。 >あの当時、非難を受けない首脳部によって、何人の兵士や民間人が回避できた筈の苦しみと死を受けたでしょうか? >どれだけの論を展開しても、先人のあの苦痛と死という『現実』の前には、虚しくはないですか? うーむ、少し整理していただけませんか。 日本人人質バッシング→関連なし→大量破壊兵器の存在に関する政府責任 批判されない政府→関連なし→先の大戦における先人の苦痛と死 論を展開すること→関連なし→先の大戦における先人の苦痛と死という現実 なんの脈絡も存在しない事象を繋ぎ合わせて主張されても【はぁ、そうですか】としかコメントのしようがありません。 心情は理解できますが、現実を認識した方法論を語るのと、理念や観念論との間でさえ、重なる論点であるにも関わらず超えられない壁がありますよ。 むしろ超えるべきではない壁と言えるでしょうね。考え方が違うのであれば尚更のことです。 虚しくなんかありませんよ、虚しくなってる暇なんぞありませんから。(笑 >むしろ、私は、 >「九条廃止論者ほど、今回の政府・首相の政治責任を追求して欲しかった」 >と思っています。 >そうであれば、九条廃止論・第二項廃止論にも説得力を感じたのですが。 そうですか、としかコメントのしようがありません。 失礼いたしました。 |
69276の記事について退役軍人さんへ 何か問題がずれてはいないでしょうか? その一、 私 >>「大量破壊兵器が使われそうだから先にイラクを撃つ」とのアメリカの主張を鵜呑みにして開戦を支持しておきながら、 >>「大量破壊兵器はなかった」と判明しても誰も政治責任をとらない現状では九条廃止には賛成できません。 退役軍人さん >開戦を支持したのは、日本だけではありません。 >支持どころが、米英だけでなく我々の隣国韓国でさえ【戦闘部隊を派兵】しました。 (以下略) 私は九条廃止に賛成できない理由として、「大量破壊兵器の情報を鵜呑みにした日本政府の責任」を述べました。 退役軍人さんは他国の話をするばかりで、日本政府の責任やその取り方については何も言及されていません。 その二、 私 >>確か、昨年(2004年)発生したイラクでの日本人人質事件では、人質となった人達に『自己責任』との名目でバッシングと表現せざるをえない程の非難が日本国内からありました。 (以下略) 退役軍人さん >日本人人質バッシング→関連なし→大量破壊兵器の存在に関する政府責任 >批判されない政府→関連なし→先の大戦における先人の苦痛と死 >論を展開すること→関連なし→先の大戦における先人の苦痛と死という現実 なぜ「関連なし」と言えるのですか? 例えば、日本人人質バッシングとはつまるところ「国に迷惑をかけた責任をとれ」との主張でした。(これは政治家の中からも声がありました。) 民間人の行動に対して「責任をとれ」と声をあげるのなら、政府の間違った判断に対しても「責任をとれ」と声をあげるのが公平ではないでしょうか? 政治家の国家を左右する判断への責任は、民間人が自分の行動について判断する責任よりも、遥かに軽いのでしょうか? このような世情のままで日本が戦争をできる国になる。それはこの国にとって、とても危険ではないのでしょうか? 軍事関係に造詣が深いのなら、歴史上、無責任な体質に陥った国・軍隊がどのような戦争を行い、どのような結果になったのか、よく知っておられるはずです。 その所をよく考えて下さい。 |
▼あくまの査問官さん: 横レス失礼します。 >その一、 > >私 >>>「大量破壊兵器が使われそうだから先にイラクを撃つ」とのアメリカの主張を鵜呑みにして開戦を支持しておきながら、 >>>「大量破壊兵器はなかった」と判明しても誰も政治責任をとらない現状では九条廃止には賛成できません。 > こちらの発言を読ませていただいて素直に疑問に思ったのですが、あくまの査問官さんは、例えばもし小泉総理が「大量破壊兵器はなかった、私が間違っていた」と言って総理を辞職したら9条改正に賛成するのですか? >私 >>>確か、昨年(2004年)発生したイラクでの日本人人質事件では、人質となった人達に『自己責任』との名目でバッシングと表現せざるをえない程の非難が日本国内からありました。 >(以下略) > >退役軍人さん >>日本人人質バッシング→関連なし→大量破壊兵器の存在に関する政府責任 >>批判されない政府→関連なし→先の大戦における先人の苦痛と死 >>論を展開すること→関連なし→先の大戦における先人の苦痛と死という現実 > > >なぜ「関連なし」と言えるのですか? >例えば、日本人人質バッシングとはつまるところ「国に迷惑をかけた責任をとれ」との主張でした。(これは政治家の中からも声がありました。) >民間人の行動に対して「責任をとれ」と声をあげるのなら、政府の間違った判断に対しても「責任をとれ」と声をあげるのが公平ではないでしょうか? > 人質バッシングは、私の記憶ではまず国民の中から上がったと記憶しています。 政府の判断に対して「責任をとれ」という声をあげるべきなのも国民。 声をあげるかあげないかは国民個々が自由に判断するべきことで、公平不公平の問題ではないと思います。 >このような世情のままで日本が戦争をできる国になる。それはこの国にとって、とても危険ではないのでしょうか? 戦争できるという事と戦争を実際にするという事は別の問題だと考えます。 また、改定されるのが9条2項であるのならば、可能になる戦争は攻め込まれた場合の自衛戦争であって何ら問題はないと思います。 |
NMGさん、こんばんは。 横レス失礼します。 >ようやくお出ましですね。 <失礼中略 私へのレスではないし関連も無いので> >伊藤氏によれば、コスタリカの8000人のうち、6000人は警官ですから国境警備力には入りませんね。 >おのずと計算も違ってくるでしょう。 節度ある計算をされてますよ。 2,000人の国境警備隊に対して、人口比で30倍であるから 2,000 x 30 = 【六万人】 2,000人の国境警備隊に対して、GDP比で100倍であるから 2,000 x 100 = 【二十万人】 私は違う見方を持っていて、6,000人の警察官にも自動小銃が支給され、軽迫撃砲や機関銃などの火器訓練が施され、戦術高機動に必要な車両が用意されていますからね。普通のパトカーを使う訳ではないということです。 実質、四個機械化歩兵連隊(一個旅団規模)の軍備であると見ています。 もっとも、侵略を企てる者はいないでしょうが。 <失礼中略、理由は同じ> >それから、退役軍人さん、コスタリカについての報告、有難うございました。 >参考にさせていただきます。 なんで貴方に報告せにゃあならんのかなぁ。 私の根拠を示しただけの話ですよ。 で、謂われなき中傷については認められないのですか。?? 失礼を通り越して無礼であると指摘させていただきます。 >さて、明日から歳末大売出しモードに入り、大変多忙になるためROMのみにさせていただきます。 >おやすみなさい。 頑張って下さい。 |
コスタリカの「平和憲法」に幻想を持ってる方への補足です。 コスタリカ憲法は常備軍の保持は禁止されてますが、非常時に軍隊を編成できることも規定されています。 コスタリカ憲法147条で、政府評議会が国会に国家防衛非常事態を宣言、徴兵の容認を要請し、第121条によって国会の3分の2以上の賛成でそれは承認されます。 完全に軍保持を否定してるわけではありません。 他にもMNGさんが紹介したサイトの朝日新聞記者伊藤千尋さんの記事で、 >日本は平和憲法といいながら実際には自衛隊を持っていますが、コスタリカにいるのは6000人の警察官と、2000人の国境警備隊のみ。警察といっても棍棒しか持っていなくて、ピストルさえ携帯していません。 とありますが、「ミリタリーバランス2000−2001」によれば 「総治安兵力(準軍隊)」8,400人 (人口の0.22%) 市民警備隊 4,400 (戦術部隊、特殊部隊を含む) 国境警備隊 2,000 地方警備隊 2,000 小火器(軽機関銃、小銃)のみ とあり、市民警備隊にはロケット発射器なども持っており、日本の警察以上の装備を持っています。 信憑性が疑われますね。 軍隊を保持しないという憲法の「上辺」だけを見てるのが、コスタリカ幻想というべきでしょう。 「武」で守る事を完全に放棄した国家はまだどこにも無いようです。 失礼しました。 |
▼tomykさん: >コスタリカの「平和憲法」に幻想を持ってる方への補足です。 こんにちは 私は幻想を持つどころかコスタリカという国も知らないですが >「武」で守る事を完全に放棄した国家はまだどこにも無いようです。 それなら「日本」がやれば良い 憲法9条を持つ日本国以外に出来ない事でもあると思う 今は無理でも理念を貫く事が大事、防衛だの細かい事は税金で飯を食ってる専門家にやらせればよい、我々のような素人日本人は将来か未来かに戦争や軍隊や武器のない社会が実現することを強く望む事が大事である。 それには9条堅持以外に道はない |
▼こころさん:こんにちは ネットカフェから横レス失礼 >それなら「日本」がやれば良い >憲法9条を持つ日本国以外に出来ない事でもあると思う 日本がそれを積極的に推進する選択肢はあります、しかし、それには大多数の日本国民の支持が必要でしょう。 あなた達、通称「護憲派」の方たちはその支持を拡大する主張に問題があるから、結果的に所謂護憲を旗印にした政党が小さくなったんでしょう、大多数の国民が納得して護憲を推進できるような新たな「論理」を構築しない限り、少なくとも私はあなたの主張に耳を傾けません。 >今は無理でも理念を貫く事が大事、防衛だの細かい事は税金で飯を食ってる専門家にやらせればよい、我々のような素人日本人は将来か未来かに戦争や軍隊や武器のない社会が実現することを強く望む事が大事である。 >それには9条堅持以外に道はない 要するに、素人は戦争や軍隊や武器を論ずるな! 平和を願って9条堅持のみを論ぜよ! と、仰りたいんですね、それって日本国民を馬鹿にした発言ではないでしょうか? そしてあなたのこの発言から感じたのは「中身はどうでもいいからとにかく、護憲!」要するに、今現実に起きている日本の脅威を隠そうという魂胆にしか見えません。 こんな主張で大多数の日本国民の支持を得られるとあなたは思っているんですか? それでは |
▼憲法9条改正さん: ▼こころさん: こんばんは。 横レス失礼。少し、申し上げ、お伺いいたします。 >>それなら「日本」がやれば良い >>憲法9条を持つ日本国以外に出来ない事でもあると思う。 こころさん、その通りと感じています。 >日本がそれを積極的に推進する選択肢はあります、しかし、それには大多数の日本国民の支持が必要でしょう。 憲法9条改正さん、その通りと思います。 >あなた達、通称「護憲派」の方たちはその支持を拡大する主張に問題があるから、結果的に所謂護憲を旗印にした政党が小さくなったんでしょう、大多数の国民が納得して護憲を推進できるような新たな「論理」を構築しない限り、少なくとも私はあなたの主張に耳を傾けません。 そうですね。それで、貴方、憲法9条改正さんは「論理」は無い、と思っておられるのでしょうか。あるかもしれないと思っておられるのでしょうか? 貴方、憲法9条改正さんの存念をお聞かせください。宜しく。 (少し、中略、失礼;各ご主張の趣旨が良く分かりませんので) >要するに、今現実に起きている日本の脅威を隠そうという魂胆にしか見えません。 憲法9条改正さんにお伺いいたします。 >今現実に起きている日本の脅威 とは、 日本が諸国に与えている「脅威」ですか? それとも 日本が諸国から受けている脅威ですか? その「諸国」と「脅威」の内容を、具体的にご説明頂けませんか? こんな抽象的な?ご意見で、多くの護憲日本国民が「改心」いや失礼「回心」(Change of heart)するとは思えないので、失礼ですが、お伺いする次第です。 宜しくお願い致します。 |
▼こころさん: 言いたいことは殆ど九条改正さんがおっしゃってくださいました。 >それなら「日本」がやれば良い 一足飛びに「武」で守ることを放棄できるほど日本の立場は安穏とはできていません。 ていうか、「それなら「日本」がやれば良い」だなんて駄々をこねてるようにしか聞こえませんよ。 >憲法9条を持つ日本国以外に出来ない事でもあると思う 退役軍人さんの「憲法はツールに過ぎない」という姿勢は自分も同感です。 憲法九条でもって平和国家を築くという論は、最早宗教ではないかと思います。 理念のみで、実行性を説いた人は誰もいません。 >今は無理でも理念を貫く事が大事、防衛だの細かい事は税金で飯を食ってる専門家にやらせればよい、我々のような素人日本人は将来か未来かに戦争や軍隊や武器のない社会が実現することを強く望む事が大事である。 九条改正さんがおっしゃいましたが、この発言は余りにも国民を蔑ろにしていませんか? 日本という国家は民主主義の国ですよ? 国家の舵取りを行うのは我々国民であり、国民が信任する政治家です。 こころさんの発言は政治家は防衛について考えるなということですか? これは何も考えていないと見られてもしょうがないですよ。 失礼しました。 |
▼tomykさん: >>それなら「日本」がやれば良い > >一足飛びに「武」で守ることを放棄できるほど日本の立場は安穏とはできていません。 >ていうか、「それなら「日本」がやれば良い」だなんて駄々をこねてるようにしか聞こえませんよ。 > そのとおりです、駄々をこねてるんですよ 今すぐ出来るはずがない事を理解しているから駄々をこねるんです 駄々をこねるしかないからこねるんですよ、しかし将来に向けて現在は駄々をこねる事が大事なのです >>憲法9条を持つ日本国以外に出来ない事でもあると思う > >退役軍人さんの「憲法はツールに過ぎない」という姿勢は自分も同感です。 >憲法九条でもって平和国家を築くという論は、最早宗教ではないかと思います。 >理念のみで、実行性を説いた人は誰もいません。 > 今まで誰もいなかったから世界中で戦争ばかりしているのと違いますか、宗教は戦争を起こすが9条は戦争を無くそうと言っているのです、同じように考えるのは間違いです >>今は無理でも理念を貫く事が大事、防衛だの細かい事は税金で飯を食ってる専門家にやらせればよい、我々のような素人日本人は将来か未来かに戦争や軍隊や武器のない社会が実現することを強く望む事が大事である。 > >九条改正さんがおっしゃいましたが、この発言は余りにも国民を蔑ろにしていませんか? >日本という国家は民主主義の国ですよ? >国家の舵取りを行うのは我々国民であり、国民が信任する政治家です。 ちがいます、素人の井戸端会議でかんがえられるほど単純なものではないと言う意味です しかし、専門家が全て正しいとも言えないので歯止めとなる9条が大事だと思っているのです >こころさんの発言は政治家は防衛について考えるなということですか? >これは何も考えていないと見られてもしょうがないですよ。 > 何も考えてないですか、「下手の考え休むに似たり」下手な考えが戦争につながってしまうなら何も考えない方が有益かも知れません。 |
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▼こころさん: >▼tomykさん: >>コスタリカの「平和憲法」に幻想を持ってる方への補足です。 >こんにちは >私は幻想を持つどころかコスタリカという国も知らないですが > 横から失礼します。 私はコスタリカと言えば、チョコレートの名前かと思ってました。 コスタリカという国の名前くらいは知っていたとしても、その国の実情を知っている日本人は、常識的に考えて極少数だと思います。 個人的な経験に偏る議論は、「あまり世の中の役に立つとは思えない事例」として参考になりました。 |
レモンさん、こんばんは。 ▼レモンさん: >▼こころさん: >>▼tomykさん: >>>コスタリカの「平和憲法」に幻想を持ってる方への補足です。 >>こんにちは >>私は幻想を持つどころかコスタリカという国も知らないですが >> >横から失礼します。 > >私はコスタリカと言えば、チョコレートの名前かと思ってました。 >コスタリカという国の名前くらいは知っていたとしても、その国の実情を知っている日本人は、常識的に考えて極少数だと思います。 > >個人的な経験に偏る議論は、「あまり世の中の役に立つとは思えない事例」として参考になりました。 原因と結果という、不可逆な関係をきちんと認識して発言なさるべきかと。 よ〜〜〜〜〜く、スレッド全体の流れを読んで下さい。 求められた故に、示しただけの話です。 私個人の経験によるものと、国際的な信頼を得ている機関が発行している資料に基づいた主張ときちんと、分けて書いているはずです。 後先をきっちり認識されてから、こういった発言はなさるべきでしょう。 きちんとした事実の検証を伴わない主張も、、「あまり世の中の役に立つとは思えない事例」と指摘しているだけのことです。 失礼いたしました。 |
▼退役軍人さん: こんにちは。 わざわざレスをありがとうございます。 退役軍人さんからのレスがつくとは、とても意外でした。 議論にもならないつまらない「たわごと」などには、目もくれない方という印象を持っておりました。 コスタリカを議論の参考に持ち出したのは、MNGさんで、退役軍人さんはそれに答えて返答や議論をすすめていらっしゃることは、だいたい理解しております。(これが原因) その結果、退役軍人さんが個人的な経験知識を問われて、豊富な渡航歴などを公開された投稿が、「個人的な経験に偏る議論」 と日本の一人のオバサン(私)の目に映ったというだけの話です。(これが一つの結果) 原因が一つでも、結果は複数生じるというのが、私の考え方です。 >>コスタリカという国の名前くらいは知っていたとしても、その国の実情を知っている日本人は、常識的に考えて極少数だと思います。 >> >>個人的な経験に偏る議論は、「あまり世の中の役に立つとは思えない事例」として参考になりました。 > >原因と結果という、不可逆な関係をきちんと認識して発言なさるべきかと。 > >よ〜〜〜〜〜く、スレッド全体の流れを読んで下さい。 > >求められた故に、示しただけの話です。 執拗に求められても、返答されないこともあるので、今回は随分詳しく答えていらっしゃるという印象を持ちました。もちろんそれは退役軍人さんのご自由です。 > >私個人の経験によるものと、国際的な信頼を得ている機関が発行している資料に基づいた主張ときちんと、分けて書いているはずです。 いつも、はっきり書かれる方だということは、充分承知しているつもりです。 > >後先をきっちり認識されてから、こういった発言はなさるべきでしょう。 同じ意味のご指摘は、もうわかりました。 > >きちんとした事実の検証を伴わない主張も、、「あまり世の中の役に立つとは思えない事例」と指摘しているだけのことです。 世の中には、資料や情報が事実の検証かどうかは判断できないことが多過ぎますので、私はなるべく断言は避けておします。 その結果、役に立たない感想やつぶやきばかりの投稿になっておりますことは、お詫び申し上げます。(印象批判というのでしたでしょうか。) >失礼いたしました。 こちらこそ、失礼をいたしました。 |
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ワン太郎さん、こんばんは。 ▼ワン太郎さん: >私も まったく同じです、問題は 「二項」 です。 >護憲の人々も そんな事は 百も承知なのに、 >改憲派は 【九条の不戦理念】を犯そうとしている かの様な論調に終始します。 それを言っちゃあいけないと思いますが。(苦笑 >もっとも、護憲派にもいろいろあり、「現政権不信」 が第一義であって、 >憲法の不備については 「自民党政府下で改正させるのだけはイヤ」 が本音、という人が たくさんいる様です。 >こういう人との 改憲議論は 支離滅裂になりかねません。 それは感じていまして、可能な限りレスをしないようにしています。 >わが国の 領空・領海を 意図的に侵犯する近隣国(政府)、 >一方、隣国を犯さないように ― 愚直にも ― 懸命になっている日本(政府)。 >日本国民にとって、どちらの政府が信頼に値するか、明解です。 >それなのに 近隣国政府に自国の安全を委ねてしまう「非武装」 を主張する神経が 私は理解できません。 前回の潜水艦の場合は、浮上しなければ攻撃されて沈められても文句の言えない侵犯でした。 ただ、私は攻撃しなくて良かったと思っています。 漢級ミサイル原潜は、信頼性が低い上に整備性が悪く前世紀の遺物級ミサイル原潜です。 同級艦は三隻建造されましたが、一隻は海に出ることが出来ないままに退役しました。 原子力パワープラントに深刻な問題があったと見られています。 残りの二隻は一隻が航行可能な侵犯行為を働いた艦ですが、もう一隻は係留されたままです。 なんとか運用可能な一隻のために、部品取りにされていると見られています。 元々、第一世代のソ連ミサイル原潜のコピーですし。 攻撃すれば容易に沈めることが出来たでしょう、でも下手をすれば放射能漏れの沈没原潜を水深60m程度の浅海に抱える結果になっていたでしょうから。 こっちのほうが厄介です。(苦笑 こういった選択肢の検討は当然されていたと思いますよ。 シグナチャー(音紋)解析から、早い段階で漢級原潜であると特定されていましたから。 >もっとも、閲覧者に誤解を与える可能性を感じた投稿には、遠慮しませんけれど。 >その点だけは 「手を抜かない様に」 お願いします。 仕事もせにゃあならんし、(笑.....どっちが大事なんだか 出張ばかりだし、(ダイヤルアップはきつい........ 今は UTC(GMT)+2 のところにいますけれど、年末に UTC(GMT)±0 の場所へ移動します。 次の現場にはADSLがあるそうですが、仕事中に使う訳にもいかないし。 休み時間にでも(笑 >>どうなんでしょうね。 >>その点は、私も興味津々です。 >>いつ 論議を開始しましょうかね。 無理なんじゃあないかと思っています。 とにかく護憲ってのが第一義にあれば、建設的な議論にはならないでしょう。 とにかく改憲って主張したつもりはありませんけどね(笑)、護憲で国防が出来るのなら自衛隊も廃止して軍備も放棄するべきでしょう。 しかし、そういった主張は少ないですねぇ。 現状における自衛隊の役割を認めておきながら、法制化できちんとした地位や法的身分を与えるという議論になると、一斉にダメがでるのは、なぜなのかなぁ。 前スレッドと前々スレッドへの反論は用意してありますから、いつでも投稿可能ですから、そのあたりからぼちぼち投稿していこうかと考えています。 失礼いたしました。 |
この書き込みは管理人によって削除されました。(06/1/4(水) 15:55) |
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このスレッドの元の(I)(II)をよく読んでください。 ワン太郎さんの、このスレッドでの書き込みは、チャランパランの方向違いですのでコメントしておきます。(あなたとの議論はしたくありません。) その前に、私と退役軍人さんの「日本の防衛問題」の質問と応答があり、そのまとめとして「護憲九条で日本を守る」に入りました。 私と退役軍人さんとでは 9条そのものについての議論は、ほとんど していません。 純粋な防衛軍事技術的な議論をしてきたのが、このスレッドでした。 私は、最近の国際情勢から、日本の防衛は、現状の日米安保及び自衛隊、海上保安庁、地方自治体、警察、消防等の連携により、(一部の見直しは必要としても) 「現在の憲法九条は変えずに最低の日本国防衛は可能である」と私は結論しました。 (III)以降はイラク派遣の是非について論じています。(ぎみゆらさんが主役) むしろ私は、9条を変えるべきと主張する人は、何のためか を聞きたいです。 自民党、読売、経団連は既に発表しています。 いずれも、日本領土、領海の外、つまり自衛隊の海外派兵をしたい、させるべきである との主張が主要点です。 自衛隊の海外派兵は、現行では、憲法9条、自衛隊法、日米安保条約、全てに違反するので できないからです。 私は、日本の自衛、防衛のためには、海外派兵は必要なし、止めるべきであると考えます。むしろ平和の維持に邪魔な且つ危険なことです。 思想、など抜きで、科学的に論点を絞って討論、勉強会をしてきたつもりです。 (明日から、出張で書ける環境にはないので、一言念のため書きました) |
▼昭和 人さん: 横から失礼します。 >「現在の憲法九条は変えずに最低の日本国防衛は可能である」と私は結論しました。 具体的なリソースを退役軍人さんは提示してなかったと思いますが、貴方自身がその結論にたどり着くのは否やはありません。 同意をしないだけですから。 九条第2項を改定し、自衛隊を不自然で矛盾だらけな状態からまともにしたいと思うのは自分も同じですから。 誰も戦争なんか望んじゃいません。 日本を防衛できるだけの戦力を保持することを憲法で規定したいだけです。 昭和人さんに同意は望んでいませんが。 失礼しました。 |
勿論、私の結論です。 退役軍人さんとは、軍事防衛論について勉強しただけです。 まとめでの結論は、退役軍人さんとは、意見が違います。 海外派兵をしないなら、今の憲法9条を変える必要はないと考えます。 (自民党、公明党にもこの意見は多い) |
▼昭和 人さん: >勿論、私の結論です。 >退役軍人さんとは、軍事防衛論について勉強しただけです。 >まとめでの結論は、退役軍人さんとは、意見が違います。 > >海外派兵をしないなら、今の憲法9条を変える必要はないと考えます。 >(自民党、公明党にもこの意見は多い) しからば 質問です。 (1)自衛隊の存在 と 9条が 相反していることに 問題は無いのですか? (2)国の基本法を 犯し続けている 国家であることに 問題の意識は? もしよろしければ、以下の質問にもお答えくだされば 幸いです。 (3)9条以外に 憲法違反を余儀なくする事象が発生したら どうしましょう? (4)この(違憲)状態を 子供達に どう教えたら良いのでしょう? |
これはtomykさんへの回答です。 あなたは、tomykさんのように 自分の意見を出したうえで質問してください。 憲法9条は何のために改定するのですか? |
▼昭和 人さん: >これはtomykさんへの回答です。 > >あなたは、tomykさんのように >自分の意見を出したうえで質問してください。 > >憲法9条は何のために改定するのですか? いつも そうおっしゃいますね。 私は 改憲を 望んでいます。 理由は、 憲法を 長期間 ないがしろの状態に しておくのは良くない。 憲法違反を 国民全体が 犯し続けることは 「国の姿」 として最悪である。 国家は国民の安全を 「ありとあらゆる方法」 で確保すべきだ。 国民の安全を確保する 「手段」 の有力な選択肢を 放棄する必要は無い。 以上の 考え、立場に立っております。 さきの 質問に お答え頂けませんか? |
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tomyk さん、こんにちは。 横からの、そのまた横から失礼します。 お話しするのはお久しぶりですね。 九条二項と自衛隊の「矛盾」は、少々まともにものを考える人間 ならば、「誰でも」「それなりに」承知しているものと思います。 昨年が自衛隊発足50年、今年は自民党結党50年。九条二項と自衛隊、 「誰もが」「それなりに」矛盾を承知し、それが50年続いてきた。 それはある意味で、戦後日本の歴史そのものでもあります。 たとえば私は、ごくささいな試みですが、一年半ほど前この場所で、 馬鹿正直さんという投稿者と、以下のようなお話を交わしました。 よろしければ、スレッドの最後のほう、「自衛隊と憲法9条2項」 という私の投稿以降をお読みいただければと思います。 http://s6410.sakura.ne.jp/log/bbs_sougou/tree_938.htm 九条二項と自衛隊の「矛盾」を嘲笑うのは、中学生にもできます。 しかし、真摯に物事を考えるなら、そのような「矛盾」がなぜ50年も 温存されてきたのか、そのときどきの「大人たち」は、いったいどう 思ってきたのか。そこから振り返るべきなんじゃないでしょうか。 それにその「矛盾」を嘲笑うなら、その嘲笑の対象は、まず歴代日本 政府、ほぼずっと政権与党だった自民党幹部の面々、加えて防衛庁や 自衛隊で要職に就いた方々、そしてその時代を生きてきたすべての、 とくに「保守的な」大人たち。そういうことに、なるはずですよね。 私は、憲法改正の論議は、もしやるのであれば、一億二千七百万余の 国民一人一人が、きちんと考え、十分に議論するような状況をつくる ことが、まず何よりも大事だと思っています。 しかし残念ながら、先般提出された自民党「新憲法案」そのものも、 昨今取り沙汰されている「国民投票法案」も、そのように「みんなが きちんと考え、自分の気持ちでとことん議論する」という方向性に、 まったく逆行するものとしか、私の目には映らないのです。 「目眩まし」や「イメージ戦略」を拠り所にした、安易でなおかつ 狡猾な憲法改正など、そう簡単に許してはいけない。それが、私が いまとても心配し、強く思っていることの一つです。とりあえず、 以上、私なりに感じたところをお伝えしてみました。またいつか。 |
▼ぎみゆらさん: >お話しするのはお久しぶりですね。 自分もついぞ何時お話ししたか失念いたしました。 >九条二項と自衛隊の「矛盾」は、少々まともにものを考える人間 >ならば、「誰でも」「それなりに」承知しているものと思います。 >昨年が自衛隊発足50年、今年は自民党結党50年。九条二項と自衛隊、 >「誰もが」「それなりに」矛盾を承知し、それが50年続いてきた。 > >それはある意味で、戦後日本の歴史そのものでもあります。 <失礼中略> >九条二項と自衛隊の「矛盾」を嘲笑うのは、中学生にもできます。 >しかし、真摯に物事を考えるなら、そのような「矛盾」がなぜ50年も >温存されてきたのか、そのときどきの「大人たち」は、いったいどう >思ってきたのか。そこから振り返るべきなんじゃないでしょうか。 > >それにその「矛盾」を嘲笑うなら、その嘲笑の対象は、まず歴代日本 >政府、ほぼずっと政権与党だった自民党幹部の面々、加えて防衛庁や >自衛隊で要職に就いた方々、そしてその時代を生きてきたすべての、 >とくに「保守的な」大人たち。そういうことに、なるはずですよね。 憲法九条とは、合法的に戦備を真剣に考えなくて良い憲法でもあると自分は思っています。 事実、冷戦時は日米安保を中心とした防衛政策で日本の防衛費を抑えることに成功し、冷戦時代を乗り切ることに成功しました。 防衛費に金をかけることなく、日本は経済発展を行ってきたのです。 まともな政治家なら経済的恩恵の薄い日本の防衛政策に金をかけるのは回避しますからね。 しかし冷戦構造は崩壊し、ソ連のいない短い春を感じた後新たな脅威が近隣国に現れました。 そして当時と違い、日本は世界トップクラスの大国になっています。 いまだ日米安保は機能していますが、戦略的環境の変貌はソ連崩壊からかなり変わってきています。 また実際の脅威を北朝鮮から感じ、国民の意思が変わっているのも見逃してはいけません。 防衛の主力を在日米軍のみに頼ることに社会は不安を感じはじめているのじゃないですか? だから昨今になって日本の防衛を真摯に考え始めたと見るべきでしょう。 10年20年ではなく、50年100年を考えたら日本の安全保障政策はどう舵取りを行うべきか? 九条が幅を利かせてた頃と環境が違いすぎます。 >私は、憲法改正の論議は、もしやるのであれば、一億二千七百万余の >国民一人一人が、きちんと考え、十分に議論するような状況をつくる >ことが、まず何よりも大事だと思っています。 至極同意いたします。 そのために防衛とは何か?軍備とは何か?日本が必要としてるものは何か?を包み隠さず国民に伝え、議論すべきでしょう。 今回のコスタリカの誤った認識や、無防備都市宣言なども間違った知識が一人歩きする状況も糾すべきです。 失礼しました。 |
tomyk さん、レスありがとうございます。 > >お話しするのはお久しぶりですね。 > > 自分もついぞ何時お話ししたか失念いたしました。 そういえば、あまり立ち入ってお話ししたことはなかったかもしれ ません。私が思い出せるのも、tomyk さんが昨年の秋頃(参院選が 終わった後だったと思います)からこの掲示板に書き込みを開始し、 その折に軽いご挨拶程度のお話を交わしたことくらいです。 > 九条が幅を利かせてた頃と環境が違いすぎます。 そうですね。「環境の大きな変化」に無頓着な人は、案外少なく ないかもしれません。 > >私は、憲法改正の論議は、もしやるのであれば、一億二千七百万余の > >国民一人一人が、きちんと考え、十分に議論するような状況をつくる > >ことが、まず何よりも大事だと思っています。 > > 至極同意いたします。 > そのために防衛とは何か?軍備とは何か?日本が必要としてる > ものは何か?を包み隠さず国民に伝え、議論すべきでしょう。 ご同意ありがとうございます。 1950年代、60年代(この辺までは親や年長者からの「伝聞」になり ますが)、あるいは70年代でも(こちらは多少自分なりの「見聞」も あります)、いくつかの政治的な話題、日米安保、核問題、東西冷戦、 ベトナム戦争、沖縄返還、等々をめぐって、街角で、職場で、食堂や 喫茶店で、「ふつうの人」たちが口角泡を飛ばして言い争うといった 場面が、さして珍しくなく、見られました。 余談に及びますが、やや年長のカメラマンの知人が、日々の仕事の かたわら、もう数十年、街角で「人の顔」を撮り続けていまして、 数年前その一端を小規模な個展の形で披露しました。大方は一点の 写真に一人の顔。それを、1960年代、70年頃、80年頃と大づかみに 年代順に並べていました。 それらを見ていくと、だいたい1970年代辺りまでの人々の顔には、 「ふつうの人」たちの表情それぞれに、何とも言えない「個性」と 「元気」のようなものがあり、それ以降の年代になると、それが 急速に「おとなしく」、そしてなんとなく「似たような」雰囲気に なってきます。 いま多くの日本人は、いくつかの意味で、おとなしすぎる、お行儀が よすぎるのではないかと思うことが、いろいろな場面であります。 「憲法を変えようって話があるらしいね」 「それっていったい、どういうこと?」 そういった話題が、街角、職場、ラーメン屋や喫茶店、井戸端会議、 世の中のいろんな場所で、ゴチャゴチャガチャガチャ湧き起こって いる。そのような状況があらためて生じた上で「次のステップ」に 至るのであれば、それがどのようなものであっても、それはたぶん、 それなりに意味があるはずです。 しかし、そのような「ガチャガチャ」もさして起きないままに、 ずるずると「次のステップ」に進むようなことであれば、この国は、 一部の「おいしい場所」にいる者たちだけが牛耳る、「つまらない 国」になりはてていくおそれが高いのではないかと思っています。 ややイメージ的な言い方になりましたが、最近は、そんなことを 考えたりもしています。またいずれ。 |
ROMしていました。 自衛隊の海外派遣は,よく言われるように, 湾岸戦争の折り,日本は世界に冠する経済大国のわりには, 世界に対する貢献が少なすぎるのではないか, お金は出すが苦労は他国に頼ってばかりではないか。 自分たちは安全なところにいて,お金をだして他国に任せている。 考えられないような金額を出したのに, 当事者国のクウェートからは感謝もされなかった。 このようなことが反映しているのではないかと思います。 責任ある経済大国,また多額の国連拠出金を出している日本が, 金だけの責任では世界も納得しないし,誰も感謝しないということではないでしょうか。 もちろん,憲法の足かせがあるのだから,それを世界に説明すればいいのです。 しかし,世界の安全はみんなで守るものではないでしょうか。 どこが人的貢献をしていても,日本だけはしないのです,と説明しても, それで納得するような,日本の立場ではなくなったと思えます。 もはや,一国平和主義では行きゆかず,世界の平和にも責任を応分に もたないといけなくなった時代といえるような気がします。 |
素直な ご意見だと思います。 しかし、朝鮮、中国を侵略した日本は、世界を守る信用がなく、義務もありません。 日本を守ることが精一杯であり、とても、世界の防衛をする余力はありません。 かえって、反発を招き、危険です。 国際貢献、協力は、自衛隊でなく、NGO,NPOとして民間の専門グループがやればよい。 原則、災害復旧が主でよい。アメリカが破壊したものはアメリカがやるべきで日本がやることではない。(医療等に限定すべき) |
▼あぶさんさん:こんばんは。横レスです。失礼。 貴方のレスを借りて、 血の貢献、命の贖(あがな)いの嘘(と、私が信じる所以)について、力、暴力、武力、肉体(命)・・・の貢献の「崇高さ」の嘘(と、私が信じる所以)について、述べ、 貴方と皆さんにお伺いしたいと思います。 日本は「湾岸戦争」で、当然、軍隊の派遣は出来ませんでした。しかし、巨額の戦費の負担はしました。 これで十分、十分以上ではありませんか。 日本が拠出した「巨額の戦費」を、例えば、平和目的で、日本の、また、発展途上国と言わず米国あるいはその他の世界の、「死に行く不幸な方の救済」に向ければ、どれほどの命が救われたことでしょう。 若し、その巨額なお金がその救済に投入されれば、救われたはずの日本の、世界の不幸な命・血を全て犠牲にした、ものと言えるのです。 そして、また、多分、戦争に死んだ兵士の命と血を補償して余りある巨額のお金ではなかったでしょうか? これらを併せて考えると、日本の負担が「血の贖(あがない)」以下のものでしょうか? 私には、何の不足もないと思われるのです。 このような主張、反論を、日本国が出来なかったということは、真の統治者、リーダー、正しい理念を有するリーダーを持たなかったということと思います。 地球上の人の命の価値は、戦場で死に行く兵士も、巷で死に行く人の価値も同じでしょう? 若し、そうでない!と仰るのであれば、どうかその理由を合理的、理性的に説明ください。 情緒的、感情的では、万人に通じないと信ずるからです。 どうか、宜しくお願い致します。 >ROMしていました。 >自衛隊の海外派遣は,よく言われるように, >湾岸戦争の折り,日本は世界に冠する経済大国のわりには, >世界に対する貢献が少なすぎるのではないか, >お金は出すが苦労は他国に頼ってばかりではないか。 >自分たちは安全なところにいて,お金をだして他国に任せている。 >考えられないような金額を出したのに, >当事者国のクウェートからは感謝もされなかった。 > >このようなことが反映しているのではないかと思います。 >責任ある経済大国,また多額の国連拠出金を出している日本が, >金だけの責任では世界も納得しないし,誰も感謝しないということではないでしょうか。 > >もちろん,憲法の足かせがあるのだから,それを世界に説明すればいいのです。 >しかし,世界の安全はみんなで守るものではないでしょうか。 >どこが人的貢献をしていても,日本だけはしないのです,と説明しても, >それで納得するような,日本の立場ではなくなったと思えます。 >もはや,一国平和主義では行きゆかず,世界の平和にも責任を応分に >もたないといけなくなった時代といえるような気がします。 |
▼とうろうさん: 私も 横レス 失礼。 >日本は「湾岸戦争」で、当然、軍隊の派遣は出来ませんでした。しかし、巨額の戦費の負担はしました。 > >これで十分、十分以上ではありませんか。 > >日本が拠出した「巨額の戦費」を、例えば、平和目的で、日本の、また、発展途上国と言わず米国あるいはその他の世界の、「死に行く不幸な方の救済」に向ければ、どれほどの命が救われたことでしょう。 > >若し、その巨額なお金がその救済に投入されれば、救われたはずの日本の、世界の不幸な命・血を全て犠牲にした、ものと言えるのです。 > >そして、また、多分、戦争に死んだ兵士の命と血を補償して余りある巨額のお金ではなかったでしょうか? > >これらを併せて考えると、日本の負担が「血の贖(あがない)」以下のものでしょうか? > >私には、何の不足もないと思われるのです。 そうでしょうか? 湾岸戦争で 日本が払った金は 国際的には 「贖罪の意味」 としか 受け取られていないと思います。 湾岸戦争で 息子を無くした 米国の母親に 「私達(日本人)は責任を果たした」 と云って 納得してもらえるでしょうか? 軽蔑されるだけだと 思います。 >このような主張、反論を、日本国が出来なかったということは、真の統治者、リーダー、正しい理念を有するリーダーを持たなかったということと思います。 それには 同意です。 情けなく、恥ずかしい 思いをいたしました。 >地球上の人の命の価値は、戦場で死に行く兵士も、巷で死に行く人の価値も同じでしょう? > >若し、そうでない!と仰るのであれば、どうかその理由を合理的、理性的に説明ください。 > >情緒的、感情的では、万人に通じないと信ずるからです。 <戦場で死に行く兵士も、巷で死に行く人の価値も同じ> について 同意できるのは 「半分」 だけです。 確かに 「命としての価値」 は 同じでしょう。 しかし 「自分や家族のため」 に落としてくれた命は 「限りなく 高い価値」 を感じられるでしょう。 駅のホームから落ちた人を救おうとして 自らの命を失った韓国青年に 感謝の気持ちを あつく持つのは 私だけじゃないと思いますが。 いつの日か「自分達のため」 に命を懸けてくれた人達が 困った状況に陥った時、 「本気」 で救助の手を差し伸べてくれるのは 助けられた経験のある人達だと思います。 やっぱり 「世の中、お互いさま」 だと思います。 「金には金」 「命には命」 じゃ ありませんか? |
▼ワン太郎さん:こんばんは。レス、有難う御座います。 >私も 横レス 失礼。 横レスではありません。私は、皆さんも意見を頂きたいと言っておりました。 >>日本は「湾岸戦争」で、当然、軍隊の派遣は出来ませんでした。しかし、巨額の戦費の負担はしました。 >> >>これで十分、十分以上ではありませんか。 >> >>日本が拠出した「巨額の戦費」を、例えば、平和目的で、日本の、また、発展途上国と言わず米国あるいはその他の世界の、「死に行く不幸な方の救済」に向ければ、どれほどの命が救われたことでしょう。 >> >>若し、その巨額なお金がその救済に投入されれば、救われたはずの日本の、世界の不幸な命・血を全て犠牲にした、ものと言えるのです。 >> >>そして、また、多分、戦争に死んだ兵士の命と血を補償して余りある巨額のお金ではなかったでしょうか? >> >>これらを併せて考えると、日本の負担が「血の贖(あがない)」以下のものでしょうか? >> >>私には、何の不足もないと思われるのです。 > >そうでしょうか? > >湾岸戦争で 日本が払った金は 国際的には 「贖罪の意味」 としか 受け取られていないと思います。 他の国がどう言おうと、それを、貴方の疑問の根拠に挙げないで下さい。 貴方自身がどのように考えられるか?が問題なのです。 私が、その当時の他の国の反応を知らないでこの意見を言ったと思われますか? そんなことを承知の上で言っているのです。馬鹿にしないで下さい。 > >湾岸戦争で 息子を無くした 米国の母親に >「私達(日本人)は責任を果たした」 と云って 納得してもらえるでしょうか? >軽蔑されるだけだと 思います。 それこそ、感情・情緒に流れた、熱血的体育会系?の「涙・涙的」コメントです。 アメリカの兵士の母の涙もありますが、イラクの兵士の母の涙もあります。クエートの女子・子供の母の涙もあります。 どうして、貴方、ワン太郎さんは、「米軍兵士の母の涙」だけに感情移入が出来るのですか? その理由を、私が、納得できるようにご説明ください。宜しく、切に、宜しくお願い致します。 (以下、中略) >やっぱり 「世の中、お互いさま」 だと思います。「金には金」 「命には命」 じゃ ありませんか? 貴方、いま、石器時代に生きておられるのですか? 石器時代には正しいことだったでしょう、間違いなく。しかし、今は?です。 そして、先に、お伺いしたときに、ご返事がなかったことがあります。 貴方、本当に、「全ての人の命が取り返しのつかない(大切な!)もの」だと思っておられますか? と言う問いに対してです。 改めて、問います。どうか、お答えください。 宜しく。 |
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ぎみゆらさん、こんばんは。 場外乱闘たけなわのようですが、無視して投稿します。 前スレッドの貴兄投稿へのレスその1です。 ▼ぎみゆらさん: >お互い基本的な見解表明ができたようですので、私としては今回は >これくらいまでにしておこうかなと思いながら、もう少しだけ。 じゃあ私も、もう少しだけ。(笑 >> >そのために最も大切なのが、「国が平和であること」だと思っている >> >のです。ここでいう「平和」とは、単に「戦乱がない」だけでなく、 >> >生命が育ち、子供も大人も生きている限り成長し、それを助け育む >> >ために必要で大切なものが、周りにちゃんとあるということです。 >> >> ここの認識にやや違いがあると思います。 >> 必要で大切な物は、自然に与えられるものではありません。 >> 誰かが、得る努力をしなければ得られないということ。 >> >> 根底の考え方として、私は【天賦人権論】を否定しています。 >> 人権なんぞ、与えられるものではない、努力して勝ち取るものだと >> 考えていますから。 > >上の私の文言を「天賦平和論」とでもいうように受け取ったので >あれば、それは退役軍人さんらしくない誤解または認識違いです。 えへへ、と笑ってごまかす。(笑 ちょっと、書き足りないのかなぁ、って思いまして。 誤解というより、観測気球といった方が正しいかな。 大変失礼な真似をいたしました。 申し訳ありません。 >しかしあるいは私の言い方も十分でなかったかもしれません。上の >「必要で大切なものが、周りにちゃんとあるということです」を、 >「必要で大切なものを、ちゃんと手に入れて確保するよう、不断に >努力を続けることです」と補強しましょう。 これなら納得できますし、全面的に同意いたします。 >戦争も平和も、その状況にかかわるすべての「人」が不断につくり >出しているものですし、戦争の反対が平和、平和の反対が戦争という >ほど単純なものでもないはずです。平和のために闘うということも >あれば、戦乱のなかの平和もあるでしょう。そうしたなかで、平和の >条件を不断に高める努力が大切なんだと思っています。 戦争というのが出来事を指し示す言葉であるのに対して、平和というのは状態を指し示す言葉です。 ここを誤解されている方の多いこと。 本来、対比して語れる問題ではないと考えています。 続きます。 |
続きです。 >> 人の生命を含めて、戦場という魔物に飲み込まれていくリソースの >> コストを考えるべきだと思います。 > >かつての日本の戦争がそうでした。私の父は昭和6年生まれなので、 >生まれてからの15年が、そのまま十五年戦争の15年でした。その >うち始めの十数年は、戦争は海の向こうのものでした。南京陥落。 >マニラを取った。そのたび、町々が提灯行列で躍り上がり、新聞や >ラジオが興奮した口調で絶叫し、国中が湧き上がる。 全ての戦争状態にある国、あるいはあった国は同じです。 日本の戦争だけがそうであった訳ではありません。 >昭和5年生まれの私の母(アネサンニョーボなんです、笑)は、昭和 >19年、女学校3年で工場動員となりました。東京の都心から郊外へ >東西に伸びる中央線で「立川」まで、そこから北西に走る青梅線に >乗り換え、当時の「昭和前」(現在の「昭島」)という駅で降り、 >そこにあった「昭和飛行機」の工場に毎朝通うことになった。 大正12年生まれの私の母は見習い従軍看護婦として旧満州の新京(現吉林省長春)で終戦を迎えました。 うちもアネサンニョーボでして、昭和二年生まれの父より年上ですね。 父は、終戦当時国立高専の学生でした、旧制中学時代に何度も予科練習生や他の軍種に応募したそうですが、祖父が現役海軍士官であったのと、年嵩の二人の叔父が一人は海軍のパイロットとして、もう一人は軍医として従軍していたので、父の望みはかなえられませんでした。 「貴様が従軍すれば、貴様の家が絶えることになるやもしれぬ。」 「それではご先祖様に申し訳が立たぬ、ここは隠忍自重して銃後の勤めを果たせ。」 といわれて、不合格の通知を貰っていたと笑っていました。 機械科の学生だったので、小倉の陸軍工廠へ動員されたそうです。 戦後、警察予備隊発足と同時に奉職し定年まで幹部自衛官としての道をあるきました。 天候という偶然がなければ、私はこの世に存在していないかも知れません。 長崎に投下された原爆は、当初小倉に投下される予定であったそうですから。 続きます。 |
続きです。 >通勤電車はものすごい混雑で、小柄な母は大人たちに挟まれ窒息し >そうになり、三つ編みのお下げ髪を人混みにひかれ、死ぬほど痛い >思いを繰り返す。そのころ立川一帯に日立系の軍需工場群が次々と >でき、通勤したり動員されたりする人たちが急増し、もともとは >ガラ空きの下り電車が、そんな状態になっていたわけです。 私も母に戦争中の出来事や思い出を、手紙に書いて貰いました。 一度も戦争中のことを語らなかった母が、私が制服を着る道を選んだときに、「お父さんと同じ道を行くのなら、知っておかなければならないことがある。」と、色々な事を手紙に書いてくれました。 綿々と綴られた12通の手紙は今でも大事な私の宝物です。 この母の手紙が、私の考え方を形作るのに大きな影響を与えてくれました。 ただ、そういったエピソードを紹介することに、意味や価値は無いと思います。 軍事いや安全保障に関わる議論は、可能な限り理念や観念論を排した議論、即ち方法論であるべきです。 理念や哲学や観念論なんぞ、何の役にもたちません。 ましてや、悲惨な経験談による感情論なんぞ、もってのほかです。 >秋に特攻が始まり、フィリピン沖で赫々たる戦果との報。飛行機工場 >ですからね、15歳、今なら中学3年生の少女らが熱狂する。特攻隊に >続け! 神風は必ず吹く! 教えてくれれば女でも体当たりできる! >みんなで特攻隊に志願しましょう! 残業に備えヒロポンを持って >くる友達がいた。自決用に青酸カリを隠し持つ者もいた。 > >そして、幾十もの都市に、ほとんど防空もできず丸裸状態で無差別 >空襲を受け、広島と長崎に原爆を落とされ、数十万人が殺された。 >国民総動員。一億火の玉。当時の指導者らが繰り返し叫んだとおり、 >国と国民のすべてを消費し尽くし、何もかもを失った戦争でした。 敗戦というのはそういうものでしょう。 軍隊だけでなく、国家の全てを賭けて戦った最初の戦争ですから。 その後の戦争いや紛争と呼べるものは、すべてそういう形態でしたね。 エスニック・クレンジング(民族浄化)なんて、以前はなかった恥じるべき行為もありましたし。 幸運なことに、我々の国は何もかも失ったかというとそうではないと思いますよ。 少なくとも、国体は護持されたし失った領土も限られていた、また国土を分割して占領され民族の分断という悲哀を味わうこともなかった。 国と国民の全てを消費し尽くし、なにもかもを失った訳ではないと思います。 少なくとも、私の父母の世代は日本人としての矜持は失っていなかったと断言できます。 引き続き、反論 2 へ続きます。 |
前スレッドの貴兄投稿へのレスその2です。 ▼ぎみゆらさん: >平和をつくり、そのための条件をより向上していく努力は、人に >より、国により、一様ではないでしょう。日本の戦後60年の歩みは、 >非戦平和の憲法を押し立て、ときに応じて唯一の被爆国という訴えも >交えながら、これを世界にアピールして、技術力、経済力で国を建て >直そうと、そのような「力の使い方」を重ねてきました。 その力が、なんの効果も得なかったというのが現実でしょう。 ここの認識が決定的に異なると思います。 外交という内政干渉を本質とするせめぎ合いの中で、憲法九条が表す理念は我々だけのものに過ぎなかったという現実を見るべきです。 もっとも近い近隣三国に対しても、我々の理念は我々の物でしかなかった。 元来、異なる社会的規範を持つ上に、その内の二ヶ国は共産主義による統治をいまだに続けている国です。 普通選挙ですら、制度的にも実務的にも確立していない民主主義後進国(敢えて言うなら独裁国家)に、憲法による法治国家の概念を根底とする理念なんぞ通じるどころか、理解すらされていないというのが現実でしょう。 日本国憲法の理念は、これらの国々の外交戦略に如何なる影響力も与えていません。 国益の確保という至上の命題に、となりの国の憲法の理念なんぞなんの影響力もないと認識すべきです。 >もちろん、平和憲法のアピールだけが日本を戦争から防いだわけでは >なく、東西冷戦構造下の日本の位置、日米安保条約がもたらしたもの、 >その他諸々の要因があったでしょうが、そうした中、平和憲法とその >世界へのアピールが果たした役割は、けっして小さくないはずです。 全くなかったと断言しておきます。 冷戦時代の軍事力均衡という点で考えれば、安保条約と米軍の駐留により得られた核の傘の下で、相互確証破壊という米核戦略の恩恵に預かりながら、平和な状態を維持し経済的繁栄を得ただけのことです。 たまたま地勢学的位置により、共産主義の環太平洋地域浸透を防ぐ、防波堤としての役割を果たしてきた日本は、その防波堤としての存在による報酬としての平和な状態の継続であり、そういった平和な状態があってこその経済的繁栄であったと考えています。 その防波堤としての役割の中に、通常戦力としての自衛隊の役割があったのです。 いかに核の傘に覆われていても、通常戦力という担保がなければ容易に侵略されていたと考えます。 朝鮮戦争を思い出してください。 中国は人民解放軍という正規軍を援軍として派兵しておきながら、表向きは義勇軍でしたよね。 続きます |
続きです。 >ベルリンの壁が崩れ、ソ連という国がなくなり、東西冷戦が終わって >世界が新しい時代を迎えてから十年余り。それはちょうど私たちの >日本が、「失われた十年」といわれるほどに混迷を深めてきた時期 >でもありました。いま何かを大きく変えたい、変えていかなければ >という気持ちが高まってくるのも、一つの自然な流れでしょう。 お金を使うという形でしかしてこなかった国際貢献の限界を思い知らされた十年であったとも考えます。 基軸通貨としての地位を得るほどの経済的繁栄により得た経済力から、ODA等の援助事業で得られたのは直接的利害関係を持たない小国の支持だけだった。 今何かを変えたいのではなくて、今そこにある歪みを正そうとしているのです。 間違っても、劇的な変化を望んでいるわけではない。 >しかしここで、私としては、踏み止まって考えを深め、よくよく気を >配っておかねばならないことがあると思っています。それは、昨今の >日本は、私たち日本人は、往事に比べて、高度成長の1960年代、 >安定成長の1970年代、後にバブル経済と呼ばれる1980年代と比べ、 >いまかなり弱って、元気も自信も失っているという点です。 経済的には、やっとバブルの後遺症から脱し、バブルの清算が済んだというところでしょう。 元気も自信も取り戻しつつあると思いますよ。 大方のベンチマークは景気復活の兆候を示していますし。 >人間、個人のレベルで見ても、弱ったり自信をなくしたりしたとき >ほど、はやり、あせり、いたずらに「大きな一発勝負」に打って出て >しまうことがある。こんな仕事やってられるかと会社を飛び出す。 >生涯の伴侶ではなかったとパートナーと別れる。そうやって、いま >手にしている大事なものを、投げ出したくなることがあります。 > >しかし、それはたいてい、「はやった」、そして「間違った」選択 >だったと、後からわかり、そのように「後からわかった」ときには、 >もう遅く、取り返しがつかないのです。「こいつが諸悪の根源だ。 >これさえなくせば、あとはすべてうまくいく」なんていきり立って >いるときは、概してそういうものです。 > >いま憲法九条を変えなくても、自衛隊の位置づけだって、国としての >国際貢献活動だって、やりよう、工夫のしようは、さまざまにある >はずです。その知恵や工夫を十分に出し尽くす努力もせずに、なぜ >憲法九条改定だけを、そんなに急ぐのか。 これはこういった議論に差し挟んではならない観念論であるし、詭弁でもあると指摘させて頂きます。 憲法で否定されている軍備を保有している矛盾はどうなるのですか。 現状で、自衛隊の存在や果たしている役割を認めておきながら、その自衛隊の法的立場や自衛隊員の身分を憲法に則って、現状を追認することが、可能であるとでも。 その知恵や工夫は、単に現状を糊塗するだけの手段に過ぎません。 護憲九条を主張されるのであれば、自衛隊の存在は否定されるべきです。 その上で、自衛隊を廃止し全ての軍備を廃棄しても、実現可能な安全保障の枠組みや実務的手法について示されるべきでしょう。 それを示されない限り、詭弁に過ぎないと指摘させて頂きます。 この主張に、灰色というのは許されませんよ。 ことは国家の安全保障という国家の存在を左右する基盤であり、しかも最高法規である憲法の規定と矛盾しているのですから。 白か黒かであるべきです。 続きます。 |
続きです。 >憲法九条「だけ」が日本の平和を築いてきたわけではないし、憲法 >九条があり「さえ」すれば、日本が今後ずっと平和であるとも、私は >思っていません。けれど、平和憲法が、戦後60年、日本を戦争や戦乱 >から遠ざけるために、相応の役割を果たしてきたことも、また疑い >ようのない事実です。その点を過小に評価するべきではありません。 先に述べたように障害になってはいても、相応の役割なんぞ果たしていない現実を認識すべきです。 >私たちの日本が、これから何十年、何百年という未来のある時期に、 >時に応じ、「力」を持ったり、「闘い」が避けられないことだって、 >あるいはあるかもしれない。しかし、そのように、「平和憲法」を >打ち捨て、「戦争準備」への道を開くという「大きな選択」は、 >少なくとも、「いま」やるべきではありません。「いま」の日本は、 >そのような思い切った舵取りをするべき状況ではないと思う。 大きな舵取りでもなんでもないと思いますよ。 現実に軍備を保有し、それ相応の役目を果たしていますから。 戦争準備ですか。 戦争をして得られる物があるとでも。 それに、戦争準備なら自衛隊の編成を根底から変える必要がありますが、こんなもの誰も容認しませんよ。 領土領海を防衛する限定的な戦力しか持たない自衛隊が、よその国へ出かけて行って武力を行使する能力があるとでも。 現在、地域防衛軍編成から渡海侵攻能力の獲得を目指して遠征軍編成へ変身を目指しているのは中国だけです。 これを可能にしているのは、経済発展という経済力の獲得と、政府の意志決定に国民が関与出来ないから可能なのです。 先軍政治を標榜する北朝鮮が良い例でしょう。 それぞれの国が持ちうる経済力から、装置産業としての宿命がありますからね。 これを考慮せずに戦争準備を語るのは誤りです。 持ちうる経済力を基盤に、独自の戦力を獲得し、渡海遠征軍を編成し、必要な装備を獲得する、こういった能力を持つ民主主義国家は存在しません。 現在唯一の渡海侵攻能力を持つ米国も、二方面同時対応という軍事ドクトリンを捨て、身軽で早い対応が可能な編成に変更しつつあります。 その編成変更の途上にありますが、基本的な方針として現在海外に駐留している両用作戦遠征軍を、一個軍団規模(総計七万五千人)を米国本土に引き揚げる方針は確定しています。 >むしろ、平和の条件も、経済や産業も、人々の幸福に関することも、 >戦後60年で私たちは何を成し遂げてきたのか、明治以来の百年余りで >何を手に入れ、何を失ってきたのか、それらを真摯に、そして謙虚に >振り返り、その果実を確かめながら、ゆっくりと時間をかけて、次に >踏み出す一歩を考えるべき時だと、私は思います。 > >私は、日本の憲法九条が、未来永劫絶対の金科玉条であるなどとは >思っていません。しかし、いま憲法九条を変えてはいけない。もし >それを安易に強行すれば、必ず後世の子孫たちから、拙速、性急との >謗りを受ける結果になるだろうと思っています。 残念ながら、いま真摯に憲法改正に努力しないと、後世の子孫達は存在すらしない可能性を指摘して終わりとします。 ありがとうございました。 |
退役軍人さん、こんにちは。 丁寧なレス、ありがとうございます。ご主張として「理解できた」 という意味で、かなりよくわかりました。前回すでに「もう少し だけ」と書きましたし、今回の退役軍人さんの書き込みに若干の 感想を述べて、私からも「いったんのまとめ」としたいと思います。 まず、こういった場で経験や感情を語るのは、それほど神経質に 避けるべきことではなく、無理なく出せるものは出し合ったほうが いいとさえ、私は思っています。経験も伝聞も感情も、またそれに 基づく意見も、「個人の意見」としては、どれも貴重なものです。 それにこの掲示板のように、個々人が自由な意思で参加する場では、 「議論の場」よりも、「人と人との交流の場」のような意味合いの ほうが、むしろ値打ちがあると私は思っています。実際のところ、 たとえばお母さまのお手紙の話、たいへん印象深くうかがいました。 そのような意味でも、論理性や現実に立ち戻る構えが、それぞれの 人なりに、それなりに、確保されてさえいれば、経験や感情の表出を さほど強く回避する必要はないのではないかと思っています。 経験や感情の交流は、人と人との「つながり感」をつくります。 友達や仲間、同世代どうしだけでなく、上の世代から下の世代への 経験や感情の伝達も、とても大事だと思います。退役軍人さんの お父さま、お母さまが、それぞれのやり方でそのように実行されて きたことに、感謝と敬意を表したいと思います。 それから、「弱っている個人」を引き合いに出して「いまは大きな 決断をすべきでない」と語ったことについて、「詭弁」とのお叱りを 受けましたが、これは少々厳しすぎる評言として残念でした。あれは 私なりの一種の「状況認識」を、多少の例え話を交えて述べたもので あって、弁を弄して議論を有利に運ぼうなどという気はありません。 詳述するとまた長くなりますので、ごく簡単にいうと、日本の戦後 60年というのは、非常に基本的なところで相対立するものの見方や 考え方を、「国論を二分」する形で争わず、いわば両者を抱え込む ようにしながら歩んできた面があると思っています。先の戦争に 対する見方もそうですし、九条二項と自衛隊の矛盾もその表れです。 そして、その根っ子として、日本という国も、多くの日本人も、あの 「過酷な敗戦」というたいへんきびしい出来事を、60年を経たいまも なお、必ずしも消化しきっていない、十分には客観化できていないの ではないだろうかと、近頃あらためてそんなことを考えます。しかし その辺りは、またいずれ機会があれば述べてみたいと思います。 私としては、意見の大きな違いと、その拠って立つところが、かなり 明らかになったという意味で、相応に意義のあるお話し合いだったと 思っています。 ご家族ともども、どうか健やかで実り多い新年をお迎えください。 どうもありがとうございます。 |
ぎみゆらさん、こんばんは。 じゃあ、私も感想を述べてまとめということで 最後まで、分割レスの長文で申し訳ありません。 ▼ぎみゆらさん: >退役軍人さん、こんにちは。 > > >丁寧なレス、ありがとうございます。ご主張として「理解できた」 >という意味で、かなりよくわかりました。前回すでに「もう少し >だけ」と書きましたし、今回の退役軍人さんの書き込みに若干の >感想を述べて、私からも「いったんのまとめ」としたいと思います。 ありがとうございます。 >まず、こういった場で経験や感情を語るのは、それほど神経質に >避けるべきことではなく、無理なく出せるものは出し合ったほうが >いいとさえ、私は思っています。経験も伝聞も感情も、またそれに >基づく意見も、「個人の意見」としては、どれも貴重なものです。 単なる観念論を避けたいと考えているだけです。 同じあるいは、近い考え方を持つのであればそうかもしれませんが。 つまり、双方が同じ事象であると認識出来る根拠、あるいは双方が検証可能な根拠に基づいて議論を進めないと、噛み合わないだけの非難合戦に終始してしまいます。 いまだに延々と続いていませんか。(苦笑 なかには、それをよしとして憚らない方もいらっしゃるようで。 >それにこの掲示板のように、個々人が自由な意思で参加する場では、 >「議論の場」よりも、「人と人との交流の場」のような意味合いの >ほうが、むしろ値打ちがあると私は思っています。実際のところ、 >たとえばお母さまのお手紙の話、たいへん印象深くうかがいました。 > >そのような意味でも、論理性や現実に立ち戻る構えが、それぞれの >人なりに、それなりに、確保されてさえいれば、経験や感情の表出を >さほど強く回避する必要はないのではないかと思っています。 そういった他者の考え方に一定の理解を示す、いやある程度の共感を持つという【節度】が双方にあれば良いのですが、この掲示板では、少数の方しかいらっしゃらないようです。 そういった意味で、論理や主張は徹底的に否定してはいますが、このスレッドの端緒となった昭和人さんに敬意を持っています。 結果として、ぎみゆらさんとの対話を引き出し、双方の考え方の理解という点で大きな価値があったと思っています。 私の基本的な考え方を、きちんと開陳する機会を得た訳ですし、双方が考え方の根底にある価値観の違いをきちんと認識できたという点で。 こういう冷静な対話というか、論理を憎んで論敵を憎まずという議論の原点に忠実な議論は、なかなか出来ないものです。 理解するということと、共感できるかということは、本来別の次元にあるものだと思います。 続きます。 |
続きです。 >経験や感情の交流は、人と人との「つながり感」をつくります。 >友達や仲間、同世代どうしだけでなく、上の世代から下の世代への >経験や感情の伝達も、とても大事だと思います。退役軍人さんの >お父さま、お母さまが、それぞれのやり方でそのように実行されて >きたことに、感謝と敬意を表したいと思います。 ありがとうございます。 代々神官の家に生まれ、薙刀をたしなみ、代々武人の家に嫁いできた母の手紙には、「武人とはかくあるべし」という信念に貫かれていました。 力を手にするということがどのような責任をあわせて負うのか、終戦後の引き揚げ等の混乱の中で母が見た出来事から、人間というのがいかに簡単にさもしい動物以下になってしまうのか。 さもしい動物以下の人間にするためにお前を育てたのではない、人としての矜持を失わないという決意を持てという内容でした。 時には、自身の生命よりも人としての誇りが重たい時もある、武人となるのならその誇りに殉じて生命を捨てる覚悟があるか、と結ばれていました。 優しい母という認識しかなかった私には、大きな衝撃でした。 >それから、「弱っている個人」を引き合いに出して「いまは大きな >決断をすべきでない」と語ったことについて、「詭弁」とのお叱りを >受けましたが、これは少々厳しすぎる評言として残念でした。あれは >私なりの一種の「状況認識」を、多少の例え話を交えて述べたもので >あって、弁を弄して議論を有利に運ぼうなどという気はありません。 比喩が適切ではないと感じたからです。 感情論、いや観念論そのものであると思ったためで、議論の趨勢との関わりを感じた訳でもありません。 他意はありません。 >詳述するとまた長くなりますので、ごく簡単にいうと、日本の戦後 >60年というのは、非常に基本的なところで相対立するものの見方や >考え方を、「国論を二分」する形で争わず、いわば両者を抱え込む >ようにしながら歩んできた面があると思っています。先の戦争に >対する見方もそうですし、九条二項と自衛隊の矛盾もその表れです。 これは見解の一致するところですね。 私は、こういった歪みを正すべき保守系政治家の責任であると考えています。 まぁ、共産主義の浸透を内政の面で防ぐ手法として、とりあえず内政での二極対立を避け、結果の平等に傾斜した再配分システム(社民主義への傾斜)を保守政治に持ち込むことで内政の安定を得ていたという側面もあろうかと思います。 もうそういった手法が有効である時代は、バブルの崩壊とともに過去のものになりましたけれど。 >そして、その根っ子として、日本という国も、多くの日本人も、あの >「過酷な敗戦」というたいへんきびしい出来事を、60年を経たいまも >なお、必ずしも消化しきっていない、十分には客観化できていないの >ではないだろうかと、近頃あらためてそんなことを考えます。しかし >その辺りは、またいずれ機会があれば述べてみたいと思います。 たぶん、三代ほど(百年ほど)経過しないと消化できないと思います。 直接の経験を持つ人達の出来事に対する印象が薄れて風化していかなければ、出来事そのものを冷静に評価できないと思っています。 その過酷な経験を語る当事者世代から、聞き手として受け継いだ我々の第二世代、そして我々の子供たちの世代が中心にならないと、冷静で論理的な評価は出来ないでしょうね。 戦争の経験を語り継いでいかねばならないと主張される方々もいらっしゃいますが、敗戦という出来事を子孫の世代に感情として伝えて行くという行為は、どちらかというと負の面が大きく、よりよい未来を築く障害にさえなっていると思います。 これは、左右双方に言える事ですけどね。 >私としては、意見の大きな違いと、その拠って立つところが、かなり >明らかになったという意味で、相応に意義のあるお話し合いだったと >思っています。 私もそう思います。 >ご家族ともども、どうか健やかで実り多い新年をお迎えください。 >どうもありがとうございます。 こちらこそ、ありがとうございました。 良いお年を。 |
ワン太郎さんへ、一つ質問です。 私は記事69261で、ワン太郎さんの記事69248における >退役軍人さんによって 「論破され」 「納得した」 と見て 良いのでしょうか? >(護憲に取り付かれた人達が いまさら 改心するとも 思えませんが ・・・ ) の文章に >それともう一つ、ワン太郎さんへ、 >『護憲に取り付かれた人達が いまさら 改心するとも 思えませんが』 >とは、つまるところ、どういう意味でしょうか? >護憲の意見を持つ私は『改心』すべき存在でしょうか? と質問したのですが、とうろうさんから >>改心する >は多分「回心」のおつもりでしょう。 と、返信がありました。 私は「回心」の意味を知らなかったので、国語辞典(福武社)で調べたのですが、 『回心:キリスト教で、過去の罪や不信人を悔い改めて、信仰の生活に入ること。』 とあり、ますますわけが分からなくなりました。 ですので、ワン太郎さんから直接、 >(護憲に取り付かれた人達が いまさら 改心するとも 思えませんが ・・・ ) の意味する所について、説明して頂ければと思います。 よろしくお願いします。 |
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めんどくさいので、全ての投稿を読んでいませんが、論点は以下のところにあるのではないでしょうか。日本は今まで経済大国として、まずまず成功してきた。今後、軍事大国を目指しているわけであるが、経済大国と軍事大国は日本の場合、両立するのだろうか。 軍事大国とは一見して頼もしく見えるが、軍事大国が長続きした例はあまりない。例えば中国の歴史上最強の軍隊は秦の軍隊であった。中国全土を史上初めて制圧して、その名がchinー>chinaとなったほどである。名前からすれば、中国は今も秦の国である。この国家はわずか25年しか続かなかった。ヒットラーの軍事大国化は10年も続かなかった。唯一長続きした例がアメリカである。そのアメリカも貿易赤字が年100兆円近くもあり、軍事力の再編をしなければ、ドルの暴落が近いでしょう。 軍事力には強い排他性がある。軍事力は一方の側には喜ばれるが、他方の側には嫌われ憎まれる。軍事力を強化すれば、自分は安泰であるかもしれないが、その分他人には脅威になる。軍事力がいかに強力であっても、軍事力だけでは国内の政治経済さえ回らない。軍事独裁国家は北朝鮮を例にしても、政治経済を破綻させる。 ところが経済には、軍事力のような強い排他性は無い。トヨタ自動車がアメリカに進出しても、日本がアメリカに攻めてきたとは言われない。むしろアメリカ人にも喜ばれている。日本の駐留アメリカ軍と比較すれば違いがわかるというものである。沖縄だけでなくて駐留アメリカ軍はどの地方でも歓迎されざる人たちである。 アメリカの場合は財政難であれば直ぐに軍隊を縮小できる。ところが日本の場合はどうだろうか。一旦軍事費を増加して、人、基地を増やせば、他の政府機関と同じで減らすことは容易ではない。政府機関、軍事力というのは日本では自己目的化しやすいのである。例えば、自衛隊が日本国防軍になって、予算獲得のために日本周辺で事件を起こす事だって考えられる。かっての満州事変、ノモハン事件など、そのような事例には事欠かない。昔あったことが、今後続かないと誰も断言できない。すなわち、歴史には対称性があるからである。子どもは何も教えなくても親の真似をするとか、頭の大きさ、歯の大きさが遺伝するのも歴史の対称性である。 最近、世間が物騒になりました。我が家もアメリカのように鉄砲、機関銃を準備して、いざという時に備えたら安心するでしょうね。なんていう議論をしていませんかね。日本の時計を500年巻き戻して戦国時代にすれば、それも良い考え方ですね。 |